2004年4月


1日●三点確保

プレーン味のヨーグルト、イチゴ味のヨーグルト、ブルーベリー味のヨーグルト、キウイ味のヨーグルト、アロエ味のヨーグルトがそれぞれ1個ずつセットになった、5個パックのヨーグルトが新発売になった。これまでのヨーグルトは、同じ味のものが3〜4個パックになっていて、途中で食べ飽きてしまった。このように色々な味がセットされていると、変化が楽しめて満足感がある。ブルーベリー味とキウイ味は、既に誰かが食べてしまったらしい。残る3個のヨーグルトを持って、私はヒマラヤ登山に出かけた。隣を小学館の高木さんが登っている。学生時代に山登りをしていたというだけあって、標高7,000メートル近くまで上がってもさすがに呼吸が乱れていない。「山田さんの言うとおり、やっぱり三点確保ですよね」と高木さんが言う。私は「そのとおりですよね。手足のうちの3本が地に付いていれば、滑落事故は起きないし」と答えてから、荷物の中のヨーグルトを差し出した。「さすがは山田さん。ヨーグルトも三点確保ですね。ところで、山田さんが1個、僕が1個食べるとして、残りの1個は誰が食べるんですか」と高木さんが聞くので、私は「この山を別ルートから(幻冬舎の)芝田さんも登っているので、合流したら3人で食べましょう」と答えた。
【解説】 高木さんとは6月に取材でヒマラヤに行くことになっている。夢の中にヨーグルトが登場した真意は定かではないが、そうとう美味しそうに見えたことは確かだ。「3個のヨーグルト」、「(登山の原則である)三点確保」、「同じ山を登る3人」という具合に、「3」という数字が印象的な夢だった。


2日●普通の人々

砂漠の入り口のような町。ターバンを巻いたシーク教徒の男性と連れ立って歩いている。どこにでもいるような風貌のシーク教徒(タイプとしてはイエス・キリスト顔)なのだが、この人は心穏やかで優しく、一緒にいるだけでホッとする。途中で偶然にふたりの手が触れると、その人は「異教徒の女性と一緒に行動するのは、本当はタブーなんです」と言って恥ずかしそうに手を引っ込めた。彼が話す言葉は、これまでに聞いたことのない言語だ。知らない言語であるにもかかわらず、何故か私には彼の言葉がよく理解できる。気がつくと男は消えており、代わりにユダヤ人の女性がいた。年齢は40〜45歳ぐらい。彼女は今日まで一度も結婚をせぬまま生きてきたそうだ。最初のうちは「孫の顔を見たいから結婚してくれ」と毎日のように言い続けていた父親も、今では諦めているという。「この年になって、ようやく周囲が私の結婚を諦めてくれたので、これからは静かに生きていけそうです」と言いながら、彼女は小さく安堵の笑みを浮かべている。その平凡で地味な顔を見ながら、(普通の人々の心を知ることが、これからの自分にとっては何よりも大切なのだ)と私は思った。
【解説】 平凡な人々の営みの中に紛れ込んでしまったような不思議な夢。時代設定としては、おそらく数百年かそれ以上過去ではないかと思う。妙に懐かしい感じのする夢だった。


3日●出陣

武家屋敷の中。「ご武運を」という声があちこちから上がる。甲冑。風林火山の旗。刀の切っ先には気をつけなければと思う。私は出陣のために立ち上がった。
【解説】 この場面しか覚えていない。私には昔から先端恐怖症の気があって、鉛筆や箸など尖った物を向けられるのが大嫌いだ。そういう物を向けられると、逃げ出したくなるのではなく、何故か反射的に戦いたくなる。刀の切っ先うんぬんは、そのことと何か関係があるのかも知れない(ですから皆さん、私に尖った物を向けるのは危険ですから絶対におやめください(笑))。


