2004年2月


1日●特別な縁(ふち)

駅ビルのような建物の1階にある花屋の前に立っている。目の前には鉢植えのクローバーがたくさん並んでいる。そのうちのひとつを手にとって見た。ちょっと見には普通のクローバーだが、何かが少し特別のようだ。よく見ると、私が手にした鉢だけが四つ葉のクローバーで、しかも、それぞれの葉っぱの縁の部分は綺麗なフリル状になっている。そのあと、同じ建物の上の階で大判のハンカチーフ(あるいはスカーフ)を買うのだが、ここでも私が手に取った1枚だけが特別で、縁の部分に贅沢な金の刺繍が施してある(それ以外のスカーフの縁に装飾はない)。店員はそのハンカチーフを化粧箱に入れてくれたのだが、その箱には金色の星が無数にちりばめられていた。
【解説】 夢の中では、このほかにも色々なものの「縁」を見たような気がする。どの「縁」も、私が手に取ったものだけが特別(綺麗または豪華)なデザインになっていた。
【後日談】 この夢を見た半日後、私はタロットカードの教室に行った。今日が初めてのレッスンだったので、先生から占いに使うためのカードと敷き布を渡されたのだが、敷き布が入っていた紙ケースには金色の星が無数に描かれており、驚いたことに夢で見た化粧箱とほとんど瓜二つのデザインだった。


2日●男の子と3人の大人

小さな男の子の周りを取り囲むようにして、大人が3人座っている。どうやら室内ではないらしい。山の中なのだろうか、足もとは土で、周囲には樹木が生い茂っている。葉っぱが茶色くなっているので、秋から冬にかけての風景だろう。男の子は、この大人たちとは赤の他人らしい。誘拐されて来たのかも知れないが、男の子が泣いていないことから想像するに、前からの知り合いなのかも知れない。大人達は顔を伏せているため年齢も性別もわからないのだが、イメージ的には「男性3人」または「男性2人+女性1人」で、年齢的には30代から40代のような気がする。洞窟の入り口のような四角い穴が、一瞬見えた。何かの目印なのだろうか、穴の周りには白いペンキが塗ってある。
【解説】 ストーリー性がなく、よく意味がわからない。どこか遠くで起こっていることを千里眼になって見てきたような、妙な気分の夢だった。


3日●捕えられた3人

3日間をかけて、3人の人間の裁判が行なわれるらしい。刑が確定したらしく、その内容がテレビで報道されている。1日目に刑が確定したのは男性で、顔写真と名前が公表された。2日目には女性の刑が確定し、同じように顔写真と名前が公表された。3日目、私は温泉らしき場所に旅をしている。同行者は両親、夫、娘、息子、それに両親の友達夫妻(※現実世界では見たことのない人たち)。コタツに入りテレビを観ていると、例の裁判にかけられている3人のうちの最後の男が、高層ビルから飛び降りようとしているというニュースが流れる。男が逃亡を企てているのか、自殺を図ろうとしているのかは、この時点では不明。男は自分の体を鎖で縛り、しかも100キロの重りをつけて、ビルの窓から突き出した棒の上に座っている。騒然とした雰囲気。日本中の人が固唾を飲んでこの場面を(テレビで)見守っているらしい。やがて、バランスを崩したのだろうか、男は棒から落ちてしまった。観衆から悲鳴が上がる。男は、ちょうど真下にあったダイビング用のプールに落下。そのままぶくぶくと水底に沈んでいった。テレビカメラはプールの底まで潜って、一部始終を報道している。男は苦しそうにプールの底に沈んだまま動かない。どうやら観念して死ぬことにしたようだ。1分以上の時間が経過した。私は(こんな残酷な場面、とても正視できない)と思う。もはやこれまでかと思った時、男は突然、生き直す決意をしたらしい。最後の力を振り絞って、呼吸をするために水面まで泳いで上がろうとする。しかし、いかんせん100キロの重りのために、浮上することが出来ない。観衆がどよめく。だが男は超人的な力で壁際のハシゴのところまでたどりつき、あとは腕力だけで水面まで登り切ってしまった。こうして生き残った男は、テレビカメラを前に何かを力説している(※この部分、音声が途絶えてしまい発言の内容は聞き取れなかった)。この時まで私は、男が50歳前後の冴えないオジサンであると想像していたのだが、テレビに大写しになった彼は、意外にも25歳前後の理知的でハンサムな好青年ではないか。私はそのことに驚いている。
【解説】 この夢は、前日の夢からの続きなのかも知れない。3人目の男性の顔は今でもハッキリ覚えている。少し痩せ型で、頬がこけ、眼鏡をかけている(あるいは、昔かけていた)ようだ。顔は薄く、いわゆる弥生人タイプ。最初の2人に関しては、夢の中ではフルネームを知っていたのだが、夢から醒めてみると思い出すことが出来ない。


