2004年9月


1日●大地を埋め尽くす×××(その2)

起伏のある、ゴルフ場のような地形の広い場所。その上に、何か白く平らなものがたくさん並んでいる。白いものは、全部で39枚(?)あるようだ。私はそこで強化合宿のようなことをしている。何日間かの合宿のあと、自分がこれまでに比べて格段に強くなっていることを実感する。誰かコーチのような人がいて、私たちは心から楽しそうに談笑している。清々しい気分。
【解説】 先月30日の夢の続きらしい。今日の夢の中でも、白いものが何なのかハッキリしたことはわからず仕舞いだったが、それはやはり私の将来に大きな意味を持つもののようだ。来週は、ダライ・ラマ法王にお会いするためにヒマラヤに行くことになっている。単なる直感だが、そこへ行くと“白いもの”の秘密も解けるような気がする。


2日●宗教学者の死

有名な宗教学者のX博士とその夫人が並んで立っている。私は上梓したての拙著を届けに来たようだ。その本は、何か宗教がらみの内容らしい。ところがX博士は、タイトルを見るなり突然ヒステリーを起こし、(英語で)「日本人のキミにこんな本を出す権利はない!」などと喚き始めた。夫人がそっと私に「気にしないでね。この人、ちょっと錯乱してるだけだから」と耳打ちする。それから暫くして、X博士が死んだとのニュースが入る。彼は誰かと話しているうちに激昂し、そのまま頭の血管が切れて昇天したのだそうだ。(あの人は最後まで悟れない人だった)と思う。そのあと、なだらかな起伏の続く丘陵地帯に行ってみると、白く平らなものが見渡す限り並んでいる。それを見て、(ああ、この白いものは、これから私が出版する本に関係しているのだ)と、漠然と感じた。
【解説】 またしても、大地を埋め尽くす“白いもの”の夢である。今夜の夢の中では、“白いもの”はこれから出版する本に関係しているらしいことがわかった。いずれにしても、あの“白いもの”は私にとってラッキーな何からしい。なお、X博士は実在の人物。研究者としては一流で、話も面白い人なのだが、前後の脈絡なく突然怒り出したりすることでも有名である。

【後日談】 夢を見た2日後、古い友人に東京の赤坂でバッタリ逢った。そもそもそれ自体が奇遇だったのだが、その人の口からいきなり飛び出したのが、くだんのX博士の話題だったのは更に奇遇である。個人的なことなので会話の中身を記すことはできないが、友人の話には夢の内容とオーバーラップする部分も多々あった。もう何年もお目にかかっていないX博士が、何故今頃になって夢に現われたのだろう。気がかりである。



3日●試験不合格

無機質な長い廊下のような場所を歩いている。宇宙的、未来的、メタリックなイメージ。私または私の娘が、何か大切な試験を受けたらしい。どこかにスピーカーがあるらしく、そこから抑揚のない機械的な女性の声で「アナタノ要望ハ、却下、マタハ、リジェクト(拒否)サレマシタ」という放送があった。絶対に合格すると確信していただけに、大きな衝撃を受ける。そのあと私は、世界を放浪する旅に出た。懐かしい感じのする田舎町。インドだろうか。3階建ての古ぼけたアパートが何棟か並んでいる。目の前のアパートの左下の部屋の女性が、建物の外に出て、椅子に座って髪を結っている。長く艶のある、ストレートな黒髪だ。彼女は壁のほうに向かって座ったまま、楽しそうに鼻歌など歌いながら、髪をソフトクリーム状にぐるぐると巻き上げてアップにしている。その熟練したテクニックに感心する。その女性からは、ユーモアのセンスと深い教養、それに物欲から開放されて悟りを開いた人に独特のオーラが感じられる。彼女は私より少し年上で、白人のようにも黄色人種のようにも黒人のようにも、インド人のようにも日本人のようにもヨーロッパ人のようにも見える、とても不思議な顔立ちの美人だ。そのあとも夢は延々と続いたような気がするのだが、詳細は覚えていない。
【解説】 試験に落ちる夢とは、どうにも夢見が悪い。気になったので、目が醒めてすぐに『夢の辞典』(日本文芸社)で調べたところ、「テストに落ちる夢」の意味は「不合格を知って落ち込むほど、大きな幸運が訪れるでしょう」となっている。また「美しい髪の夢」や「髪を飾る夢」の意味は、「恋の訪れ」「恋の充実」を意味するという。とりあえず“夢占い”的には、どちらも吉夢のようでホッとした。
【後日談】 夢から約1週間後の9月11日、この夏にハイスクールを卒業した娘のLiAのもとに、第一志望のA国S大学に合格したとの通知が届いた。「夢は逆夢」という言葉があるが、今夜の夢はまさにその「逆夢」だったのかも知れない。