4日●満月の砂漠

この世のものとも思われないほど美しい場所。空には大きな満月が浮かんでいる。砂漠の真ん中で夜を迎えた。ジープタイプの大型キャンピングカーに寝泊りしている。天幕の外では、ふたりの日本人が満月の光に照らされながら砂漠の風景を見ていた。私は彼らと一緒に旅をしているらしい。ひとりは40代後半の冷静な男で、工学系の知的職業(コンピューター関係?)に就いているような気がする。もうひとりは35歳前後の明朗活発な女。ほかの同行者たちはテントや車の中で眠っている。ここはアラブの戦闘地帯か、あるいはそれ以上に危険な場所らしいのだが、私たちには100%の安全が保障されている。「アラビアのロレンス」が着ていたような衣装で全身をすっぽり覆った男たちが、馬に乗って砂漠の彼方から駆けて来る。“Graceful”という形容以外に思いつかない優美な光景に溜息をつきながら、私はこのままずっとこの情景を見ていたいと願った。
【解説】 普通ではありえないほど大きな満月が印象的な夢。清浄なイメージがみなぎっていた。先月31日の夢の中にも「大きな丸いもの」のイメージが登場したが、今回の満月はそのイメージにかなり近い。


5日●組み合わせ

誰もが別々の道を歩いている。私が歩いている道は、1本の道がファスナーのような形で左右に分かれており、左右がそれぞれ別々に動いている。左右の凹凸部分がぴったり組み合わされた時だけ道は完璧な形になり、その時はボーナスポイントとして1輪の花がもらえる。(だから、いちばん大切なのは組み合わせなのだ)と思う。花が一定数たまると、特別な場所に行くための資格が与えられるという。花の数が少なくても、熱海や沖縄など、それなりの場所には行かせてもらえるらしい。しかし私が行きたいのは、とんでもなく遠いところにある前人未到の地なので、半端ではない数の花が必要とされる。私の手元には、既にかなりの数の花が集まっている。私はこの花を数百年前(おそらく戦国時代)からずっと集め続けてきたのだ。目標の場所に行ける日まで、もうあと一息だ。
【解説】 一昨日の夢には、戦国時代を生きる武将としての私が登場した。今日の夢は、どうやら一昨日の夢から続いているらしい。1本の道の上を、目標に向かってひたすら歩いている自分のイメージだけが感じられた夢。



6日●迷い犬を探して

Aさんからメールが届いた。そのメールを受け取ったのは、どこかのホテルの一室だ。私は数日の予定で温泉場に旅行中らしい。ところが、旅先で飼い犬が行方不明になってしまった。私は必死でその一帯を走り回り、犬を探す。道路脇、小高い丘、林の中、公園のようなところ、色々な場所を必死で探すが犬は見つからない。茫然自失でホテルに戻る。一夜明けてみると、部屋の隅に黒い猟犬がうずくまっていた。瞬間、ベア(※昔、実際に飼っていた犬の名前)が帰って来たのかと思う。しかしよく見ると犬違いだ。私は再び外に飛び出し、呼吸が苦しくなるまで走りながら犬を探し続ける。今日の列車で東京に戻る予定なので、これで見つからなければ、もう二度と逢えないかも知れない。このとき、何か温かくて柔らかなものが私の足に触れた。はっとして足元を見たところで目が覚めた。
【解説】 目が覚めてみると、足元にはブースケ(※現在飼っているシーズー犬の名前)が眠そうに転がっており、のんきにあくびをしていた。夢の中で行方不明になったのは、10数年前に実際に行方不明になったきり帰って来ない「ベア」だったのかも知れない。「ベア」は作家のC.W.ニコルさんから貰い受けた黒い猟犬で、名前もニコルさんから付けていただいた。とても可愛がっていたのだが、ある日、行方不明になってしまった(状況から考えて、どうやら盗まれたらしい)。八方手を尽くして捜したが見つからず、とうとうそれきり逢えなくなってしまった。町で黒い犬を見るたびに、今でもベアのことを懐かしく思い出す。

【後日談】 目が覚めてブースケの無事を確認し、ほっとしてから枕もとの携帯電話を見ると、新着メール到着を知らせるライトが点滅している。開いてみると、Aさんからだ。その内容は、驚いたことに、夢の中で読んだメールとまったく同じだった。プライベートなメールなので、ここでその内容を紹介することは出来ないが、メールには数字(時刻)や場所の名前なども登場しており、そういった具体的な部分も夢と完全に一致している。不思議なこともあるものだ。このことは、Aさんにだけは後で個人的にお伝えしたいと思う。



