2004年11月


1日●スパイと鬼ごっこ

ニューヨークと思われる街の雑踏の中を、ブラックスーツを着た3人の男たちが歩いている。彼らは明らかに私を探しているようだ。彼らに少しでも触られると、私も彼らと同じスパイになってしまうらしい。複雑に入り組んだ路地の、建物の外側に付けられた螺旋階段のあたりに身を隠して、私は相手の動向を見極めようとしている。
【解説】 先月も3人の男たちと鬼ごっこをする夢を見たが、あの時の相手は釈迦、キリスト、聖徳太子だった。今日の相手は打って変わってブラックスーツを着たスパイである。そう言えば現実世界では、もう長いこと鬼ごっこなどしていない。最後に鬼ごっこをしたのは、子どもたちが幼かった頃だろうか。夢の中の鬼ごっこは妙に臨場感があって、現実以上にスリリングだった。


2日●侍

私は幕末の侍らしい。刀鍛冶のところへ行って、刀の準備が終わるのを待っている。畳の上で静かに正座していると、大きな目が印象的な女がやって来て、一服の茶を立ててくれた。その挙措を美しいと思う。しかし私は女嫌いの上、かなり厭世的な考え方の持ち主なので、女よりも刀、あるいは書道や茶の湯のほうを好むらしい。
【解説】 時間にして1〜2秒ほどの短い夢。自分自身の姿は見えなかったが、かなりハンサムで腕の立つ侍のようだった。


3日●宇宙ステーション

巨大な宇宙ステーション。私はこれから銀色の乗り物に乗って、どこか遠いところへと旅立つのだ。どうやら息子が、このプロジェクトの責任者らしい。私は宇宙旅行最年長者だから、ギネスブックにも載るだろう。世界中のマスコミが取材に来ている。杖も人の助けも必要とせずに、私は背筋を伸ばし、ゆっくりとした足取りでハッチに向かって歩き始めた。
【解説】 昨夜の夢と同様、今夜の夢もほんの一瞬の映像だった。自分の姿も息子の姿も見えなかったが、おそらく私は白髪をきちんと結い上げ、洒落たデザインのオレンジ色(または黄色)の服を着ていたのではないかと思う。


4日●夢の中の夢、そのまた夢

恐ろしく長い夢。その中で、私は旅をしながら人と逢い、原稿を書き、寝て、食べて、淡々と生活を営んでいる。劇的なストーリーといったものはなく、断片的なシーンだけが幾つもイメージとして頭に残っている。海が見える。山が見える。肌の黒い人が見える。肌の白い人が見える。風が吹いている。笑いさざめき。空間。静寂。安らぎ。諦め。悟り。夢の中で私は、おそらく1ヶ月以上は旅をしていたのではないだろうか。それらの夢の中で、私はさらに夢を見ている。そして、夢の中の夢の中でも、さらに夢を見ている。そうした夢のすべてを、私は夢日記に記し続けている。
【解説】 演劇用語に、劇の中で劇をする「劇中劇」という言葉がある。しかし今日の夢の中で私が見たものは、それより遥かに複雑だ。夢の中で夢を見て、そのまた夢の中で夢を見るという、言ってみれば「夢中夢中夢」なのである。それはまるで、私の深層心理がいくつもの階層に分かれていて、みずからの意識が1階からAフロアの地下中2階へ、さらにAフロア地下4階へ、そこから今度はBフロア地下3階へ…というふうに昇降し続けるような、なんとも不思議で神秘的な体験だった。


5日●吊り橋を渡る少女

大荒れの海を前にして、上等な総レースのドレスを着た西洋人の幼い女の子が、父親と手をつなぎ立っている。少女からほんの数十メートル離れたところには、大きな貨物船が停泊中で、そこに行くためには仮設の吊り橋を渡らなくてはいならない。吊り橋は、細長い木片をつなぎ合わせただけの代物で、波に洗われて左右に大きく揺れ続けている。少女がこの橋を渡りきるためには、少なくとも膝のあたりまで海水に浸かる覚悟が要る。それどころか、へたをすると波にさらわれて溺れ死ぬ危険さえあるのだ。それでも少女は、何としてでも吊り橋を渡って船のところまで行かなければならないらしい。船内には母親か誰か、とても大切な人がいるのかも知れない。少女の父親は痩せて無口な男だが、優しい顔立ちで、少女のことを心から愛しているようだ。この時から数えて数十年後、少女は当時を振り返って、吊り橋をわたった時の心境を赤裸々に綴った本を出版した。夢の中では、その本を読み上げるナレーターの声がBGMのように響いていた。
【解説】 この夢はまだまだ続く気配だったのだが、残念なことに途中で目覚し時計が鳴り、夢も中断してしまった。貨物船の中に誰がいたのかは、最後までわからずじまい。


