2005年7月


1日●A社が世界のトップに立った理由
世界的に名前を知られる日本企業の「A社」は、何故、世界のA社になることが出来たのか。その理由を調べて、本に書くことにした。創業者を知る数多くの人に会い、インタビューをしている。亡くなったはずの創業者自身にも会って、経営理念に関する詳しい話を聞くことが出来た。原稿を書きながら、(ユニークな企業のトップを徹底的に分析するこの仕事は、なかなか面白い。もっと多くの会社の社長達に逢って、この本はシリーズ化しよう)などと思っている。
【解説】 A社の前会長は、現実世界では私の叔父に当たる人である。伯父は数年前に亡くなったが、夢に登場したのは今回が初めてかも知れない。何か意味深長な夢だった。



2日●金の仏像
見たことのない洞窟のような部屋の中を歩いてゆくと、眩い光を放つ金色(こんじき)の仏像が見えた。仏像は右脇を下にして横たわり、穏やかな半眼で微笑んでいる。まるで生きているようなその微笑に惹かれて、私は身を屈めて仏像のそばに座った。つやつやと滑らかな仏像の表面に触れてみる。まるで生きているような温かさだ。仏像の腰から背中の辺りを撫でさすると、何とも言えない幸福感が湧いてくる。私は長い時間、仏像を撫で続けた。
【解説】 お釈迦様の十六弟子のひとりに、「賓頭盧(びんずる)」という方がいる。この仏像の体を撫でると病気が平癒するという話を聞くが、今夜の夢に現われた仏像は、まるで「私を撫でさすりなさい」と言わんばかりに私の目の前に横たわっていた。夢の中で仏像に触れたことで癒されたような気がする。なお、この夢は日本からオーストラリアへと向かう飛行機の機上で見た。



3日●巨大化したブースケ
飼い犬のブースケの身長が160センチほどになり、しかも人間と同じように二本脚歩行をしている。それを私は当たり前のこととして見ている。私が原稿を書いていると、ブースケはお茶を入れたり、肩を揉んでくれた。
【解説】 ブースケが巨大化する夢は以前にも見たことがあるが、そのときは直立歩行ではなく、四本足で歩いていた。今夜の夢で、ブースケは更に進化したらしい。この夢はオーストラリア北東部、クイーンズランド州イニスフェイルのホテルで見た。



4日●ゲラ校正
夢の中で一晩中、『ロスト・オフィサー』のゲラを校正している。神経を使う孤独な作業だ。とても疲れる。いい加減、終わりにしたいと思う。カウラ事件の関係者である金澤さん、南さん、ナカさんらがゲラ校正を手伝ってくれる。とても親切な人達だと思う。ナカさんは想像していたよりずっと若く、大人しい顔立ちの青年だった。
【解説】 未だに『ロスト・オフィサー』のゲラを校正する夢である。現実世界を振り返ってみれば、今回の作品ほど長時間をかけて徹底的にゲラ校正をしたのは、生まれて初めてかも知れない。夢に登場した「ナカさん」とは、カウラ戦争捕虜収容所に収容されていた陸軍中尉で、非常に謎の多い人物。少し癖のある外見を想像していたが、夢に現われたナカさんは大人しそうな顔立ちだった。の夢はクイーンズランド州タウンズヴィルのホテルで見た。


5日●洗濯物を運ぶジョイ
ピンク色のバミューダショーツを履いた金髪の女性が、急ぎ足で廊下を歩いている。見ると、友人のジョイではないか。ジョイは両手で大量の洗濯物を捧げ持つようにしながら、私の存在に気づかぬままスタスタと歩み去って行った。
【解説】 ほかにもストーリーがあったような気がするのだが、この部分しか思い出せない。ジョイは、友人でジャーナリストのハリー・ゴードン氏の奥様。いつも料理や裁縫やアイロンがけをしているような、家庭的で優しい女性である。この夢はクイーンズランド州タウンズヴィルのホテルで見た

【後日談】 この夢を見た直後の朝8時頃、驚くべきことが起こった。泊まっていたホテルのプールサイドに出たところ、なんとそこにハリーとジョイがいたのである。私達は驚愕のあまり、一瞬口も聞けない有り様だった。私がこのホテルに泊まることは、実は2日前に急遽決めたことで、前々から予約を入れていたわけではなかった。ハリーとジョイがこの時期タウンズヴィルを旅していることも、私は勿論知らなかった(ゴードン夫妻のご自宅は、ここから遠く離れた場所にあるのだ)。広大なオーストラリアの、星の数ほどあるホテルの一つをたまたま選んで泊まり、そこでバッタリ22年来の友人と遭遇する可能性は、ほとんど天文学的に低いのではないだろうか。しかも私はハリーと出会ったことがきっかけで『ロスト・オフィサー』という本を書き、今朝ようやくゲラのチェックを完了したばかりだったのである。絶妙のタイミングで遭遇したハリー・ゴードン氏は、『ロスト・オフィサー』の完成を我が事のように喜んでくださった。偶然の再会も奇跡的なら、その再会を夢で予知したことも、また奇跡的な吉事のように思えてならない。