7日●交換条件

犬(ブースケ)を渡せば、代わりにあるモノが貰えるという。そのモノとは、作家なら誰でも喉から手が出るほど欲しい何かだそうだ。「そのモノとは、一体何ですか?」と聞くと、それは創作の神様だという。創作の神様が降臨すると、信じられないほどの名作が次々に書けるというのだ。こちらの返事も聞かずに、相手(神の代理人?)が当たり前のような態度でさっさとブースケを連れ去ろうとする。クンクン鳴くブースケの悲痛な顔。それを見た私は、夢の中でかなり本気でブチ切れていた。「交換条件を提示してやってくるような下世話な神様など欲しくありません。そういうのを邪神というのです。人を馬鹿にするのもいいかげんにしなさい!」 呆気に取られている相手からブースケを力ずくで取り戻すと、私は荒々しくその場から去った。そんな怪しいモノに降臨して貰わなければ書けないようなら、最初から才能がなかったということだ。愛犬と交換に得る名誉など、最初から汚れきっている。
【解説】 昨日に引き続き、間一髪のところで愛犬が失われそうになる夢だ。今回は、愛犬を渡せば大変な才能や名誉が約束されるというパターンである。実は先月末に、ブースケはもう少しで車にはねられそうになった。キャリーバッグのファスナーが壊れて、そこから外に駆け出してしまったのである。そのときの恐怖が私の心に残っていて、(ブースケがどこかへ行ってしまう)という夢のイメージになったのかも知れない。


8日●ブースケとの会話

愛犬のブースケが、ついに人間の言葉を話せるようになった。私はブースケを抱いて立っている。早口で話すブースケの言葉があまりに面白いので、思わず笑い出す私。近くには、やはり小型犬(チワワ?)を抱いた細身の男性。さらにその先にも、やはり小型犬を抱いた人がいるような気がする。これらの犬たちは皆、人間の言葉が話せるらしい。とても幸福な気分だ。
【解説】 夢の中でブースケと何を話したのだろう。具体的なことは思い出せない。ただ、とても嬉しくて楽しくて、ずっと笑っていたことだけは覚えている。それにしても、3日続けて愛犬の夢とは珍しい。一体何の暗示だろうか?


9日●棋聖

池の上に浮かんだ瀟洒な庵。法務大臣の野沢太三先生と浅草寺日音院のご住職が、碁の達人を伴って現われる。台湾の人のようにも思えるが、あるいは日本人なのかも知れない。その人が少し指を動かすだけで、盤上に白と黒の綺麗な幾何学模様が描かれる。まるで宇宙地図か曼荼羅のように深遠で美しい。天才と呼ばれるだけあって、さすがに素晴らしい手筋だ。(この先生なら、安心して息子をお任せすることが出来る)と私は思った。
【解説】 現実世界でも息子の碁の師匠を探している。確かに、野沢先生や浅草寺のご住職なら素晴らしい方をご存知に違いない。おふたりが夢に登場なさったのは何かのメッセージかも知れないので、これから早速ご相談申しあげてみようと思う。
【後日談】 この件についてお電話を差し上げるまで、野沢先生が囲碁の有段者であることを私は知らなかった。先生からは、ただちに素晴らしいアイデアをいただくことが出来た。先生の仰るとおりにしてみたところ、すぐに立派な師匠が見つかり、来週から教室に通えることになった。夢の中で得たインスピレーションの大切さを実感。野沢先生、どうもありがとうございました。


10日●手をつないで

ぽかぽか暖かな昼下がり。誰かと手をつないで散歩している私。
【解説】 ストーリーはない。手をつないでいた相手は誰だったのだろう。幼かった頃の娘か息子? 幼少時の友達? 何も思い出せないが、とても暖かで平和な気持ちの満ちてくる時間だった。



