2006年4月


1日●改名と龍宮城とデパートの福袋
弟から手紙が届いた。封筒の表には「大姉殿」、裏には「弁慶」の文字。巻紙風の便箋には、なにやら漢字だらけの難しい文面で「このたび、小生の名前が弁慶から○○○○に変わりましたので、謹んでお知らせいたします」というような意味のことが書かれていた(○○○○の部分が何だったかは思い出せないのだが、そこにはいかにも武士らしい名前が書かれていたように思う)。それを読んですぐに私は、今日がエイプリル・フールであることを思い出していた。場面が変わって、見覚えのない建物。夢の中では私の自宅という設定になっているのだが、そこは高層ビルの屋上で、全体に水族館のような雰囲気だ。よく見ると、むしろ乙姫様の住む龍宮城のようでもある。水槽越しに、編集者の芝田さんが歩いている姿がユラユラと揺れて見えた。芝田さんは私には気づかず、そのまま夢の画面の右から左へまっすぐに歩いて行った。その姿を見て、何故か私は(今そこを歩いているのは現在の芝田さんではなく、私と逢う前の5年前の姿なのだ)と思う。再び場面が変わり、デパートのティーンズ用品売り場らしき場所。大きな台の上に福袋が積まれており、40代と思われるサラリーマンがふたり、台の上に身を乗り出すようにして何やら話し込んでいる。そのうちのひとりは、どうやらタバコを吸っていたようだ(注/このデパートは全館禁煙らしい)。ふたりともどことなく下品というか、妙にふてぶてしい感じのする人たちだ。サラリーマンと言っても、堅気な仕事ではないのかも知れない。私は彼らを無視したまま、目の前の福袋に近づいた。袋の口が大きく開いていたので覗いてみると、中身はティーンズ用のセーターで、サイズ的には私にぴったりだ。いくつか積まれた袋の中に、自分の趣味にピッタリ合うセーターやカットソーばかりが4〜5枚入った袋を発見。値段は2,000円らしい。あまりの安さに驚きながら袋を持ってレジに向かおうとする私に、例のサラリーマンが非常に馴れ馴れしい口調で、「ねえ。これとこれ、どっちが俺に似合うかな。いつも子どもから『お父さんはかっこ悪い』って言われちゃうんだよね」と声をかけてきた。私はとても冷たい口調で「どちらもアナタには似合いませんから、どうぞご心配なく」と言い放つと、口をぽかんと開けて驚いている男達をその場に置き去りにしたままレジへと向かった。

【解説】 今夜の夢は3つの異なるパーツに分かれ、それぞれがどう繋がるのかよくわからない内容であった。夢では弟の名前が変わるのだが、現実世界で彼の身の上に最近何か変化があったかどうか、私は知らない(ちなみに「弁慶」は弟のニックネームです)。最後の夢は、自分の好みに合った商品に格安で出会えたにもかかわらず、すぐ近くに感じの悪い男性がいるというストーリー。しかし結局のところ、私は辛辣な言葉で彼らを撃退してしまう。これがどういう意味なのかはわからないが、少なくとも自分の好みの品を手に入れることは出来たのだから、とりあえずは「めでたし、めでたし」ということなのだろうか。今夜の夢はタイトルの付けようがなかったので、「改名と龍宮城とデパートの福袋」としたが、実際には、それぞれのストーリーの後ろにいる男性たち(弟、編集者、見知らぬサラリーマン)の存在も印象的だった。今夜の夢は、個々のストーリーもさることながら、彼らの存在自体に意味があったのかも知れない。



2日●棚から帽子を取る
すぐ横に弟が立っている。私は腕をまっすぐに伸ばして、高い棚の上に置いてある帽子を取った。それは鍔(つば)が広く優雅な感じのハットで、色は白っぽいベージュ。どこかにオレンジ色のアクセントが入っていたように思う。その帽子は、どうやら私のために在るらしい。

【解説】 昨日に引き続き、またしても弟の登場である。ここ暫く弟とは連絡を取り合っていないが、2晩連続で彼が夢に現われるのは珍しいことだ。明日あたり電話してみようかと思う。現実世界の私は「帽子」というものを被らない人なのだが、今日の夢では棚の上に置いてあった帽子を手に取っていた。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「帽子」は「権威の象徴」だというが、それが具体的に何を意味しているのかは定かでない。



3日●東北3県でキッチンウェアを探す
私は何かキッチンウェアを探している。具体的に何を探していたのかはわからないが、それは食器のように小さなものではなく、例えばシンク(流し台)のような大型商品だったように思う。そして、私が探しているものは「A」で始まる名前の東北3県のどこかにあるらしい。すなわち、「青森」「秋田」と、もうひとつ頭文字が「A」で始まる県だ(何という名前であったか思い出せないので、ここでは仮に「A県」としておく)。青森、秋田両県を歩いても目指すキッチンウェアと出会うことが出来なかった私は、最後にA県に辿り着いた。しかし私が歩き回っているのは賑やかな商店街ではなく、何故か林や田んぼの中など淋しい場所ばかり。見渡す限り何もない田んぼの中で農作業をしていた30代ぐらいの女性に、「このへんにキッチンウェアのお店があると聞いて来たのですが」と尋ねたところ、彼女はすぐに頷いて、農作業には相応しくないオシャレ系の洋服のどこかから黄色い携帯電話を取り出し、誰かに電話をかけて店の場所を確認してくれた。その携帯は目が覚めるほど美しい色とフォルムで、スポーツカーのPORSCHE(ポルシェ)を髣髴させるデザインだ。彼女の指示に従ってさらに別の場所へ移動すると、そこは高い崖の上のような土地である。見渡す限り人家はなく、全体に荒廃した雰囲気だ。もしかしたら最近、戦争があったのかも知れない。眼下にはかなり幅の広い川が流れ、すぐ目の前にはトンネルの残骸らしき建造物が見える。ここまで案内してくれた女性(先程の女性とは別人)の声が、「このへんの町はみんな破壊されてしまったんです。このワニなんかまだ生きているのに、こんな場所に取り残されてしまって気の毒でしょう?」と言っている。彼女が示したところを見ると、トンネルの端にある壊れかけたガードレール(?)の内側に、ナメクジのように小さな生き物が3匹這っているのが見えた。よく見るとそれはワニの赤ちゃんだ。私は妙にさばさばした気分になって、こう言った。「気の毒どころか、むしろその逆ですよ。町が消えたことは、ワニや他の動物達にとっては幸せなことでしょう。なにしろ一番の天敵である人間が住まなくなったんですもの」。すると案内人たちが無言で「なるほど」と頷く気配がした。

