2004年3月


1日●Yさんの遺言状

Yさん(※実在する知人)の遺言状が、夢の画面いっぱいに拡がっている。和紙に毛筆でしたためたもので、年月が経たのだろうか、紙は茶色く変色している。私が見ているのは紙の裏側なのだが、不思議なことに、向こう側の文字がはっきりと透けて見える。つまり、私には文字が左右さかさまに見えているのだ。そのため、書かれている内容はよくわからないが、どうやらYさんは私に何か形見を残してくれたらしい。それは、哲学書全集とか百科事典のような、「知」に関する物のようだ。
【解説】 先日Yさんとお目にかかった時、(ああ、この人も年を取ったな)という印象を受けた。そのため、遺言状の夢などを見たのかも知れない。Yさんは一生を真実の探求に捧げた人なので、私には「知識」という遺産を残してくれたということか。


2日●ヒマラヤの空港にて

ヒマラヤの山道をおんぼろバスに揺られている。どうやら飛行場に向かう道らしい。まだ日が高い。夕方の飛行機に乗るためには、今からチケットを買っておかなくてはならないという。空港に着き、285円(※ルピーではなく、円)という半端な料金を支払って、私はチケットを購入した。飛行機の出発時刻まではまだ半日もあるので、再びバスに乗ってホテルのある村まで戻る。この間、見覚えのある中年婦人と話をしたような気がするが、よく覚えていない。夕方になり、私はまた、あのおんぼろバスに乗って空港に戻った。途中に小さな小屋(空港分室?)があって、そこではエア・インディアの女性スタッフ2人がチケットを確認している。なぜかよくわからないが、先ほど支払った285円とは別に、435円を徴収される。これはおそらく「袖の下」なのだろう。435円を支払う。空港のチェックイン・カウンターに行ってみると、なぜか小学校で同級だったM君がいて、「ああ、真美さん。お久しぶり。ヤマザキのやつ、今度○○○(※よく聞き取れなかったが会社の名前らしい)の部長になったんだよ」と言う。ヤマザキって誰?と思ったところで目が醒めた。
【解説】 ほとんどの時間をバスに揺られているだけで、たいしたストーリーはなかったが、ノスタルジックな感じの夢。なお、最後に登場したM君が言っていた「ヤマザキ」という人物が誰なのかはまったくの謎。


3日●千年の時を経て

気がつくと、古びた石の太鼓橋を渡ろうとしていた。私の前には国王と高僧、後ろには多くの従者がいるらしいが、彼らの姿は見えない。国王が若々しく張りのある声で「はっはっは。朕より先に歩く者がいるのかな」と言うと、高僧が慌てたように「これは失礼いたしました」などと応じている。私は自分の足下を見た。チベットまたは中国あたりの民族的な衣装に、先端にカバーのついた“ぽっくり”のような履物を履いている。水に写った自分の顔を見ると、1000年〜2000年前の王妃あるいは姫君のような不思議な被り物をかぶっている。このあと、台湾の裕福そうな老人(※やはり大昔の衣装を着ている)から“落款(らっかん)”を見せてもらったり、碁石を一回り大きくしたような形の茶色い菓子を食べたり、そのほかにも色々なことが起こったような気がするがよく覚えていない。次に気がついたとき、私は法王と対話していた。法王も私も現代にいるらしい。ゆったりと流れるおごそかな時間。私たちはマンダラについて話していたようだ。
【解説】 一晩で千年も二千年も生きたような心持ちのする、不思議な夢だった。舞台は日本ではなく、大陸。話していた言語が何だったのかは、どうしても思い出せない。この夢のほかにも、サイドストーリーのように短い夢をいくつか見たような気がする。
【後日談】 この夢から11日後の3月14日、茶道の稽古で供された菓子(三重県の深川屋という和菓子屋さんが作っている「関の戸」)が、夢の中で食べた“碁石を一回り大きくしたような菓子”にそっくりだった。色こそ茶色ではなく白だったが、それ以外は見た目も味も食感もまったく同じ。よそでは見たことのない珍しい形の菓子だったので、お茶の席でこの菓子が出たときには心から驚いてしまった。


4日●名医

一寸法師のような愛らしい風貌の医師(男の子)がやって来て、特効薬の名前が記された紙を置いてゆく。
【解説】 ここ2〜3日風邪気味で、この夢を見る前夜までかなり胃腸の調子が悪かった。新薬を何種類か飲んだが治らないので、(明日は病院に行ったほうが良いのかな)と思った途端に、この夢を見た。

【後日談】 夢の中で教わった薬(昔から売られている一般的な漢方薬)が家にもあったことを思い出し、急いでそれを服用してみた。すると、ほかの薬ではさっぱり治らなかった胃腸の痛みがあっという間に引いてしまった。夢に現われた医師は、まさに名医だったと思う。


