2005年1月


1日(初夢)●海外での講演会

海外で行なわれる講演会の講師を依頼される。場所は、アメリカ以外の英語圏の国ではないかと思う。上品なパステルカラーのツーピースを着た中年の白人女性が、高級チョコレートを持ってその挨拶にやって来た。パッケージには、Godivaと双璧をなすヨーロッパの老舗菓子店の名前が印刷されている。彼女との打ち合わせが済んだあと、私はブティックに行って洋服の試着をする。春らしい明るい色合いの、素敵な服が見つかった。店員たちも、満更お世辞ではなさそうな様子で、「それがお似合いです」と褒めてくれる。迷わずその洋服を買うことにした。気がつくと、私は気持ちの良い風が吹く丘の上に立って、葡萄畑や古い教会が見える美しい黄金色の風景を見下ろしていた。
【解説】 これは、1月1日の夜から2日の朝にかけて見た、今年の“初夢”である。最後に登場した美しい風景は、ヨーロッパの地方都市のようでもあるが、オーストラリアのどこかのようにも思えた。全体に清々しく明るい夢。なお、夢に登場した老舗の菓子店は、私の知る限り実在はしない。


2日●宮家の結婚式

宮家で結婚式があるという。新郎新婦のお顔立ちは、ご成婚時の秋篠宮と紀子さんにどこか似ている。私のイトコが、今回の結婚式に関与しているらしい。式に招待されて会場に行ってみると、そこはいかにも由緒ありげな古い日本家屋だった。屋敷をぐるりと取り巻くような形の回廊があって、大勢の人たちが忙しそうに立ち働いているのが見える。よほど歴史のある建物なのだろう、廊下も柱も黒光りしている。関係者と打ち合わせをしながら回廊を歩く自分の足もとを見ると、おろしたての足袋の純白が目に飛び込んできた。
【解説】 敬虔で厳かな雰囲気の漂う夢。この前には全く別のストーリーがあったようだが、よく思い出せない。


3日●降臨

光り輝く球形の何かが、高いところから降りてくる。視界一杯に、透明感あるオレンジ色と黄色が溢れている。光が私の全身に染み込んでくる。(待っていたものが、遂に降りて来たのだ)と思う。
【解説】 降りて来たものが何だったのか、具体的なことはわからない。「球形」と「オレンジ色」が印象的だった。


4日●英語のレッスン

学校のような建物の一室。数十人の生徒が、真剣な顔でホワイトボードを見つめている。一見したところ、生徒たちは30歳以上の大人ばかりだ。なかには70代〜80代と思しき人も混じっている。ボードには、英語の単純な構文がいくつか書き並べられており、その横に日本語訳が添えられている。教師は初老の男性で、いかにも“この道一筋”といった真面目さが漂っている。彼は、自分の教え方ではどうしても生徒の英語力がアップしないことに悩み、どうやら私に教師の座をバトンタッチしたいらしい。ボードの上には、「I=我は」「my=我の」「me=我を/我に」などと書かれている。それを読んで、(一人称を「我」とするなんて、いったい何時代の人?)と思う。男性教師から白とピンクのペンを受け取った私は、ボード上から日本語を消しながら、「今日のレッスンからは、英語をいちいち日本語に訳さず、英語のままダイレクトに理解する方法を伝授します。つまり、思考の中に日本語を介入させず、最初から英語で考える方法を身に付けるのです」と言った。生徒たちの喰い入るような真剣なまなざしを感じながら、私は最初のレッスンを始めた。
【解説】 この夢は、私が現在調査している「カウラ事件」と関係していると思う。詳細を書くと長くなるのでここでは省略するが、第二次大戦中にオーストラリアのカウラ戦争捕虜収容所に収容されていた旧日本軍の方々と親密に話してみて、彼らのうちの何割かが、「この事件を次世代の人間にすべて語り継いでから安心して死にたい」と強く願っていることを、昨今痛切に感じている。その中には、かなり英語の出来る当時のインテリ層(将校クラス)も混じっている。今夜の夢は、そうしたイメージが入り混じったものではないだろうか。


