2004年8月


1日●共通言語

パトリシア・ピッチニーニと遊んでいる。かけっこをしたり泥遊びをしたり、無邪気なことこの上ない。ふたりとも4〜5歳の女の子に戻ったようだ。彼女と私の間にだけ通じる共通言語があって、それは地球上のあらゆる言葉に似ていると同時に、地球上のどの言葉にも似ていない。気がつくと、今度はブースケと遊んでいた。ブースケと私の間にもふたりだけの共通言語があるようだ。ブースケは犬の姿をしているが、本当は人間なのだと思う。
【解説】 パトリシア・ピッチニーニさんはオーストラリア人アーティスト。DNA操作後の生物やクローン生物をモティーフとしたリアルな立体作品で有名。昨年の暮れにお逢いしたところ、非常にシンプルで純粋で、感じのいい女性だった(ピッチニーニさんと私のツーショット写真はこちらからご覧になれます)。ブースケは、可愛がっている飼い犬の名前。


2日●神々のマトリョーシカ

さまざまな宗教の神々や、その開祖や預言者を象った人形が並んでいる。ヒンドゥー教の三大神(ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神)、仏教の開祖ブッダ、イスラム教の預言者マホメット、キリスト教の預言者イエス・キリストなど、人形は全部で10体ほどあるだろうか。それらの人形は内側が空洞で、他の人形の上に重ねられる構造になっている。まるでロシアのマトリョーシカのようだ。いちばん内側に隠れていた神を見た私は、(なるほど! これが宗教の正体だったのか!)と、一瞬にして納得していた。
【解説】 残念ながら最後に見た神がどのような姿だったのかは、全く覚えていない。なお、今日からNHKのTV番組撮影でオーストラリアに来ており、この夢は成田からシドニーへと向かうカンタス航空の機上で見た。


3日●水難の相

可愛い仔猫がこちらを見ている。抱き上げて可愛がっていると粗相(おもらし)をされてしまった。そのあと学校の廊下を歩いていると、今度はいきなりパイプから水が噴き出してくる。すんでのところで直撃されそうになるが、あやうく難を逃れた(これと似たことがもう1度起こったような気がする)。教室の中には大勢の生徒に混じってストーカー男(30代後半から40代前半の痩せた男)がおり、廊下のほうを見ている。どうやら私を探しているらしい。私はこの男の目が嫌いだ。男から見られないようにその場を逃げ出すと、私は幼い息子の待つ自宅へと急いだ。
【解説】 このところ、ノアの箱舟伝説について調べている。水難云々はそのことと関係がありそうだ。また、夢を見る前日、ある男性から「ストーカー女」に関する悩み相談を受けた。そのことも明らかに夢に影響していると思う。なお、現在泊まっているオーストラリアのホテルには、生後2ヶ月の可愛い仔犬(キャバリアのオス)がいる。この子は私の顔さえ見れば、抱っこしてもらおうと走ってくる。この犬が猫になって夢に登場したのだろうか。実生活での私は、犬は全般に大好きだが猫とは縁がない。夢の中で粗相する役が犬ではなく猫だったのは、(犬を悪役にしたくない)という私自身の心理によるものかも知れない。なお、夢の中では幼児として登場した息子は、現実世界ではインターナショナルスクールの8年生(日本でいう中2)。


4日●……

【解説】 今夜は夜通しの仕事(オーストラリア取材)のため、ほぼ徹夜状態であった。そのため夢は見ていない。


5日●ファッション

どこかのビルの斜め前に立っている。3階建てほどの、平凡な建物。私のすぐ近くには、ファッションに関して何か一家言ある誰か(顔が見えないので、とりあえずXさんとしておく)と、まだ3歳ぐらいの幼い息子がいる。これから私は、ビルの中にいる誰かに逢いに行くのだ。ビルの中にいる人は、ファッション界の大御所らしい(山本寛斎さんのような気がするが、よくわからない)。その際に、誰かもう一人を伴って行く必要があるらしい。私には同伴したい特定の人(仮にAさんとする)がいるのだが、XさんはBさんを連れて行くようしつこく勧めてくる。私はBさんを好きではないので、この話にはどうも気が乗らない。息子は何か不満があるらしく、「家に帰りたい」と愚図っている。私の服装はと言えば、アイロンの効いていない白いコットンパンツ(それも、微妙に裾丈が短すぎる)と、よれよれの白いTシャツ(しかも、裾のほうに目玉焼きの黄身を落としたようなシミがある)。とてもファッション界の大御所に逢いに行けるような服装ではない。気が重い。
【解説】 仕事の上で知っている人の中に、真面目すぎて気持ちに余裕のない人がいる。この人は、自分の頼み事だけは次々にしてくる反面、大事な連絡を怠るなど無責任なところも多々ある。この人と今後も仕事を続けていくことに、私は少々負担を感じている。今日の夢には、そんな気持ちが反映しているのだろう。山本寛斎さんとは息子の学校のPTAで御一緒。気さくで頭の回転が速く、豪快な方だ。なお、一昨日の夢にも幼い息子が登場したが、今日の夢の中でも彼は10年前の姿のままだった。そう言えば過去の夢の中でも、息子はしばしば2〜3歳の幼児の姿で登場したような気がする。息子は末っ子なので、私の心のどこかに「息子=いつまでも幼い子ども」と思う気持ちがあるのかも知れない。


