2004年12月


1日●乳房

ある男が、妻の乳房にまつわる想い出を語っている。彼の妻の身に何が起こったのかはわからないが、男はどこか悲しげに見えた。
【解説】 男の顔に見覚えはないが、関西の言葉を話していたような気がする。


2日●美しいふたりの女性

私の両側に、美しいふたりの女性がいる。ひとりが金髪であることは確かだが、もうひとりの姿はよくわからない。近くに、何かキラキラと輝く神々しいものが見えたような気がする。
【解説】 実際には、もっと細かなストーリーのある夢だったように思うのだが、何故か詳細を思い出せない。ただ、神々しく光るものの存在が印象的だった。


3日●スポーツのコーチと俳句

中南米あたりの出身らしい、肌の浅黒い男が椅子に座っている。彼は何かのスポーツのコーチで、選手団を引き連れて海外に遠征しているらしい。みずからのチームについてコメントを述べるために、彼はこれから記者会見を開くのだ。スペイン語またはポルトガル語で話すものと思いきや、意外にも、彼が口にしたのは美しいリズムの俳句だった。(この人は、一体どこで日本語を習得したのだろう)と驚いている私。
【解説】 夢の中では、俳句の内容を一字一句までハッキリと覚えていたのだが、残念ながら目が醒めると同時に忘れてしまった。
【後日談】 この夢を見てからちょうど1週間後、新宿三丁目を歩いていると、夢に登場したスポーツコーチとそっくりな風貌の男が道を歩いているではないか。それも、「どこか似ている」というような生半可なレベルではなく、どう見ても瓜二つなのだ。そう言えば、男が着ていた物も、夢の中と同じグレーのジャージだったような気がする。一瞬、声をかけようかどうしようかと戸惑ったが、さすがに見ず知らずの人に「あなたを夢の中で見かけましたよ」と言う勇気はなかった(仮に私自身が誰か通りすがりの人からそんなことを言われたら、「この人、頭が変なんじゃない?」「それとも新手のナンパかしら?」などと疑ってかかることだろう)。そのような次第で、私が呆然としている間に男は新宿の雑踏の中に消えてしまったが、彼は一体、何者だったのだろう?


4日●当たり券と夢工場

薄茶を点てようと棗(なつめ=抹茶を入れる容器のこと)を空けたところ、中に入っていたのは抹茶ではなく、何故か白っぽいゲル状の物質である。どうやらこれは、新しく発売されたハイテク茶らしい。かなり濃縮されているため、耳掻き一杯程度の分量で一人分の薄茶を点てることができるようだ。よく見ると、棗の底のほうに一枚の紙が入っており、そこには「当たり。この券1枚で夢工場に無料ご招待いたします」と書かれていた。どうやらこの券で、“夢”が作られている工場に連れて行ってもらえるらしい。その次の瞬間、私は早くも空の高いところにいた。あたりは見渡す限り、ほぼ霧状になった細かな水滴で一杯だ。水滴は次から次へと作り出されて、白く輝きながら地上へと落ちてゆく。これらがすべて睡眠中の人間の深層心理に沁み込んで、夢になるのだという。夢工場には人影はなく、まったく無人で水滴が製造されているようだった。
【解説】 前半から後半へのストーリー展開が唐突だが、棗の底に「当たり」券を見つけたり、夢工場に招待されたりと、全体に幸運な雰囲気の夢だった。



5日●北海道のアサヒ

「アサヒ」という名の場所、あるいは人物を訪ねるため、私はひとり北海道に来た。目的は取材のような気もするし、誰かの相談に乗ってあげるためかも知れない。第1日目、私は地名に「アサヒ」の付く場所(旭川か?)に行った。第2日目は、朝日新聞社に行った。第3日目、私はやはり「アサヒ」という言葉に関係のある喫茶店にいる。テーブルをはさんだ反対側には、店長とシェフが座っている。シェフは眠っているのか顔を伏せており、髪の短い30歳前後の男性であることしかわからない。私は彼の悩み相談に乗るためにここに呼ばれたらしい。店長はシェフを指して、「この男は、料理人としても人間としても素晴らしいものを持っている」と力説している。私はふと、(このシェフは、実は店長本人で、店長はシェフの名を借りて自分自身のことを語っているのではないか)と漠然と思う。この時、窓越しに周囲の風景が見えた。北海道のはずが、何故かそこは故郷・長野市にある「尾張部神社」に瓜二つだった。
【解説】 何が言いたいのか、まるで意味のわからない夢。ちなみに、近未来に北海道へ行く予定は今のところない。