【解説】 今夜の夢は意味不明なストーリーではあったが、そのなかで印象的だったのは「Aで始まる3つ目の東北の県」「黄色い携帯電話」「ワニの赤ちゃん」だった。東北にある頭文字がAの県と言ったら「青森」と「秋田」の2県だが、夢のなかでは確かに3つ目のA県が存在していた。それが何という名前の県だったのか思い出そうとするのだが、どうしても思い出すことが出来ない。次に、農作業中のオシャレな女性が持っていた黄色い携帯電話だが、その黄色はハッとするほど明るく美しかった。最後に登場したナメクジ大のワニの赤ちゃんも、かなり奇妙だった。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「北に向かう夢」は「困難や障害」、「黄色」は「幸福/希望/エネルギーの象徴」、「ワニ」は「この山を乗り越えれば幸運を手にする予兆」の意味。夢全体の流れとしては、「今は困難に直面しているが、やがて意外な場所から希望が得られる。この困難を乗り超えれば幸運を掴める」といった意味だろうか。「キッチンウェア」という項目は残念ながら掲載されていなかったが、「キッチン」の意味は「あなたの創造力を発揮する場所。あなた自身の生活や心の豊かさが反映され、あなたの知識や経験を上手に活かすことが出来る場所」だそうである。今夜の夢の中で、私はキッチンウェアを探していた。このことは、想像力や知識を活用するために必要な部品(あるいは人材?)を探したいと願う私の心の現われなのかも知れない。



4日●……
【解説】 疲労が出たのか今夜は頭が痛く、夢らしい夢は見ていない。



5日●お絵描き
私は床の上にペタッと座り込んで、白い紙の上にクレヨンでお絵描きをしている。それは大人の態度ではなく、どこからどう見ても幼児のようだ(但し外見は現実のままなのだが)。同じ室内の少し離れたところには、数人の大人の男女がいて、それぞれ勝手に座り込んでお絵描きをしている。彼らは20代ぐらいの若い人たちだ。その中のひとりは知り合いのJさん(20代の男性)である。そこにJさんがいるとわかっても、私は挨拶ひとつしようとしない。Jさんもこちらを見ようともしない。私たちは全員がお互いに無関心で、稚拙な自分の世界に入り込んでいるようだ。私はクレヨンを手に一心に何かを描いているのだが、何を描いていたのかは覚えていない。特に意味のある「形」を描いていたのではなく、ぐちゃぐちゃと画面を塗りつぶしていただけかも知れない。不意にJさんが床から立ち上がり、苦しそうに胸のあたりをさすりながらトイレに向かったときも、私はJさんを助けようともせず絵を描き続けていた。Jさんは気分が悪いらしい。それでも私は、外界から隔絶された人のように黙ってJさんを眺めている。よろよろと歩いて行くJさんに気づいた22〜3歳の女性が「大丈夫?」と言いながらJさんを助けに行った。私はそれでも床に座って黙り込んだままクレヨンを動かし続けている。

【解説】 今夜の夢は実に奇妙で、自分が自分ではないようだった。現実世界では、相手が知り合いであろうがなかろうが、こんな状況で病人を助けに行かないなどあり得ないことだが、夢の中の私は、まるで他人との交渉の仕方を全く知らない赤ん坊のような態度で、善意がない代わりに悪意もなく、その状況をただ「見ている」だけなのだ。どうにも不思議で納得の行かない夢ではあった。なお、Jさん+その仲間とは現実世界でも今週お目にかかることになっている。

【後日談】 この夢を見た数日後、現実世界でもJさんとその仲間に逢った。そのときに聞いた話によれば、Jさんは少し前に事故で腰に傷を負ってしまい、その後遺症で夜も眠れないことが少なくないらしい。鎮痛剤は胃を痛めるので、夜は薬を飲まずひたすら痛みに耐えているのだそうだ。夢の中のJさんもひどく苦しそうだったが、現実世界でも体調は良くないという。しっかり養生して早く元気になって欲しい。


6日●明るいデパート
明るく広々としたデパートのフロア。色彩的には黄色かオレンジのイメージ。すぐ近くに友達のJさんがいたような気もするが、あるいは気のせいかも知れない。私はここで、ずっと探し続けていた何かを見つけたようだ。「これ、これ! これが欲しかったのよ!」と心のなかで思う。幸福な気持ち。

【解説】 今月1日に引き続きデパートの夢。しかも、昨夜の夢に登場したJさんの再登場である。今夜はブースケ(愛犬)に“さかり”がついて、一晩中ウゥウゥと唸る声が実にやかましかった。そのため全般に眠りは浅かったのだが、夢のこの部分だけは鮮明に覚えている。ちなみに『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「デパートで気に入った物が見つかる夢」の意味は「自分自身の才能が開花できる」だそうである。幸先の良いイメージの夢だった。



7日●3と6の最大公約数
気がつくと私は、見知らぬ日本家屋の廊下に立っていた。それはかなり古い家で、廊下の台の上には黒電話が置かれている。私はその電話から初恋の人に電話をして「同志社大学工学部合格おめでとう」と告げている。そのあと私は愛犬のブースケとパンダを連れて外に出た。田舎の畦道のようなところを散歩しながら、「3と6の公約数が何だったか」思い出そうとしている。3も6もそれぞれ1と3で割り切れるのだから、最大公約数はそのうち大きいほうの数字である「3」だと思うのだが、ここはやはりアルゴリズムを使って確かめたほうがいいのではないかという疑念が首をもたげた。確かユークリッドの互助法というものがあったと思うのだが、それがどういう考え方であったか思い出せない。考えながら歩いているところで目が覚めた。