4日●プールの水底

高台にある学校。そこで、中学校の同窓会が開かれる。A子さんが笑いながら駆けて来る。彼女は当時と少しも変わっていない。当時A子さんが好きだったX君の姿が見える。A子さんはX君と結婚したいらしい。しかしA子さんと結婚すると、60%の確率でX君は早死にする。場面は急転し、プールの底。水の向こう側で、綺麗な青色の壁がゆらゆらと揺らめいて見える。水面には、分厚く巨大なピニールクッションのようなものが敷きつめられている。そのため、一旦ビニールクッションの下に落ちた人は、水中から脱出することができず溺れ死ぬ運命だ。X君はこれからプールに入ろうとしている。その場合、X君が水中から脱出できず溺死する可能性は70%だ。
【解説】 A子さんもX君も実在の人物。X君のことを私はあまり知らないので、今日の夢にX君が現われたことは正直に言って意外だ。この夢を見て、そう言えばかつてA子さんがX君にベタ惚れだったことを思い出した。ふたりとも知的レベルが高く、人生設計が似ていて、お似合いのカップルのように思えたが、2人が結ばれることはなかった。先日、29年ぶりに中学校の同窓会が行なわれたとき、X君は欠席だった。A子さんとは久しぶりに再会できたが、彼女もX君の消息についてまるで知らないようだった。X君の職場は最近いろいろ大変だという噂もある。X君が70%の確率で水底から這い上がれずに死ぬという状況は、現実のX君が職場で置かれている苦しい状況を表わしているのだろうか。



5日●美しい髪の女

近くに、見知らぬ2人の女(日本人)が見える。2人とも年齢的には60を超しているようだが、たいへん活発で健康的。特にそのうちの1人は、眼力(めぢから)があって強い生命エネルギーを感じさせる。彼女の高く巻き上げられた長い黒髪が、とても美しいのが印象的だ。2人は私を応援してくれているらしい。
【解説】 一昨日の夢にも、明朗で髪の美しい年上の女性が現われた。髪が印象的な夢は、これまであまり見たことがない。しかもその美しい髪を、彼女たちは申し合わせたようにアップに結っていた。どういう意味だろう。今日の夢は前後にも別のストーリーがあったような気がするが、覚えているのはこの一場面だけ。


6日●世界でいちばん長い夢

夢の画面一杯に、「世界でいちばん長い夢」というタイトルが現われる。その文字は、今はもう使われなくなった古臭い書体で、初期の“活動写真”を髣髴させる。そのあと、本当に長い夢が延々と続く。物語性はほとんどなく、前後の脈絡なしに色々な場面が続く。ダライ・ラマ法王が現われたかと思えば、次の瞬間には海の波がきらめいていたり、大勢の人が見えたり、南米に行っていたり、シチュエーションはくるくる変わる。全編にわたって音はなく、私はすべての場面を客観視している。最後に一瞬、「続く」の文字が見えたような気もするのだが、定かではない。
【解説】 夢というよりは、無声映画でも観ているような気分だった。ストーリー性がなかったためか、長い夢だった割には印象が薄い。



7日●巨人軍の新オーナー

プロ野球の読売巨人軍の新オーナーに、キャッチャーの阿部慎之助選手が就任したらしい。そのニュースがTVの画面上に流れる。これで野球は再び面白くなるだろうと思い、期待している私。
【解説】 最近、プロ野球がまるで面白くない。応援していても、少しも熱くならないのだ。野球ファンの私としては、それが歯痒くてならない。プロならプロらしく、死ぬほど面白い野球を命がけでファンに見せて欲しい。そんな気持ちがこの夢には反映しているに違いない。ちなみに私は基本的に巨人ファンである(但し阪神タイガース出身の田淵幸一さんだけは別格)。



8日●占い師

占い師の細木和子さんの事務所らしきところ。細木さんが私の本を読みたいと仰るので、フルセットでお届けする。細木さんはこれらの本を、他の人たちにも読ませたいらしい。「でも、海軍出身のあの人にだけは読ませたくないわね」と細木さんが言う。そのあと、見覚えのない家の階段を昇って2階に行くと、そこには幼い息子と仔犬(ブースケ?)の姿が見えた。
【解説】 “海軍出身のあの人”とは、一体誰のことなのだろう。心当たりはないが、妙に気になる。



9日●球形のもの

飼い犬のブースケに、「じゃあ、行ってくるからね」と言い残してダライ・ラマ法王へのインタビューに出かける。インタビューは大成功。私は法王から何か球形のものを贈られる。
【解説】 目下、ダライ・ラマ法王へのインタビューのために北インドを訪れている。この夢はニューデリーのホテルの部屋で見た。