5日●ケララの空港にて

夢の前半で、私は過去に友達だった誰かと田舎町を旅している。どうやらそこは南インドのケララ州のようだ。一緒に旅をしている相手はインド人のようだが、顔は見えず、性別さえわからない。旅を終えて、同じケララ州内の別の場所に戻って来ると、そこに見知らぬ中年夫婦(太ったインド人)が待っていた。私はこの家を間借りして住んでいたらしい。夫婦のうち、夫は感じの悪い男だが、妻は人の好い女。彼女は、決して上手ではない英語で、さかんにジョークを口にしている。皆に別れを告げた私は、ジープに乗り換えて空港に向かった。気がつくと、小さな空港に着いていた。ひと気はなく、周囲は見渡す限り広大な大地。夕焼けの空が赤と青に染められてドラマチックだ。インドというより、アメリカかオーストラリアの空に似ている。空港には私以外にもうひとり、飛行機を待っている老人(白人?)がいた。私は黙って空を見ている。
【解説】 このところ空港の夢をよく見る。2日のヒマラヤの空港に引き続き、今日はケララの空港だ。共通しているのは、どちらも「到着」ではなく「出発」のイメージであること。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「空港」の意味は「自己変革」、「旅立つ」の意味は「意欲の高まり、目標達成のパワーが充実した状態」となっている。



6日●宴会の準備

小さな中古住宅を購入したらしい。かつて宇野千代さんがお住まいになった家だという。場所は、青山と代々木上原の間のどこか。家は完全な日本家屋で、おそらく2階建て。小さな庭が付いている。友達を招いて宴会を開くことになり、その準備をしている私。誰が招いたのかわからない前日の客がふたり残っている。見たことのない中年男性だ。特徴のない顔立ちで、ふたりとも眼鏡をかけている。酔っ払っている彼らは腰を上げようともせず、いつまでもグズグズしているので、次のお客さんが来ることを告げて立ち退いてもらった。ようやくふたりの男が消えたところで、私は大急ぎで掃除と食器洗いを始める。彼らが「洗っておいた」という食器はまったく洗えていない。気持ちが悪いのですべて洗い直す。そこへ息子から電話がかかってきて、「いま渋谷駅に着いたところだけど、何か買って行こうか?」と言う。その言葉に甘えて、マグロの刺身と菓子を受け取って来てと頼む。やがて数人のお客が一度にやって来た。全員、若い女性だ。その中にNさんの顔が見えたので「お酒を買いに行って欲しい」と頼んだところ、横で聞いていたRさんが「Nさんだけだと、途中で全部飲んじゃう可能性がありますから、私も一緒に行きますよ」。それもそうだと思い、ふたりで行ってもらうことにする。ふたりは渡されたお金を財布には入れず旗のようにヒラヒラ振り、バレリーナのようにくるくると回りながら賑やかに出かけて行った。
【解説】 NさんとRさんは、先日のチャット大会にも参加してくれたファンクラブの常連さん。ふたりとも非常にノリが良く、頭の回転が早い女性たちだ。Nさんとは現実世界でもお会いしたことがあるのでお顔がわかるのは当然としても、お目にかかったことのないRさんのお顔までが夢の中ではハッキリと見えた。もしも、実際のお顔と夢で見たお顔が同じだったらビックリである。※Rさんへ。この日記をご覧になっていたら、是非とも顔写真を送ってください(笑)。

【後日談】 このページをお読みになったRさんから、カードに貼られた写真が送られてきた。写真には同年代の女性が4人写っていて、「この4人の中の1人が私です。本物はどれか、当ててください」というRさんからの挑戦状(?)が添付されている。写真は何かのパーティー会場で撮影されたものらしく、4人の女性たちは右から順に、派手なピンクのドレスをまとった女性、黒いドレスをまとった女性、スパンコールのドレスをまとった女性、既にドレスから普段着に着替えてしまった女性である。写真を見た瞬間、私にはどれがRさんがすぐにわかったので、Rさんに次のようなメールを送った。「Rさま カードをパッと開いた瞬間、左から2番目のスパンコールの人が目に飛び込んできました。髪型は全然違っていますけれど、この人だと思います」。すると、Rさんからは次のような返事が届いた。「その通り!! 全くもってその通りなのですが・・・、ス…スゴイ!」。やはり、夢で見た人はRさん本人だったのだ。それにしても、現実世界で一度も会ったことのない人が夢の中に現れるとは、一体どういうことなのか。…夢とは、ますますもってミステリアスである。


7日●半人前の死

すぐそばに、見たことのない男女がいる。何か理由があって私たち3人は一緒に行動しているのだが、内心、私はこの男が好きではない。口先ばかり達者で、行動が下品だからだ。女のほうは、ほとんど存在感がない。男は道端で立ち止まると、道行く人たちをつかまえて「自分の理想の死」について滔々と述べ始めた。それによると、彼はある日駄馬に乗って歩いていて、駄馬ごと穴に落ちて死ぬのだそうだ。しかし、穴の深さが普通の穴の半分しかないため、普通の人の半分の努力で生き返ることができるのだという。「俺は半人前の軽薄な男だから、その分、死のインパクトも半分しかない。生き返りに要するエネルギーも半分で済むのさ」と語る男の話を聞いて、私は(この男、軽薄な振りをしているが、計算し尽くされたしたたかさは只者ではない)と思い、男を少し見直した。
【解説】 現在、「死」がテーマのノンフィクションを書き下ろしているため、死というものについて毎日のように考えをめぐらしている。そのためにこんな夢を見たのだろう。なお、男の顔は知人のTさんによく似ていたが、Tさんの顔は、学歴詐称で一躍有名になった国会議員と似ている。