6日●南忠男

ごつごつとした岩が剥き出しの大地。私は先刻から誰かを待っている。しかし、待ち人が誰なのかはどうしても思い出すことができない。やがて遥か彼方から、南忠男が歩いて来るのが見えた。捕虜のユニフォームではなく、海軍のユニフォームを纏っている。私が待っていたのは彼だったのだ。この時になって、そのことをようやく思い出す。私が黙っていると、南は胸ポケットから取り出した白い紙を広げ、その上に大きく「108」と書いてから、「この番号の人に逢って話を聞くと良い」と言った。その直後に、誰かひどく親切な女性に逢ったような気がするのだが、それが誰だったのかはどうしても思い出せない。
【解説】 現在、NHKの番組取材でオーストラリアに来ている。今回のテーマは、今からちょうど60年前に起こった「カウラ大脱走」の調査である。1944年8月5日、オーストラリアの内陸部に位置するカウラ戦争捕虜収容所から、1,104人の日本人捕虜が一斉に脱走を企てた。日本人捕虜231人とオーストラリア兵4人が死亡、日本人捕虜108人が負傷したこの事件は、言うまでもなく“近代史上最大の捕虜脱走事件”である。南忠男は海軍出身の戦争捕虜で、「カウラ大脱走」の首謀者の一人と目される人物。彼は脱走後の暴動で死に、現在はカウラ日本人墓地に葬られている。彼が紙の上に「108」と書いた意味は不明だが、私が今年11月に出版を予定しているノンフィクション『死との対話』の中には、「108の煩悩」に関する謎が登場する。おそらくそのことが今日の夢の中に現われたのだろう。
【後日談】 夢を見た翌日、カウラ事件に関与したオーストラリア人女性(暴動直後に捕虜たちの傷の手当てをした元看護婦さん)と連絡を取ることができ、ご自宅でインタビューに応じて頂けることになった。ご住所を伺ったところ、なんと「108番地」だという。夢の中で南忠男が言っていた「この人に逢って話を聞くと良い」とは、もしやこのことだったのだろうか。しかも、インタビューに応じてくれた女性は(夢の内容のとおり)信じられないほど親切な人だった。実に不思議な符合の一致である。


7日●3軒のハット

ひと気のない田舎町。道路の左側に3軒のハット(小屋)が並んで建っている。私は、ハットから出て来る人たちを待っているらしい。彼らは戦争捕虜なのだと思う。3軒のうち真ん中のハットから出て来る人は、おそらく南忠男だ。
【解説】 昨日に引き続き、南忠男の夢である。オーストラリア取材が終わらないうちは、この種の夢が続くのかも知れない。


8日●縦一列に並ぶ人々

あまり特徴のない海外の町。家族と一緒に、縦一列になって歩いている。私の前には夫の姿が見える。後ろには、どうやら娘と息子がいるらしい。何を話したのかは覚えていないが、楽しい雰囲気が漂っている。やがて私たちは、体育館のように大きな部屋に入った。私の周りを取り囲むように、その国に在住する日本人の老若男女が200〜300人ほど集まっている。これから私は彼らのために、インドに関する講演をするようだ。聴衆と私の間には、網状のフェンスがあって、お互いに行き来することはできない。私の話が始まると、聴衆の半分ほどは熱心に目を輝かせて聞いているが、残り半分ほどは携帯電話で通話をしたり、私語を交わしていて非常にうるさく、基本的なマナーがまるで成っていない。この人たちには話しても無駄だと思う。次の場面では、私は先程とは別の体育館のような場所で、縦一列に整列している。私の前には知らない男性が2人。後方には知らない女性が2人。これから5人はチームを組んで、ある儀式(またはゲーム)に臨むらしい。その内容は、足元に生えている草の束(あるいは稲穂の束か?)を鎌で刈るというものだ。まず先頭の男性が草を刈り、彼が完了した段階ですぐ後ろの人が草を刈り始め、その人が終わると更にその後ろの人が草を刈る…という具合に草を刈って行って、なるべく短時間で5人の作業が終わると勝ちらしい。しかし、草を刈り終わった人は、最後の人が終わるまでの間、何かたいへん重い物を持っていなくてはならないルールなので、かなり過激だ。最初の男性が草を刈り始めたところで目覚し時計が鳴ってしまい、夢はそこでふっつりと終わった。
【解説】 家族と談笑しながら歩いている最初の場面以外は、なにやらストレスの溜まる、疲れる夢だった。縦一列の整列や網状のフェンスなどは、明らかにカウラの捕虜収容所が影響していると思う。


9日●島流し

Kさんが島流しにされることが決まった。この決定は高いところから来ているようなので、かわいそうだが私にはどうすることも出来ない。Kさんの妻も一緒に島流しにされることになる。うなだれている2人。「もう二度と逢えないかも知れませんね」と言うKさんを、「大丈夫。生きていれば、いつかまた逢えますよ」と励ましている私。
【解説】 Kさんは実在の人物で、高校時代の男友達。最後にお逢いしたのは大学1年の時だが、そのKさんが、最近やたらと私の夢に出てくる。6月24日の夢の中では、Kさんは息子の家庭内暴力に悩む父親役で登場した。7月8日の夢の中では、殺される運命の僧侶の役。更にその翌日の夢では、僧侶は既に消えてしまっていた。そして今日はまた、Kさんが島流しになる夢である。日常生活の中で私が意識してKさんのことを考えることはないので、一体彼がなぜこれほど頻繁に夢に現われるのか、どうにも理解に苦しむ。一連の夢の内容が物騒なので、正夢にならないことを祈るばかりだ。


10日●軍服と平和

大勢の男たちが懐かしい笑顔を浮かべている。彼らは私をオーストラリアから日本までエスコートして来てくれたのだ。被っている帽子やユニフォームの細部は見えないが、旧日本軍の軍服のようだ。海軍の人も陸軍の人もいる。カウラ大脱走の時に「デテクルテキハ、ミナミナコロセ」の突撃ラッパを吹いて死んだ南忠男や、事件の首謀者とされた金澤亮の姿も混じっている。「戦争は、もう絶対に起こしてはいけないね。敵も味方も等しく不幸になるばかりだから」と誰かが言い、皆がしみじみと頷いている。暴動で九死に一生を得た元海軍の高原希國さんが私の肩をポンと叩き、威勢のよい関西弁で「真美さん、後のことは、アンタに頼んだでえ」と言った。
【解説】 NHKの番組取材(第一弾)を無事に終え、昨夜遅く日本に帰って来た。その直後に見た夢がこれである。私の頭の中は今、カウラ事件のことで一杯なのだろう。


11日●成田エクスプレス

どこか外国に行こうとしている。成田エクスプレスのチケットを購入した。電車を降りてから空港の中を歩いて税関を通り、ボーディングゲートを通って飛行機に乗るという従来のシステムは廃止になり、今では電車から降りると即そこが飛行機のタラップ部分である。こうして世の中は日に日に便利になってゆく。
【解説】 現実世界では一昨日日本に戻ったばかりだというのに、夢の中では早くも海外に行こうとしていた。実際、今年は9月に再びインドとオーストラリアに行くことになりそうなので、暫くは日本と海外を行ったり来たりの日々が続きそうだ。