【解説】 最初から最後まで意味のわからない夢だった。3と6の最大公約数を求めるのにわざわざユークリッドまで持ち出すのは大仰だし、初恋の人の進学先は同志社ではなく明治だった。夢から覚めて珍しく数学の教科書を広げ、ユークリッドの互助法について復習してみた。いつかどこかで役に立つかも知れないから、これは覚えておこうと思う。



8日●神々しい光のあふれる帆船
ブースケとパンダを連れてビーチに来ている。目の前には、ひと気の少ない美しい海(または大きな湖)。そこは湾のようになっていて、水面には波ひとつなく穏やかだ。ブースケは猫になったらしい。人間の近くでじっとしているのに飽きたのだろう、彼はどこかへ行ってしまった。家では猫のように奔放なパンダはと言えば、忠犬らしく飼い主(私)のそばにぴったりと寄り添っている。今は夕暮れ時か、または太陽の昇る暁の時らしい。日の光が水面いっぱいに広がり、絵のように美しく神聖なイメージをつくっている。沖のほうから非常に速いスピードで、一隻の帆船がやって来た。一目見てすぐに英国籍の帆船だと直感する。それは実に不思議な船で、全体が何か光り輝く素材で出来ているのだ。地球上の素材だとすれば、ダイヤモンドか水晶だろう。しかし目の前の帆船はダイヤ以上に美しく、ほとんど神々しいほどの輝きを放っているのだ。私はその感動を記録しようとカメラを向けるのだが、なにしろ帆船はバレリーナのようにくるくると水面を動き回っているため、なかなか写真が撮れない。写真は諦めて、私はその光景をみずからの網膜に焼き付けることにした。光り輝く海と、全体が光のようなもので出来た一隻の帆船。こんなにも美しい光景を、かつて見たことがあっただろうか。私は呼吸することも忘れてその光景に見入っている。

【解説】 今夜の夢は、文章や絵を含むいかなる方法をもってしてもおそらく伝えきることが不可能な、この世のものとは思われない完璧な美しさに満ちていた。生きているあいだに、あれほど美しい夢をもう一度見ることは二度とないかも知れない。そう思うほど神々しく、光にあふれた夢だった。しかも夢の中で帆船を見たとき、反射的に「英国籍の船だ」と直感したのも不思議なことである。実は近々、大事な仕事でロンドンに行くことになっている。この仕事は私の人生がかかった、非常に大きなターニングポイントとなるであろう仕事だ。今夜の夢は、かなり幸先の良いイメージにあふれた夢であった。なおブースケは、現実世界では「さかり」がついて、ここ数日は人間を見ても興味さえ示してくれない。そのことも今夜の夢には投影されていたようだ。



9日●坂道でダンボール箱を引く
目の前に長い長い一本道が続いている。その道は、すぐ目の前がゆるやかな下り坂、少し先が「底」で、そのあとは長い上り坂になっている。私は今、その下り坂の部分を歩いている。道の両側にはどこまでも森が広がっていて、どこにも人家は見えない。気がつくと私は、紐のついたダンボール箱のようなものを引っ張っていた。箱は軽く、おそらく中は空っぽだったのではないかと思う。何の理由があるのか定かではないが、私はどうしてもそのダンボール箱を捨て去ることが出来ない。その箱は私にとって何か特別なものらしいのだ。そのうちに目が回って、私はまっすぐに歩くことが出来なくなってきた。足がもつれ、道の上に倒れてから初めて、そこに雪が積もっていたことに気づく。小学生ぐらいの3人姉妹が近づいて来て、私を介抱してくれた。しかし、いかんせん彼女たちは世の中のことを知らないらしく、「この人は寒がっているから、雪の布団をかけてあげましょう」などと言いながら、私の身体に雪を乗せ始めてしまった。これでは凍死してしまう。どうにか自力で起き上がってみると、もう子どもたちの姿はない。私は雪を振り払い、再びダンボール箱の紐を引っ張って坂を下り始めた。

【解説】 今夜の夢も、まったく意味のわからないストーリーだった。上り下りのある長い坂道は、まるで人生の象徴のようにも見えたが、引っ張っていたダンボール箱が意味不明である。中身が空っぽなら捨ててしまえば楽になるだろうに、何故か箱を捨てようとしなかった夢の中の自分が不思議だ。手持ちの本(『夢の事典』)を調べたものの、残念ながらダンボール箱の意味は載っていなかった。



10日●岩山とテレビ番組の撮影
テレビ番組の撮影クルーが私の山小屋を撮影に来た。ただしそこは実際に山小屋がある場所とはまるで違っていて、斜面が急なうえ、ごつごつした剥き出しの岩肌が続いている。クルーメンバーは3〜4人で、私や私の家族に「山小屋から麓の村までスキーで滑ってください」などと時折り注文を付けてくる以外は、とても静かだ。私たちはスキーで山小屋に向かっている。近くには夫と、小学生ぐらいになった娘、幼稚園児ぐらいになった息子の姿が見える。しかし至るところ岩が剥き出しで、雪量が極端に少ないため、ともすればスキー板が止まりそうになる。しかもそこは見たこともない場所で、山小屋がどこにあるのかすらわからないのだ。「家はどっちだったっけ?」と家族と声をかけ合いながら、私たちは岩だらけの急斜面を滑っている。

【解説】 今夜の夢は、現実世界で昨日起こった2つの出来事がごちゃ混ぜになった感じだった。現実世界で起こった2つの出来事とは、ひとつは某テレビ番組への出演依頼、もうひとつは今週末に予定される講演会用にカウラの写真を準備したことである(※カウラはオーストラリア先住民の言葉で「岩が多い場所(rocky place)」を意味し、至るところが岩だらけだ)。この2つの出来事がミックスして今夜の夢になったらしい。実際には大学生(娘)と高校生(息子)になっている子ども達が夢の中で幼い姿になっていた理由は、よくわからない。