8日●活気のある家

シドニーに家を買ったらしい。大きな中古住宅で、以前ヘミングウェイが住んでいたことがあるという。開放的な感じのする細長い家で、大きな明るい窓が印象的。木製のベッドで眠っていると、娘が起こしに来た。見ると、全身緑色ずくめの、実に不思議な服を着ている。くるぶしまで隠れるようなローブに、鍔(つば)が付いた高さ50センチほどの帽子。これが新しい学校の制服らしい。「そろそろ出かけるから」と言うので玄関まで送って行ってみると、外は大雨。新居には、まだ傘の用意もない。タクシーで行こうにも、この国にはタクシーがないらしい。「大丈夫、歩いて行くから」と、娘は平気そうだ。確かに、道を歩いている人たちも雨に濡れながら平気な顔をしている。温かく、気持ちの好い雨。娘が出かけたあと、大勢の若い女性たちが家にやって来た。初めて会う人たちなのに、昔からの友達のように屈託なくお喋りをしている。白人も黒人もいる。活発で明るい人ばかりだ。急に場面が変わって、どこか広々とした河原のような場所。おそらく日本らしい。25歳ぐらいになった息子(※実際には中学生)が隣にいる。身長も180から185ぐらいあって、もうすっかり一人前だ。ほかにも若い男性(息子の友達らしい)が大勢いる。全員、知的で誠実な感じのする子ばかりだ。
【解説】 一昨日に引き続き、家を買う夢である。“かつて一流の作家が住んでいた家”に、“若くて明るい人たちがやって来る”という状況設定まで同じだ。ヘミングウェイがシドニーに住んだという話は聞かないが、私の大好きな作家なので夢に登場してくれたのだろう。現在インターナショナル・スクールに通っている娘は今年6月にハイスクールを卒業、そのあとはいよいよ大学進学である。彼女の住むところを探さなくては、と思っている気持ちが夢に現れたのだと思う。



9日●太陽と3人の賢者

前後関係はわからないが、非常に見晴らしの良い場所に座って、日の出を見ている。神々しく力強い感じのするオレンジ色の太陽を目にして、「昨日までとは違う、新しい朝」を実感している私。近くに3人の賢者が座っている。全員男性で、ひとりは日本人、ひとりは白人。最後のひとりは、顔ははっきりと見えないが日本人でも白人でもないようだ。皆、黙っているが、誠実で安定したバイブレーションが感じられる。彼らは明らかに私のサイドに立ち、惜しみない協力や助言を用意してくれている。
【解説】 先月21日の夢に登場した3人の仙人と、今日の夢に現れた3人の賢者は、顔こそ違っていたがイメージ的には同一人物を表わしているのかも知れない。太陽のオレンジ色にフレッシュなエネルギーが感じられ、印象的だった。



10日●ヴィジョン

政府機関が秘密裏に新しい審議会を発足させた。任じられた審議員は3人で、私もそのうちのひとり。私たちの仕事は、色々な人に関する極秘資料(写真や履歴書)を見て、その人がどのような人物であるかを占うこと。私には不思議な眼力が備わっていて、資料をぱっと見ただけで、その人の過去の姿や未来の行動が見えてしまうのだ。私の目の前には、KSさん(日本の芸能人)の写真と履歴資料が置いてある。それを見ていると、私の脳裏に彼が過去に取った様々な行動がヴィジョンとして見えてきた。
【解説】 昨日の夢では「3人の賢者」が私を精神的にサポートしてくれていたが、今日の夢では立場が入れ替わり、私自身が「3人の賢者」のひとりになっていた。実はつい最近、ある高名なアーティストから「あなたの直感で私の未来を占って欲しい」と頼まれた。そんなことがあったので、このような夢を見たのかも知れない。



11日●国境の長いトンネルを抜けると韓国だった

近未来型の新幹線らしき乗り物に乗っている。一般乗客は見当たらず、関係者だけに披露された試運転らしい。窓の外に見える風景は、闇また闇。列車が通過しているのは、気が遠くなるほど長いトンネルだ。そうやって何時間も座席に座っている私たち。不意に、眩しい光がいっぱいに差し込んできた。どうやらトンネルから抜け出したらしい。私たちは外の風景を確かめるために、急いで車輌の外へ走り出た。するとそこは、なんと韓国ではないか。新幹線はついに海底トンネルを通って韓国まで開通したのだ。
【解説】 日本と韓国の間は海底の地盤がやわらかく、トンネルを掘ることは難しいとかつては言われていた。しかし現在の技術をもってすれば、問題なくトンネルが掘れるという。そんな話を前日に関係者から聞いたばかりだったので、早速その光景が夢の中に現れたようだ。