10日●法王と相合傘

雨の中に佇んでいると、誰かが背後から傘を差しかけてくれる。振り向いて見ると、ダライ・ラマ法王だった。そのまま相合傘で一緒に謁見の間に行く。すぐ近くに、小さな子どもか妖精のような生き物がたくさん見えた。
【解説】 昨夜に引き続きダライ・ラマ法王の夢である。法王が登場する夢を見るのは、今月に入ってからだけでも今夜で3回目。夢の中で少しずつ法王と自分の距離が縮んでゆく様子が見られ、興味深い。



11日●NAOKO

夕暮れ時。子どもの頃に住んでいた団地の前。編集者の芝田さんが、NAOKOという名の女性と話している。遠くには主婦たちがいて、いつ果てるとも知れない噂話に花を咲かせている。芝田さんが「今夜は遅いので、もう帰りましょう」と言う。そのあと私は、NAOKOという女性からひどく苦しめられたようだ。そのため、私はすっかりNAOKOが嫌いになる。
【解説】 NAOKOという名前の女性ならたくさん知っている。漢字で書くと「直子」「尚子」「菜穂子」「奈央子」などの友人や知人がいる。しかし、その中に私を苦しめるようなNAOKOさんはいない。今夜の夢は意味不明である。



12日●手かざし

電車に乗ってダライ・ラマ法王に逢いに行こうとしている。同じ車輌に知り合いのAさん(女性)の姿が見えた。彼女の頬が赤く腫れているので、「どうなさったの」と尋ねると、「どうやら、おたふく風邪がうつっちゃったみたいなの」という答えが返ってきた。私はAさんを励ましながら、彼女の頬に両手をかざした。その途端、彼女の頬の腫れは見る見る引いて、病気はたちどころに治った。このほかにも、3〜4人の人たちの病気を、手かざしで次々に治したような気がする。太陽が射しこむ、明るい光のイメージ。
【解説】 手かざしといえば、その昔、“超能力サラリーマン”と呼ばれた高塚ヒカルさんという男性に逢ったことがある。この人は医者の家に生まれ、西洋科学一辺倒で育ち、大学卒業後は広告代理店(東急エージェンシー)のやり手の社員。超能力とか手かざしといった怪しいものが大嫌いだったそうだ。そのような人に手かざしの能力が突如として備わるとは、どうにも不思議なことではある(高塚さん自身は、自分に備わった能力をとても嫌がっていらっしゃった)。超能力のような力は、欲しい欲しいと切望している人には与えられず、むしろ欲しくない人のところに与えられるのかも知れない。



13日●埋蔵経の秘密

ついに埋蔵経の秘密が明らかにされる日がやってきた。ダライ・ラマ法王が、「実を言えば、埋蔵経はお経ではなく、貴女自身のことだったのだ。これまで貴女の姿を長いことインドに隠しておいたが、世界が貴女を必要とする時代がやってきたので、表に出すことにした」などと仰る。目の前一杯に、光のイメージが溢れている。
【解説】 またしてもダライ・ラマ法王の夢である。実は、この夢を見る約12時間ほど前に、私は実際にダライ・ラマ法王に謁見し、単独インタビューを果たしている。埋蔵経の夢はこれまでにもたびたび見たが、今日の夢はかなり濃密な内容だった。



14日●マントラの刻まれたジョッキ

ダライ・ラマ法王と互いの右腕を組んで、その手に持った大きなジョッキからビールを飲もうとしている。ジョッキは金属製で、表面には「オーム・マニ・パメ・フーム」というマントラ(呪文)が刻まれている。このジョッキからビールを飲むと、マントラを唱えたのと同じ功徳があるのだそうだ。このあと私は法王に腕相撲を挑もうと思っている。
【解説】 再びダライ・ラマ法王の登場である。私の頭の中は今、チベット一色ということだろう。なお、ダライ・ラマ法王をはじめとするチベット仏教・ゲルク派のお坊さんたちは、実際には一滴の酒もお飲みにならない。



15日●お花畑を歩く

ダライ・ラマ法王と手をつなぎ、見渡す限りのお花畑の中を歩いている私。
【解説】 今夜の夢には、ストーリーらしきものはなかった。それにしてもあのお花畑は、ほとんど無限の広さで拡がっていたが……。いわゆる“彼岸”のイメージとは、ちょうどあんな感じなのかも知れない。


