2005年2月


1日●招かれざる客

家族と一緒に山小屋に篭っている(ただしそこは、現実に私が持っている山小屋とは建物も風景も異なる)。それは面白い建物で、築100年以上は経った広い日本家屋なのだが、周囲を囲む壁がないというか、外から丸見えの状態なのだ。強いて言えば、非常に広いお能の舞台が2階建てになったような幻想的な建築物である。私は心底、この家を気に入っている。3〜4歳の息子(注/現実世界では中学生)と私が2階にいると、まだ朝の6時台だというのに、階下でがやがやと騒ぐ声がした。見ると、どこか遠方から来たという客人が5人ほど、勝手に家に上がりこもうとしている。女性が2人、男性が3人。見たこともない人たちだ。今日はゆっくりする予定だった私は、その招かれざる客を見て、咄嗟に居留守を決め込むことにする。どうやらこの家には、隠し部屋があるらしい。息子とふたりで青いガラス張りのエレベーターに乗る。しかし、乗った途端にエレベーターが制御不可能になり、1階と2階の間を恐ろしい勢いで往復し始めた。あまりのスピードに目が回りそうだ。息子がドライバーを使って機械を修理し、5往復ほどしたところでようやくエレベーターは停止した。そのあとどうなったのか詳細は覚えていないが、ついに私は客人に逢わずに済んだようだ。
【解説】 理想的な生活を、誰かがぶち壊しに来る夢。現実世界の私は、タイム・コンシャスと言うのかマイペースと言うのか、自分のスケジュールを自分の意志でしっかりとコントロールしており、それを邪魔されることが嫌いだ。特に、山小屋に篭って原稿執筆に没頭しているような時に不意の来客があると、内心ガッカリしてしまう。アポなしの客人を心から喜んで迎えられる「来る者は拒まず」の心境に、いつかは到達したいものだ。それが出来ないうちは、私もまだまだ青いと思う。


2日●光の階段

青い螺旋階段が、空の彼方に向かって長く続いている。気がつくと私は、既にその途中にいた。時々チェックポイントのようなところがあって、そこではさまざまなクイズが出題される。多くの人が同時にクイズに挑戦しているようだが、お互いの姿は全く見えない。バトルには20〜30人が参加し、次のステージに進めるのは優勝者ひとりだけだ。紆余曲折を経て、私はいくつかのステージをクリアし、別次元に辿り着くことが出来た。そこでは、階段は螺旋から直線に変わり、色も青から黄色がかったオレンジ色に変わっている。溜め息が出るほど美しい世界だ。もっと上の次元には、色のない純粋な世界があって、そこの階段は光の糸のようだという。色のない純粋な世界とは、色即是空を悟った者の住む世界らしい。私はオレンジ色の階段を黙々と昇り続けた。
【解説】 やや観念的な夢。しかし光の美しさは息を呑むほどで、起きた瞬間、(これが宇宙の神秘なのだ)と思った。


3日●「光」という文字の成り立ち

ヒマラヤの奥地。ずっと下界に雲が見える。仙人か導師のような風貌の老人が、小さな洞窟の中で占いの館を開いている。どうやら姓名判断をしてくれるらしい。私はおそらく最初からここを目指してきたのだろう、何の躊躇もなく洞窟の中に入る。白髪の老師が、私の顔を見るなりチベット語のような中国語のような言葉で「おまえの本質を表わす名前は“光”だ」と言う。「そうなのですか」と尋ねると、「左様。おまえには2匹の犬が付き従っている。彼らは犬に姿を変えた守護神だ」と老師は答え、細長い竹の棒のようなものをチョーク代わりにして、壁に「大」、「犬」、「光」の文字を書いた。そのあと老師は、「大」という文字は人間を表わした形、「犬」という文字は人間の横に犬が1匹いる様子、「光」という文字は人間の両側に犬が2匹いる様子を表わしているのだと言った。「おまえには犬が2匹いるから、“光”という名前が相応しいのだ」という老師の言葉に、(なるほど。それが光という漢字の成り立ちであったか)と得心している私。そのあとさらにどこかへ旅したような気がするが、詳細は覚えていない。
【解説】 昨日に引き続き「光」がテーマの夢。夢から醒めてみると、私の右肩にはブースケ、左肩にはパンダが、それぞれ寄り添うようにして眠っていた。この状態を上から見れば、確かに「光」の字に似ている。なんとも楽しい夢で、思わず笑ってしまった。


4日●上へ
キーワードは数字の「2」と「3」。上昇する螺旋階段。大きな建物。女優の川島なおみさんの顔が見えた瞬間、(そう言えばワインだ)と唐突に思う。何かを登る。物のわかる老人たち。古代文明発祥の地。私はさらに遥か上のほうを目指す。
【解説】 夢の欠片ばかりが記憶されていて、それらがどう繋がっていたのかは全くわからない。全体的に「上」という方向性が印象に残る夢だった。


5日●海軍中佐
船の中。肘掛け椅子に座っている。どうやら私は海軍中佐らしい。入り口のドアが開き、書類や情報を持った部下たちが次々にやって来る。あわただしい雰囲気。ドアがノックされ、金澤亮が最新の資料を持ってやって来た。彼は直立不動で敬礼すると、洗練された物腰で状況説明を始めた。自分のことを呼ぶときも「わたくし」と言っており、以前とは言葉遣いまで変わったようだ。金澤が去ったあと、南忠男、さらに森木勝が入室して、それぞれキビキビとした態度で状況を報告して去ってゆく。彼らの話を聞いているうちに、この戦争の全貌がハッキリと見えてきた。私のポケットには1時間前から暗号表が入っている。敵からの攻撃で万が一船が沈むときは、何をおいてもこの暗号表を始末しなければならないと思っていたが、たった今、このバトルを100%勝利に導くための素晴らしい方法を思いついた。その方法を説明するために、すべての部下たちに招集をかける私。
【解説】 相変わらず戦争の夢である。昨日は深夜までカウラ事件の資料整理をしていたので、その流れでこのような夢を見たのだろう。なお金澤さん、南さん、森木さんは、カウラ事件に直接関わった軍人で、全員故人。金澤さんと森木さんは実際には陸軍だが、夢の中では何故か海軍軍人になっていた。