6日●「真美さん、バイバイ」

私は小学校高学年の少女に戻ったようだ。道を歩いていると、ほうぼうで当時の同級生に出遭う。不思議なことに、自分自身を除くすべての登場人物が、姿だけがオトナで、心や知識はコドモのままなのである。一方の私はと言えば、姿はコドモで、心はオトナなのだ。道で出遭う同級生は、何故かひとり残らず女の子ばかりだ。彼女たちは、実に他愛もないことで笑ったり泣いたりしている。なかには、「○○ちゃんと遊ぶのはやめましょう」などと意地悪な取り決めをしている子もいる。コドモの世界は馬鹿馬鹿しく、残酷でヘビーだ。早くオトナの世界に戻りたいと思う。帰り道で、Mちゃんとすれ違った。Mちゃんはフリルの付いたピンク色のスカートを履いていて、お人形のように可愛らしい。Mちゃんは屈託なく微笑みながら、「真美さん、バイバイ」と手を振った。私は心の中で、(これでもう二度とMちゃんと逢うことはないんだ)と淋しく思う。家に帰ってみると、私の姿かたちは高校生ぐらいまで復活していた。夕暮れ時なのか、室内は薄暗い。珍しく母も弟も留守のようだ。そこへ突然、灯りがともり、室内が一気に明るく染まった。開いたドアのほうを見ると、「ただいま!」という元気な声とともに、父が帰って来た。父は明るいグレーの背広を着て、手には使い古した扇子を持っている。それを見て私は、父が囲碁を教えて来た帰りなのだと知る。何が楽しいのか、父は満面に笑みを浮かべて冗談を言っている。それを聞いて、私は思わず笑ってしまった。
【解説】 昨日、Mちゃんの旦那様から喪中葉書が届いた。それによれば、Mちゃんはこの10月に亡くなったという。肺ガンだったそうだ。Mちゃんは小学校の同級生で、クラスで一番可愛い女の子だった。美人薄命と言うが、まだ幼いお子さんを遺して逝った彼女の悔しさを考えると言葉もない。昨日は、やはり小学校の同級生であるHさんからもお手紙が届いた。Hさんの手紙の中にも、Mちゃんの死に関する記述があった。考えてみると、このクラスは、38人いた同級生のうち4人が既に他界(病死)している。心からご冥福をお祈りしたい。夢の最後に登場した父は、今年11月にこの世を去った。平均寿命に満たない77歳で亡くなったとはいえ、痛みも苦しみも悩みもない、とても穏やかな死だった。その穏やかな最期に、生きている私たちはどんなに救われたか知れない。



7日●執拗な旋律

耳慣れない短いフレーズが、延々とリフレインしている。不思議なことに、その音楽を奏でているのは、この世のどこにも存在しない楽器だ。従って私は、「それはピアノの音でした」あるいは「ヴァイオリンの音色でした」といった説明をすることはできないのである。この地上には存在するはずのない楽器で奏でられるその旋律は、「ポルシカポーレ」を暗く執拗にしたようなイメージだ。その音を聞きながら、私は料理を始める。ところが手元をよく見ると、今さっき揚げたコロッケを、さらにもう一度フライパンで炒めるという、全く意味のないことをしているではないか。こんな不味そうな食べ物は見たことがない。もう一度料理をやり直そうと思うのだが、例の音楽が耳障りで困る。まずは、あの音楽を止めることが先決だと思う。
【解説】 夢の中で時々、短い旋律が繰り返し流れていることがある。それらは決まって、現実世界では聞いたこともないフレーズだ。この次にそんな夢を見たら、今度は五線譜の上に音階を記録しておこうと思う。



8日●インドの街角で

デリーから飛行機で1〜2時間ほどの地方都市に来ている。そこは見たことのない場所で、インドとは思えないほど静かで清潔な街並みだ。夜の帳がおりて、空には星が瞬き始めている。私はカフェのテーブルに座っている。同じテーブルには、小中学校で一緒だったA子さんとB子さんの姿が見える。私はこの地で、たまたま彼女たちと遭遇したらしいのだ。彼女たちは、2泊3日という恐ろしく短い旅程で日本からインドに来たようだが、既にいっぱしの“インド通”になって、したり顔でこの国について論じている。しかし、彼女たちの指摘はかなり紋切り型で、ひどく浅い。(この国を旅すると、人は何故こうも哲学を語りたくなるのだろう)と、私は心の中でそっと思った。やがて数台の大型バスがやって来た。インドでは絶対にありえない、真新しい2階建てのハイデッカー車だ。運転手とガイドは何故か全員日本人である。そのうちの1台のガイドを務めているのが、なんと私の息子ではないか。息子はまだ3〜4歳にしか見えない。この年齢でよくガイドになれたものだと不思議に思う。私は、息子が乗って来たバスに乗りこんだ。数台のバスは一斉に空港に向かった(この時点で息子は既にガイドの仕事を辞めたらしく、私の隣に座って菓子など食べている)。空港に到着してみると、日本行きの飛行機が間もなく出発するところだという。A子さんとB子さんは、お土産の入った袋を山ほど抱えて日本に帰って行った。私は息子と一緒にデリー行きの飛行機に乗ろうとしている。ところがデリー行きは、明朝4時にならないと出発しないという。午前4時までには、まだ6〜7時間もある。私にはその6〜7時間が、気が遠くなるほど長い時間に感じられた。公衆電話からデリーの自宅に電話をすると、夫が出た。事情を説明し、「午前4時まで飛行機を待つのは耐えられないから、タクシーで帰ろうと思うんだけど」と言うと、夫からは、「それがいいよ。顔なじみの運転手が茶店で暇そうにしていたから、あいつを今からそっちに行かせるよ」という答えが返ってきた。
【解説】 A子さんとB子さんは、子どもの頃から「結婚しない女なんて女じゃない」、「女には高等教育なんて必要ない」、「常識こそが一番正しい」と公言しているような人たちで、最初から、私とはものの考え方が正反対だった。あまりにも正反対なので、一緒に遊んだ記憶もほとんどなく、親しくない替わりに喧嘩をしたこともないという、お互いに「いてもいなくても関係のない相手」だった。そのふたりが突然夢に現われたのは、正直なところ、あまりにも意外である。今年8月に29年ぶりに開かれた中学校の同窓会の席上、私はA子さんを見かけたのだが、A子さんは子どもの時と少しも変わっておらず、独身のC子さんをつかまえて「あら、あなたまだ結婚してないのぉ? しなさい。絶対にするべきよ」などと説教していた。つくづく、人間は変わらない/変われないものである(苦笑)。なお、今日の夢の中でも、息子は例によって幼い子どもの姿で現われた。現実世界の彼は、既に声変わりをし、“少年”というよりは“青年1年生”といった風貌になりつつあるのだが……。夢の中ではこれからも、彼は可愛い子どものままなのだろうか。