16日●A国で家を探す

娘と一緒にA国に行き、家を探している。家が見つかったら、次は家具や電化製品なども買わなければならない。実に忙しいが、楽しい気分だ。この国は娘にとってのラッキー・カントリーなのだと思う。近所にイニシアルがVの親切なおばあさんが住んでいる場所なら、そこはとびきりの吉相だ。
【解説】 北インドへの旅を終え、今朝、無事に日本へ帰国した。家に帰ってみると、娘のもとに第一志望の大学(A国のS大学)から合格通知が届いていた。聞けば、通知が届いたのは9月11日だったという。実は今回、北インド滞在中に「9月11日」を迎えた時は、同行した編集者の芝田暁さんと共に「今年の9月11日は何事もないと良いですね」などと言葉を交わし、少しばかり心配していたのである。なにしろ向こうでは国際ニュースを耳にする機会がなく、世界で何が起こっているのか知る由もなかったのだ。9月11日と言えば、2001年にニューヨーク同時多発テロの起こった日だが、その1年後の2002年9月11日には、芝田さんと私は取材先のパプアニューギニアの海で溺れ、危うく命を落としかけている。そのようなわけで私たちにとって、「9月11日」は衝撃の日なのである。しかし今年の9月11日は、娘のもとに合格通知が届くという嬉しい日になった。まずはめでたし、めでたし。



17日●死体累々

大型ジープに乗ってヒマラヤを旅している。同行者は、編集者の芝田さん、高木さん、写真家の森川さん、アシスタントの木内さん。運転手はラムさん、助手席にいるのはガイドのヴィネイさんだ。私は運転席の真後ろに座っている。窓越しに見える風景は、どこまでも果てしなく続く茶色い山肌。向こうに5体、こちらに10体という具合に、そこかしこに生々しい死体が転がっている。頭の割れた死体が多いようだ。警察官や検死官らしき人々の姿も見える。(見たくないものを見てしまった)と思い、身を浄めるために私は塩を探す。しかし塩はなかなか見つからず、嫌な気分が続く。だいぶ時間が経過し、山をすっかり下りきった辺りで、私はようやく塩を入手し、自分と同行者全員の身を浄めることが出来た。途端に、信じられないほど清潔で爽快な気分が戻ってきた。
【解説】 今日の夢に登場したメンバーは、実際に昨日まで一緒にインドを旅していた仲間である。今回の旅の目的は、ダライ・ラマ法王に対して「死」に関するインタビューをすることだった。そのため、私の頭の中は四六時中「死」に関することで一杯だったかも知れない。さらにヒマラヤからの帰路では、トラックと衝突し頭部から大量の血を流して倒れているバイク・ライダー(彼は既に亡くなっていたのかも知れない)を目撃してもいる。それらのイメージが誇張されたものが今夜の夢だったのだろう。



18日●チベット風のパーティー会場にて

広いパーティー会場。チベット仏教のお坊さんをはじめ、さまざまな国の人々の姿が見える。私もバーガンディー色のチベットドレスを着ている。気がつくと、養老孟司さんと話し込んでいた。養老さんは、片手に本を持っていらっしゃる。何故か、表紙には小さく私の顔写真が印刷されている。何か仕事に関することを私が申し上げると、それに対して養老さんが「お安い御用ですよ」と仰った。「僕に出来ることがあれば、何なりと仰ってください」。お礼を言いながら時計を見ると、次のアポ時間が迫っている。養老さんにいとまを告げ、急いで空港(?)に向かう。そのあとすぐにダライ・ラマ法王が到着し、私はチベット語で何かご挨拶をしたような気がする。
【解説】 6月13日、18日に引き続き、3ヶ月ぶりに養老さんの登場である。夢から醒めた瞬間、理由はわからないが、(3度目の正直で、今度の夢は間違いない)と唐突に思った。ちなみに現実世界では、養老さんと私は一面識もない。

【後日談】 夢を見た翌日、友人のKさんから或るパーティーに招かれた。聞けば、そのパーティーには養老さんもご出席になるという。単なる偶然かも知れないが、ちょっと不思議なご縁だ。


19日●8個のパン

パンを売っている男の姿が見える。彼の売るパンは一種類きりだが、それは非常に人気があって、飛ぶように売れてしまうらしい。色は飴色に近い茶色で、形はメロンパンに似ているが、人間の顔ほどの大きさがある。私はこのパンを8個買わなければならない。ノアとその一家に届けるためだ。私が買ってしまうと、店にはもういくらもパンは残っていなかった。パンの包みを抱きかかえて小走りに駆けて行くと、道の途中で全裸の男性を見かけた(知った顔だったと思うのだが、誰だったのかどうしても思い出すことができない)。私は彼の存在を無視して、その先へと急いだ。
【解説】 夢の冒頭で、誰かから「ノアの一家にパンを届けて欲しい」と頼まれたような気もするのだが、そのへんの前後関係は全く思い出せない。「ノア」とはおそらく、「ノアの箱舟」伝説で有名なあの「ノア」のことで、彼の一家とは、ノア、ノアの妻、ノアの3人の息子とそれぞれの妻たちの、合計8人のことだと思う。このところ世界の洪水伝説について調べているので、このような夢を見たのかも知れない。