6日●美食三昧
編集者の芝田暁さんと、出版の打ち合わせを兼ねた食事をしている。フグ鍋を食べたあとで、さらにチゲ鍋を食べ、デザートには頬っぺたが落ちそうなほど美味しいアップルパイを頂いた。芝田さんと別れたあと、○○新聞社取締役のAさんと、Aさんの知人である東大生数人と一緒に別のレストランに行く。この店には和食のコース料理しかないのだが、メニューを見ると、普通なら「松竹梅」と分かれているはずのコースが、何故か「激マズ・マズ・普通・美味・激美味」と、美味しさ別に分かれているではないか。当然のことながら「激美味コース」を注文し、和食を堪能する。Aさんたちと別れたあと、私は3つ目のミーティング会場に向かった。今度はオーストラリア政府関係の人たちが集うパーティーだ。大好きなロブスターの刺身が、大きな皿に山ほど盛り付けられている。ここでも食事を堪能した私は、満ち足りた気持ちで家路につく。
【解説】 こんなに食べてばかりの夢は、おそらく生まれて初めてではないだろうか。昨日は午後からお茶の稽古があり、稽古中に西村(和菓子の老舗)の餅菓子を頂きながらお濃茶を飲み、休憩時間には中沢乳業の会長さんが皆に持ってきてくださったアップルパイをお相伴した。それでお腹が一杯になってしまった私は、夕食はごく軽く済ませた(家族は、すぐ近所に住む親戚の家にすきやきを食べに行って留守だったのだ)。というわけで理想的な“腹八分目”の状態で就寝したというのに、この食いしん坊な夢は一体何事か。例によって『夢の辞典』(日本文芸社)で調べたところ、「食べる夢」の意味は、「心身にエネルギーを取り込もうとする、前向きな気持ちを反映しています。実際に何かを取り込んだのかも知れません」とあった。それで思い当たる節がある。実は、ここ暫く寝ても醒めてもカウラ事件のことで気になっていた“謎”があったのだが、実はその謎が、昨夜、ついに解けたのだ。この謎が解けたことによって、執筆は俄然波に乗る。その大きな満足感が、「食べる」という形になって夢に現われたのではないだろうか。なお、今夜の夢の中で一緒に食事をした相手とは、お蔭様でスムーズかつ有意義な仕事をさせて頂いている。現実世界で良い人間関係を築ける相手とは、夢の中でも楽しく食事ができるようだ。


7日●16ミリフィルム
気がつくと、知らない家に住んでいた。どうやら私は家族と共にオーストラリアへ移住したらしい。広々としたリビングルームの白い壁に午後の日が当たって、柔らかく穏やかなイメージが広がっている。窓下に見える青い水は、シドニー湾だろうか。引越しの荷を解くために、階下のストアルームに行く。夥しい荷物の中に、見たこともない16ミリフィルムが紛れ込んでいた。誰が何のためにこんな物を置いて行ったのか。不審に思いながらタイトルを見ると、“Eyewitness of Great Breakout of Cowra(カウラ大脱走の目撃者)”とある。驚いた私は、とるものもとりあえずフィルムを鑑賞することにした。しかし、昔の映写機の使い方がよくわからず、操作に四苦八苦する。しかもフィルム1本の長さが10時間以上もあり、カウラ事件に関わる部分はその中のほんの5〜6分だけだという。長大なフィルムのどこにカウラ関係の映像が入っているのか、それを探すだけでも一仕事だ。延々とフィルムを見続けていると、途中に一瞬、捕虜らしい男性の姿が映った。急いでその部分までフィルムを巻き戻しそうとするが、映写機の操作を間違えて、なかなか問題の部分に辿り着くことが出来ない。試行錯誤を繰り返した後、ようやく目指す箇所を見ることが出来た。フィルムに写っていたのは3人の軍属捕虜で、全員が漁船員だ。背が低く、いかにも栄養状態が悪そうである。彼らはひとりひとりカメラに向かって、直立不動の姿勢で「タナカヨシオ」などと名乗っている。軍属とは言え捕虜の映像を見るのは非常に珍しい。(やはり戦勝国には価値の高い資料が残されているものだ)と感心している私。
【解説】 またしてもカウラの夢である。本を書き終えない限り、一連の夢は延々と続きそうだ。


8日●駄菓子屋
昭和30年代、あるいはそれ以前と思われる町の風景。素朴な木造平屋建ての家々。私は一軒の駄菓子屋にいて、何やら店主と世間話をしている。店主は私と同年代の女性で、見たことのない顔だが、友達または友達の姉妹らしい。その証拠に、彼女は私の小学校時代のエピソードをよく知っており、「あのとき真美ちゃんたら……」などど気安く話しかけてくるのだ。町の風景だけが昭和30年代のままで、私たちは大人の姿をしている。店主の話を聞きながら、次第に“泣き虫だった真美ちゃん”の時代を思い出し、自分の精神年齢が下がってゆく感じがした。やがて、姿だけが大人で子どもの心に戻ってしまった私は、店主から勧められるままに「あーん」と口を開け、新発売の虹色のアイスキャンディーを一口食べさせてもらった。(美味しい!)と思ったその瞬間に目覚し時計が鳴り、夢は強制終了されていた。
【解説】 私が子どもだった頃、お菓子屋さんには、花束をかたどった可愛らしい棒つきキャンディーがあった。棒の長さはマッチ棒ぐらいで、その先に小さな球形の飴がついており、飴の周囲には赤、黄、ピンク、ブルー、紫の美しいセロファン紙が巻かれている。それを5本まとめて、花束のようにリボンで結んであるのだ。とても夢のある素敵なお菓子だったが、いつの間にか店頭から姿を消し、どこにも見かけなくなってしまった。今夜の夢を見るまで、そんな飴が存在したことすら忘れていたが、あの素朴さがちょっぴり懐かしい。
【後日談】 夢の3日後、意外な人から思いがけない連絡があった。小学生時代の友達で、家がお菓子屋さんだった人である。この人から連絡をもらうのは、かれこれ30年ぶりのことだ。そう言えば、彼女の家に遊びに行くと、おばさんがお菓子を山ほど食べさせてくれたものだ。夢の中で話した相手は、もしかすると彼女(或いは彼女のお母さん)だったのではないだろうか。