11日●桜の季節を旅する
桜が満開だ。私は旅をしている。一緒にいるのは娘と夫と母、それに知人のK子さん(60代の女性)。途中、どこへ行って何をしたか記憶はないが、どこへ行っても決まって桜が見える。桜吹雪が舞っている。足元を見えると、私の靴の上にもピンク色の花びらが降り積もっている。気がつくと私と娘はバンガローのような簡易宿泊所で泊まっていた。どれぐらい時間が経ったのだろう。気がつくと朝で、夫が母とK子さんを伴って部屋に入って来た。聞けば3人は宿には泊まらず、外に停めた自動車(バン?)のなかで仮眠を取っただけだという。私は驚きながら、疲れた様子の母とK子さんにベッドで寝るよう勧めている。

【解説】 今夜も奇妙な夢だった。私の母は今も非常に元気だが、年齢的には70を過ぎている。一方のK子さんは、私の家族とは面識がない。彼女はとても60を超えているようには見えない若々しさ(しかも170センチ近い長身で女優さんレベルの美人)だが、実は持病を持っていらっしゃる。そんな母とK子さんが車の中で仮眠を取り、娘と私が宿のベッドで寝るということ自体、現実ではあり得ない話だ。桜の季節を旅していたにもかかわらず、どこか秋のようなイメージの夢だった。



12日●インドのどこかにある夢のような遊園地
私は旅をしている。一緒に旅をしているのは、両親ほか数人(具体的に誰だったかは思い出せない)。そこはインドらしいのだが、現実のインドとは全く様子が違っている。空港のようなところで、中国人と韓国人の男性に出逢った。ふたりとも私より少し年上で、中国人は饒舌でやや肥満体、韓国人は無口で痩せている。私たちは何故か全員一緒に旅をすることになった。中国人の男性は、その間ずっと「結婚しましょう」と持ちかけてくる。私が「冗談じゃありません。貴方も私も既婚者ですよ」と苦笑すると、「それはそれ、これはこれ」と言ってシレッとしており、不真面目極まりない。韓国人の男性は心配そうにその様子を見ている。私たちは10人ぐらいでホテルの一室に泊まろうとしているらしいのだが、夜になると、くだんの中国人男性はふらりと外へ出て行った。私はホッとして韓国人の男性と何か真面目な話をしている。部屋の壁際には両親が座っているが、彼らは何故か一言も発しない。そのうち韓国人男性の姿も消えた。私はふと、この近くに素晴らしく楽しい遊園地があったことを思い出した。ここはインドのどこかで、ずっと以前にも来たことのある場所だ。カルカッタかも知れないが、そんな地名ではなかったような気もする。前回来たとき、私はその遊園地に行ってみた。そのときは若すぎて気づかなかったが、あの遊園地は、この世のものとも思われない夢のように楽しい場所だった。私は再びその遊園地に向かおうとしている。浮き浮きと弾む心。夜闇の中に浮かぶ鮮やかな光の海。楽しいリズムがメリーゴーラウンドから聞こえてくる。

【解説】 現実世界ではここ最近、私の中で「インド」が再び大きな意味を持って膨張している。そもそも私にとって「インド」は人生最大のテーマなのだと、しみじみ思う今日この頃だ。そのことが今夜の夢にはよく現われていたように思うのだが、途中で中国人と韓国人が現れた意味はよくわからない(注/私のこれまでの人生で中国や韓国に熱中した時期は1度もない)。なお『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「遊園地」の意味は「無邪気な遊び心を取り戻したい/スピードとスリルを味わいたい気分の表われ」、「メリーゴーラウンド(に乗る)」意味は「単調な毎日に飽き飽きしていることを表わす」そうだ。この診断は当たっていると思う(笑)。



13日●国連でスピーチをする
国連の会議場らしきところ。女性の姿がほとんどだったような気がするので、国連女性会議かも知れない。私はそこで10分ほどの短い英語のスピーチをしている。テーマは「教育」だったように思う。スピーチを終えると拍手が起こり、私は簡単な謝辞を述べた。場面が変わったのか会議場の続きなのか定かではないが、今度は3人の若い女性と一緒にいた。彼女らは全員日本人で、年齢はおそらく20代。理知的だが明るい顔立ちだ。陰険さや暗い翳りはみじんもない。私は3人を連れて次の場所へ行こうとしようとしている。
【解説】 今夜は膨大な量の夢を見たような気がするのだが、この場面しか思い出すことができない。昨日までと比べて夢の内容が一歩進んだというか、自分の中で何かが吹っ切れ、(人生の)次のステージへ進んだイメージの夢だった。



14日●娘とカメラと白い龍
どこか旅先の宿の一室。娘から「私のカメラを持って来てくれる?」と頼まれたらしい。(娘の)デジタルカメラを持って彼女のところへ向かう途中、何故か私はケースからカメラを出して、既に撮られた写真をスクリーン上で見たらしい。あとで娘から「カメラが壊れるから、勝手に覗くのはやめてね」と叱られたようだ(このへん、詳しいことは覚えていない)。暫くして、再び娘から「私のカメラを持って来てくれる?」と頼まれたようだ。カメラを持って行く途中、小さな野外ステージのような場所を通りかかった。ステージの上では数メートルもある巨大な架空の動物がくねくねと身体を躍らせていた。コミカルな表情の白っぽい龍だ。私は思わず娘のカメラを取り出し、龍に向かってシャッターを押してしまった。龍の後方に鮮やかな青色の垂れ幕が下がっているのが、何故か印象的だった。やがて宿の一室に戻った私は、再び娘に叱られている。叱られると言っても、小さな子どもを諭すような口調なので、少しも怖いことはない。娘の顔は、どこかが少し変わったようだ。鼻筋が高くなったようだし、目も一回り大きい。一瞬(もしやこの人はニセモノ?)との疑問が首をもたげた。不思議なことに、叱られながらも私は娘の顔をカメラのレンズ越しに覗いていたようだ。大きなハチが飛んできてブンブン唸っている。そのハチに刺されることはなかったが、私は心のなかで(このハチは何かの注意を喚起する使者に違いない)などと思っている。
【解説】 確かこの前後にもストーリーがあったように思うのだが、「娘に叱られるシーン」と「龍」と「ハチ」がとても印象的で、あとの場面を忘れてしまった。昨日は現実世界でも、娘やそのお友達と(ネット上で)さんざん「顔」にまつわる話をした。夢の中で娘の顔が変わって見えたのは、そのせいかも知れない。「カメラ」がしつこく登場した理由はよくわからないが、現実の私は、たとえそれが家族の持ち物であろうとも、無許可で覗いたり使ってしまうことは絶対にしない。娘は現在シドニーでひとり暮らしをしているので、もしかしたら今夜の夢には「娘の最近の様子を(カメラで)覗いてみたい」という気持ちが現われていたのかも知れない。なお『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「龍」の意味は「非常に強いエネルギー。野心の表われ。特に白い龍は繁栄を表わす」、「ハチ」の意味は「誰かに反感を持たれているか自分自身に腹を立てている証拠。金銭面では臨時収入がある予感」だそうである。



