2005年11月


1日●狂った女
古い小学校のような建物。暗い廊下の片隅に、ひとりの醜い女性が薄笑いを浮かべて立っている。野暮ったいデザインの紺のスーツと、手に持ったチョークケースが、彼女が昭和時代の小学校教師であることを告げている。この女性の顔に、私は見覚えがある。前に会ったときと比べて、彼女は一層醜くなったようだ。その顔を隠すために髪型を変えたらしいが、そのことが、かえって醜い印象を深める結果になっている。彼女はニヤニヤと笑いながら、私のあとを付けて来た。一体この女は誰で、私に何の用があるのだろう。単なるストーカーか? 私の周囲には数人の友人がいて、口々に「またあの女が来ているわよ。よほど真美さんに関心があるのね。レズかしら」などと囁いている。弁護士の友人が眉間に皺を寄せながら、「最近の日本には、あの手の不可解な人間が増えているんですよ。彼らは自分だけは絶対に正しいと信じ込んでいるのですが、実際には、完全に中身が崩壊している連中です」と述べた。私は、女のことはほとんど気にせず仕事を済ませ、暫くして岐路に着いた。するとまたしても、電信柱の陰に女が隠れていたではないか。私が無視して立ち去ろうとすると、女は気味の悪い笑みを浮かべ、「私のことをもっと見てよ」という意味のことを言った。声のトーンからして、女は完全に狂っているらしい。こんな手合いが増えているようでは、日本ももうおしまいだと思う。
【解説】 今夜の夢に現われた女性は、今年の9月7日、8日、10日に連続して夢に現われた不気味な老婆にそっくりだった。この女性は、おそらく「爛(ただ)れた日本」、「病んだ日本」、「狂った日本」の象徴なのだという気がする。そして、この醜い女性は、一見ストーカー(または嫌がらせ)行為をしているようでいて、実は(彼女自身もそれと気づかぬうちに)心の救いを求めているのではないかと、そんな気もした。なお、この女性は、現実世界に存在する某中年女性と瓜二つである。



2日●遺伝子を手渡す
誰かに何かを手渡す作業をしている。途中、ところどころで走ったり、ベルトコンベアのような装置を使ったりしながら、夥しい数の何かを手渡している。それは、形らしい形こそ見えないものの、色とりどりの綺麗なギフトボックスに入った「遺伝子」のようなものだった気がする。
【解説】 シドニーの大学に留学中の娘が「夏休み」で昨日から一時帰国しており、昨日はふたりで1日ショッピングを楽しんだ。途中、『シャーリーテンプル』という子ども服専門店の前を通りかかったときに、幼い頃このブランドの服をときどき娘に着せていたことを思い出して、「孫が生まれたら、また可愛い服を準備してあげるわね」などと他愛もないお喋りをした。そんなことがあったので、「遺伝子を手渡す夢」を見たのかも知れない。



3日●時計と反対まわりに進む夜
夜の帳につつまれた、大きな屋外競技場のような場所。私は誰かが運転する車の、右後方の席に座っている。その座り方が奇妙で、ちょうどドレスを着た貴婦人が馬に乗るときのように、窓枠に横座りになっているのだ。自動車の型は、一見ジープまたはオープンカーに似ているが、よく見るとどちらにも似ていない。おそらくこの車は、この世には実在しない車なのだろう。車内には、運転している人と私のほかにも、2〜3人が乗り合わせている。顔は見えないが、親近感を覚える人たちだ。家族かも知れない。車は競技場のトラックを、時計と反対まわりに進んで行く。すぐ右後方から、パパラッチがバイクで追いかけてきて、私の背中にスポットライトを当てた。その反射で、自分が着ていた光沢あるブルーのシャツが妖しく光るのを、まるで第三者のように後方から見ている私。驚いたことにその姿は、日本人ではなく金髪の白人女性だった。場面が変わり、巨大な展示場のような建物の中。そこはおそらく2階で、中央の巨大な部屋を囲むようにして、長い回廊が続いている。私はその回廊を、やはり時計と反対まわりに進んでいる。何か乗り物に乗っているのかも知れない。中央の部屋にも回廊にも、見事なほど物が置かれていない。文字通り「空洞」だ。部屋の細部に目を転じると、ところどころに何か洒落たデザインが施してあるのが見えるが、私の嫌いな茶色とベージュのトーンだ。ここは完成したばかりの建物で、まだ誰も使ったことがないのかも知れない。面白みのない場所だと思う。そのあと別の場所でメンサのメンバー数人と逢ったような気がする、何を話したのかは覚えていない。
【解説】 このほかにも何かストーリーがあったような気がするが、思い出せない。イメージとしては「乗り物に乗って時計と反対まわりに進む」イメージだけが強く残っている。最後に登場した「メンサ」とは、先月26日の夢にも登場した「高IQの人々で構成される国際的会員制クラブ」の名称。



4日●模写
私は何かを読んでいる。あるいは、テレビのような動く画面を見つめているのかも知れない。ときどき、「木」を表わす記号が現われる。その記号が現われたときだけ、私はその記号を手元の画用紙に模写しなくてはならない。「木」を表わす記号は、ごく簡単な丸味のある形で、象形文字のようにも見える。
【解説】 実際には非常に長いストーリーの夢だったように思う。「木」の記号うんぬんは、夢のごく一部だったはずだが、残念ながらこの部分しか思い出せない。



5日●光り輝くBABY
前後関係はよくわからないが、目の前に、生後間もない男の赤ちゃんの姿が見える。ほんとうのところ、性別がハッキリわかったわけではないのだが、なんとなく男の子のような気がするのだ。その子は健康的にぴちぴちと太って、全身が文字どおり眩しく光り輝いている。満面の笑みを浮かべたその姿は、まるで西洋の宗教画に登場する天使のようだ。この子はおそらく私の孫なのだと思う。
【解説】 これは、今夜見た夢のごく一部だった気がする。前後にどのようなストーリーが展開されていたのか思い出せないのが残念だが、赤ちゃんの神々しさが強く脳裏に残っている。この赤ちゃんは白人の特徴を持っていたので、もしも夢の最後で感じたとおりこの子が私の孫だったとすれば、私の娘or息子は国際結婚をしたことになる。