9日●飛行機のような居酒屋
居酒屋にいる。それは何とも奇妙な店で、座席の形が飛行機のシートを座椅子にしたような形なのだ。つまりお客は、飛行機の座席に正座するような姿勢で飲んでいるのである。運ばれてきたビールや肴も、前の人の背もたれに取り付けられた小テーブルを倒して使う方式だ。(ひょっとして、この店の主人は飛行機フェチ?)と首を傾げたくなる。ウェイターがタコのキムチ漬けを運んで来た。驚くほど美味しい。しかし、いかんせんスペースが狭いので、下にも前にも足を伸ばすことが出来ず非常に疲れる。次第に足先が冷たくなってきた。それを見た息子が、「ちょっと待ってて」と言い残してホカロンを買いに行ってくれた。夫は「冷たいビールがいけないんじゃないか?」と言いながら、何か温かい飲み物を持って来た。ホカロンと温かい飲み物のお蔭で、じきに足の冷えは治る。そのあと、どこか外国に到着し、何やら楽しいことがあったような気がするのだが、詳細は思い出せない。
【解説】 昨日は、娘のLiAが留学先のオーストラリアに向かって旅立って行ったので、家族全員で成田空港まで見送りに行った。出発直前、空港内のレストランで娘が食べたのがタコキムチ。それらのことが、そっくり夢になって現われたらしい。それにしても、飛行機の座席は現状のままでも足が疲れるものだが、それが座椅子式になった時の狭さと言ったらなかった。ちなみに、今朝シドニーに到着したLiAからかかって来た電話の声は、非常に晴れやかで元気そうだった。


10日●デパートのゲームコーナー
デパートの最上階にあるゲームコーナー。大勢の子ども達が遊んでいる。200円を入れて動く大きな乗り物のパンダやライオンが、子ども達を乗せて歩き回っている。私は巨大化したブースケに乗っている。ブースケは、200円を入れて動く乗り物そっくりに見える。しかし実際には生き物なので、体温もあるし、呼吸もしている。ブースケが生きていることを気づかれないよう注意しながら、私はブースケを操縦している。
【解説】 これは長い夢の一部に過ぎなかったような気がするのだが、他の部分は忘れてしまった。ブースケに乗っていても誰も奇異な視線を向けて来なかったということは、私の姿は子どもに戻っていたのだろうか。


11日●非常用の舟
人里離れた山奥の、洞窟のような場所。それは実に奇妙な構造の洞窟で、適度な開放感があり、外の風景を広々と一望できるのだ。家にたとえると、壁の部分がなく、柱と屋根だけといった感じのデザインだ(その意味では能舞台にも似ている)。山の上のほうから、比較的太い川が流れていて、それは洞窟の手前で二手に分かれ、さらに山裾に向かって勢い良く流れている。驚くほど澄んだ水で、量も半端でなく多い。轟々という音が絶えずこだましている。周囲にひと気はない。私はその洞窟の中で、木製の非常用テントを作っている。テントは4人用で、いざという時には舟として使うことも出来るらしい。と言うよりも、むしろ舟としての用途のほうに私は期待しているようだ。見た目は華奢だが、外からの抵抗にも意外なほど耐えられる(まだ実際に使ったことはないのに、私は何故か過去の経験からそのことを知っている)。場面が変わって、私はラジオ(テレビ?)のニュースを聞いている。学者風の男性が、アナウンサーに向かって「間もなく大地震が発生するでしょう」と予報している。何事も「備えあれば憂いなし」だ。この日のために舟を作っておいて良かったと思う。
【解説】 山の源泉が清冽なほど美しく、洞窟に籠もった自分は、さながら仙人のようだった。しかし夢そのものは、「間もなく大地震が起こる」「そのための非常用の舟(テント)を作る」という、非常に物騒な内容である。少し前に震度4程度の地震があった時、ちょうど12時間ほど前から愛犬パンダの様子がおかしくなり、普段は静かな子だというのに、盛んに吠えていた。その次の地震の時も同様であった。動物の本能には、やはり限りない可能性が秘められているのだと思う(うちには2匹の犬がいるが、ブースケよりもパンダのほうが圧倒的に第六感が強い)。この次にパンダの様子がおかしくなったら、その時こそは気をつけたほうが良いかも知れない。


12日●アメリカン・ジョーク
ひとりの白人女性が見える。彼女はおそらくアメリカ陸軍の軍人で、年齢は30代半ば。化粧気のない小麦色の肌にはソバカスが目立ち、茶色い髪は無造作にポニーテールに結われている。彼女は、同僚らしき白人男性と組んで、一種のコントのようなことをしている。私はその舞台を観ている観客のひとりだ。コントの内容は、彼女と存在感の薄い相棒の男性が、別の誰かに向かって次々にトンチンカンなことを言うだけの他愛のないもの。彼女は今、カレーライスのような食べ物を相手に渡しながら、“This is chilli sauce.(これはチリソースです)”と言っている。“Chilli”というところに妙に強いアクセントを置いているので、どうやらそれが国名のチリ(Chile)にかけた民族ジョークになっているらしいのだが、どこが面白いのか私にはサッパリ理解できない。彼女はこの他にも様々なジョークを連発していたが、どれもこれも内輪ネタばかりで、部外者の私にはひとつも笑えないのだった。
【解説】 笑えないアメリカン・ジョークを聞かされ続けるという、殆ど拷問に近い夢(苦笑)。そう言えばアメリカには“Why did the chicken cross the road?(何故ニワトリは道路を横切ったのか)”に代表される、理解不能なジョークが多々あるが、日本人であのおかしさが理解出来るという人には、未だかつて一度も逢ったことがない。あの、生粋のアメリカ人でなければ理解不可能なジョークを夢の中で一晩中やられたのだから、いいかげん疲れてしまった。