6日●黄金を叩く
山の近くの小さな町。黄金の塊が見える。20世紀初頭らしい古めかしいドレスを着た2人の女性が、ひざまずくような姿勢で屈み、金槌のような物で黄金を叩いている。懐かしい風景。
【解説】 この夢は、かつてゴールドラッシュに湧いたクイーンズランド州レーヴェンズウッドの小さなホテルで見た。そのホテルは「幽霊が出る」という噂で有名な古いホテルなのだが、実は私もこのホテルに宿泊中、真夜中にミステリアスな出来事に見舞われた。地元の人が「幽霊」と呼んでいる怪現象に、私も真夜中に出くわしてしまったのである。誰もいない部屋から、ふたりの女性の声が20〜30分間に渡ってハッキリと聞こえたのだ。その直後に見たのがこの夢。夜中に聞こえた声の持ち主と夢に現われたふたりの女性は、同一人物のような気がする。事の詳細は、いずれ機会をつくって小説の中で書こうと思う。



7日●東大生女優と狂った乗り物

女優の小山明子さん(映画監督の大島渚夫人)が、艶やかな着物姿で橋の袂を歩いている。レポーターが彼女に「ここで何をしていらっしゃるのですか」と尋ねると、小山さんは艶然と微笑みながら、「夫も亡くなりましたし、一から勉強がしたくなって学生に戻ったんですのよ」と答えながら学生証を取り出した。そこには「東京大学法学部 小山明子」と印刷されていた。翌日の新聞には、「孫もいる女子学生」というタイトルと共に彼女の写真が掲載された。場面が急転し、東京の拙宅(10階建てのビル)の屋上。そこには、遊園地にあるような大きな乗り物が設置されている。ロケットのような形の、上下に動きながらぐるぐる廻る乗り物だ。乗っているのは、娘と息子、母、弟の家族、亡くなった父と姑。父の兄夫妻や、母の末妹の姿も見える。乗り物のスイッチが入った。何かのシステムが誤作動したようで、乗り物は突然恐ろしいスピードで上昇を始めた。「故障だ!」と誰かが叫ぶ。私は、上昇していく乗り物からビルの屋上に向けて飛び降りた。息子のほうに向かって腕を広げながら、「ここへ飛び降りなさい!」と指示すると、息子が飛び降りてきた。このときになって初めて、彼が3〜4歳の幼児に戻っていることに気づく。家から徒歩15分ほどの場所に、この遊具を作った会社「N」があるらしい。遊具の異常を知らせるため、私は「N」に向かって走り出した。しかし靴が大き過ぎるようで、思ったように足が前に進まない。息子も幼いため、ふたりの足取りは亀のように遅い。気持ちばかりが焦る。そうこうするうち、どうにか「N」の社屋に到着することが出来た。窓口にいた数人の女性社員に向かって、遊具が事故を起こしたことを早口で告げた。すると彼女達は焦った様子もなく、のんびりした口調で「それでは、誰か腕力のある男性を現場に向かわせます」と言った。イライラしながら待っていると、奥のほうから体の大きな男性が現われた。見るとそれは元大関のKONISHIKIさんではないか。この上なく頼もしい助っ人が来てくれるのかと思いきや、KONISHIKIさんは事態を理解していないらしく、その場でのんきに女性社員達と雑談を始めてしまった。私は凄まじい剣幕で怒りながらKONISHIKIさんに掴みかかり、英語で怒鳴っている。KONISHIKIさんは驚いたように飛び上がると、拙宅に向かって脱兎の如く走り始めた。私も息子を連れて必死でKONISHIKIさんの後を追う。ようやくビルの屋上に着いてみると、KONISHIKIさんが素手で遊具を静止してくれたところである。電源も抜き、遊具は動かない状態になった。母が青い顔でその場に座り込んでおり、「乗り物に酔ってしまったわ」と言っている。気の毒なことをしたと思う。KONISHIKIさんが会社に戻って行った後、叔母達と乗り物の椅子に座ったまま事故原因について話していると、電源を抜いて動けるはずのない遊具が突然上昇を始めた。私は(しまった!)と思う。
【解説】 非常に疲れる夢だった。昨年の11月に父が亡くなり、それまで身を粉にして看病に明け暮れていた母は、ようやく看病から介抱された。しかしその母も年を取り、最近は母の健康が心配になることが少なくない。その気持ちが現われたのが今夜の夢だったのかも知れない。小山明子さんやKONISHIKIさんが夢に登場した理由はわからない(なお現実世界では、大島渚監督はもちろんご健在である。念のため。あくまでも「夢」ですから御容赦ください)。この夢はクイーンズランド州インガム近郊のホテルで見た
【後日談】 「N」は実在する日本の企業(のイニシアル)である。夢からちょうど2週間後の7月21日、「N」が運営する池袋の遊園地で実際に大きな事故があり、従業員の女性が意識不明の重態に陥ったという。私は個人的にこの遊園地のファンで、また21日に事故を起こしたアトラクションにも3回ほど入ったことがある。ニュースで21日の事故を知り、愕然とした。これは単なる偶然? それとも一種の予知夢だったのだろうか。ちなみに私は7日以前には一度も「N」の夢を見たことはない。