9日●死の世界に迷い込んだ男

今は亡き祖母や父の姿が見える。ここは、亡くなった人々だけが存在できる空間のようだ。知人のMさん(男性)の姿が見える。私が知っているMさんは、聡明で自信に満ち溢れた人だった。しかし、いま目の前にいる彼は、暗くぼんやりとした眼差しを、あらぬ方向に向けている。私の存在にも気づいてはいないようだ。Mさんは、死ぬつもりなのかも知れない。
【解説】 Mさんは実在する40代の男性。特に親しい人ではないので、私はこの人の私生活をよく知らないのだが、夢の中で見たMさんは、まるで死の世界に半分以上足を踏み入れたような風体だった。この夢が間違いであることを祈る。


10日●前世の家族

海外の港町。ヴェネチアあたりだろうか。私はボートに乗っている。同じ船上には父、母、弟の姿がある。弟と私は、そのへんで買った(あるいは川から拾い上げた?)魚や海草を食べて、子どものようにはしゃいでいる。ふと見ると、父の顔色が良くない。船酔いしたのではと思い、その旨を尋ねると、「いや。そうではない」という答えが返ってきた。場面が急転し、大きな石の太鼓橋の上。着物によく似た不思議な民族衣装を着た男が、先頭に立って歩いている。その後ろには、やはり着物のようなものを着た10歳前後の男の子。最後に、同じく着物風の民族衣装を身につけた私が歩いている。この3人は前世で家族だったのだ。時代は、おそらく今から70〜80年前ではないかと思う。真ん中を歩いていた一人息子は、今ではチベットに生まれ変わっているらしい。私は既にその少年と現実世界でも遭っているようだ。
【解説】 何とも摩訶不思議な後味の夢。個人的には前世・来世といったものを信じていない私だが、今夜の夢の後半に登場した3人家族には、奇妙な懐かしさとシンパシーを覚えた。また、夢の中で歩いていた太鼓橋には見覚えがあったので、過去の夢日記を調べてみると、今年の3月3日の夢の中にでも、やはり同じ太鼓橋を渡っているではないか。この時の私は、チベットまたは中国あたりの民族衣装を身に付けて、国王と共にいた。今、ふと思ったのだが、この太鼓橋は中国あるいはチベットあたりに実在する(実在した)のではないだろうか。見当違いな予想かも知れないが、調べてみるだけの価値はありそうだ。


11日●空海との遭遇

2匹の犬を連れて山道を登ってゆくと、若い僧侶と出逢った。空海だ。そう言えばこの人とは、前にも何度か逢ったことがある。道に迷っているという空海を、私は先導することにした。犬が好きなのだろうか、空海は目を細めて私の犬たちを褒めた。
【解説】 自分の足元にまとわりつくように、2匹の忠実な犬がいたことは確かなのだが、それが果たして現在の飼い犬(ブースケとパンダ)だったのか、過去に飼っていた犬たち(ベアとポチ)だったのか、そのあたりは思い出せない。
【後日談】 夢日記をご覧になったという知人のAさんから連絡があり、「昔読んだ空海の本の中に、2匹の犬を連れた人に道案内をされるといった逸話が実際にあったように記憶している」と教えていただいた。その直後に編集者の芝田暁さんとお目にかかったので、この点についてご意見を伺ったところ、「私も子どもの頃に本で読んだような記憶があります」と芝田さん。すぐに<空海><2匹の犬>のキーワードでネット検索してみたところ、確かに、該当するサイトがいくつか存在したではないか。それらの内容を総合すると、大体次のようなものだった。その昔、空海が初めて高野山に入ったとき、どこからともなく白黒2匹の犬を連れた猟師が現われ、空海を高野山の頂上まで案内した。猟師と見えた男は、実はこの山の神である“狩場明神”であったという。……不勉強のため、私は今日までこの逸話を知らなかったのだが、確かに今日の夢は狩場明神のエピソードと似ている。なお、私が以前飼っていた2匹の犬も、1匹は白(ポチ)、もう1匹は黒(ベア)であった。


