2005年3月


1日●ビルから落下する人

道路脇の歩道を歩いている。左は車道、右側には高いビルが立ち並んでいる。私は理由のない“悪い予感”に襲われ始めた。右上を仰ぎ見て、ビルの上から何か落下して来ないか何度も確認する。目で見る限り、怪しいものは何も見えないのだが、それでも私は悪い予感を拭いきれない。たまらなくなって足を止めた瞬間、向こうから品の良い老夫婦が歩いて来た。私は思わず、「危ない! そこで止まってください!」と叫ぶ。驚いたように足を止める老夫妻。3秒後、ビルの上から、物凄い勢いで人間が頭から落ちてきた。飛び降り自殺か? 驚きに引き攣った顔で息を呑む老夫婦。落ちてきた人は、そのままアスファルト道路の上に叩き付けられるのかと思いきや、なんと道路すれすれまで落ちたところで直角に曲がり、そのままビルの1階エントランス扉を突き破って建物の中に入って行ってしまったではないか。あまりにも奇想天外な出来事に、呆然とする老夫婦。私は直ちに携帯電話で警察に事件を通報。次いで○○新聞社会部の友人にもこの得ダネを知らせた。私はビルの中に入って見ることにした。老夫婦も恐る恐るその後をついて来る。不思議なことに、今しがた割られたばかりのガラス扉には少しの破損もない。そればかりか、当然そのあたりに落ちているはずの血だらけの死体も見当たらないのである。狐につままれたような気持ちでロビーに突っ立っていると、2階から階段を使ってふたりの警察官が駆け下りてきた。「通報、ご苦労様でした」と言って敬礼しながら走り去っていく警官の後姿を見送りながら、(この人たちは何故、通報を受ける前から建物の内部にいたのかしら)と奇妙に思う。そこへ○○新聞の友人が到着し、「だけどさあ、妙だよねえ。死体が忽然と消えちゃうなんてさ」と首をひねっている。その声を聞いたところで場面が変わり、何か全く別の夢を見たような気がするのだが、その内容はどうしても思い出すことが出来ない。
【解説】 私には子どもの頃から軽い予知能力のようなものが備わっていて、特に「予期せぬ落下物」を感知する第六感が強い。高校時代のある朝、いつものルートで学校まで歩いて行く途中に、突然(何かが頭にぶつかる)嫌なイメージが脳裏に浮かんだ。それは、吐き気をもよおすほど強いイメージだったので、私は即座に踵を返し、道路を反対側に渡って遠回りをして学校に行くことに決めたのだ。道を渡り始めた途端、背後でガチャンという大きな音がした。振り返ってみると、工事中のビルの上からなんとスパナが落ちたのである。いつものルートを歩いていれば、スパナはまず間違いなく私を直撃していただろう。また、インドに住んでいた2000年頃(日記を調べないと正確な日時はわからないが)にも、似たようなことが起こった。当時私は家族とともに、ニューデリーの中心部に位置するChirag Enclaveという住宅街に家を借りていた。その日、いつものようにリビングルームの気に入りの長椅子に座って、コーヒーを飲みながら本を読んでいた私は、突然、(なんとなく嫌な気持ち)を覚えた。首から頭のあたりがぞっとする感じである。私はすぐさま席を立って、長椅子の右端から左端へ移動して座り直した。次の瞬間、天井に吊るしてあった巨大なシャンデリアが、けたたましい音を立てて私のすぐ右隣に落ちてきたのである。シャンデリアは大破。床には金属とガラスの破片が飛び散ったが、私はあと3センチのところで難を逃れた。こんな経験が何度か重なったため、私は自分自身の第六巻には素直に従うことにしている。今日はこれからランチョン・パーティーがあって出かける予定だが、こんな物騒な夢を見たことだし、少しでも嫌な予感がしたら、その時はたとえ食事中でも構わず中座しようと思う。


2日●喪服姿のママ

気がつくと、銀座の並木通りを歩いていた。鳩居堂で袱紗を買おうと思いたち、バッグの中を見ると、底のほうに500円玉が1枚と100円玉が4枚転がっているだけで、何故か財布が見当たらない。どうやら家に置いてきてしまったようなのだ。わざわざ家まで財布を取りに戻るのは面倒なので、昔から親しくさせていただいている銀座のバーに行き、ママから1万円借りることにした。ところが、いざバーに到着してみると、ママの姿が見えない。バーテンの男の子に尋ねると、「ちょうど今、ママから電話が入っていますから、直接お話になってください」と言われる。カウンターには昔の公衆電話のような形の、ピンク色の電話。私が受話器を取り上げると、すぐに「真美ちゃん、ごめん、私今日は逢えない。これからお葬式に出なくちゃならないのよ」というママの声がした。不思議なことに、電話だというのに喪服を着たママの姿が見える。そのあと少し雑談をしてから受話器を切り、私は“袱紗を買う”という最初の用事も忘れて、そのまま銀座線で家路についた。
【解説】 夢に登場したママは、銀座の老舗バーの経営者で、実在の人物。かれこれ20数年来のお付き合いを頂いている。いつも洋装の女性なので、夢の中とは言え着物姿のママを見るのは珍しかった。
【後日談】 この夢を見た2〜3時間後、現実世界でもママから電話がかかってきた。「真美ちゃん、ごめん」という第一声を聞き、すぐに夢の内容を思い出して、(もしや?)と思いながら次の言葉を待っていると、案の定、「叔母が亡くなって、今日のランチに行けなくなっちゃったのよ」と言うのである。実はこの日、私はママと一緒に中華料理を食べに行く約束をしていたのだ。その直前に見た夢で、ママは早くも喪服を着ており、「真美ちゃん、ごめん、私今日は逢えない」と謝っていた。ママの叔母さんという方を私は存じ上げないので、何故このような夢を見たのか本当に不思議である。


