2006年8月


1日●世にも醜い女と清らかな塩の道
夜の道。私は7〜8人の親しい友達に囲まれて、やや旧式の四輪駆動車に乗っている。友人たちの顔は見えないが、皆、古くからの知り合いのようだ。どうやら今日は私の誕生日で、これから私の家(?)で会食をするらしい。家に近づいたところで、友人たちが「いつの間にか○○(人名)が車に乗っているわよ」と騒ぎ出した。私は今まで○○さんという人に逢ったことはないが、伝え聞くところによると社会的なモラルに欠けた女性だそうで、私たちの間では要注意人物である。何故○○さんが車に乗っているのか、理由がわからない。友達のひとりが「○○は真美さんの生活ぶりを偵察しに来たんじゃないかしら」などと言っている。○○さんのほうを見ると目が穢れるかも知れないと思い、私は決してそちらを見ないように注意しながら家に辿り着いた。そこは古いヨーロッパの民家と山小屋を足して2で割ったような安堵感のある建物で、どうやら私の家らしいのだが、見たことのない風景だ。友人達に混ざって、○○さんもソファーに座ってしまった。しかもその隣には、○○さんが連れて来た別の女性まで座っているではないか。このふたりからは暗く不潔なオーラが漂っている。(家が穢れなければいいが)と私は思った。そのあと、ガラス扉を締め切った隣の部屋(キッチン?)へと移動した私は、そこから○○さんの顔をじっくり眺めることにした。どうやらこのガラス扉には特別な力があって、邪気を通さないシールドになっており、しかも相手の正体が見えるというのだ。私はゆっくりと○○さんを見た。驚いたことに、その顔には象の皮膚に見られるような深い皺が無数に刻み込まれており、二目と見られない醜悪なものだった。(ここまで醜い顔は見たことがない。美醜の問題というより、最早これは人間の姿ではない)と思いながら、私はそっと○○さんから目を逸らした。そのあと一行は再び家の外に出て、月の砂漠のような不思議な場所を歩きだした(○○さんと連れの女性の姿は、気がつくと消えていた)。足の下がキラキラと輝いている。どうやらここは特別な塩で出来た道らしい。塩には清めの力がある。塩の道を一歩一歩踏みしめて歩いてゆくと、自分の心身がみるみる浄化されてゆく実感があった。誰かが「このあたりは地下15メートルの深さまで全て塩で出来ているんですよ」と教えてくれた。私は大きく頷くと、爽やかな気持ちで風に吹かれながらどこまでも歩いていった。

【解説】 今夜の夢は「穢れ」と「お清め」がセットになった、意味深長な内容であった。目が覚めてから暫く夢の意味について考えていたのだが、漠然と感じたことは、この夢が古いものの「死」と「再生」を意味していたのではないかということである。夢全体に、どことなく敬虔な儀式を思わせるイメージが漂っていた。なお、○○さんは実在の有名人。お逢いしたことはないが、見るからに私が大嫌いな“強い者には媚び、弱い者には威張り散らすタイプ”の女性である。



2日●笑顔強化週間
今週は「笑顔強化週間」、つまり、ニコニコ笑顔で過ごすことに重点目標が置かれた1週間なのだという。私は毎日ニコニコ笑うように心がけている。途中、色々な人に逢い、さまざまな会話が交わされるのだが、そういった細かな内容は残念ながらよく覚えていない。やがて夢の中で1週間が経ったようだ。私は、何気なく鏡を覗いた。すると、そこに映っていたのは、マシュマロのように可愛らしい感じのする16〜17歳の少女だったではないか。(ニコニコ笑っているだけで、こんなにも可愛い顔になれるの?)と私は驚いている。

【解説】 今夜の夢の中で鏡に映った自分は、自分が実際に16〜17歳だったときとは似ても似つかぬ“可愛い系少女”だった。現実世界における16〜17歳時の私は、いつもOLさんに間違われるような大人びた少女だったのだが。“可愛い系の自分”など生まれてから1度も見たことがないので、今日は「実に珍しいものを見せてもらいました」と夢に感謝したい気持ちだ(笑)。



3日●未来を占って欲しいと願う老人達
気がつくと、目の前に10人ほどの老人達が立っていた。どの顔にも深い皺が刻まれている。彼らがどこからやって来たのか本当のところはわからないが、見たところ、日本人というよりむしろチベットかモンゴルのようなヒマラヤ高地の人の風貌に似ている。彼らは次々に私に向かって手を差し出し、手相から未来を占って欲しいという。よくわからないのだが、彼らが知りたいのは己自身ではなく、孫や曾孫の運命らしい。私は内心(なぜ私が占いを!?)と首を傾げながらも、相手の手相やオーラなどを観察しながら、質問に対して真面目に答えている。或る老人に対して、「孫娘さんに事故の相が出ています」と告げたような気もするが、よく覚えていない。占うだけでは気の毒だと思ったので、未来が良くなるためのアドバイスを付け加えることも忘れなかった。最初のうちニヤニヤ笑っていた老人も2〜3人いたのだが、途中から彼らも真剣な表情になり、身を大きく乗り出して耳を澄ませはじめた。私は、本当は他人の未来になど口をはさみたくないのだが、老人達があまりに真剣であることに加え、相手の未来が否応なく見えてしまう自分自身の特殊能力を活かさないことは罪だとも思い、(きっとこれも私の使命のうちなのだろう)と思いながら占いを続けている。