8日●旧日本軍のジープ
どこまでも続く海岸線。息子とふたりで旧日本軍のジープを乗り回している。息子は20歳ぐらいに見える。息子は下士官、私は将校らしい。ハンドルを握る彼の横顔を見ると、息子はいつの間にか豊島一(とよしま・はじめ)と入れ替わっていた。
【解説】 この奇妙な夢クイーンズランド州イニスフェイルのホテルで見た。“豊島一”とは、カウラ事件勃発の際に突撃ラッパを吹いて亡くなった“南忠男”の本名である。



9日●他人行儀なブースケとパンダ
オーストラリア旅行を終えて日本に帰ってみると、愛犬のブースケとパンダの様子がおかしい。我々のことを完全に忘れてしまったようで、呼んでも全く反応しない。それどころか、2匹とも姿形まですっかり変わってしまっている。特にパンダの豹変振りは凄まじく、狆(チン)だったはずが今は白いプードルで、しかも頭の上の毛がソフトクリームのように高く盛り上がっている。こんなパンダは可愛くないと思う。
【解説】 この夢はクイーンズランド州アサートンのホテルで見た。旅先で毎度一番気になるのは、日本に置いてきた2匹の愛犬のことである。今夜の夢の中では2匹とも私のことを忘れてしまい、しかも外見までが変わってしまっていた。早く日本に帰ってブースケ達と再会したい。



10日●本当は怖い優しいおじいさん
眼鏡をかけた優しいおじいさんの姿が見える。しかし彼の真実の姿は殺人者だ。一番善人らしく見えたあの人が殺人者であった事実に、私は身震いしている。彼は今しも誰かを殺そうと企んでいる。全く恐しい男だ。
【解説】 これは明らかに『ロスト・オフィサー』執筆の後遺症であると思われる。戦争経験者の話を丹念に聞いてゆくと、平時では考えられない残酷なエピソードが飛び出して驚かされる。その気持ちがこの夢には現われているのだろう。この夢はクイーンズランド州ポート・ダグラスのホテルで見た


11日●飲みすぎた翌朝
出版社の人達と飲み会をしている。何やら仕事の話で盛り上がっている。気がつくと朝で、私は自宅の布団で寝ていた(但し現実の家とは全く様子が変わっているのだが)。ふと横を見ると、隣の布団には出版社の人達もぐっすり眠っているではないか。昨夜のことが思い出せず、ぼんやりしていると、襖(ふすま)が開いてS美ちゃんが現われた。S美ちゃんは、どうやら我が家のお手伝いさんらしい。「昨夜は皆さんで大声で歌を歌って、それはひどい大騒ぎでしたよ」と言いながら、S美ちゃんは迷惑そうな顔をした。
【解説】 この夢を見たのは、クイーンズランド州デイントゥリー・ヴィレッジのホテルである。S美ちゃんは大学時代に知り合った友人。彼女が遠くの町へ引っ越してしまったため、かれこれ18年ほど逢っていない。彼女が夢に現われるのは本当に珍しい。久しぶりに逢ってみたいと思う。



12日●家宅侵入と落書き
ロータリークラブ(?)で知り合ったらしい男性から、パソコンに関することで何か仕事を頼まれた。具体的なことははっきり思い出せないのだが、おそらくホームページの作成を頼まれたのではないかと思う。しかし、それは面白い仕事ではなかった。私は男の留守中を選んで彼の家にそっと忍び込み、キッチンの窓枠に何か膨大な量の落書きをする。そこへ男の奥さんらしき人が現われた。私が慌てて落書きを消しながら言い訳をしていると、奥さんは無表情に「いいんですよ。どうせ、あの人のホームページには私達も辟易していたんです」と冷めた口調で言った。場面が急転し、実家のリビングルーム。電話が鳴り出し、母が受話器を取った。「もしもし、もしもし」という母の声が続く。どうやらイタズラ電話らしい。私は母に「イタ電に真面目に付き合っちゃダメ。早く切って」と指示している。

【解説】 これも意味のわからない夢だった。最初に登場した男性の顔は思い出せないが、その奥さんとして登場した女性の顔は、知り合いのA子さんによく似ていた。A子さんは絶世の美女と呼んでも過言でないほどの美人だが、子どもに夭折されるなど不運な人である。この夢はクイーンズランド州クックタウンのホテルで見た。


13日●親切なナカ中尉
一晩かけて『ロスト・オフィサー』のゲラをチェックしている。その間、陸軍中尉のナカさんが手伝ってくれる。ナカさんはとても親切な人だ。私の喉が渇くと、ナカさんは気を利かせてお茶を煎れてくれた。私が空腹を覚えると、今度は黙ってスパゲティーを料理してくれた。ナカさんがこんな良い人であったことに、私は驚いている。
【解説】 今日の夢は、今月4日の夢とほとんど同じ内容だった。ナカさんは、カウラ事件の関係者の中で最も謎の多い日本人戦争捕虜(陸軍中尉)。ナカさんに関する噂を総合すると、一種の狂気を帯びた孤独な人物像が浮かんでくるのだが、私の心のどこかには(ナカさんの根は良い人であって欲しい)という気持ちがあるのかも知れない。この夢はクイーンズランド州ローラのホテルで見た。