3日●家具屋の2階にある空港

山の中の鄙びた温泉街。私は、今夜泊まる宿を探している。そこは面白い街で、道の右側は切り立った崖が聳え立ち、旅館はすべて道の左側に並んでいる。一軒一軒の宿を見て歩くが、なかなか気に入ったところが見つからない。≪ここで犬のパンダが私を起こしに来たため、夢は一旦中断。さかんにテラスのほうへ行きたがるので、行ってみると雪が降り積もっている。パンダはこのことを私に教えたかったらしい≫次に気がついたとき、私は民芸調の家具や食器、雑貨などを扱っている店の1階にいた。蔵を改造したような重厚な造りで、2階へ行くには、薄い木の板を踏み台にした回り階段を登って行くしかない。それは驚くほど華奢で狭い階段で、今にも踏み板が割れてしまうかのではないかと心配になるほどだが、非常に腕の立つ職人が作ったものなので、見た目よりはずっと丈夫なのだそうだ。足元に気をつけながら恐る恐る2階に上がってみると、そこは意外にも広々とした店舗である。あの小さな1階の上に、どうしたらこれほど巨大な2階を乗せることが出来たのだろうか。1階は客もまばらだったが、2階には優に100人以上の人がいて、なかには体格の良い外国人観光客も散見する。100キロ近い巨体で、あの華奢で狭い階段を登ってきた根性には驚嘆する。店の奥のほうが橋のようになっていて、その途中にアイスクリーム屋さんのブースが出店している。よほど美味しい店なのか、数十人の人が列をなしてアイスクリームに群がっている。お店のお姉さんの顔立ちは、東洋系だが明らかに日本人ではない。そう言えば、人々が話している言葉も日本語ではなく、英語ではないか。何がどこでどうなったのかわからないが、私は空港に来てしまったらしい。いつの間にか、手にはパスポートと航空券が握られている。一見アイスクリーム屋に見えた店舗は、どうやら税関らしい。私は数十人の列の最後尾に並んで、これから行く国はどこだったかを思い出そうとしている。
【解説】 今夜は夢の途中でパンダに起こされ、夢が二分してしまった。そのため前半と後半がピッタリとは繋がらないが、「宿を探す」「空港の税関を通ろうとしている」など、全体としては「旅」のイメージが強い夢だった。


4日●黄色い自動車

山の中を、長い長い道路が続いている。上り坂、平坦な道、下り坂、右へのカーブ、直線、左へのカーブと、さまざまな表情を見せる道の在り様は、まるで人生そのものだと思う。私は身近な人たち数人と一緒に、道の右端を歩いている。近くに、大人になった娘と息子、夫、母、叔母、娘の生んだ子ども、それに娘の旦那さんらしき人がいるような気がするが、ハッキリしたことはわからない。同じ道路には、たくさんの自動車も走っている。不思議なことに、この世界では自動車は人間が運転するものではなく、文字通り「自分から動く」ものらしい。誰ひとり車に乗っている者はなく、車はどれも無人のまま走っているのだ。しかし、どの車にも所有者はいるらしい。私の自動車は旧型の黄色い車だ。ポンコツと言うか、かなりくたびれており、気だけは若いが体力がついてこない年寄りのようだ。私は黄色い自動車のことを気にしながら歩いている。ブレーキが利かないのか、下り坂に差し掛かったとき黄色い車は暴走してしまい、他の自動車を追い抜き、どんどん山の向こうへ走って行って見えなくなってしまった。かと思えば、平らな道まで来ると「僕ならまだまだ大丈夫ですから、心配しないでください!」と叫んで、カラ元気を見せている。しかし、最後に急な上り坂に差し掛かったとき、黄色い自動車はついに全く動けなくなってしまった。この世界では、人々も自動車も止まることを許されていない。私たちは黄色い自動車を置き去りにして、どんどん坂道を登って行かなければならないのだ。何度も黄色い自動車のほうを振り返って見るが、その姿はどんどん小さくなり、豆粒ぐらいの大きさになり、最後に角を曲がったところでふっと視界から消えてしまった。
【解説】 今夜の夢に登場した「黄色い自動車」は、おそらく犬のブースケのことではないかと思う。昨夜は寝る前に、いつものように甘えてベッドにやって来たブースケの頭を撫でてやりながら、(この子はどんなに頑張っても、あと10年ちょっとしか生きられないのかな)などと、ふと思った。その気持ちが、黄色い自動車になって現われたのだと思う。