11日●達成

空に浮かんだ大きな輪が見える。近くには、桜か桃か、ピンク色の花が咲き誇っている。何度も何度もトライした末に、私はついにあることに成功した。達成感。充実感。今日まで諦めなくて良かったとしみじみ思う。
【解説】 空に浮かぶ大きな輪は、私の夢の中に繰り返し何度も現われるアイテムだ。私はいったい何に成功したのだろう。夢の中ではわかっていたのだが、目が覚めたあとはどうしても思い出せない。それは、とても大切な何かだったと思う。



12日●可愛い黒猫

人間と同じ大きさで、人間の言葉を話し、直立歩行をする猫が5匹いる。1匹はメスで4匹はオス。メスはミニスカートを履いた黒猫で、とても可愛い。オスたちは彼女を大事にしている。私は数日前からこの猫たちと暮らしているようだ。ある朝、部屋に行ってみると誰もいない。どこに隠れているのかなと思っていると、ちょうど目の高さにある小さな壁の穴から猫たちが飛び出してきた。(こんなところから出入りしていたのか)と感心する。私が見ていたことも知らず、彼女たちはまたいつものように生活を始める。
【解説】 今月8日の夢では愛犬ブースケが人間の言葉を喋っていたし、今日は猫が話す夢である。『夢の辞典』(日本文芸社)によれば、犬の夢は往々にして良い夢(暖かい気持ち、忠実に慕ってくれる人の存在)を意味するが、猫の夢は悪い夢(忠告の意味)である場合が多いという。とりあえず、どこかに壁の穴があったら気をつけよう。



13日●入れ替わるふたり

プリンセス天功さんがやって来て、「私は漫画家の中尊寺ゆつこです」と言う。天功さんがいなくなると、入れ替わりに中尊寺ゆつこさんがやって来て、「私はマジシャンのプリンセス天功です」と言う。ふたりが同時に存在することはなく、いつも入れ違いでやって来る。最後にふたりとも消えて、代わりに女優の釈由美子さんが現われた。
【解説】 夢を見る直前の夜、ディズニー映画「ホーンテッド・マンション」のプレミアム試写会に招かれて武道館に行った。今回のイベントはマジックショー(イリュージョン)もセットになっていたので、そこでプリンセス天功さんを見た。また試写会には中尊寺ゆつこさんもいらっしゃっていた。このふたりが夢の中で入れ替わったのは、おそらく昨夜のショーの続きなのだろう。最後に釈由美子さんが現われた意味は不明。



14日●過去からの使者

人が立ったまま入れる巨大なチューブ。くねくねと蛇行しながら、どこまでもどこまでも続いている。絶え間なく点滅する青いネオン。これは過去へと続くタイムトンネルなのだという。奥のほうから誰かが現われる。過去からの使者だ。着物を着ている。顔は見えないが女性らしい。何か貴重なものを渡される。去ってゆく使者の後ろ姿。青の点滅。チューブのうねり。
【解説】 もっと長い夢だったように思うのだが、この場面だけがあまりに強烈で、ほかのパーツを忘れてしまった。過去からやって来た使者から渡されたもの、それは形や質量のない何か(たとえば「才能」とか「強運」のようなもの)だったような気がする。



15日●海岸にて

海岸に停めたワゴン車に乗っている。周囲にはほとんど人がいない。数十メートル先に3〜4階建ての安ホテルが見える。3階あたりの窓から女性がふたり顔を出して、こちらを見ている。ふたりのうち、ひとりの顔しか見えない。どこかで見たことのある顔だ。美容師のAさんに似ているが、マスコミ関係のBさんの面影もある。彼女は少しおどおどした感じで、しかし興味深げに私を見ている。私は、彼女がそこにいることに何の感動もない。見て見ぬ振りをする。気がつくとふたりの女性はワゴン車のすぐ脇まで来ていて、隠れるように座り込んだままこちらを覗き見ていた。私と目が合うと、ふたりは慌てた素振りでその場から姿を消した。そのあと「深田恭子」という名前の可愛い女性が現われ、にこにこ顔で「私のこと、フカキョンって呼んでね」などと言う。しかしその顔は、どう見ても辺見エミリさんなのだった。
【解説】 全体にとりとめのない夢。美容師のAさんとマスコミ関係のBさんに共通していることは、ふたりとも「かつて私の担当だった」こと。「過去の思い出が私を見ていて、私のほうでは過去に興味がない」という図式に感じられた。最初にふたりの女性が現われ、その人たちが消えると最後に別の女性(しかも女優さん)が現われるという筋書きは、一昨日の夢と同じ。なんとなく、「新旧交代」というイメージの強い夢だった。