12日●白人の男性

すぐ横に、白人の男性が見える。年齢は私±5歳ぐらいで、知的で温厚な感じ。背が高く、何か理系のアーティスティックな職業に就いているようだ(たとえば建築家とか)。この人と私は、協力して一緒に仕事をしたいと望んでいるようだ。
【解説】 具体的なストーリーは全く思い出せない。但しその人の顔はハッキリと見えたので、もしもその人にバッタリ逢うようなことがあれば、すぐにも思い出せるだろう。



13日●大蛇

見たこともないような大きな蛇が、私のところにやって来た。それは世界一大きなサイズの、しかもキングコブラ並みの猛毒を持った蛇である。気がついたとき、蛇は既に箱の中に入っていた。箱というのは、洋菓子屋さんがショートケーキを入れるときに使うような、ペラペラした紙製の箱だ。その中に蛇を入れ、箱はさらにスーパーで貰うような薄いビニール袋に入れた。紙とビニール越しに、中にいる蛇の感触が私の指に伝わってくる。箱の中でずるずると音を立てて、蛇は静かに動いている。かなりの重量。本来この蛇は、近づく人を片端から噛み殺してしまうらしいのだが、私に対しては何故か非常に従順だ。
【解説】 この夢の中で、私は蛇自体の姿は見ていない。見てはいないが、それは金色の混じった茶色の蛇だったような気がする。

【後日談】 やはり13日の夜、色・サイズともに全く同じ蛇が、お茶の教室でご一緒のNさんの夢の中にも現れていたことが判明した。そのことを聞いたお茶仲間からは、「蛇の夢を見ると金運が良いそうよ。Nさんも真美さんも宝くじを買ったら?」と盛んにけしかけられた。


14日●ギャンブラー

世界中を旅している。近くに信頼できる男性がいるような気がするが、黒子のように目立たない人で、その姿はよく見えない。行く先々で、私はさまざまな種類のギャンブルに挑戦する。結果は全戦全勝。私のギャンブラーとしての名は、次第にその世界で有名になってゆく。
【解説】 具体的なことは全く思い出せないが、何か手先の器用さを要求される類いのギャンブルだったような気がする。イメージとしては、テイタム・オニール主演の『ペーパー・ムーン』のように、少しノスタルジックでお洒落な夢。



15日●鵜飼い

春の昼下がり、屋形船に乗っている。貸切の船に同乗しているのは、外国からの客人を含む10人ほど。知った顔はいないが、誰もが和気藹々としている。川面がゆらゆら揺れて、夢幻的な感じ。これから伝統的な鵜飼いを見せてもらえるらしい。私たちは喜んで船から身を乗り出して待つ。やがて鵜飼いが始まった。年老いた鵜匠(うじょう)は、花咲爺さんが着ていたような不思議な衣装を身につけている。この川は、どんどん遡って行くとインダス河の源流に通じているのだという。インダス河までは何日かかるのだろう、と思ったところで目が覚めた。
【解説】 現代というよりは、昔話の世界を旅してきたようなレトロ感覚の夢だった。

【後日談】 夢から覚めた日の午前中、岐阜にゆかりのあるブータン関係者から連絡があった。「今年の夏にブータンから要人が来日なさる際に、岐阜の長良川で鵜飼いをお見せしてはどうか」という申し出である。「鵜飼い」と聞いた瞬間、虚をつかれて思わず絶句してしまった。このところ、本当に驚くほど夢と現実がシンクロする。身近にあるアイテムが夢の中に現れるのなら不思議はないが、「鵜飼い」などという非日常的で突拍子もないアイテムまでがシンクロするあたりが、奇妙でならない。


16日●雪山を登る

ひとりで山小屋に行こうとしている。まず下の村から列車に乗り、山の裾野まで行きたいのだが、それはいつ廃線になっても不思議のない赤字路線らしい。あたり一面、雪に覆われている。切符の買い方がわからず困っていると、車掌さんらしき人が券売機の場所を教えてくれる。次に、たまたま居合わせた若い男性が親切に買い方を教えてくれた。どうやら切符を買って列車に乗ることが出来たようだ。気がつくと、山の中腹を歩いていた。かなり斜度のきつい山で、そのうえ雪が腰のあたりまで積もっている。少し先に人家が見えたので、休ませてもらおうと思う。この家で優しそうなお婆さんに逢い、お茶と漬物をご馳走になったような気がするが、よく覚えていない。そのあと、何かとんでもなく可笑しなことがあって、私はお腹の皮がよじれるほど爆笑した。生まれてから、こんなに笑ったことはないほどの大笑いだ。しかし、何が可笑しくてそんなに笑ったのか、理由は思い出せない。
【解説】 このあと、いくつか別の夢を続けて見たような気がするが、内容は覚えていない。切符の買い方を教えてくれた親切な男性は、俳優の西島秀俊さんだったと思う。朴訥として幸せなムードの漂う夢だった。