15日●英国風の古い家で
英国またはオーストラリアの古い家。以前シドニーでホームステイさせて頂いたトーブマン家の人々(お母さんと娘たち)の姿が見える。私は椅子に座っている。その椅子はアンティークで、背もたれの布の部分に手刺繍が施されている。光と影。過去と現在。子どもの頃に愛読した『若草物語』にも似た懐かしい雰囲気。

【解説】 今夜の夢はもっと長かったと思うのだが、何故かこの部分しか思い出せない。ゆっくりと重厚な時間が流れているような夢だった。



16日●温かな雨の中を裸で駆けまわる
気がつくと、私は山の上にいた。その風景があまりにも美しいので、写真に撮って娘に送ろうと思う。しかし、ファインダー越しにさまざまなアングルから覗いて見るも、本物が持つ美しさには到底及ばない。私は諦めてカメラをしまい、鬱蒼と木が茂った山の斜面や、一帯の優美な風景を記憶に刻もうとしている。そのあと、運転席前のボンネット部分が膨らんだレトロなバスに乗って温泉に行ったような気もするが、具体的なことは覚えていない。場面が変わり、子どもの頃に住んでいた団地の前。私は裸でそのへんを走り回っている。その体形は子どもでもなく大人にもなりきっておらず、中学1年生ぐらいのようだ。お天気が良いのに、明るく温かな雨がスコールのように降っている。その雨は渡辺貞夫の「カリフォルニア・シャワー」を思い出させる。浮き浮きするような楽しい気分。時々あちこちでドッと水が溢れ、私は頭から水浸しになる。気がつくと、あたりは浅い温水プールのようになっていた。その中で私は完全に子ども心を取り戻し、無邪気に走りまわっている。友達が、「誰かが見るといけないから服ぐらい着たら?」と言ってくれたような気もするが、私は構わずそのままの格好で雨の中を笑いながら駆けまわっている。

【解説】 信じられないほど開放感に満ちた夢だった。夢の中の自分が裸というケースは非常に珍しいが、しかも子どもと大人の間(中学1年生ぐらい)の姿に戻っていたのも新鮮だった。子どもの頃の水遊びの楽しさを髣髴させるような、実に愉快で幸福な夢だった。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「雨」の意味は「物事を再生させる前段階/情熱的なエネルギー/新しいものを作り出す前に必要な浄化」、「裸」の意味は「精神的に嘘偽りのない本当の自分を見て欲しいと願う気持ち」だそうである。



17日●独占したがる俳優
なんでも独占しようとする俳優がいる。彼は、世界のルールはすべて自分を中心にまわっていると勘違いしているらしい。般若心経(?)のような仏陀の教えまでを独占しようとするので、私は彼に「良いものは皆で分け合いませんか」と提案している。おそらく悪気はないのだろう(あるいは単に頭が悪いだけなのかも知れない)、俳優は最初から最後まで笑っているだけだった。

【解説】 前後関係のわからない唐突な夢だった。この俳優さんは実在の人物(日本人)。テレビのトーク番組などで見る限り、性格の良さそうな人である。



18日●昔捨てた男から無理心中を迫られる
気がつくと私は劇場のような建物の2階バルコニー席にいた。すぐ横には交際中の男性(という設定の見知らぬ人)が立っている。バルコニーの向こう側は断崖絶壁で、下へ降りるためには縄梯子(?)を降りるしか方法がないらしい。しかも縄梯子は3メートル足らずで終わっており、完全に1階へ降りるためには縄梯子の最下部からさらに10〜15メートルほどの高さを“飛び降りる”必要がある。どう考えても無事に飛び降りられるはずのない、目もくらむような高さだ。しかし連れの男は私に手を貸そうともせず、笑いながらひとりでさっさと奈落の底めがけて飛び降りてしまった。そのとき私の左後方から、別の男が「寒いよ」と言いながら近づいて来た。彼は、私がかつて捨てた男性(という設定の見知らぬ人)である。おそらく彼は私への復讐を果たすためにやって来たのだろう。彼は異常なほど寒がっている。寒がりながらも私と一緒に奈落の底へ飛び降りようとして、私の肩を押したり突いたりする。彼はここで私と無理心中を図るつもりらしいが、私はこの男と一緒に死ぬ気はない。男の生死はわからないが、私は無傷で生き残るだろう。そのビジョンが私には見える。やがて男が「寒いよ」と言いながらもう一度私の肩を押し、ふたりはバルコニーの向こう側へ大きくダイビングジャンプをした。思い描いていたとおりのジャンプができたと思い、私は満足している。

【解説】 バルコニーの手すりの向こう側へ飛び出し、空中に浮いた場面で目が覚めた。気がついてみると布団がベッドの下へ落ちており、私自身の身体がひどく冷えているではないか。あわてて布団を直しながら(夢の中の男が寒がっていたのは、これが原因だったのね)と納得した。現実世界では一昨日ダン・ブラウンのミステリー小説を読んだばかりなので、そのスリリングなイメージが夢の中で再現されたのかも知れない。なお、夢に登場した2人の男性に見覚えは全くない。



