2005年8月


1日●サバイバル迷路
驚くほど巨大な植物園のような場所。緑が生い茂ったその中に、網の目のように狭い通路が設けられている。どうやら部屋全体が迷路になっているらしい。入り口はひとつ、出口もひとつ。出口に通じる以外の道は、すべて「間違った道(wrong way)」なのだそうだ。迷路の中では殺人その他、恐ろしいことも行なわれるという。生きて無事に出口に到達すること自体が、極めて難しいらしい。要するにこれは一種のサバイバル・ゲームなのだと思う。私は今しも迷路に入ろうとしている。この迷路を抜けるためには、平面思考をしていてはダメだ。鳥のように上空から俯瞰して、立体で全体の状況を捉えるしかない。心をひとつに集中しろ。瞑想するのだ。そう思った瞬間、私の体から何者かが上昇して行き、まるで空飛ぶ鳥のように、高いところから巨大な迷路を見渡すことが出来た。これで出口への正しい道はわかった。それでもなお、この迷路に入りたくないのは何故だろう。ここへ入ると、生き残るために他人を殺さなければならないのだ。そのことが、限りなく私を憂鬱にさせる。こんなレースを私は望んでいないのかも知れない。本来の私は誰とも争うことなく、ひっそりと暮らしていたかったのだ。それなのに私は何故ここにいるのか。誰かが私の背中を押したようだ。気がつくと私はスタートを切っていた。見る見る闘争本能が目覚め、気がつくと私は出口に向かって誰よりも速く、正確な道を駆けていた。誰のことも殺さずに済みますようにと私は願った。しかし「勝つ」ことは、好むと好まざるとにかかわらず、最初から定められている私の運命なのかも知れない。そんなことを思いながら、私は緑の迷路を全力で駆けている。
【解説】 生命の始まり、例えば1個の卵子を目指して泳ぐ1億〜2億匹の精子の競争を思わせるような今日の夢だった。目が覚めたあとで、(そう言えば昔、そんなことがあったかも知れない)と、ふと思ったのもおかしなことである。



2日●初恋の人からプロポーズされる
人里離れた山の中。数人の若い男性の姿が見える。全員、見た目は平凡だが、シャイで誠実な感じのする“昔の少年”たちだ。彼らはこれからキャンプを始めようとしているらしい。そのうちのひとりがKさんであることに気づいて、私はひどく面喰っている。Kさんは、私が17歳のときに勝手に片想いしていた初恋の相手で、近くの共学校に通っていた上級生である。貴公子のように上品な面立ちに、すらりと伸びた長い脚、純白のシャツがよく似合う清潔なイメージの少年だった。しかし目の前にいる男性は、Kさんとは似ても似つかぬブオトコではないか。平凡な丸顔に、まったく印象に残らない十人並みの顔立ち。背も低く、全体にあまりにもダサイのである。現実のKさんを100点とすれば、この人は30点かそれ以下だ。それなのに、何故この人がKさんだというのか。愕然としていると、その人は私のほうを見て、とても嬉しそうな表情を浮かべた。そして仲間の少年達に向かって、「紹介します。この人は、人生で唯ひとりの僕の恋人です。僕はこの人と結婚します」と半分照れながら告げた。それを聞いて仲間の少年達は、心から祝福してくれる。あまりにも意外な話の展開に戸惑いながらも、私の心の中で何やら沸沸と沸き起こってくる静かな感動があった。
【解説】 この夢は信州の山小屋で見た。私が高校生だった頃の日本は、少なくとも長野市のように保守的な地方都市のいわゆる進学校では、「男女交際」(この言い方自体が時代を感じさせますが(笑))というものが大々的に行なわれてはいなかった。私が通っていた女子高では、40人近くいたクラスメートのうちステディな彼氏を持っていたのは、せいぜい3〜4人ではなかったかと思う(そしてそんな彼女たちの姿は、私の目には「軽い不良少女」として映っていた)。しかし彼女たちにしたところで、「彼氏と付き合う」と言っても、その内情は映画を観に行ったり喫茶店に行ったり、別れ際にキスをするぐらいが関の山だったのではないかと思うのだが。その頃の私は一種リベラルな保守派だったので、男友達は山ほどいたが、その全員と「グループ交際」をお願いしていた。つまり、大勢でわいわいデートをするのはOKだが、1対1で男性とデートをするのは基本的にタブーというスタンスだったのだ。その中にあって、近くの共学校に通うKさんは、“一山いくら”の少年達とは別格の、“掃き溜めに鶴”のような存在だった。遠くから見ているだけで幸福になれる、まさに王子様のような存在だった。そう言えばKさんとは、高校生のときと大学に入ってからの計2回、喫茶店で長い時間をかけてお喋りをしたことがある(Kさんは某有名大学の工学部に進学していた)。17歳の誕生日にはプレゼント(しかも手作りの品!)まで頂いている。Kさんは私以上に保守的な人で、女の子と簡単にデートをするようなタイプでは決してなかった。あれやこれや思い出してみると、片想いとは言え私の初恋はかなり恵まれていたのではないだろうか。そんな素晴らしい現実の記憶に水をさす今夜のような夢は、今後は絶対にやめていただきたい(……って、誰にクレームをつけたら良いのかわかりませんが(苦笑))。もしも初恋の人が再び夢に現われるなら、そのときは是非とも美しい王子様の姿のままで登場してくださいませ。切にお願いします。


3日●理想的な庭
誰かのお屋敷。私は玄関のほうから、この家の庭を眺めている。広々とした敷地には、さまざまな種類の樹木が繁茂している。これこそは私が長く夢に見ていた理想の庭だと思う。庭を突っ切るようにして、長い渡り廊下が伸びている。屋根付きの木造の廊下は、まるで能楽堂の橋掛かりのようだ。この家の主婦らしき女性が廊下を歩いてきた。丁寧な物腰の中年女性だ。廊下の一部がマジックミラーになっているらしく、彼女の姿が万華鏡に映った人物のように複数の方向に向かっていくつにも花開いて見えたのは不思議なことだ。やがて彼女は庭の奥からワラビを取ってきて、私のために料理してくれると言う。この庭にはありとあらゆる植物があるらしい。ワラビまで調達できることに私は心底感動している。この庭は私が捜し求めていた理想の庭だ。私もこのような庭のある家に暮らせるようになりたいと心から願う。
【解説】 この夢も信州の山小屋で見た。ハッキリとは思い出せないのだが、夢の途中で、この家の主婦(あるいはその夫?)からクイズを出題されたような気もする。クイズの内容はどんなもので、私は果たして正解したのか。そのあたりは何ひとつ思い出せない。夢を見ている最中も、夢から覚めたあとも、一貫して(理想的な庭をついに見つけることが出来た)という深い幸福感に包まれていた私である。



4日●徒歩で名古屋へ
東京から名古屋まで歩いて行くことになった。その行程は、徒歩で丸3日間かかるという。誰かが「本当に大丈夫なのか」と驚いたように心配している、その声を背中で聞きながら私は出発した。歩きながら、(私の行き先は名古屋ではなく静岡だったのでは?)と一瞬だけ気が迷うのだが、すぐに(いやいや、私の目指す場所は名古屋に違いない)と思い直す。定規のようにまっすぐに伸びた細い道を一直線に歩いて行くと、やがて川に突き当たった。川の向こうへは、渡し舟で行くしかないという。向こう岸には歌舞伎座が見える。それは屋根と柱と舞台と客席だけの建物で、何故か壁は存在しない。歌舞伎役者が笑いながら公演の準備をする姿がこちらからも見える。渡し舟の乗客の中にも、役者風情の若い男性が数人混ざっている。最初、私はこの渡し舟に乗って向こう岸に渡り、そこから歩いて名古屋へと向かう予定だったが、歌舞伎座を見た途端に気が変わり、名古屋へ行くこと自体を取りやめた。その場できびすを返した私は、もと来た道を東京に向かって歩き始めた。
【解説】 どんなに一所懸命歩いても、東京から名古屋までの距離を3日間で歩くことはかなり難しいのではないかと思う。どう頑張っても、おそらく5日以上はかかるだろう。夢の中で名古屋まで歩こうとした理由は不明。途中に「静岡」が出てくる理由はさらに不明。なお、“柱と屋根だけで出来た壁のない建築物”は、今までに何度も私の夢に登場しているアイテムだ。この建築物が何を意味しているのかは謎。なお、この夢は長野市にある実家で見た。