13日●A子さん
私は中学生に戻っている。A子さんの姿が見える。A子さんは、同じ学年のB君のことが好きらしい。A子さんには、普通の中学校に通うことが困難なほどの学習上のハンデがあるが、誰に迷惑をかけるわけでもなく、一生懸命に毎日を生きている。一方のB君は、容姿は十人並みでスポーツは平均的。性格的には保守的というのか、ごく普通の少年ながら、学習成績は県下でもトップクラスの秀才だ。A子さんの想い人がB君だということを、私は少なからず意外に思っている。そのうちに、A子さんを揶揄する声があちこちから聞こえてきた。彼女の知能程度を、あからさまに侮辱する声である。そのうち、A子さんがB君に宛てて書いたというラブレターまでが、何故か流出した。「わたしは」を「はたしわ」と書いたり、「今日の二時に」を「きようの二じ二」と書き間違えたA子さんを嘲笑しているのだ。しかも、A子さんから熱愛されたという理由で、B君までが笑いものになっている。そうした噂を聞いて、とても嫌な気持ちがする。一生懸命に生きている人が、何故馬鹿にされなければならないのかと思う。夢の中では中学生だったはずの私が、最後のほうでは大人の心境になって、(中学校を卒業したあと、A子さんはどこでどうして生きているのだろう。毎日が幸福だといいが)と心配している。
【解説】 この夢を見て、A子さんのことを久しぶりに思い出した。クラスは違ったが、いわゆる学習困難な生徒だったA子さんは、ある意味で目立つ存在だった(ただし、A子さんがB君を好きだったという話は聞いたことがない)。私の知る限り、当時彼女へのいじめがあったとは思えないが、毎日黙々と学校に通って来るA子さんの姿には、何か深く心を打つものがあった。本当に、彼女は今頃どこでどうしているのだろう。病気などせず、幸せであって欲しい。


14日●宇宙船でクイズバトル
円形でメタリックの不思議な部屋の中にいる。窓がないため外の様子を確認することは出来ないが、どうやら私は宇宙船に乗っているようだ。上へ上へと移動してゆく、微妙な感覚がある。隣には息子がいる。息子は少し大人になったようだ。見た感じ、高校2〜3年生といったところだろうか(現実世界ではインターの8年生=日本で言うところの中2)。身長も180を超えているようだ。宇宙船の中には、私たちふたりの姿しか見えない。しかし、これ以外にも部屋があるようで、各室の乗組員はクイズバトルに参加しているようなのだ。あるいは、他にも宇宙船がいて、私たちは宇宙船対抗クイズバトルに参加しているのかも知れない。詳細は定かでないものの、スクリーン上には次々に問題が出題され、私たちは間髪を入れずに答えなければならない。第1問は、「太平の眠りを覚ます○○○、たった○杯で夜も眠れず」という狂歌が出題された。○を適当な文字で埋めろという出題だ。ただちに「上喜撰」「四」とタイピングする。第2問以降も日本史と文学の問題が続き、暫くはまあまあ楽勝だった。ところが10問目あたりから、出題の傾向がガラリと変わり、数学のみになってしまった。私は完全にお手上げ状態となり、問題の意味さえわからなくなる。その横で息子は「まあ、俺に任せておけ」と言いながら、次々に問題を解いている。それを見て私は(理系に強い子どもをひとり産んでおいて、本当に良かった)と安堵している。
【解説】 昨夜は眠る直前に息子から「ペリー提督のフルネームを知っている?」と質問され、私は即答できなかった(正解はマシュー・カルブレイス・ペリー=Matthew Calbraith Perry)。そのようなことがあったために、ペリー率いる黒船におびえる当時の人心を揶揄した「太平の…」という有名な狂歌が夢に現われたのだろう。これまで、私の夢の中に登場する息子は、しばしば小さな子ども時代の姿をしていた。しかし今日の夢の中では、彼は立派な青年だった。これは、先週から娘がオーストラリアに留学したことと関係があるように思う。娘が家にいる間、息子の立場は現実的にも相対的に見ても「末っ子」だった。しかし、比較される相手がいなくなった今、彼は末っ子であると同時に、実質的には長子でもある。家庭内での息子の立場(地位)が微妙に変わったことによって、夢に登場した彼の年齢までが引き上げられたとは考えられないだろうか。


15日●宇宙船のような家
山に囲まれた孤高な場所に建つ、一軒の巨大な日本家屋。その大きさたるや、東京ドームと同じか、それ以上かも知れない。それは不思議な家で、内側はだだっ広い中庭のようになっている。つまり、建物の内側がちょうどドーナツのように空洞なのだ。しかも、外から見たときは日本家屋に見えた建物が、中から見ると完全な円形なのだ。これは家に見せかけた宇宙船なのかも知れない。中庭から見ると、全ての部屋には壁がなく、中の様子が丸見えだ。全部で30階ほどあるフロアーの各室では、大勢の人が忙しげに立ち働いている。円形の中庭を取り巻くようにして、各フロアーには30以上の部屋が並んでいるから、全部で1,000近い部屋があるのかも知れない。私は何か機密に関わる仕事をしている。スパイか、あるいは暗号解読のようなことかも知れない。姿は見えないものの、すぐ近くで息子も同じ任務についているらしい。それは地球の存亡にかかわるほどの、何か重大な任務である。
【解説】 昨夜に引き続き、宇宙船の夢である。それにしても今月は1日、11日と今日、3回も続けて「壁がなく、内部が丸見えの家」の夢を見た。これは一体どういう意味だろうか。