4日●法王

法王への謁見の日取りが決まった。まず9日に初老の男性が、その9日後の18日には初老の女性(男性の妻らしい)が、更にその9日後の27日には私が謁見を許されることになった。先の2人は、謁見後に大往生を遂げることになっているらしい。
【解説】 最近、夢の中に意味ありげな数字が多く登場する。特に、ここ3日間の夢の中では、「3人」が常にキーワードだった。ニューメロロジー(数秘学)や西洋占星術、ヒンドゥー占星術、姓名判断などによれば、私は「9」という数字に司られた人間であるという(注釈1参照)。今日の夢では、「9」「18」「27」と、9の倍数が現われたことにも意味がありそうだ。ちなみに、「3」は「9」の最強の味方と言われる(注釈2参照)。
【注釈1】 ひとりの人間を色々な方法で占ってみると、占い方によって「司る数字」が変わってしまうことが多いらしい。私のように総ての占いで「9」と出るような人間は、かなり珍しいそうだ。このことは、私の性質や特性が典型的な「9人間」であることを示している。なお、数秘術を始めとする諸々の占いでは「9」は「最強の数字」とされ、その意味するところは「火」「軍神」「自信」「勇者」「冒険」「大志」「楽観主義」「自由」「集中力」「責任感」「決断力」「名誉」「外交的」「戦闘的」「短気」「指導力」「高い理想」「霊性」「成功」などである。
【注釈2】 私がいちばん心を許している人には、やはり「3」を運命数や霊数に持つ人が多い。驚くほど波長が合って、一緒にいて楽しい人に誕生日を聞いてみると、やはり運命数や霊数が「3」である。個々の人間を取り巻く数字には、想像以上に大きな意味があるのかも知れない。



5日●MAC

誰かが私に海外の女流作家を紹介してくれる。ドクター・マク○○○という名前の、やや冷たく知的な感じのする女性。これから彼女に英語で話しかけようか、ドイツ語で話しかけようかと一瞬考えている私。
【解説】 前後関係はよくわからない。女性の名前は「マクドナルド」「マクナマラ」のように、「Mac」で始まるスコットランドまたはアイルランド系の苗字だった。この女性の前にも、もうひとりの海外女流作家と逢ったような気がする。



6日●ヘブライ語

数人の人を相手に、ヘブライ語で何かを力説している私。
【解説】 詳細はまったく思い出せないのだが、人類の未来について話していたような気がする。



7日●安定感のある家

外から家を見ている。特に人目を曳くデザインの家ではないが、安定感があり幸福な感じ。おそらく2階建て。すぐ近くに、親近感を覚える年下の男性(息子、またはそれ以外の誰か)がいて、その人には温かい心がある。私たちは楽しそうに何か言葉を交わしている。
【解説】 今日の夢は「動きのある映画」と言うよりは「スティル写真」のように、ほぼ一瞬の映像の中にストーリーが詰め込まれていた感じ。派手ではないが、「揺るぎなさ」「普遍」といったイメージが感じられた。