20日●風の吹く町

風通しのよい田舎町。細長い街路には、いつも柔らかな風が吹いている。私は旅人で、この風景を見るのは初めてだ。ローカルバスに乗って、この道を西から東へと移動している。進行方向に向かって道の左側に、綺麗なアイアン・レース飾りの付いた2階建の民家が並んでいる。その雰囲気はヨーロッパのようでもあり、中南米のようでもあり、ヒマラヤのようでもある。いちばん左端の民家には、優しそうなお婆さんが暮らしている。その右の家には物静かで紳士的なお爺さん。その右隣の家には江守徹さんに似た顔立ちのオペラ歌手とその妻が住んでいて、彼らは町の人気者だ。その右隣、さらにその右隣、さらにその右…と、一人暮らしの心優しい人たちが住んでおり、彼らは10人ほどで連れ立ってどこかへ出かけようとしている。オペラ歌手が身振り手振りを加えながら何かおどけたことを言い、それを聞いた他の人たちがどっと笑い転げている。温かく、穏やかな雰囲気。私はそこに流れる清涼な風を感じながら、生きていることの幸福感を噛み締めている。
【解説】 特にストーリーと呼べるものはない夢だったが、寝ている間も起きてからも、朴訥とした温かな気持ちが続いた。



21日●大地震の予行演習

法王との会見から日本に戻り、のんびり入浴していると、いきなり周囲の風景がぐらりと揺れて大地震に見舞われた。衣類はどこだ。このままの姿では外に飛び出すことができない。しかし、これが夢の中の出来事なのだということも、私は認識している。夢の中で、私は大地震の予行演習をしていたのだ。(これが現実なら、私は確実に逃げ遅れているはず)と夢の中で思う。どんな時でも逃げ出せるよう準備をしておかなければ。しかし入浴中だったらどうする? 夢の中で地震対策に考えをめぐらしている私。
【解説】 夢から醒めたあと、(そう言えば、少し前にも大地震の夢を見たのでは?)と思い出し、調べてみると、確かに4月28日にも大地震の夢を見ているではないか。その時の夢の内容は<何か四角い形のもの(座布団?)が見える。黒と赤の幾何学模様が入った着物。藤原という姓の人>というものだった。実は今週、私は幾何学模様の大島紬を購入したばかりなのだ(購入した時には、4月28日に見た夢のことなど完全に忘れていた)。大島紬の色合いは黒と赤ではなく、黒と泥色(茶色っぽいグレー)だが、模様は典型的な幾何学模様である。ここ暫く異常気象が続いていることだし、一連の夢は「そろそろ本格的に非常時の対策を練っておきなさい」という警告だろうか。

【後日談】 夢から約1ヶ月後の10月24日、入浴中に周囲の景色が突然大きく揺れた。地震である。すぐにリビングルームへ戻りテレビをつけたところ、震源地は新潟県中越地方、東京都内の震度は「4」と報じている。夢で見た“入浴中の地震”がまさに現実になったのである。


22日●法王と地下鉄に乗って

何か大きな丸い形が見える。この丸い形は、太陽や魂といったものを象徴しているのかも知れないと思う。気がつくと、目の前でダライ・ラマ法王が微笑んでいた。私はふと悪戯心を起こし、法王を地下鉄にお乗せしようと思いつく。法王もすぐに大賛成。早速どこかから調達してきた白いTシャツとジーパンを法王に着ていただいた。しかし、このままでは綺麗に剃った頭やお顔立ちが人目についてしまうので、帽子を目深に被っていただくことにする。法王は大柄なので、ジーパン姿がぴたりと似合う。私たちは、次の間に控えている側近の目をのがれ、裏側の窓から外に出ると、そのまま一直線に東京メトロの駅に駆け込んだ。銀座線から丸の内線へと乗り継ぎながら、乗客を観察したり、吊り広告を読んだり、途中の駅でガムや飲み物を買ったりしている私たち。法王の次の謁見までは、まだ2時間もある。それまでに、東京タワーのてっぺんまで行って来ようと思う。私たちは大声で笑いたい気持ちを抑えながら地上に上がり、東京タワーのほうに向かって走り始めた。例の丸い形が、更に大きくなって見えた。
【解説】 まるで法王版「ローマの休日」のような夢だった。それにしても、法王にはTシャツもブルージーンズも地下鉄も、すべてがよくお似合いだった。