【後日談】 夢を見た翌日、編集者の芝田暁さんに連れられて、鳥居坂の「春秋」というお店に飲みに行った。現地に到着してみると、そういえばここは以前にも一度来たことがある店だ。それは今から2年程前のことで、一緒に来たのはマスコミ関係のBさんである。夢から覚めたときにも(久しぶりにBさんに連絡してみようかしら)と思ったのだが、その夜にたまたま連れられて行った場所が、Bさんと最後にお会いしたときに行った店だったというのも不思議な話である。Bさんはお元気なのだろうか。気になるので、この週末にでも電話してみたい。


16日●白いボディーペイント

全身を白いペンキで塗り、前衛舞踊をしている集団がいる。「あれは何てグループなの?」という声に、私は「あれは白虎社でしょう」と答えた。リーダーの大須賀勇さんが蛇のように体をくねらせながら踊っている姿を見ながら、(でも、白虎社ってもう解散したはずでは?)と思い、私はひとり首を傾げた。
【解説】 白虎社(びゃっこしゃ)とは、大須賀勇さんをリーダーとする前衛舞踏団で、全身を真っ白に塗った異様な風体と、鍛え抜かれた肉体美、ダイナミックな表現力で80年代頃に一世を風靡したものである。大須賀さんと私は日本文化デザインフォーラムでご一緒で、16年前からの知り合いだが、お目にかかるのは1年に1度だけ。現在、大須賀さんはソロで活動していらっしゃる。

【後日談】 夢から覚めてすぐ、1通のファックスが届いた。見ると驚いたことに大須賀さんからで、「現在発売中の雑誌“SPA!”に私が特集されています。何卒ご高覧ください」とあった。大須賀さんの夢を見るのも初めてなら、ファックスをいただくのも生まれて初めて。なんとも不思議な偶然の一致である。



17日●賢い少女

電車に乗っている。東京ではない。西日本のどこかのような気配。ローカル線だ。私は座っており、その前に家族連れが立っている。中学生ぐらいの少女と、その父親、母親、弟らしい。少女と私は知り合いなのかも知れない。どこかの私立大学のパンフレット(あるいはビデオ?)を見ながら感想を述べ合っている。少女のコメントはなかなか激辛なのだが、愛らしい顔立ちと理路整然とした話し方、それに持ち前の明るさのためか、発言に厭味がない。少女の頭の回転の速さに驚きながら、私は深い親近感と好感を覚える。私がバッグの中から何か先の尖った物を取り出すと、少女はパッと身をよけて本気で怖がった。この子も私と同じ先端恐怖症なのだ。そう思ったところで目が覚めた。
【解説】 そのほかに、知人の○△□さんの奥さんが一瞬だけ夢の片隅に登場したような気がする。○△□夫人は相当疲れているようで、まるで夢遊病者か自殺願望者のように見えた。何年もお逢いしていないが、現実世界では大丈夫なのだろうか?