8日●プールで政治を語る人々

海外のホテルらしき場所。時間帯は夜。小さなプールがあって、私を含めて5〜6人の男女が、胸まで水に浸かったまま国際政治について話している。プールの形は細長い変則的な台形で、青白い水中ライトが幻想的。居合わせた全員のうち、日本人は私ひとり。男女の人数は半々で、ほとんどが白人のようだ。半数は英語圏の出身(ネイティブ・スピーカー)だが、ほかにノルウェイ語訛りやスペイン語訛りの英語を喋っている人もいる。理由はわからないが、このうちの誰かが死ぬか、行方不明になるような気がする。私はこのあとパプア・ニューニギアで大きなイベントをプロデュースするらしいのだが、そのイベントを成功させるためには、同じイベントを先にオーストラリアで開催することが条件だという。イベント会場を設営している場面で目が醒めた。
【解説】 最近、外国語で話している夢が多い。それも、当り障りのない一般的な会話ではなく、人類全体の将来に係わっているらしい重大な事柄や、哲学的な問答など、かなり真剣な内容の会話がほとんどだ。夢を見る2日前にアガサ・クリスティー原作のミステリー映画を観たばかりだったので、プールに集まった男女のうちの誰かが死ぬ(行方不明になる)という発想は、映画のイメージが影響しているのかも知れない。プールに集まった男女のうち、ひとりは1月9日の夢(「復活」)に登場した「大柄な白人のお爺さん」にひどく似ていた。年齢こそ若返っていたが、特徴ある「目」が、明らかに同一人物のものだったと思う。この人は私の夢の中に、何度も何度も繰り返し現われるのかも知れない。



9日●戦争

戦争で娘を失ったという元兵士(中国人らしい)が泣いている。娘の名前は、「王」の下に「人」と書いて、この漢字一文字で「ヨウ」と読むそうだ。ほかにも、戦争のために何かを失ったもうひとりの男性(韓国人)が、静かに佇んでいる。BGMには、70年代の物悲しいソウルミュージックが流れている。
【解説】 泣いていた中国人は、実在する知人・Sさんの顔だった。しかし現実には、彼には最初から娘はいないし、戦争で家族を失った事実もない。韓国人のほうは、大学時代の知人・Nさんだったと思う。しかしNさんの身の上はよく知らないので、現実に戦争絡みで悲しい出来事があったのかどうかは不明。ちなみに、「王」の下に「人」と書く漢字は実在しないようだ。



10日●危険な雪山

ひと気のない雪山。何かわからないが、生死にかかわる危険な出来事が起こるらしい。その風景を、おそらく第三者として見ている私。
【解説】 全体のストーリーはよくわからない。山は、頂上に行くにしたがって尖った美しいフォルムで、神々しい感じがした。山頂の天候は快晴。
【後日談】 目が醒めてすぐに顔を合わせた娘が、「今日は少し怖い夢を見た」と言う。聞けば「ひと気のない雪山に一人でいる夢」だった由。娘と私は非常に仲がよく、同時に同じようなことを考えたり似たような夢を見る傾向が昔からあるのだが、こうして夢日記を付け始めてみると、その内容が具体的にはっきりとわかって興味深い。



11日●日本文化

G8、もしくは世界銀行の総会のような場所で、「日本経済の建て直しには日本文化の輸出が切り札である」と英語で説いている私。そのための鍵は茶道が握っているとし、岡倉天心(覚三)の名著“Book of Tea”まで引き合いに出して熱弁をふるっている。その後のレセプションのような会場では、居並ぶ各国要人を前にして、三味線で「鞍馬天狗」を弾いている。チャールズ皇太子らしき人から(絵に描いたようなキングズ・イングリッシュで)「茶道、三味線のほかにもうひとつ日本文化を学ぶとしたら、何がオススメですか」と聞かれ、私は即座に「日本語です」と答えた。
【解説】 最近、現実世界でも茶道と三味線にハマっている。特に三味線のほうは、この2〜3日で急に面白さがわかってきたところなので、その気持ちが夢に現われたのだろう。なお、各国要人の前で弾いていた「鞍馬天狗」という曲は、明らかに夢の中で私が作った即興曲らしく、現実には聴いたことのないコンテンポラリーなメロディーだった。「日本経済の建て直しには日本文化の輸出が切り札」は、現実における私の持論とほぼ一致している。



12日●ペンフレンド

16歳(高校1年生)の時からのペンフレンドで内科医の岩国治さん(※実在の人物)とふたりで、パッと視界が開けた野原のような場所を歩いている(近くに川が流れているような気もする)。季節はおそらく秋の始まり。暑くも寒くもなく、穏やかな空模様。何を話しているのかはよくわからないが、和やかで楽しい雰囲気。そう言えばこの人との付き合いも長いなぁと、夢の中で指折り数えながら感心している私。
【解説】 何でも手軽にEメールで済ませてしまう昨今、ペンフレンドという言葉も死語になりつつあるのかも知れないが、岩国さんは高1の時から続いている貴重な「ペンフレンド」だ。数年前からは、さすがにEメールになってしまったが、それでも旅先からは必ず手書きの葉書を送ってくださる。九州にお住まいなので、直接お目にかかる機会はほとんどないが、私の結婚式では友人代表の挨拶をしてくださったり(※新婦の友人代表が男友達だというので、皆から「さすがは真美ちゃん」と褒め?られた(笑))、私がインドに住んでいた時はニューデリーの拙宅まで遊びに見えたり、昨年の日本文化デザイン会議で私が副議長を務めた時には六本木ヒルズまで足を伸ばしてくださったりと、人生の要所要所に必ず現われてくださる稀有な存在なのである。