6日●ふたりの老魔法使い
空港のコンコースのようにも地下道のようにも見える場所。前方から、ふたりの年老いた魔法使いが歩いてきた。ふたりは踝(くるぶし)まで隠れる白っぽいガウンのような衣装を着て、何か談笑しながら歩いている。そのうちのひとりは、インドの現大統領に大変よく似ている。ふたりは何かマジックを試みた。しかし、結果は失敗。何も起こらない。私は心のなかで、(このふたりが〈変化〉を起こすことは不可能なのだ)と思っている。
【解説】 このエピソードのあと、さらに広い草原のような場所へ行ったような気もするのだが、ハッキリとは覚えていない。



7日●永いお別れ
家族以外の身近な誰かが、この世から旅立って行ったらしい。それは愛犬のブースケだったような気もするが、よく覚えていない。喪服と白足袋が見えたような気もするが、これも断片的な記憶に過ぎない。私は静かに諸行無常を想っている。
【解説】 このところ、前後関係のわからない夢が多い。今夜の夢も、実際にはもっと長い夢だったはずなのだが、この部分しか思い出せない。夢の中では誰かが亡くなったらしいのだが、私は意外に淡々としており、静かに時だけが流れていたような気がする。



8日●古文書とマグマ大使
密林の中にある洞窟のような場所。夥しい数の古文書の山を探索していたところ、見たこともない文字が書かれた1冊の本が現われた。黄ばんでボロボロになった紙に印刷されていたのは、ヘブライ文字とハングル文字がミックスしたようなデザインの、画数が少なくシンプルなつくりの文字だ。横書きの文字を右から左へと読むべきか、左から右へと読むべきかで、私は迷っている。ヘブライ語なら右から左だが、韓国語なら左から右だ。しかし、どちらの方向で読んでも意味が通じない。試しに右上から左下へ向かって斜めに読んだところ、意味の通じる文章になった。どうやらこの書物のタイトルは、『アメージング・グレース』というらしい。ふと目をあげると、密林の向こうに細長いアンテナのようなものが見えた。あそこには、マグマ大使の秘密の基地があるのかも知れない。「マグマ大使の奥さんって、人間の姿はしているけれど、頭から角のようなアンテナのようなものが生えていますよね。彼女は人類? それとも人類とマグマ種のハーフなのでしょうか」と誰かに質問しようとしたところで目が覚めた。
【解説】 昨日はSNSのmixi(ミクシィ)サイトで、仲間内でマグマ大使の話題になった。それが早速、夢の中に現われるところがおかしい。『マグマ大使』は巨匠・手塚治虫さんの手になるヒーローマンガ。その当時、子どもだった私は、(実家の母からマンガ禁止令を言い渡されていたため)原作は読むことができず、もっぱらテレビの実写版を見て楽しんでいた。なお、実写版のマグマ大使はこんな感じです。



9日●孤独な旅
娘(あるいは誰か別の人かも知れない)を見送るために、空港のような場所へ来ている。ところが、空港のような場所に着いた私は、急に気が変わって、みずから飛行機(または船?)に乗り、遠い外国へと出かけてしまった。私が急にいなくなって驚く人もいるだろうが、彼らには、あとで連絡をつけることも出来るだろう。私は特に「淋しい」というわけでもないが、淡々とした空虚な気分を抱えている。乗った飛行機(船)は、途中、大揺れに揺れた。しかし不思議なことに、私以外の乗客は、まるで揺れを気にしていないようだ。彼らは自分とは無関係の異邦人を見るような目で、不思議そうに、そして明らかに距離を置いて私を見ている。飛行機(船)を途中で1度乗り換え、最終的に着いたところは北欧または南米だったような気がする。そこで私は、漢字2文字から成る人名を見た。それは、この世には実在しない漢字で、当然読み方もわからない。確か、1文字目は画数が多く「野獣」を思わせるような漢字で、2文字目は画数が少なく平凡な漢字だったように思う。その名前の読み方を考えているところで目が覚めた。
【解説】 ひとりで不意に旅に出てしまったり、同じ飛行機(船)に乗り合わせた人たちからは同感してもらえないなど、全体に孤独感の漂う夢だった。こんな夢を見た理由は、おそらく11月9日が父の一周忌で、昨夜は眠る前に「諸行無常」について考えていたせいではないかと思う。夢の最後に「漢字2文字の奇妙な名前」が登場した意味は、まったくわからない。



10日●本のタイトルを考える
来年1月に出版される予定の本のタイトルを考えている。ただ、ひたすら、考えている。夥しい数のタイトル候補が浮かんでは消え、消えては浮かび、私のまわりは文字で溢れ返っている。そうこうしているうちに、本に向かって贈られたメッセージが届き始めた。あたりはさらに文字で溢れ、私は言葉の海の中に埋没しかかっている。
【解説】 現実世界でも、1月出版予定の本のタイトルを考えているところなのだが、その続きを夢のなかでもずっと考えていた感じ。あまりにも深く考え続ける夢だったため、まったく眠った気がしない。とは言え今日はこれからArtiStageに行くのです。会場は新木場のageHa(アゲハ)。頭を空っぽにして徹夜で踊りまくるうちには、名タイトルが浮かぶかも?