6日●能楽堂にて

能楽堂の正面の席に座り、開幕の時を待っている。今日の出し物は、観世流の「船弁慶」のようだ。シテは誰だったかしらと思い、ハンドバッグの中からパンフレットを出して確かめようとしている私。
【解説】 残念ながら、肝心のお能が始まる前に目が醒めてしまったが、ゆったりと優雅な時が流れる夢だった。



7日●白洲正子さんと生命力チェック

テレビ番組に出場している。出場者がふたり一組で何かにチャレンジするという内容の番組らしい。私は白洲正子さんとチームを組んでいる。すぐ目の前に、「生命力の強さを測る機械」が見える。この機械に向かって手をかざしただけで、すぐに生命力の強さが“1”から“100”までの数字で表示されるようだ。番組のアナナウンサーから、「この機械が表示し得る最高値は“100”ですが、“100”は神域、つまり神と同程度の生命力であることを意味します。ちなみに、これまでの挑戦者の最高は“74”です」という説明があった。機械が読み取るのはふたりの生命力の平均値なので、挑戦者のどちらかひとりの生命力が低いと、たとえもうひとりの生命力が強くても優勝は望めないという。白洲さんと私は無言で頷き合ってから、同時に機械のほうに向かい手をかざした。その途端、一挙にゲージが急上昇し、黒っぽかったスクリーンが真っ赤になって、「96」という数字がデジタル表示された。会場がどよめく中、白洲さんと私は冷静に、「あら。ちょっと悔しい数字ねえ」「そうですね。“100”はさすがに無理としても、この次は“99”を目指しましょう」などと感想を述べ合っている。
【解説】 先月29日に引き続き、テレビ番組で何かにチャレンジする夢だ。それにしても、チームを組んだ相手が白洲正子さんとは、夢の中とはいえ光栄なことである。



7日●シニア応援団

1冊の本が見える。おそらくそれは、私自身が書いた近著なのだろう。本の巻末には、「真美ちゃんガンバレ」の大文字。どうやら私よりも20歳以上年上の人たちが、応援団を創設してくれたらしい。私たちはその団体を「シニア応援団」と名づけた。
【解説】 今夜の夢は非常に短く、ほとんど一瞬で終わってしまった。



8日●父と新蕎麦

新蕎麦を食べるために、父を連れて戸隠高原へ行く。この店は、父が一番好きだった蕎麦屋なのだ。食卓を隔てた真正面に、父の笑顔が見える。しかし、これが儚い夢だということを、私は理解しているらしい。その時、どこからともなく弟が現われて、「僕も今夜、オヤジさんの夢を見ましたよ」と言った。私は(これは果たして夢? それとも現実なのか?)と思っている。
【解説】 父も私も信州生まれのせいか、蕎麦が大好きである。父と一緒に食べた食べ物と言えば、何と言っても蕎麦を思い出すほどだ。大好きな蕎麦を食べているにもかかわらず、全体に淋しい雰囲気の漂う夢だった。
【後日談】 夢を見た翌日の11月9日夕方、長野(実家)の母から電話が入った。病気療養中だった父の容態が急変し、一刻を争う状態だという。急いで新幹線に乗って長野に戻り、どうにか父の死に目に遭うことが出来た。夢の中で美味しそうに新蕎麦を食べていた父は、おそらく思い残すこともなく、満ち足りた気持ちでこの世から旅立ったように思う。なお、生前の父にとって一番の好物(食べもの)は「戸隠蕎麦」だったかも知れない。