12日●パソコンの次にくるもの

第4次世代のコンピューターが発売された。昔はパソコンというものを使っていたのだと思うと、人類はいよいよここまで進歩したかと感慨無量である。かつて「ホームページ」というものを作ってインターネット上で発表していた時代を懐かしく思い出す。それは、今から思えば随分とアナログな情報発信手段だったが、しかし、こうやって少しずつ文明は確実に発達を遂げてゆくのだ。「真美さんは本当に凄いですね。第4次世代コンピューターも使いこなせるんですか!」と若い人たちが驚いている。私は100歳を超えているのかも知れない。
【解説】 未来を生きている夢。自分自身の姿は見えなかったものの、おそらく私は100歳前後で、健康そのものだった。夢に見た人類の未来は明るかった。



13日●三浦友和さん

どこまでも続く山並み。小さな岩窟。その中に、3人の男たちが並んで座っている。真ん中にいるのは俳優の三浦友和さん。私はこの人と結婚しているらしい。しかし、そのことに実感が伴わない。(本当にこの人が夫だったかしら? この人は確か山口百恵さんと結婚していたのでは?)と思う。出かける準備をしている私に、三浦さんが笑いながら何か言う。その笑顔にも、私は違和感を感じる。その後、色々な場所に行き、色々な人に逢ったような気がするのだが、詳細はまるで覚えていない。ただ、その間ずっと「山」と「岩窟」の存在を近くに感じていた。
【解説】 夢の奇妙なところは、普段はまるで忘れている相手がいきなり現われることではないだろうか。小学校時代の、たいして親しくもなかった同級生。大学時代に逢ったきり、完全に音信不通の人。(何故この人が夢に現われるの?)と首を傾げたくなる相手が、夢にはごく普通に登場する。私は現在山小屋に来ており、ここ2〜3日はテレビも週刊誌も見ていない。三浦友和さんが突如として現われる理由がわからない。



14日●劣等感

女の小説家と男の建築家の姿が見える。2人は全く正反対の境遇に生まれている。1人は庶民の家の出身で、1人は名家の出身。1人は醜く、1人は美形。しかし2人には余人には窺い知ることのできない共通点がある。それは、恐ろしいほど強い劣等感だ。自分たちの劣等感に気づいているのかいないのか、2人は公然とお互いを誉めちぎり合い、気味が悪いほどの賛辞とエールを贈り合っている。まるで、今さら癒えるはずのない古傷を舐め合う2匹の動物のようだ。私は、(この人たちの周囲の空気は濁っている)と感じ、そっとその場を立ち去った。
【解説】 劣等感というのは実に不思議な感情だと思う。この感情を全く持っていない人は、おそらくどこまで行っても大成することはない。しかし、人生のある段階を過ぎてもまだ劣等感を克服できない人は、別の意味で大成できない。劣等感を持って生まれ、いつかそれを自力で克服してゆくところに、人生の醍醐味があるのではないか。若い頃、私は劣等感の塊だった。自分という存在が大嫌いだった。今はどうかと言うと、長所も短所もすべて引っ括めて、自分であることが楽しくて仕方がない。昔は人から欠点を指摘されると、全人格を否定されたような気がしてひどく凹んだものだが、いつの頃からか(おそらく30歳になる前後を境に)気にならなくなった。これには、インドとの出会いや、第二子(息子)の出産、最初の本の出版が大きく関係していると思う。そのような経験を通して、私は「潔く生きること」「きれいさっぱり諦めること」「執着を残さないこと」を徐々に学んできたのだ。「長所を伸ばせば短所は消える」と教えてくれたのは小学校時代の先生だが、実際には、短所が跡形もなく消えることはない。長所を伸ばすことによって、短所は限りなく「目立たなくなる」だけなのだ。



15日●脱走モーテル

どこまでも続くなだらかな丘陵地帯。そこはオーストラリアのどこかなのだそうだ。ひと気のない丘の上に、ホテルが建っている。ホテルの名前は“Breakout Motel”(脱走モーテル)。かつてここは戦争捕虜収容所だったらしい。建物の中は驚くほど広く、まるでひとつの町ほどの敷地がある。フロントで鍵をもらい、部屋を探す。途中、日本人の女性客にすれ違ったような気がする。かなり長い距離を歩いて、どうやら部屋にたどり着いたようだ。部屋に荷物を置いて、すぐにどこかへ出かけようとする私。廊下の向こうから、親切でシャイな感じのする17〜8歳の少年がやって来る。東南アジアの出身らしい。私はこの少年を伴って出かけることにした。丘陵の上をどのぐらい歩いたのだろうか、気がつくと別の建物にたどり着いていた。やはりここも戦争捕虜収容所を改造して造ったホテルのようだ。レストランで食事をしようかと考える。そこへ一人の男性(おそらく日本人)が現われた。私はこの人のことがあまり好きではないのだが、おそらく仕事の必要から、何か話をしなければならないらしい。少年とはここで別れて、男性と一緒にレストランに入ろうとしているところで目が醒めた。
【解説】 今日の夢の内容を見る限り、私の頭の中はまだカウラのことで強く支配されているようだ。カウラの町には、実際に“Breakout Motel”という名の小さなホテルがあった。(日本ではあり得ない、奇妙なネーミング・センスだな)と思った気持ちが夢に現われたのだろう。最後に現われた男性は現実世界では知らない人だが、眼鏡をかけて背の低い、ほとんど特徴のない風貌の40代後半〜50代前半と思しき人だった。