14日●歌うワニ達
泥沼の中をジープで走っている。数十匹のワニが縦に並んで、ガードレールになってくれている。ワニ達は何やら耳慣れない歌を歌っている。それは、この世のものとも思われないほど滑稽な歌だ。どこからか、調子はずれな魔女の歌声までが聞こえた。私は必死で笑いを堪えている。
【解説】 8日に引き続き、今月2度目の「ジープを走り回す夢」である。この夢はクイーンズランド州モスマンのホテルで見た


15日●“MEY”の謎を解く
“MEY(エム・イー・ワイ)”というキーワードが、夢のあちこちに現われる。その謎を解くために、ほうぼうを旅している私。“MEY”は、某国の諜報機関から与えられた一種の暗号のような気がする。
【解説】 時間的には、わずか一瞬の夢だった。夢から覚めたあと略語辞典で調べたところ、“MEY”はネパール王国にある「メガウリ空港」を示すコードだそうである。なお、この夢はクイーンズランド州ケアンズのホテルで見た



16日●オープンカーとお茶仲間
ドーム型の熱帯雨林から外に出てみると、そこは日本へと通じる通路だった。日本語の堪能なオーストラリア女性が、「今日のアトラクションは終了しました。出口はそちらです」と言う。私は通路を抜けて外へ出た。すると、向こうから猛スピードで近づいて来る派手なオープンカーが見えた。運転している白人男性を目を凝らして見たところ、なんと茶道仲間でアメリカ人ビジネスマンのH氏ではないか。H氏はビジネスを辞め、ハリウッド俳優に転業したのだという。H氏が大袈裟なポーズで“Mami, welcome back to Japan!(マミ、日本へおかえり!)”と叫ぶその後ろには、ほかにも数人のお茶仲間の姿が見えた。皆、華やかな訪問着を着ている。それを見てようやく、(私は日本に帰って来たのだ)と思った。
【解説】 2週間にわたるオーストラリア取材旅行を終え、16日の夜遅くに帰国した。その直後に見た夢がこれである。「茶道」「訪問着」という超日本的なものと、「アメリカ人」「オープンカー」という派手な洋物アイテムが合体していたところが面白い。なかでも「オープンカー」の存在が印象に強く残る夢だった。



17日●胴上げとビデオ撮影
1960年代と思しき風景。そこはドーム型の野球場で、今は巨人戦が行なわれている真っ最中らしい(対戦チームは不明)。私は高いところからその光景を俯瞰(ふかん)している。観客が場内を埋め尽くしている。空席は1席も見当たらない。凄まじい熱気。観客のうち、男たちは白いワイシャツにネクタイを締めている。女たちは肩まで伸びた髪を綺麗にカールさせ、薄い色の半袖ブラウスにフレアスカートを履き、足元は低めのヒール靴だ。要するに顔は日本人でありながら、服装は完全にアメリカン・グラフィティのノリなのだ。不思議なことに、どの観客も数人ほどのグループで来場しているらしい。試合はまだ7イニング目あたりだろうか。しかしここまでの流れからして、巨人の勝利はほぼ確定的になっている。気の早いファンが、自分達のグループ内の女性をその場で胴上げし始めた。沸きあがる歓声、明るい笑い声。それを見た別のグループの人々も、次々にグループ内の女性を胴上げし始めた。最後に胴上げをしたグループの人達は、なんと女性をそのまま前の席のほうへ放り投げてしまった。それでも皆は大笑いしており、投げられた女性も実に楽しそうに笑い転げているのだ。場面が変わり、球場の外では一組の男女が向き合って座っている。私の視線と男の視線が同じ位置にあるため、男の姿は私からは見えない。男は女のほうへビデオカメラを向けている。女は「ちょっと、何しているの?」と口先では男を批難しながらも、内心は満更でもないらしい。言葉は少ないが、口元はにこやかだ。彼女は不思議なヘアスタイルをしている。おでこを出したストレートのショートで、耳の脇に垂らした髪の束だけが不自然なほど綺麗にJの字形にカールしている。顔立ちはデビュー当時の桜田淳子さんにそっくりだ。男は無言で女の顔を撮りつづけ、女はその間ずっと微笑みながら何度か短い言葉を発した。(このふたりの間には愛がある)と私は感じた。
【解説】 全体にどことなくレトロな雰囲気の漂う夢だった。ところで、桜田淳子さんと言っても今の人はご存じないと思うが、彼女は山口百恵さん、森昌子さんと共に「花の中2トリオ」として売り出され、'70年代のアイドル歌手として活躍した人。白い帽子をかぶり、「ようこそここへ、クックックック、わたしの青い鳥」と歌っていたが、その後統一教会に入信し、集団結婚式を挙げたというニュースを最後に最近は姿を見ない。ちなみに「花の中2トリオ」は、年齢的には私の1学年上に当たる。そのため私ぐらいの年齢の人はほぼ誰でも、彼女達の持ち歌の1曲や2曲は歌詞カードなしで歌えるはずです(笑)。