5日●ふたつのキャンセル

動物園かサーカス小屋のようなところ。周囲には大勢の人がいる。5人の著者が、“共著”という形で一冊の小さな本を出すことにした。私もその中のひとりだ。それは専門的ではない、何か軽い読み物のようだ。私以外の著者のうち、少なくとも3人は男性だと思われる。本のゲラが上がってきた。著者紹介のページを見ると、驚いたことに、5人の顔写真が入るべきところが動物の写真になっているではないか。ゴリラやキリンの顔が見える。私の顔写真があるべきところには、トラの写真が入っている。憤慨した私は、本の発行を中止させようと思う。他の4人にその旨を告げると、ひとりは「ああ、そうしよう」と言ってくれたが、ふたりは「うーん」と言ったきり後は無反応で、残るひとりは「わあ、俺ゴリラだ。かっこいい!」などと喜んでいる。埒があかないので、出版社の社長のところへ直談判に行くと、カバのような顔の男がヌメヌメした様子で椅子に座っていた。私の言い分を聞くと、カバ社長は首を掻きながら「う〜ん、ダメかあ。いいアイデアだと思ったのにい」と言った。場面が変わり、夜の街。私はデパートの最上階のほうにいる。ところが途中から善光寺の裏手あたりに出てしまい、気がつくと出身高校の校舎の2階にいた(ただし、現実の建物とは似ても似つかない)。クリスマス・イルミネーションが美しい。娘から連絡があって、家の近所のバーのママが、今夜どうしても私にアルバイトでホステスをして欲しいと言っているそうだ。(そう言えば以前そんな約束をしたかも知れない)と思う。高校の校舎は、A棟とB棟の間の渡り廊下が凍ってつるつる滑る。なかなか前に進むことが出来ない。そうこうしているうちに、約束の午後11時30分になってしまった。これから行ったところで、もうバーの閉店時間までには間に合わないだろう。私はこのアルバイトをキャンセルすることにした。
【解説】 妙に疲れる夢だった。朝起きてみると、愛犬のブースケとパンダが両肩に乗っており、私はとても不自然な体勢で眠っていたようだ。そのためにこんな夢を見たのかも知れない。なお現実世界でも、最近一冊の冊子を“共著”という形で完成した。今年3月から開催される愛・地球博(愛知万博)でオーストラリア館が発行する公式ガイドブックだ。一緒に書いたのは、日豪両国の作家、ジャーナリストら5〜6人。宇宙飛行士の毛利さん(南オーストラリア大学で博士号を取得)も、著者の一人だ。こちらの共著は作業もスムーズに進み、手前味噌だが、とても素敵なガイドブックになったと思う。


6日●夕暮れのマフィア

見知らぬ夕暮れの街。秘密の任務。両側に商店が軒を並べた細長い小路。私は誰かと一緒に歩いている。中華料理店。建物の2階。妖怪・滑瓢(ヌラリヒョン)のように、捕らえどころのない顔つきのマフィアのボス。私はこの男が嫌いだ。近くに、ハーヴァードで博士号を取った男の存在を感じる。その男は、生涯にわたって私の味方だ。
【解説】 誰かと一緒に何かの任務を遂行しようとする夢なのだが、誰と一緒に何をしていたのか、詳細は夢の中でも謎のまま。



7日●空いっぱいの飛行物体

私は空を見上げている。そこには、実に数多くの乗り物が猛スピードで飛んでいる。おそらくここは、未来の世界なのだろう。21世紀初頭の空を飛んでいたジェット機やヘリコプターなどは、もはやどこにも見当たらない。今、私の目に映っている飛行物体は、すべて超小型の自家用飛行機ばかりだ。ちょうど、昔の軽自動車がさらに小型になって空を飛んでいるような気軽さだ。この風景を見ているのは「山田真美」ではなく、彼女が死んだあとの世界を生きている、別の人間または人工知能の「目」なのだと思う。時折り、空の中心に巨大なパトロール機が現われて、やかましく警報を鳴らすのだが、その現われ方も不思議で、どこかから徐々に飛来するのではなく、空の中からいきなり姿を現わすのだ。その飛行物体は、透明になったり姿を現わしたりと、みずからの状態を自由自在に変えることができるらしい。すぐそばに誰かいるような気もするが、体温も感情も感じられず、それが誰なのか少しも気にならなかった。
【解説】 少なからずSFチックな夢。空の交通もずいぶん便利になったようで、誰もが気軽に飛行物体を運転する時代のようだったが、ジャンボジェットが持つドラマティックで孤高な雄大さは、もはやそこには微塵も感じられなかった。



8日●能舞台

能楽堂に来ている。舞台正面の後ろのほうの席に座っていると、壇上の能楽師が私を呼びに来た。何事かと訝(いぶか)りながら、舞台に向かって歩いてゆく私。
【解説】 このあと壇上で何が起こったのかは覚えていない。能楽師は、見知らぬ人であるにもかかわらず、妙に懐かしい面差しだった。



9日●お能への招待状

オーストラリアまたは南米らしき場所。深いジャングルの中に建てられた山小屋に来ている。それは高床式の建物で、私は1階のベランダから地面を見下ろしている。この場所には、以前にも来たことがあると思う。懐かしい想い。そこへ友人のA氏から葉書が届いた。A氏は日本で貿易商を営むアメリカ人で、日本語の読み書きはひどく苦手のはずだが、今回の葉書は何故かすべて日本語で印刷されている。そのうえ、そこに書かれている内容は、某能楽堂で行なわれるお能の番組表なのだ。葉書には赤字で「ご招待」とスタンプが押されており、これを持ってゆくとお能を拝見することが出来るらしい。ジャングルの中にいながら、私の心は能楽堂へと飛んでいる。
【解説】 昨日に引き続き、お能の夢である。今月はお能を観る予定は今のところないが、先月は観世能楽堂に1回行き、来月は国立能楽堂で「道成寺」を観る予定がある。このところ自分の心が、古典的な日本文化を希求しているのを感じる。