5日●世界で7人目の快挙
新聞が見える。自分の写真が載っている。それは英文の記事で、内容は、私が何かの快挙を成し遂げたというものであった。それは、世界全体では7人目、女性では世界初の快挙であるという。具体的にどういった事柄なのかはわからないが、それはダライ・ラマ法王またはブルース・リーと関係のある何かだったと思う。功績が認められ、私に対し何かの賞が贈られることになる。しかし自分はその賞を受けるにはまだまだ未熟すぎると思う。熟考の末、私は受賞を丁重にお断りすることにした。
【解説】 夢の中の私は俗世界から遠く離れて、山の中に隠遁しているようなイメージであった。この夢は信州の山小屋で見た。



6日●タクシーを探す
見たことのない海外の街。猥雑でやや未開な雰囲気が、東南アジアの田舎を思わせる。私には誰か連れがいるようだ。その人の姿は見えないが、古い知り合いの男性だったように思う。私はどこかへ移動しようとして、先刻から交通手段を確保しようとしている。この街には、バスも電車も走っていない。タクシーを拾いたいのだが、なかなか空車が来ないのだ。タクシーを捜して、かなり歩いたように思う。小さな商店が軒を連ねた細い道を歩いて行くと、突き当たりにある店が目に入った。大勢の人で賑わっている。店先にいるのは、どうやら若いお針子さんたちのようだ。民族衣装を縫ってくれるテーラーなのかも知れない。店まであと数メートルの地点に近づいたところで、私は以前にもここへ来たことがあると気づく。ここは表向きはテーラーだが、実は売春宿なのだ。お針子さんと見えた女性達は売春婦で、ふてぶてしい様子で腕を組んでいる恐ろしげな五十女は、ここの経営者らしい。ひどく不潔な雰囲気。嫌悪感から、私は急いでその場を後にした。そのあともタクシーを捜して、街中をさまよう。やがて丘の上に建つホテルに辿り着いた。そこは外人御用達のホテルのようで、大勢のプチブルジョワ階級の白人たちがプールで遊んでいる。いかにも平凡で退屈な光景。全く魅力のない場所だと思う。私は再び丘を降りて街の中心部に戻り、タクシー探しを続ける。不意に、右手から凄まじいスピードで近づいてきた車があった。見ると小型のタクシーだ。車種はと見ると、パドミニー(インドの国産車。ひどく旧型でエンジンのかかりも悪い)ではないか。随分珍しい車が走っているものだ。助手席から降りて来た客を見て驚いた。その人は日本髪のカツラを被り、原色の着物をゴテゴテと着こんで、足元は花魁(おいらん)が履くような下駄。顔はとんでもない厚化粧で、男なのか女なのか、それすらもわからない。昔のチンドン屋さんのようだ。さらに驚いたことには、運転席から顔を出したドライバーが、なんと庄司歌江さん(「かしまし娘」の長女)ではないか。彼女は私達を手招きすると、早く乗れという。私は呆気に取られながらも、このチャンスを逃すと次のタクシーは来ないかも知れないと思い、乗ることにした。しかし実際に乗る段になってみると、車の内部は左半分がドライバーの私物で一杯なのである。それは大量の布団やマットレスだったように思う。後部右側のドアを開けて座ってみたが、ひとり乗るだけで満席だ。私の前には、先刻から一緒にいたらしい男性が乗った。彼は一言も発さず、また後姿しか見えないので、誰なのかは依然として不明。このときになって気づいたのだが、どうやら私の近くには息子がいるらしい。息子を膝の上に乗せようと思うのだが、冷静に考えると息子は私より背が高いのだ。膝に乗せられるはずがない。一瞬の後、タクシーは恐ろしいスピードで急発進した。息子が乗れなかったので、私は車を止めさせようとしている。
【解説】 非常に疲れる夢だった。一番不思議だったのは、庄司歌江さんの登場である。そもそも私はテレビをほとんど観ない人間なので、芸能界情報はあまり知らない。庄司さんは「かしまし娘」の長女として有名なコメディアンである(今では「キリコのお姑さんに当たる人」と言ったほうがわかりやすいかも知れないが)。しかし「かしまし娘」の全盛期は、私が物心つく前の出来事だったように思う。少なくとも私は「かしまし娘」のことをほとんど知らない。にもかかわらず、庄司さんが私の夢に登場するのは、昨年の11月14日に続いて今夜で2度目なのである。11月の夢の中で庄司さんは、「体にぴったりフィットした黒いレオタードを身に付けて、アクロバティックな体操を披露」していらっしゃった。その夢を見た日は、父の告別式から数えて3日後のことであった。そして今夜の夢は、父の納骨の儀の翌日に見ている(注/父が亡くなったのは昨年11月9日だが、父の死が急であったため墓石が間に合わず、またその後は冬に入ってしまったため積雪地帯にある墓地に近づくことは出来なかった。そのため納骨の儀を新盆に繰り越したのだ)。私が庄司さんの夢を見るのは、どうやら父の法事の直後と相場が決まっているらしい。しかし生前の父は、コメディー系の芸能はあまり好きではなかったし、「かしまし娘」にも全く興味がなかったと思う。というわけで、今夜の夢もかなり意味不明である。最後に乗ったタクシーは、私が「後部右側」の座席に座り、その「前の席」に連れの男性が乗ったのだから、左ハンドルの外車だったのだろうか。しかしパドミニーは右ハンドルである。そのあたりの辻褄も合っていない、全体に取り留めのない夢だった。この夢も信州の山小屋で見た。



7日●人類最期の日
地球上のどこかで核戦争が勃発したらしい。戦争当事国がどこなのかはわからないが、今回落とされた核爆弾の威力は、原爆の比ではないという。時間の問題で、人類はひとり残らず滅亡するらしい。私はちょうど一人旅の最中で、核爆発の起こった地点から遠く離れた場所にいたため、被害のひどさをこの目で直接確認できていない。日本に帰ろうとしているのだろう、私は核戦争後の地球をさらに旅しているのだが、どんなに歩いても人間の影さえ見えず、世界はまさに「もぬけの殻」だ。かと言って、その辺に死体が散乱しているわけでもない。地球上からは生物の影がほぼ姿を消し、不気味に静まり返っているのである。道の途中で、美容院を見かけた。髪を切るため店に入ってみると、前から知り合いの美容師であるTさんが放心したように笑いながら力なく立っていた。ここにはまだ放射能の被害が及んでいないのか、美容院は細々と営業を続けているらしい。私は髪を短く切ってもらった。ふと、派手な色に髪を染めようかと思うのだが、Tさんから「山田さんはまだ白髪もないのだし、生まれつき栗色の髪をわざわざ染めてしまうのは勿体ないですよ。何だかんだ言っても、ヘアダイは髪が傷みますからね」と言われ、髪は染めないことにした。美容院にはほかにもひとり、ふたり客がいるようだが、誰もが無口で活気がない。ここへ放射能が辿り着くのも時間の問題だと思う。そのあと私は大きな船に乗った。静まり返った、ひと気のない船内。向こうから、女優の古手川祐子さんによく似た女性が、もんぺを履いて歩いて来た。このあと、子どもに関することで何か悲しい出来事が彼女を襲ったような気がするが、詳細は思い出せない。船から下りて、ホテルのカウンターのような場所に行く。元横綱の曙さんがカウンターの中にいた。数人の悪漢(盗賊?)が一斉に曙さんに襲い掛かった。曙さんは私に向かって、「私には構わず、あなたは早くお逃げなさい」と日本語で小さく叫んだ。
【解説】 核戦争が起こり、人類滅亡へのカウントダウンが始まった夢。「怖い夢」と言うよりは、むしろ「ついにやってしまったか。人間はどこまでも愚かな生き物だったな」と嘆息するような夢だった。そう言えば5歳の頃にも、これと似た夢を見たことがある。それは、何かの理由(おそらく公害か?)で地球上から酸素が消え、人類全員が死に絶えるという夢だった。あまりにも恐ろしい夢であったため未だにその内容をハッキリと覚えているのだが、その夢にも死体そのものは全く現われず、地上は静まり返った無人状態と化していた。その夢の最後に、私が母に向かって「もう一度生まれ変わっても、お母さんの子どもとして生まれたい」という意味のことを口走ると、それに対して母は「勿論そうなるのよ。そうなることは最初から決まっているの」と返事をした。それから母は、生まれて間もない私の弟を抱いたまま、スーッと透明になり、やがて空気のように消えて行った。40年も前に見たそんな夢を突如として思い出したのも、どうにも奇妙なことではある。今夜の夢も信州の山小屋で見た。