16日●遅刻寸前

授業開始を知らせるチャイムが鳴っている。見たことのない建物だが、ここは女子高で、私はそこの生徒らしい。これから中村先生による数学の授業が始まるのだ。すぐ近くには、悪友のKとK2の姿が見える。私たちは遅刻しそうなのだが、彼女たちは特に気にする風もなく、世間話をしながら笑っている。私は1人、焦っている。数学の授業には絶対に遅刻したくないのだ。KとK2とは玄関のところで別れ、私は猛烈にダッシュして3階(?)の教室に向かう。しかし、時間割表を家に忘れてきたため、授業が行なわれる部屋がどこなのか調べることができない。廊下には人っ子1人いない。焦りまくってその辺を走っている私。目の前に、鉄条網とガラスと鉄でできた奇妙な扉があって、その一部に穴があいている。私はその穴から無理やり向こう側に入ってみる。しかし、やはりそこにも数学の教室はない。もとの場所に戻ろうとして先ほどの扉を見ると、私が通った穴は直径が20センチほどしかなく、どうしても入ることができない。先ほどはどうやってこの小さな穴を通ることができたのか。火事場の馬鹿力とは凄いものだと感心する。そこへ、国語科の三井先生が事務員らしき人たち数人と一緒にやって来た。皆、楽しそうに談笑している。「中村先生の数学の教室はどちらでしょうか」と尋ねると、三井先生が、ある場所を教えてくれる。そこまでは、歩いて5分か10分はかかるようだ。「真美さんは頑張ってますね。これからも、その調子で頑張りなさい」と言う三井先生に礼を言い、再び猛烈に走り出す私。気がつくと、見知らぬ建物の前に到着していた。しかしそこは学校ではなく、小さな市役所か町役場のようだ。何故か飼い犬のブースケとパンダも連れている。私が来ることをあらかじめ知っていたのか、建物の中から係の男性が外に出て来て、「ワンちゃんですか。いいですねえ。この町はワンちゃん大歓迎ですよ」とにこやかに言う。「新しく住民登録なさるようでしたら用紙を持って来ますので、ちょっとお待ちください」と言いながら、男性は建物の中に消えて行った。(こんなことをしていると、数学の授業に遅れてしまう)と思いながらも、徐々に学校のことを忘れてゆく私。
【解説】 焦ったり走ったりと、実に疲れる夢だった。中村先生は高校時代の数学の教諭で、歌舞伎役者のような顔立ちととぼけた性格のギャップが激しく、生徒の間では影のアイドルのような存在だった。うちの高校は歴史の古い女子高で、世に言う進学校。2年の1学期からは「国立理科系コース」「国立文科系コース」「私立理科系コース」「私立文科系コース」と4つのコースに別れて勉強していた。私は私立文科系コースを選択していたため、国語と英語、それに社会科のなかの1教科(私の場合は政治経済)にかかる比重が大きく、数学の授業はさほど厳しいものではなかった。にもかかわらず今になってこのような夢を見るのは、私の心の中に(もっと高度な数学をやっておけば良かった)という気持ちがあるためかも知れない。なお、夢の途中に登場した三井先生は、中学時代の国語の教諭。KとK2は高校時代の遊び友達。現在、Kは高校の英語科教諭、K2は出版の仕事に携わっている。

【後日談】 夢を見た翌日、中学時代の友人にバッタリ出逢った。その人から「国語科の三井先生が先日亡くなったそうですよ。密葬だったそうで、教え子は誰も葬儀に出席していません」と言われ、驚いた。その2日後に出かけた先の温泉では、中学・高校時代の先輩の弟さんに遭遇。この人も「国語科の三井先生が亡くなったことをご存知ですか」と言っていた。三井先生が夢に現われたのは、記憶している限りこれが初めてである。よく、人が死ぬと夢に現われると言うが、私の場合もなんとなく虫の知らせがあったのかも知れない。


17日●おかしな飛行機と、おかしな中年男

格納庫から出て来る大型旅客機が見える。不思議なことにこの旅客機は、真後ろに30メートルほど後退してから右前方に20メートルほど進み、再び真後ろに30メートルほど退がってから右前方に20メートルほど前進するという具合に、ジグザグに進退を繰り返しながら格納庫から出ようとしている。どうやらこれが最新型ジェット機の動き方らしい。水前寺清子さんの『365歩のマーチ』(3歩進んで2歩下がる)のような飛行機だと思う。気がつくと私は、どこか海外にいた。そこは、西洋のショッピング・モールのような設計の、インドア型の巨大なレストラン街だ。ありとあらゆるタイプのレストラン、カフェ、バーなどが集まっている。コロニアル風な木造のカフェでは、焼きたてのスコーンを食べながら窓越しに熱帯雨林を眺めることができる。本格的なフランス料理の店も出店している。どの店も、なかなか雰囲気がある。廊下を歩いていると、向こうから赤ちゃんの帽子をかぶり赤ちゃんの服を着て、ガラガラや哺乳瓶を持った中年の男たちが30人ほど走って来た。皆、バブバブと言いながら嬉しそうに笑っている。どうやら彼らは、この先にある「赤ちゃんなりきりバー」に行って、乳母や侍女のコスチュームを着た女性たちにあやして貰いながら、哺乳瓶から粉ミルクを飲むらしいのだ。彼らとすれ違いながら、(どこかの大企業の重役のような顔をしているけれど、この人達の精神年齢はまだまだ子どもなのだ)と思う。私はこれから誰かと大事な仕事の打ち合わせがある。このレストラン街で唯一、日本食が食べられそうな店に入る。普通の握り寿司はないというので、巻き寿司を注文する。無事に打ち合わせを終え、外に出ると、再び大型旅客機が見えた。この飛行機の尾翼には、何故か小さな丸鏡が付いている。どうやらバックミラーらしいのだが、よほど注意しないと、この鏡に当たった太陽光が反射して、機体を燃してしまうことがあるという。また、操縦中のパイロットの目を光が直撃し、失明しかかったこともあるらしい。「だからこの鏡は、便利な反面、たいへん危険な代物なのです」と誰かが教えてくれた。「必要のないときには鏡をカバーで覆える設計にしては如何ですか」と言おうとしたところで夢から醒めてしまった。
【解説】 今日の夢は、「飛行機」と「レストラン」の2つのパートに分かれていた。それぞれのパートは、一見関連がなさそうなのだが、どちらも「何かが稚拙」「何かが不完全」という意味において共通していたような気もする。しかし全体には、よく意味のわからない夢だった。