13日●扉

どうしても開けなければならない「扉」がどこかに存在するという。これまでにも数えきれない人々が挑戦し、まだ誰も扉を開くことに成功していない。これまでの挑戦者が扉を開けられなかった理由は、頭で考え過ぎたか、力ずくで開けようとしたからだと思う。先入観を一切捨てて、「その扉は最初から開いているのだ」と思うことができれば、きっと扉は開くに違いない。そう思った瞬間、円形(または球形)をしたエネルギーが空中にたくさん感じられた。そこからは黄色または赤色の不可視光線のようなものが出ているらしい。気がついた時には、扉は自分から勝手に開いていた。ここから先は次のステージに進めるようだ。
【解説】 かなり抽象的な夢。円形(または球形)のエネルギーからは、非常に好意的で邪心のない「意識」のようなものが感じられた。



14日●回る洗濯機

全自動式洗濯乾燥機(我が家で実際に使っている物と同じタイプ)の中で、ドラムがぐるぐる回転している。洗濯機の扉の窓が円形なので、私の目に見える光景は、すべて円形の中にある。娘の携帯電話が、洗濯物に紛れ込んでぐっしょり濡れながら回転しているのが見える。明るいイメージの黄色い花が3輪、携帯電話と一緒に回っている。ほかにストーリーはない。ただ延々と、洗濯機は回り続ける。時計回り(茶道でいう「陰」の方向)に回っているので、「これは何かネガティブ(陰)な意味があるのかな」と思う。しかし考えてみれば、私の側から見て時計回りの回転は、洗濯機を主体に考えると反時計回り(茶道でいう「陽」の方向)ではないか。ということは、この回転にはポジティブ(陽)な意味があるのかも知れない。夢の中で私はそう思い直した。
【解説】 娘は昨日パーティーに出かけたのだが、聞けばその最中に、去年の暮れに買ったばかりの携帯電話が突如として毀れてしまったそうである。そのことを就寝直前に聞いていたので、こんな夢を見たのかも知れない。

【後日談】 夢を見た翌朝、携帯電話が壊れた原因を娘に聞いたところ、テーブル(それも四角いテーブルではなく、円卓)の上に水がこぼれていることに気づかず、濡らしてしまった為だという。私が「その携帯、私の夢の中でもびしょびしょに濡れていたわよ」と言うと、娘は驚いていた。しかし、夢の中では黄色い花が近くにあったので、携帯は元どおりに修復されるだろう。これは私の直感。



15日●王妃との散歩

どこかの国の王妃と連れ立って散歩している。優雅な雰囲気。王妃は私より4〜5歳年上で、えくぼがチャーミングな人。どことなく高円宮久子妃にも似ている。ふたりが話している言語は主として英語だが、それが時々日本語になったり、ヘブライ語の単語が混ざったりする。王妃と私は、以前一緒に月世界旅行に行ったことがあるらしい。そのときの思い出話に花を咲かせているとき、王妃のえくぼは特に愛らしかった。
【解説】 先日、約10年ぶりに高円宮久子妃と再会したばかりなので、その印象が夢に反映しているのかも知れない。



16日●上司の死

あまり人里から離れていない山の中。石の階段の上に立っている私。階段の左脇には正三角形がある。「上司の死」というキーワードだけが頭の中にインスピレーションのように浮かぶが、それがどんな意味なのかは夢の中でもわからない。
【解説】 珍しく静止画面の夢。インスピレーションの中に浮かぶ「上司」が一体誰のことを指すのかは謎。私の実生活には、いわゆる「上司」はいないので、この場合はもっと比喩的な意味なのかも知れない。