8日●ヤクザと病院
知らない街を歩いている。そこは、銀座から電車で一駅の場所らしい(ただし、実在の場所ではない)。私には連れの女性がいるようだが、姿は見えない。私達は先刻から居酒屋を探しているのだが、適当な店がなかなか見つからない。そのとき、10階建てほどのビルが目に付いた。連れの女性が、このビルの最上階にある居酒屋に入ってみようと言う。私は、このビルには居酒屋は入っていないのではないかと思い、難色を示す。しかし彼女はエレベーターのボタンを押してしまった。最上階に行ってみると、案の定そこは居酒屋ではなく、ヤクザの事務所である。ゴルゴ13のような風貌の組長が、不審げにこちらを見た。私達はすぐに今来た道を逆戻りしてビルから脱出した。途中、数人の下っ端ヤクザの姿も見たような気がする。そのあと自分の右手首に目をやると、今までなかったホクロが増えている。驚くほど大きなホクロだ。何かの変事かも知れないから、病院に行かなくてはと思う。いつの間にか、周囲には家族や友達が大勢集まっているようだ。女友達のひとり(現実世界では知らない顔)が、「私の手首もおかしい」と騒ぎ出した。見ると、彼女の手首の色が白く変色してしまっているではないか。彼女のことも病院に連れて行かなければならない。近くにいた夫にその旨を告げると、夫は明るい声で「名医を知っているから、今すぐ連れて行ってやるよ。心配するな」と答えた。それで安堵したのだろうか、次に見たときには、もう私の手首のホクロは跡形もなく消えていた。
【解説】 夢を見る数時間前に、現実世界でも知り合いの女性から病気のことで相談を持ちかけられた。全く自覚症状のない良性の腫瘍を「切るべきか、切らざるべきか。医者は『放っておいてもおそらく大丈夫だろうが、絶対にOKだという保証は出来ない』と言っている。どうしたら良いか」という相談なのだが、よくよく話を聞いてみると、彼女のケースは切るべきではないように思われた。そこで、「触らぬ神に祟りなし。切らないほうが良いと思う。病気と喧嘩せずに共存共栄するという方法もあるのではないか」と意見を述べたあと、信州の諏訪地方に住む漢方の名医を紹介した。このときの彼女との会話のイメージが即、今夜の夢になったようである。途中に登場した「ヤクザ」も、腫瘍と同様の「厄介者」という意味合いで現われたのではないかと思う。ひとつ気になったのは、夢の中で居酒屋に辿り着けなかったことだ。これは「お酒をやめなさい」という夢からのメッセージかも知れない。彼女にその旨も伝えようと思う。ちなみに私自身は、家では缶チューハイ(250ml)を1日1〜2本と決めている。これは全く問題ない酒量ですよね(笑)。なお、この夢も信州の山小屋で見た。


9日●鮮やかな紫色
気がつくと、デパートのような広い店舗にいた。近くには家族全員と実家の母がいるらしい。ショーケースに折り畳み式の傘が見えた。傘は全部で4色ある。赤、緑、紫の3色は思い出せるのだが、最後の1色が何色だったかどうしても思い出せない。紫色の美しさに私は目を奪われている。こんなにも鮮やかな紫色の傘を見るのは、生まれて初めてだ。母が笑いながらこちらを振り返って、「この紫色の傘、買ってあげようか」と言う。場面が変わり、私は夜道を歩いているらしい。右前方で花火が上がった。それが、紫と緑(?)の2色だけの花火で、この世のものとも思われないほど美しい色合いなのだ。再び場面が変わり、突如として私の前に誰かの腕が伸びてきた。白衣の袖だったから、この人は化学者か医者ではないかと思う。腕しか見えないその人から、何やら化学物質の名前らしきものと分量(ml)およびパーセンテージ(%)がびっしり書き込まれた紙を渡される。薬品のひとつがエタノールであったことは確かだが、そのほかの薬品名は聞いたこともないもので、覚え切れなかった。このあと、とてつもなく大きな屋敷が夢に登場したような気がするのだが、詳細は思い出せない。
【解説】 互いに繋がらない複数のアイテムが、次々に唐突に登場する夢。その中で最も印象的だったのが、傘と花火の鮮やかな紫色だ。それは、現実世界では見たことのない、文字通り夢のように美しい色彩だった。この夢は信州の山小屋で見た。

【後日談】 夢から覚めて携帯を見ると、メールが入っていた。シドニーで暮らす娘からだ。読んでみると、用件は「薬品に関する安全性」で、その内容は「以下の薬品を調合し熱を加えても安全かどうか確認して欲しい」となっており、そのあとに複数の液体の名前が書いてあるのだが、その筆頭が「エタノール(濃度約80%、約500ml)」となっていたのには驚いた。夢に登場した「エタノール」が娘のメールにも登場するとは、何とも面妖なことである。うちの親戚には医学・薬学関係者が多いので、娘はおそらく大学の講義で教わった内容について、彼ら専門家の意見を聞きたかったのではないかと思う。なお、「エタノール」は分子式C2H5OH、無色透明のアルコール類の一種で、別名は「酒精」、あるいは単に「アルコール」とも呼ばれるそうだ。ちなみに「エタノール」(ドイツ語)と「エチル・アルコール」(英語)は同じもの。


10日●4通のグリーティング・カード
他人の家。リビング・ルームのようなところ。私の前に、眼鏡をかけた40代と思しき男性の姿が見える。見知らぬ人だが、私はこの男にあまり良い第一印象を抱いていない。彼は、この家で行なわれている「日課」について教えてくれた。それによれば、彼は妻とは直接会話せず、毎朝グリーティング・カードを送っているのだそうだ。それが現代人としてスマートな生き方だと、彼は信じているらしい。部屋の真ん中に置かれたロッキングチェアを、男はぐるりと半回転させた。見ると、背もたれの裏側部分には布製のポケットが付いており、全部で4通のグリーティング・カードが挿し込んである。1通目は彼自身が書いたカード。2通目は妻が書いたカード。3通目は娘が書いたカード。4通目は息子が書いたカードである。4人それぞれが、家族に向かって何か意見などを書いているのだ。カードの中で、男は妻のことを「お母さん」と呼び、妻は男を「お父さん」と呼んでいる。夫によって書かれた文章には、どこか妻を見下したようなニュアンスがあり、妻のほうも夫が原因でフラストレーションを起こしているような内容のメッセージを書いていた。2人の子ども達のうち、娘が書いた文章の中身がどんなものであったかは思い出せないが、息子のカードには、小さな文字で学校の成績について書かれていたようだ。
【解説】 今夜の夢は非常に長いストーリーだったのだが、起きた瞬間に大部分を忘れてしまい、この部分しか思い出せない。夢に登場した家族に心当たりはないが、日本のどこにでもいる平凡なファミリーという印象だった。なお、夫婦間で互いにどう呼び合うかは個々の自由だが、個人的には、夫婦が「お父さん」「お母さん」と呼び合う日本の習慣には全く馴染めない。その意味でも今夜の夢に現われた男性は、私とは縁のないタイプだったように思う。この夢もやはり信州の山小屋で見た。