16日●昭和19年8月5日
蒲団に潜り込んで匍匐(ほふく)前進してゆくと、蒲団がどんどん長くなって、まるで地下に掘られた秘密の通路のようになってくる。かなりの距離を進んだところで急にあたりが明るくなり、見知らぬ部屋に辿り着いていた。驚いたような顔で私を見る、赤い軍服を着た数人の男たち。目の前に座っているのは、なんと海軍中尉のOさんではないか。その隣は、陸軍少尉のSさんだ。素早く部屋を見回しただけで、そこがカウラの戦争捕虜収容所のハット(簡易建物)であることがわかる。驚いた私は、唖然としているOさんに向かって「今は何年何月何日ですか」と尋ねる。するとOさんは呆れたように「今は昭和19年8月5日に決まっているだろう」と答えたではないか。昭和19年8月5日と言えば、カウラの大脱走が起こった当日である。吃驚しながら時計を見ると、1時50分を回ったところだ。窓の外は闇。つまり、今は夜中である。脱走が起こるまで、あと5分もない。私は焦りまくりながら、目の前の将校たちに向かって「下士官と兵たちが、あと5分ほどで脱走するんですよ。今すぐ止めてください!」と叫ぶ。しかし、彼らは私の言葉の意味が全くわからないようで、(この女、何を言っているんだ?)とでも言いたげな表情で黙っている。そうこうしているうちに、暴動開始の時間まで30秒を切ってしまった。今から彼らを止めることは不可能だ。かくなる上は、暴動の一部始終を克明に記録することが、私に課せられた仕事だろう。ふと横を見ると、いつの間にか息子がいた。息子は見上げるほど背が高く、どうやら大学生になったらしい。彼は落ち着いた様子でカメラを取り出すと、「俺も手伝うから、たくさん写真を撮っておいたほうがいいぞ。あとで大変な価値が出るから」と言う。確かにそうだ。私は今、世界最大の捕虜脱走劇をこの目で目撃しようとしているのだ。「これからハットに火がつくはずだから、燃え落ちるハットの写真をたくさん撮っておいて」と息子に指示した私は、脱走してくる1,000人を越す日本人捕虜のうち、突撃ラッパを吹きながら先頭を駆けて来る南忠男にカメラの焦点を合わせた。
【解説】 蒲団がタイムマシーンになって、脱走事件当夜のカウラに繋がっていたという夢。こんな場面に実際に遭遇できたら、どんなにエキサイティングだろうか。私は現在この事件についてノンフィクションを書いており、知りたいことがたくさんあるのだ。おそらくその気持ちが、今夜の夢を見せてくれたのだと思う。目が醒めてから、息子に「3夜連続でNASA(息子の名前)の夢を見たわよ」と言うと、息子はふざけた口調で「よっしゃー。今年も1位の座は頂きだ」と笑った(注/昨年の夢日記の年間統計を取ったところ、いちばん多く夢に登場したのは息子だったのだ)。


17日●左右ドットコム
家電品売り場のように見える大きなフロア。よく見るとそこでは、家電品だけでなくありとあらゆるものが販売されている。店員は、柔道のヤワラちゃんこと谷亮子さんだ。彼女が明るく笑いながらセールスをすると、大勢の客が集まり、商品が面白いほど売れてゆく。広い店内に並べられた商品を見ているうちに、私は興味深い事実に気づいた。ここの商品は、何故か一点残らず左右対称のデザインなのだ。よくよく見ると、この店の名前は「左右ドットコム」というらしい。左右対称のデザインにこだわることが、この店のコンセプトというか、モットーらしいのだ。店内のあちらこちらにはイスラム教徒と思しき買い物客が歩いている。イスラム建築と言えば、左右対称が基本中の基本である。なるほどそれでこの店はイスラム教徒に人気があるのかと納得する。書籍売り場で、表紙のデザインが左右対称になった1冊の洋書を買うことにした私が、レジでカードを提示すると、ヤワラちゃんから「お客様はVIP会員なので、奥のラウンジ席をご利用ください」と言われる。「何故私がVIP会員なのですか」と尋ねると、「山田真美さまは、お名前のすべての文字が左右対称の、完璧な左右対称者でいらっしゃいますから、当店の商品はすべて50%割引とさせて頂きます」との返事。なるほどそういうシステムであったかと関心する。そのときになってようやく、私はヤワラちゃんの苗字である「谷」も左右対称であることに気づいた。するとヤワラちゃんは私の心を読み取ったように、「はい、そうなんです。うちの店員の苗字はすべて、左右対称となっております」と答えた。そのときふたりの店員が、丁寧に会釈をしながら横を通り過ぎた。ひとりは「小森」のオバチャマ、もうひとりは「高木」ブーさんであった。
【解説】 目が覚めてから夢の内容を思い出し、爆笑してしまった。短い夢の中で、よくもまあ瞬時のうちに「谷」「小森」「高木」といった左右対称の苗字の有名人を思い付いたものである。この頃つくづく思うのだが、私の脳は、眠っている最中も何かしら物語を作っているのではないだろうか。「夢日記」を読んでくださった方々からも、「よくもまあ、毎日あれだけ面白い夢をご覧になりますね」と言われるが、そのたびに私は、私自身の脳の働きを興味深く思うのである。


18日●Sushi Train
娘とふたり、オーストラリア大陸横断列車に乗って旅をしている。赤い大地にはカンガルーが飛び跳ね、南の太陽が斜めに差し込む車窓には、心地好いまどろみと温もりが宿っている。窓際にベルトコンベアのようなものがあって、小皿に乗った握り寿司が流れてくる。どうやらこの列車は、回転寿司になっているらしい。「回転寿司のことを、英語では“スシ・トレイン”って言うものね」と娘が言った。ここでは列車そのものがスシ・トレインなのだ。そのあと私は娘と楽しくお喋りをしながら、ウニとイカとネギトロを大いに食した。
【解説】 留学中の娘とお寿司を食べる幸せな夢。(きっと娘は日本食が恋しいのでは?)と思う気持ちが、そのまま夢に現われたようだ。