5日●退屈な講演と大量のラーメン

どこか山の中の田舎町。私は数人の人と一緒にいる。これから町の公民館で講演会が開かれるらしい。「講演会のテーマは何ですか」と聞いたのだが、印象に残らないタイトルだったためすぐに忘れてしまった。会場に着いてみると、そこは非常に小さな部屋で、昔の小学校にあったような机と椅子が10人分ほど並んでいる。いかにも“田舎のおじさん、おばさん”風の冴えない身なりをした男女が5〜6人、手持ち無沙汰そうに座って講演会の始まりを待っている。そこへ講師らしき吊り目の女性がやって来て、今日のテーマを告げた。何やら恐ろしく陳腐で退屈なテーマで、それを聞いただけで家に帰りたくなる。案の定、会場にいた人たちは「話が違うじゃないか」と言いながら怒って部屋を出て行ってしまう。結局、その場に残った聴衆はひとりだけだった。私も帰りたいのは山々だが、なにしろ私と一緒にいる人間のひとりが公民館関係者なので、付き合い上、帰るわけにも行かない。結局は、その女性講師の“この世のものとも思われないほどつまらない講演”を聞く羽目になる。そのあと、この町でいちばん美味しいと評判の食堂に行った。メニューが極端に少なく、食べられそうなものはカレーライスとうどんとラーメンぐらいしかない。私はラーメンを頼んだ。暫く待つと、普通よりも大きめの丼に入った太麺のラーメンが運ばれて来た。一目見ただけで(ちょっと量が多いのでは?)と思う。食べ始めてみると、それは異常なほどの量で、普通のラーメンの2杯分ほど食べても中身はほとんど減っていないではないか。いいかげん食べ飽きてきた。気がつくと、見たこともない家にいた。私宛の葉書が届いたから、おそらくここが私の家なのだろう。葉書には、今日の午前11時から午後2時まで小学校の同級会が開かれると書いてある。私は、当時いちばん仲の良かったS子さんに電話をかけてみた。するとS子さんのお母さんが出て、「あら真美さん、お懐かしい。S子は今ちょっと留守なのよ」と言う。私は「今日の同級会が始まる前か終わったあとに、個人的にS子さんにお会いしたいので、ご都合を伺っておいてください」とだけ言って電話を切った。
【解説】 何故このような夢を見たのか、理由はよくわからない。ひとつ考えられる原因は、昨夜のディナーにスパゲティーを食べ過ぎたということだが(笑)。それにしても、これで3夜連続「山」の夢である。信州生まれで「この地球上で一番好きな場所はヒマラヤ!」と公言している私にとって、山の風景はまさに心の原風景だ。夢分析の専門家が何と言うかは知らないが、個人的には、山の夢を見ると精神的に深いリラクセーションを得られるような気がする。


6日●カミカミ星人

ヒマラヤの山の中をひとり歩いている。これから私は、仙人が経営する馴染みのカフェで、いつものバター茶を飲むところらしい。ところが洞窟の前に差し掛かったとき、突然宇宙人が現われ、あっと思う間もなく私の頬っぺたに噛みついたではないか。噛まれたところが少しも痛まず、また、私自身も全く動揺していないのは不思議なことだ。噛まれているあいだ、耳元で宇宙人の発する「カミカミカミカミカミ……」という機械音に似た微かな音が聞こえた。気がつくと宇宙人はどこへともなく消え去り、私は仙人の店の前に立っていた。中に入り、昔からよく知っている白髭の仙人にたった今起こったばかりのことを知らせると、仙人は頷いて、「それは良かった。カミカミ星人は好き嫌いが激しいので、よほど好きな相手でないと噛まないのじゃ。ヤツに噛まれたら一人前じゃ」と言う。私は熱いバター茶を啜りながら、(カミカミ星人に噛まれて本当に良かった)と満足している。
【解説】 夢から醒めてすぐに思ったのだが、「噛む」ことほど原始的で普遍的な愛情表現もないだろう。犬などは、しじゅう仲良く噛み合ってじゃれ合っているし、私も朝から晩までブースケに噛まれまくっている(注/喧嘩の噛み方と違い、愛情表現の噛み方は非常にソフトなので、少しも痛くはない。むしろ気持ち良いぐらいだ)。よく、「話が噛み合わない」とか「歯車が噛み合わない」という表現をするが、恋人同士が愛情表現(ボディーランゲージ)として物理的(肉体的)に「噛み合わなく」なったら、それは恋人としてのふたりの関係全体が「噛み合わなくなった」ことなのかも知れない。「愛情としての噛み合い」は、きっととても大切なことなのだ。今夜の「宇宙人に噛まれ、それを仙人から祝福される夢」は、何か素晴らしい吉兆のような気がする。


7日●絵画の才能

目の前に堆く積まれた画用紙の山。それらはすべて、今日までに私が描いた絵だという。何百枚もありそうな大量の絵を、一枚一枚丁寧に眺めていると、私の右隣に座っている誰か(男性)が「真美さんは、絵画の才能がおありじゃないですか。個展をなさったらどうです」と驚いたような声を出した。私は「とんでもないです。絵画の世界は本当に奥が深くて、しかも一目でその人の性格から生活態度、知能レベルまでわかってしまう恐ろしい世界ですからね」と答える。さらに画用紙を繰りながら絵を眺めていると、明らかに私の筆ではない、しかし私とよく似たセンスの絵が現われた。その絵は、瑞々しい森の中で微笑むひとりの人間を描いたもので、よく見ると息子の作品ではないか。(あの子がこんなに好い絵を描くなんて)と意外の感に打たれる。右隣の人が「息子さんも絵が上手ですね」と言うので、私は素直に頷きながら「本当に。あの子に絵の才能があること、私も初めて知りました」と答えた。
【解説】 我が家は4人家族で、そのうち夫は日本画家、娘は美大生(シドニーの大学に留学中)である。このふたりを比較すると、夫は「高校時代は外科医になろうと思っていたが、戯れに描いたイラストが芸大教授の目に止まり、薦められて芸大を受験したところ一発で受かってしまった」ためにプロの画家になったという、言うなれば“後天的アーティスト”。娘のほうは、まだ2歳にもならない頃から誰にも教わらずに絵を描き始め、紙と鉛筆さえ渡しておけば朝から晩までお絵描きに熱中していたような“先天的アーティスト”だ。これに対して13歳の息子は、「俺は絵は大の苦手」とハッキリ言い切っており、事実、「美術」「音楽」「文学」の3つの芸術分野のうちでは、極端なまでに「文学」に才能と関心が一極集中している。彼は「嫌いなことは絶対にやらない」人間なので、彼の描いた絵などここ数年は見たことがない。学校では描かされているのかも知れないが、どこかで破り捨ててしまうのだろうか、家に持って来たためしがない。だから、たとえ夢の中とは言え、息子が描いた絵を見るのは非常に珍しい体験だった。