11日●「12」
開かれた書籍。そのページに印刷された文字のうち、「12」という数だけにスポットライトが当たって見える。私は心の中で、(もう12なの?)と驚いている。
【解説】 この直前にもストーリーがあったのかも知れないが、定かではない。ところで私の夢には、しばしば「意味不明な数」が登場する。それらの数には果たして深い意味があるのか、それとも単なる偶然の所産なのか。ちなみに「12」と言ってすぐに思い出すのは、ユダヤ教からキリスト教に繋がる「聖なる数」の系譜であろう。十二支族、十二使徒、十二弟子など、聖なるものの数を「12」とする例は枚挙に暇がない。そう言えば、時間(1年は12ヶ月、半日は12時間)も重さ(1ポンドは12オンス)も長さ(1フィートは12インチ)も、十進法ではなく十二進法だ。このことから、「12」はひとつの区切りの数と考えられるかも知れない。今夜の夢の中で私は、(もう12なの?)と驚いていたが、一体何を驚いていたのだろう。とりあえず思い当たる節はないのだが……。この夢を見た信州の山小屋にも、特に「12」に関係したものは見当たらない。



12日●第三の男
電車が見える。映画『第三の男』のテーマ曲が聴こえる。私は車窓から外の景色を眺めながら、缶コーヒーを飲んでいる。
【解説】 このあとで誰かに会ったような気がするが、思い出せない。今日は(仕事の都合で)2時間しか睡眠時間が取れなかったためか、普段に比べて夢の記憶が不明瞭だ。この夢は信州の山小屋で見た。

【後日談】 この夢を見た翌日は鎌倉で大事な用事があったため、朝の早い時刻に長野駅を発ち、新幹線で東京駅に出たあと横須賀線で鎌倉に向かった。帰りは上野に出たかったので、再び横須賀線で東京に出てそこから山手線に乗り換え上野へ……と計画していたのだが、うっかり間違えて鎌倉駅から湘南新宿ラインに乗ってしまった。仕方がないので新宿から上野に向かうことにしたのだが、新宿に到着する数分前に恵比寿駅に止まったとき、なんと『第三の男』のテーマ曲が聴こえて来たのには仰天した。私は恵比寿駅を年に1度も利用しないので知らないだが、この駅では『第三の男』をテーマ曲に流しているのだろうか? 夢の内容とあまりにもよく似たシチュエーションで、まったく驚いた。唯一違っていたのは、夢の中では缶コーヒーを飲んでいた私が、現実世界の中では飲み物を飲んでいなかった(しかも「喉が渇いたわ。缶コーヒーを買って来れば良かった」と思っていた)ことぐらいである。


13日●少女の顔
ふたりの少女の顔が、白く浮かび上がって見える。何か白い球状のもの。横に伸びた3本の長い直線。
【解説】 もう少しストーリーのある夢だったような気がするのだが、これらの断片的なイメージしか思い出すことが出来ない。この夢は東京の自宅で見た。



14日●達成
1年ほど前からずっと努力していた「それ」が、ついに実を結んだ。心の底から深い喜びが湧いてくる。私の近くには何人かの親しい人たちがいて、言葉は少ないけれども最高の方法で祝ってくれる。私の肩より少し高い位置に、白い球形のものが浮かんでいるのが見える。大きな達成感。私は幸福だ。
【解説】 夢の中では「それ」が何であったかハッキリしていたのだが、さて夢から覚めてみると、「それ」とは何だったのか一向に思い出せない。困ったものである。そう言えば私の夢には、時々「白っぽい球形のもの」が現われるようだ。それが何を意味するのか本当のところはわからないが、イメージとしては、例えば「魂」とか「守護神」のような、目に見えないプラスのパワーに近いものを感じる。夢の中でこの球形を見た翌朝は、何故かパワーが増しているような気がするから不思議だ。この夢は信州の山小屋で見た。



15日●懐かしい顔ぶれ
夢の最初のほうで、昔懐かしい人に会ったような気がする。その人は、幼なじみの男の子(例えば幼稚園時代の同級生とか)だったように思うのだが、それが誰であったか、また実在の人物か否かなどは定かでない。場面が変わり、どこか懐かしい感じのする建物の一室。私は何かのミーティングに出席しているらしい。のんびりした雰囲気。そこにも、昔から知っている懐かしい顔ぶれが揃っていたようだ。何か弁当のようなものが配られた。私は少しもおなかが空いていないのだが、義理でその弁当を食べなければならなくなる。食べたくない食べ物を口に入れるのは苦痛だ。そこへ、不意に息子が現われた。私は、口先では「仕事中に邪魔しちゃダメじゃないの」などと言いながらも、内心は(これでミーティングから抜け出す口実が出来た)と思っている。私の気持ちがわかっているのだろう、息子はおかしそうに含み笑いをしていた。そのあと息子と散歩をしながら、何かおかしなことを言って大笑いをしたような気がする。
【解説】 この夢も信州の山小屋で見た。懐かしい人たちと再会し、それはそれで嬉しいのだが、しかし早くその場から抜け出たいと思っているおかしな夢。それはちょうど、「何十年ぶりに開かれる同級会は確かに楽しいが、だからと言ってそのメンバーと明日からも毎日逢いたいという訳ではない」という気持ちに似ているかも知れない。夢の最後のほうで息子が現われたときは、心底からほっとした。



16日●ピンクと白の球
目の前に、ピンクの球と白い球、合計ふたつの球形のものが見える。これらは女性の生殖機能に関係したものらしい。球の大きさは、それぞれが野球のボールよりも一回り大きい程度で、色、形ともにとても綺麗だ。私はふと、女友達のSさんににこれと同じ球の“レプリカ”を贈ってあげようと思う。どのようにレプリカを作ろうか考えたところ、目の前の球は大きさも色も紅白饅頭に似ているので、お饅頭を2個セットで贈ってあげればいいことを思いつく。早速私は、饅頭屋に行ったようだ(但しこの場面はよく覚えていない)。一旦は紅白1個ずつでいいと思ったものの、やはりピンクを1個、白を2個贈ろうと思い直す。ピンクの饅頭は結婚式の引き出物、白の饅頭は葬式の香典返しとして販売されているものだ。こうしてSさんの手に3個の饅頭が渡った。Sさんは遠い場所に住んでいるにもかかわらず、私には彼女の笑顔が見える。ピンクと白の饅頭を受け取ったSさんは、それを誰か(おそらく彼女の夫?)に見せながら、実に楽しげに笑っていた。
【解説】 何だかよくわからない夢。私が持っているのはピンクと白の球形のもので、それと似たような形のレプリカ(複製品)を女友達に贈ろうとする夢なのだが、それが饅頭であるところが実におかしいし、2個贈るはずが途中から3個になってしまうのも謎だ。また、レプリカを贈った相手のSさんは、小学校時代の同級生だが、現在は全くの没交渉である(但し、昨年の夏に行なわれた中学校の同級会で顔を合わせたときを除く)。私が知るSさんは明朗活発、運動神経抜群の健康優良児のような女性で、しかも美人で頭も良かった。どんな理由にせよ、彼女のような人が夢に現われてくれると気持ちが良い。なお、私が持っていたピンクと白の球は、「繁栄」とか「豊穣」の象徴のように思われた。この夢も信州の山小屋で見た。