19日●長老の名はアペステベンゴさん
誰かの婚約が整ったらしい。私は娘を連れて、新しく親戚になったアペステベンゴ長老の家へ挨拶に行くことにした。難しい名前なので忘れてしまわないよう、私は道中ずっと「アペステベンゴさん、アペステベンゴさん」と呪文のように唱え続けている。しかし私が到着したのはアペステベンゴさんの家ではなく、日本昔話に登場するような山の中の古い民家だった。しかも、一緒にいる人が娘から息子に代わっている。民家は江戸時代の頃の建物かも知れない。恐ろしく重い引き戸を開けて中に入ると、愛犬のブースケと新しく飼い始めたばかりの赤ちゃん猫がいた。家の外には、つんつるてんの着物を着た3人の女の子が遊んでいる。3人は小学校高学年ぐらいで、髪に大きなリボンを着けている。3人はブースケと猫を見るなり歓声をあげながら近づいて来た。ブースケと猫がどこかへ行ってしまいそうなので、息子と私はあわてて2匹を捕獲し、逃げられないよう家の中に閉じ込めた。そして2日分の餌と水を用意した。家の中にブースケと猫を置いて戸締りをした私は、家族とともに2泊3日の予定で東京へ行こうとしている。

【解説】 最初から最後まで意味不明な夢だった。そのなかで特にわからないのは、「アペステベンゴ」という聞き慣れない名前の長老の登場である。夢の中で彼は「新しく親戚になった人」という設定だった。ということは、アペステベンゴさんはおそらく私の娘の結婚相手のお父さん(またはお祖父さん)だったのではないだろうか。なお、私がブースケを置き去りにして遠出をするなど絶対にありえないし、猫を飼うこともまず考えられない。今夜の夢は辻褄の合わないところだらけだった。但し、古い民家と着物の女の子が登場した理由はわかる。現実世界で昨日は藤田嗣治展@東京国立近代美術館)を観に行った。会場では絵画や版画展示のほか、藤田が監督した短編映画も上映していたのだが、そのなかには古民家と着物姿の子ども達が大勢登場していたのだ。その残像が早速夢のなかに登場したということだろう。



20日●「迷子の山田真美ちゃん」と呼び出される
私はどこか一箇所を目指して歩いている。その場所には、古代文明の謎に関するとてつもなく面白い資料が保存されているらしい。胸を高鳴らせながら一心にその場所に向かう私。ところが実際に到着した先は、場末の工場か二流のスーパーのようなところである。ハッピを着た男や安っぽい着物を着た初老の女たちが「いらっしゃいませ」と声をかけながら客を招じ入れている。そこには古代文明のロマンはおろか、文化の香りすらない。落胆しながらも、折角だからと一応建物の中に入ってみる。そこは毛糸売り場で、指示どおりに編むと紫陽花(あじさい)模様のセーターが編めるという毛糸のキットが売られていた。デザインから設計図作り、製作まで全て自分の手でしなくては気の済まない私は、(お仕着せのキットなんて面白くない)と思い、何も買わずにその場を後にした。建物の中をうろついていると、不意に館内放送で「迷子の山田真美ちゃん、迷子の山田真美ちゃん。至急○○へお越しください」と呼び出されてしまった。○○(建物のなかにある部署の名前らしい)に向かった私は、そこで何かを見た(あるいは誰かに逢った?)ような気がするのだが、単に凡庸なイメージしか残っていない。

【解説】 今夜の夢は、一体何が言いたかったのだろう。何かを期待して出かけたが結果的には徒労に終わるわ、迷子にはなるわ、何ひとつ収穫らしい収穫のない夢だった。こういう夢を見たあと、少し損をしたように感じる私は欲張りなのだろうか(笑)。出来ることなら、夢の中身はもっと楽しく非現実的な出来事で溢れていて欲しい。



21日●A子さんの不愉快な行為
目の前に入り江が見える。涙のしずくのような形をした狭い入り江に沿って、舗道が整備されている。私は入り江が一番深くなっている場所に座り、海の風景をスケッチしている。近くに同い年ぐらいの女の子がいるようだ。私は小学生なのかも知れない。私が描いた海の絵を、A子さんがそっくり真似てしまったらしい。A子さんに対する不信感。不快な気持ち。

【解説】 「海の絵を描く」というと何か壮大なイメージがあるが、実際に私が描いていたのは小さな入り江で、そこには「海の絵」という言葉が持つスケールの大きさは微塵もなかった。A子さんは実在の人物。親しい付き合いはないので細かいことまでは知らないが、私が知っている限り真面目な人である。



22日●外国のホテルに泊まる
外国(おそらくヨーロッパまたはそれ以外の西洋のどこか)のホテルに泊まっている。茶色と黄色の温かなイメージ。近くに若い女性(娘?)がいる。

【解説】 今夜はかなり長い夢を見たのだが、目が覚めた瞬間、すべて忘却の彼方へと消えてしまった。そのなかで唯一覚えているのは「西洋のホテルに泊まっていた」場面だけである。そう言えばこのところホテルに泊まる夢をよく見るような気がするのは、気のせいだろうか。ホテルや旅館に泊まる夢は「休息を必要としている証」だと聞いたことがある。今日(日曜日)はゆっくり休憩をとることにしよう。