8日●クラゲ型宇宙生物

誰かが「山田さん、左足に何か付いていますよ」と教えてくれる。屈んで自分の左足を確かめてみたところ、膝の少し下あたりに、どこかから飛来したらしい小さな宇宙生物が4匹ほど止まっているではないか。それは、円盤のような形の半透明の生物で、足のないマミズクラゲのようにも見える。4匹はどうやら親子らしい。すぐ近くにいた娘も、この時になって「あっ、私の足にも何か付いている」と言い出した。私は、(さて、この宇宙生物の一家をどうしたものか)と思案に暮れている。
【解説】 時間にしてわずか3秒ほどの夢。記憶違いかも知れないが、この宇宙生物には子どもの頃にもどこかで(おそらく夢の中で)一度逢ったことがあるような気がする。そう言えば一昨日の夢にも宇宙人が登場したことを想い出し、急いで『夢の事典』(日本文芸社)で「宇宙人」の意味を引いたところ、「今の自分には理解が難しい、異次元的な要素を含んだ出来事との遭遇」「自分ではまだ気づいていない能力や可能性」だそうである。それを聞いて、ひとつ思い当たる節がある。私は今、これまでとは少し趣向の変わった仕事を始めようとしており、日々その準備にかかっている。一方の娘も、異国の地で大学生活(一人暮らし)を開始したばかりだ。人生の新しい章に向かって飛躍しようとする気持ちが、もしや「宇宙人との遭遇」という形になって夢に現われているのではないだろうか。


9日●気持ちの好いこと

何かとてつもなく気持ちの好いことをしている。色で表現すると、それは透明感のあるグリーンで、ところどころに黄色っぽいオレンジ色が混ざっている。それは、どこか風にも似ている。時間が経つごとに、気持ちの好さはどんどん増してゆく。私は自分のからだが軽くなって、少しずつ宙に浮いてゆくのを感じている。
【解説】 今夜の夢は非常に観念的で、具体性に乏しかった。絵に喩えると「抽象画」のような世界だが、そのなかで気持ちの好さだけが高揚してゆくのである。言ってみれば夢の中でメディテーションをしてきたような、なんとも不思議な体験だった。


10日●海軍兵学校受験

昔の学校の講堂のような建物。そこには何百という数の机と椅子が並べられ、真剣な面持ちの受験生が座っている。「始め」という合図で机の上を見ると、未開封の大きな封筒がふたつ載っていた。一方には「陸軍士官学校試験問題」、もう一方には「海軍兵学校試験問題」と書かれている。この部屋では、陸軍と海軍のそれぞれの幹部候補生を対象とした試験が、同時に行なわれようとしているらしい。封筒は、どちらか一方しか開けてはいけない。私は迷わず「海軍兵学校」の封筒を開けた。しかし、そこに書かれていたのは数学や英語の問題ではなく、「あなたは森の中の一本道を歩いています。すると向こうから動物がやって来ました。あなたが見たのは何の動物ですか」に始まる、よくある心理テストのような内容なのだ。これは何かの引っ掛け問題なのだろうか。それとも、軍人としての適正を問われているのか。私は多少迷いながらも、答えの欄に正直に「ユニコーン」と書き入れた。そのような心理テストが暫く続いた後、ページを繰ると別の問題が現われた。今度は、「みよちゃんはお母さまから1円をあずかって、おとうふ屋さんに行きました。ひとつ30銭のカナヅチを買いました。みよちゃんが買ったしなものを売っているお店に行きなさい」と書かれている。これは一体何の試験だろう。ともあれ「店に行け」という指示なので、私は席を立って豆腐屋を探しに町へ出た。そこは知らない町で、人通りもなく、豆腐屋がどこにあるのか見当もつかない。私以外にも、海軍兵学校を受験しているらしい若い男たちが、豆腐屋を探して町を歩いている姿が見える。やがて道の先に一軒の豆腐屋が見えてきた。どうやら私が一番乗りだ。急いで店に入ろうとしたところで、(待てよ。豆腐屋でカナヅチを買うという設定が、そもそもおかしい。これは何かの罠では?)と思う。路傍のゴミ箱の影に身を潜めていると、大勢の人たちが豆腐屋の中に入ってゆくのが見えた。暫くして、ドッカーンという爆発音と共に、豆腐屋の建物は木っ端微塵に吹き飛んだ。やはり、あの設問は罠だったのだ。豆腐屋に入らなくて命拾いしたと思う。数軒先に、「4343ワンデ」の看板を掲げた商店が見えた。これはもちろん右から左へ「デンワ3434」と読むのだろう。「3434」が「みよみよ」と読めたので、ここがみよちゃんの立ち寄った店かも知れないと思い、中に入ってみる。そこには海軍士官たちが集まっていて、私の顔を見るなり、「よし。合格」と言う。そのあと、幹部候補生のためのラテン語の授業を受講したような気がするが、詳細はよく覚えていない。
【解説】 海軍兵学校の試験というよりは、スパイ養成学校の適性検査でも受けているような、なんとも奇妙な夢だった。現実世界では、カウラ事件の取材のために明日から暫くオーストラリアに行くことになっている。向こうでは、第二次大戦当時の豪州軍の機密資料を特別に閲覧させてもらえる手筈になっている。おそらくそのことが今夜の夢となって現われたのだろう。