17日●幸福感
何かほっとするような、温かく懐かしい気持ち。どこかから心地良い風が吹いてくる。そこには痛みも苦しみも、暑さも寒さもない。煩わしいことは一切ない。私は何も考えずに、その幸福感の中に身を任せている。
【解説】 本当はストーリーがあったのかも知れないが、いざ起床してみると幸福なイメージだけが残っていた。この夢も信州の山小屋で見た。



18日●割れたピアス
良く手入れされた広い庭のようなところを歩いて行くと、アクセサリーを売っている屋台があった。屋台のすぐ後方は立派な日本家屋で、そこは店舗またはモダンな料亭らしい。私は屋台の前でふと足を止めた。風鈴のような形をした可愛らしいピアスを見つけたからだ。ピアスの飾りの大きさはビー玉程度で、色は赤だったような気がする。ピアスを試着しようと手を伸ばした途端、左腕の袖が触れて、その拍子にピアスは机の上に落ちパリンという音を立てて割れてしまった。あまりに簡単に壊れたピアスを前に、私は困惑しながら呆れ返っている。店のおばさんは「あらあら、壊してしまいましたねえ」などと言いながらピアスを取り上げ、「これは10万円いたしますのよ」と付け足した。おばさんは小太りで、眼鏡をかけ、いかにも高級そうな友禅染の着物を着ている。おばさんの雰囲気から察するに、ここは高級品だけを扱っているアクセサリー・ショップなのかも知れない。私はすぐ後方の日本家屋に入って行った。気がつくとおばさんの姿は消え、40代後半と思しき男性がふたり、私の隣に座っている。彼らのうち1人の顔はハッキリと見えるのだが、もう1人の姿はほとんど目に入らない。顔が見えるほうの男性は、この店の店主または関係者らしい。彼は私に、「自分と付き合ってくれればピアスを壊したことは忘れましょう」という意味のことを言った。私はこの男を心底から軽蔑しながら、「冗談じゃありません。10万円は弁償しますよ」と即座に答えた。男は意外そうな顔で私を見た。どうやら男は最初から私と付き合うことを目論んでいたらしい。とすれば、ピアスがいとも簡単に割れてしまったことも、10万円という値段の設定も、全てはヤラセではないかと思えてくる。しかし仮にそうだったとしても、10万円を払って片をつけてしまおうと私は思う。しかし今は現金の持ち合わせがない(あるいは夢の中の私はまだ学生で、10万円という額はかなりの大金なのかも知れない)。支払いを分割にしてもらおうかなどと思っている。気がつくと夢から覚めてしまい、このあとの顛末は覚えていない。
【解説】 今から数日前、生まれて初めて本格的に轆轤(ろくろ)を回し、赤楽の茶碗を作った。そのとき、器の厚みを均等に整えることに腐心しながら、(厚すぎると野暮だし、かと言って薄すぎるとパリンと割れてしまいかねないし)と、割れることを心配していた。その気持ちが今日の夢には反映しているような気がする。それにしても、夢に現われた男は誰だったのだろう。店の商品を壊したことを理由に「俺と付き合え」と客を脅すなど、やっていることは殆どヤクザだが、見た目はさほど悪人面はしていなかった。この夢も信州の山小屋で見た。



19日●不法侵入の男
私はアルバイトで夜勤をしたらしい。それがどのような仕事だったのか具体的には不明だが、物を運搬するなどの肉体労働だったような気がする。夜明け近くになって1人暮らしのアパートに戻り、仮眠を取っていると、誰かがドアを叩く音がした。同時に男の声が、「宅配便ですよ」と呼んでいる。私は「ちょっと待ってください」と返事をし、寝ぼけ眼で起き上がってそのへんにあった黒いコットンパンツを履こうとするのだが、それが脚にピッタリ食いつくほどスリムなデザインなのだ。あまりにピッタリしているので、履くのにだいぶ難儀してしまった。玄関まで行ってみると、驚いたことに宅配便の配達員は既に家の中に入っているではないか。彼はどうやってここの鍵を開けたのだろう。合い鍵でも持っているのだろうか。いぶかしんでいると、男が突然襲い掛かってきた。私は咄嗟に男の肘を掴み、あっと言う間に空中で一回転させて床に叩き落としていた。尾てい骨を強く打った男は、うんうん呻きながら痛がっている。私はすぐに男を後ろ手に縛り上げながら、(それにしてもこの男、どこで鍵を手に入れたのだろう)と思っている。
【解説】 見覚えのない部屋(しかも1人暮らし)に、実際には縁のなさそうな「肉体労働」のアルバイト。しかし夢の中ではそこが自分の「居場所」としてピタリと収まっていたから不思議だ。この夢も信州の山小屋で見た。



20日●秘密を持った軍人達
眼鏡をかけた60代前半と思しき男性。神経質そうな顔つきが、いかにも諜報関係の仕事に長く携わった人という雰囲気を醸している。よく見ると、彼が着ているものは軍服だ。おそらく海軍だろう。これから彼の後輩に当たる男がやって来るらしい。そのことで彼は喜びながらも半分ナーバスになっている。おそらくこの男の過去には恐ろしい秘密があって、後輩はその秘密を知っているのだ。夢の中の“私”は本当の私ではなく、彼の部下のひとり(男性)になっているようだ。“私”は脚が悪いのかも知れない。眼鏡の男から指示されて“私”は部屋を出ると、スロープ状になった長い階段を降りようとする。階段は屋根のない外階段で、自動車が通れるほどの広さがある。脚が不自由な“私”は、なかなか思ったように歩けない。ようやく“私”が地上に辿り着いたとき、既に眼鏡の男の“後輩”は到着しており、建物の前で大勢の軍人から歓迎を受けていた。“後輩”もやはり脚が悪いらしい。爆撃でやられたのだろうと思う。“後輩”は体が大きく、外人のような顔立ちをしている。どうやら海兵出身らしい。この男にも人には言えない秘密がある。“私”は人々に顔を見られないよう気をつけながら、物陰からそっと様子を伺っていた。
【解説】 久しぶりに軍人の夢である。登場した軍人達は、それぞれ人には言えない秘密を持っているようだった。この夢は明らかに『ロスト・オフィサー』執筆の後遺症と思われる。この夢も信州の山小屋で見た。



21日●タクシーで芝居見物へ
古いアパートのような建物の2階。そこで数人の人と話している。男性がひとりと、私を含めて4人の女性。全員が私にとっては初めて逢う顔ぶれのようだ。男性は、割とハンサムな顔立ちで背が高く、穏やかな性格の人のようだ。彼は誰かから貰った芝居のチケットを持っている。どうやら、今日がその上演日らしい。皆で芝居を観に行くことになった。私にはその予定がなかったのだが、男性から「あなたの分もチケットがあるから皆で一緒に行きましょう」と誘われる。結局、私も皆について行くことになった。アパートの狭く急勾配な階段を降りて行くあいだも、皆は楽しそうにワイワイ騒いでいる。不思議なことに、私には女性達の顔は全く見えない。声から想像するに、特徴のない平凡な顔だろうと思われる。アパートの前からタクシーを拾おうと思うのだが、待てど暮らせどタクシーは来ない。そのうち上演時間が迫ってきてしまい、焦った皆はタクシーを捜すためほうぼうに駆けて行った。男性が「ダメだなあ。このへんにはタクシーは来ないのかな」と言うと、道の反対側の角に立っていた女性のひとりが、「そんなことないですよ。ほら、現にこうしてタクシーは来るじゃありませんか。あなたの探し方が下手なんですよ」と言いながら、すぐ傍らを通り過ぎて行くタクシーを指差した。そんな文句を言っている暇があったら、何故そのタクシーを停めようとしない? 私は急いで走って行き、タクシーを止めた。1台のタクシーに5人も乗れるかと不安になったが、運転手は何も言わずに全員を乗せてくれるらしい。行き先を告げる段になって、男性がチケットを取り出して見ると、「名古屋○○○○」の文字が見えたではないか。東京から名古屋までタクシーで行く気なのだろうか。驚いてチケットを見直すと、公演会場のある場所は東京都内で、名古屋うんぬんとあったのは劇団の名前らしい。聞いたことのない劇団だと思う。気がつくと私たちは劇場に到着したようだ。既に芝居らしきものが始まっている。しかし不思議なことに、私の目に見えるものは舞台ではなく、夢の画面一杯に広がった大きなテレビのようなものだ。そこには2人の女性が映っていて、そのうちのひとりはどう見ても人間ではない。頭の大きさは通常の人間の5分の1程度しかなく、目の大きさは人間の5倍ほどあって、しかも肌はブルーのラメなのだ。毛髪も青色の不思議な素材で出来ている。どこからどう見てもエイリアンとしか思えないが、しかし彼女は人間なのだという。「やっぱり、これからの時代は見た目もこれぐらい目立たなくちゃダメだよね」という意味のことを連れの男性が言った。私は心の中で(それにしても何故、名古屋なのだろう)と思っている。
【解説】 全く意味のわからない夢。そう言えば今月4日の夢にも「名古屋」というキーワードが突然現われたし、6日の夢でも「タクシー」を捜していた。一体どういう意味なのだろう。この夢も信州の山小屋で見た。