【後日談】 夢を見た数日後、A氏から寒中見舞いの葉書が届いた。それが不思議なことに、これまではいつも決まって英文オンリーだった手紙が、今回に限って、印刷部分も宛名書きもすべて日本語なのである。余白にはたどたどしい筆跡で、「今年はがんばって日本語を勉強します」という意味のことが、日本語で書き添えられていた。夢とのシンクロが興味深い。


10日●新しいスポーツカー

夫から新車を贈られる。車高の低い、紺色のスポーツカーだ。ニューモデルなのだろう、今までに見たことのない斬新でスタイリッシュなデザインが目を引く。早速この車で山道を走ってみた。車高が低いため、凸凹道に応対出来ないのではないかと危惧したのだが、何のことはない、どんな悪路でも快適に走行できるようだ。また、ボディが驚くほど軽くフレキシブルな素材で作られているため、簡単に折り畳んで海外などに連れて行くことも出来るらしい。信じられないほどの優れものなのだ。ドライブの途中、窓の外にKさんの姿がちらりと見えたような気がしたが、私は彼を無視してその先へと進んで行く。
【解説】 現実世界ではあり得ないほど高性能な車をゲットする夢。新旧交代、バージョンアップのイメージが強く感じられた。Kさんは昔の知り合いだが、優柔不断かつ言行不一致な人で、私はこの人にあまり良い感情を抱いていない。



11日●刃物と古美術品

男がもうひとりの男の腹部を刃物で刺している。それは、未来に起きる何かを回避するための行為なのかも知れない。刃物を持っている男は、決して悪人ではなく、むしろたいへん善良な人のようだ。場面が急転し、私は娘と一緒に美術館か博物館のようなところに来ている。すぐ近くに古美術品の存在を感じる。娘に指示されて、私はどこかへ移動しようとしているらしい。
【解説】 刃物を持ち出していた男の顔は、現実でも見たことがあるような気がする。



12日●電話交換室

長野市内のどこかにある、古めかしい建物の2階の一室。昭和の事務所を髣髴させる造りで、どうやらそこは電話交換室らしい。紺のスモックに、ベージュ色の膝丈タイトスカートといういでたちの女性職員たちが、上司らしい男性職員と共にデスクワークをしている。ここは私が生まれた昭和30年代の世界のようだ。私をここまで案内してくれた誰かが、鍵のかけられたいくつかの小部屋を指さしながら、「そちらには国連専用の電話回線と、日銀専用の電話回線、ホワイトハウスとのホットライン、国際電話の専用回線、それにマスコミ専用回線と、全部で5本の専用回線がございます」と教えてくれた。昭和30年代の長野のような一介の地方都市が、これほどディープに世界と繋がっている事実に驚いている私。
【解説】 現実世界における昭和30年代の地方都市は、首都圏との格差も大きく、まだまだ“発展途上国”といった趣があった。ホワイトハウス、国連、国際電話などは、庶民とは縁のない存在だった。しかし今日の夢の中では、そうした国際的な機関と、地方都市の古めかしい建物がミスマッチしていた(これは当時の現実ではあり得なかったことだが……)。私はときどき、自分が子どもだった頃に経験したことを、遥か昔の夢の中の出来事のように思い出すことがある。あの頃はインターネットはおろか、ファックスも、一般家庭には電話すらなかった。テレビは生まれた時から家にあったが、東京オリンピックの年(1964年)まで白黒だった。周囲には、英語を話す人も、海外に行く人もいなかった。東京へ出るのに、長野駅から特急列車で7時間もかかった時代である。今、ごく普通にインターネットを使い、ごく普通に英語を始めとする複数の外国語を話し、国連や日銀やホワイトハウスの関係者たちと友達づきあいしている自分という人間を、ときどき不思議に思うことがある。ところで最近の私の夢には、建物の「2階」が頻繁に登場するのだが、これはどういう意味だろうか(先月は8日、17日、29日、今月は5日、6日、12日の夢がこれに該当)。ちなみに私が現実世界で暮らしている部屋は、ビルの最上階(10階)であって、2階ではない。