12日●人形劇ミュージカル「わたるさん」

夢の画面の中心で、人形劇ミュージカルが行なわれている。登場人物はふたりで、ひとりは20歳前後の可愛い女の子、もうひとりは白衣を着て頭のてっぺんが禿げたコミカルな博士だ。博士はフランス人という設定なのだが、どう見てもフランス人には見えない漫画チックな顔をしている。女の子は静かに、切々と、恋の歌を歌っている。その中で繰り返し歌われているのが、「わたるさん」という男性だ。女の子は「わたるさん」を深く愛しているらしい。しかし「わたるさん」は別の女性に惹かれており、しかも何かの事件に巻き込まれて死んでしまったか、あるいはもうすぐ死ぬ運命なのだと思われる。女の子の物悲しい歌声が胸に響く。途中、博士が小さなホワイトボードを使って「わたる」という名前の書き方を解説してくれるのだが、それは見たこともない漢字だった。国構え(囗)の中に鍋蓋(亠)を書き、さらにその下に谷と書いて、その漢字の下に「る」と送り仮名をつけて「わたる」という名前になるらしい。博士の早口な話し方がおかしいので、私はクスクス笑っている。その後、女の子が歌いだすと、再び夢の雰囲気が悲しい色に染まった。しかし、暫くすると博士が再びしゃしゃり出て、「え〜、それではこれから皆さんに、ある実験をお見せましょう」と言い出す。何が起こるのかと思いながら見ていると、突然、女の子と博士の後ろにあった本棚が爆発し、ドンガラガッシャンという効果音とともに、本がそのへんにぶちまけられてしまった。同時に博士の頭に残っていた少ない髪の毛もチリチリに焦げてしまう。その姿を見た途端、それまで我慢していたおかしさが一気に炸裂して、私は大声で爆笑してしまった。その途端に(おそらく自分の笑い声で)目が醒めた。
【解説】 この夢は実家(長野市)の寝室で見た。あとで、隣の部屋で寝ていた母から「何か笑い声が聞こえたようだけど、どうかした?」と言われたということは、よほど大きな笑い声だったのだろう。なお、博士の顔はこんな感じだった。


13日●機を織る

トントンカラリと音を立てて、機を織っている私。黄色がかったオレンジ色の布が、見る見るうちに出来上がってくる。この色は、これからの私を象徴する色だと思う。
【解説】 この前後にもストーリーがあったのかも知れないが、機を織るリズミカルな音と、太陽を思わせるような温かなオレンジ色が印象的過ぎて、これ以外の場面を思い出すことが出来ない。


14日●小さな箱と大富豪

私は小さな箱を持って歩いている。箱は、白地に赤と青の細かな模様が入った紙で梱包されている。中身はどうやら壊れ物らしい。中身を傷つけないよう、私は細心の注意を払っている。箱の中からは時折り、耳の錯覚かと思われるほど極めて小さな音量で、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」が聴こえてくる。すぐ近くに、姿は見えないが“信頼の置ける男性”の存在を感じる。包みを抱えたまま、私はある建物の中に入って行った。エントランスの雰囲気が、どことなく劇場を思わせる建物だ。中に入ってみると、人っ子一人いない広い廊下がぐるぐると迷路のように入り組んでおり、あたかも法螺貝の中に迷い込んだようだ。不意に私は、何かに急き立てられるようにして、小走りに走りだした。どのぐらい走ったのだろう。気がつくとそこは、なだらかな丘陵地帯に開墾された広大な葡萄畑だった。牧歌的な景色が広がっており、100人からの男女が立ち働いている。全員が白人だ。どうやらここはヨーロッパの田舎らしい。丘の上に、ほとんど「城」と呼びたいほど立派な豪邸が聳え立っている。扉が開き、中から、この一帯の土地家屋をすべて所有している大富豪の男性が出てきた。その人は、初老で、恰幅が良く、決してハンサムではないが人間的に素敵な顔立ちの男性だ。彼は、一目で私を気に入ったようだ。あるいは、彼はずっと昔から私を待っていたのかも知れない。大邸宅に招じ入れられ、彼のワイナリーで作ったという超高級赤ワインをご馳走になる。すぐ近くに存在を感じる例の“信頼の置ける男性”も、どうやら一緒にワインを飲んでいるようだ。このあと私は、大富豪から何か非常に高価なプレゼントを頂いた。それが何なのかはわからないが、物質ではなく、目には見えない精神的な希少価値(たとえば「悟りの境地」のようなもの)だった気がする。ワインを飲み終わり、家路に着くために徒歩で丘を下り始めた私を、大富豪は丘の上で微笑みながら見送っていた。
【解説】 この“大富豪”には、現実世界でも夢の世界でも、逢うのはこれが初めてだが、親戚のおじさんに対して感じるような一種独特の懐かしさを覚えた。なお、大富豪の家で頂いた赤ワインは、この世のものとは思われないほど美味であった。天上界に在るという「甘露(アムリタ)」は、あんな味なのかも知れない。
【後日談】 夢から醒めた朝、古い付き合いの友人から、「こわれもの」のシールが貼られたゆうパックの小包が届いた。それが驚いたことに、色と言い大きさと言い、夢に登場した箱と酷似しているのだ(私はあまり「ゆうぱっく」を利用しない人なので、今まで気にも留めなかったが、そう言えばゆうぱっくの専用容器も白地に赤と青の模様入りである)。送られてきた品物は、クリスマス・プレゼント(?)のHDDオーディオ・プレイヤー。やはり「音の出るもの」である。夢が現実になったことを記念して、早速「くるみ割り人形」を入れて聴くことにしよう。