11日●……
【解説】 今夜は仕事で徹夜をしたため、夢は見ていない。



12日●死の予感

或る女流作家の数年前の小説がテレビドラマ化されることになった。「どうして今更この作品がドラマ化されるのかしら。もう旬の人でもないのに、変ねえ」と、母が不思議そうに言う。私は頬杖をついてテレビ画面を見ながら、「この人、近いうちに死ぬんじゃないかしら」と答えた。
【解説】 大学時代のある日、それまで一度も読んだことのなかった立原正秋さんの作品を突然読み始め、主な作品をほぼ1週間ですべて読破した。その翌朝、テレビのニュースで立原さんが亡くなったことを知った。この時はクラスメートたちから「真美ちゃんの勘は怖いほど冴えているから、立原さんが亡くなることを無意識に予知していたんじゃないの?」などと言われたものだが、真相はどうだったのか自分でもわからない。わからないが、これと似たようなことは人生で何度か経験している。逢ったこともない他人の死を予知するのは、あまり気持ちの良いものではない。尚、この夢は成田からメルボルンへ向かう飛行機の中で見た。


13日●牛若丸の足

牛若丸の背が低いので、足の先を少し切ってやることになった。頭髪や爪と同様に、手足も先端を切ってやると伸びが速いということが最新の研究でわかったのだ。専門家によれば、牛若丸の場合は足の先を51cm切るのがベストだという。私は牛若丸の左足の先を51p切ってやった。一体どういう仕組みになっているのか、この手術には出血も痛みも伴わない。その間、牛若丸と私はのんびりと世間話など交わしている。左右の足の長さが違ってしまうのは不便だが、こうして左右の足を別々に切らないと、身長を伸ばす効果は望めないのだ。左足が十分に伸びたら、今度は右足の先端を51p切ってやろうと思う。
【解説】 まったく意味不明な夢である。この夢を見たのはメルボルンのホテルで、泊まっている部屋の番号は「52号室」、向かいの部屋が「51号室」だ。夢の中の「51」という数字は、明らかにホテルの部屋番号と関連していると思うのだが、それにしても牛若丸の足を切ることにどのような意味があるのか。謎である。


14日●走り去る犬

娘の家に到着する。そこは講堂かホールのようにだだっ広い部屋だ。トランクを開き、日本からの土産を取り出すと、底のほうに何故かアンパンが7〜8個入っていた。場面が変わって、私は公園のようなところにいる。丘の上で知らない子犬と遊んでいると、やがて犬はどんどん遠くへ走り去ってしまった。「さっき家に来た業者が、犬のリードを切っておいたに違いない」と夫が言う。私は少し悲しみながらも、(あの犬はあまり可愛くなかったしブースケではないのだから、居なくなっても特に悲しくはない)と自分に言い聞かせている。
【解説】 これも昨夜と同じメルボルンのホテルで見た夢である。実際に娘に逢うまでには1週間ほどあるのだが、夢では既に娘に逢っていた。犬が走り去ってしまうというストーリーは、日本に残してきたブースケのことが気になっている証しと思うが、特に好きでもないアンパンが登場した理由はさっぱりわからない。


15日●スピーチするJ・F・ケネディ
大統領府かペンタゴンのような建物。私は白人男性7〜8人を相手に英語で何か喋っている。そこへJ・F・ケネディが現われ、『“我が闘争”との我が闘争』というタイトルで英語のスピーチを始めた。私は(ケネディとヒトラーは同時代の政治家ではないのに、何故?)と訝しく思っている。
【解説】 この夢もメルボルンのホテルで見た。何やら一晩中、夢の中で難しい話をしていたような気がする。


16日●ブースケの餌を探す

犬の餌を入れる皿を見ると、チョコレートやバターピーナッツで出来たケーキのようなものしか入っていない。それも、賞味期限が切れたパサパサの古いケーキだ。ブースケ達は、当然いやがって餌を食べない。私は餌を探してあちらこちらの店を訪ね歩くが、目指す商品はなかなか見つからない。
【解説】 この夢は、オルバリーという名の小さな町のホテルで見た。一昨日の夢もそうだったが、旅に出ると、ブースケをを案じている夢を頻繁に見る。私にとってブースケは世界で一番可愛い犬で、しかも人間相手と違い、「○月○日に帰って来るから、お土産を楽しみにしていてね」といったメッセージを伝えることが出来ない。いつ帰るとも知れない飼い主(私)を玄関で待っているであろうブースケのことが気になって、それでこのような夢を見るのだろう。


17日●ブーツに隠した秘密書類

これから何か事件が起こる(あるいは、事件は既に起こったのかも知れない)。それは戦争捕虜だった人々に関わることだ。私は中学校の校舎にいて、何か調べ物をさせられている。家に帰ろうとすると、同級生のSちゃんとT子さんがやって来て、「まだ帰っちゃダメ。先生に叱られる」という意味のことを言う。私は憤慨し、何故か英語で“I've already done enough and it's a Sunday morning. If the teachers insist I should keep staying, I'll quit the school!(私はもう十分にやったし、今は日曜日の朝よ。先生たちがどうしても残れと言うのなら、学校なんか辞めてやる)”と言い返す。Sちゃんはそれで黙ってしまう。私のブーツの中には、親指の先ほどの大きさの紙を丸めたものが隠してある。事件の秘密は、すべてその紙に記されているのだ。
【解説】 これはオーストラリアの首都キャンベラのホテルで見た夢である。昨日は国立図書館に篭って、第二次世界戦争関係の文書(現在も非公開のもの)に目を通していたため、カウラ事件に関する新情報を得ることが出来た。ブーツに隠した紙うんぬんは、おそらくそのイメージが夢に現われたものだと思う。中学校時代の友人が現われた理由は不明。