13日●同級生から感謝される

夜の街。細く長い、まっすぐな道を歩いている。目には見えないが、すぐ脇には清流が流れているようだ。穏やかで心地よい空気。江戸時代または昭和初期の懐かしい情緒。道を歩く途中、さまざまな人と会い、さまざまな出来事があった気がする。途中、同級生のT君からテレパシーで連絡が来た。遠方にいるT君の姿が、手に取るように見える。彼はアパートのキッチンらしき部屋にいて、「ビニール袋(?)を新しい物に取り替えておいてくれて、どうもありがとう」という意味のことを言っている。しかし私には、T君の言葉の意味が全くわからない。わからないものの、T君が納得しているのならそれも良かろうと思い、黙って微笑みながら頷く。すぐに私の意識は元の場所に戻り、まっすぐな道を再び歩き始めていた。
【解説】 昨夜は飼い犬のブースケに“盛り”がつき、パンダを追いかけて一晩中バタバタと寝室内を駆け回っていた。そのため睡眠が何度も分断されてしまい、夢のこれ以外の部分は覚えていない。しかし全体的には、まったりと寛げる雰囲気だった。



14日●伝統文化と匠の技

何かを作り上げようとしている。それを完成させるためには、伝統文化の匠の技、そして確固たる哲学を要するようだ。赤い球形のイメージがときどき浮かぶ。すぐ近くに私の作業をサポートしている人がいて、それは編集者の芝田さんらしい。作っていたものが完成したその瞬間、歓喜の中で夢は唐突に終わった。
【解説】 何を作っていたのかはわからないが、その製造過程には息を呑むような緊張感と達成感があった。

【後日談】 この夢を見た翌朝、3人の知人から立て続けに電話とメールによる連絡があったのだが、その3人が3人とも伝統文化の関係者であったのには驚いた。ひとりは京都「西陣織」の老舗織元の旦那さん。ひとりは「茶道」関係者。もうひとりはレコード会社の人で、「雅楽」に関することで連絡をしてきたのである。普段はほとんど電話連絡など取り合っていない相手だけに、夢とのつながりが興味深い。



15日●神道と仏教

ひとりの若い女性の姿が見える。彼女はどこかの学校で、何年か神道の勉強をしてきたらしい。しかし、郷里に戻った彼女が仏教行事に参加しようとすると、「神道を学んだ者はこの行事に参加できません」と断られてしまう。場面は変わり、私は小高い山の上から山裾を見下ろしている。そこには古い仏教寺院があって、今しも誰かの葬儀が始まろうとしている。雨混じりの雪が降って、静寂が支配している。袈裟をまとった僧侶がやって来た。知らない顔だが、どうやらこの僧侶は私のことが好きらしい。しかし私はこの僧侶に逢いたくないという理由から、葬儀を欠席することにした。最後に、高校時代からの文通友達で内科医の岩国さんから手紙が届いたところで、夢はふっつりと終わった。
【解説】 昨日は知人のお父様の葬儀があったのだが、どうしても時間の都合がつかず出席することが出来なかった。そのことが形を変えて夢に現われたのかも知れない。最後に現われた岩国さんは、現実世界の友達。夢の中で手紙を開封する時間はなかったが、おそらく『死との対話』の読後感想文が入っていたのではないかと思う。



16日●4篇の短いドラマ

見たことのない建物の2階。廊下の突き当たりの部屋に幽霊が出るという。女友達のAさんが、いつになく取り乱した様子でそのことを告げに来る。行ってみると、確かに室内で何か物音がするようだ。しかし私は幽霊の類を全く信じていないので、「きっとネズミか何かでしょう」と言いながらドアを開けようとする。その瞬間ドアが勝手に開いて、中から白いネグリジェをまとった金髪の白人女性が現われた。場面が急転し、ホテルのような建物の1階部分。私はトランクを持って歩いている。上の階に行きたいのだが、同時にホテルの外ですべき仕事もある。そこで、トランクだけをエスカレーターに乗せ、そこから全力で走って仕事場に行き、仕事を終えてエスカレーターに戻ってみると、トランクはちょうどエスカレーターの降り場に差しかかったところだ。タイミングよくトランクをキャッチした私は、今と同じ方法でさらに上の階へ向かおうとしている。再び場面が変わって、広々とした豪邸。庭の緑が美しい。エントランス部分の建築様式に目を止めた私は、手持ちのカメラで写真を撮ろうとする。するとそこへ友人でプロの写真家のNさんが現われた。Nさんはいつものようににこにこ笑いながら、カメラの操作方法について極意を授けてくれる。ありがたく拝聴している私。さらに場面が変わって、爽やかな草原のような場所。ガールスカウトの制服を着た健康的な少女が、何かのイベントで交通整理のような仕事をしている。大人っぽく見える彼女も実はまだ中学生で、2〜3歳上の男性と交際しており、どうやら妊娠しているらしい。彼女は何の躊躇もなく、赤ん坊を生むことに決めた。相手の男性も喜んでおり、早く婚姻届を出さなければと思っている。このふたりには、玉のような男の子が生まれるだろう。
【解説】 今日の夢は、全く異なる4つのストーリーによって構成されていた。最初の夢に登場したAさんは、つい最近父親を亡くした女性。3番目の夢に登場した写真家のNさんは、10年ほど前に40代で病死し、既にこの世にはいない。現実世界でのAさんとNさんは、明るく面倒見の良い人たちである。最後の夢に登場した女の子は、「中学生で妊娠・出産」というショッキングな設定に反して、実に前向きでエネルギッシュだった。最後の「玉のような男の子」には、希望のイメージが集約されていたように思う。
【後日談】 この夢を見た半年後、オーストラリアの某所にある「幽霊が出る」という噂のホテルに泊まった。そこの2階で、私は幽霊らしき金髪の白人女性2名と奇妙な遭遇をしたのだが、あとになって考えてみると、その光景は半年前(つまり1月16日)に夢で見た情景とそっくりだったではないか。実に不可解な一致である。なお、オーストラリアの幽霊ホテルに関する詳細はこちらからお読みいただけます。