9日●懐かしい場所

夢の中で、色々な懐かしい場所を歩いている。どこか物悲しい気持ち。それらはもう二度と行けない場所だということを、私は十分に理解している。

【解説】 これは、父が亡くなった晩の夢である。次々に懐かしい場所が目の前に現われたが、それらは脈絡がなく、また色彩も消えていたような気がする。


10日●林檎畑を歩く

土の感触。懐かしい場所。ひと気のない細い道。道の両側は、どこまでも続く林檎畑だ。父が死んだことを実感しながら、林檎畑の中を歩いている私。もう二度と父には逢えないのだ。寂しさで心は一杯だが、それは致し方のないことなのだ。そのことを、私は自分に納得させている。
【解説】 9日に父が亡くなり、10日は通夜だった。これは通夜の直後に見た夢。


11日●父の葬儀

父の葬儀を執り行なっている。司会の女性が、父の生前の想い出について色々と尋ねてくる。私は父について、想い出すままに語っている。しかし限られた時間の中では、すべてを語ることはとても不可能だ。父の想い出を語りながらも、私は心の中で(これは結局、他人には理解できるはずもないことなのだ)と悟っている。
【解説】 現実世界でも、11日に父の告別式を済ませた。その夜に見た夢がこれ。


12日●双子の兄弟

高いビルの屋上。子どもの玩具らしきミニカーが走っている。私が誤って車にぶつかってしまうと、車の中から二人の男が現われた。背の高い、ハンサムな双子の兄弟だ。年齢は私と同じぐらいだろうか。彼らは何か親しげに話し掛けてくる。もしかしたら、この二人は私の従兄弟なのかも知れない。
【解説】 意味がよくわからない夢だが、これも父の死と関係しているような気がする。夢に登場した双子は、現実世界における私の従兄弟たちとは姿かたちが少し違っていたものの、あるいは彼らの存在を示唆しているのかも知れない。


13日●父の葬儀と双子の兄弟

父の葬儀の段取りを打ち合わせている。近くには弟と、司会の女性の姿が見える。そこへ、昨日の夢にも現われた双子の兄弟が再び現われた。彼らは親しげに、そして懐かしげに微笑んでいる。やはり彼らは私の血縁者なのだと思う。最後に編集者の芝田さんがやって来て、何かとても励みになる一言を言ってくれた。
【解説】 今日も父の葬儀の夢である。昨日から今日にかけての夢に登場した双子の兄弟は、私を励まし力づけるために登場してくれたのだと思う。


14日●ふたりのコメディアン

コメディアンの庄司歌江さん(「かしまし娘」の長女)が、体にぴったりフィットした黒いレオタードを身に付けて、アクロバティックな体操を披露している。その、あまりにもしなやかでメリハリのある体型に、驚嘆している私。そこへ、同じくコメディアンの柳沢慎吾さんが現われて、いつものお茶らけた様子でポーズをとりながら、何かを渡してくれる。受け取って見ると、それは固形の入浴剤だった。この入浴剤は、全身の筋肉痛にとてもよく効くらしい。今夜の入浴タイムは、これを使ってみようと思う。
【解説】 今夜はどうやら、おかしな体勢で眠ってしまったらしい。眠りから醒めてみると、全身がひどく凝ってしまっている。早朝から風呂を沸かし、いつも使っている入浴剤(「草津温泉ハップ」)を入れて入浴した。庄司歌江さんや柳沢慎吾さんといったコメディアンには、日頃まったく縁がない私だが、一体どういう理由があって唐突に夢に現われたのだろう。不思議である。ただ、これは単なる直感だが、昨日・一昨日の夢に現われた双子の兄弟と、今日の夢に現われたふたりのコメディアンは、形こそ違っていたが、どちらも同じ役割を演じていたような気がする。つまり、夢の中で私を励まし、元気づけるという役割だ。


15日●人生という名の旅

懐かしい風景。長野市の善光寺裏にある山に似た風景。そこは、私が学んだ高校かも知れない。初恋の人が笑っている。この人も幸福なのだとわかり、私は心から嬉しくなる。暫く間があって、今度は両親と弟の姿が見えた。皆、笑っている。私も笑っている。私たちは、戸隠の山中を軽くトレッキングしているようだ。木々の緑が美しい。私たちは蕎麦屋を目指しているようだ。あるいは、京都に行こうとしているのかも知れない。気がつくと再び場面は変わり、白っぽいジープに乗っていた。車内には、夫と娘と息子、それに愛犬のブースケとパンダもいるようだ。そこはおそらく、インドのヒマラヤ地方なのだと思う。サイドミラーに手をかざし、鏡に映った自分を見ている。娘(息子?)が、「その鏡に手をかざすと、別の世界に行けるよ」という意味のことを言う。気がつくと、車中の人は編集者の芝田さん、小学館の高木さん、写真家の森川さんとアシスタントの木内さんに変わっていた。このあと、何かとてつもなく素敵なことが起こったようだ(ただし、それが何だったのかは思い出せない)。人生は旅なのだと実感している私。
【解説】 今夜は一晩中夢を見ていたような気がする。自分の大好きな場所や大好きな人たちが次々に現われる、最高に幸わせなムードの夢だった。