23日●青き幸福の帽子

綺麗な青色の帽子が届けられる。大きな鍔(つば)が少しうねっていて、女性的で優雅なデザインだ。しかし私は帽子というものを被らない人だし、当然この帽子を注文した覚えもない。届けに来た人にその旨を告げると、彼は名簿のようなものに目を通しながら、「貴女が次の持ち主になることは、最初から決められていますから」と答えた。その人はまた、「これは“青き幸福の帽子”というものです」とも言った。私が「幸福の青い帽子ですか?」と繰り返すと、「違います。“青き幸福の帽子”です」と訂正されてしまった。その帽子を家に置いておいたところ、どんどん幸福度が増してゆくようだ。嬉しいことが次々に起こる。私の近くに集まって来る人たちも皆、目に見えて幸福になってゆく。どうやら“青き幸福の帽子”がもたらす幸福は伝染するらしい。夢の最後のほうで、一瞬、自分の人生の最後の場面が見えた。私はとても長生きをしたらしい。暖かなベッドの上で眠るように息を引き取っている。その死に顔は本当に幸福そうだ。私の横には、例の帽子を届けに来た人が立っている(ただし、他の人には彼の姿が見えないようだ)。驚いたことに、彼はあれ以来少しも年をとっておらず、手には例によって名簿を持っている。私にはわかる。彼は私から“青き幸福の帽子”を回収して、次の順番の人のところへ届けに行こうとしているのだ。
【解説】 夢の中にしろ、自分の死に顔を見るのは当然これが初めてである。年齢は不明だが、とにかく長生きをしたことは確かのようだ。その顔はとても幸福そうに微笑んでいたから、おそらく何の苦しみもなく死ぬことができたのだろう。



24日●法王の三人の弟子

私の家に、ダライ・ラマ法王の三人の弟子が泊まりにきた。いつ改造したのか、はたまた買い換えたのか、我が家の様子がすっかり変わっている。全体が昭和初期風の古い日本建築になっており、母屋のある建物と客室のある建物は、古臭いデザインの“玉のれん”によって仕切られている。客室があるほうの建物は、長い廊下に沿って和室がいくつも並んでいるような造りで、ちょうど昔の旅館のようなイメージだ。三人のうちいちばん若い僧侶が、「醤油を貸してください」などと言っては、よく母屋のほうに顔を出す。彼はとても懐かしい顔立ちの青年で、私は以前にもこの人に逢ったことがあると思う。その僧侶も私の存在を懐かしく思っている。長い滞在のあと、法王の三人の弟子が本国に帰る日がやってきた。「またきっと逢いましょうね」と言いながら、私たちは別れを惜しんでいる。
【解説】 今月の夢は、まさにダライ・ラマ法王一色といった感じである。今日の夢には珍しく法王ご自身は登場せず、年若い三人の弟子(僧侶)が現われた。そのうちの一人の顔が、あまりにも鮮明に記憶に残っている。現実世界でもそうだが、夢の中で時々“現実には逢ったことのない、しかし妙に懐かしい顔”に遭遇することがある。もしかしたらくだんの僧侶は、私の先祖が見た誰かと似ているのかも知れない。こんな夢を見た翌朝は、自分の脳のうちの使われていない90数パーセント(そこに記録されているはずの先祖の記憶)が無性に気になるのだ。



25日●深層心理に刻まれた会話

とても満ち足りた気分。そこは知らない外国(ヨーロッパのような気がするが確かではない)の田舎町で、私は複数の人々と握手をしている。何かとてつもなく重要な会話が交わされ、私は(忘れないようメモしておかなければ)などと思っている。最後に男性が現われ、「この夢の内容は深層心理にだけ刻んでおこう。現実世界では忘れていたほうが何かと便利なので」というような意味のことを言った。目が醒める瞬間、私は夢の中の会話をすべて忘れてしまった自分に気がついた。
【解説】 今日の夢の中で、何かとても重要な内容の会話が交わされたことだけは確かなのだが、おかしなことにその部分だけ記憶が完全に消えている。まるでそこだけ意図的に消されてしまったかのようだ。それとも夢の中の男が言うように、それは深層心理の中に刻まれているのだろうか。忘れてしまった会話は、何やら世界規模な話であり、私にとっては非常に喜ばしい何かだったような気がする。ところで、夢日記を付け始めてほぼ9ヵ月が経とうとしているが、その間ずっと読者の方々から寄せられてきた感想が2つある。ひとつは「自分は夢というものを殆ど見ない。毎日のように夢を見る人がこの世にいるということ自体が驚異的だ」というもの。もうひとつは「自分は夢を見ても忘れてしまう。どうしたら夢を覚えていられるのですか」というものだ。私は専門家ではないから確かなことは言えないが、「夢をほとんど見ない」という人の大多数は、おそらく単に夢を見たことそのものを忘れているだけだと思う。「見た夢を忘れずに覚えている方法」については、よく言われるのは「枕もとに紙とペンを用意しておき、夢を見たらすぐに起きて記録する」というもの。しかし私個人に関して言えば、そのような七面倒くさい方法など勿論とっていない。昔から、見た夢を忘れた試しがないのだ。子どもの頃に見た夢を、今もたくさん覚えている。結果、私の頭の中には膨大な量の夢のデータが蓄えられており、それらの中には小説を書く時などに大変役に立つものもある。ちなみに、私の辞書に「不眠症」の文字はない。どんな状況でも(たとえば旅行中でも)、横になって30秒〜1分以内に熟睡できるうえ、眠りが深いためか短時間睡眠でも「十分に休んだ」という実感がある。朝は目が醒めた瞬間に頭がフル稼働をはじめるし、毎朝元気一杯という感じなのだ(まるで子どものように)。このほか催眠術にもかかりやすいし、風邪薬なども普通の人よりずっと速くよく効く。怪我などの治りも恐ろしく速い(その点は医者にも驚かれる)。体を休息させるための機能が、実によくできているらしい。自分が元気で長生きをすると感じる根拠は、実はこんなところにもあるのだ。もうひとつ興味深いのは、こうした活力は身近な人にも伝染するということ。自称「不眠症」の複数の女友達も、私と一緒に旅行している間はぐっすり熟睡できたと言っているし、普段夢を見ない人も楽しい夢を見たという。睡眠や夢の持つ意味は、おそらく巷で思われているより遥かに大きいのだろう。私自身はユングにもフロイトにも興味がないが、人間にとって<睡眠の内容>がいかに重要なファクターであるかは、身をもって知っているつもりだ。