17日●呪文を唱える

山の斜面を走っている人たち。これは何かのレースなのか。横一列に並んだマーク。途中に同じマークがふたつ並んでいる。ニコちゃんの上に斜めの線を引いた、駐車禁止マークに似たデザインだ。私の任務は、そのマークの名前を覚えることらしい。ところがその言葉は、どこの国の言葉に置き換えても意味の通じないランダムな音の組み合わせに過ぎないため、非常に覚えにくい。まるで何かの呪文のようだ。「○×△□☆…」と、その言葉を繰り返し唱えながら歩いて行くのだが、途中で人から話しかけられたり、音楽が聞こえてきたりして、ついに私は「○×△□☆…」が何であったかを忘れてしまった。
【解説】 夢から醒めて「○×△□☆」を思い出そうとしてみたが、何故か「マイヤヒー マイヤフー マイヤホー マイヤハッハー」と「ノマ ノマ イェイ」という言葉しか頭に浮かんでこない。これらはモルドバ出身のO-Zoneが歌った“Dragostea Din Tei”の歌詞の一部だ(モルドバ出身ということは、ルーマニア語かそれに近い言語だろうか)。夢の中では、これとは似て非なる言葉を覚えていたはずなのだが、目が醒めるまでにすっかり忘れてしまった。



18日●海軍将校を待つ

ヒマラヤと思しき孤高な山。一本の道があって、その途中に小さな円形の休憩所のようなところがある。私は円の中に立ち、ひとりの海軍将校を待っている。時折り、旧日本軍の将校が足早に通り過ぎてゆくが、私の待ち人はなかなか現われない。「情報伝達」「暗号解読」といった言葉が脳裏をよぎる。
【解説】 このあと何かより具体的なイベントがあったような気もするのだが、覚えているのはこの部分だけ。



19日●ピンクのミニスカート

信州の山小屋に来ている(ただし家の造りも周囲の風景も、実際とは全く違っている)。記録的な大雪が降り積もり、見渡す限り純白の世界だ。私は裏山へ畑仕事に出ている。ここは私有地なので、本来なら通行人がいるはずはないのだが、何故か周囲には数人から10人ほどの男性がいて、皆、黙々と足早に歩いている。急用があって、私はどこかへ行かなくてはならないらしい。しかし自分が着ているものを見ると、上半身の重装備にひきかえ、下半身は何故かガーゼのような薄い素材のミニスカートなのだ。しかもそのスカートは、普段なら絶対に着ないピンク色で、ご丁寧にフリルまで付いている。我ながらあまりにも趣味が悪い。急いで家に戻り、箪笥から厚地のコットンパンツを引っ張り出してみたところ、ネズミにやられたらしく所々に穴があいている。困ったものだと思いながらふと視線を落とすと、ピンク色のミニスカートは、いつの間にかピンク色のバーミューダショーツに変わっていた。相変わらず奇抜なファッションではあるが、フリルのミニスカートよりはマシだろう。急がなければ決められた時刻に間に合わないので、私はその格好のまま表へ走り出た。
【解説】 以前の夢日記にも書いたと思うが、私は子どもの頃に母から「真美ちゃんにはピンク色は似合わないわよ」と言われ、黒や紺やグレーのシックな服ばかりを着せられていたため、現在はもちろん幼少の頃も、ピンク色の服を着たことが殆どない。そのためか、たとえ夢の中にしろ、ピンク色を着ることには一種の戸惑いがある。ちなみに『夢の辞典』(日本文芸社)は「ピンク色」の意味を、「幸せでありながら不安を感じている状態」「女性らしい情動や官能のシンボルカラー」としている。