17日●2つの物の間

巨大な運命の輪が2つ、中空に浮いている。ひとつは錆びかかった輪(過去)、もうひとつは若々しく輝きのある輪(未来)。私はそのちょうど中央真下にいる。場面が変わって、私は切り立った崖の上に立っている。ここからダイビングジャンプをするらしい。手前の風景(過去)はぼんやり霞んでいるが、その先(未来)には、ハワイか南米を思わせる素晴らしく開放的な風景が拡がっている。眼下の海は、2つの海域にはっきりと分かれている。私は、2つに分かれた海のちょうど真ん中の分かれ目の辺りに着水した。
【解説】 具体的なことは思い出せないものの、この夢には、「2」という数字が上記の他にも登場したような気がする。目が覚めたあとも夢の意味が気になったので、現在勉強中のタロットカードを試しに1枚切ってみた。すると、「死神(正位置)」のカードが出た。このカードには、「変化/古いものを切り捨てて新しい方向へ向かう」の意味がある。確かに現在、私は仕事上で古いものから新しいものに移行する大転換期にいる。今日の夢は、「未来は明るい」ことを教えてくれたような気がする。



18日●能楽師の摺り足

能楽師の家庭が見える。能楽師は食事中で、新妻に茶碗と箸の正しい持ち方を指導している。妻は着物を着てきちんと正座しているが、向こう側を向いているため顔は見えない。うなじが美しく、素直で賢い感じのする女性だ。食事が終わると、能楽師は舞台の上を歩くときと同様の摺り足で、畳の上を歩きはじめた。部屋を出入りするときに、必ず柱つき(=柱側)の足から出入りしているのを見て、(やはり能楽師だけあって、基本動作が身に付いていらっしゃる)と思い、感心している私。このあと、ヒマラヤの人たちと一緒に大きな円形の庭でフォークダンスを踊ったような気がするが、よく覚えていない。
【解説】 茶道における歩の進め方は、能楽の摺り足と同じである。最近、お茶のお稽古のたびに、畳の上の足運びの美しさについて考えているので、それがそのまま夢になった感じ。ヒマラヤのダンスうんぬんは、去る15日の夜に東京で開催された日本ブータン友好協会のパーティーの席上、ブータンから来日中の人たちと輪になってフォークダンス(日本の盆踊りに似ている)を踊ったばかりなので、これも現実がそのまま夢に出た形である。



19日●えっちゃん

息子が風邪をひいたので、薬を貰うために電車で出かける。用事を済ませ、もとの駅まで戻って来ると、改札を出たところで姑(夫の母)を見かけた。3人ほど、連れの女性がいるようだ。私がそちらへ近づいて行こうとした時、姑は連れに向かって「わたくしはまだ用事がございますから、ここで御免くださいませ」と言って、家とは反対の方角に向かって歩き出した。見ていると、姑はそのへんの文房具店やアクセサリーショップを覗いたあと、寿司屋に入って行った。「皆はえっちゃん(私が姑を呼ぶ時の愛称)が死んだと言ってたけれど、やっぱり元気でいたんだわ」と思い、安心したところで目が醒めた。
【解説】 本当はもっと長いストーリーだったのだが、最後の部分しか覚えていない。私の姑という人は、信じられないほど活動的でパワフルな女性だったが、数年前に92歳で大往生を遂げた(亡くなった時は、東京都台東区婦人団体協議会の理事長だった)。54歳も年上の姑のことを、私は友達感覚で「えっちゃん」と呼ばせて貰っていた。姑が亡くなった時、私たちはインドにいたため死に目に遭っていない。そのため「死」の現実感は稀薄で、今でもふと(えっちゃんは、どこかに隠れているだけなのでは?)と思う瞬間がある。夢の中で見た姑は、毅然として若々しかった。
【後日談】 朝、目が醒めたところに息子がやって来て、「今朝はどうも全身がだるいので、学校を休みたい」と言う。昨夜は元気だったが、どうやら寝ている間に風邪をひいたようだ。夢が本当になってしまったらしい。これから薬を貰うために出かけて来る。



20日●ASAP

広い大地。豊かな緑。そこは大昔の中国大陸のような気がする。雄大な風景であるにもかかわらず、「つわものどもが夢の跡」といったイメージが感じられる。『三国志』の登場人物である劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳、諸葛亮孔明、曹操孟徳らの姿が見えるが、見えたと思った時には既に消えてしまったあと。ときどき、「ASAP(as soon as possible=できるだけ早く)」の文字が虚空に浮かんでは消える。諸行無常のこの世の中でひとつの夢を叶えるには、よほどのスピードがなくては間に合わない。彼らはそう言いたいのだろう。夢の中でそのことを納得している私。
【解説】 歴史上の人物が登場する夢は珍しい。それも日本史ではなく中国史を彩る勇猛果敢な武将たちである。この夢からは、貴重なメッセージを与えられたように思う。