22日●映画と写真集
とても不思議な形をした、10階ほどの高さの建築物。各階のフロアー面積が異なるのだろう、外から見ると各階の外壁が飛び出したりへこんだりしている。まるでブロックを積んだような奇妙な建物だ。私はここの2階あたりに住んでいるらしい。上のフロアー(8〜10階あたり?)で何らかの事件または事故が起こったようだ。私はそこの住民を助けに行こうとしている。場面が急転し、見覚えのない場所。外国らしい。近くに海の存在を感じる。目の前にN乳業のN会長の姿が見えた。N会長は楽しそうに笑っている。その周囲を、数人の華やかな女性たちが取り巻いているようだが、彼女たちの姿は私には見えない。おそらくお茶の教室でご一緒の皆さんではないかと思う。これから私たちは映画に出演することになっている。主人公はNさんで、私たち女性陣は脇役だ。ハッキリとは覚えていないのだが、それは「桃太郎」のような単純な昔話の映画化ではなかったかと思う。私は何か空を飛ぶ生き物(四足の動物ではない)を演じたような気がする。映画は完成し、私たちは試写会で自分の姿を見て大笑いをしている。これが私の映画初出演だと思うと、少しくすぐったい気持ちだ。Nさんが本当に楽しそうに笑っているのが印象的だった。再び場面が変わって、私は波打ち際に立っている。ここはマイアミか、カリフォルニアあたりだろう。健康的な感じのする金髪の女性が、水着で波と戯れている。こちらに背中を向けているので顔は見えないが、あれは女友達のキャシーに違いない。キャシーは痩せっぽっちだったが、暫く見ないうちに女性らしい体形になったようだ。私も水着姿で波と戯れているらしいのだが、自分の姿は全く見えない。陽気な感じのする白人のフォトグラファー(男性)が現われて、何か面白いジョークを言いながら私たちの写真を撮り始めた。場面が変わり、1冊の写真集が目の前に見える。なかなか豪華な作りの本である。ページを開くと、不思議なことに最初から10ページ目あたりに紐がかかっており、そこで一旦紐を解かないと次のページに進めない仕組みになっているのだ。紐が掛かっていたページには、オーストラリア・タウンズヴィル市長の写真がちらっと見えた。本の最後のほうには、キャシーと私の写真も載っていた。健康的で明るいイメージの写真集だと思う。
【解説】 今夜の夢は非常に長く、またいくつかの異なるストーリーが次々に現われる複雑なものだった。おそらく上記の内容以外の夢も見たのではないかと思う。夢に登場したNさんはお茶の兄弟子で、武士の血を引くユーモア溢れる文化人。人を疲れさせない、話していて面白い人である。キャシーは私と同年代のアメリカ人で、ヒューストン時代の友達。小柄で童顔なせいか、どこか妖精のような女性。私とは気が合って、随分と色々なお喋りをしたものだ。最近は音信不通になってしまっているが、元気にしているのだろうか。折角こうして夢に現われてくれたことだし、久々に連絡してみようと思う。この夢も信州の山小屋で見た。



23日●さくらさん
陽のあたる縁側のような場所。さくらさんと向かい合って座り、何やら世間話をしながらお茶を飲んでいる。見たところ、さくらさんは27〜8歳に見える。私が年齢のことで何か言うと、さくらさんは静かに頷きながら、「そうですね。真美さんは、ちょうど僕の祖母と同い年ぐらいですよ」と応じた。それを聞いて初めて私は、自分が80歳ぐらいになっているらしいと気づく。場面が急転し、十数台あるいはそれ以上の戦車が列をなして進軍している。私は後方の戦車に乗っている。それは不思議な戦車で、まるでトラックの荷台のような屋根なしの座席があるのだ。私が乗っているのは、まさに屋根なしの座席である。戦車はトンネルに近づいた。その瞬間、私は本能的に危険を感じ取って戦車から飛び降りた。そのあと何が起こったのか定かではないが、私は(自分自身の第六感を信じてよかった)と思っている。
【解説】 さくらさんはネット上で山田真美ファンクラブを運営してくださっている人。性別は男性で、年齢は20代前半(らしい)。しかし精神的には驚くほど老成したところがあって、そのためさくらさんとメールのやり取りなどをしていると、気心の知れたおじいさんと猫のいる縁側で茶飲み話をしているような気分になることがある(爆)。今日の夢はまさにそのような雰囲気を醸し出していた。なお昨夜遅くに山小屋から戻り、今夜からは再び東京で夢を見ている。



24日●遊園地にて
気がつくと私は屋内型の遊園地にいた。すぐ近くに親しい人が2〜3人いるようだが、それが誰なのかはわからない。あるアトラクションの入り口に辿り着いたところ、その手前に小さな機械が見えた。駐車場の出入り口に設置された料金精算機のような箱型の機械だ。その機械へカードを差し込むと、何故か自分の顔写真がプリントアウトされて出てきた。どうやら私は別の時に別の遊園地で自分の顔写真を登録してあり、それがオンラインで他の遊園地でも見られるシステムらしいのだ。プリントアウトされた写真を見て、周囲の人たちが「わぁ、すごいね」「ハイテクな機械だ」などと感心している。私は心の中で(こんなシステムがハイテクだと思うなんて、この人達は昭和からタイムスリップして来たのではないか)などと思っている。遊園地の中を歩きながらも、同行者たちはその機械の素晴らしさについて熱っぽく語っている。私はこの遊園地に対してどうしようもない物足りなさを感じている。
【解説】 昨日、1980年代生まれの人とメールのやり取りをした。取り留めのない話だったのだが、その中で私が「私の大学時代、牛丼の吉野家は男性客でいっぱいで、女性客なんて見たこともなかった。その頃の私はまだベジタリアンではなかったので、ある日勇気を奮い起こして仲良しの女友達とふたりで六本木交差点近くの吉野家に入ったのだが、食事のあいだ中ずっと男性陣から視線の集中砲火を浴び続け、食事をした気がしなかった」と書いたところ、これに対する相手の返答が奮っていて、「そのときの様子をデジカメで撮影しましたか」だった。私の大学時代と言えば、カセットテープを入れて持ち歩けるSONYのウォークマンが画期的なハイテク製品だった頃。「その時代にデジカメがあるわけないでしょう」と言って大笑いになったのだが、今夜の夢はおそらくこの会話が影響しているように思う。



25日●金さんからの手紙
封書の手紙が届いた。中身は『ロスト・オフィサー』の読後感想文だ。そこには心温まる素直な気持ちが書かれている。手紙の差出人名は、姓が「金○」(2文字目がかすれており、はっきり読めない)、下の名前が漢字1文字で、男性名のようだった。白い封筒を見ているうちに、これはもしや姓「金○」+名前「○」ではなく、姓「金」+名前「○○」という韓国人からの手紙なのではないかと、ふと思った。
【解説】 時間にして一瞬の夢。手紙の内容がどのようなものであったのかは、全く思い出せない。丁寧な筆跡が印象的だった。