15日●救世主

城のように大きな建物。「マクドナルド」という名前。6人の若い男女が、小さな舟に乗って海を渡って行く。彼らは、人類を再建する救世主だ。
【解説】 夢全体の流れは忘れてしまったが、「城」「マクドナルド」「舟に乗る6人の男女」だけが、強く印象に残っている。そう言えば昨日の夢にも「城」のような建物が登場したが、今日の夢で見た城は、昨日の城よりもさらに格調と気品があった。


16日●噂の天才児

天才児がいるとの噂を聞く。その子は2歳か3歳の男の子で、おそろしいほどの文才があるという。男の子が書いたという文章が入手できた。一読してみる。どこに天才のひらめきがあるのか、私には全く理解できない。単なる平凡な散文だ。落胆する。男の子直筆の文章が10,000円で販売されていると聞いて、私はますます白けてしまった。
【解説】 このほかにも、10,000円で買えるものがいくつか夢に現われたように覚えているが、どれも平凡な品物ばかりで、食指を動かされなかった。


17日●最低の番組制作スタッフ

テレビの番組制作スタッフたちと、日本国内のどこか知らない町を旅している。私を含めて全部で5人いるクルーのうち、3人は垢抜けない風貌の初老の男性、ひとりはミーハーな印象の20代の女性(ただし顔立ちはかなり地味)。私は今回だけ頼まれて仕事に加わった特別スタッフのようだ。男性たちは、今どきの日本人とは思えないほど田舎っぽく、およそテレビ関係の仕事に就いている人間には見えない。ロケに来ているというのに、彼らは食べることと飲むことばかり考えている。一方の女性は経理を任されているのだが、丼勘定のうえに金遣いが荒く、番組制作とは関係のないことに湯水のごとく散財している。場末の商店街のようなところを歩いていると、屋台の上に巨大なプーさんのぬいぐるみが見えた。彼女は番組制作費を使って、そのぬいぐるみを衝動買いしてしまう。しかし3秒も経たないうちに飽きてしまったようで、「これ、あげます」と言いながら、ぬいぐるみを私に押し付けてきた。もらった私も、その処理に困り果てている。このあと5人は、どこかの居酒屋で宴会をすることになる。男性たちが「こっちだ、こっちだ」と先導するので、そのあとに着いて行くと、2階建ての古い建物にたどり着いた。黒くすすけた階段を上がって行くと、2階は広い座敷である。しかし、いざ座ろうとして床を見ると、そこに敷いてあったのは座布団ではなく、なんと藁ではないか。これではまるで馬小屋である。3人の男たちは平気で藁の上に座り、まったく洗練されない態度で酒を注文しようとしている。若い女性は、いつの間にか姿を消している(どこかでショッピングをしているらしい)。ここで飲食をする気には、どうしてもなれない。何か適当な理由をつけて、私もこの場から抜け出してしまおうと思う。
【解説】 テレビ番組を作りに行ったはずが、結局は何の仕事もせずに遊んでいるという滅茶苦茶な夢。現実にこんなスタッフがいるとは思えないが、たとえ夢の中であっても、このような怠慢な人たちと一緒にいるのは実に気持ちが悪かった。



18日●飛行場

私は家族と共に海外の飛行場にいる。どのような理由か定かではないが、パイロット免許を持っていないにもかかわらず、私達は飛行機を操縦しようとしているのだ。空港関係者と思しき人たちが数人、(あなたがたは本当にパイロットなのか?)と聞きたげな顔で、心配そうについて来る。彼らは全員が白人だ。私達は、自分達が偽パイロットであることがバレないよう細心の注意をしながら、飛行機に向かって堂々とした素振りで歩いている。機内には、既に乗客が乗り込んでいる。私達は機転を利かせ、彼らにひとつの質問をする。それがどんな質問だったのかは不明だが、それを聞くと、乗客のうちヒッピー風の白人男性数人が、“Yes.”と言いながら手を挙げた。それを見ると、空港関係者はただちに私達を正規のパイロットと信じたらしく、“Bon voyage.(良い旅を)”と言ってその場を後にした。こうして私達は、ついに飛行機を手に入れることが出来た。場面は変わり、空港のそばにある広い空き地のようなところ。今度は家族の姿は見当たらず、私は数人のインド人と行動を共にしている。これから私達はマイクロバスで空港に向かうのだ。「インド人は出国審査に時間がかかるので、先に空港に向かわなければならない」という意味のことを、X氏がヒングリッシュ(ヒンディー語と英語がメチャメチャに入り混じった言葉)で言う。X氏はインド人の実業家だ。X氏の指示に従い、私以外の全員が先に空港へ向かうことになる。マイクロバスがやって来た。ひどく乱暴な運転で、そのへんの分離帯に乗り上げたりしている。インド人達はそのバスに乗って、空港へと去って行った。約1時間後、別のマイクロバスが私を迎えにやって来た。深刻な顔つきのインド女性が、「あなたは○○を××している山田さんですか」という意味の言葉を、ヒンディー語でも英語でも日本語でもない何らかの言葉で告げた。私がそうだと言うと、女は頷く。このあと私が空港に行くと、そこに誰か知った顔の人がいたような気がするのだが、詳細はよく覚えていない。
【解説】 ところどころ記憶が定かではないが、全体の流れとしては、空港から飛行機で(おそらく海外に)出ようとしているのだが、そこに幾つかの障害があるといった内容の夢。夢の最後のほうで、インド女性から「○○を××している山田さんですか」と聞かれたが、「○○」は人の名前だったような気がする。「××」は全く思い出せない。なお、Xさんは実在のインド人。「本物のスパイではないか」という噂のある、少し怪しい人である。