17日●10人の黒幕たち

日本人の生死に関わる重大な事柄について、有罪か無罪かを決める陪審員のような10人の男たちがいる。世間では彼らの存在はまったく知られていないが、世の中で起こっている大事件のほとんどは、実は彼らが裏で関与しているのだ。10人は全員が60代〜70代の地味な男たち。そのうちのひとりで、眼鏡をかけて痩せた男が、私と一緒に長い廊下のようなところを歩いている。彼は確かに、「この強風は大地震の前触れです。早くお逃げなさい」と言ったような気がする。本当に実力のある黒幕は、公の場所には姿を現さないと言う。(なるほど。裏で日本を統治していたのは彼らだったのか)と思ったところで目が覚めた。
【解説】 東京地方は昨日から風が強く、夜中も突風が吹き荒れていた。私の寝室はビルのペントハウス(最上階)にあるため、風の音も半端ではない。ベランダに置いてある観葉植物が根こそぎ倒れてしまうのではないかと心配で、夜中に何度も起きてしまった。その不安な気持ちが夢に現われたのだろうか。



18日●10人の魔法使いたち

あらゆる人間のDNAを秘密裏に操作している10人の魔法使いがいる。全員が男性で、年齢は20代から60代ぐらいまで多岐にわたるようだ。あらゆる身体能力やIQ、病質などは、すべて彼らによって決定されている。魔法使い(と言っても白衣を着ており、見た目は普通の研究者なのだが)のひとりが私の近くに来た。顔はよく見えないが私より10歳ほど若そうな日本人だ。IQを高くする(あるいは身体のウィークポイントを改善する)ための方法を教えてもらったようだが、内容を思い出せない。教えてもらう際に、何か交換条件を持ち出されたような気もする。気がつくと研究所の地下らしきところにいた。娘と息子が恐ろしく早口な英語で「ゲノム・プロジェクト(Genom Project)」に関する議論をしている。その横で夫が、ゆっくりした英語で「顔の相似(Facial Similarity)」について語っている。それを聞いた娘と息子が「Facial SimilarityよりもFacial Conformityのほうがこの場合は適当なんじゃない?」と横から意見を述べている。それを聞いて私はようやく、(先ほどの男と交わした交換条件は、家族全員に「遺伝(Heredity)」のテーマで英語のディベートをさせることだったのだ)と思い出した。このときになって私は、昨日の夢にも10人の黒幕が登場したことを思い出す。(それにしても、彼らは何故いつも10人なのだろう。ユダヤの失われた十部族と何か関係があるのだろうか)と思った瞬間、いきなりフィルムがプツンと切れたような唐突さで夢は終わった。
【解説】 「10人の男たちが人類の運命を決定づけるようなことを裏で操作している」というパターンは、前日の夢とまったく同じ。10人の中のひとりが、私に有利な情報をそっと教えてくれるという部分も似ている。この夢が何を意味しているのか心当たりは全くないが、もしもこの先、10人の男性から成る組織や会合に関わる機会があったら、注意して状況を見たいと思う。
【後日談】 夢から4日後の22日、海外からのVIPをメインゲストに迎えたオフィシャルなディナーに招かれた。出席者は男性ばかりで、私は紅一点。テーブルを囲んで座った男性の人数を数えてみると、8人である。年代的には下は10代、いちばん上は60代。しかも(これは途中でわかったことだが)、この日のディナーには本当はあとふたり出席が予定されていたのだが、何かの都合で急遽キャンセルになったのだと言う。つまり、本来ならばその日の男性客は全部で10人だったのだ。ディナーを終えた私が出口に向かい廊下を歩いていると、出席者のひとり(某国から来日中の高級官僚)が近づいてきて、「海外での出版」のことで耳寄りな情報をそっと教えてくれた。この出来事は、夢の内容と完全に一致しているわけではないが、パターンとしては17日と18日の夢にひどく近似していたように思う。なお、ディナー出席者の中にユダヤ系の男性はいなかった。



19日●縁談

(俳優の)唐沢寿明さんが私に縁談を持ってくる。相手は大学病院の院長らしい。しかし私は、実は唐沢さんの息子と結婚を前提に付き合っているのだ。唐沢さんはそのことをまったく知らないらしく、この縁談を強力に推し進めようとする。
【解説】 前日、就寝前にTVコマーシャルか何かで何度も唐沢さんを見かけた。それで唐突にこんな夢を見たのだろう(ちなみに私はめったにドラマを観ない人なので、唐沢さんがどんな仕事をしていらっしゃるのかも知らない)。夢に出てきた「唐沢さんの息子」は30代後半の男性だった。年齢的にもまるで辻褄が合わない、おかしな夢。