16日●弟と栗菓子

目の前に弟が立っており、何か言いながら菓子折りのようなものを差し出した。それを受け取っている私。開封してみるまでもなく、長野県小布施町にある某栗菓子屋の包みだとわかる。赤茶と紺の2色で「栗」の字が書かれた包装紙のデザインに、見覚えがあるのだ。しかし、その店の屋号をどうしても思い出すことができない。(このデザインはC堂、あるいはS甘精堂? O堂でないことだけは断言できるんだけど……)などと考えを巡らしている私。
【解説】 この前にも何かストーリーがあったのかも知れないが、よく覚えていない。なお「O堂」「C堂」「S甘精堂」は、それぞれ長野県小布施町にある有名な栗菓子屋さんの屋号である。
【後日談】 夢を見た直後、家族に向かって「赤茶と紺の2色で“栗”って書かれた包装紙は、どこの栗菓子屋さんだった?」と尋ねてみたが、やはり家族の皆も屋号を思い出すことはできなかった。実は、昨夜から拙宅には弟の娘(つまり私の姪)が泊まっているのだが、家族との会話のあとで姪が泊まっている部屋に行ってみると、「昨夜は渡すのを忘れていましたが、これ、長野からのお土産です」と言って、例の赤茶と紺の2色で「栗」と書かれたデザインの包装紙に包まれたものを差し出すではないか。少し吃驚しながら、「これと同じお菓子を、夢の中でも貰ったわよ」と言うと、事情のわからない姪は(あたりまえだが)キョトンとしていた。現実に姪から渡された栗菓子の箱は、夢の中で弟から渡された箱の、優に2倍はあった。なお、普段の私は栗菓子を食べないし、弟がこの菓子を買っているところを見たこともない。


17日●海

海が見える。ひと気のない海岸。小さな舟。風にひるがえる白い帆。後ろ姿の男。旅立ちの日。
【解説】 断片的なイメージだけが残る、一瞬の夢。これはただの勘だが、夢で見た場所は紀伊半島のどこかだったような気がする。


18日●髪の長い少女

大型バスに乗って、日本国内を旅している。窓の外には美しい紅葉の景色が見える。私の隣の座席には、髪の長い少女が座っている。私は少女の年上の友達、あるいは姉的な存在らしい。彼女は小柄で、スリムすぎるほどスリムで、女らしいフリルのついたベージュ色のドレスを着ている。物静かな少女で、無垢で夢見がちなムードが全身から漂っている。少女には好きな男性がいて、彼は同じバスの最後部座席に座っている。彼も少女のことを愛しているが、照れ性なのか口下手なのか、そのことを公にはしていない。休憩時間にバスが止まった短い時間のあいだに、ふたりは言葉を交わし、お互いの気持ちを確認しあったようだ。やがて休憩時間が終わり、再びバスが出発した。後部座席のほうから、男性が友人たちから冷やかされている声がした。友人たちは、からかいながらも男性の恋の成就を応援している様子だ。私も、隣に座った少女の幸福を心から祈っている。さらにバスは走り続け、ほどなく大きな神社の前を通りかかった。驚くほど明るい感じのする神社だ。「この神社の境内で、もう一度彼とお話がしたい」と少女が言う。バスは神社の前で止まった。私は、くすぐったいほど優しい気持ちになりながら、少女の恋の成就を願っている。
【解説】 マシュマロか綿菓子のように甘く、ほんのり優しい気持ちに染まる夢。目が醒めた時、(もっと夢の続きを見ていたい)と思ったほど、今日の夢は心地良かった。