23日●おじいちゃん、おばあちゃんの家で
何という名前かわからないが、色とりどりの小さな花が小道に沿って咲き乱れている。その道をスキップしながら走っている自分の足もとが見える。私は小さな子どもに戻ったようだ。音を立てて引き戸を空けると、奥のほうから「真美ちゃん、いらっしゃい」という懐かしい声が聞こえた。靴を脱いで母から言われたとおりきちんと揃え、廊下の右奥にある洗面所で手を洗い、口を漱いでから小走りで奥の座敷に向かった。ふすまを開けると炬燵があって、そこにおじいちゃん、おばあちゃんが座っていた。おじいちゃんが嬉しそうに笑いながら「真美ちゃん、リンゴ食べるか」と言う。私はおばあちゃんの膝の上に飛び乗って甘えながら、おじいちゃんの剥いてくれたリンゴを食べている。広い庭では大小さまざまな蝶が乱舞している。リンゴを食べ終えたら、あの蝶々を採りに行こうと思う。
【解説】 どこまでも懐かしく、幸福な気持ちのする夢だった。夢に出てきた祖父は11年前、祖母は24年前に他界してしまったが、夢のなかでは元気そのものだった。最近、夢のなかで子どもの姿に戻ることが多くなったような気がする。現実世界で子どもの頃に戻りたいとは決して思わないが、(祖父や祖母が今も生きていてくれたら)と思うことはよくある。それほど私は祖父母の深い愛を受けて育ったのだ。長い歳月が経ても色褪せない幸福な記憶を持てたことは、つくづく幸せなことだと思う。


24日●隠れん坊する父の気配
私は何か乗り物に乗っている。後方の座席から、ふと父の視線を感じた。すぐに振り返って見たが、そこには誰もいない。私が前を向き直って暫くすると、再び父の気配を感じた。父は私のすぐ近くにいて、姿を隠し息を潜めているらしい。おそらく童心に返って隠れん坊でもしているつもりなのだろう。私は騙された振りをして、心のなかで(父が楽しいならそれでいい)と思っている。

【解説】 昨日に引き続き、亡くなった肉親の夢である。父は一昨年の秋に77歳で亡くなったが、不思議なことに亡くなった直後よりも最近のほうが、私の中に在る父の記憶はむしろ鮮明になってきた気がする。父は才気走って気が短く、かなり厳しいところのある人だったが、反面、飛び抜けてユーモラスな一面も持っていた。生前の父は、よく「アッパキュウ」と言っては死んだ振りをしていた。「アッパキュウ」の語源は全く不明だが、父と私のあいだでは、それは「苦しまずユーモラスにコロリと死ぬこと」の合図だった。小さな子どもを相手に「アッパキュウごっこ」などしていたのだから、考えてみると父もかなり不思議な人である(笑)。父が亡くなったのは、実は本人にとっては単に「アッパキュウごっこ」の続きに過ぎなかったのではないか。そんな気がしてならない今日この頃である。



25日●馬に乗って万里の長城を駆ける
私は馬に乗って万里の長城の上を駆けている。黄砂でかすむ広大な風景。横を並んで走っているのは曹操孟徳らしい。火急の用があるのか、私たちは無言のままこれ以上ないほどのスピードで馬を走らせている。急がなければ、万里の長城が崩れ去ってしまう。私たちの行く手には、秦の始皇帝が待っている。

【解説】 「
秦の始皇帝」と「曹操孟徳」が同じ時代に存在するという、史実を完全に無視した展開の今夜の夢であった(苦笑)。曹操が夢に登場するのは1年ぶりか、それ以上だろうか。小説などでは「稀に見る残忍な武将」として描かれている曹操が、たびたび夢に現われるのも奇妙なことである。ところで今夜の夢の中で私は誰の役を演じていたのだろう。謎である。
【後日談】 夢から覚め、インターネットで今朝のニュースをチェックしたところ、最初にいきなり「万里の長城、半分消滅?」という衝撃的なヘッドラインが目に飛び込んできた。それによれば、秦の始皇帝が基礎を造ったとされる万里の長城は、人為的な破壊および行き過ぎた商業利用による破壊が進み、全長3,000メートルの長城のうち良好な状態で残っている部分はわずか20%に過ぎないという(記事全文はこちら)。今夜の夢の中の私は、もしやこのニュースを知らせるために秦の始皇帝のもとへと急いでいたのだろうか? 現実と幻が織り交ざった、不思議な後味の夢だった。


26日●手の込んだ名刺
自分の名刺を作ろうとしている。白い紙の上に普通に印刷してみたが、これではどうにも芸がなさ過ぎる。何か手の込んだ趣向を凝らしたいと思う。色々考えた末、紙の上に漆(うるし)を塗ってみることにした。しかし、その結果は完全に満足できるものではなかった。そこで今度は、名刺の紙の上を薄い透明アクリル板(?)で覆ってみようと思い立った。私のすぐ横には、友達の蜷川有紀さんやマリ・クリスティーヌさんがいて、しきりに「ここはこうしたほうが素敵じゃないかしら」「そこはこうしたほうがいいんじゃない?」と貴重なアドバイスをしてくださる。そのあと、どこか別の場所へ出かけたような気がするのだが、具体的なことは思い出せない。

【解説】 「名刺」「漆」「透明アクリル板」など、一見わけのわからないアイテムが並んだ今夜の夢だったが、これらは全て実際に最近私の身の回りで起こったことに関係している。まず「名刺」に関して言えば、つい先頃、3年ばかり愛用した名刺ケースを新しいものに換えた(前のケースが老朽化したため)。次に「漆」だが、最近知人の漆アーティストにお目にかかった。また「透明アクリル板」は、昨日出かけた先のお寺にあった襖絵(重要文化財)が透明アクリル板で保護されていた。これらがそっくり夢に現われたものと思われる。なお、昨夜は現実世界で会合があり、蜷川有紀さんやマリ・クリスティーヌさんとご一緒だった。そのことも早速夢に登場したようである。