18日●ヘブライ語カフェ

知らない街を旅している。砂漠の入り口のようなところだ。その街で一軒きりの喫茶店に入ろうとすると、看板には「CAFE HEBREW」(ヘブライ語カフェ)の文字。店内は空(す)いている。テーブルに座ると、メニューにはヘブライ文字で大きく「イブリット・ヴェーヴァカーシャ」(ヘブライ語でお願いします)と書かれている。神官のような白いローブをまとった男性が近づいて来た。私は祭壇の上のコーヒーを指さして、ヘブライ語で「アニ・ローツァ・リシュトーシュ・ハ・カフェ・ハゼ」(あのコーヒーを飲みたいのですが)と言う。すると男性は「ケン」(はい)と言って、うやうやしい作法でコーヒーを運んできた。私はそれを一口飲む。その途端に、とてつもなく高い山の頂上に立っていた。世界を眺めている私。
【解説】 このほかにも誰かとヘブライ語で話をしたような気がするが、内容は思い出せない。コーヒーを運んで来た白いローブの男は、以前インドで一緒にヘブライ語を勉強したコロンビアの外交官に似ていた。



19日●恐ろしい光景

恐ろしいことが立て続けに起こる。次々に人が死んでゆく。小型飛行機が海の上を低空飛行してきた。私はそれを海の中央で見ている(海面に立っているのだろうか? それとも船の上なのか、詳細は不明)。飛行機からロープが垂れていて、その先に若い女の足首が結わえられている。宙吊りにされた女は、まるで冒険でも楽しむように笑っている。女の長い黒髪が海面すれすれに触れた。危ない、と思ったときには女の頭部は海面に激突し、頭の先半分が木っ端微塵に吹き飛んでいた。
【解説】 現在、「死」に関するノンフィクションの自殺に関する部分を執筆している。毎日のように自殺に関する資料ばかり読んでいるので、こんな恐ろしい夢を見たのだと思われる。



20日●正座する男たち

経済評論家のUさんが畳の上に座っている。どうしたことかUさんは赤ちゃんのようになってしまっていて、誰かが世話をしてあげないと食事も出来ないらしい。そばに付き添っていた初老の保母さんが「抱きしめてあげるのが一番いい治療方法なんですよ。あなたも抱きしめてあげてください」と言う。抱きしめてみると、ミルクの匂いがして本当に赤ちゃんのようだ。そのとたん場面が急転し、気がつくとそこは茶室だった。目の前に座っているのはミステリー作家のIさん。半分笑いながら不思議そうに私を見ている。「どうしたんですか、ぼうっとしちゃって。山田さんのお手前の番ですよ」と言われ我に返る。私の膝前には茶器が置かれ、右手には茶筅があった。その瞬間、再び場面が変わり、料亭らしき一室に移動している。編集者の芝田暁さんが畳に正座したまま、「それでは、完全原稿をFDに入れて、間違いなく私の誕生日に渡してくださいよ」と念を押すような口調で言った。わかりましたと約束したところで目が覚めた。
【解説】 3人の男性が別々の場所、別々のシチュエーションで畳の上に座っている夢。Uさん、Iさん、芝田さんはそれぞれ私の知人だが、3人の間に関係性はない。



21日●建て直す

ヒマラヤか中国の僻地らしき場所。女子高校の寄宿舎(あるいは若い女性ばかりが働いている会社の寮?)を視察している。管理人らしき男性が淡々とした口調で、何か経営上のことを私に告げている。男の話を聞きながら、(この場所はまだまだ改良すべき箇所がある)と思う。部屋が狭く薄暗い上、一部屋に数人がすし詰めの状態なのだ。風呂の設備などもひどく旧式である。私はこの寄宿舎を居心地のよい場所に建て直そうと思う。そのためにはお金も時間もかかるだろうが、必ず建て直してみせると私は決意した。
【解説】 現実世界で和解したい相手がいる。非は明らかに先方にあるのだが、ここは私が大人になって相手を許そうと思う。その気持ちが、寄宿舎を建て直すという形になって夢の中に反映されたのではないか。



22日●死ぬまで全力で駆けよ

駆けている。野山を全力で駆けている。駆けているのは、真田昌幸、真田幸村、それから天を突くような体躯の勇猛な男。最後の男は真田家の血を引く者ではないらしい。髭が濃く、髪が長く、目が大きく、鷲鼻で、大陸の血が濃く入っているようだ。私は、この3人と一緒に駆けているのだ。あるいは、私がこの3人のうちの誰かなのかも知れない。「死ぬまで全力で駆けよ」と誰かが言う。私は苦しさに心臓が破れそうになりながら、どこまでもどこまでも駆けて行く。
【解説】 (自分には武士の血が混ざっている)と思うことがよくある。「先祖がえり」という言葉があるが、遠い先祖から脈々と続く血が、ときどき沸々と煮えたぎる気がする。どちらかと言うと、日本よりも大陸系の武士(「三国志」の登場人物のような)にシンパシーを感じることが多いのだが。