【解説】 覚えている限り、自分が占い師(?)になる夢は今回が初めてではないだろうか。運命を聞きにやって来たのが人生経験の浅い若者達ではなく、いつお迎えが来ても不思議のない老人達だったのも奇妙なことである。夢の中ではひとつひとつの占いの内容をハッキリと覚えていたのだが、目が覚めた途端に具体的なことをすっかり忘れてしまった。かえすがえすも残念なことだ。なお、この夢は信州の山小屋で見た。



4日●大舞台の司会
大きな舞台。これから何かのテレビ番組(?)が始まるらしい。私の視界一杯に、仲良く肩を寄せ合って立つ松田聖子さんと郷ひろみさんの姿が見えている。ふたりとも驚くほど若く可愛い。聖子さんなど、まるでつきたてのお餅のような肌をしている。ふたりはこれから一緒に司会をするらしい。笑顔のふたりに向かい、私は心のなかで(このふたりがこの世で結婚できますように)と祈った。場面は変わって、先ほどとは別の大きな舞台。これから何かの表彰式が行なわれるらしい。私はその司会を務めることになっている。ステージの上には既に今日の主役がいて、表彰式が始まっているようだ。このあとで、もうひとつ別の賞の表彰式も行なわれるのだが、そちらは言ってみればオマケというか、付け足しのようなものらしい。どこかの大学の先生と、小学校の先生が舞台の袖へやって来た。このうち大学の先生は、髪をポマードで七三にぺたりと撫でつけ、昭和中期に流行したようなスーツを着て、直立不動で緊張している。いかにも場慣れしていない感じだ。見た目は田舎のオジサンそのものなのだが、彼はなかなか図々しい人のようで、舞台における自分の立ち位置や表彰される順番について、細かなことまで注文をつけてくる。やかましいことこの上ない。私は一応笑顔で対処しながらも、心の中では(このオジサン、少し黙ってくれないかしら)などと思っている。※ここでブースケ(愛犬)に叩き起こされてしまったため、夢は唐突に終わった。

【解説】 この夢も山小屋で見た。現実世界ではこのところ「司会」を務めることが多い。先月のチベット舞台芸術団東京公演、チベット砂曼荼羅ライブパフォーマンスでの司会に続き、10月には徳島県で黒川紀章先生と日比野克彦さんのトークショーの司会をすることになっている。そのあたりの現実が今日の夢に反映していることは間違いないのだが、松田聖子さんと郷ひろみさんが登場した理由は不明。ちなみに聖子さんは郷さんと別れる際(というか、一方的に彼女からフッたように世間の目には見えましたが)、大泣きに泣きながら「生まれ変わったら一緒になろうね」と郷さんに言ったと告白している(ただし郷さん側はこれを全面否定)。そんなことも、今夜の夢には反映されているようだ。ちなみに私は、特に松田聖子さんのファンというわけではないが、あのサッパリ感(人の悪口など決して言わない、スキャンダル報道などにも静観の構えを見せる大スター然としたところ)にそこはかとない好感を持っております。



5日●元気ハツラツ!
気が付くとオロナミンCのCMを撮影していた。ただし、周囲を見回しても撮影機材は見えないし、クルーの姿もないのだが。「元気ハツラツ!」という例の台詞がどこかから聞こえたようだ。女優の上戸彩さんが笑う姿がちらりと見えた気もするが、それもじきに消えてしまった。私は数人の男性(あるいはもっと大勢の聴衆?)に囲まれており、何か意見を求められている。それは仏教に関することだったかも知れないし、あるいは宇宙に関することだったかも知れない。私はあくまで真面目に答えているのだが、ひょっとすると、これは全てオロナミンCのCM撮影の一環なのかも知れない。そうこうしているうちに目が覚めた。

【解説】 今夜の夢は、前半に別のストーリーがあったような気もするのだが、ハッキリとは思い出せない。この夢を見たのは信州の山小屋だ。山小屋に滞在中、私はテレビというものを全く見なくなる。従って、ここ数日はテレビのCMにも縁がない。にもかかわらず何故こうした夢を見るのだろう。思い当たる理由はまるでない。



6日●数を数える
繰り返し繰り返し、私は何かの数を数えている。それはカレンダーに関係のある数字(例えば1週間の曜日とか)だったような気がするが、ハッキリしたことはわからない。近くに数人の人がいるようだが、彼らと会話をした覚えもなく、彼らが誰なのか皆目わからない。私は数を数えることに飽きて、(早く終了時刻になればいいのに)と思っている。しかし修了の決断をするのは、ここにはいない誰か別の人なのだ。その人は僧侶のような気がする。私は黙って数を数え続けている。

【解説】 我ながら意味のわからない夢。何かの数を繰り返し数えていたことは確かだが、何のために何を数えていたのか、詳細を思い出せない。全体にひどく退屈な夢だったような気がする。これも山小屋で見た。



7日●とてつもなく意外な展開
誰かが声にはならない声(テレパシーのようなもの?)で、「これからとてつもなく意外な展開が起こるだろう」という意味のことを私に告げる。そのあと実際にとてつもなく意外なことが起こった。あまりにも意外な人生の展開だ。しかし、予想しなかったことではあるが、これは私にとって最高の展開ではないか。こんな面白い人生が待っているとは知らなかった。暫くのあいだ「意外な展開」を目の当たりにする。そのあと、例の声にならない声が再び私に「今ご覧になったことの内容は、夢の外へは持ち出し禁止です。記憶は消去させて頂きます」という意味のことを告げた。その言葉と同時に目が覚めた。