27日●宙を舞う犬
私は見知らぬ建物の中にいる。それは、平屋(または2階建て?)の建造物だが、全長が数百メートルはあって、驚くほど細長いデザインになっている。ほの暗い室内の、ひんやり湿った空気の感触。その中を一定方向に向かって歩いている私。途中、細長い駅のプラットフォーム(または電車?)の中を歩いたような気もする。顔見知りに会って立ち話をしたような気もするが、それが誰だったか、何の話をしたのは全く思い出せない。かなり長い距離を歩いたあと、目の前にあったドアを押し開くと、そこは戸外だった。太陽の光が眩しい。真白く乾ききった道路。熱気を帯びた湿度ゼロ%の空気。おそらくここはギリシアかスペイン、またはイタリアだろう。ドアを閉じようとしたが、何故かビール樽(?)が邪魔になって完全には閉まらない。最後の10センチほどが、どうしても開きっぱなしになってしまうのだ。このままでは防犯上問題だ。あとでセキュリティー担当者に報告しなければと思う。ドアを閉めることを諦めた私がその先へ進もうとしたとき、人っ子一人いない道路の向こうから痩せた大きな黒い犬が近づいて来た。犬種はおそらくドーベルマンだったと思う。犬は私のすぐ目の前でパッと飛び上がり、そのまま宙に浮いて一瞬静止した。そのあと犬は、私にぶつからないよう慎重に距離を測ってから、コマ送りの動画のようにぎこちない動き方で10秒間ほどパッパッパッと宙を舞い、私の頭上を飛び越えて反対側に着地した。犬は何事もなかったように立ち去り、私も何事もなかったようにそのまま道を歩いて行って、数メートル先にあった別のドアから再び建物の内部に入ろうとしている。

【解説】 ここで急に目が覚めてしまい、ストーリーは唐突に終わってしまった。ひと気のない場面の中に現れた1頭の痩せたドーベルマンが実に印象的な夢だった。暗く湿った室内と、乾燥しきった明るい戸外の風景のコントラストが絶妙で、音のない詩のような夢だった。



28日●イナバウアーで名刺を渡す
立ち飲みのバーのような場所。私がカウンターに向かってカクテルを飲んでいると、すぐそばへ2人の客がやって来た。それが誰だったかは思い出せないのだが、2人のうち1人は知り合いで、もう1人は初めて逢う人だったらしい。初めてのほうの人に名刺を渡す際、私は何故か上半身を大きく後方へのけぞらせて頭越しに渡そうとした。それを見て誰かが「イナバウアー!」と掛け声をかけてくれた。

【解説】 まるで意味不明な夢。しかも、この前後にあったはずのストーリーを思い出すことが出来ないのも残念だ。この次に現実世界でバーに行き、誰かに名刺を渡すことになったら、そのときはイナバウアーのポーズで渡してみようかと思う(もちろん冗談です(笑))。



29日●高層ビルからの落下物
歩道を歩いていると、建設中の高層ビルの上から何か硬くて大きな物が落ちてきた。それは私のすぐ目と鼻の先に落下。不幸中の幸いで誰も怪我をすることはなかったが、私は心のなかで(今日はビルからの落下物に気をつけよう)と思っている。

【解説】 高校生だったある朝のこと、いつも登校に使っている通い慣れた道を歩いていた私は、まったく唐突に(今日はこの道を通るのは危ない)と思った。そこで本能的にルートを変えて歩き出したところ、数秒後、いつも歩いているほうの道の先にある工事現場(3〜4階建てのビル)から、凄まじい音を立ててスパナが落下した。もし、いつもどおりのルートを歩いていたら、あのスパナはかなりの確率で私の頭を直撃していたことだろう。また、こんなこともあった。インドの首都ニューデリーで暮らしていたある日のこと、リビングルームのソファーに座って紅茶を飲みながら読書を楽しんでいた私は、またしても何の理由もなく(この場所はなんとなく嫌だな)と思った。そこで、読んでいた分厚い本と紅茶カップを手に立ち上がり、長いソファーの右端から左端へと移動した途端、物凄い音を立てて私の右横に巨大なシャンデリアが落ちてきたのである。最初の位置に座ったままだったら、私は頭部に大怪我を負うか、おそらくその場で死んでいたのではないかと思う。このように、昔から私はときどき(この場所はなんとなく嫌だ)と唐突に思い、その勘が的中することがある。特に落下物に関しては、我ながらそれを予知(=回避)するための直感が強いように思う。今夜はビルからの落下物の夢を見たので、外出先ではビルの真横を歩かないよう気をつけるつもりだ。



30日●脂ぎったキザな男
大きな部屋。がらんとした部屋の印象や安っぽい事務机の様子から、そこが公民館か学校のような建物の内部であることが想像される。室内には、私を含めた数人〜10人ほどの人の姿が見える。そこへ新たにひとりの男がやって来た。男は背が低く、腹部と顎のあたりは余分な脂肪で「ぶよぶよ」だ。顔は脂ぎっており、なんとなく不潔な感じがする。それでも彼はファッションセンスに自信があるのか、眼鏡のフレームとネクタイの色をグリーンがかったカラシ色で統一している。客観的に見るとまったく似合っていないのだが、彼は自分をかなりのハンサムだと思っているらしく、キザなポーズをつけて女性に目配せしたり、七・三に分けた油っぽい髪をしきりに指先で撫で付けている。男は額から汗を滲ませ愛想笑いを振りまきながら、そこに居合わせた皆に名刺を配り始めた。あの脂ぎった指先で名刺に触れるのかと思うとぞっとする。私は誰からも気づかれぬようゆっくりと後ずさりして、男から名刺を貰わなくて済む位置まで移動した。漆喰壁のひんやりした感触を背中に感じる。ここで目覚まし時計が鳴り、夢は唐突に終わった。
【解説】 夢から覚めてすぐに思ったのだが、今月は26日、28日、そして30日と3回も「名刺」の夢を見た。一体どういう意味があるのだろう。気になったので例によって『夢の事典』で調べてみたが、あいにく「名刺」という項目は存在しなかった。現実世界では、あるデザイナーさんに頼んで新しい名刺をデザインして頂こうと思った矢先なのだが……。そのことが形を変えて夢に現われただけなのか。それとも?

【後日談】 この夢を見た数時間後、外出した先(電車の中)で、なんと夢に登場した男と瓜ふたつ(!)の男性を見かけた。顔と体形は言うに及ばず、眼鏡のフレームとネクタイの色、それに髪を撫で付けるポーズまでが夢と完全に一致していたのである。思わず心のなかで(くわばら、くわばら)と唱えてしまったが、あとで考えてみれば「くわばら」は雷除けのおまじないだ。脂ぎった男には効果がなかったかも知れない(苦笑)。




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