20日●暗号表

旧帝国海軍の暗号表を探して旅をしている。途中、手掛かりを求めて大勢の人に逢う。深い靄の中を歩くように、何かが今ひとつハッキリしない。決定的な証拠が足りないのだ。しかし、そうやって旅を続けるうちに私は、“探す”という行為の中にこそ意義があるのだと感じるようになっていった。結果はもちろん大事だが、プロセスにはしばしばそれ以上の意味がある。満ち足りた気持ち。旅はさらに続く。
【解説】 井上陽水さんの『夢の中へ』という歌の中に、「探すのをやめた時、見つかることもよくある話です」というフレーズがあったと思う。確かにそのとおりで、あまりにも執着が強いと欲しい物はかえって手に入らず、執着がふっと抜けた時に、探していた物が向こうから歩いて来てくれることがある。ハッキリとはわからないが、今夜の夢はそういうことを私に告げていたようにも思える。



21日●ヒッチコック

この世の果てのような風景。どこまでも連なる山並み。ここはヒマラヤか、はたまた火星かも知れない。そこに無数の人間が並んでいる。長蛇の列と言うよりは、まるで“人間万里の長城”といった趣だ。そこでさまざまな事件が起こる(ただし詳細はどうしても思い出せない)。人間が少なくとも2人、殺されたように思う。しかしそこには流血も、悲鳴もない。上品かつ淡々と展開するプロット。アルフレッド・ヒッチコック監督の特徴ある横顔が、列の中にシルエットのように紛れ込んでいるのが見えた。
【解説】 昨夜はヒッチコックの「ダイヤルMを廻せ」を観た。その直後に見た夢がこれである。ところでここ数日ほど、「気がつくと深い山の中にいた」というパターンの夢が多いようだが、私はもともと大都会や盛り場よりも、峻厳な峰々や孤高な峠といった風景のほうが好きなのだと思う。夢の中で山頂に立っていると、それだけで心身が浄化されてゆく。私の場合、夢を見ることには、マッサージやアロマセラピーを受けるのと同等かそれ以上のヒーリング効果があるらしいのだ。



22日●プラチナの円

大勢の西洋人に囲まれている。床の上に円形のものが見える。円形はプラチナで出来ており、この世のものとも思われない素晴らしい輝きを放っている。私は髪をポンパドール風に結い上げ、プラチナの繊維で編まれたドレスをまとっている。
【解説】 長い夢だったように思うのだが、この一場面しか覚えていない。透明感のあるプラチナの光沢が美しかった。



23日●黄金色のユートピア

私は山道を登っている。この山は、すべてが黄金または黄色のイメージだ。ヒマラヤの奥地か、中南米のどこか(グアテマラあたり?)だろうか。山の形状は複雑で、道は一定の方向に進まず、大きく蛇行したり急勾配になったり、常に変化に富んでいる。ここを歩くのには体力が必要だが、およそ飽きるということがない。周囲には大勢の人の姿が見える。彼らは、マヤ族とチベット人とアメリカン・インディアンを足して3で割ったような、素朴だが物事に動じない顔つきをしている。不思議なことに、そこにいる全員が山を登っており、下っている人はひとりもいない。どの人の顔も生き生きと輝いている。半日かそれ以上歩き続けてようやく山頂に到達した私は、山裾を見下ろして、その美しさに思わず息を呑んだ。そこにはいくつもの湖が、宝石のように、まさに宝石のように燦然と輝いていたのである。私は時間を忘れて、いつまでも喰い入るようにその風景に見入った。周囲の人々を見ると、どの顔も黄金色に照り輝いている。これは間違いなく“ユートピア”を見た人の顔だ。これほど美しいものを見ることができれば、もう思い残すことはないと思う。
【解説】 眠っている間も、眠りから醒めたあとも、とにかく感動の続く夢だった。山頂から見た湖の鳥肌立つほどの美しさは、今も忘れられない。その風景は、この地球上にはあり得ないほどの、ほとんど神がかったオーラを放っていた。



24日●将校たちの死

将校の家を訪ねて行く。しかし、目指す家に着いたときには、将校は既に亡くなって葬式が出た後だ。次の将校に電話をし、アポを取る。しかし、約束の時間に約束の場所に行ってみると、その将校も亡くなっている。こうやって何人もの将校を訪ねるのだが、どの将校も一人残らず、私の到着を待たずに死んでしまって、お墓の中に入った後なのだ。最後にようやく元陸軍将校だったという人にお会いすることができたが、その人は完全に痴呆状態で、何もお話することができなかった。
【解説】 非常に疲れる夢。一晩中、将校の家を訪ねては希望を打ち砕かれるということの繰り返しだった。私は現在カウラ事件の取材をしているが、元将校たちはどなたもご高齢で、この半年ほどで既に3人の関係者に亡くなられてしまった。その無念さが夢に現われたのだろう。