【解説】 今夜の夢のなかで、私は一体何を見たのだろうか。予想もしなかった人生の展開を見たことは間違いないのだが、その内容をまるで思い出せないのが不思議だ。内容は思い出せないものの、楽しい気持ちが持続する夢だったことは確かのようで、その証拠に今朝はいつもより気分が高揚していた。今夜の夢も山小屋で見た。



8日●スパイ大作戦
私は女スパイらしい。与えられた任務は、とある要人の住所を探り出すことのようだ。要人はロマンスグレーの白人男性(おそらく米国人)で、妻のほかに愛人も囲っているという。私は彼の愛人を装い、超高級ホテルの一室へと彼の妻をおびき出した。私がカーテンの陰(?)に隠れて様子を窺っていると、男の妻が現われた。十人並みの風貌と、化粧気のないパサついた肌。およそ色気の感じられないタイプの女性だ。部屋の真ん中に置かれたテーブルの上には、あらかじめ私が用意しておいた紙が載っている。それを見ると、彼女は眉一つ動かさずにバッグからペンを取り出し、紙の上にスラスラと住所を書き込み始めた。実は、その紙の上には、彼女が何の疑いも持たずに自分の住所を書き込みたくなるような仕掛けがしてあったのだ(注/夢の中ではその仕掛けが何であるかわかっていたのだが、目が覚めた途端に忘れてしまった)。住所を探り出すことに成功した私は、カーテンの陰で一安心している。そのあと彼女の身に何が起こったのか、全く思い出せない。

【解説】 今夜の夢は、この前後にも膨大なストーリーがあったような気がするのだが、残念ながら目覚めた瞬間にその大部分を忘れてしまった。夢の中でかなり早口の英語を喋っていたような気もするが、話し相手が誰だったかも思い出せない。この夢も山小屋で見た。



9日●砂曼荼羅の丘
どこまでも緩やかに続く丘陵地帯を歩いている。膝丈に満たないほどの低木や草がところどころに生い茂り、のどかで牧歌的な雰囲気。音はなく、静謐のイメージが広がっている。すぐ前方に数人のチベット僧の姿が見えてきた。彼らは小さく声明を唱えながら、砂曼荼羅をつくっているようだ。そのなかで一番高齢のお坊さんは、ギュト寺院のロト師(80歳)ではないか。私はロト師に向かって目礼をしてから、黙ってその場を通り過ぎた。暫く進むと、先ほどと同じチベット僧の姿が再び見えてきた。今回も彼らは小さな声で声明を唱えながら砂曼荼羅をつくっている。先ほどよりもだいぶ制作が進んだようだ。私が再びロト師に目礼をすると、ロト師はわずかに顔を動かして微笑み返してくれた。お坊さん達をその場に残したまま、私がさらに先へ先へと進んで行くと、再び同じ僧侶達が砂曼荼羅をつくる場面が見えてきた。このようにして、丘陵地帯を歩いてゆくあいだに何度も何度も同じ僧侶達に逢い、そのたびに砂曼荼羅の制作は進んでいるのである。そうやって、かなりの時間が過ぎたようだ。最後に逢ったとき、僧侶達は完成した砂曼荼羅を壊して一粒一粒の砂に戻しているさなかであった。私は暫くその様子を見守ったあと、ひとりその先へと進んだ。音はなく、風が友達で、丘陵は永遠に続いているかに思われた。

【解説】 今夜の夢には、現実世界で先頃プロデュースした砂曼荼羅ライブパフォーマンスのイメージがそのまま現われたようである。ロト師は今回来日してくださった6人のお坊さんの中で最長老(80歳)のお坊さん。このお坊さんは、43年前に亡くなった私の祖父(父の父)にどことなく面影が似ていて、とても懐かしい想いがしたものである。全体に詩的で非現実的で、穏やかでありながら死の世界をも髣髴させるような今夜の夢だった。



10日●不気味なミサイル
最初に、屋内で会議またはディベートが行われたような気がする(ただしこの部分のストーリーは思い出せない)。気がついたとき私は、見たこともない、それでいてどこか懐かしい感じのする街角に立っていた。この街には高層ビルというものがなく、1〜2階建ての一般住宅ばかりが並んでいる。おそらくここは日本のどこかにある、少し寂れた地方都市なのだと思う。時間帯は午後4時〜日没の間ぐらいだろうか。私のすぐ横には、私よりも少し若い女性がいる。彼女の顔は見えないが、少しも親しみの感情が湧いてこないところから察するに、おそらく赤の他人かそれに近い人なのだろう。少し離れたところには大勢の人がいるようだが、そのなかに知り合いはいないと思う。やがて、群衆の間に声にならないざわめきが広がった。戦争の予感。敵はすぐそこまで近づいている。街全体が不穏な色に染まる。突然、どこからともなく数発のミサイルが飛んできた。そのミサイルは、自動車のタイヤあるいは薄い円盤のような形をしていて、音もなく飛んでくる様はまるでフリスビーのようだ。直進したかと思えばにょろりと角度を変えて進む動きが、どことなく深海魚のようでもある。ミサイルがちょうど大人の背丈ぐらいの高さを飛来するので、頭を直撃されている人もいるようだ。私が立っている場所へも、ミサイルは音もなく不気味な様子で飛んできた。咄嗟に身をかわして私がよけると、ミサイルは背後にあったガソリンスタンドの壁に激突し、そのままゴムボールのように弾んで別の方向へと飛び去っていった。そのあとも、ミサイルは次から次へ際限なく飛んで来る。そのうちの1つが数件先の民家(?)の2階部分に飛び込み、恐ろしい音を立てて爆発炎上した。オレンジ色の炎が夢の画面いっぱいに広がる。身をかわしてミサイルをよけながら、私は小学生時代に遊んだドッジボール遊びを思い出している。しかしこれがゲームではなく、逃げ場がない戦争だということも私は知っている。このあと場面が変わって再び会議(ディベート?)の場面になり、さらにそのあともう一度戦争が起こったような気がするのだが、詳細は思い出せない。