19日●ニセモノの山田真美
ホテルか博物館のように見える大きな建物のホール部分。これから私は、建物内のどこかで行なわれるパーティーに出席するようだ。連れはいない。私の出で立ちは、振袖のように派手で光沢のある、薄い緑色と黄色の交叉する着物姿だ。その色彩やデザインに違和感を覚える。これは私の趣味ではない。まるで他人の出で立ちだ。やがて私は、ほかの3人のインド関係者と共に、インドに関するインタビューを受けた。その記事が掲載された雑誌が、すぐに手に入る。しかし、ページの隅から隅まで確認しても、私の発言は紹介されていない。その代わりに、私だけはテレビ番組で紹介されることになったという。いつの間にカメラが回っていたのかと不審に思う。テレビ画面を見ていると、確かに私と似ているが全くの別人である何者かが「山田真美」を名乗って登場した。驚いたことに、彼女も同じ着物を着ている。呆気にとられて見ていると、その人は突然「ああ眠い」と言い出し、それまで座っていた椅子の上にダンゴ虫のように丸まって、「それでは、お休みなさい」と言ったきり本格的に寝入ってしまった。テレビのナレーターは、「長年インドで暮らしたことで、山田さんは今や人前で眠るのも全く苦にならなくなったそうです」などと意味不明な解説をしている。一体このニセモノは誰なのだ。第一私は、人前で眠るような無作法はしない。憤慨しながら、ようやくパーティー会場に到着すると、見知らぬ外国人ジャーナリストから話しかけられた。強いフランス語訛りの日本語を話すその男性は、セ・シ・ボンという新聞の記者だという。聞いたことのない、胡散臭い新聞だと思う。彼は「ワタシ、昨日、アナタノ記事ヲ読ミマシタ」と言いながら、新聞を見せてくれた。しかしそこに載っていたのも、やはり私によく似たニセモノではないか。面倒なことになったと思う。ひょっとしてこのニセモノは、私のDNAから造られたクローン人間だろうか。早いところ真相を突き止め、ニセモノを処分しなければと思う。
【解説】 コミュニケーションというものは難しいと、つくづく思う。たとえば誰かが「A」と発言したとしても、それを聞いた相手が素直に「A」と解釈してくれるとは限らない。「A」は「A´」として解釈されたり、「A+α」として解釈されたり、「−A」として解釈されたり、「B」として解釈されたり。相手の主観や希望的観測などが混じってしまうために、最初の発言はなかなか正しく伝わらないのだ。間違った解釈が、マスコミやインターネットに垂れ流しにされることもある。私も時々、誤った報道を流されることがある。小説を書いているにもかかわらず、肩書きを「ノンフィクション作家」と限定されたり、言ってもいないことを「言った」と書かれたり。ある時などは、某新聞に現住所を番地まですべて書かれてしまったことさえある。有名無名に関係なく、プライバシーの保護はこれからますます重大案件になってゆくだろう。……というようなことを就寝前に考えていたところ、早速このような夢を見た。ネットを含めたコミュニケーションに対する一種の危機感が、今夜の夢には現われたようだ。


20日●YMO版三国志
坂本龍一さんのことを自分のホームページに書いておいたところ、驚いたことに坂本さんから連絡がきた。元YMOのメンバー3人が、舞台で『三国志』を演じることになったという知らせと、招待券が届けられたのだ。ポスターには、それぞれ劉備、関羽、張飛のものものしい姿に扮した坂本龍一さん、細野晴臣さん、高橋幸宏さんが見える。一体、どんな三国志になるのだろう。興味津津だ。そこへタレントの高田万由子さんがやって来た。彼女も「三国志」を観に行くらしい。聞けば、東大出身の女性には、申請さえすれば生涯にわたって文化的なイベントを無料で見られるフリーパスが交付されるのだという。「このことは、卒業生の間でも殆ど知られていないんですけどね」と高田さんは言った。それを聞いた私は、すぐに東大在学中のR子ちゃんに電話をし、その情報を教える。電話の向こうで、R子ちゃんは「えっ本当ですか? ラッキー!」と喜んでいた。それから高田さんと私は、あたかも最初から約束してあったような自然さで家を出ると、そのまま連れ立って劇場へと向かった。
【解説】 坂本さんの髭姿を見ることができた、YMOファンにとってはかなり貴重な夢(笑)。細野さんは(顔が濃いためか)三国志の扮装がかなりお似合いだった。高橋さんは仙人のように見えた。なお、東大出身の女性にフリーパスを交付うんぬんという話は、現実世界では聞いたことがない。おそらく、高田さんの旦那様がヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんであることが、このような夢のイメージに発展したのではないか。


21日●目には目を
中学校らしき大きな古い建物。チャイムが鳴り、各教室では授業が始まったようだ。一見普通の女生徒に見える私だが、実は何かとてつもなく大きな機密に関わっているらしい。そのことで、今すぐA君に伝えなければならないことがある。授業をサボって、校舎隅の小さな部屋でA君と待ち合わせた。小声で交わされる会話。ところが部屋を出てみると、すぐ近くにひとりの少年が立っているではないか。少年は、いかにも敵方の諜報部員らしくニヤニヤ笑いながら、「今の話は、全部聞かせてもらった。B先生に言いつけてやるからな。お前らは、もうおしまいだ」と言う。B先生と言えば、強硬派で知られる敵側のスパイではないか。これはまずいことになった。A君は単なる伝令なので、こういう場面ではまったく頼りにならない。私は、目の前でニヤついている少年とB先生のことを、逆に今すぐ教育委員会に密告することにした。目には目を、歯には歯を。人生は先手必勝だ。
【解説】 中学校の校内でスパイ活動が展開されるという、なんとも過激でキナ臭い夢。しかし現実世界に目を向ければ、中学時代の私は、今とは別人のように引っ込み思案で目立たない“普通の子”だった(私の人生が突如バリバリと音を立てて弾けるのは、高校1年の1学期である)。だから、中学時代の想い出と言われても、平凡で人畜無害なものばかり。今夜の夢のようにエキサイティングな出来事などひとつもなかった。私の夢には時々「中学校」が登場するが、それは決して懐かしさからではなく、「もっと別の中学時代を送りたかった」という気持ちの表われなのだと思う。