18日●スパイの嫌疑

海外のどこか。着物を着て、広い芝生の上に敷かれた緋毛氈の上に座っている。これから野点が始まるらしい。私は主催者ではないので、ただそれを傍観している。誰かから勧められるままに、ワインを飲んだようだ。気がつくと茶会は終わっており、それから更に何日かが経過したらしい。とある茶道の雑誌を開いてみると、何故か私がお手前をしている写真が載っているではないか。驚いてキャプションを見ると、例の芝生の上での野点の一コマだ。どうやら私はワインを飲んで酔っ払い、無意識のうちにお手前をしていたらしいのだ。しかもその雑誌は、私が習っている流派(表千家)ではなく、裏千家が発行する雑誌である。表と裏ではお手前の仕方が微妙に違う。ワインを飲んだ私は、どうやら見よう見まねでお裏さんのやり方で茶を立てていたようなのだ。その雑誌は表千家の先生方や仲間たちにも見つかってしまい、私はスパイの嫌疑をかけられる。いくら「ワインを飲んだ勢いでやったことなので、記憶にありません」と言っても信じてもらえず、「見よう見まねだけで、あんな上手な袱紗捌きが出来るはずはない」などと反論されてしまう。私は、(これぐらいのことで目くじらを立てなくてもいいのに)と思い、困惑している。
【解説】 自慢ではないが、私はワインを1〜2本飲んだぐらいでは普段と全く変わらない。酔っ払って記憶がなくなるようなことも勿論ないので、この夢のようなことはまずあり得ません(笑)。私自身は縁あって表千家の茶道を習っているが、叔母(故人)は裏千家の師範だった。裏と表がそれほど仲が悪いとは思わないので、今日の夢が意味するところはよくわからない。なお、夢に出てきた“袱紗捌き”とは、袱紗(ふくさ)という小さな正方形の布を扱う、その扱い方のこと。茶道の基本動作のひとつ。これが上手にできるようになるまでには、10年かかると言われている。



19日●女性ばかりのミーティング

女性ばかりが集まるミーティングが行なわれるらしい。私は幹事の1人で、会場として使用するレストランを探している。誰かが「インド料理が食べたい」と言うので、知り合いのインド人が経営するレストランに行ってみた。この店の人気料理は犬肉料理で、調理に手間がかかるため最低でも4時間前までには注文して欲しいそうだ。一緒に店の下見に来た他の幹事たちは、口を揃えて「この店にしましょうよ」と言っている。店内はインド人客ばかりで、インテリアもインドの庶民派レストランといった趣。気がついたとき、私は知らない町を歩いていた。右前方に、ごく普通のビルがある。しかしよく見ると、そのビルの壁面には、小さな門柱と瀟洒な旅館が建ち、人が歩いているではないか。つまり、地上の人間から見ると垂直(90度)にそそり立った壁に、小さな町が形成されているのである。地球の引力とは全く関係なく存在するその町は、まるでスパイダーマンの世界だ。旅館には、糸のように細い字で「小杉旅館」と書いてあった。どうやらこの壁面は、以前何かの映画ロケに使われたことがあるらしい。再び場面が変わり、女性ばかりが20人ほど集まったミーティングの席上。参加者は、全員がいわゆる“文化人”と呼ばれる人々。この会の運営について、活発な話し合いが持たれている。誰かが、「本会の会員が講演会に講師として呼ばれた場合の料金は、あらかじめ一律に設定しておきましょう。そのほうが合理的だし、いちいち料金について先方と話し合うのは面倒だから」と発言した。その料金をいくらに設定するかについては、「30万円」「40万円」「50万円」とさまざまな意見が噴出している。しかし、講演料金を一律に設定するということは、大企業も中小企業も公的機関も個人も、講演依頼者は同一の金額を支払わなくてはならないということではないか。これでは貧しい人は講演を頼めなくなってしまうし、大企業と文化人の間に癒着が起こることは必至だろう。私は、「ちょっと待って。一律料金には反対」と言いながら議長のほうへ駆け寄り、「講演料なんて一種のお布施なんだから、お金が払える人には払ってもらい、志は高いけれどお金のない人に対しては無料で奉仕するのが、人間としての筋ってものでしょう」と力説しながら、目の前にあったホワイトボードに大きく「公益」と書いた。それまで頬杖をついて話を聞いていた女優のAさんが、「ふぅーん。公益かぁ。真美ちゃんって、なんだか自由民権運動の闘士みたいだね」と言った。
【解説】 今日の夢も、妙に疲れる内容だった。特に最後のミーティングの場面では、夢の中とは言え、私はかなり本気で何かを力説していたようで、自分の声で目が醒めてしまった。なお現実のインド人は、犬肉など決して口にしない。夢を見る前日に読んだ『新・水滸伝』の中に、中国の破戒僧が犬肉をバリバリ貪り食うという場面が登場したので、そのイメージが夢に投影されたものと思われる。ところで最近の私の夢には、レストランと旅館(ホテル)が頻繁に登場するが、これは一体どういう意味だろう。



20日●初デートの約束をする息子

息子が電話に出ている。携帯電話ではなく、家の電話だ。部屋にはエキゾティックな置物や、ラタンのスクリーンなどが見える。どうやらここはインドらしい。息子はまだ4〜5歳で、インターナショナルスクールのKG(幼稚園のこと。但しアカデミックなカリキュラムは日本の小1に近い)に入ったところのようだ。息子の電話の受け答えが聞こえてくるので、それとなく聞いている私。電話の相手はドイツ人の女の子のようだ。この子は学年で一番の美人(“可愛い”ではなく“美人”)で、お母さんも凄い美女だ。息子は電話で彼女と初デートの約束をしているらしい。その会話の内容(英単語の選び方など)がかなりオシャレなので、私は心の中で(さすがは我が息子、なかなかやるわね)などと感心している。電話をしながら彼はグラスからミルクを飲んでいたのだが、電話を切ると、空になったグラスをキッチンに持って行き、自分で洗っている。(息子もずいぶん成長した)と思い、再び感心している私。
【解説】 またしても幼い頃の息子の夢である。子どもの成長というのは、親から見ると実に感慨深いもので、ひとつとして忘れているものはない。過去のひとつひとつの出来事を思いおこせば、十数年間の出来事がまるで走馬灯のように一瞬で頭の中を巡る。現実でさえそうなのだから、夢の中ではごく小さなエピソードまでが噴出し、時系列もごちゃごちゃになって目の前に現われるのだろう。もっと年を取って老境に入ったときも、私はやはり幼い息子の夢を見るのだろうか。