【解説】 人間の歴史は戦争の歴史であるという。その言葉どおり、古来人類は「嫁姑のいざこざ」や「隣家との境界線争い」といった小規模なものから「世界戦争」まで、ありとあらゆる種類の争い事を絶え間なく繰り返して今日に至っている。まったく愚かな話だが、「ライバルを打ち負かす」という心の動きは極めて潜在的なものであり、DNAの中にあらかじめ仕組まれた本能であろうから、それを阻止することは容易ではない。また戦争というものがなければ、現在のテクノロジーの発達があり得なかったこともまた事実であり、その意味で戦争は「諸刃の剣」とも言えるだろう(例えば私たちがこうして恩恵を預かっている「インターネット」も、もとはと言えば軍事上の必要から米軍が開発したものである)。それにしても人類は高度な武器を開発しすぎた。このままゆくと遅かれ早かれ、私達はみずからが開発した兵器によって自滅の道を辿るのだろう。今夜の夢の中で飛来したミサイルは、「怖い」というよりは「不気味な」と形容したいシロモノだった。昨今の不穏な世界情勢と、それを不気味に思う心の動きが、今夜の夢には反映しているようである。この夢は長野市内の実家で見た。



11日●仙人の庵で酸素を吸う
夢の中で頭痛がしている。左目の奥がズキズキ痛むのだ。これは以前ヒマラヤで高山病に罹ったときと同じ症状だと思う。頭痛の原因は酸素不足に違いない。そう思って歩いていると、気がついたとき私はヒマラヤの奥地にいた。人ひとりが歩くのがやっとの細い山道。ごつごつした岩肌。何百メートルもの落差がある断崖絶壁。この光景は以前にも夢で見たことがあると思う。この先の左側に、仙人の庵があったはずだ。以前ここに来たとき、確かこの近くで龍を見た記憶がある。暫く歩くと、思ったとおり仙人の庵に辿り着いた。石窟のような庵に入ってみると、そこに酸素バーが出来ていた。仙人はいつの間にか酸素セラピストになったようだ。白髭の老人からラダック語とチベット語を足して2で割ったような言葉で「ゆっくりして行きなさい」と言われた私は、庵のなかに充満した酸素を深呼吸した。とても気持ちの良い匂い。あっと言う間に頭痛は完治して、気がつくと私は下界に戻っていた。

【解説】 昨夜は眠る前に頭痛がしていたのだが、頭痛薬がなかったのでそのまま寝てしまった。すると夜中にこのような夢を見て、目が覚めたときには頭痛はすっかり治っていた。夢に現われた仙人には、以前も一度夢の中で逢ったことがある。現実世界では見かけない顔だが、この人は私にとってのガーディアンというか、守護神のような存在なのだと思う。今夜の夢は山小屋で見た。



12日●塵取りと古びた鍵
気がつくと見知らぬ住宅地に立っていた。目の前の道路が広がりながら緩やかに右に曲がってロータリーのようになっており、道に沿って可愛らしいテラスハウス(各戸に専有のテラスと庭が付いた西洋式長屋)が3〜4棟並んでいる。どの家も窓辺にはアイアンレースが飾られ、いかにもロンドン郊外かシドニーあたりの古い家という感じだ。しかしあたりに人影はなく、猫の子1匹通らない。太陽が燦々と降り注ぎ穏やかなイメージだが、もしかしたらここは戦争後の世界で、人々は既に死に絶えてしまったのかも知れない。家々の前に何か正体不明の汚いものが落ちていたので、私はそこを清めることにした。箒がなかったので、塵取りだけで汚物を丁寧に掬い上げた。すると一帯はすっかり清潔になった。そのとき、ふとスカートの右ポケットに手を入れた私は、そこに古びた銀色の鍵が入っていることに気づいた。同時に、自分の履いているスカートが100年前のヨーロッパで流行したような大きく膨らんだロングスカートであることにも気づいた。手の中の鍵をじっと見つめる。どうやらこれは、目の前のテラスハウスの扉を開く鍵らしい。もしや私は以前ここに住んでいたことがあるのだろうか。それともこの鍵は誰かから貰い受けた物なのか。状況はわからないが、私はしっかりと鍵を握り締めたまま、扉のほうへ向かって歩き始めた。
【解説】 今夜の夢は、ここに至る前に導入部分があったような気がするのだが、それがどんな内容であったかは忘れてしまった。夢の中で扉に向かって歩き出した私は、このあと鍵を開けて家の中に入ったのだろうか。それも思い出せない。全体の中で「塵取り」と「鍵」がとても強く印象に残っている。なお、夢に現われたテラスハウスに似た風景がないかとネット上で探したが、これはと思うものは見つからなかった。強いて言えばこの写真のテラスハウスが夢に出てきた家にやや似ているかも知れない。今夜の夢も山小屋で見た。