26日●情報伝達ゲーム

すらりと手足の伸びたおかっぱ髪の少女が、青色のミニスカートの裾を風になびかせて近づいて来る。その手に持っているのは、艶やかな球体だ。クリスタル製なのだろうか。表面には傷ひとつ、歪みひとつない。少女は、まるで「これを見て」と言わんばかりに、こちらに向かって両手を挙げる。誘われるまま、球体を覗き込んだ。次の瞬間、私は球体の中に入り込んでいた。そこにも広い空間が拡がっており、少し離れたところには同じ少女が佇んでいる。青いスカートの裾をひるがえし、微笑みながら近づいて来た。手には、やはり球体を持っている。(遊ぼう)と、声にならない声が呼んだようだ。それを潮に私は完全な童心に返り、少女と<情報伝達ゲーム>のようなことをして遊び始めた。ひっきりなしに意識が飛び交っているため、声を出す必要はない。ふたりの意識に通底するものは、日本語、英語、ヘブライ語の少なくとも3言語を核とした想念だ。暫く遊ぶうち、この少女は「自分自身」、もしくは「自分の先祖」、もしくは「自分の子孫」なのかも知れないということに、私はようやく気がついた。
【解説】 夢の中で少女と<情報伝達ゲーム>のようなことをして遊んだような気がするのだが、少女に何を伝達し、少女から何を伝達されたのか、詳しい内容をどうしても思い出せない。そこでは、何か重要なメッセージが取り交わされたような気がするのだが……。昨日の夢と同じで、肝心な部分の記憶だけが欠落してしまっているのだ。昨日同様、今日の夢のエッセンスも「深層心理に刻まれてしまった」ということなのか?



27日●並行した2本の道

長く突き出した半島のようなところに、2本のまっすぐな道が並行して走っている。そのうち1本は、どうやらギリシアの片田舎に抜けているようだ。近くに家族がいるような気もするが、姿は見えない。小綺麗な民宿のような建物に入る。そこにはギリシア人の父子がいた。父親は30歳前後のハンサムな青年で、たどたどしい英語を喋る。膝の上に3〜4歳の男の子が座っていたので、“Is that your son?”(その子、あなたの息子さん?)”と尋ねたところ、“yes.”という短い答えが返ってきた。続けて“Is there any KG close to your house?(お宅のお近くに幼稚園はあるんですか?)”と問うと、今度は英語の意味がわからなかったらしく、首を傾げて黙っている。私はここに泊まろうかどうか思案している。彼らは悪い人ではないが、ここはひどく退屈な場所だ。はっと気がつくと、ガタガタ揺れる車に乗っていた。先ほどの道と並行して走るもう一本の道のほうに来たらしい。隣の席には小学館の高木さんが乗っており、運転手に対して道順を指示している。後部座席には、2〜3人の日本人(おそらく編集者)が乗っているようで、時折り弾んだ声が聞こえる。ここがギリシアなのかインドなのか、私にはよくわからない。2本の道は交わることなく、どこまでも並行して続いている。
【解説】 私の夢には、知らない外国の風景が頻繁に登場する。その多くは大都会ではなく、山の中や小さな漁村など、人里離れた静かな場所ばかり。言い換えれば<静謐の地>だ。今日の夢に登場した場所は、特に静かで淋しい感じがした。