25日●犬を抱いて駆ける剣士

大勢の外国人が現われて、さまざまな英語の言い回しの由来について早口でまくし立てる。私はいちいち「なるほど、そういうことだったのか」と感心しながら彼らの説明を聞いている。彼らが話した内容はどうしても思い出せないのだが、最後に登場した若い金髪の白人女性が、“hypodermic”(皮下注射)という言葉は仏教用語の「秘法」に由来すると力説するのを聞いて、(いくらなんでも、そんな馬鹿な)と、今までの一連の話がすべて出鱈目であったことにようやく気づく。場面が変わり、私は雪の積もった坂道を上っている。地方都市の商店街といった趣。まだ朝早い時間なのか、人通りはそれほど多くない。愛犬のブースケとパンダが一緒に歩いているようだ。雪で滑って歩きにくそうなので、犬を抱いて帰ることにした。まずブースケを抱き上げると、思ったよりも重い。落とさないように、私はブースケを自分の上着の中に入れた。次にパンダを抱き上げたところ、パンダが履いていた靴が全部脱げてしまった。靴のサイズが大きすぎたのだ。それにしても、パンダはいつの間に靴など履いていたのだろう。不思議に思いながら、道に転がった紺のデニムシューズを拾い上げる。しかし、4つあるはずの靴のうちの1つが、何故かどうしても見つからない。失われた靴のことは諦めて、私はパンダも上着の中に押し込んだ。その姿で小走りに駆けて行くと、道行く人たちが皆、不審そうにこちらを見ている。一体、私の何がおかしいのだろう。途中、建物のガラス窓(あるいは鏡?)に自分の姿が映った。なんと私は髪をポニーテールに結い、鉢巻を締めて、まるで新撰組の剣士のような勇ましい姿で駆けていたのだ。身長はすらりと伸びて190センチ近くあり、顔つきも目元のきりっとした凛々しい美男子に変わっている。早く犬を家に置いて、土方(ひじかた)のところへ行かなければと思う。
【解説】 前半と後半がまるで繋がらない夢。昨日は雑誌「英語でしゃべらナイト」のインタビューを受けて、英語の上達方法について色々と話した。それで夢の中にまで大勢の外国人が現われたのかも知れない。犬のパンダが靴を履いていたのは、まるで意味がわからない。夢の最後で心に去来した「土方」という名前は、おそらく新撰組の副長、土方歳三(ひじかた・としぞう)を意味していたのではないかと思うが、これまた夢に登場する意味がわからない。

【後日談】 夢の翌日、いつものようにブースケとパンダを散歩に連れて行こうとして玄関に出てみると、何故か私のウォーキング・シューズの片方だけが見当たらない。ほかの靴はきちんと並んでおり、乱れた様子もないのに、何故かその靴だけが消滅しているのだ(ちなみにこのウォーキング・シューズは、犬の散歩専用である)。そのため今日の散歩は中止したのだが、夢の中でパンダの靴が失せた直後に私の靴も失せるとは、奇妙なこともあったものだ。
【後日談の後日談】 なくなった靴は、夜になってふと玄関先を見ると、既にどこからともなく戻っていた。うちの家族はこの種の悪戯を好まないし、かと言って、そこは部外者が出入り出来る場所でもないので、靴がどこへ消えてどうやって戻ってきたのかは全くの謎である。



26日●潜水艦

海軍士官のAさんにインタビューするため、私は潜水艦に乗り込んでいる。Aさんは「昔から女性は潜水艦に乗せないことになっているんだが、まあ、貴女のことは特例としましょう。航海記録にも残しませんから」などと言いながら、本格的なコーヒーを煎れてくれた。さすがに海軍はハイカラで紳士的だと思い、感心する。壁面の本棚に洋書がずらりと並んでいるのにも驚いた。おそらく2〜3時間ほどかけて丁寧にインタビューをし、Aさんの話してくれた内容のすべてをメモに取ったところで、潜水艦が急に浮上するような感じであたりが明るくなり、唐突に夢から醒めてしまった。
【解説】 一体私は何をインタビューしたのだろう。残念ながら何一つ覚えていない。Aさんは非常に知的で楽しい方だった。