18日●墜落する漫才師
見知らぬ町。私は家族と一緒に、道路脇の歩道にいる。何か用事があって、私ひとりだけがそこから他所へ移動する。私は半袖のTシャツに短パンというラフな服装で、何故か裸足だ。暫くして元の場所へ戻ろうとするが、元の場所がわからない。しかも、財布も鍵も携帯電話も持っていない。このまま道がわからなければ、私は死ぬまで放浪しなければならないのかも知れないが、物事はなるようにしかならないし、それほど心配しているわけではない。途中、日本人の男性マジシャン数人に逢う。そのうちひとりはハンサムで性格も良いが、残り全員は陰険で嫌な連中だった。さらに先へ進むと、小学校らしき建物の前に出る。校舎の屋上には、四角っぽい奇妙な形のヘリコプターが停まっていて、窓から「○曜日○時から」と書かれた小さな垂れ幕が下がっている。ヘリの中には、テレビで見覚えのある夫婦漫才の人たちが見えた。ヘリはそこから地上に降りようとするが、漫才師の夫のほうが着陸に失敗し、校庭に激突してしまう。夫は内臓をやられ、妻のほうも血を吐いて苦しんでいる。私のそばでその光景を見ていた誰かが、「あの旦那さんのほうは、大きな借金があったんですって。その返済方法に失敗したみたいよ」などと言っているのが聞こえる。私は、その漫才師の名前が何だったかを思い出そうとしている。
【解説】 これは人口2000人の小さな町・カウラのホテルで見た夢である。マジシャンと漫才師が現われたのが印象的だった。マジシャンの顔には見覚えがないが、漫才師のほうは(名前は知らないが)実在の人物だと思う。


19日●ドン・キホーテの行進

ドン・キホーテとサンチョ・パンサが、ロバに乗って行進している。彼らは二頭身で、バネ仕掛けの人形のようにピョコピョコと滑稽に動く。私は大笑いしながらその隊列を見ている。
【解説】 よほど可笑しかったのだろう、自分の笑い声で目が覚めてしまってしまった。なお、この夢はシドニーに住む娘の家で見た。


20日●47階の恐怖

高層ビルの47階にいる。同じ部屋には、私以外にも外国人を含む数人の見知らぬ人たちがいる。私は窓ガラスを押さえているのだが、ガラスが外れて落下しそうになる。47階の高さからガラス窓が落ちたらどうなるのか、考えただけでも恐ろしい。ガラスを落とさぬよう、私は懸命に窓枠を掴んでいる。私たちは何かに怯えている。何故ならば、とてつもなく恐ろしい誰かが、これからこの部屋にやって来るのだ。相手はたったひとりだが、それは想像を絶するほど恐ろしい男らしい。やがて私は、力尽きてガラス窓を落としてしまう。47階から地上に落ちて行ったガラス窓を目で追っていると、道を歩いて来る“あの男”が見えた。男は小柄で、黒縁の眼鏡をかけており、風貌はごく平凡だ。しかしながら、男の目には明らかな狂気が宿っている。私は恐怖におののきながら、逃げる手段を考え始めた。
【解説】 この夢もシドニーで見た。夢を見る直前、80数階建ての高層ビルに住んでいる友人のことを娘と話していた。そのビルは、上層階にまでバルコニーが付いており、高所恐怖症の人なら即座に失神しかねないほどのスリルがあるのだ。その話をした直後に見た夢がこれなのだが、「黒縁眼鏡の男」は、おそらく私が子どもの頃に見た気味の悪い異常者ではないかと思う。その異常者は、人の家のドアをノックするなり階段の影などに身を隠し、家人の反応をじっと窺っているのだ。今も何年かに1度はその異常者のことを思い出すことがあるほどだから、男のもたらした恐怖感は非常に強いものだったのだろう。それにしても、今月は1日、18日、今日と、合計3度も“何かが落下する夢”を見ている。くれぐれも落下物には気をつけようと思う。


21日●太陽のような男性

すぐ近くに、とても親切な外国人の男性がいる。その人はいわゆる世界的な有名人で、笑顔が太陽のように明るい。彼のまわりには常に数人の人が集まっており、彼らもひとり残らず感じの好い人ばかりだ。私はその人のそばにいる状態を非常に心地良いと感じている。

【解説】 これもシドニーで見た夢である。かなり長い夢だったが、目が覚めた途端に細かなエピソードはすべて忘れてしまった。太陽のように明るい有名人が誰だったか一生懸命思い出そうとするのだが、人種的には白人か黄色人種だったような気がするものの、そのへんの詳細も思い出せない。強いて言えばジャッキー・チェンがイメージに近いが、違う気もする。いずれにしても、そこにいるだけでリラックス出来る楽しい夢だった。



22日●天麩羅屋の2階

元海軍軍人の高原さんが、天麩羅屋の2階の個室で食事をしている。私はこの店の女将らしい。高原さんは床の間を背に座り、手酌で熱燗を飲んでいる。彼はカウラ事件について何か私に話したいようだ。