11日●カルタ遊びと潜水艦
従弟とカルタで遊んでいる。一体どういうルールなのかよくわからないが、最初に配られる手札の内容いかんでは、ゲームはお流れになり、もう一度札を配り直さなければならないらしい。従弟が切ってくれたカルタの札を2枚もらったところで、ゲームがお流れになった。再び従弟がカルタを切っている。再度、札が配られ、2枚目が配られた時点で、ゲームはまたしてもお流れになった。私はカードを切る役ではないので、何度お流れになっても別にかまわないが、従弟はその都度カードを切らなくてはならないので大変だ。彼は、(どうしてこんなにお流れが続くんだ?)と言いたげな顔で、カルタを再々度切り直している。場面が変わって、密室のような場所。ほかにも大勢の人がいるようだ。どうやらここは海底で、私たちは潜水艦の内部にいるらしい。私たちは何か簡単な適正検査(?)のようなものを受けた。上官らしき人から、不適格者の名前が発表になる。数人の名前が呼ばれ、私もそのなかのひとりだった。私たちは上官に連れられてハッチのようなところへ行った。不適格者はここから外に出なくてはならないというのだ。外とは、即ち深海である。私たちはここで死ぬのだろうか。そう思ったのだが、ハッチの外側に広がっていたのは、何故か地上の美しい風景ではないか。意外の感に打たれていると、上官から「実は、なかに残った者は全員潜水艦とともに死ぬ運命にある。不適格者とされた君達は、死ぬことの不適格者、つまり、これからも生き続ける運命の者達なのだ」との発表があった。私たち“死の不適格者”は、潜水艦を降り、生の世界へと歩み出して行った。
【解説】 前半の夢に登場した従弟は、1歳年下で、子どもの頃は実の姉弟のように仲良く遊んだ仲間。今は日本を代表する学者さん(専門はバイオテクノロジー)である。従弟と私が何故カルタをしているのか、また、何故何度もゲームがお流れになるのか、理由はまったくわからない。後半はなにやら映画の一場面のような夢だった。夢のなかで誰かから、「皆は死んでゆくが、おまえはどこまでも生き続ける運命なのだ」と言われたような気がする。



12日●ボブカットのウィッグ(ブルーversion)
目の前に、たくさんのウィッグが並んでいる。私は髪を切ろうかと思うのだが、いきなり切ってしまう前に、まずはウィッグを被って、どの髪型が自分に似合うかチェックしようと考えている。たくさんあるウィッグのうち、私の目に映っているのはブルーのボブカット(おかっぱ)のウィッグだ。手に取ってみると、それは天にも昇るほど軽く、クールで明るい色合いだった。(ブルーの髪は、なかなかいいかも知れない)と私は思っている。
【解説】 この夢には前後のストーリーがあったような気がするが、「ブルー」でしかも「ボブカット」という、現実世界で実際に使うにはかなり勇気が必要なウィッグの印象が鮮明すぎて、夢の他の部分は記憶から飛んでしまった。



13日●ブースケと眺める車窓の風景
飴色をした列車の窓枠。大昔のSLのような懐かしい雰囲気が漂っている。季節は冬なのだろう。私は着物の上に綿入れのようなものを着て、さらにその上から毛布のようなものを被っている。外は氷点下のようだが、列車の中はとても暖かい。毛布の胸の部分から、愛犬のブースケが顔を出している。私たちは先刻から外の風景を眺めているのだ。どこまでも広がる田園風景の中を、列車は静かに進んでいる。ほかに乗客はいるのかいないのか、何の物音もしない。窓のそばに置かれた缶コーヒーからゆっくりと湯気が立ち上って、その部分のガラスを曇らせている。私は軽い睡魔に襲われている。とても温かく、幸福な気分だ。
【解説】 以前にも、ブースケを連れて列車に乗る夢を見たことがある(2004年6月12日の夢日記をご参照ください)。そのときの夢の中では、ブースケはほぼ人間の子どもになっていた。私の心の中には常に(ブースケがほんとうの人間の子どもだったら、どんなに楽しいだろう)という気持ちがあるので、それで、ときどきこういう夢を見るのかも知れない。



14日●再びボブカットのウィッグ(オレンジversion)
夢の中で目をつぶっているらしい。周囲がどのような状況なのか定かではないが、私は安定した幸福感を味わっている。夢の中で、うとうと眠っているような不思議な感じだ。黒光りのする古い家。木製の家具。すぐ近くに使い込んだ達磨ストーブがあるような気もする。懐かしい温かさ。ゆっくり目を開くと、左前方にベージュがかったオレンジ色のボブカットのウィッグが見えた。少し前にブルーのウィッグを見たが、あれのオレンジ色バージョンだ。オレンジと言っても、少しベージュがかった綺麗なトーンの色で、決して派手すぎることはない。とても軽やかで若々しいイメージである。(このスタイルは悪くない)と私は思った。
【解説】 一昨日の夢に引き続き、ボブカットのウィッグの登場である。気になったので『夢の事典』(日本文芸社)で調べたところ、「ウィッグ」の意味はズバリ「変身願望」。色の意味は、「ブルー」が「知性・思考・想像力」、「オレンジ」が「豊かさ・生命力・充実したエネルギー」だそうである。



15日●求人広告
新聞(あるいは雑誌?)の求人広告欄を、眺めるともなしに眺めている。ふと、何か気になる記事を見つけて目を止めた。なんとそこには、「“山田”という苗字で“真美”という名前の、犬好きの方募集中」と書かれていたではないか。これこそは、自分にピッタリの求人だ。何だかわからないが、応募してみようと思う。気がつくと小高い丘のゆるい斜面を登っていた。目の前に大きなシンデレラ城のような建物が見える。私は庭に面したバルコニーのような回廊を歩いて行って、ひとつの扉の前に立った。この扉の向こうには、新しい世界が私を待ち受けている気がする。扉をノックしたところで目覚まし時計が鳴り、目が覚めた。
【解説】 残念なところで目が覚めてしまった。あの扉の向こうには、一体どんなものが待ち受けていたのか。今夜の夢は、今月12日と14日の「ウィッグ」の夢と同様に、何らかの「変化」を暗示しているのではないか。そう言えば現実世界でも、そろそろ大きな変化が欲しいと思っている。今後の私のキーワードは、「変化」かも知れない。