28日●黙示録

夢の中で聖書を読んでいる。映画『地獄の黙示録』の音楽が低く流れる中、小さな男の子が逃げ惑っている。彼は複数の人間から命を狙われているのだ。その子の顔は、ハーレー・ジョエル・オスメント(“AI”や“Sixth Sense”の主役)とどこか似ている。男の子を助けようと、ひとりの男が孤軍奮闘している。彼は何か文科系の学問の学者で、ハーヴァードあたりの教授のようだ。年齢は40前後。男の子がなぜ狙われているのかは謎。長い廊下を学者が走って来た。そこには、ほんの1分ほど前に男の子を愚弄したばかりのチンピラがいる。チンピラは男の子を“snail(かたつむり)”呼ばわりしたらしい。学者は、そのことに本気で腹を立てている。チンピラの襟首をつかみ、「今度あの子を“かたつむり”呼ばわりしたら、ただじゃおかない!」などと叫んでいる。男の子はどこに消えた? 彼を捜すために、学者は真剣そのものの表情でその場から走り去って行った。
【解説】 数日前にドン・ブラウン著“The Davinci Code(邦題は『ダ・ヴィンチ・コード』)”を読んだ。これはキリスト教の<聖杯>に関わるミステリーで、結末はともかく全体の流れとしてはかなり面白かった(特に前半)。おおかたの欧米人にとって、聖書に秘められた謎を解くことほど面白いことはないのだろう。映画を見ても、「救世主探し」とか「世界最終戦争(ハルマゲドン)」といった、聖書にその題材を求めたアドベンチャーものが多く見受けられる。今夜の夢も、まさにそのイメージを色濃く漂わせていた。ちなみに私自身はキリスト教徒ではないが、学生時代は日本最古のキリスト教主義大学(明治学院)に学んだ。キリスト教主義の学校だから、当然のことながらキリスト教学は必修科目である。「基督教概説」等の私の成績は、意外にも学年1番だった。テストを返却してもらう際、担当教授から「貴女の思考方法は非常にキリスト教的だ。この方面の学問を究めてみてはどうか」という趣旨のことを言われ、非常に驚いた記憶がある。その後インドで生活していた時には、3年間ほどヘブライ語の教室に通ったことがあり、その時は『旧約聖書』をヘブライ語で読むという恐ろしく難解な勉強をしていた。そのせいだろうか、私の頭の中には、世界史の重要な位置づけとして『旧約聖書』と『新約聖書』がしっかりと収まっている。今夜の夢の冒頭、私は聖書を読んでいたが、夢の中でもきちんと聖書の一字一句が読めたことには我ながら驚く。



29日●般若心経

白い布(あるいは雲?)の上に座り、どこまでも澄みきった空を飛んでいる。地上の風景が、凄まじい勢いで後ろへ飛びのいてゆく。まるで大気圏外に飛び出してしまうのではないかという猛スピードだ。ヒマラヤの鋭い峰峰の上に至ったとき、地響きのように般若心経が聞こえてきた。まるで人の想念の中に在るあらゆる神々、あらゆる仏たちが一緒に読経しているのではないかと思われるような、全宇宙を揺さぶるような低い音。空を飛びながら、私も一緒にサンスクリット語で般若心経を唱えている。「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」と3度繰り返して唱えたところで、何か素晴らしいことが起こったような気がするのだが、それが何だったのかはよくわからない。
【解説】 先々週、ダライ・ラマ法王と謁見したときに、般若心経の話になった。私は謁見の直前に般若心経を唱えたばかりだったので、その偶然が大変嬉しかった。ちなみにチベット仏教におけるダライ・ラマ法王の位置は、般若心経の冒頭にある「観自在菩薩(=観音菩薩)の化身」とされている。



30日●鐘を撞く

ヒマラヤの奥深く。鬱蒼と茂った竹林。山門を入って少し坂を登ったところに、瀟洒な造りの寺が見えてきた。(ああ、ここが有名な祇園精舎なのだな)と思う。姿は見えないが、編集者の芝田さんも一緒のようだ。私はこれから108つの鐘を撞こうとしている。ひとつ撞くたびに、山全体の高度がぐんぐん上がってゆくようだ。空がみるみる近くなる。たくさんの白いものが空に舞っている。あれは天女の羽衣なのかも知れない、と思ったところへ、「違いますよ、あれはすべて、真美さんがこれからお書きになる本です」という声。驚いて声のするほうを見ると、芝田さんが白いものを拾い集めて、その一枚一枚を繋げるために糸で器用に編んでいるではないか。(なるほど。これが“編集”という言葉の語源だったのか)と勝手に納得している私。ずっと気になっていた“白いもの”の正体は、どうやら私が将来出版する予定の本だったらしい。嬉しくなった私は、さらに強く鐘を撞き続けた。
【解説】 夢を見る数時間前、未来の出版計画について芝田さんと大いに語り合った。その昂揚感が夢にも現われた感じ。ところで祇園精舎というのは、昔々、釈迦の時代にインドのコーサラ国にあった僧坊だそうだ。今月の夢を振り返ってみると、ヒマラヤ、チベット、ダライ・ラマ法王、経典といった、なにやら神々しい(仏々しい?)イメージ一色に彩られた感がある。このような夢を見た翌日は、何故か心身ともに絶好調だ。




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