21日●もうひとりの仙人

人里離れた山奥のホテル。中国またはアメリカのような「強い国」の印象を受ける。姿はよく見えないが、3人の仙人(全員外国人で、白い髭をはやしている)が私に会いに来ているらしい。彼らは友好的で協力的。どうやらMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授のようだ。彼らとは別にもうひとり、頭の切れる仙人が存在するらしい。それは軍師タイプの天才で、3人の仙人とは行動を別にしているという。私は(何としても、その天才に会ってみたい!)と強く思う。彼に会うべく、謁見申込書のような書類を書いているところで目が醒めた。
【解説】 単なる直感に過ぎないが、今日の夢に登場した人々は実在するような気がする。そして将来いつの日か(それは明日かも知れないし30年後かも知れない)、きっと彼らに会う日がやって来る。夢から醒めた瞬間、そんな気がした。

【後日談】 夢を見たその日、私より1時間ほど遅く起きてきた息子が「それにしても妙な夢を見た」と言う。どんな夢だったのかと問うと、「自分は障害物競走に出場している。障害物を出してくるのは白い髭を生やした仙人なのだが、障害物を出すタイミングが絶妙で、ほとんど神の領域に達している。ちなみに、その仙人は青い龍を司っていた」とのことである。驚いた私が、「こちらの夢にも仙人が登場し、しかもそのうち最強の天才は不在だった」と答えると、息子は「その仙人は、俺の夢のほうに来ていたんじゃない?」と笑った。ちなみに息子は普段ほとんど夢を見ることがない(あるいは見ても忘れてしまう)人で、1年に1度見れば良いほうだという。それほど久々に見た夢が私の夢とリンクしたのである。なんとも不思議な気分だ。


22日●軍師現わる

軍師が、遂にすぐそこまでやって来たようだ。その人は諸葛亮孔明に似た、立派な髭をたくわえた人であるという。軍師の言葉には深い意味があるので、一言残らず書き留めておいて何度でも吟味せよと誰かが言う。夢の中で夢から醒めた私は、そのことをすぐに日記に記した。ところが、そのあとで更にもう一度夢の中で夢から醒めてしまい、ノートに書いたはずのことが実はまだ何も書けていないことがわかる。この時になって気づいたのだが、私の居る場所は武家屋敷のようだ。黒光りした太い大黒柱が印象的。すると今度は、軍師が同じ屋敷の中に到着したことがわかる。私は急いで軍師の控え室へ行き、そっとふすまを開けてみた。すると、そこにいたのは編集者の芝田暁さんではないか。ようやく軍師の正体がわかった。私は相手に気づかれないよう再びふすまを閉め、目にしたことの一部始終を記録する。書き終えたところで、今度こそ3度目の正直で本当に夢から醒めた。
【解説】 ここ3日間の夢は、どうやら「軍師シリーズ」だったらしい。20日、21日の夢では出なかったシリーズの結論が、22日の夢で一気に出た感じ。夢から醒めた瞬間、(ああ、なるほど)といきなり納得し、これでもう軍師の夢は当分見ないだろうと思った。ちなみに「広辞苑」によれば軍師の意味は、「@主将に属して軍機(軍事上の機密)をつかさどり謀略をめぐらす人、A巧みに策略・手段をめぐらす人」だそうだ。



23日●運命の輪

訪問着と紋付袴姿で正装した3人の男女が、静かに佇んでいる。近くには、どっしりとした古い民家。場面は急転し、大きな運命の輪が見える。私の人生には、いつもこの輪が付いて回るのだと思う。再び場面が変わり、広い大地の上で手をつなぎ、輪になっている数百人の人々。友達の輪らしいのだが、見知らぬ顔ばかりだ。左隣は若い男性。蒙古系の顔立ちではあるが、日本人ではないような気がする。
【解説】 このところ、タロットカードで「自分の運勢」を調べようとすると、いつも決まって「運命の輪(Wheel of Fortune)」のカードが出る。しかし、何十枚もあるカードの中から、たった1枚のカードしか出てこないというのは、いかにも不思議である。これはどういうことなのかと怪しんでいた、その気持ちが夢に現われたのだろう。私は以前インドで“Wheel of Destiny”(「運命の輪」の意味)という本を出版したこともあり、どうやら「運命の輪」と縁があるらしい。夢の始まりの部分は、前の夜に一瞬ちらっと見た映画『八つ墓村』のイメージが再現された感じ。