27日●スノーマンとの一夜

気がつくと、北欧らしき場所にいた。いきなり空からオーロラがレースのカーテンのように軽々と下りてきて、バレリーナのドレスを思わせる幻想的な動きを始めた。森の向こうでスノーマンたちがパーティーを開いている。以前に絵本“Snowman”で見た、そのままの世界が目の前で繰り広げられているのだ。誰かに招じ入れられて、私もスノーマンの世界に入り込んだ。銀色に凍った湖面に、美味しそうな食べ物の乗ったテーブルが並んでいる。スノーマンは全部で100人、いや200人はいただろうか。彼らの足元を見ると、何故か一様に戦時中の兵隊さんのようなゲートルを巻き、スケート靴を履いている。私もスケート靴を履いている。現実世界では得意でないスケートが、何故か思いどおりに滑れる。そのあと私はスノーマンの何人かと話し込んだ。話題は、カウラで捕虜になっていた将校たちを本に書いて出版する件だ。編集者らしきスノーマンが「それは難しい本だけれど、貴女は歴史の証人なのですから、絶対に書いてくれなくちゃ困ります」という意味のことを言った。何かの拍子にスノーマンの手に触れると、雪で出来ているはずの彼の手は、マシュマロのように暖かく柔らかかった。そのあと編集者、カメラマンを含む数人のスノーマンたちと一緒に空を飛んでどこかへ取材に行ったような気もするのだが、詳細は思い出せない。
【解説】 相変わらず私の頭の中はカウラ事件で一杯であることが、今夜の夢には如実に現われていた。なお、昨日は娘とふたりで遊園地「ナムコ・ナンジャタウン」に行き、ゲームセンターのUFOキャッチャーで身長50センチほどもある巨大スノーマン人形(写真はこちら)を2個ゲットした。そのことがすぐ夢に現われたのは、人形を取れたことがよほど嬉しかったからだろうか。



28日●スパイ現る

広々とした草原の真ん中に、取って付けたような不自然さで円盤型の建物が建てられている。私は建物の入り口前に立って、おそらく誰かを待っているらしい。ここへ来るまでに実にさまざまな場所を旅したような気がするが、それが何のためだったのか、誰を探しているのか、記憶の底が痺れてしまって想い出すことが出来ない。一陣の風が吹いて、気がつくと目の前にスパイのAさんが立っていた。大柄なAさんは、砂色のロングコートのポケットに手を突っ込んで微笑みながら、ただ風に吹かれて懐かしそうに私を見つめている。(そうだ、私が探していたのはこの男だ)と、この時になってようやく思い出す。白系ロシア人にもアーリア系インド人にも見える国籍不明な男の顔を眺めながら、(この男は明らかに汚いスパイだが、本質的には悪い人間ではない)と思い、彼に友情に近いものを感じている私。
【解説】 Aさんは実在の男性。いくつもの肩書きを持ち、複数の言語に通じ、ジェームズ・ボンド顔負けの神出鬼没で怪しい人だが、世界中のキーパーソンと繋がっていることは間違いない。かれこれ2年以上逢っていないので、今どこで何をしているのかは知らないが、今夜の夢は、そろそろ現実世界でも彼から連絡がくるという予告のような気がした。



29日●山の中

人里離れた山の中にいる。人家はなく、およそ人間が暮らせる場所には見えないのだが、何故かあちこちを人が歩いている。ここでは何かを殺し、焼き、埋めることが当たり前らしい。それがこの山の文化であり、昔からの掟なのだ。私も掟に従って何かを殺したような気がするのだが、何を殺したのか定かではない。流血もなかったし、気味の悪さなどは少しも感じられなかった。そのあと、誰か知った顔の男性に逢う。その人が誰だったかどうしても想い出せないのだが、日本人ではなかったようだ。その人から何か素晴らしく美味しい食べ物(または非常に楽しい出来事)をプレゼントされた私は、この山が大好きになる。
【解説】 目が醒めてから、さて夢で逢った人は誰であったか想い出そうとするのだが、一向に想い出せない。私は時々、夢の中で“懐かしい、しかし誰なのかわからない人”に逢う。昨年12月3日のように、夢で見た人が現実世界にまで姿を現わすこともある。この次にもう一度そんなことが起こったら、今度こそ勇気を振り絞ってその人に話し掛けてみたい。



30日●レイテ島

戦争中のレイテ島。あたりには日本軍のジープや零戦が散乱している。蔦の絡んだ廃屋。捨てられた武器。白骨化した死体。カウラ事件に関わったKさんの姿も見えたような気もするが、Kさんは既に死んでいた。
【解説】 このところ、我ながら戦記関係の資料を読みすぎである。今日の夢では、現実には行ったこともないレイテ島(太平洋戦争末期の激戦地)の様子が、細かな部分までハッキリと見えた。


31日●豆と神道

ナムコ・ナンジャタウンに新しいアトラクションが出来た。それは豆と神道の関係をテーマにしたシューティング・ゲームで、途中にはモンキーマンも登場する。豆は非常に大切な意味を持っているのだが、その意味がわからないと先のステージに進めない。近くに見知らぬ初老の男女2〜3人がいて、彼らもアトラクションに参加しているらしい。途中で、何か長い文章を暗誦させられた。それは古事記に関係のある記述だったようだ。
【解説】 ナムコ・ナンジャタウンは、池袋サンシャインシティの中にあるインドア型の電脳遊園地(ただし豆が登場するアトラクションは実在しない)。そう言えば昨年11月29日の夢の中にも、豆が登場している。豆は何らかのメッセージあるいは象徴なのだろうか。ちなみにモンキーマンとは、2001年の北インドを震撼させた未確認生物の名称である(詳しくは拙著『死との対話』をご参照ください)。





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