21日●For Others

乾ききった場所。おそらくインド。インド人の男と、それ以外の誰かが一緒にいる。彼らは何か、命にかかわることに従事しているようだ(あるいは、地球最後の日が近いのかも知れない)。男は最初、常に自分のことばかりを優先して考えているような人間だった。しかし何かきっかけがあって(おそらく誰かから何かを言われたか、自分の死期を悟って)、他者のために何かをすることの喜びを知る。そのことを知ったとき、彼は清々しい気持ちで現世に別れを告げることができた。“For Others”(他者のために)という言葉が、彼の心から滲み出して見えた。
【解説】 具体的な事柄よりも、全体のテーマだけがクローズアップされた感じの夢。夢を見ているというよりは、何かプロパガンダ映画でも見ているような気分だった。



22日●デジタル・サリー

インドの民族衣装であるサリーが、ついにデジタル化された。その試作品第一号を贈られる。地上には存在しない、銀河系以外のどこかから取り寄せた特殊金属を繊維化して織った製品だという。きわめて軽量で、着ている実感がほとんどない。このサリーは、身に纏っただけで右脳の活動が従来の10億倍になるという。さすがはIT大国インドだと思い、感心する。早速サリーを着て本を読もうとしたところ、古代フェニキア語で書かれた分厚い統計力学の専門書を、わずか1秒弱で読了してしまった。
【解説】 今日で3日続けてインドがらみの夢である。全体の雰囲気としては、今月12日の夢(第4次世代のコンピューター)とどこか似ていた。



23日●トモヲ

「トモヲ」という奇妙な言葉の意味を探っている。その言葉の意味は、カウラの元捕虜であるXさんが知っているらしい。Xさんのところに行ってみると、彼は泣いていた。「トモヲ」の意味が第三者に知られると、Xさんは殺されてしまうらしいのだ。(「トモヲ」って一体何なの?)と戸惑っている私。
【解説】 夢を見る前夜、娘が幼少期に描いた大量の絵を見ていたところ、そのうちの1枚の絵に「はあはた」というセリフが書き添えられていた。娘と一緒に「“はあはた”って何?」と首をかしげて考えていた、その「?」な気持ちが夢に現われたものと思われる。なお、Xさんとは現実にも近々お目にかかることになっている。



24日●戦争捕虜収容所

宇宙ステーションのようなデザインの、大規模な戦争捕虜収容所。色はシルバーメタリック。男たちは、捕虜になった現実を恥じている。同じ収容所の別の棟には、非常に性質(たち)の悪い伝染病に罹患した捕虜もいる。彼は、人にも病名を告げられないような業病に罹ったことを恥じ、さらに捕虜という現実の身分にも恥じ入っている。私もここに収監された戦争捕虜らしい。誰とも組まずに、単独で脱走を企てようとしている。その脱走計画は敵の意表を突くもので、成功率は99%といったところ。あとは実行あるのみだ。今夜決行してしまおうと思う。そのあと、満月と美しい星の瞬きを見たような気がする。達成感、充実感。
【解説】 昨夜に引き続き、またしても捕虜の夢である。現実世界でも、昨日は或る元捕虜兵を取材して、一日中脱走にまつわる話を伺っていた。業病に罹った戦争捕虜も、実在した人の話だ。このところ、現実の経験や現実に聞いた話が即座に夢に影響しているのがよくわかり、面白い。



25日●「産む」と「捨てる」

私はこれまでに2人、子どもを産んだことがあるらしい。3人目、4人目の子どもが産まれる日も近い。娘にも子どもがいるようだ。息子にも子どもが産まれるという。私の周囲は出産ラッシュだ。新しいものが入ってくる代わりに、必要のなくなった古いものは外に出される運命。夫と息子が「不用品を返しに行こう」と言いながら、使わなくなった“何か”を然るべき店に返しに行く。それが何なのかはわからないが、小さな段ボール箱に入っていて、片手で軽々と持てる程度の代物だ。あるいは、昔はもっと大きく重かった“何か”の価値が目減りして、今では小さく軽くなったのかも知れない。不用品を回収してくれる店は、ハイウェイの途中にある。道のその部分だけが横にそれて、弧を描いている。店のたたずまいは、ごく普通のCDショップか雑貨店といった感じだ。夫と息子の後姿を、車の中から見ている私。
【解説】 新旧交代のイメージの夢。新しい明日に向かって一歩踏み出すためには、昨日までの何かを捨てなければならないということだろう。箱の中身が何だったのかは想像もつかないが、私の心に未練や感傷は全くないようだった。なお、私や子どもたちが次々に「子どもを生む」というシチュエーションは、おそらく「本を出版する」「絵を描く」といった生産的な活動を表現していたのではないかと思われる。



26日●人形劇“So Lovely Tonight”

誰かがどこかから脱走しようとしている。その全貌が人形劇のミュージカルになった。タイトルは“So Lovely Tonight”という。早速その劇を観に行く。舞台上には、精巧にできたレトロな感じの建物が置かれ、屋上には可愛らしいパペット(操り人形)の猫や犬が数体立って、歌を歌っている。歌詞は“So Lovely Tonight”と繰り返すだけの単純なものだが、ジャズっぽくスウィングするメロディーがなかなか好い。歌手もブロードウェイあたりで鍛えた本物のミュージシャンらしく、一流の歌声だ。人形劇でここまでレベルの高いものは珍しい。しかし、このストーリーには謎がある。それは、一体誰がどこから何のために脱走しようとしているのか、その肝心の部分が全くわからないということだ。(脱走の何が“Lovely”なの?)と怪訝に思っている私。
【解説】 またしても脱走の夢である。現在、史上最大の捕虜脱走事件である「カウラ事件」をテレビ番組にしていることは、既に何度も書いた。この事件について私が10年前から疑問に思ってきたことは、脱走が起こった「本当の理由」と、「本当の首謀者」が誰かということだ。夢の中でも、私はそのことを疑問に思っていたのかも知れない。それにしても何故、人形劇ミュージカル、それも猫と犬が主人公なのか。ますます謎だ。