23日●遠くへ行きたい

日本からさほど遠くない海外。日本人ばかりが10人ほど、同じ部屋の中にいる。この人たちと団体行動を取るのは嫌なのだが、何らかの理由があって仕方なく私も一緒にいる。ここから先は単独行動に移りたいと思う。ところが、私が出かけようとしていると、目が細く地味な印象の女性がもじもじしながら「自分も連れて行って欲しい」と言い出したのだ。それを聞くと、丸顔で背の低いお節介な男が、「それじゃ山田さん、この人のことも連れてってあげてよ」と、馴れ馴れしい口調であたりまえのように言った。内心(やれやれ)と落胆しながらも、私はポーカーフェイスのまま彼女を伴って出かける。案の定、この女性はひどく足手まといになる。人生って思い通りにならないものだなと思う。ああ、ひとりで遠くへ行きたい。しかし英語も話せない彼女をこの場に置き去りにするわけにはゆかない。私は諦めにも似た気持ちで、彼女の買い物に付き合っている。
【解説】 現実世界でも、基本的に個人行動が好きだ。特に旅や買い物などは、(よほど気の合う相手は別として)なるべくひとりで出かけたい。それが邪魔される夢を見たということは、私の心の中に「誰かに束縛されている」という思いがあるのかも知れない。思い当たるのは、日本という環境の持つ一種独特の閉塞感だ。もっともっと広い世界で呼吸し、思いきり行動したい。その気持ちが形を変えて夢に現われたとは言えないだろうか。



24日●10の108乗

「10の108乗をあらわす数字の単位を、日本語では何と言うのか」と、見知らぬ外国人から問われる。億、兆、京の上の単位を「ガイ、ジョ、ジョウ、コウ、カン、セイ、サイ、キョク、ナユタ、アソウギ、ゴウガシャ、フカシギ、ムリョウタイスウ…」と数えてみると、10の108乗は無量大数を大きく超えていることがわかる。「ナユタ」から「ゴウガシャ」までの順番が定かではないので、(夢から覚めたら数学辞典で調べなくては)と夢の中で思う。それにしても10の108乗には何の意味があるのか、問いかけようとした瞬間に目が覚めた。
【解説】 おそらくもっと長い夢だったのだが、この部分しか覚えていない。現在執筆中の「死に関するノンフィクション」は、自殺に関する章を書き終わり、最終章(108の煩悩に関する章)を書き始めたところである。毎日「108の意味」について考えを巡らしているため、こんな夢をみたのだろうか。

【後日談】 夢を見た翌日、息子の囲碁の先生のところにご挨拶に行った。そのとき先生が、「パソコンの囲碁ソフトは何故人間に比べて圧倒的に弱いか」という話をお始めになったのだが、話の中で先生が「石の置き方は、可能性としては10の700乗あって、要は無量大数を大きく超えているわけです」とおっしゃった。夢に出てきた数字とは少し違っていたが、「10のX乗」「無量大数」という点では話が一致している。現実世界では普通は絶対に扱わないだろう天文学的な桁数の数字が、わずか半日の間に夢と現実の両方に現われるとは不思議なことだ。