18日●MANNAの歌声
気がつくと私は大学生で、明治学院のキャンパスにいた(ただし実際のキャンパスとは様子が違っている)。友人のN子はテニスコートに行っているらしい。その時間を利用して、私は必要書類のコピーを取ることにした。周囲に人はいない。どこかからMANNAの「浮世歌留多の春風に漂う人ばかり〜♪」という歌声が聞こえてくる。
【解説】 動きの少ない、ほとんど静止画像のような夢だった。今夜の夢に現われたMANNA(マナ)さんは、1980年前後に活躍した女性ミュージシャン(日本人)。どちらかと言うと「知る人ぞ知る」系のアーティストながら、一度聞いたら忘れられないユニークな声質と音楽性は抜群で、かのY.M.O.も彼女を強力バックアップ。細野晴臣さんが『イエロー・マジック・カーニバル』(南京町のおかしなあの子〜♪)という曲をMANNAさんに提供していた。私の親しい女友達のひとりが、たまたまMANNAさんと国立音大で同期だったこともあって、何となく親しみを感じるアーティストでもあった。今しがたネットで調べてみたところ、今ではダンナ様(ブレッド&バターのお兄さんのほう)や娘さんと一緒に「OHANA BAND」というバンドを組んでいらっしゃるとのこと。お元気そうで何よりである。昨夜に引き続きレトロな雰囲気の夢だった。


19日●レズの文化史
友人のカノンさんを相手に、レズビアンの文化史について語っている。隣の部屋には知り合いの男性が3人いるようだが、扉が閉まっているため彼らの姿は見えない。
【解説】 非常に短い夢。カノンさんとレズについて語ったことは確かなのだが、それがどのような内容であったが思い出すことも出来ない。なお、この夢を見る前日、私は用事があって不動産業者の若い女性と逢っていた。彼女の話では、「父親を含むすべての男性の立ち入りを禁じる女子寮が今も少なからず存在する」とのことだったので、私が思わず「男性はダメでも、レズはOKってことですね」と問うと、彼女は明るく「ええ、レズはOKです」と答えて爆笑になった。その不動産業者と逢った場所がたまたまカノンさんの家のすぐ近くだったことが、今夜の夢を見させたのだろうと思う。なお、カノンさんも私もレズではありません。念のため(笑)。レズと言えば、かつて女子高生だった頃、私は年下の女の子達から「鈴木のお兄様」などと呼ばれていた(注/鈴木は私の旧姓です)。女子高というところには独特の雰囲気があって、少しでも男性的な言動などしたが最後、女の子からラブレターを貰うハメになる。「生徒会議長」で「英語劇部の部長(しかも悪役しか演じたことがない)」だった私は、今にして思えば、女の子達から手紙やバレンタインデーのチョコなどを結構貰っていた。このような現象を、私としては「女子高におけるプチ・タカラヅカ現象」と呼びたいが、あのような雰囲気は、一度でも女子高にいたことのある人には簡単に理解して貰えるのではないだろうか。男子校にもそのような現象があるのだろうか。あったら不気味だが、ちょっと調べてみたいような気もする。


20日●自動車で一筆書き
私は高いところにいて、眼下に広がる鬱蒼と茂ったジャングルを見下ろしている。何本もの細い道が、ジャングルの中を縦横に伸びている。それらの道を自動車で通過して、一筆書きをしろと言われる。一筆書きで通ることの出来た土地は、すべて景品として貰えるのだそうだ。何という文字を書いたら一番大きな土地を一筆で取れるのだろう。私はさまざまな一筆書きをシミュレーションしてみている。
【解説】 起床して真っ先に思った。(ジャングルの周囲をぐるりと一周して、その中を全部貰うのが得策に決まっているではないか)。ところが何故か夢の中ではそういう発想にならず、ジャングルの内側を何度も廻っていた。夢の中には、もっと別のルールでもあったのだろうか。おかしな夢だ。


21日●引き篭る
海外の知らない場所。どこかの山の中のような気がするが、そのくせ平坦な風景だ。乾いた色のブッシュが茂った広大な土地のところどころに、小屋と呼んでも差し支えないほど粗末な家が建っている。上半身裸の男や、薄着の女達の姿が見える。民族的には、中南米とロシアあたりの血を足して2で割ったような顔つきだ。私は小屋のひとつに引き篭もって、窓から彼らの姿をぼんやり眺めている。彼らは見るからに貧しそうだが、底抜けに明るい。私はひとり、寒がっている。もう一枚余計に服を着ようとしたところで場面が変わり、今度は別の場所の、洞窟のような建物の外側にいた。建物には、小さな窓がひとつ開いている。私はその窓から洞窟の中へ入ろうとしている。しかし、窓の位置が高い上、窓枠の大きさが人間一人を通すにはやや狭すぎるのだ。最悪の場合は腰のあたりで体が引っかかってしまい、半永久的に窓枠から抜けなくなる恐れがある(このあたりは、人が来ない場所らしい)。洞窟に入ろうか入るまいかと私が推し量っていると、私と同年輩の見知らぬ女性がやって来た。この女性は私を助けてくれるらしい。ほっと安堵したところで目覚まし時計が鳴り、一気に目が覚めた。
【解説】 私の生き方や性格はオープンそのもので、「引き篭る」という言葉とは対極にあるような気がする。その意味で、今夜の夢は「私らしくない」と言えば言える。しかし、いつもは眠っている「本当の私」は、実は山奥の洞窟に引き篭もって仙人のように暮らしたい類の人間なのかも知れないとも思う。人間の心は複雑だ。人生は、だから面白い。