19日●灰色のガウン

「旧約聖書」の登場人物たちが着ていたような、古めかしいデザインの灰色のガウン。丈は、踝(くるぶし)まですっぽり隠れるほど長い。そのガウンを着て歩いている私。隣には同行者がいる。それが男性なのか女性なのか定かではないが、私たちは、その場にはいないもう一人の人間について話している。私たちはこれからその人物のところへ行き、何かの相談に乗ってあげるらしい。すぐ近くに、一抱えもあるような大きな蟹の存在を感じる。私はその蟹を食べたようだ。
【解説】 今夜の夢の中では、「蟹」が非常に印象的だった。気になったので、久々に『夢の辞典』(日本文芸社)で調べてみたところ、「蟹」の意味は「防衛本能」。「蟹を食べる」の意味は「強い母性本能」となっている。今月9日に父が亡くなって以来、自分の血縁というものを従来以上に意識するようになった。「母性本能」うんぬんは、そのことと関係があるのかも知れない。


20日●竹の中

細長い筒のような部屋。ほっこりとした暖かな光が射している。心地良いまどろみ。外から誰かが筒を開けようとしている。その時になってようやく、ここは竹の内部で、私はこれから竹取の翁によって外に出される運命なのだと知る。光が大きくなる。私は居住まいを正し、翁の驚く顔を想像している。
【解説】 時間にして4〜5秒の短い夢。竹の内部はシンプルな造りで、どこか宇宙船を思わせる光沢があった。


21日●飢餓状態の仔犬たち

見覚えのない狭い部屋。天井から、シーズー犬が30匹ほど網で吊るされている。彼らはここで、何かの仕事をさせられているらしい。ブースケ(※愛犬の名前)とは比較にならないほど弱々しい犬たちだ。恐る恐る触ってみると、まるで骨と皮のように痩せ細っている。もう長いこと、食べ物、飲み物を一切与えられていないのかも知れない。何か食べさせてやるものはないかと思い、ポケットの中を探ったが、あいにく犬用のビーフ・ジャーキーが1枚あるだけ。これではとても30匹の犬を賄いきれない。仕方なく、はさみでジャーキーを細かく切り刻み、そこへ紙を小さく切り刻んだものを混ぜて増量して、当座の餌にすることにした。その時、部屋の隅でガサゴソという物音がして、シーズー以外の別の小動物(ウサギとネズミを足して2で割ったような愛らしい顔の生き物)が遠慮がちに登場した。彼らも空腹を訴えている。私はさらに紙を切り刻んで、餌を増量する。そこへ誰かが、大量の食糧を持ってやって来た。肉、魚、穀類、野菜、何でもある。これでもう、犬たちが飢える心配はなくなった。ほっと安堵しながら、部屋いっぱいの小動物たちに給餌している私。
【解説】 先月20日の夢の中でも、たくさんの動物たちに給餌する夢を見た。その時の餌は「サイコロ程度の大きさに切ったトマトと、細かくちぎった紙片、生肉、それに普通のドライフード(犬用)を混ぜたもの」。ここでも何故か、紙を細かく切って餌に混ぜているではないか。現実世界では考えられないことだが、この夢の意味は一体どういうことだろうか。ちなみに『夢の辞典』(日本文芸社)によれば、「紙を破る」の意味は「これまで抱えていた問題が解決する」または「証拠を隠滅する」意味とのことである。