20日●格闘家

どことなくボブ・サップに似たプロの格闘家が、ふたりの弟子とともに夢の画面右側に立っている。画面左側には、若い頃スポーツが得意だったという普通の中年男が立っている。私は傍観者。プロの格闘家が「俺の顔面を思いっきり一発殴っていいぞ。俺は絶対に抵抗しないから」と約束する。中年男が言われたとおりプロの顔面を殴ると、プロは約束を破って中年男の顔面を思い切り殴り返してきた。中年男はふらふらした足取りで画面からフェードアウトし、閻魔大王のところへ行った。プロは弟子たちに「あいつはどうせ、俺の悪行を閻魔大王に言いつけるに違いない。見に行こう」と言う。ところが中年男は閻魔大王に向かい、「今日は本当に良い日でした。プロの格闘家にお会いすることが出来ました」と感謝の言葉を述べているではないか。これを聞いたプロの格闘家は改心し、以後、善人になることを誓う。
【解説】 なにやら道徳の教科書に出て来そうなストーリー。プロに殴られる中年男は、今月2日の夢に登場し「ヤマザキ」という謎の台詞を吐いた小学校時代の同級生M君ではないかと思う。しかしM君と私は全く交流がないので、何故この人が1ヶ月に2度も夢に現れたのかは不明。



21日●もどかしい朝

どこかの山中で日本文化デザイン会議を開催中らしい。皆、トロッコで移動している。鄙びた宿に泊まったようで、気がつくと5人ほどで朝食を食べていた。女優の蜷川有紀さんが斜め前の席に座っていたことだけは覚えているが、あとは誰がいたのかわからない。何の変哲もない田舎料理だが、蕎麦だけはまあまあ美味しい。ミュージシャンのサエキけんぞうさんが会議の準備で早朝から動き回っているらしく、姿が見えない。私は急いでサエキさんを呼びに行った(携帯電話は圏外で通じない)。トロッコに乗り、山を2つ3つ越えて遠くまで探しに行く。トロッコが鈍(のろ)く、もどかしい。ようやくサエキさんが見つかり朝食の席まで連れて来てみれば、ほかの皆は既に退出してしまったあと。食事も片付けられている。サエキさんをその場に残し、厨房に行って蕎麦を注文する私。ところが厨房にいた女の子(美人)は頭のめぐりが悪く、「はぁ?」と言っているだけ。埒が明かないので、板長に直接頼みにいく。板長はテレビで見かけるお笑い芸人さんだった(私は芸能人の名前をよく知らないのだが、「雨上がり決死隊」のメンバーで前髪をバツンと切っている方の人)。しかし彼はそばつゆを作るのに、フライパンの上でルーを溶かしてフランス料理のような作り方をしている。もどかしいので、「ちょっと私にやらせてください」と言ってフライパンを手にしたところで目が覚めた。
【解説】 すべての手際が悪く、ひどくもどかしい夢。正夢にならないことを祈る(笑)。



22日●芸術的な壁

ヨーロッパ風の古い屋敷の内部。限りなくオフホワイトに近い薄ピンク色の壁には、芸術的な落書きがふたつ並んでいる(そのうちひとつは人物画だったと思う)。ピカソの落書きかも知れない。そこへ数人の女性がやって来て、あっと言う間にペンキで落書きを塗り潰してしまった。この芸術が理解できないとは、なんと気の毒な人たちだろう。しかし彼女たちには、そもそも美に心を動かされるだけの感受性が欠如しているのだ。文句を言うだけ時間の無駄と思い、私は黙って床掃除を始めた。別の壁には、大きく引き伸ばされフレーミングされた写真が何枚か飾られている。それを見て、(LiAもここに写真を飾ったらいい)と私は思った。
【解説】 壁の落書きは、円と三角形が組み合わされた幾何学的な線描画で、描かれていたのは女性の姿だったと思う。「LiA」は娘の名前。ハイスクールの学生で、既に何度か絵画個展を開いている。



23日●操縦桿

航空会社のマイレージがたまり、特別な遊覧飛行に招かれた私。気がつくと既に機上の人だった。定員100名前後の旅客機(DC10?)で、夜景がはっきりと目視できるほどの低空飛行。3列ほど前の席に建築家の黒川紀章さん(MIBのような黒いグラサン姿)が乗っておられ、私のほうを向いてニッと笑いながら軽く手を振ってよこした。同じ飛行機には娘も乗っているようだが、姿は見えない。着陸直前になって、乗客全員がそれぞれの席の前に取り付けられた操縦桿を操作しなければ着陸できないことが判明する。私は操縦桿の操作方法を知らない。(ちょ、ちょっと待って)と思っている間にも機首は斜め下を向き、機体はどんどん下降し始めた。私の右隣に、顔は見えないが私が全幅の信頼を置いている人が座っていて、瞬時に操縦桿の操作方法を完璧に教えてくれた。自信を得た私は、両手でゆっくりと操縦桿を引いた。
【解説】 眼下の夜景が素晴らしく美しい夢。印象的だったのは、右隣の人から何かアドバイスを受けただけで“瞬時に”操縦桿の握り方を理解できたこと。夢の中なのに妙に達成感があって、起床後の気分が爽やかだった。