【解説】 この夢もシドニーで見た。今回のオーストラリア取材では、カウラ事件についてこれまで一度も語られたことのない事実が幾つも浮上した。私には高原さんに逢って話したいことが山ほどある。その気持ちがストレートに映像化されたのが今夜の夢だろう。



23日●グリコセシルチョコレート

目の前の壁面に、グリコセシルチョコレート(※1970年代に発売されたチョコレートの名前)のポスターが貼ってある。山口百恵さんの顔が大写しになったポスターだ。それはトリックアートのようなポスターで、どの角度から見ても百恵さんの視線が付いてくるのである。しかも百恵さんの表情までが微妙に変化する。そこへ三浦友和さんが「お待たせ」と言いながらやって来た。どうやら彼は私の恋人らしい。私たちは楽しげに話しながらどこかへ出かけようとしている。

【解説】 そう言えば、昨年も一度だけ三浦友和さんの夢を見た記憶がある。その時、三浦さんは私の“夫”という役どころだったが、今回は“恋人”だ。芸能界には興味のない私の夢に、一度ならず二度までも三浦さんが現われたことは不思議である。これもシドニーで見た夢。



24日●歌舞伎とお能をハシゴする

E子さんと歌舞伎を観に行く約束をしている。前後関係はよくわからないが、歌舞伎役者の友人のところへ遊びに行くと、彼の師匠に当たる人のところへ挨拶に行かされる。そこへ行くと、そのまた師匠に当たる中村某さん(※名前を思い出せないが、実在する有名な歌舞伎役者)のところへ行かされる。師匠を何よりも大事にするあたり、さすがは伝統の縦社会だと思う。中村某に気に入られた私は、彼と、彼の婆やと3人で暮らすことになる。そこは土蔵のようなイメージの3階(または4階?)建ての家だ。その家で数日を過ごした後、ようやく歌舞伎座に向かうことが出来た。歌舞伎座に着いてみると、既に開演直前で客席は満席である。E子さんが私の席を確保してくれていた。しかし、時計を見ると、あと5分でお能が始まる時刻ではないか。今夜はE子さんと歌舞伎を見たあとで、編集者の芝田さんとお能を観に行く約束になっているのだ。能楽堂では芝田さんが待っている。E子さんにひたすら謝って、私は歌舞伎座を後にし能楽堂に向かった。するとそこへミュージシャンのサエキけんぞうさんが現われ、「山田さん、前に貸してあったお金を返してください」と言われる。私は胸元から札束を取り出した。札は200〜300枚はあるが、その殆どはインドの100ルピー札だ。その中に時々1万円札が混ざっている。しかも、1万円札に描かれた肖像画はサエキさん本人のお顔ではないか。「サエキさん、出世しましたねえ」などと言いながら札を渡す。さらに車に乗って能楽堂に向かった。暫く行くと、どこか田舎の田んぼに差しかかった。以前は家が建っていたところに「一身上の理由により廃業いたしました」といった意味の立て札が立ててあり、家の代わりに小さなお堂が立っている。中には地蔵(あるいは仏像?)が安置されていた。どうやらここは実家の跡地らしい。車で通り過ぎながら、私は(家を取り壊して地蔵堂だけになったのは、父らしいな)と思った。

【解説】 シドニーに来てから見た中で一番長い夢だった。夢に登場したE子さんは、カウラで捕虜になっていた元軍人の娘さん。日本に帰ったら、何はさておきまずは芝田さんとE子さんに逢ってカウラ取材の報告をしたいと思っている。なお、私の実家はもちろん取り壊されていないし、サエキさんから借金をしたこともない(笑)。



25日●高層ビルに吹き込む風

高層ビルの一室。ブースケとパンダが私の帰りを待ちわびていて、私の顔を見るなり半分怒ったような顔で甘えてくる。窓が開いており、そこから風が吹き込んできた。窓際には、本がたくさん立てかけてある。これが風に煽られて窓から落ちたら非常に危ない。私は急いで窓を閉めた。

【解説】 今夜見た夢は実際にはもっと長く、これはその最後の部分(前の部分は起床と同時に忘れてしまった)。相変わらず“高いところから落ちる夢”である。私は今シドニーに滞在しているが、この街では、数十階の高層階にもバルコニーがある。あんな高いところにバルコニーを設置して、万が一子どもが転落したりプランターなどが落ちたら極めて危険ではないかと思うのだが、この国にはそうした法規制がないのだろうか。このところ落下物の夢をよく見るのは、道を歩くたびにそのことが気になっているためかも知れない。



26日●砂に埋められた男

白人の若い女性が、ビキニ姿で砂浜に座っている。彼女は17歳で、コケティッシュというのか、どこか小悪魔的な魅力がある。彼女はボーイフレンドに飽きて、彼を振ったところだ。彼女は彼をどこへ捨てたのだろう。ふと足元を見ると、砂浜には、彼女に棄てられた男が埋められていた。目を閉じた端正な顔が、砂の合間から見える。その顔を見て、(棄てられたこの男は、そう不幸でもなかったのではないか)と私は思った。

【解説】 どうにも意味不明な夢である。登場した女性にも男性にも見覚えはない。なお、この夢もシドニーで見た。


27日●進路を誤る航空機
気がつくと、国際線の航空機に乗っていた。私の目の前にはスクリーンがあって、そこには航空機の針路やスピードが表示されている。ところが何故か見る見るうちに、機体は誤った方向へと進み始めたではないか。私は機長に向かって、“We are heading for a wrong direction!(進行方向が間違っています)”と告げるが、その声はどうしても機長に伝わらない。そうこうしているうちに、航空機は目的地と正反対の方向へ1,000キロも飛んでしまっていた。行きたかった場所に行ける可能性は、これでほぼゼロになった。そのことを実感して、私は行きたかった場所に行くことを諦める。
【解説】 この夢は、シドニーから成田空港に向うカンタス航空の機上で見た。もちろん、現実世界で機長が進行方向を誤るようなことはなかったし、フライトは快適なものだったが。