22日●3つの旅

2匹の愛犬(ブースケとパンダ)を従えて旅をしている。途中から、見たことのない大きな黒犬が仲間に加わっていた。どうやらそれは、昔飼っていた猟犬のベアらしいのだが、すっかりやつれて面変わりしている。ひどく苦労したのだろうと不憫に思う。そのほかにも、犬と同じ大きさの影のような色のキリンなど、見たこともない幻想的な動物が何匹かそばにいるようだ。気がつくと場面が変わっており、私は親戚の者たちと一緒に車で旅をしている。屋根が三層か四層に複雑に入り組んだ奇妙な形の建物の屋上に全員で登ってしまい、降りるのに難儀している。どうやって屋上に登ったのか定かではないが、降り方は梯子を使うしかないらしい。姪のK子が梯子を降りようとした拍子に足を滑らせ、危うく落下しかけた。それを見ていた叔母たちが、「この場所は危ないから、早々に立ち去りましょう」と言う。私たちは、屋上の薄い屋根の上に駐車させてあった車をバックさせて、その場から去る。再び場面が急転し、気がつくと幼い息子と二人でどこかを旅していた。星空が綺麗な夜で、そこは広い草原のようなところらしい。これからイベントが行なわれるらしく、周囲には大勢の人々が集まって、楽しそうに会話している。私も息子と何やら楽しげに話している。不意に山の向こうからロケットが打ち上げられた。ピンクと薄紫の綺麗な炎が見える。わっという歓声が上がり、あちこちから「まあ、いいものが見られたわね」「ロケットの打ち上げ現場に居合わせるなんてラッキーだなぁ」などという声が聞こえる。ところがその2〜3秒後に別のロケットが打ち上げられ、さらに2〜3秒後には再び別のロケットが打ち上げられたではないか。観衆は驚いたように、「こんなに立て続けにロケットを打ち上げても大丈夫なの?」と囁き合っている。案の定、3基のロケットは空中でニアミスまたは接触してしまったらしく、そのうちの1基が私たちのいる草原のすぐ右前方に墜落してきた。ほうぼうから上がる甲高い悲鳴。次の瞬間、凄まじい音を立ててロケットは地面に横倒しになった。墜落と同時に爆発するかと思いきや、ロケット本体が爆発するまでには少しの間があるらしい。私は息子の手を引いて駆け出しながら、「ロケットが大爆発するから、大急ぎで逃げるのよ!」と叫んだ。周囲の人々も大パニックを起こしながら、ロケットと反対の方向に向かって一斉に走り出す。数秒の後、耳をつんざく大音響とともにロケットは爆発炎上。炎が凄まじい勢いで野原を這うように広がる。全力で走っている息子と私を追い越して、炎はさらにその先まで燃え広がった。しかし不思議なことに息子は無傷で、私は右膝の下に小さな火傷を負っただけで事なきを得た。
【解説】 今夜の夢は3つのパートに分かれており、それぞれの夢の中で私は家族や親戚、愛犬など、ごく親しい相手と「旅」をしていた。2つ目の夢と3つ目の夢は明らかに恐ろしい内容なのだが、何故か夢を見ている心境は楽しく、事件が起こっているにもかかわらず私は安心しきっていたように思う。なお、ロケットが空中で接触、墜落する場面は、拙著『死との対話』の冒頭にも書いた航空機同士の正面衝突事故のイメージが夢に現われたものかも知れない。


23日●たこウィンナー

枕もとで目覚し時計が鳴っている。見ると5時半だ。私はおもむろに起き上がって、そのままキッチンに向かう。息子のお弁当を作ろうと冷蔵庫を開けると、中は誰かから貰った大量のウィンナー・ソーセージで満杯だ。ウィンナーの端を短冊状に8本に切り、それをフライパンで炒めて、たこウィンナーを作ることにした。弁当箱の中は、見る見るうちに大量のたこウィンナーで一杯になる。海苔があったので、それを使ってひとつひとつのタコに鉢巻を巻いてやった。そこへ息子が起きてきて、弁当箱の中を覗きながら、「ちょ、ちょ、ちょっと待った! あのですね、俺は来年から高校生なんですけど。こんな恥ずかしい弁当、持って行けませんから」と言った。しかし結局のところ、息子は文句を言いながらも、たこウィンナー満載の弁当箱を持って出かけて行った。
【解説】 このあと、現実世界でも本物の目覚し時計が鳴り、たこウィンナーを作ったことはすべて夢だったのだとわかった。ちなみに今日の息子の弁当箱の中身は、たこウィンナーではなく、ハンバーグ、シュウマイ、鞘インゲンのおひたしetc.。そう言えば子どもたちが大きく育ってしまい、たこウィンナーなど久しく作っていない。いずれ孫ができたら、また作るとしよう。


24日●ダルマサンガコロンダ

日本とフランスは全面戦争に突入したらしい。しかし、町の様子に普段と変わったところはなく、人々は何食わぬ顔で歩いている。どうやらこの戦争は、社会のごく根深いところで、密かな情報戦として行なわれているらしいのだ。諜報機関の建物の中なのだろうか、飾り気のない無機質な部屋が見える。一見祭壇のように見えるのは、実は世界史を揺るがす事実を隠したキャビネットだ。部屋には既に娘が潜行していた。私は彼女に「今すぐ“ダルマサンガコロンダ”と言いなさい」と短く告げる。この言葉を口にした瞬間、日本側の勝利が確定するらしい。
【解説】 以上の夢の内容だけ見ると、何やら全く意味がわからない。しかし、今日の夢に登場したひとつひとつのピースは、実は現実世界で昨日起こった事柄の組み合わせに過ぎない。昨日は在日韓国人のLさんとお目にかかり、「“ダルマサンガコロンダ”は韓国語で“達磨さんが歩いて来る”という意味である」という話を伺い、また夜になってからは(仕事のため)「世界の軍服・武器リスト」なるシロモノに目を通していた。また、昨夜は娘とスーパーマーケットに行き、「ラ・フランスと日本の梨はどちらが美味しいか」について話した。今夜の夢は、さだめしこれらのピースがごちゃごちゃにシャッフルされた結果だろう。