13日●少しレズっぽい読者の女の子
読者を名乗る女性から、郵便でファンレターが届いた。昨今はメールでファンレターを頂くことがほとんどなので、横書きの便箋数枚にびっしり手書きされたその手紙は、とても懐かしいものに思われた。文章の感じから、20代前半の若い女性ではないかと思う。「今度東京へ行くので会ってください」というようなことが書かれていたので、私は彼女を鉄道の駅まで迎えに行った(ただしそこは現在の東京ではなく、近未来風のデザインなのだが)。やがて、約束の相手が現われた。驚いたことに、彼女は小学3〜4年生の幼い女の子だったではないか。呆気に取られていると、女の子はニコニコしながら私の腕に抱きついてきて「会えて本当に嬉しい!」などと言う。私はいわゆる子ども向きの本を書いていないので、この子が読者さんだという事実は一種衝撃的だ。しかも彼女は私が書いたすべての文章を読破し、かなり正確に理解しているようでもある。女の子の要望で、彼女を東京見物に連れて行くことにした。宇宙ステーションを髣髴させる巨大エレベーターや、透明なビルなど、不思議なところを訪ね歩いた気がする。その間ずっと、女の子は私の腕に両手で抱きついて楽しそうに笑っている。あまりにもピッタリと体を押しつけて来るので(この子、ちょっとレズ気があるのでは?)とも思う。女の子の目は細い一重瞼で、髪はおかっぱ。こけし人形のように純和風な面立ちだ。身長は130センチぐらいだろうか。リュックサックを背負っているところが子どもっぽい(クマのぬいぐるみも抱いていたかも知れない)が、言動は無邪気でありながら大人びている。丸一日かけてあちこちを案内してあげたあと、私は再び彼女を駅まで送って行った。お弁当や飲み物を買ってあげたような気もする。「また遊ぼうね!」と言って手を振りながら去って行く女の子を見送りながら、私は(彼女の両親は一体どんな人なのだろう)とか(妙にレズっぽい子だったけど、私の気のせいかしら)などと思っている。

【解説】 なんとも奇妙な夢だった。現実世界でこれまでに頂いたファンレターのうち、いちばん若い差出人は小学6年生の女の子で、彼女が送ってきたのは『夜明けの晩に』の感想文だった(感想文はこちらからお読みいただけます)。それが今のところ「読者さん最少年記録」で、この記録は4年半のあいだ破られていない。今夜の夢に現われた女の子は驚くほど若かったが、これはもしや、私がいずれ子ども向きの本も書くようになることの暗示だろうか。なお、先週は学生時代の友達と飲み会をしたのだが、そのなかで、「女子高にはS(シスター・ラブ)と呼ばれる軽いレズっぽい雰囲気があったよね」という話題になった。今夜の夢にレズっぽい雰囲気が現われたのは、その会話のせいではないかと思われる。ちなみに私自身には、その手の趣味は全くありませんので誤解なきよう(笑)。この夢も山小屋で見た。


14日●昔の知人を黙殺する
私は道路脇に立っている。すぐ隣には秘書またはマネジャー的な役割の女性がいるような気がするが、彼女の姿は最後まで全く見えない。私の目の前を、時折り左から右に向かって、ひとりまたはふたりの人が通り過ぎてゆく。彼らの多くは社会的地位の高い文化人(ただし高齢者ではない)で、こうして道路を歩いてゆくのは一種のパフォーマンスらしい。何人かが通り過ぎて行ったあと、かつての知人であるAさん(男性)が、もうひとりの男性と連れ立って笑顔で歩いてきた。道の途中まで来て私に気づくと、Aさんは狼狽したように目を瞠った。しかし、Aさんが私に気づくよりも私がAさんに気づくほうが数秒早かった。私は少しも慌てず騒がず、まるでAさんの存在自体を黙殺するかのような冷淡な態度で、無視を決め込んだ。Aさんはますます狼狽しているようだが、私はもう二度とAさんのほうには目もくれず、(これでいいのだ)と思っている。

【解説】 この夢も山小屋で見た。今夜の夢はかなり長く複雑だったはずなのだが、残念ながらこの部分しか思い出せない。Aさんは現実世界にも存在する昔の知人。最初から特に親しい間柄ではないので、今どこでどうしているかは知らないが、夢の中の私はAさんに対してひどく邪険な態度を取っていた。もしや私の心のどこかに、Aさんを避けたいと願う気持ちがあるのだろうか(しかし現実世界ではもう何十年も逢っていない上、再会の予定もない相手なのだから、、わざわざ無視しなくても良さそうなものだが)。夢の中の自分の態度が理解しかねる。


15日●屋根裏部屋から窓越しに外を見る
3〜4階建ての木造建築物。私はその屋根裏部屋にいる。部屋は横に細長く、道路側の壁面には小さなガラス窓がいくつも取り付けられている。窓枠は質素な木材で出来ており、真ん中から外に押して観音開きするタイプだ。私は窓とは反対側の壁面に背を押しつけて座り、黙って窓越しに外を見ている。部屋の中は薄暗く、倉庫のように雑然としている。すぐ近くに大量の小麦粉が置いてあったような気もする。窓の外に見えているのは、少し曇った昼の空と、今は使われなくなった工場らしきレンガの建物。煙突が見えたような気もする。しかし見渡す限りどこにも人間の姿はない。ここは60〜70年前のヨーロッパ(東欧?)かも知れない。私はほとんど無感情に外を眺め続けている。何かを監視しているのかも知れないが、詳しいことは何もわからない。