26日●異国で途方に暮れる
見知らぬ外国の町。オーストラリアのシドニー郊外という設定らしいのだが、見たことのない風景だ。海沿いのオープン・カフェのような店にいる。私の左腕には、生まれて間もない赤ん坊が抱かれている。とても優雅で美しい子だ。私はその赤ん坊に母乳を与えている。温かく、誇り高い気分。近くには母方の親戚が数人いるようで、何か世間話をしている。「それにしても綺麗な赤ちゃんね」という声も聞こえる。のどかな雰囲気。私は赤ん坊を母に預け、手を洗うためすぐ近くにある建物に入った。数分後に元の場所に戻ってみると、そこにはもう誰もいなかった。海岸に置いたはずの携帯電話も消えている。途方に暮れながら、その辺の人たちに「私の家族を知りませんか」と聞くのだが、歩いて来るのは何故か頭に荷物を載せた労働者階級のインド人ばかりで、しかも何語で話しかけても言葉が通じない。そのうちに日が暮れてきた。携帯電話も現金も持ち合わせない私は、バスに乗ることさえ出来ない。先刻手を洗った建物に戻り、1階のバスチケット売り場に行くと、白人が何人かいた。事情を話し、バス代を貸して欲しいと頼んだところ、「そういうサービスは行なっていません」とけんもほろろの対応である。どうやら私にはシドニーに知り合いはひとりもいないらしい。日本領事館まで歩いて行こうかとも思うのだが、そこまでは歩いて数時間はかかるのだ。私は海岸に寝そべって、(さて、困ったな)と思っている。ポケットの中に手鏡があったことを思い出し、それで太陽光線を反射させて、大空に“HELP”の文字を書こうとする。これを誰かが見てくれて、私を助けに来てくれたら良いのだが。場面が変わり、知らない家の2階。私は何日か前からここで誰かと暮らしているようだ。相手が誰なのかは不明だが、小柄なインド人と大柄なアメリカ人が交互に現われたような気がする。私はここでの生活に飽きている。何か適当な理由をつけて1階に降り、そのまま二度とその家には戻らなかった。気がつくと、今度は電車の乗り場にいた。私は娘と息子、それに姪(弟の長女)を連れている。娘は小学4〜5年生、息子と姪は幼稚園児のようだ。チケット売り場で目的地の名前を告げると、胸に“Powell(パウエル)”と名札をつけた白人男性がチケットを発券してくれた。そこはシドニーの南東郊外で、私が告げた行き先は北のほうにある「M」で始まる名前の場所だ(フルネームはどうしても思い出せない)。私たちは一列に並んですわり、大人しく景色を眺めていた。1時間も経ったろうか。不意にアナウンスが「次は終点、マンリー駅です」と告げた。マンリーは私たちの目的地ではない。車内に貼ってあった路線図をあわてて見直すと、マンリーから「M」駅までは、まだだいぶ離れている。仕方がないのでマンリーで降り、そこから別の路線に乗り換えることにした。しかし電車を降りる段になって、息子が2枚あったチケットのうち1枚をなくしたと言いだした。見れば息子は電車に乗っているあいだに小学3〜4年生に成長したようで、先刻よりもだいぶ背が伸びている。なくしたチケットを探すよう指示したところ、息子は「チケットがなくても別に大丈夫さ」と余裕の笑みを浮かべた。私は座席の下に潜り込んでそのあたりを探した。すると、日本語で「パウエル」と印刷されたチケットが落ちていたではないか。「今度はなくさないでよ」とチケットを渡したときも、息子は余裕たっぷりに笑っていた。このときまでに娘は大きく育ってしまったのだろう、既に電車には乗っていなかった。息子と姪を連れていざマンリー駅に降りてみると、そこはオーストラリアとは似ても似つかぬ日本の風景である。どうやら母方の祖父母がかつて住んでいた長野市S町らしい。何故この路線がS町に通じているのか。どうしたらここから「M」駅に出られるのか。再び途方に暮れながら考えているところで、ようやく目が覚めた。
【解説】 人とはぐれたり道に迷ったり物をなくしたり、非常に疲れる夢。たった一晩で長い時間を過ごしたような感じで、目が覚めたときは心底ホッとした。現実のオーストラリアには親切な人が多く、今夜の夢のような困った事態が起こるとはまず思えないのだが。夢の中で特に印象的だったのは、子どもたちの成長がビデオの早回しのように高速で行なわれていたこと。また、最初に現われた赤ん坊は夢の中では私の子という設定だったが、本当は娘が未来に生む予定の子(=私の孫)のイメージだったのかも知れない。なお、私の夢にはしばしば「知らない家の2階」が登場するようだが、それが何故「1階」でも「3階」でもなく「2階」なのか、理由はわからない。



27日●ロケット着陸失敗
気がつくとロケットに乗っていた。ロケットと言っても人間が5人ほど乗っただけで満員になってしまう小さなもので、形はペンシル型。ボディは何の素材で出来ているのか、ガラスのように透明である。内部には、バーのカウンター席に置いてあるような高い椅子が5脚あって、乗組員はそこに腰掛け、ごく簡単なシートベルト(自動車のシートベルトよりも更に簡単な構造のもの)を装着するだけ。私のほかには、幼い息子(3歳ぐらいに見える)と、知らない人たち(白人男性だったように思う)が乗っていた。私たちは先刻から英語で雑談をしている。ロケットは旧式で、操縦は全てマニュアルで行なわれるらしい(男性のうちひとりは操縦士のようだ)。また、ヒューストンとの交信などもない。こうした小型ロケットによる宇宙飛行は今では手軽に行なえるようで、暗い宇宙を飛んで行く同型のロケットがときどきガラス越しに見える。2〜3時間が過ぎた頃だろうか。私はここがロケットの中であることをうっかり忘れ、シートベルトをはずして立ち上がると、ドアを開けて外に出てしまった。当然、私の体は虚空にふわりと浮き、そのまま星の引力に引っ張られてあっという間に落下。そのまま一巻の終わりかと思いきや、ロケットから星の地表面までわずか1〜2メートルしかなかったため、かすり傷ひとつ負わずに星に着地できた。次の瞬間、ドカーンという物凄い音とともにロケットが星に衝突。乗組員全員がおしゃべりに夢中で「着陸」のことを完全に忘れていたため、減速もせずにそのまま星に追突してしまったのである。ペンシル型ロケットの先端の円錐形の部分が、見事に星に突き刺さっている。ロケットのドアが開き、男達が次々に降りてきた。皆、(英語で)「ふぅ〜、参った参った」などと言ってはいるが、彼らは頭をかきながら苦笑いをしており、かすり傷ひとつ負っていない。急いで息子の様子を見に行くと、息子は自分でシートベルトを外すことが出来ず、そのまま座席に座っていた。「どこか痛いところはない?」と言いながら席から下ろしてやると、息子は少し怒ったような声で「ちょっと手が痛いだけさ」と答えた。星にめり込んでしまったロケットを前にして、私たち5人がまた何か雑談をしていると、宇宙ステーションの管理人らしき日本人男性がヘラヘラ笑いながら近づいて来た。彼はロケットを指差しながら、「これ、このまま放って置くと星から取り出せなくなっちゃいますんで、早いうちに掘り出しておいてくださいね〜」と言っただけで、またスタスタと去って行った。ここは宇宙のどこにある、何という名の星なのだろうか。星の表面の感じは地球にそっくりだが、凹凸がなく、また樹木も生えていないのが印象的だ。そしてここは太陽光線の届かない、一日中「夜」の星らしい。場面が変わり、この星のどこかにある立派な料亭のようなところ。私たちはこれから食事をするようだ。メンバーは先刻の5人よりも増えているような気がするが、詳しいことはわからない。料亭の女将らしき着物姿の女性が現われて、「いらっしゃいませ。お待ちしていましたよ。さあさあ、どうぞこちらへ」とにこやかに私たちを案内してくれた。その人はどうやら、江戸風俗研究家の杉浦日向子さんのようであった。このあとも何か出来事があったような気がするのだが、どうしても思い出せない。
【解説】 なんともおかしな夢だった。スペースシャトルの時代に、旧式のペンシル型のロケット(それも全面ガラス張り)。コンピューター制御なしの手動運転。しかも墜落しても誰一人かすり傷負わないという、まさにマンガのような夢だった。実際には明後日からハイスクールに入学する息子が、夢の中では3歳児に逆戻りしていたのも奇妙なことである。最後に料亭の女将として登場した杉浦さんは、NHKの「お江戸でござる」などで知られる江戸風俗研究家(もとは漫画家)。46歳の若さで先月お亡くなりになったという。杉浦さんと私は、今から18年ほど前に一度だけ、建築家やアーティストなど10人ほどで食事をしたときにご一緒したことがあるだけで、その後は全く交流がなかった。その杉浦さんが何故夢に現われてくれたのか、理由は全く思い当たらない。