25日●「ポ」を探す

「ポ」の音で始まる言葉と、その言葉に隠された意味を探している。「ポ」は日本語でも英語でもヘブライ語でもなく、おそらくサンスクリット語ではないかと思う。サンスクリット語で「ポ」は「魂」を意味するのだ。私は、「ポ」のあとに続く言葉を捜して、全文を完成しなければならない。道にはたくさんの文字が落ちているが、それらを組み合わせてみても、なかなか「ポ」の続きとして適当な言葉にならない。おそらく、正しい答えはここ日本には落ちていないのだと思う。「ポ」の続きを求めて、私は再びヒマラヤを登ることにした。
【解説】 現実世界でも、「ポ○○」というサンスクリット語がテーマの研究をしている。夢の中では、「ポ」に続く言葉が解明されていないことになっていたが、現実世界には、「ポ」の次に来る2つの文字は既に解明済みである。ところで、読者の方からもよくご指摘いただくのだが、私の夢には「言葉」や「数字」が頻繁に登場するようだ。そう言えば少し前にも、道路に色々な数字が落ちていて、それを拾い集めるという内容の夢を見たように記憶している。『夢の辞典』(日本文芸社)によれば、「拾う」の意味は「棚ぼた式に幸運をつかむ前兆。何を拾ったのかを思い出せば、どんなチャンスが近づいているのかわかります」とのこと。夢の中で2度も「言葉」や「数字」と拾ったいうことは、それらの言葉や数字にまつわるチャンスが私に近づいているということだろうか。


26日●飛び出す目

夢の画面の右側から左側に向かって、魚が何匹か群れになって泳いできた。彼らが一斉にこちらを向くと、まるでバネがついた玩具の眼球のように、魚たちの目が一斉に飛び出した。これは何かの劇なのか。その、あまりにも滑稽な光景に、私は思わず吹き出している。暫くすると、今度もやはり画面の右側から左側に向かって、数人の人々が歩いてきた。彼らが一斉にこちらを向くと、やはり眼球も一斉に飛び出して、バネの先でゆらゆら揺れている。そういえば生まれて初めてアメリカに行った1979年、眼球がバネで飛び出すジョーク・グッズを買ったものだが、これもそうしたジョークの一種なのか。そこへ大学教授と思しき小太りの中年男性が現われて、「理由なんてどうでもいいじゃありませんか、まさにおめでたいんだから」と言った。
【解説】 これは、取材先の熊野古道(和歌山県)から東京に戻る車中で見た夢である。前夜、お土産を買うために寄った商店で、食用の「魚の目玉」を見た。健康のために魚の眼球を食べる人がいることは知っていたが、この店で見たシロモノは、驚くほど大きな眼球だった。今夜の夢は、そのイメージから生まれたものだろう。それにしても、最後のオヤジギャグは一体何なんでしょう(笑)。


27日●死体を棄てに来る男たち

見たことのない山の中。私はそこに山小屋を持っている。山小屋は2階建で、どこか昔の学校を思わせる懐かしく温かな造り。そこへ、色々な男たちがやって来る。男たちは、昔どこかで遭ったことのある顔ばかりで、彼らがここにくる目的は、死体を棄てるためだ。穴を掘って埋めるのではなく、彼らは死体を山中に置き去りにすると、そのまま無言で立ち去ってゆく。その一帯には香りの好い木々が茂っている上、風通しがよく、風葬には最適の土地なのだ。しかしよく見ると、男たちが棄てているのは彼ら自身の死体ではないか。男たちが本当に捨てたいのは、みずからの過去なのだと思う。そこへ学生時代の友人のT君がやって来た。年老いたお母さんを伴っている。彼が住んでいる地方では、未だに年老いた親を姨捨山に捨てなければならないらしい。母親想いのT君は母親を棄てることができず、人目を忍んでここまで逃げて来たのだという。私はT君に、「大丈夫。ここにいれば、お母さんは絶対に安全だから」と請け負った。
【解説】 「死体を棄てる」などと言うと、何やらおどろおどろしいものを感じるが、実際にはむしろ静かで詩的な感じのする夢だった。知った顔の男性が大勢現われたような気がするが、具体的に覚えているのはT君の顔だけ。T君は学生時代の友達で、とても誠実な人である。しかしT君のお母様は、T君が幼い頃に亡くなったと聞いている。にもかかわらず何故このような夢を見たのか、理由はさっぱりわからない。