19日●アフリカ〜フィリピン横断列車

列車に乗って一人旅をしている。列車はひどく旧式だが、私の部屋はコンパートメント(個室)で、机やベッド、シャワールームなどが完備している。それは不思議な列車で、昨日は確かにアフリカを走っていたのに、今はフィリピンを通過中だ。昨日アフリカでさまざまな民芸品や食料などを買い、日本円で10,000円ほど支払った。現地の人は、日本円を非常に喜んでくれた。ここフィリピンの人たちも、日本円での買い物を大歓迎してくれるという。私の手元には、最早3,000円しか残っていないが、現地の物価に照らして考えれば、これでもかなりの物が買えるだろう。列車がどこかの駅に停車した。「この駅では長時間停車しますので、ごゆっくりお過ごしください」という意味のアナウンスが流れる。そう言えば一昨日アフリカの駅に停車した時も、停車時間をきちんと説明せずに「長時間停車」などと説明していた。いいかげんな車掌だと思う。列車を降りて町に出てみる。陽に焼けたフィリピン人の男女が、満面に笑みを浮かべて色々なものを売りつけてくる。明るく逞しいイメージだ。しかし、彼らが売っている品は鶏肉製品ばかり。セミベジで肉を一切食べない私には用がない。そこで、買い物はせず早々に列車に戻ることにする。戻りながら、列車のコンパートメントに鍵をかけて来なかったことに気づく。机の上には現金が数万円放置してあるらしい(注/手元には3,000円しか残っていないという最初の設定とは既に矛盾している)。「鍵をかけて来なかったのなら、現金は疾(と)うに盗まれてしまったでしょう」と誰かの声がする。しかし部屋に戻ってみると、現金は無事だった。この町の人たちは、貧しいが誠実なのだ。隣の車輌がショッピングセンターになっていると聞き、行ってみる。しかし、そこで扱っている商品は、缶に入ったラッカーなどの塗料類ばかりではないか。何故、列車の中で塗料など売っているのだろう。全くわけがわからない。その時誰かが、「この列車は、明日中には日本に到着しますよ」と教えてくれた。私はふと、(昨日はアフリカで、今日はフィリピン、明日が日本とは、この列車は一体どういうルートを走っているのだろう)と疑問に思う。
【解説】 夢の中で、長い時間を過ごしたような感覚がある。アフリカやフィリピンが夢に登場するのは、おそらくこれが初めてではないか。



20日●UNESCOの会議

巨大な会議場。そこでは目下、UNESCO(国連教育科学文化機関。ユネスコ)の会議が行なわれているのだ。私もその会議場にいる。大きなテーブルをはさんだ向かい側には、UNESCO本部事務局長補で友人のアブデュール・カーンさんの姿が見える。同じテーブルのいちばん遠いところに、ほんの一瞬だが土井たか子さんの姿が見えた。
【解説】 前夜は急な仕事でほぼ徹夜状態になり、ようやく就寝できたのは朝の6時。この夢を見ている途中、現実世界で電話が鳴り、夢はここで中断されてしまった。
【後日談】 電話のベル音に叩き起こされた形で受話器を取ると、なんと電話の主は土井たか子さんではないか。驚きで眠気がいっぺんに吹き飛んでしまった。土井さんは私の著書をお読みになり、「とっても面白かったわよ!」の一言をおっしゃるために、わざわざお電話をくださったのである。夢の最後に土井さんの姿が見えたのが先なのか、土井さんが電話をおかけになったのが先か、おそらく時系列としては同時ぐらいなのだろうが、あまりにも鮮やかな夢と現実の一致に、我ながらただただ感心するばかりである。なお、土井さんとはインドでご一緒にお食事をしたことがある他は、今年の7月にフランス大使館のパーティーでお目にかかっただけで、直接お電話を頂くのはこれが初めてである。


21日●白い象

白い象の背に乗って、ヒマラヤに程近い街を歩いている。温かく穏やかで、幸福な気分。この先で私を待っているのは、悟りの境地に達した人だ。
【解説】 時間にして、ごく一瞬の夢。静かに左右に揺れている象の鼻が印象的だった。


22日●延々と続く音楽

何も映像のない夢の中で、延々と音楽だけが鳴り響いている。既に聴いたことのある音楽、初めて聴く音楽。ピアノ曲。弦楽四重奏曲。能の囃子。女性ヴォーカル。さまざまな音楽がかわるがわる現われて、一夜の夢を彩ってゆく。
【解説】 今日は珍しく音だけの夢である。ところどころに、ほんの一瞬だけ映像が差し挟まれたような気もするのだが、それらが現われる時間はあまりにも短く、サブリミナル広告と同様に、何が写ったのか自分自身でも認識できなかった。