22日●息子のホログラム
科学アカデミーのような施設の一室。白衣を着た外国人の科学者が20人ほど、円陣を組んで椅子に座っている。私も彼らの中に入って座っている。私たちの視線の先にあるものは、ホログラムによる人物の3D映像だ。そこに映し出されているのは、1歳のときの息子、2歳のときの息子、3歳のときの息子……という具合に、息子の1年ごとの成長をとらえた映像である。科学者の一人が何か専門的なことを発言し、その次に現われたのは、20歳ぐらいに成長した息子のホログラムだった。それを見て私は(随分大きく成長したものだ)と感慨に耽っている。
【解説】 実際の息子は13歳で、この8月からハイスクールに入学するところ。夢の中に現われた息子は、ホログラムのため肉体が半透明で、どことなく未来人か宇宙人のようだった。この夢は出張先(長野市内)のホテルの一室で見た。


23日●息子の大学進学
息子がアメリカ東部の大学に進学したらしい。私は息子と一緒にアメリカに暮らすことを決めた。1年のうち、3〜4ヶ月ごとにアメリカと日本を往復するのだが、その交通手段が飛行機ではなく、何故か自動車なのである。日本とアメリカはどうやら陸続きで、東京からアメリカまでの距離は大阪あたりへ行くのと殆ど変わらないらしい。便利な世の中になったものだと思う。
【解説】 昨日に引き続き、成長した息子の夢である。いくら科学が発達しても、日米間の物理的な「距離」が縮むはずはないが、2点間の移動時間はこれから更に短縮することだろう。2夜連続して、「息子の成長と科学の未来」といったものがテーマの夢だったように思う。


24日●道を尋ねる
海外の知らない街。アメリカ合衆国のような気がするが、定かではない。私は車を運転している。ほうぼうで、通りすがりの人たちに道を尋ねている。人々は皆、知的で親切だ。道を訪ねているにもかかわらず、私は少しも困っていない。また、焦ってもいない。この街のどこかに息子が住んでいるからだ。
【解説】 3夜連続して息子の夢である。また、昨夜と今夜は立て続けにアメリカが舞台だった。今夏から都内のハイスクールに進学する息子は、KG(幼稚園)から主に米国系のインターナショナル・スクール育ちということもあって、いずれはアメリカの大学に進むものと思われる。私の中で、そのことが現実の未来として強く認識されるようになってきたということだろうか。


25日●3つの異なる食堂にて
見知らぬ街。おそらく海外だろう。スーパーマーケットのようなところで、お弁当を選んでいる。私は数人の仲間と一緒だが、彼らは全員が外国人で、見たことのない人々だ。そのうちのひとりはジャマイカ人の女性だったような気がするが、定かではない。店には本当に欲しい食品が見当たらず、私は仕方なくそのへんに置いてあった適当な商品を買うことにした。しかしレジに向かう段になって、何かとても素敵なアイデアが頭に浮かんだ。そのことを皆に話すと、皆も非常に喜んでくれた。私達は喜び勇んで走り出した。場面が変わり、木造2階建ての古い建物。私は2階へと通じる階段を日本人の女性数人と一緒に登っている(ただし全員知らない顔だが)。そこは素朴な食堂で、どことなく“海の家”のような風情である。私達は2階に上がり、そこで食事をしようとしている。そこでも、何か素敵なアイデアが頭に浮かぶ。それが何だったかはわからないが、一緒にいた女性たちもそのアイデアを歓迎している。再び場面が変わり、どこかの大学の学食。場所は東京郊外なのだろう、窓の外には緑が鬱蒼と生い茂っている。私の近くには、慶応義塾大学の生徒と法政大学の生徒が、それぞれ5人ほどいる。この大学から何か特別講義を頼まれた私は、その条件として「2つ以上の異なる大学の生徒を一堂に集めて集中講義をしたい」と希望したのだ。希望は受け入れられ、私の目の前には慶応と法政の学生がいる。彼らのほかにも、都内の複数の私学からやって来た学生たちが近くにいるらしい。私は学食のテーブルに座り、彼らを相手に何か話している。話の内容は、おそらくカウラ事件に関する事柄だったと思う。ひとりの慶応の男子生徒が身を乗り出し、「来年は僕らのことを、是非ともカウラに連れて行ってください」と言った。
【解説】 3つの異なる食堂で、何か素敵なアイデアが浮かんだり、新しいアイデアが実現する夢。不思議なことに、舞台が食堂でありながら、今夜の夢の中で私は一切の飲食をしなかったようだ。「食堂」という場所を舞台にしていながら、「食べる」という行為よりもむしろ「考える」ことのほうに重点の置かれた妙な夢だった。


26日●くりいむしちゅー
とてつもなく大きな正方形の部屋。私の手元には1枚の紙がある。一番上に、「くりいむしちゅー」と横書きされている。次に、「×くりいむしちゅ」、さらにその次に「×ガラス器くりいむしちゅー」とある。このような調子で、「くりいむしちゅー」という言葉を少しずつ書き換えた言葉が延々と綴られている。そのうち用法などが間違っているものには、「×」印が付けてあるらしい。(何故、ガラスの器ではダメなのかしら)と疑問に思ったところで目が覚めた。
【解説】 またしても意味のわからない夢。ちなみに私は、食べ物としてのクリームシチューはあまり好きではない。