【解説】 夢に現われるアイテムとして「屋根裏部屋」は珍しいのではないかと思う。今夜の夢の中で私は薄暗い屋根裏部屋におり、ひとり静かに窓の外を観察していた。何のためにそうしていたのか定かではないが、永遠に続くかと思われるほどの沈黙が印象的だった。この夢も信州の山小屋で見た。


16日●花びらに書かれた相性占い
広々とした草原。先刻から涼しい風が吹いていて、もうどこへも行かずずっとここにいたいと思う。草の上に腰を下ろしていると、声にならない声(テレパシー?)が、花びらの裏に占いが書かれているから読みなさいと告げる。目の前で優雅に揺れていたピンク色の花に手を伸ばし、花びらを裏返してみたところ、私の名前と知り合いの名前が並んで書かれていて、「本来、このふたりは一緒にいると互いに疲れる関係。適度に距離を置いて付き合いなさい」などと書かれている。実は最近、その人と一緒にいると疲れることを発見したばかりだったので、私は少し驚きながら次の花びらを裏返した。すると2枚目の花びらには、私の名前と別の人の名前が並んで書かれており、「このふたりは価値観も生き方も全く異なるにもかかわらず、何故か互いに尊敬し合うことが出来る」とあった。私はその人のことを実はよく知らないのだが、自分とはタイプ的に相性が悪いはずだと漠然と思っていた。しかし花びらによれば、実はそうではないのだいう。私は再び驚きながら、次の花びらに手を出した。そうやって3枚目、4枚目と花びらをめくってゆくと、すべての花びらの裏側に私と誰かの相性が記されているのだ。夫の名前が書かれた花びらもあって、そこには「ふたりとも非常に強い上昇志向の持ち主なので、貴女が上昇することは相手にとっても素晴らしい起爆剤になる」などと書かれていた。最後に裏返した花びらには、相性占いではなく、私の人生の全般運が書かれていた。いちばん最後のところに何か驚くべき慶事が書かれていたような気がして、そこを読もうとした瞬間、夢は唐突に途切れてしまった。

【解説】 美しい草原、涼風、咲き乱れる花々。その中にひとり佇み、花びらの裏に書かれた占い文を読み続けるという、全編にミステリアスな雰囲気が漂う夢だった。気になる相性占いの結果はと言えば、意外な人との相性が良かったり、逆に悪かったりと、自分の既成概念を覆す部分も多かった。しかし、よくよく冷静に考えてみると、夢の中で指摘されたことの中には正論も多く、その意味では示唆に富んだ夢だったと言うべきかも知れない。今夜の夢も山小屋で見た。


17日●脆弱な鍵と子沢山な外国人一家
見知らぬ家。どうやらここには母が住んでいるらしいのだが、現実世界の実家とはまったく様子が違っている。その家は、人通りの多い道路に面していて、入り口は磨りガラスが入った引き戸。付いている鍵は、昭和の途中までよく見かけたネジ式の古い鍵である。こんな脆弱な戸締りでは、誰かがガラスを叩き割って鍵を回すだけで簡単に室内に侵入できてしまう。防犯の目的をほとんど果たしていないではないか。しかし母がこのスタイルを気に入っているようなので、私は黙認することにした。母は私に、最近になって近くに引っ越してきた外国人一家の話をしてくれた。その人たちはオーストラリア在住のアメリカ系韓国人で、若い母親と4〜5人の子ども達、それに母親の姉(子ども達にとっての伯母)が一緒に暮らしているという。母の話を聞いていると、何故か私の目の前にその一家が暮らす姿がありありと見えてきた。母が住んでいる家と思った場所は、実はこのオーストラリア在住アメリカ系韓国人一家が住む家の風景だったのかも知れない。未就学児らしき子ども達が所狭しと走り回り、母親と伯母が大きな声で何か叱りながら子ども達の面倒を見ている姿が見えた。場面が変わり、私は誰かと英語で話している(ただし相手の顔は見えない)。会話のなかに知らない単語が2つ出てきた。“Ofoath(またはOfoas)”と“Clieque”という単語である。発音はそれぞれ「オフォース」と「クリーク」らしい。すぐに辞書を引いてみたところ、“Ofoath”は「他人(特に異性)の関心を引く目的で口にする意味のない言葉」、“Clieque”は「話す、しゃべる」となっていた。まったく聞いたことのない単語だと思い、私は首を傾げている。

【解説】 今夜の夢はかつてなかったほど長大で、一晩中何かしら夢を見ていたような気がする。旅をしたり移動する夢が多かったようだ。逢いたかった誰かに逢ったかも知れない。しかし残念ながら、起床したときに覚えていたのは上に記したストーリーだけである。夢の中に登場した英単語が実在するかどうか調べるため、起床してすぐに辞書を引いてみたが、“Ofoath(Ofoas)”とか“Clieque”という単語はやはり実在しないようだ。夢に登場した脆弱な鍵(名称は不明)の画像がないかとインターネット上で画像検索したところ、リホーム屋さんのサイトの中でこのような写真をようやく見つけることが出来た。昔はどこの家でも見かけた鍵だが、そう言えば最近はまるで見かけなくなった気がする。なお、母が実際に住んでいる家の扉は堅牢で、夢に登場したものとは似ても似つかない。この夢も山小屋で見た。