24日●高いところ、右側

私は見晴らしの良い高いところにいる(天から下界を見下ろしているのかも知れない)。眼下には非常に大きな場所(国または島?)があって、そこは4つのテリトリーに分かれているそうだ。私に与えられたミッションは、そのうち一番右側のテリトリーの右端ギリギリのところに、何かを命中させることらしい。気がつくと場面が変わっており、目の前には祖母と従弟がいた。祖母は嬉しそうに微笑んでいる。従弟が「これ、僕が描いたんですよ」と言いながら私にイラストブックを見せてくれる。なかなか上手なので、「もっと本格的に絵の勉強をしてみたら?」と薦める。そこは高層ビルの中らしいのだが、部屋の中には更に高さ10メートルほどのコンクリートの立方体のようなものが置いてある。私は祖母と従弟をその上に連れて行こうとする。左側からは登れそうにないので、右側にロープを垂らし、祖母を引き上げようとしている。再び場面が変わり、ホテルの廊下らしき場所。近くには窓がないので外界を見ることが出来ないが、ここもかなり高い建物のような気がする。ひと気のない廊下に息子が立っており、楽しげに笑いながら「こっちだよ」と右側を指差す。まっすぐに続いている廊下は、そこから右側に分岐していたのだ。私は息子に先導されるまま、右のほうに歩いて行った。
【解説】 今日の夢は3つのパートに分かれていたが、「高い」「右側」ということ以外に共通点は感じられなかった。夢に現われた祖母は、私が子どもの頃によく遊んでもらった大好きな祖母で、21年前に他界した。従弟のほうは15歳ほど年下で、最近は滅多に会うこともなく、彼に絵の趣味があるかどうかもわからない。何故この人が私の夢に現われたのか理由は定かでないが、そう言えば彼の名前も「タカシ」という。なお、夢分析では「右」は理性、「左」は直感と解釈するらしいので、この夢は私に理性的思考を勧めているのかも知れない。



25日●車窓の風景

気がつくと、私は列車に乗っていた。インドの、それもヒマラヤ山麓を走る鉄道のようだ。私の座席は、進行方向に向かって右側の窓際。空は真っ青に澄みわたり、すばらしく清々しい気分。ヒンディー語で印刷されたチケットを見ると、座席番号は9号車の9番となっている。それを見て、(この旅は幸先が好い)と思う。車窓に流れる風景を見ていると、時々その一部がふっとクローズアップして見える。初めて通りかかった家であるにもかかわらず、その中に住んでいる人の家族構成や、ひとりひとりの性格、これまで歩んできた人生などが、走馬灯のようにフラッシュバックして見えるのだ。それどころか、私には彼らの心の内までが読める。その中に、ひとりの愛らしい女の子の姿がはっきりと見えた。彼女は将来、日本語を習ってJapanology(日本学)を学ぶことになるだろう。彼女の名前はLまたはRで始まるような気がする。
【解説】 この夢を見る前日、私は今年出版予定のノンフィクションの原稿を書いていた。ちょうどインドの鉄道事故に関する記述を終えたばかりだったので、列車に乗る夢を見たのかも知れない。なお、前に浅草寺で編集者の芝田暁さんとお御籤を引いたところ、それぞれが「第九十九番」を引いたということは、以前の「週刊マミ自身」にも書いた。その直後に出張で芝田さんと長野に行ったときも、気がつくと座席番号は9号車9番。なにやら「99」という数字に縁があるようなのだ。そのイメージが心に残っていて、夢の中でも9号車の9番に乗ったのだろう。