27日●巨大な屋敷と迷い犬

どこか英語圏の国にある、見たこともないほど大きな屋敷。それぞれの部屋は、信じられないほど広い。私は犬を2匹連れている。息子も近くにいるようだ。2匹の犬のうち、1匹は「ベア」という名前。もう1匹の名前は、どうしても思い出すことができない。私はひとり膝下まで水に浸かりながら、プールの中を歩いている。眠気を誘う生温かい水。そのプールの大きさといったら、東京ドームがいくつも入ってしまいそうなほどだ。飛び込み用から赤ちゃん用まで、プールは全部で100種類以上もあっただろうか。それも、ただ平坦な敷地の上に四角いプールが並んでいるのではなく、或るものはイレギュラーな六角形、また或るものは台形という具合に、てんでばらばらな形をしている。そのようなプールが無数に集まって、ある部分は丘のように高く盛り上がり、またある部分は谷のように低く沈んで、全体がまるで山河のように壮大な風景を形成しているのだ。そのとき突然、犬がいなくなっていることに気づいた私。ベアの名前を呼びながら、迷い犬を探して駆け出した。いつしかプールを抜けて、寝室に入る。この部屋もまた、ひとつの町がすっぽり入ってしまうほど巨大だ。暗い室内の至るところに、無数の布団やベッドが見える。「ベア、ベア」と呼びながら走り回っていると、あちこちの布団の下がもぞもぞと動いて、次々に仔犬が走り出て来た。一体どこにこれほどたくさんの犬が隠れていたのかと、こちらが吃驚するほどの数の犬だ。しかし、どこまで行ってもベアに巡り逢うことはできない。最後にようやく見つかった犬は、ブースケとパンダだった。2匹が生きていてくれて良かったと、心から思う。
【解説】 迷い犬を探す夢を見るのは、4月6日以来だろうか。今日の夢の中で探していた「ベア」は、以前飼っていた猟犬だが、今から15年ほど前に犬泥棒に盗まれてしまった。今回の夢の中では、探していたベアはついに見つからず、代わりに見つかったのはブースケとパンダ(実際に現在飼っている犬)だった。私にとって「ベア」は、「見つからないもの」あるいは「諦めなければならないもの」の象徴なのかも知れない。


28日●トモヲの意味

からだの回りに新しい空気の存在を感じる。大きな窓の向こうには宇宙が見える。左側に見える白い星は、真新しい惑星だ。私は誰かを待っている。カウラの元捕虜だったKさんのような気もするが、よくわからない。暫くして窓の向こうに現われたのは、三島由紀夫だった。「トモヲの意味を探しているそうだが」と三島が問いかけてきた。その言葉には聞き覚えがある。確か以前、夢の中で聞いた言葉だ。私が黙っていると三島は畳みかけるように、「トモヲのことなら妻の瑶子に聞きなさい」と言って、鍵を渡してくれる。私は口が滑って、「トモヲとユキヲは双子のような関係なのでしょうか」と、思わず尋ねてしまった。三島は人差し指を口の前に立てて「シッ」と言いながら、「そのことは、口外なさらないように」と噛んで含めるような口調で言う。三島がいなくなってから鍵をよく見ると、以前インドで泊まったことのあるホテルの鍵だ。急に場面が変わって、三島夫人の瑶子さんと一緒にホテルのプールサイドに座り、タピオカドリンクを飲んでいる。私たちは2人とも訪問着を着ている。これから然るべき人の家に伺うようだ。「トモヲのことは、すべてお願いしましたから」と瑶子さんが言った。「宅では無理ですの。山田真美さんにお願いすれば大丈夫だと、先方様からも言われて参りましたから」。この言葉だけですべてがわかり、私は「了解しました。悪いようにはしませんから、どうぞご安心ください」と頷く。再び場面が変わって、カウラの収容所。Kさんが出迎えてくれる。「遠くまでわざわざご苦労様です」と敬礼するKさん。私はある場所までまっすぐ歩いて行って、60年前に掘っておいた秘密の地下道への入り口を開けた。すべてがわかるのは時間の問題だ。
【解説】 今日の夢は、今月23日に見た夢の続きらしい。三島由紀夫夫妻が夢に現われた理由はなんとなくわかる。11月に出版予定の『死との対話』の中に、一瞬だが三島夫妻が登場する場面があるのだ。昨日は『死との対話』のゲラ校正に明け暮れていたので、そのイメージが夢にも現われたということだろう。またKさん(実在の人物)に関しては、来年ノンフィクションを書こうと思っている。おそらく、そのへんのことがごちゃ混ぜになった夢。なお、「トモヲ」という言葉の意味は依然として不明だが、今日の夢の中で自分がいみじくも言ったように、トモヲはユキヲのように人名なのかも知れない。今後、「智雄さん」とか「友男さん」のような名前の人と逢ったら、要マークだ。

【後日談】 夢から約2ヵ月後の10月某日、とあるルートからカウラ捕虜収容所関係の重大な名簿を入手した。ほんの十数名の情報しか記されていないその名簿には、なんと「トモヲ」の名があったではないか(注/プライバシー保護のため、漢字表記はここでは自粛させて頂きます)。もしやこの人が、来年出版予定のノンフィクションと大きく関わって来るのだろうか。


29日●旧帝国陸軍

ジャングルの中を歩く旧帝国陸軍の兵隊たち。そのうちの1人が飯盒をきれいに洗っておかなかったため、そこから何か危険な菌が発生、疫病が蔓延して一個師団が全滅してしまった。「ですから皆さん、飯盒はきちんと洗っておくように」と衛生班長らしき人からの発表があった。
【解説】 このほかにも、今夜は一晩中陸軍の夢を見ていたような気がする(ただしその内容は覚えていない)。夢を見る前日、『紀元は二千六百年』(学研)、『不許可写真』(毎日新聞社)、『新・悪魔の飽食』(森村誠一・著、角川文庫)など、太平洋戦争関係の資料やドキュメンタリーを数冊読んだ。この夢には、そのことが直接影響しているようだ。


30日●大地を埋め尽くす×××

見渡す限りの大地を、×××が埋め尽くしている。×××は白いイメージの、これまでに見たことのない何かだ。(こんなものを目撃したと夢日記に書いてしまって大丈夫だろうか?)と、夢の中で思案している私。×××は宗教的な匂いがする。×××は生物ではないが、敢えてジェンダー(性別)を付けるとすれば、女性に近い。人間に喩えるならば、髪の長い、ほっそりした、無口な白人の女という感じだ。×××の形状は細長いが、棺桶や墓ではない。×××は、これからの私の人生を占う何かだ。
【解説】 ×××が何だったのか、どうしても思い出すことができない。夢の中では、それは大地の上を花のように埋め尽くしていた。今日の夢で覚えているのは、この場面だけ。