16日●毛嫌いしていた女性に好感を覚える
取材のため、国内旅行に来ているらしい。おそらく西日本、それも四国あたりではないかと思うのだが、詳細は定かではない。私はレトロな感じの2階建てのホテルに泊まっている。カーペットの敷かれた幅の広い階段と手すりの彫刻などが、いかにも大正から昭和初期の偽洋風建築を思わせ、なかなか味がある。3〜4枚並んだ小さなステンドグラスもあったかも知れない。私の部屋は2階にある貴賓室で、隣の部屋には(姿は見えないが)編集者の芝田さんがいらっしゃるようだ。私は何か用事があって、ひとりで外に出た。外から戻り、ホテル1階の狭いロビーを通りかかったところ、これもレトロな感じのする応接セットに、見覚えのある女性が座っていたではないか。その人は、私がずっと毛嫌いしてきた相手らしい。しかし、こうして思いがけなく同じホテルですれ違った彼女は、笑顔の可愛い人だった。彼女のほうも、同様の感情で私を見ているようだ。ほんの一瞬の邂逅は、私の心に何か温かいものを芽生えさせた。私は階段を駆け上がって、たった今起こったばかりの出来事を芝田さんに伝えようとしている。
【解説】 夢から覚めても、暫くほのぼのとした気持ちが残る、爽やかな夢だった。しかし、夢の中に登場した「毛嫌いしていた女性」が誰なのかは謎。大体において私は性格が強く、好き嫌いもハッキリしているほうだが、「毛嫌い」するほどイヤな女性は実生活では思い当たらない。というわけで、今夜の夢も意味不明である。



17日●成金とケチとボッタクリと
気がつくと、高層ビルの最上階にいた。私のそばには、少し高慢な感じのする男(IT成金らしい)と、その取り巻きというか信者らしき人々がたむろしている。全員日本人だ。IT成金は、自分がいかに金持ちであるか、貧乏人がいかにバカで社会のゴミであるかを得々と語っている。信者達は、目にハートを浮かべて成金の話に聞き入っている。私はこの人たちを心から軽蔑しているのだが、何か理由があって、一定の時間が経過するまでこの場所から立ち去ることが出来ないらしい。その間、IT成金の馬鹿げた講義を聞くハメになる。やがてようやくこの場を去る時がやってきた。IT成金がエレベーターの乗り場まで私を送ってきて、嫌味たっぷりな表情を浮かべながら「貴女はたいへん無口ですね。私の話もいちばん後ろのほうで聞いていたようですが、私のような金持ちと付き合うのは名誉なことですから、今度はもっと前のほうで聞きなさい」という意味のことを言った。私は白けながら、「あなたには理解も出来ないでしょうが、世の中にはお金では動かない人間もいるってことをお忘れなく」と答えた。すると男は意外そうに目を輝かせながら、「それはどういうことです。そんな話は聞いたことがない。この次に詳しく聞かせてください」などと媚びた口調で言った。私は心のなかで(アホかこいつ)と思いながらエレベーターに乗った。このエレベーターは世界最速だそうで、ほとんど立っていられないほどの速度で落ちて行った。地上に出てみると、そこは何故か信州の片田舎らしきところである(ただし実在の場所ではない)。駅への道がわからないので、農道のようなところを歩いていたお爺さんに道を尋ねた。そのお爺さんは、どこかで見覚えのある顔なのだが、それが誰なのかはよくわからない。お爺さんは「駅へ行く前に、○○寺(この部分、よく聞き取れなかった)へお参りしなさい。あそこの宝物は大変な国宝だから。あれを持っているのは、皇居とここだけだ」と言いながら、私を近くの寺に連れて行こうとする。気がつくと、そのときまでにお爺さんは数人に増えていたようだ。いかにも古そうな寺に到着し、いざ中に入ろうとすると、入り口の社務所のようなとこに恐ろしい形相の老婆が座っていて、「料金を払え! 払わないなら中に入るな!」と喚いている。私をここまで連れて来てくれたお爺さんは、「さっさと覗き見しちゃいな。お金を払うなんて勿体ないから」と笑っている。どうにもケチな人だと思う。次に気がついた時、私はまったく別の場所にいた。隣を歩いているのは茶道教室でご一緒のNさんだ。私たちは共に緑色の着物を着ている。きっと今日は聖パトリックの日(※)なのだろう。Nさんから、「うちの主人は今日、仕事が長引くので、帰りが遅いんです。ご一緒に夕食を食べていきませんこと?」とお誘いを受ける。Nさんの旦那様は弁護士で、とてもお忙しいのだ。私は少し考えてから、「娘が一時帰国中なので、今日はまっすぐ家に帰ります」と答えた。不意に、ふたりの目の前に和菓子屋さんが見えてきた。店の女主人(?)が「手を出してください」と言うので、言われたとおりに手を出すと、柏餅を載せてくれた。しかしNさんが、「このお店はボッタクリですから。その柏餅なんて、1個20万円するんですよ」と言うので、私はあわてて店の人に柏餅を返した。
【解説】 相変わらず意味のわからない夢である。全体が全く異なる内容の3つのパートに分かれていたが、全体的に「お金」がキーワードだったような気がする。しかも、登場人物は「貧乏人を見下す成金」「ケチ」「ボッタクリ」と、とんでもない人が多かった。なお、聖パトリックの日とは、アイルランドにカトリックの教えを広めた4〜5世紀の聖職者、聖パトリックを祝う日(毎年3月17日)で、この日は緑色の服を着る習慣がある。



18日●本がベストセラーになる
私が書いた本がベストセラーになったらしい。それをきっかけに、マミリンブランドのコンピューターが発売された。附録のマウスパッドには、何故か私の顔写真が印刷されている。すぐ近くに、このコンピューターの発売元の技術者や、出版社の人々がいるようだ。「顔写真の入ったマウスパッドなんて、誰も欲しがらないんじゃありませんか」と私が言うと、誰かから「今はそういう強い自己主張が求められる時代なんです。貴女はもっとメディアに露出してください」と言われてしまった。そのあと、皆でシャンパンで乾杯しているところで目が覚めた。
【解説】 意味不明ながら、何やら景気のいい夢だった。本がベストセラーになったというのだが、それがどんな内容の本なのか、詳細は不明。コンピューターが登場した理由もますます不明。夢の中でありながら、シャンパンの味がリアルなほど美味しかった。