18日●兎のハンドバッグ
六本木ヒルズでフリーマーケットが開かれるらしい。同社に勤務する友人のM子さんが知らせてきてくれた。早速、指定された場所に行ってみたのだが、このフリマは会員制か予約制なのか、不思議なことに私以外には客がいないのである。しかしそのことを不審に思うわけでもなく、山と積まれた品物を物色しはじめる私。すると品物の山の中から、兎の形をしたゴブラン織りのハンドバッグが出てきた。品物は上等そうだが、リアルな等身大の兎の形(それも全身)は、かなり奇抜なデザインだ。顔はどことなくコミカルで、2本の前歯が出た表情は笑っているようにも泣いているようにも見える。ハンドバッグを肘に掛けたり手に提げたりして試していると、M子さんが「それ、たったの200円でお買い得なんですよ」と言った。私が心のなかで(でも兎のデザインだし……)と躊躇していると、M子さんは畳み掛けるように「特別、100円にオマケしておきます」とまで言う。結局、私はそのハンドバッグを買うことにした。そのあと何が起こったのかよく覚えていないのだが、翌朝、大型トラックが3台やって来た。積まれている荷は、昨日のフリマの売れ残り品らしい。これらはすべてゴミ焼却場に送られるのだという。トラックの荷台に乗ってあたりを見回したところ、いかにも売れ残りそうなゴミ同然の品物に混ざって、何故かあの兎のハンドバッグが載っていたではないか。私は再びハンドバッグを売りに出してしまったのだろうか。自分がハンドバッグに対して何をしたのか、兎のことをどう思っていたのか、そのあたりの記憶がない。ハンドバッグには、今度は「20円」の値札がついていた。可哀そうに、だいぶ値が下がったものだと思う。M子さんから「兎のバッグ、どうしても要りませんか?」と聞かれたような気もするが、それに対して自分が何と答えたのかは覚えていない。そのあと兎のハンドバッグがどうなったのか、私は再びそれを買って帰ったのか、あるいはトラックの荷台に置き去りにしたのか、そのあたりの経緯も思い出せない。

【解説】 意味不明なストーリーだが、全体に何とも言えない気の毒なイメージが漂っていた。兎のハンドバッグという突拍子もないアイテムは、一体どこから登場したのだろう。私は兎が好きでも嫌いでもないし、兎の夢を見なければならない理由にも思い当たる節はないのだが。なお『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「兎」の意味は「女性の象徴/妊娠出産/物事の成就/新しい恋の訪れ」だそうである。この夢も信州の山小屋で見た。


19日●空に長くたなびく物
目の前に空が見える。私は仰向けに寝転んでいるか、あるいは上体を大きく後ろに反らせているようだ。空の一角に、細長い煙突あるいは塔のような形のものが見える。その附近から、何か白っぽい物が長くたなびいている。それは雲のようでもあり、蜃気楼のようでもある。私は微動だにもせず、ただその風景を見ている。

【解説】 このあと誰か知った人に逢ったような気がするのだが、詳細は思い出せない。この夢も山小屋で見た。


20日●……

【解説】 今夜は仕事の関係で一晩だけ東京宅に戻っていたのだが、折悪しくクーラーが故障し、蒸し暑さのためにほとんど一睡も出来ない夜を過ごした。ゆえに夢は見ていない。


21日●ロケット・ランチャー
大勢の若い人たちで賑わう歩道。何かのイベントの交通整理でもしていたのか、あたりには一定の間隔を置いて警察官が立っている。婦人警官の姿も見える。暫くは何事もなく、平和な状態が続いた。と突然、警官達がいきなりロケットランチャーを取り出し、一定の方向に向かって実弾を発射しはじめたではないか。どうやら、どこかでテロ(?)が起こり、警官達は顔色一つ変えずすみやかに反撃に出たらしい。私はロケットランチャーの登場に驚きながらも、慣れた手つきの警官達を観察しながら心のなかで(この国の警察は、思っていたより装備は整っているじゃないの!)と感心している。

【解説】 この夢を見る10時間ほど前に第十四世ダライ・ラマ法王に謁見し、日本の軍備拡張問題についての法王のお考えを聞かせて頂いた。私の中では、昨今のナショナリズムへの傾倒(軍備拡張や憲法改正を感情論で容認するような論調)を案じる気持ちが常にある。(第三次世界大戦だけは絶対に回避しなければいけない)、(そのために自分にできることは何なのか)と思い悩む気持ちが、今夜の夢には現われたようだ。この夢は信州の山小屋で見た。