28日●はるゐちゃん
見たことのない部屋。カーペットの上に、洗濯をしたきり干し忘れたらしい衣類が一山置いてある。ちょうどその直前に私自身も洗濯をし終えて、これから干そうとしているところらしい。しかし何か急用があって、私は出かけなくてはならない。気がつくと目の前に扉があった。チャイムを鳴らすと、はるゐちゃんが顔を出した。はるゐちゃんは母方の祖母だ。親戚が大勢来ているらしく、家の中からは賑やかな笑い声がする。こんなに大勢の人が集まっているということは、今は皆が帰省するお盆なのかも知れない。私は小声ではるゐちゃんに、「悪いけど洗濯物を干しておいてくれる?」と頼んだ。はるゐちゃんが「干すだけでいいの? すすぎはもう終わったの?」と聞き返してきたので、干すだけでいいと頼んだ。はるゐちゃんは心なし疲れているようだ。以前のような活気がない。もう年なのかも知れないと思う。そのあと隣の部屋に入ると、従妹のMちゃんが泣いていた。皆が口々にMちゃんを慰めている。私もMちゃんの頭を撫でながら、「大丈夫、大丈夫。何とかなるから」と言った。
【解説】 前半に長いストーリーがあったように思うのだが、「はるゐちゃん」登場のインパクトが強かったためか、前段階の記憶が消えてしまった。「はるゐちゃん」は私が大学を卒業してすぐに亡くなった母方の祖母。私が初孫だったことと、ふたりの性格が似ていたためもあって、とにかく目に入れても痛くないほど可愛がってくれた。亡くなったときの年齢は、現在の母よりも若かったはずだ。そのためか、今夜の夢に登場した「はるゐちゃん」は、どこか母に似ていた。私には母方だけでも10人の「いとこ」がいる。Mちゃんは実在する従妹のひとりだが、かれこれ20年以上逢っていない。何故夢に現われたのか不思議である。



29日●遠い祭り
私は山奥のような場所に隠棲している。何か用事があって山を途中まで降りていくと、遠くのほうから人々が笑いさざめく声が聞こえてきた。祭囃子も聞こえる。どうやらこの先で大きな祭りが行なわれているらしい。用事を済ませるために、自然の岩山を使った要塞のような建物に入って行った。そこは床も壁も天井も砂岩で出来ており、部屋の真ん中には大きな穴がぱっくりと口を開いて、その下はまるで断崖絶壁のようだ。私の前には、3人の女性の姿が見える。中学校で一緒だったTさんとYさん。最後のひとりは顔が思い出せないが、3人とも私とはクラスが違い特に親しくしたことはないものの、かなり背が高く成績上位の人たちだったので覚えているのだ。3人のうち誰かひとりだけが親切で、あとのふたりは冷たくツンと取り澄ました感じ。このとき夢の中で私の心だけが何十年後かにワープしたのか、(この人たちは今頃どこで何をしているのだろう。学生時代は目立っていたが、案外平凡な生活を送りそうなタイプの人たちだ)などと思っている。私は、この先の祭りには行ってみようとは思わない。このまま喧騒から遠ざかろうと思っている。
【解説】 前後にもストーリーがあったのかも知れないが、この部分しか思い出せない。前にも書いたと思うのだが、私は中学時代の自分があまり好きではない。当時の自分を思い出してみると、大人しく、私らしさがなく、「輪郭」が曖昧な感じがする。自分が自分らしくなったのは明らかに高校時代以降だが、夢に頻繁に現われるのは何故か中学時代のほうなのである。今夜の夢にも中学時代のイメージらしきものが登場したが、そこに伴う感情は「懐かしさ」や「郷愁」では全くなく、「あれから随分と遠くへ来たものだ」「ようやく私は自分になれた」という感慨に近いものだ。また私の夢には「山奥に隠棲する」といったイメージのものも多いが、これは、一見社交的に見えて実は孤独を好む私本来の気質をよく表わしているように思う。なお、「冷たい感じの女性3人」が登場したことは、就寝前に久しぶりに読んだ『マクベス』の「3人の魔女」のイメージに影響されているのかも知れない。



30日●親戚の集まり
隣の部屋に、大勢の親戚の者が集まっているようだ。姿は見えないが話し声が聞こえる。どうやら母方の親戚のようだ。私は心の中で(この頃、母方の親戚ばかりが頻繁に夢に現われるのは何故だろう)と思っている。
【解説】 夢の中で、自分が夢を見ていることを理解していて、(何故こういう夢を見るのだろう)と考えを巡らしている夢。特にストーリーがあったかどうかは定かでないが、仮にあったとしても複雑なものではなかったように思う。



31日●入れ替わるTシャツと空飛ぶ女
私はビデオを見ているらしい。ビデオには、ボディにぴったりフィットした長袖Tシャツのようなものを2枚重ね着したふたりの女性(ひとりは金髪の白人、もうひとりはヒスパニック系)が映っている。ふたりは足をやや広げて立ち、両腕を高く上げて、その腕をお互いのほうへ倒していった。そのまま互いの片手をつなぎ、もう片方の手を相手の袖口の中に差し入れると、下に着ているTシャツの袖の端を引っ張り出した。そうやって引っ張り出した相手の袖の中に自分の手をどんどん入れて行き、数秒後にはお互いのTシャツが入れ替わってしまった。つまり、互いの片手は終始しっかりとつないだまま、両者の内側のTシャツだけが入れ替わったのである。まるで手品のようだと思う。やり方は意外に簡単らしいので、私も誰かと一緒に試してみようと思う。場面が変わり、垂直に切り立った岩山に四方を取り囲まれた、50メートル四方ほどの空き地のようなところ。私は見知らぬ女性と向い合って立っている。彼女の親しげな話し方から察するに、この女性は私の友達なのかも知れない。しかし私は彼女に対して少しも親しみを感じていない。彼女がニューヨークへ行こうとするのを、私は何か理由を言って止めている。彼女は笑いながら空を飛び始めた。私も空を飛んで、彼女のあとを追いかけた。あるいは私は、彼女が壊した岩山を修理していたのかも知れない。
【解説】 夢の前半は、ふたりのTシャツがあっと言う間に入れ替わってしまうマジカルな内容。口で説明するのが難しいのだが、夢の中ではこの作業がいとも安々と行なわれていた。後半の空を飛ぶ夢は、見知らぬ女のあとを追いかけて私も空を飛んでいるのだが、自由に気持ちよく大空を舞っているのではなく、トラブルメーカーの後始末をさせられているようなイメージだった。特に疲れる内容というわけでもないが、前半・後半ともにあまり釈然としない夢だった





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