19日●不動産を買う
私は娘と息子を連れて、見知らぬ街に来ている。どうやらニューヨーク郊外らしいのだが、実際のニューヨーク郊外とはかなり風景が異なっている。私たちはコテージ風のホテルに泊まっていて、これから街を散策すべく外出するようだ。大きなベッドと、黄金色のキルティング(布団)が見える。私はキルティングを整えようとするのだが、なかなかうまくベッドメーキングが出来ない。放って置いても、部屋の掃除はメイドさんがやってくれるだろう。ベッドメーキングは途中で諦めて、外出することにした。私はどうやら不動産を探しているらしい。かつてはニューヨークがあまり好きでなかったが、改めて見ると、意外に悪くない場所だ。郊外の住宅地で家を探そうと思いたつ。私は娘と息子とともに自動車に乗っていて、「吉祥寺で買う予定だった家は、ちょっと郊外すぎるんじゃない?」、「やっぱり都内なら港区がいいと思う」などと会話をしている。考えた末に、私はニューヨーク郊外と東京都港区の両方に家を買うことにした。
【解説】 昨日に引き続き、景気のいい夢である(正夢になったら素敵なことですが、まあ無理でしょう(苦笑))。今夜の夢に突拍子もなくニューヨークが登場した理由は、おそらく数日前に日本画家の千住博さん(ニューヨーク在住)と久しぶりに逢い、おしゃべりしたせいではないかと思う。東京都港区は、大学時代に住んでいた街。最近またご縁があって、港区国際交流協会から英語の2時間レクチャーを依頼された。そんな諸々の出来事がゴチャ混ぜになった感じの今夜の夢だった。



20日●さすがインド
誰か(日本人)が印刷物を見ながら、「ここに山田真美さんの写真が載っていますよ。これって肖像権の侵害ですよね」と憤慨したような口調で告げている。渡された印刷物を見たところ、何年か前にニューデリーで撮った写真が勝手に掲載されているではないか。その写真はハロウィーンの日に魔女に扮装して撮ったもので、印刷技術が悪いのか、ひどいリプロダクションだ。肖像権が無視されていることも含めて「さすがインド」だと思い、私は心のなかで苦笑している。そのあと姪のK子ちゃんが、長さ2メートルほどの巨大なロール紙を持ってきて、輪転機にかけようとしている。その輪転機はインド製で、印刷の間じゅう大勢でロールを抑えていないと印刷が曲がったり、ロールが落ちてしまうらしい。私たちは数人で一生懸命に輪転機やロールを押さえている。K子ちゃんは大学を卒業後に1年ちかくインドに住んでいたことがあるため、インドのことはよく理解している。インドを良く知らない人たちが何やら文句を言っている中で、私は「これがインドですから」とだけ答えて淡々と作業に没頭している。
【解説】 久しぶりにインドの夢である。しかも、インドの風景やインド人が登場するわけではなく、インドのイメージと、それを淡々と受け止める自分がいた。早いもので、インドから日本に帰国してそろそろ4年半になる。「1年かけて経験したことは、1年かかって総括され、3年かけて経験したことは3年かけて総括される」というのは、昔からの私の持論だが、その意味では、6年かけて経験したインド生活も、自分の中ではあと1年半ほどで総括されるのかも知れない。インドの夢は、これからもたびたび見つづけるような気がする。



21日●身長2メートル50の男性と愚痴っぽい部下
気がつくと、知らない会社(或いは役所?)の忘年会会場に来ていた。出席者リストには、何故か私の名前。どうやら私は、以前このこの会社(役所)の講演会で何かレクチャーをしたことがあり、そのために招待されたらしいのだ。ホテルの宴会場では、立食式のパーティーが始まっている。会場の至るところにはロープが張り巡らされており、そこには布団や毛布などが干してある。気がつくと、何故か私の手にも大きな白い布団が乗っていた。どこか干すところはないかと、ロープの空きスペースを探している。向こうに立っている管理職らしい男性が、気懸りな様子でこちらを見ている。どうやら、大きな布団を持ったまま右往左往している私のことを心配しているようだ。その人の顔は、ある俳優さんにそっくりなのだが、私はその俳優の名前を思い出せない。ひょろりと背が高く、眼鏡をかけた、いかにも誠実そうな人である。「手を貸しましょう」と言いながら、その人は私の手から布団を取り、ロープに掛けてくれた。礼を言おうと思い、彼の顔を見上げると、ほとんど直角に見上げなくてはならないほど背が高い。おそらく2メートル50以上あるのではないかと思う。私は、「同じ人間同士とは思えないほどの身長差ですね」と言って笑った。そこへ別の若い社員がやってきた。この男は、身長2メートル50の男性の部下らしい。彼は最近、母親を病気で亡くしたようだ。母親はアメリカ人(白人)だったらしい。にもかかわらず、彼の姿が100%日本人なのは何故だろうと不思議に思う。「僕の妹はまだ幼いので、母親の顔さえ覚えていないんです。妹が不憫で不憫で」と言いながら、その男はひとしきり愚痴を言いつづけた。私は、彼から見せられた履歴書(?)を見ながら、「でも、お母さんが亡くなったとき、妹さんは5歳になっていたんでしょ。お母さんのことを覚えていないわけはないですよ」と言った。彼は飲んでいたお酒の手を休め、「あ、そうでしたか」と驚いたように答えた。
【解説】 夢から覚めてすぐ、今月19日の夢にも布団が登場したことを思い出し、何となく奇異な感じがした。例によって『夢の事典』で調べたところ、「布団」の意味は「安らぎ、保護の象徴」であるという。今ひとつ意味はわからないが、愚痴っぽい男が登場するまでは楽しい夢だった。