27日●旅の終わり
長かった旅が、今しも終わろうとしている。約束の集合場所に行ってみると、これまで別行動をとっていた娘と息子もちょうど到着したところだ。そこは波止場で、海岸だった部分はコンクリートで固められ、幅の広い階段になっている。私達のほかにも、2、3人の人が遠くに見える。娘と息子がそれぞれの方向から近づいて来た。私は彼らに、あらかじめ一定額の小遣いを渡しておいたらしい。娘は、「全部使っちゃったから、お釣りはありません」と言った。息子は、「俺は全然使わなかったよ」と言いながら、最初に渡しておいたほぼ全額を返してきた。そこへ、花売りの男(日本人)がやって来た。私に花を買えと言う。私はこの男が嫌いだ。男は小柄で、眼鏡をかけ口ひげを生やし、くだらないお喋りが多い。私が花を断わると、男は未練たらしい目つきで退散した。私は、旅の終わりの感傷に浸っている。
【解説】 実際には非常に長い夢だったような気がするが、覚えているのはこの部分だけ。最後に現われた花売りの男は、私が嫌いなタイプの男性(外見という意味ではなく、雰囲気が)だったように思う。夢の前半でどこへ旅して来たのかは不明。


28日●漫画家は殺人犯
客船の中。私の目の前には、漫画家のXさん(女性)の姿が見える。Xさんは、ひとりの男性と向き合って楽しげに話しているのだが、その目は本心から笑っていない。狂気を帯びた、怖い目だと思う。すぐ近くにガラスのケースがあって、中には鉄製の斧が入っていた。ガラスには英語で“In case of emergency, break glass.(緊急の際にはガラスを破ってください)”と書かれている。Xさんは怖い目で笑いながらガラスを破り、鉄の斧を取り出した。彼女は男性に、ある人を殺す計画を持ちかけた。男性は私に背を向けているので、どんな表情を浮かべているのか定かではないが、Xさんに逆らうことは出来ないらしい。Xさんの自宅の冷凍庫には、少し前に殺した相手の死体が隠されているようだ。この次にXさんが殺す相手が誰なのか、私にはわからない。Xさんは恐ろしい人だと思う。
【解説】 ずいぶん物騒な夢である。Xさんは実在の人物。実際にお目にかかったことはないが、少なくともテレビや雑誌などで見るSさんは優しい目をしている。この夢がどんな意味を持つのかは全く不明。ちなみに私はXさんの作品を読んだことはなく、これまで特に関心を持ったこともないのだが……。


29日●多産系の女性
ヒマラヤの奥地、または南米ペルーのような風景。粗末な木造の家の中にいる。窓から差し込む柔らかな光が印象的だ。台所の窓辺に、この家の主婦らしい女性が恥ずかしそうに立っている。彼女は洗いざらしの民族衣装を纏い、髪を無造作に一つに束ねている。化粧気もなく、いかにも素朴で貧しそうな印象だ。彼女にはたくさんの子どもがいるらしい。あちらこちらに子どもの姿が見える。まだ2〜3歳の幼児から、20歳を過ぎた子まで、年齢はかなり幅広い。私には日本からの同行者が3人ほどいるようだ(全員男性)。そのうちのひとりである小学館の高木さんが、「山田さん。この女性に何人お子さんがいるか、当てられますか?」と言った。私は素早く子どもたちの姿を目で追ってみた。9人いるようだ。「全部で9人じゃないかしら」と答えると、高木さんは「ところが違うんですよ。彼女のお子さんは、全部で15人いらっしゃるんです」と真面目な顔で告げた。残り6人はどこにいるのだろう。私がキョロキョロしていると、何がおかしいのか、彼女は口に手を当てて声も立てずに笑った。私は日本に残っている編集者の芝田さんに電話をかけ、たった今の出来事を伝えた。テレビ電話なのだろうか、何故か芝田さんの顔がハッキリと見える。芝田さんからは「それは面白い話ですね。早く日本にお戻りになって、もっと詳しくお聞かせください」という答えが返ってきた。そのあと、高木さんたちと連れ立って一妻多夫の村を見に行ったような気がするのだが、よく覚えていない。
【解説】 これまた意味不明な夢。「9」、「15」という数字にも思い当たる節はない。窓から差し込んでいた光の優しさが印象的な夢だった。


30日●罪の意識
誰かが大きな犯罪を犯そうとしているらしい。私はそれを阻止しようと努力するのだが、事件は私の力などが及ばないところで着々と進んでいるようだ。事件を止められない自分の無力さに、私はひとりの人間として罪の意識を抱いている。
【解説】 夢の中で大犯罪を犯そうとしていたのは一体誰で、どのような種類の犯罪だったのだろう。不思議なことに、具体的な内容は何ひとつ思い出すことが出来ない。また、今夜はこれ以外にも夢を見たようが気がするのだが、それも思い出せない。残っているのは罪の意識と、一種の感傷だけなのである。