31日●三島を殺す

歴史のある名門学校のような場所。イギリスあたりの雰囲気。私は同年代または少し年下の友人4〜5人と一緒にいる。彼らは忠実な存在。近くに三島がいる。三島といっても三島由紀夫本人ではなく、彼の息子、または甥、または若かりし日の三島自身らしい。私は内心、三島の存在が邪魔だと感じているのだが、表面的には礼儀正しく振舞っている。ところが私の本心に気づいた友人たちが、止める間もなく三島を殺してしまった。そのあまりにも大胆な行動に、呆然とする私。人ひとりを殺してしまって、これから一体どうしたらいいのか。(もう私もおしまいだ)と思い、目の前が真っ暗になる。ひどい罪悪感。友人たちは、三島の死体をグランドピアノの椅子に座らせた。そこへ、掃除のおばさんらしき小太りの婦人(イギリス人)がやって来た。彼女がピアノのほうへ近づこうとするので、友人たちがそれを止めようとして、何かと理由をつけておばさんの進路を妨害する。私は(警察に捕まるのも時間の問題だ)と思い、恐ろしく気分が沈んでいる。やがて大勢の生徒たちが登校してきた。今にも死体発見者の悲鳴が聞こえてくるのではないかとビクビクしているのだが、何故か誰ひとりとしてそのことで騒ぐ者はいない。グランドピアノの椅子を見ると、驚いたことに死体は消えてしまっている。その日は結局何も起こらず、私は狐につままれたような気持ちのまま落ち着かない時間を過ごした。それから更に2〜3日が経っても、三島の殺人は誰の口の端にも上らない。いよいよおかしいと怪しんでいたところ、三島にそっくりな人間が登校してくるのに出逢った。実は、三島に瓜二つのこの男が、あの日から三島の替え玉として学校に通っており、そのため三島が殺されたことには誰も気づかないでいるのだ。それもすべて友人たちが仕組んだことらしい。私は相変わらず罪悪感に打ちひしがれながらも、少し落ち着きを取り戻し、(もしかしたらこのまま何事も起こらずに時が過ぎてゆくかも知れない)と思い始めている。
【解説】 ごく稀にではあるが、何年かに一度、人を殺す夢を見ることがある。そのような夢は、多くの場合「殺したくなかったのに不可抗力が働いて殺してしまった」というパターンで、そのあと決まって「ひどい罪悪感に苦しむ」「いつ警察がやって来るのかと恐れる」といった心の動きへと続くのだ。今日の夢などは、冷静に考えたら殺人を犯しているのは友人であって私ではないのだが、私はまるで自分が殺人犯であるかのように感じ、絶望的な気分になっていた。人殺しの夢は非常に疲れる。しかも、夢の中で殺す相手は、決して憎い相手ではない。それどころか、(何故この人を殺さなくてはならないのか?)と自分が戸惑ってしまうような相手を、ひょんなことから殺してしまうのだ。現実世界での私は、作家としての三島由紀夫を高く評価しており、人間としての生き方にも関心を覚える(実のところ三島由紀夫と私は、私生活でも共通の知人が多いのだ)。私の場合、殺人の夢は、相手に対する憎悪よりはむしろ好意的な気持ちを反映しているのかも知れない。三島を殺した現場が“伝統のあるイギリスの学校”だったことや、死体を置いた場所が“グランドピアノの椅子”だったことにも、(三島を汚い場所で殺してはならない)という、一種の美学を感じずにはいられない。






● ビンゴな夢 ●
今月18日のこと、読者の中田淳子さんからメールを頂いた。その内容がたいへん興味深いものだったので、ご本人の承諾を得たうえでここに記すことにする。なお、中田さんと現実世界でお目にかかったことは一度もなく、年齢やお顔も存じ上げない。
【中田淳子さんの夢の内容(原文のまま)】 私が真美さんのお宅にお邪魔していて、真美さんから何かを教えて頂くことになっていて(ヒンディー語なのか、全然別の事なのか、それはわかりませんが)その初日、という設定でした。広いリビングのような部屋にいるのですが、真美さんのご主人らしき方や若いインド人の女性が2人(彼女達は何だか美味しそうなインド菓子を作っているところで、私が興味津々で見ていると一口大の薄いピンク色をしたメレンゲ菓子の様な物を私の口の中へ“味見してみて”って感じで入れてくれました。出来たての温かい感触もあったんです)、(中略)他にもたくさんの人がいて、真美さんは何やらお仕事関係の人とか秘書らしき人と忙しそうに打ち合わせをされていました。そこにはどういう訳か、あの関西人の作詞家(作曲家?)キダ・タローさん(っていう名前だったと思うのですが)がいて、男性歌手(西川貴則さんとかっていう、同じく関西出身の人で夢の中ではデビュー前という設定)に“君にこの歌を歌ってもらいたい”って白い紙に今書き上げた!って感じの手書きの歌詞を差し出し、私がそれを覗き込んで“いい歌詞ですねえ…”なんて感心してるのです。その男性歌手はデビューを飾り、その歌も大ヒット(と、何故か時間が脈絡の無いぐちゃぐちゃの内容ですが)。途中、真美さんの“淳子さん、私もこれから出掛けないといけないから途中まで車で送るわよ…”の言葉で皆で外に出ると、そこには広い前庭があって、何故かお祭りの様に出店があったり、人がバーベキューをしていたり…。と、夢はここまでで目が覚めました。
【解説】 このメールをいただいたとき、私は家族や友人とともに山小屋に篭っていたのだが、私を取り巻く状況は驚くほど中田さんの夢と似通っていた。まず、我が家には先週から若い友人がたくさん居候しており、毎日のように庭でバーベキュー三昧をしていたこと。次に、若い女の子2人が台所を手伝ってくれていたこと(彼女たちは日本人だが、2人はインドで知り合った友人同士で、インド生活が長い)。極め付けは、我が家にデビュー前のミュージシャンが居候していたこと。某有名大学に通う彼は、作曲の才能があるだけでなく、モデルにならないかとホリプロからスカウトされたこともあるほどのイケメンだ。デビューすれば、ブレイクする可能性大である。しかも彼の名前は「キダ・タロー」と非常に似ている。一度も逢ったことのない中田さんの夢が、私の実生活をここまで言い当てたのだ。偶然にしても面白い。まさに「ビンゴ!」である。





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