22日●女医に激怒する
2階建ての古びた民家。ここには年老いた辛気臭い女医と、その母親が住んでいる。年齢的には、女医が70代、母親は90代だろうか。女医は一見したところ、「可もなく不可もない」人間に見えるのだが、その実は計算高く、狡猾で、悪いことを色々しているらしい。私は何か理由があって、彼女に腹を立てている。具体的な理由はわからないのだが、非は明らかに彼女にある。私としては、一言「ごめんなさい」と謝ってくれれば、それ以上彼女を責めるつもりはないのだが、女医は頑として自分の非を認めない。それどころか、2階へ上がって行きながら小さな声で(私のことを)「ふん。バーカ」などと言っている。その声を聞いて、私の怒りは爆発した。「もう我慢がなりません。貴女が犯した罪の数々を、これからマスコミ各社に知らせますから」と宣告すると、女医は急におもねるような表情になって、「ちょっと待って。マスコミだけは勘弁してちょうだい」などと言っている。私は怒ってその家を飛び出すと、そのまま怒りに任せて六車線道路の真ん中を歩いて行った。
【解説】 夢の中で「女医」に怒りをぶつけていた理由は不明。そもそも私は何年も医者にかかっていないし、家族や親しい友人にも、医師を必要としている人はとりあえずいないのだが。そう言えば、夢で見た女医の顔は、実在する某有名人の奥さんに似ていたような気がする。但し、その有名人の職業は医師ではないが。



23日●大型フェリーと超高速列車
大型フェリーで川を渡っている。乗り場は、長野市内にある長野県庁の裏手あたりだったような気がするので、この川はおそらく犀川なのだろう。しかし、フェリーの乗客(白人が多い)と言い、周囲の風景(樹木が鬱蒼と茂ってアマゾンのようだ)と言い、何を取っても少しも日本らしくない。同じフェリーには家族も乗っている。ほんの4〜5分も経たないうちに、船は新潟に着いた。長野市から新潟までは、車で1時間半はかかるはずだが、フェリーだとこんなに近いのか。驚いている私。それにしても、ここは新潟のどこだろう。人けがなく、淋しい感じのする町だ。フェリーに乗っていた白人女性(英語のアクセントからしてアメリカ人)が近づいて来た。彼女は前からの知り合いらしいが、ひどく冷たい印象がある。彼女はこの町に詳しいらしく、どこそこの店がいいと推薦してくれる。私は船を下りて、早速彼女が推薦してくれた店に入ってみた。そこはアクセサリーショップで、床の部分は幻想的な感じの池になっており、その上にくねくねと湾曲した通路が伸びているのだ。店に入って右側の壁に、とても綺麗な色合いの耳飾りが並んでいた。直径2センチほどの球形のイヤリングで、まるでクレヨン箱の中身のように各色が並んでいる。そのなかでも特に、緑と紫のイヤリングが綺麗だった。すぐ近くには家族がいて、夫がこの町のことで何か怒っている。私も、この淋しい町から早く出たいと思っている。気がつくと、恐ろしい速度で進む列車の中にいた。新幹線やTGV(フランスの超特急)を遥かに凌ぐスピードで、乗っているだけでG(引力)を感じる。それは不思議な列車で、窓というものが一切ないらしい。外の景色が見えないまま、私は九州に向かっている。途中で何か見物したり、食堂車で食事をしたような気もするが、定かではない。次に気がついたときは、東京らしき街の、交差点に立っていた。私の足元には、よちよち歩きの可愛い赤ちゃん。近くに編集者の芝田さんと、もうひとり、幼い女の子の姿が見える。よちよち歩きの赤ちゃんは、すこぶる機嫌がいい。私と血の繋がりはないが、誰か大切な家のお子さんらしい。私は芝田さんに赤ちゃんを任せて、あらかじめ決まっていた仕事に行こうとする。芝田さんは「では、九州行きの列車の中でお待ちしていますので」と応じた。
【解説】 意味はよくわからないが、とにかく夢の大部分を乗り物の中で過ごしたような気がする。アクセサリーショップが幻想的だったほかは、全体に忙しいイメージの夢だった。超特急の中で感じた「G」は、夢の中とは思えないほどリアルなものだった。これはおそらく、昨夜使った冬用の布団が重すぎたため、その圧迫感が夢に現われたものではないかと思う。なお九州への出張予定は、今のところない。そう言えば昨夜は、就寝直前までアガサ・クリスティーの“Murder on the Orient Express(『オリエント急行殺人事件』の原書)”を読んでいた。そのことが、今夜の夢を見させた一因かも知れない



24日●アフリカのサバンナで
広大な草原。ところどころに背の低い植物が生い茂り、遠くを野生生物が駆けている。ここはアフリカのサバンナらしい。私は2人の男性カメラマンと一緒にいる。彼らはおそらくTVクルーだ。カメラを肩に担いでいるほうの男性は、かなり有名なカメラマンのような気がする。すぐ近くに、ひょろりと背の高いアフリカの男性たちが数人と、彼らの息子達が座っている。息子達は5〜6歳で、可愛らしいヤンチャ坊主だ。全員が腰の周りに虎皮のようなものを巻いているほかは裸で、筋肉の引き締まった美しい肉体をしている。まるでピューマのようだと私は思った。カメラマンが息を殺してある風景を撮影し始めた。それは不思議な撮影方法で、風景を直接撮るのではなく、蜃気楼を撮るという手法らしい。幻想的な風景が広がった。ところがこのとき、ヤンチャ坊主たちが何やら私語を交わしながら笑い出してしまい、お父さん達から小声で叱られている。彼らの話し声が、このときになって初めて聞こえた。それは、パプアニューギニアのピジン語と、南インドのマラヤラム語を混ぜたような不思議な発音で、私はその言葉に懐かしさを感じる。(この言葉なら、1週間もすれば話せるようになりそうだ)と思う。暫くして撮影は完了。私たちは、今夜泊まる予定のアフリカ人の家に行った。手を洗うために入ったバスルームに、トイレットペーパーが置いてあるのが目に入った。ペーパーがあるなんて、この家のオーナーはかなり裕福な人なのだろうと思う。そのときバスルームにひとりの女性が入って来た。私たちは、“コップ”に関することで何か話をしたようだが、詳しいことは覚えていない。
【解説】 今日の夢も、どこか唐突だった。サバンナの砂の匂いや風の色がはっきりと意識に残る、異国情緒たっぷりの夢でありながら、そこにいる人々や彼らの言葉には親しみを覚えた。まるで「夢のような夢」だったと思う。