22日●シドニーで家を探す
オーストラリアのシドニーで家を探している。何軒もの不動産屋を訪ね、数え切れないほどの物件を見て回るが、条件に合った家がなかなか見つからない。途中、学生時代の友達に遭遇したような気もするが、詳細は思い出せない。最後に、落ち着いた住宅街の一角に、気に入った家が見つかった。それは交通量の少ない静かな道に面しており、道の右側には三角屋根の家が2軒(または3軒?)並んでいる。そのうち少なくとも2軒は2階建てで、バルコニーには白いアイアンレースの手すりが見える。道の左側には1台の青いピックアップトラックが停まっている。正面(前方)には、やはり三角屋根の建物(教会だろうか?)が見える。私はここで家を借りることにした。
【解説】 目下、留学中の娘がシドニーで家探しをしている。そのことが気になっているので、このような夢を見たのだろう。しかしそれにしては、道の両側の様子などディーテールまでがあまりにもハッキリと見えた。まるでその場に実際に行って来たような心持ちさえするリアルな夢で、起床したあとも暫くは不思議な気分だった。


23日●娘の結婚
娘の結婚式。娘の顔が白く輝いて、本当に幸せそうだ。とても厳粛な雰囲気の、好い結婚式だ。娘の横に立っていた背の高い男性が振り向き、一瞬だけ、その人の顔が見えた。ああ、娘はこの人を選んだのかと腑に落ちる。この人は、娘にとって最高の伴侶になると思う。
【解説】 ごく一瞬の夢。娘の幸せそうな顔が印象的だった。相手の男性は誰だったのか、思い出そうとするのだがどうしても思い出せない。現実世界で知っている人なのか知らない人なのか、日本人なのかそうではないのか、何一つ思い出せないにもかかわらず、その人が娘の最高の伴侶だということだけは確信できた。素晴らしく幸せな夢。


24日●神さまダーツ
人里離れた山の中にぽつんと建てられた、大きな建物。その中で、丸い板がぐるぐると回っている。板の上には男女3柱ずつ、合計6柱の神さまの顔が見える。それらはすべて、夫婦神らしい。ヒンドゥー教のブラフマー(梵天)+サラスバティ(弁才天)夫妻、ヴィシュヌ+ラクシュミー(吉祥天)夫妻、シヴァ+パールヴァティ夫妻かも知れないが、実はどうやらそうではなく、『三国志』の主人公である劉備、関羽、張飛とその奥さんたちのような気もする。回る板の上をめがけて、私はダーツを投げなければいけない。当たったところの神さまが、私の守護神になるという。中に、非常に円満な顔立ちの女神が見えた。それは、ヒンドゥー教にも『三国志』にも関係のない、神道の女神だったような気がする。私は今しも、この女神に向かってダーツを投げようとしている
【解説】 今月20日に引き続き、『三国志』がらみの夢である。山の中の静寂と同時に、ギャンブル性も感じさせる不思議な夢だった。私は時々、自分がギャンブラーになった夢を見る。昨年などは、のっけの初夢から賭博場の夢だった。しかし現実世界の私はと言えば、競輪競馬はおろか、パチンコも宝くじも一切やらない。「どうしてですか。やってみれば面白いですよ」などと人から言われることもあるが、正直なところ、誰かにお膳立てされた健全な“公営ギャンブル”には全く興味がないのだ。では自分はギャンブラーではないのかと言うと、そういうわけではない。但し私が賭けるのは、「人生」という名のゲームの中だけだ。私はサイコロを振るような一か八かの勝負はしない。静かにチャンスを待って、力を貯めておいて、勝ち目があると思った時に徹底的に勝負をかけるのだ。そういう意味では、私はかなりのギャンブラーであると言えるかも知れない。


25日●歯の治療
見知らぬ夜の街。適度の活気と、大人のムードが漂う場所だ。デパートのような建物の大きな吹き抜け部分にあるバルコニーで、私は手すりにもたれ、行き交う人々を眺めている。何故か、右隣には中学時代の同窓生が5人見える。男性が3人、女性が2人。皆、大人になっている。そのうちひとりの男性が、「もしも世界が破滅してこのデパートだけが残ったら、僕ら6人の中で相手を選んで結婚しようね」と言い、残りの皆がどっと笑った。私はひとり白けている。ようやくその場を抜け出すことは出来たが、街のあちこちに中学時代の同級生が歩いているのは不思議なことだ。人込みを避けて川沿いの一本道を歩いていると、向こうから夫が歩いて来て、「あっちに歯医者があるから、奥歯の治療をしてもらおう」と言う。夫のあとを付いて行くと、どんどん道が淋しくなってしまった。どうやら方向を間違えたらしい。もと来た道を引き返し、ようやく目指す歯科医院に到着した。そこは小さな一軒家で、ドアを開けてすぐのところが診察室だ。院長はサエキけんぞうさんである。「山田さん、お待ちしてました。こっちの患者さんの治療を終わらせちゃいますから、ちょっと待っててください」とサエキさんが言う。夫はサエキさんの様子をずっと観察していて、「ああ、なるほどね。こういうふうに治療するのか」などと独り言を言っていたが、そのうち、「僕にも歯の治療、出来そうだぞ」と言って外に出て行ってしまう。あわてて後を追うと、夫は「ちょっと口を開けて」と言い、勝手に左奥歯の治療を始めてしまった。私はいつの間にか椅子に座っている。虫歯の部分をきれいに削ってもらうと、気分爽快だ。最後に詰め物をする段になって、「ここへ日本画で使う膠(ニカワ)を混ぜておこう。そのほうが絶対、アマルガムが長持ちするから」と言う。そのうち私は、自分の歯の調子が非常に快適になっていることを実感した。
【解説】 この夢を見てハタと思い出したのだが、そう言えば、もう10年以上も歯科医に行っていない気がする。本当は予防歯科だけでも行ったほうが良いのかも知れないが、と言って、どこも調子の悪いところがないので、ついついご無沙汰しているのだ。夢に登場したサエキけんぞうさんは、現実世界でも歯科医師免許を持つミュージシャン。昨夜は就寝前に仕事のことでサエキさんを思い出していたので、そのことが即、夢に反映されたのだろう。また、うちの夫は日本画家だが、先祖はもともと江戸幕府の御殿医をしており、そのためか妙に医学に詳しい(事実、高校を卒業して東京芸大に入学する前の一時期は、外科医をめざして東大〈理三〉を受験したこともあるそうだ)。そのへんの事情がごちゃごちゃにミックスされたのが、今夜の夢だったかも知れない。