25日●化け物不在

ヤマタノオロチのような巨大な化け物が出たという。大勢の人がやってきて、私に化け物退治を懇願する。ところが、「その化け物はどこにいるのか」と聞いても誰も答えられない。ほうぼう歩き回るが、姿さえ見えない。化け物の名前は「メガ○○○」というらしいのだが、「○○○」の部分に入る言葉がわからない。(メガコングでもないし、メガギドラでもないし、なんという名前だったっけ)と思いながら、化け物を探して国中を走りまわる。そのうちに、化け物は私に恐れをなして逃げてしまったことがわかる。人々が大騒ぎをしていた化け物は、「メガ(巨大な)」と呼ばれる割には、実はさほど大物ではなかったのだろう。私は少なからず落胆した。
【解説】 化け物が出る夢を見たら、人はどんな反応を示すものだろう。恐怖を感じる人、逃げだす人、第三者に助けを求める人、いろいろなタイプの人がいることだろう。こんな場合、私は圧倒的に「戦う人」である。これは現実世界の自分を非常によく表わしている。敵対者が現われたら、逃げずに立ち向かい、徹底的に戦う。これが私のやり方だ。どうせ戦うなら、強い相手と正々堂々と戦いたい。しかし実際には、強い相手なんてそうそういるものではない。「敵ながらあっぱれ」という人物に、死ぬまでに一度で良いから出逢ってみたいものだ。



26日●見合い話

華道の家元、相撲部屋の親方、外務省の高官、それぞれの家の娘さんたちが、それぞれ結婚を望んでいる。旅先(海外)にいる私のもとに、その件で連絡が入る。どうやらこれは、うちの息子の縁談らしい。しかし本人はアメリカで研究生活をしており、見合いにも結婚にも興味がないという。私自身も、このお嬢さんたちと息子はまったく合わないと感じる。やんわり断れる方法はないものかと思案しながら旅を続けていると、誰か(囲碁の先生?)にバッタリ遭遇し、そのとたん何か素晴らしいことを思いつく。
【解説】 夢の最後に誰と遭遇し、どんな素晴らしいことを思いついたのか、残念ながら詳細を思い出せない。それにしても、息子はまだ7年生(12歳)。見合い話は100年早い(笑)。



27日●槍

走っている。脚半(きゃはん)を巻いた自分の足もとが見える。反対方向から、長い槍を持った敵が攻めて来た。私はそれを右手でかわし、相手を倒してそのまま走り続ける。さらに数里を走ったところで、再び前方から長い槍を持った敵が攻めて来た。今度も私は右手で槍をかわし、楽々と相手を倒しながら(そう言えば、私の先端恐怖症は完治したらしい)と思っている。
【解説】 今月は3日、22日、今日と、合計3回も武士になる夢を見た(このほか、25日の夢も武士になる夢に近いかも知れない)。22日と25日と今日の夢は、とにかく延々と走り続けるという点でも一致している。武士になる夢を見た翌朝は、何故か目覚めが爽やかだ。



28日●大地震

大地震がくるという。何か四角い形のもの(座布団?)が見える。黒と赤の幾何学的な模様が入った着物。藤原という姓の人。
【解説】 断片的な事柄しか思い出せないのだが、夢の中で大地震がくる前触れを見ている(地震そのものには襲われていない)。もしも現実世界で「四角い形のもの」+「黒と赤の幾何学模様の着物」+「藤原さん」が揃ったら、大地震に「リーチ」がかかるのかも知れない。そうなったら要注意か?



29日●棒グラフ

灰色の大きな棒グラフが現われる。「日本人の何パーセントが老人か」という問いかけに、棒グラフは71パーセントを指した。この国は老人だらけなのだと思う。
【解説】 この頃、若年寄が多くなったと感じる。肉体年齢は若いが心が老化している人たちである。日本人は全体に生命力が弱っているようだ。棒グラフが示した71パーセントという微妙な数字が意味シンだ。



30日●龍の子

真綿にくるまれた小さな白い生き物を贈られる。一瞬、仔犬かと思うのだが、よく見ると小さな角が2本生えている。顔はシーズー犬に似ているが、どうやら龍の赤ちゃんらしい。「おうちに龍がやって来るなんて、たいへんな吉祥ですよ」と誰かに教えられる。この子は神の使いなのかも知れない。
【解説】 その龍の子が誰から贈られたものなのかはわからないが、飼い犬のブースケに角が生えたような風貌の、可愛い生き物だった。ちなみに『夢の辞典』(日本文芸社)は「龍」の意味を、「非常に強いエネルギーを映し出しています。とくに白い龍は繁栄をあらわします」としている。





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