25日●暴走トラックと炎上する街
私は窓から外の風景を見ている。そこは埋立地のような荒涼とした場所で、平坦で味気ない土地の上には、たくさんの建物が建っている。にもかかわらず、ひどく閑散として見えるのは不思議なことだ。それはおそらく、人間の気配が希薄すぎるからだ。まるで倉庫街かゴーストタウンのように、ここには人間の温かみが感じられない。私はこの街の住民だ。私の家は3階建て(あるいはそれ以上)の一軒家で、今、私はその建物の最上階にいる。別の階には家族もいるような気がするが、姿は見えない。時間帯は遅めの夕方というか、薄暮の頃なのだろう。不意に、遠くのほうから自動車が近づいてくる音と、「ガシャーン」「ドカーン」という凄まじい音が続いた。見ると、眼下の右側から大型トラックが暴走してきて、そのあたりの建物に手当たり次第に激突している。激突された建物は次々に炎上し、街は見る見るうちに焔の海に飲み込まれ始めた。私は階下の家族に向かい、「ねえねえ、ちょっと来て。凄い物が見られるわよ」と声をかけた。大事件が起こっているにもかかわらず、まるで花火大会でも見物しているような気分。この家のある地区は、結界あるいはシールドによって守られており、決して被害に遭うことはないらしいのだ。階下からは、「お客様が来ていらっしゃるから、またあとで伺うわ」という、義姉の悠長な声が聞こえた。私は息子と一緒に外に出て、大声で夫を呼んでいる。夫は外出していたらしいのだが、名前を呼ばれるとジープのような車を運転して猛スピードで帰って来た。そして、そのまま例の大型トラックを追跡しようとするので、私と息子は急いでそれを静止した。息子が、1台の暴走トラックが街を破壊していることを夫に告げている。その言葉遣いを聞いて、息子が小さな幼稚園児に戻ってしまったことを知った。(せっかく高校生に育っていたはずなのに、いつの間に幼稚園児に戻ってしまったのだろう)と思ったところで目が覚めた。
【解説】 今夜の夢で印象的だったのは、燃え盛る焔の色である。街のいたるところが赤く輝き、薄闇の中で紅(くれない)の色が際立って見えた。恐ろしいはずの夢だが、臨場感がなく、何かのアトラクションでも見物しているようなイメージなのだ。なお『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「火事」の意味するところは「再出発・再生」で、火の勢いが強いほど幸運の象徴。「トラック」の意味するところは「自分に課せられた責任とノルマ」で、トラックが大きいほど責任やノルマも大きいそうだ。



26日●鍋料理
円卓の上に、驚くほど大きなお鍋が載っている。私は大好きな人たちと一緒だ。私が大学を卒業した年の夏に亡くなった、大好きだったおばあちゃんの姿が見える。おじいちゃんの姿も見える。家族も勿論、全員揃っている。もっと大勢いたようだが、誰だったか具体的には思い出せない。しかし、私の大好きな人ばかりだ。私は鍋をつついている。とても幸福な気分。このまま時が止まってくれればいいのにと思っている。
【解説】 本当はもっと長い夢だったような気がする。お鍋をつついていたシーンは、その中のごく一部なのだと思う。全体に温かく、懐かしい夢だった。



27日●気の進まない縁談と楽しいロッククライミング
請求書が届いた。額面を見ると「838」とある。単位はどうやら米ドルらしい。何に対する対価かハッキリとは思い出せないのだが、本当の値段はせいぜい1ドルか2ドルだったのだ。838ドルは明らかなボッタクリである。幼い息子が心配そうに請求書を見ている。私は半分笑いながらその請求書を破り捨てた。場面が変わり、田舎の材木工場のようなところ。隣接する2階建ての古い家には、ここの社長とその老母が住んでいる。どうやら社長と私の間に縁談が持ち上がっているらしい。しかし、社長という人はただ朴訥なだけの若年寄のような男で、何の意思表示も精彩もなく、「生きる感動」が微塵も感じられないのだ。当然のことながら、私はこの縁談に全く気が乗らない。うまい断り方はないものかと考えていると、そこへ再び幼い息子が現われて、「母じゃ、そなたはもう結婚しておられるではないですか」と、昔の人のような言葉遣いで言いながら笑った。それを聞いてようやく私は自分が結婚していることを思い出し、ほっとしながらその場から立ち去った。場面が変わり、オーストラリアのどこか。私たちはこれからロッククライミングをしようとしている。夫と息子の姿が見えるのだが、息子は相変わらず3〜4歳の幼児のままだ。娘はこのあとで合流することになっているのかも知れないが、今は姿が見えない。私たちは、別の家族と合同でロッククライミングに挑む予定である。しかしよく考えてみると、相手の家には1歳ぐらいの赤ちゃんがいる。「赤ちゃんを連れてロッククライミングは無理だぞ。今回はうちの家族だけで岩登りをしよう」と夫が言うと、息子が喜んで同意している。ふと装備を見ると、手袋だけが足りない。私たちは手袋を買いに行くことにした。軽快な足取りで店に向かいながら、私は心のなかで(赤い手袋にしよう)と思っている。
【解説】 請求書が届き破り捨てる最初の場面から、気の進まない縁談を断ろうと方法を悩んでいる中盤、そしてロッククライミングの準備をしている最終の場面まで、すべては唐突に進んだ感じがある。その中で共通していたのは、幼い息子が常にそばにいたことだ。現実世界では、息子は既に高校生。しかし末っ子のせいか、彼はしばしば未だに幼い姿のまま夢に現われる。娘が海外の大学に進学し日本を発ったあとは、夢の中の息子は成人した姿で現われるようになったのだが、大学の休みで娘が一時帰国している現在は、夢に登場する息子が再び幼児に逆戻りしてしまった(苦笑)。要するに私の中では、娘(上の子)が近くにいる限り、息子(下の子)は赤ちゃんのままらしいのだ。このあたりの“母親の深層心理”は、我ながら本当に不思議なものである。