26日●鈴木家の四天王
気がつくとすぐそばに弟のヒサシ、従兄のヒロシ、それに従弟のマサシがいた。私たち4人は子どもの頃より、親戚の大人たちからは「鈴木家の四天王」と呼ばれてきた。前後関係はよくわからないが、このたび、この4人で何か劇を上演することになったようだ。「じゃあ、『三国志』をやらない?」と即座に私が口を開いた。「ヒロちゃんとマサシちゃんとタッタン(弟のニックネーム)は、劉備、関羽、張飛の義兄弟を演じていいわよ。私は曹操をやるから」。私は遠慮してそう言ったつもりなのだが、その途端に3人からは、「真美ちゃんだけ曹操みたいにカッコいい役なんて、ずるいよ」、「僕らだって曹操をやりたいに決まってるじゃないか」と、非難ごうごうである。曹操は残忍で狡猾な役どころだから誰もやりたがらないと思っていたのに、世の中はよくわからないものだと思う。そのあと、夢の中にとても大事な“座布団”が登場したような気がするのだが、ハッキリとは思い出せない。
【解説】 今月に入ってからナント3度目の『三国志』がらみの夢である。どういうわけで『三国志』が夢に現われるのかは、まったくの謎(ちなみに、私は『三国志』マニアでは勿論ない(笑))。ところで私には4つ年下の弟ヒサシがいるが、夢に登場した2人の従兄弟とも、子どもの頃は本当に仲が良かった。1つ年上のヒロシちゃん、1つ年下のマサシちゃん、それに弟のヒサシと4人で、朝から晩まで4羽の子ウサギのように野山を駆け回って遊んだものだ。現在、ヒロシちゃんは法曹界、マサシちゃんは医学界(主にバイオテクノロジーの研究)、弟は教育界の分野にいる。互いに忙しくなかなか逢えないが、逢えばすぐに子どもの頃の気持ちに戻れる、本当に良い仲間なのだ。


27日●『夜明けの晩に』(続編)のゲラ
山の中にぽつんと建った、城のように巨大な屋敷。私は愛犬のブースケ&パンダと一緒に、邸内に入って行く。すぐ近くに別の犬や小動物、それに仙人のような老人の気配を強く感じるが、姿が見えるわけではない。屋敷の中の小さな部屋に入る。そこはマットレス(あるいは砂場?)のような場所で、気持ちの良い湿度があって柔らかい。私は、連れて来た動物たちを次々にマットレス(砂場?)の中に投げ入れる。ブースケ&パンダも、他の犬たちも、そのほか何匹かの見たこともない小動物も、皆、喜んで遊び始めた。この場所なら安心して犬を預けて置くことが出来る。私はほっとしながら部屋を出て、ひとり別の小部屋に移動した。するとそこには編集者の芝田さんがいて、ゲラのチェックをしている。一目見て、それが『夜明けの晩に』の続編であることがわかった。芝田さんは真剣な表情でゲラを見据えたまま、「ここのところ、満奈の名前が“りえ”と誤植されていましたから、直しておきました。あと、満奈に弟がいることになっていますが、前回の作品では満奈は一人っ子という設定でしたよね。この弟はどこから出て来たんでしょう」と尋ねてきた。見ると、確かにゲラには「りえ」「弟」の文字があった。私はそのことの理由について、芝田さんに説明しようとしている。
【解説】 『夜明けの晩に』の続編が出版されるという夢。夢の中だというのに、ゲラの一字一句までが詳細に読めるのには驚いた。実は、表紙までがハッキリと見えたのだが、そのデザインがどのようであったかは、ここでは秘密にしておこう。


28日●卒業式欠席
中学校の卒業式が行なわれている。小中一貫校なのだろうか、会場は小学1年生らしき子ども達から中学卒業生まで、バラエティーに富んだ年齢層でごった返している。しかし“中学の卒業式”と言う割には、卒業生が四十路を過ぎた大人に見えるのは不思議なことだ。どうやらこの人達は皆、私の同窓生らしい。卒業がよほど嬉しいのか、彼らは在校生たちに手を振ったり口笛を吹いたり、てんでに大騒ぎをして浮かれている。私はその横で鍬(くわ)を持ち、校庭の隅に作られた農園を耕している。すぐそばでは母が鋤(すき)を持って働いており、「真美ちゃん、本当に卒業式に出なくていいの?」と不思議そうに言う。私はそっけない口調で「いいの、いいの。こういうイベントには全然興味がないんだから」と答えたまま、さらに農園を耕し続けた。そのまま暫く一生懸命に鍬を振るっていると、向こうで車が止まる音がし、出版社の人たちが数人でやって来た。「山田さん、おめでとうございます。ついにやりましたよ」という声に、額の汗をぬぐいながら顔を上げたところで目が醒めた。
【解説】 またしても中学校が舞台の夢である。前にも書いたように、中学時代の私は平凡な少女だった。成績はそこそこに良かったので先生方からは可愛がられたが、部活の先輩からは適度にいびられ、どうと言って可もなく不可もない退屈な3年間だったと思う(サボリというものを知らない真面目な生徒だったので、卒業式には当然きちんと出席した)。そんな私は、高校入学と同時に一転、個性があって目立つ生徒に豹変するのだが、夢に見るのは何故か中学時代のことばかり。出来ることなら、次回からは高校時代以降の夢を見たい(苦笑)。なお、夢の最後に登場した出版社の人達は、一体何を言おうとしていたのだろう。何かとても嬉しいニュースだったような気がするが。




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