【後日談】 この夢から醒めた翌朝にメールをチェックしたところ、なんと、久しぶりにT君からのメッセージが届いていたではないか。このように、夢を見た直後にその本人から何らかの連絡があるというパターンがしばしば起こるのは、実に面白い現象だと思う。いわゆる以心伝心ということなのだろうが、こういう不思議は、案外多くの人が体験しているのではないだろうか。


28日●船上のクリスマスツリー

夜の海。暗く静かな水しぶき。潮の香り。私は岬の突端に立って、海を見ている。左にはシドニー港があり、そのままずっと右のほうに進むと、そこは日本だ。左のほうから一隻の船が姿をあらわした。シドニーと日本を結ぶ定期船のようだ。船上には無数のクリスマスツリーが飾られている。青と白の2色のライトが点滅するツリーの群れは、幻影のように美しい。船の動きは、あたかも能役者の足運びのように無駄がなくスムーズだ。あまりにも静かなその動きに、(もしやこれは幽霊船では?)と怪しんでいる私。その時、舳先に立つA子さんの姿が見えた。A子さんは髪を切ったようだ。彼女の表情からは、静かな狂気が読み取れる。何か危険なものを感じて、私は急いで右のほうに向かって全速力で走り始めた。A子さんを救えるかどうかはわからないが、今の私にできることは、彼女の肩を抱きしめてあげることだけだ。
【解説】 蛍のようにまたたくクリスマスツリーの光が印象的な夢だった。なお、A子さんは実在の人。現実世界で見る彼女は穏やかな人だが、夢の中では、まるで笹の枝を手に能舞台に立つ狂女のような、静かだが圧倒的な迫力を感じさせた。何故このような夢を見たのかは不明。


29日●柱

私は人間ではなく、柱として存在している。白っぽい色合いの、天まで伸びた立派な柱だ。そしてそれは、「母性」を象徴するもののようである。私の両側には、常にふたつのものが在る。私は彼らに支えられており、同時に彼らも私の母性によって生かされている。最初のうち、両側にはふたりの息子たち(長男と次男)がいた。彼らの名前は「海幸彦」「山幸彦」のような気がする。その次に見た時、両側の存在は仔犬と豆(おそらくアズキではないかと思う)に変わっていた。
【解説】 これまた意味不明な夢である。特に、最後に登場した豆(アズキ)の意味がわからない。気になったので『夢の辞典』(日本文芸社)で調べたところ、「豆」の意味は「知恵の象徴、成長の可能性」であるという。なお現実世界の私には、息子はひとりしかいない。


30日●イカへの献血

海の底。1匹の巨大なイカが見える。その周囲には小さな生き物(子どものイカか?)も見える。巨大なイカは、何らかの理由で大至急輸血の必要がある。このイカのために、私は献血をすることにした。何故ならば、このイカの命を救えるのは私の血液だけだからだ。イカに対する献血は、人間に対する献血と違い、注射針で血液を採取するという方法は取らないらしい。どんな方法なのかよくわからないが、注射針のような痛い器具を使わず、血を見ることもなく、イカへの献血はごく簡単に行なえるようなのだ。私の血液によって、巨大イカは完全な健康を取り戻すことが出来た。
【解説】 少し前にもイカの夢を見たように思い、過去の夢日記を調べたところ、7月27日にもやはりイカの夢を見ていることが判明した。その夢の中で私は、イカのイラストが描かれた看板を持って立っているのだ。今夜の夢は、「イカへの献血」という超非現実的なシチュエーションである。私は毎日イカを食べなくては気が済まないほどの大のイカ好きなので、「献血」は、イカに対するせめてもの感謝の気持ちのあらわれかも知れない。




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