28日●砂漠でお茶会
オーストラリアの乾燥した大地。ところどころに家が建っているほかは、人影も、車の影も見えない。時々トカゲが走り去る。今週から、ここがお茶の教室だ。荒井先生はじめ、社中の皆さんの姿が見える。さすがにここは暑すぎるのか、先生以外は誰も着物を着ていない。薄いガーゼのような半そでのシャツにスカートといった、ラフな服装が目立つ。私は素晴らしい砂漠の風景を見つけ、そこへ皆を案内しようとしている。オアシスで水を汲んできて、そこでお茶会をするのだ。しかし下に敷く緋毛氈が見つからず、私達はそのへんを彷徨っている。
【解説】 お茶会だというのに、ずいぶんと暑苦しい夢だった。そう言えば以前、赤道に近い某国に1億円をかけてお茶室を建てた人に逢ったことがあるが、その建物はシロアリにやられ、1年で見るも無残な姿に変わり果ててしまった。「暑い国」と「茶道」という、普通ではありえない奇妙な組み合わせの夢だったように思う。


29日●嘘をつく人々
砂漠の町。私はここの村人達に、井戸の在り処を尋ねている。最初の男は「赤い土がむき出しの場所」と答え、次の男は「緑色の鳩がいる所」と答えた。3人目の男の答えは「黄色い○○(この部分、何と言われたのか不明)が見える丘の上」だった。そのどれもが嘘であることを、私は何故か最初から知っている。この村の男達は、決して本当のことを答えてはくれないのだ。それならそれで、こちらにも考えがある。私は無邪気に騙されている振りを装いながら、次の作戦を実行することにした。
【解説】 今月はオーストラリアでカウラ事件の調査に当たっていたが、その中で、これまで私が取材してきた人々のうちの何人かがいかに嘘つきであるかを示す証拠が、いくつも見つかった。このことは、裏を返せば「事件から60年以上経った今も本当のことを語れない事情がある」という意味であり、カウラ事件の闇がいかに深いかを示すエピソードでもあるのだが。そのことが、今夜の夢となって現われたのだろう。


30日●懐かしい顔
見たことのない外国の町。そこに佇む2階建ての家。その家を、斜め上空から見ている自分。次に気がついたとき、私は家の中にいた。同じ部屋の中に、眼鏡をかけた見知らぬ醜い男が見える。しかし、近づいて行ってみると、その顔はHさんに変わっていた。Hさんと逢うのは、かれこれ20数年ぶりだろうか。柔和でシャイな感じのするその面差しは、とても懐かしい顔だ。部屋の中にはもうひとり、知らない人が見える。白人の老婦人だったような気がするが、あるいは男性だったかも知れない。私達は何か四角いものを見ながら笑っている。それは絵画だったような気もするし、熱帯魚が入った水槽だったような気もする。その間、懐かしい想いがずっと続いている。
【解説】 この夢を見るまで、Hさんという人の存在をすっかり忘れていた。Hさんは学生時代の男友達のひとりで、誰に聞いても「彼は何を考えているのかよくわからない」と評されるような、少なからず不思議な人だった。実はHさんは私のことを好きだったらしいと人づてに聞いたことがあるが、それとても単なる噂の域を出ない。いずれにしても、私にとっては遠い昔の男友達のひとりに過ぎないHさんなだけに、夢の中とは言え、今頃になって再会するのはとても意外だ。
【後日談】 この夢を見た数時間後、仕事で、ある男性に電話をした。その人と私は一度も会ったことがない。電話をするのもこれが初めてである。電話口から聞こえてきた声を聞いて私は(えっ!?)と絶句していた。その声が、なんとHさんに瓜二つなのである。Hさんはかなり特徴的な声色の人だった。要するに、世の中にあまりいないタイプの声質なのである。電話口から聞こえて来た声に、(あなたはもしや、Hさん?)と、もう少しで聞きそうになったほどのそっくりぶりなのだ。電話の人とは今週中に仕事の打ち合わせでお会いすることになっている。これで、もしも顔までが瓜二つだったら……Hさんには双子の兄弟がいたのだと解釈すべきかも知れない。さて、結果はどうなりますことやら。


31日●ハート型に紙を切る
ぼってりとして、同時にふにゃふにゃで、しかも適度な弾力があり、中に少し水分を含んでいて、強いて言えばサロンパスが分厚くなったような奇妙な材質の紙がある。色は白。それを半分に折って、ハサミでハート型を切り出そうとしている。ハートの尻尾の部分は角度が難しい。鋭角過ぎても鈍角過ぎても、紙を開いた時にきれいなハート型にならないからだ。私は慎重にハサミを動かし続けた。それから踏み台の上に乗り、高いところにあるカバードの開き戸を手前に開いて、中からもう一枚紙を取り出した。そのあと少し考えてから、明日の朝の分も今のうちに出しておこうと思い直し、私はもう一枚、紙を取り出した。
【解説】 何のことか全くわからない夢である。おそらくこの前にもっと長いストーリーがあったのだと思うが、何故かこの部分しか覚えていない。前の部分は、確かとてもハッピーで楽しい雰囲気の夢だったと思う。





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