28日●水田を踏み潰した娘を叱りつける
いかにもヨーロッパの片田舎らしき風景。しかし周囲に見えるのは、何故かインド人の若い男ばかりだ。私は娘と息子を連れている。娘は小学4〜5年生、息子は3歳ぐらいに見える。目の前に広いハイウェイが伸びていて、ガードマンらしき人たちが交通規制を始めようとしている。どうやらこれから何かの祭りが始まるらしいのだ。パレードが始まると、数時間は道路の横断が出来なくなるらしい。精悍な顔つきのインドの男たちが、「今だ、渡っちゃえ!」などとヒンディー語で叫び、笑いながら道路を横切っていった。ガードマンが、「立ち入り禁止」を意味する赤い三角錐を道のあちこちに置き始めた。私は息子と娘の手を引き、ときどき猛スピードで走ってくる自動車をよけながら、どうにか道の反対側に渡ることが出来た。そこには見渡す限りの水田と葡萄畑が広がっていた。気がつくと娘の姿が見えない。目で追うと、遠くの水田の中を笑いながら駆け回る娘の姿が確認できた。彼女は水田を片端からぐちゃぐちゃに踏みつけて破壊しているのだ。農家の人たちが口々に怒っている。私も娘をつかまえて、大声で叱りつけた。ところが娘は相変わらず笑いながら、「だって楽しいんだもん」という意味のことを言った。私はさらに激しく怒りながら、「そんな自己中心的な態度では、○○さんのようになっちゃうわよ」と娘を脅した(注/○○さんは、素行の悪さで知られるプチ有名人)。しかし娘は相変わらず笑っている。ふと、目の前にテレビが置いてあることに気づいた。ちょうどニュースの時間らしく、画面には目下世間を賑わせている姉歯建築士が映っていた。彼の普段の様子を話すために、母親までがテレビに登場した。母親の苗字は「母歯(ははは)」、下の名前は「理(り)」というらしい。「姉歯の母は母歯」と声に出して言ってみてから、私はおかしくなって爆笑し始めた。あまりおかしいので、おなかが捩れるほど笑い転げ、そのうちに自分の笑い声で夢から覚めてしまった。
【解説】 今夜の夢では、珍しく娘までが子どもの姿に戻ってしまっていた(彼女の実年齢は20歳です)。夢の中で真剣に怒ったり、おなかが捩れるほど爆笑したり、かなり喜怒哀楽の激しい夢だったと思う。なお、夢に登場した「姉歯(あねは)建築士」とは、現在大問題になっているマンションなどの耐震強度偽装問題の渦中の人。

【後日談】 夢を見た翌朝、娘に会うと開口一番に、「夢の中でママン(私のことを娘はこう呼んでいます)から叱られたわよ」と言われた。「え。本当に? 私も夢の中でリア(娘の名前です)を叱り倒してたんですけど」と答え、ふたりで驚きながら苦笑した。夢であれ現実世界であれ、私が娘を叱ることは、きわめて稀である(と言うのも、彼女はそもそも悪いことをしない子なので)。それが今夜に限って、ふたりそれぞれの夢の中で叱ったり叱られたりしていたとは。不思議なこともあったものだ。ちなみに現実世界では、娘には色々と仕事を手伝ってもらっており、礼を言うことはあっても叱る理由はひとつもないのだが。


29日●この世の終わり
どこかで放射能が漏れたらしい(あるいは核戦争が起こったのかも知れない)。避難勧告が出される。しかし、どこへ逃げたところで結局は助からないのだろう。妙に覚めた気分。死の灰が降ってくる。幼い息子を連れて、どこか知らない場所を移動している私。
【解説】 今夜の夢は非常に長大で、ほとんど一晩中何かしら夢を見ていたような気がするのだが、起床してみると全体のストーリーをすっかり忘れてしまっている。唯一覚えているのが、放射能云々の場面だけなのだ。その他の部分は、もっと楽しい夢だったような気がするのだが。それにしても、このところ幼い姿に戻ってしまった息子の夢を立て続けに見るが、これは一体どうしたことか。


30日●娘から意見を求められる
娘がやって来て、「この飛行機に乗ろうと思うんだけど、これでいいかどうか見てくれない?」と言う。見ると、彼女の手には1枚のチケット。私はそのチケットをパッと見て、「ああ、この飛行機でいいと思うわよ」と答えた。娘は安心したような顔で向こうへ行った。暫くすると再び娘がやって来て、「この洋服を買おうかと思うんだけど、これでいいかどうか見てくれない?」と言う。私は「色もデザインもいい服ね」と答えた。娘は安堵したように頷きながら、再び向こうへ行った。その後、また娘がやって来て、「このマンションに住もうと思うんだけど、ここでいいかどうか見てくれない?」と言った。私はマンションの中を見た。「明るくて暮らし易そうなマンションね」と答えると、娘はホッとしたような顔で向こうへ行った。(この次に娘が現われるときは、きっと「この人と結婚しようと思うのだけれど、いいかどうか見てくれない?」と質問してくるに違いない)と私は思っている。
【解説】 今夜も再び娘の登場である。次々に娘から意見を求められ、私はそのすべてに同意している。もう少し長く夢を見続ければ、娘の未来の旦那さんにも逢うことが出来たのかも知れない。現実世界では、彼女はどんな男性を選んで連れて来るのだろう。今から楽しみだ。




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