24日●海辺の書斎

どこか海辺の町に書斎を買ったようだ。雰囲気としてはジャマイカかキューバあたりの、カリブ海の国という感じ。窓からは道行く人やココヤシの木が見える。書斎は一本の細長い道に面していて、私の書斎は西のはずれ。人々は頭に荷物を載せ、裸足で歩いている。その道をずっと東に歩いて行って、突き当りを右に曲がったところに、入り口にフラミンゴの看板が掛かった洒落たバーがある。民芸品や小物も売っている。私は毎日ここへ顔を出して、濃い目のダイキリを飲むらしい。場面が変わり、丘の上に立って畑を見下ろしている。眼下の広い大地には、あちこちに緑が芽吹いている。前に蒔いておいた種がついに芽を出し始めたのだ。私はそこへたっぷりと水を撒こうと思う。
【解説】 今月は6日、8日、24日と計3回も「家を買う夢」を見た。そのなかでも今回は、家の使用目的が「書斎」とハッキリしている(前回のふたつの夢も、それぞれ宇野千代さんとヘミングウェイの家を買うのだから、書斎であることはほぼ間違いないだろうが)。以前、南インドはケララ州の海辺の村に書斎を借りていたことがある(インドでは外国人が不動産を取得することは出来ないので、このときは“購入”ではなく“賃貸”だったが)。窓越しに揺れるココヤシやバナナの葉っぱを眺めながら『マンゴーの木』の原稿を書いていると、漁師さんが獲れたての魚を売りに来たり、行商人が神様の像やらお香を売りに来て、毎日がとても楽しかった。インターネットなどもちろん通じておらず、30分もバスに乗って行かなければコピー機やファックスすら使えなかったが、そうやって苦労して出版社に原稿を送るのも一興だった。私は結果よりもプロセスをよほど大事にする人間なので、そういった不便さは基本的に大好きなのだ(ちなみに、このとき垣間見た村の印象をベースに書いた小説が『ブラック・アンブレラ』である)。将来的にはアマゾン流域、または南太平洋に浮かぶ小島の小さな漁村に書斎が欲しい。3度も続けて夢を見たことだし、そろそろ買い時なのだろうか。



25日●買い物

漁村を歩いている私。昨日の夢に見たのと同じ場所のようだ。バザールで寝具を買おうと思う。財布(がまぐちタイプのもの)を開けると、中に見たことのない紙幣や硬貨が入っている。
【解説】 長い夢だったのだが、この一場面しか思い出せない。前日の夢からの続きなのかも知れない。現実世界では“がまぐち”を使うことはないが、夢の中に出てきた“がまぐち”は色とりどりのビーズで編まれた素朴なもので、そのあたりの人たちは皆、財布と言えばこのタイプを使っているようだった。中に入っていた紙幣や硬貨に見覚えがないということは、この国が私にとって未知の国と言うことだろう。



26日●私の死

民家の前にたたずんでいる。隣に息子がいる。建物の中では「私」が死んでいるらしい。早いところ「私」を片付けてしまおうと思う。夫が小さなビニール袋を2枚持ってきた。1枚は緑色。もう1枚は白。受け取る私。こんな小さな袋に「私」が入るだろうかと、少々疑問に思う。
【解説】 死んでいたのは古い私、死体を片付けていたのは新しい私だったと思う。何か、過去は過去として割り切って、古い自分(の死体)を淡々と葬っているという感じの夢だった。隣に息子が立っていたのは、未来につながってゆく遺伝子の象徴のように感じられた。



27日●大荒れの海

海が大荒れに荒れている。その海を、エンジン全開で驀進してゆくモーターボート。操縦しているのは息子だ。生まれて初めて経験する、信じられないほどの時化(しけ)である。船体にしがみついていないと吹き飛ばされてしまう。夫は平気そうにボートの真ん中あたりで仁王立ちになっている。娘は船酔いしたらしく船尾のほうで黙っている。私も次第に気分が悪くなってきた。ようやくモーターボートが着いた島には新築の白い家があった。ここが私の新しい書斎らしい。荷物を運び入れるたびに、何度もモーターボートで港と島の間を往復する息子。彼は海が荒れていることなどまったく気にならないようだ。よく見ると、誰もライフジャケットを身に付けていない。すぐにライフジャケットを買いに行こうと提案する。もしもブースケ(※飼っているシーズー犬の名前)が海に落ちたら、あっという間に溺れてしまうだろう。ブースケのライフジャケットも急いで特注しなくてはと思う。
【解説】 前日、ダイビングが趣味の友人と船酔いの話をした(私はかつて海洋学部に籍を置いたことがあり、調査のためによく沖に出ていたので、時化のときの船酔いの苦しさを知っているのだ)。その友人との会話が、このような形で夢に現われたのだろう。海辺の町に書斎を買うというストーリーは24日と25日の夢にも登場しており、私の中で(海辺に書斎が欲しい)という気持ちが高まっていることの現われかも知れない。なお、ブースケが夢に登場したのは今回が初めて。