31日●風呂場と三葉虫
昭和20年代を思わせる大きな古い家。その家では、家族で印刷工場を営んでいるようだ。小規模ながら良い仕事をするこの工場には、名刺など小さな印刷物の注文が絶えず、家の中には常時5〜6人ほど住み込みのアルバイト生もいるようだ。私も何かの縁で、この工場に住み込んで働くことになった。私の仕事は名刺を印刷することと、風呂の掃除だ。名刺の印刷は、機械は使わずに1枚1枚手刷りである。芸術品のリトグラフなどを刷るのと同じで、かなりの職人技を必要とされる。この作業をするのは生まれて初めてだが、私は案外このような地道な作業に向いているのかも知れない。すぐにコツを掴んだようで、一日中黙々と印刷作業に没頭している。夜、仕事を終えて入浴した。その家の浴室は木造で、柱などは黒く煤けているが浴槽は銀色のステンレスだ。それを見て、(ヒノキの浴槽のほうがこの家には似合うのでは)などと漠然と思った。翌日、社長(?)から何か大事な発表があるという。社長は皆の前には姿を現わさず、館内放送またはラジオのようなものを通じて家族や職員に話しかけるらしい。まるで戦時中の玉音放送のようだと思う。社長の発表によると、「このたび大きな仕事を頼まれたため、主たる戦力を東京に移してその仕事に当たらせることにする。従来の仕事は、残った者で完遂して欲しい」という。「主たる戦力」という言葉遣いが、ますます玉音放送っぽいと思った。次いで、「主たる戦力」の面々が発表された。この家の家族全員と、いちばん経験を積んだ印刷工が東京に移されることになり、ここに残るのは私を含めたアルバイトの女性数人だけとなってしまった。昨日から友達になったアルバイトの女の子たちが、不安げに「どうしよう。私達だけでやっていけるかしら」と言いながらこちらを見た。私は不敵に微笑みながら、「何を言ってるの。誰もいなくなる今こそ、自分の実力を発揮するチャンスじゃないの。私には、これまで誰も作ったことのない画期的な名刺を作る計画があるのよ」と言った。それを聞いて、女の子たちは「凄い、凄い」と手を叩いて無邪気に喜んでいる。このときになって気づいたのだが、どうやら私達は全員が10代の少女らしい。そのあと、2人の女の子と一緒に風呂の掃除をすることになった。私が先に浴室に入り、一旦は浴槽のお湯を捨てようとするのだが、この家のしきたりがあるかも知れないと思い直し、先輩のアルバイト生に「お湯は捨ててよろしいですか」と確認した。捨てて構わないとの返事だったので、私は風呂の栓を抜いた。浴槽のすぐ横がゆるやかな川のようになっており、そこに足を浸したところ、とても温かで気持ちが良かった。そのあと、浴室内をピカピカに磨き上げていると、壁に大きな虫が這っていることに気づいた。それは三葉虫のような虫で、大きさは50cmほどもあるではないか。三葉虫の体からは、白っぽい液体がほんの少し漏れている。もしかしたら母乳かも知れない。私がじっと観察している目の前で、三葉虫はのそのそと柱を這い登って行き、小さな穴に入り込もうとした。ところが穴が小さすぎたようで、腰のあたりが痞(つか)えてしまい、穴に入ることが出来ない。それを見ていた女の子のひとりが、何か言いながら笑った。すると三葉虫は怒ったらしく、物凄い勢いで空を飛び、浴室の反対側の柱に一直線に飛びついた。その、あまりのスピードの速さに私は呆気に取られている。そのあとも三葉虫は、狂ったように浴室内を飛び回った。私達はキャアキャア騒ぎながら、お湯をかけたり箒を振り回して、三葉虫が近寄って来ないよう防戦している。
【解説】 全体に昭和20年代頃を髣髴させる夢だった。私は住み込みの印刷工になっていたが、それも普通のアルバイトというよりは、どことなく「学徒動員」のような雰囲気であった。今夜の夢の中で最も強く印象に残っているのは、巨大な空飛ぶ三葉虫である。目が覚めてすぐに、(そう言えば以前にも、大きな三葉虫が登場する夢を見たのではないか)と思い出し、調べたところ、果たして昨年7月16日の夢の中にも体長50cmほどの三葉虫が登場しているではないか。昨年7月16日の夢と今夜の夢には、「三葉虫」以外にも、「風呂」、「白い母乳のような液体」、「空を飛ぶ」など多くの共通点が認められる(ただし7月16日の夢の中で空を飛んでいたのは、三葉虫ではなく私自身だったが)。また、今夜の夢にあった「穴に入ろうとした三葉虫が、腰の辺りが閊えてしまい断念する」という下りは、今月21日に見た夢とも共通している。一体これらのことは何を暗示しているのだろう。ちなみに『夢の事典』(日本文芸社)によれば、それぞれのアイテムが持つ意味は次のとおりだそうである。「浴室」=心身の健康のシンボル/不安や不満を流し去ってくれる。「掃除」=不安を追い出そうとする行為/きれいに掃除できれば問題解決・運気上昇。「飛ぶ」=自由への憧れ/実力を伸ばしたいという前向きな姿勢/性的な欲望。なお、「巨大な三葉虫」と「母乳」の意味は本には載っていなかった。本書には「虫」と「乳房」の項目はあったものの、これらは微妙にニュアンスが違うような気がする。どなたか「巨大な三葉虫」、「母乳」の意味をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ともご教示ください。




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