26日●酒屋の惨劇

酒屋のレジ。レジの向こう側には、店主の顔が見える。店主はやや肥満体の初老の女性で、丸顔、目がパッチリしている。突然、誰かが庖丁(またはナイフ)を取り出して腹部を刺す。驚愕している店主の顔。
【解説】 非常に短い夢。刺した犯人の顔は見えない。また、誰が刺されたのかもわからない。ただ、刺された人の腹部が円く膨らんでいたので、被害者は肥満体または妊娠中の人かも知れない。殺人または傷害の夢ではあるのだが、血が飛び散ることも悲鳴が聞こえることもなく、まるでヒッチコック映画のように上品な感じのする現場だった。
【後日談】 ここに登場した「酒屋」は、現実世界で私がときどき立ち寄っている実在のお店なのである。夢を見たことを忘れかけていた3月30日の夕刻(5時〜6時のあいだ頃)、ワインを買うためにこの酒屋を目指し歩いていると、向こうから救急車が近づいて来る。道の脇によけていると、救急車はどんどん近づいて来て、酒屋の前で止まったではないか。あわててそちらに駆け寄ってみると、軒先に男が倒れており、苦しそうに腹部を抑えている。あたりは一瞬騒然となった。倒れていたのはホームレスの男性で、急に気分が悪くなって倒れたのだという(幸い生命に別状はなかった)。しかし夢のことがあったので、腹部を抑えて倒れている人の姿を見たときは思わず心の中で、(すわ! 殺人事件?!)と叫んでいた。



27日●泳いでチェコへ

気がつくと海中にいた。まるで人魚になったかのように自由に動き、呼吸することも出来る。泳げば泳ぐほど心身が開放されてゆく感じ。顔はよく見えないが、すぐ近くで数人の友達が泳いでいるらしい。私たちは楽しそうに笑い、お喋りながら、素晴らしいスピードで海を進んで行く。そうこうしているうちにチェコに着いた(衣服などは、このときにはすっかり乾いている)。そこは首都プラハではなく、森に囲まれた美しい田舎町だ。天文学者のあべっく星人さん(※チェコ在住の実在の人物。本名をもじって“あべっく星人”の愛称で呼ばれている)が満面に笑みを湛えて迎えてくれる。私たちは連れ立って地ビールを飲みに行くことにする。談笑しながら歩いているところで目が醒めた。
【解説】 2月27日は私の誕生日。この夢を見る直前に、ファンクラブ主宰者のさくらさんが誕生日チャット大会を開いてくださった。夜を通しての楽しいチャットで、参加者はribuさん、YUMIさん、姉ちゃん、飛鳥さん、あべっく星人さん、LiAさん、さくらさん。夢の中で一緒に泳いでいたのも、チャットと同じメンバーだったように思う。あべっく星人さんは実際にチェコで研究生活を送っておられ、チャット中はチェコの様子を色々と話してくれた。私たちは、「ファンクラブのみんなでチェコに行こうよ!」と、冗談半分に怪気炎を挙げていたのだ。チャットの楽しさがそっくりそのまま夢に現われた感じである。



28日●短編小説

豪華なつくりの雑誌が、開かれた状態で置いてある。最近新しく発売になった女性月刊誌らしい。編集長から7ページ分の原稿を依頼されて、私は短編小説(あるいはエッセイ?)を書くことにした。小説のタイトルは、「智」と「朗」の2文字を合体させた不思議な形の漢字1文字。最初のページが雑誌の右側になるか左側になるかで、この先の運命が変わるという。
【解説】 時間としては、ほんの一瞬の夢。「智」と「朗」が合体した文字などはもちろん実在しないが、漢字でありながら梵字のようにも見え、どこか宗教的なイメージを感じさせた。私は、何か仏教的なエッセンスが含まれた小説を書こうとしていたのかも知れない。



29日●新しい車、新しい本

編集者の芝田暁さんが新しい車で迎えに来る。重厚で貫禄のあるメルセデスだ。私が「前のお車よりも安定感があって、乗り心地が好いですね」と言うと、芝田さんは「この車なら、ヒマラヤの6,000メートル級の山までお送り出来ますよ」と笑った。昨日まで書いていた「死に関するノンフィクション」が早くも本になったようだ。芝田さんは、出来たての見本を持って来てくださったのである。非常に荘厳な感じのする表紙のデザインや、帯に書かれたコピーを見て、(この本はイケる)と確信している私。
【解説】 実際にはまだ執筆中の本が、夢の中では既に完成していた。吃驚するほど素敵なデザインに仕上がっていて、この夢からは色々なヒントをもらった。幸先の良い夢という感じ。





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