28日●ピンクのセーター

見知らぬ町。娘が横にいるようだが姿は見えない。素朴な感じのする雑貨店に入ると、そこにピンク色のモヘアのセーターが積まれていた。わざとザクザクに編んだセーターで、まるで網のよう。中が完全に透けて見えるので、何かの上に着るしかない。黒いハイネックシャツの上に重ねてみると、黒の冷たさをピンクがほんのり打ち消してくれて、なかなかいい感じ。しかし黒を身に付けると老化が進むという話を思い出し、黒シャツはやめた。代わりに、白地に水色のバラの模様が入った長袖Tシャツの上にピンクのセーターを重ねてみる。甘く優しい感じ。ピンクのセーターの値段は、驚いたことに1枚10円だという。袋に入ったものが5枚、袋から出ているものが3枚あったので、私は袋に入ったもの5枚を全部買うことにした。
【解説】 子どもの頃、ピンクの服を着せてもらえなかった。「真美ちゃんにピンクは似合わないわよ」というのが母の主張で、「黒やベージュや紺のほうがお利巧さんに見えるから」とシックな色ばかりを着せられた。子ども心に(お利巧さんに見えなくてもいいからピンクが着たい)と思ったのだが、やはり母には逆らえず、大人っぽいシックな色ばかりを着せられていた。だから私の中には、(ピンクを着てみたい)(しかし、私には似合わない)というトラウマ(笑)が今も心の隅にきっとあるのだ。夢の中のピンクのセーターは大きな網の目状態に編んであるため、ピンクの分量は非常に少ない。ピンクを着たいけれどピンクを着てはいけないという心の動きが、夢の中で「ピンクだけれど、全然ピンクが目立たないセーター」を妥協点として作り出したのかも知れない。なお、数日前に友人から「黒を肌につけていると老化が早まるらしい」という話を聞いた。その言葉が気になっていて、夢の中で黒いシャツを拒んだのかも知れない。



29日●桜の香り

直径5メートル、高さ15センチほどのヒノキの盥(たらい)いっぱいに、色とりどりの和紙の短冊が入っている。それぞれの短冊には花の香りが塗り込められているらしく、室内にはえも言われぬ芳香が漂っている。茶道の荒井宗羅先生が神妙な面持ちで正座なさって、長い櫂(かい)のようなもので盥の中をゆっくりとかき回していらっしゃる。盥の中を埋め尽くした何千枚もの短冊の中から、桜の花の香りを見つけた人が勝ちだという。盥の横に正座した私は、精神をよく集中させてから、盥の中でひときわ美しく見えた淡い桜色の短冊を取り上げた。
【解説】 3月29日、東京は桜が満開。私は昼(上野公園)と夜(新宿近辺の某所)の2度もお花見をした。さらにその2日前の3月27日には、鎌倉の鶴岡八幡宮で“聞香”にチャレンジしてきた(詳細は「週刊マミ自身」第127号をご参照ください)。今日の夢の中では、“聞香”で全神経を嗅覚に集中させたときの心地よい緊張感と、華やかなお花見のイメージがミックスされていた感じ。



30日●おかしな箪笥

取材のため、ヒマラヤのラダック地方に来ている。同行者は男性が3人で、全員がインド人またはチベット人のように見える。ホテルにチェックインし、それぞれの個室に入ってみると、壁の部分に作りつけの引き出しタイプの箪笥(たんす)があった。それはおかしな箪笥で、壁を隔てた隣の部屋と共用するようになっているらしい。つまり、どの部屋からでも、同じ箪笥の引き出しが引けてしまうのだ。それぞれの段は浅く、厚みはせいぜい5センチほど。段数は全部で20〜30段ほどある。それぞれの段には「ヤマダ」「ツェリング」「ジグメット」などと名前の書かれたステッカーが貼ってあり、自分の名前が書かれた段だけを使うシステムなのだそうだ。鍵は付いていない。私たちは何のトラブルもなく、この箪笥を共用した。そうこうしているうちに、無事に取材が終わったらしい。私たちはホテルをチェックアウトし、ラダックをあとにする。
【解説】 現実世界でも6月にラダックを取材することになっている。私にとっては3度目のラダック。今から楽しみだ。なお、『夢の辞典』(日本文芸社)によれば、「箪笥」は「社会に適応する能力や順応性」を意味しているそうだ。



31日●宇宙船

大きな丸いものがある。和。いにしえ。雅。宇宙船に乗っているらしい。「竹取物語」を思い出す。私の身の回りを世話してくれる女官らしき人(紫式部?)が何かを告げにくる。鷹揚にうなずいて歩き出す私。女官もあとに従って来るようだ。御前会議。宇宙船の行く先が決まる。平和なイメージ。大きな丸いもの。永遠の命。高く高く昇ってゆく。
【解説】 私の夢にしては珍しく、ハッキリとしたストーリーはない。「円」「大きい」「雅」「上昇」のイメージ。遠くでジョン・レノンの「イマジン」が流れていたような気がする。





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