23日●変更されたプラン

見知らぬ山の風景。現実とはだいぶ違っているが、どうやらここはヒマラヤらしい。私は一人旅をしている。専属のインド人運転手が近くにいるが、体が小さく大人しい男で、存在感は薄い。私がこの山にやって来た目的は、どうやらゴルフをするためらしい。しかし、ホテルで一泊して夜が明けてみれば、外は大雨。ゴルフには適さない悪天候だ。同じくゴルフをしに来たらしい、いかにも有閑マダム風のアジア系(おそらくは香港人かシンガポーリアン)の女性4人組は、即座に予定を変更してスキューバ・ダイビングに出かけていった。私は最初の予定どおりゴルフ場に出かけようと思い、一旦はクラブバッグを肩に担いだ。しかし、何を思ったか急に予定を変更し、遊園地に行くことにする。それを聞くと、運転手はホッとしたような表情を浮かべた。私は今夜中に空港から旅立たねばならない。そのためには、遊園地で1日遊んでから、ホテル(現在いる場所)に戻って荷物をピックアップし、さらに空港へ行くというルートになる。しかし、よくよく調べてみると、遊園地は空港のすぐ近くではないか。ならばホテルは今のうちにチェックアウトし、遊園地のあとは直接空港に向かうほうが時間節約になる。そのことを告げると、運転手はますます安堵したようだった。
【解説】 理由あって、私はゴルフをやらない。それなのに何故、夢の中で一旦はゴルフ場に向かっていたのだろう。不思議である。しかし、それで思い出したことがある。うちの物置には、ずっと前にプレゼントされ、未使用のまま放置してある高価なクラブセット(レディース用)があるのだ。今夜の夢を見たことで、不意にそのことを思い出した。私が持っていても宝の持ち腐れなので、早速ゴルフ好きの女友達にあげてしまおう。なお、ヒマラヤでスキューバ・ダイビングは出来ません。念のため。


24日●中止されたゲーム

これから2種類のゲームが執り行なわれようとしている。場所は学校のようなところ。主催者はPTA、もしくはそれに類似した教育的な要素を持つ団体。しかし、それぞれのゲームの中に「食べ物を破壊する」要素が含まれていることが事前にわかる。食べ物を玩(もてあそ)ぶことに、私は大きな不快感を感じる。即刻、このゲームを中止するよう要求したところ、同意見の人が他にも複数いたようで、ゲームは中止される。代わりに何か別の行事を採用したことによって、事態は好転する。場面が変わり、私は夫と旅をしている。階段を登っていくと、踊り場の左壁面が大きな水槽になっている。気がつくと、夫は水中マスクを装着して水槽の中に入っているではないか。次に、建物の外を歩いていると、やはりところどころに水の存在を感じる。夫はその都度、水の中に入って行く。時には魚を獲って来ることもある。夫は楽しそうだ。
【解説】 昨日の「変更されたプラン」に引き続き、今夜の夢は「プランの中止」がテーマである。どちらも、プランを変更/中止したあとで、状況が好転している。現実世界では、自分の身の回りに「変更」「中止」といった事態は今のところないが、これから何かが起こるのだろうか。楽しみである。



25日●満艦飾の船

数百人、数千人、あるいはそれ以上の人々が行列を作っている。皆、船を待っているのだ。私は列の一番前に立っている。周囲には、知った顔の人がいるらしいのだが、それが誰なのかは皆目わからない。目の前には大海原が拡がっている。しかし、沖のほうから船がやって来る気配はない。ふと斜め後ろを振り向いて見ると、そこには海へと続く細長い運河が掘られていて、何百隻という船がぎっしり列をなして並んでいるではないか。前後する船と船の間の距離は、わずかに数センチ。ちょうど、客待ちのタクシーが暇そうにずらりと並んでいる、あの光景のようだ。船体の色は、赤、黄、青、緑といった原色で、デッキ部分には万国旗などもはためいていており、まさに満艦飾といった趣だ。このセンスは、さすがにインドだと思う(この時点でようやく、私は自分がインドにいることを思い出した)。場面が変わって、ビルの1階部分。私はガラス扉の外側にいる。扉の内側には、愛犬のブースケとパンダの姿が見える。2匹とも外に出たいらしいのだが、そうすることが出来ない事情があって、私は扉に鍵をかけてしまう。そのまま出かけようと一旦は思うのだが、(事情を知らない誰かが扉を開けて犬が逃走すると厄介なことになる)と思い直し、ブースケとパンダも連れて外出することにした。この時に見たブースケの顔は、昔飼っていた猟犬ベアの顔とよく似ていた。
【解説】 前半と後半がどう繋がるのかわからない、とりとめのない夢。そのなかで一番強く印象に残っているのは、あの満艦飾の船である。このところ頻繁に、船、飛行機、列車などに乗って遠い外国を旅する夢を見る。私は旅に出たいのかも知れない。


26日●孵化する卵

15〜20個ほどの鶏卵が、2列に整然と並んでいる。暫く待っていると卵は一斉に孵化し、黄色いヒヨコ達が元気な姿を現わした。
【解説】 ストーリーらしいストーリーはないものの、温かく若々しいイメージの夢だった。


27日●古典に現代を重ねる

オレンジ色がかった黄色い表紙の、大きなノート(またはテキスト)が見える。表紙には、チベット語とサンスクリット語で書かれた経文が、びっしりと書き連ねられている。この古い言葉を、21世紀の現代に生きる人間が学ぶことにこそ、深い意味があると感じる。場面が変わり、私は古典芸能に関係した商品を扱う店の軒先に立っている。そこは金沢のような歴史ある地方都市で、店は何百年の歴史を刻んだ老舗だ。店先には、いかにも昔気質らしい初老の男が、一人静かに座っている。私は店のほうにカメラを向け、ゆっくりとファインダーを覗いた。カメラを通して、私はその古い店の上に“現代”を重ね合わせようとしているのだ。シャッターの落ちる音と共に、古典と現代は完全なる融合を遂げた。
【解説】 この夢は、長野市の実家で見た。昨日は亡父の忌明け(四十九日)で、家の中には一日中線香の香りが立ち込めていた。この夢は、そのことと関係しているのかも知れない。


28日●70点

誰かの“作品”が見える。しかし、それが文芸作品なのか、美術作品なのか、音楽作品なのか、あるいはそれ以外の作品なのかは全くわからない。作品の出来栄えは、100点満点中の70点といったところで、やや不満が残る。しかしこの作者には、本来、大変な才能があるようなのだ。「その才能に先行投資するという意味で、今回はこれで良しとしましょう」と誰かが言った。
【解説】 コンクールの審査会場のような雰囲気だった。何のコンクールだったのか、詳細は不明。なお、この夢も実家で見た。



29日●明るい洋館

すぐ近くに、健康で愛らしい赤ちゃんの存在を強く感じる(おそらく男の子であろうと思う)。そこは明るい光の溢れる清潔な洋館で、私が立っているところは2階の廊下と思われる。そこにも燦々と陽光が差し込んでおり、のどかで温かいイメージが拡がっている。不意に、目の前の木製のドアが開いた。部屋の中から出てきたのは、ふくよかで上品な感じのする白人の老婦人と、うちの娘である。娘はどうやらこの老婦人のために、ランジェリーのデザイン(またはサイズ?)を見てあげているらしい。ふたりは私の存在には気づかぬまま、明るい廊下を左から右に向かって急ぎ足に歩いて行った。
【解説】 この前後にもストーリーがあったようだが、思い出せない。ただ、夢の最初から最後まで一貫して、健康で愛らしい赤ちゃんのエネルギーを感じた。その点では今夜の夢は、今月26日に見たヒヨコ誕生の夢と似通っていたかも知れない。



30日●ラジオ番組

私は高層ビルの一室にいて、窓の外に拡がる風景を双眼鏡で眺めている。今、私の視界に映っているのは、東京タワーのような塔の胴の部分だ。そこには電光掲示板があって、現在オンエア中のラジオ番組の内容が流れている。番組の名前は「○○テツオの日曜○○」というらしい。その番組中、娘のLiAがアーティストとしてフィーチャーされている。驚いた私は、すぐに走って部屋へ戻り、娘に「ラジオでLiAの特集をしているわよ」と途中まで言いかけるのだが、言いながら、自分でもあれが白日夢だったのか現実だったのかわからなくなる。
【解説】 実際には美大生の娘が、既にアーティストとして世間に知られつつある夢。これは近未来を占う夢だったのだろうか。



31日●3つの変化

ふと鏡を覗くと、私の髪形がシャギーの入ったショートに変わっている。黒髪の部分が90%ほどで、残り10%は白髪だ。中間のグレーは存在しない。まるで絵の具のチューブから搾り出したような、漆黒と純白のコントラストが現代的で、美しいデザインだと思う。白髪を逆手にとって、私はみずからの新しいイメージ作りに成功したようだ。急に場面が変わり、大学の校舎。私は明治学院の2年生らしい。同級生の中ではなかなか勉強の出来るA君が、東京医科大学の3年に編入することになったようで、「僕はこの学校では飽き足らないから、医科大に移ることにしたよ。真美さんもK大に編入したら? 貴女に明治学院は似合わないと思う」と言って、さかんに転校を勧めて来る。私は一瞬心を動かしかけるのだが、「でも、ここの校風が好きで入学したのだから、私は明学に残るわ」と答えた。再び場面が変わり、宝石店の店先。目の前にプチペンダントが見える。周囲の皆が、「とってもお似合いよ」などと言っている。私はそのペンダントを一旦は買うことにするが、店を出てすぐに気持ちが変わり、返品することにした。
【解説】 今夜の夢は3つのパートから構成されていたが、それらは、「髪形の変化」「大学の変化」「気持ちの変化」というように、すべて「変化」に関係があったように思う。今月は23日と24日にも「変更」「中止」がテーマの夢を見ているが、これら一連の意味は一体何だろうか。余談ながら、私は母親に似て白髪になるのが遅い体質のようで、生まれてから今日に至るまで一度もヘアダイをしたことがない(注/母は60を過ぎるまで白髪が全く出なかった)。いつかは私も白髪になる日が来るのだろうが、(その時は思い切って、夢の中で見た斬新なショートヘアに変えるのも良いかも知れない)などと思った





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