22日●野辺の送り
広大な草原。すぐ近くに川が流れている気配が感じられる。芒(すすき)が揺れる中に、大勢の人々が佇むシルエットが浮かび上がっている。少し淋しげな音楽が、BGMのように低く流れている。おそらくここは火葬場で、人々は野辺(のべ)の送りをしているのだ。特に誰か知った人が死んだというわけではないのだが、私はこの場所に佇んで、人は生まれれば必ず死ぬという、そのことを想いながら一人静かに風に吹かれている。少し離れたところでは、娘が何か手伝いをしている。娘は20歳で、健康的な美しさに満ち溢れている。彼女は私の遺伝子を継ぐ者だ。彼女の元気はこの上ない悦びを私を与えてくれる。娘が生き生きと働いている様子を、私は黙って見守っている。暫くすると、「永六輔さんも来てくださることになったから」という娘の声が聞こえてきた。それはいいことだと私は思った。永さんはお寺の息子さんで、もののわかった大人である。永さんが来てくだされば、皆もさぞかし喜ぶことだろう。そろそろ日が暮れてきたような気もするが、私はそこを立ち去ろうとはせず、先程から聞こえているBGMに耳を傾けている。

【解説】 全体に「死」のイメージが色濃く漂う夢だった。多くの人にとって「死」はただただ恐ろしいものなのかも知れないが、私自身にとっての「死」は、常日頃から直視し対峙し対話し合うものであり、むしろ「生」の一部であり、恐ろしいというイメージからはかけ離れている。それはおそらく私が長らくインドで暮らしたことや、ヒンドゥー教の考え方を深く学んだこと、それに私自身の性格(楽天的でありながら一つのことを深く追求する性格)にも関係しているのだと思う。今夜は夢から目覚めてゆきながら、頭の中で(この夢のタイトルは「野辺の送り」だ)と思った。「野辺の送り」とは、ご遺体を火葬場や埋葬地まで見送ること。淋しい響きだが、同時に美しい日本語だとも思う。死がテーマの夢の中で、次世代を担う若い娘が力強く立ち働いていたのが印象的だった。永六輔さんが現われた理由は不明。この夢も信州の山小屋で見た。


23日●背丈の順に整列する木々
2〜3階建てのコンクリートの建物。そこは廃墟のように静かだが、「寂れた」というよりむしろ「穏やかな」という形容のほうが相応しい。あたりに漂うどことなく厳粛な感じは、病院または葬儀場のようでもある。私のまわりには数人の人たちがいて、ときどき談笑している。誰かの葬式をしていたような気もするが、泣いている人はおらず、あくまでも穏やかな雰囲気。私達は建物の2階(または3階)の窓越しに表の風景を見ている。建物の左前方が三角形の小さな庭になっていて、そこには杉の木が10本ほど植えられている。いちばん左側の木がいちばん小さく、右へ行くほど木々は大きくなってゆく。まるで背丈の順番に整列しているようだ。木々のうち1本だけが黒っぽく、残りは白っぽい。私は何故かこれらの木々のことが気になって、飽きもせずに見つめている。母が近くにいて何か会話をしたような気がするが、その内容は覚えていない。

【解説】 昨日に引き続き「死」のイメージが漂う夢だった。何故このような夢を続けて見るのか、原因はわからない。この夢も山小屋で見た。


24日●流れる葉っぱ
目の前に夥しい数の葉っぱが見える。それぞれの葉っぱは細長く、中央の部分だけが膨らんだ特徴的な形をしている。長さは3〜4センチぐらい。お茶にして飲んだら美味しそうな色艶をしている。面白いことに、それら無数の葉っぱは一定の方向を向き、まるで小川のようにさらさらと流れてゆくのである。ベルトコンベアーで運ばれてゆくようにも見える。しかし葉っぱが何処に向かっているのかはわからない。緑の濃淡が清潔なイメージを醸している。私はただその風景を眺めている。

【解説】 緑色が「清潔」で「美味しそう」な印象を醸し出す夢だった。しかし今夜の夢にはストーリーと呼べるようなものはなく、ただ葉っぱが流れてゆく風景だけが延々と続き、その意味で一種のサイレントムービーのような夢であった。この夢は信州から東京へ帰って来た最初の夜に見た。
【後日談】 この夢を見た直後のこと、起床してきた息子がいきなり「何故か俺のシャツにこんな葉っぱが付いていたよ」と言いながら何かを差し出した。見るとそれは夢で見たものを寸分違わぬ、長さ3〜4センチの細長い葉っぱではないか。これには驚いた。息子によれば、「こんなものが一体どこから付いてきたのか、身に覚えがない」という。そう言えば以前、息子と私は同じときに龍の夢を見たことがある(詳しくは2004年2月21日の夢をご参照ください)
今夜のことも含めて、不思議なシンクロである。


25日●チベット難民の少女
どこまでも続く田舎の風景。そこはインドのヒマラヤ地方で、チベット難民居住区らしい。私は保護者または教師のような立場の人間で、ここに暮らす少女達の成長を見守っている。少女達は基本的に孤児で、肉親の暖かさというものを知らない。しかし少しも荒(すさ)んだところがなく、素朴で明るい子ども達だ。彼女達と一緒に花を摘んで王冠を編んだり、歌を歌ったり、パンを焼いたような気もする。そうしているうちに長い年月が経ったようだ。最初に私がここへ来たとき10歳ぐらいだった少女達が18歳にまで成長し、遠方の大学へ進学するために羽ばたいてゆくことになった。その卒業式に列席した私は、(あんなに小さかった子がここまで成長してくれた)と思い、感極まって嬉し泣きしている。場面が変わり、東京の街中。私は電車に乗っている。それは現在の電車よりも一歩進んだ、近未来型の乗り物のように見える。私の隣にはチベット人の女の子がひとり、寄り添うように座っている。おかっぱ髪の可愛らしい女の子で、年齢は10歳ぐらい。目がくりくりと大きく、昔どこかで逢ったことがあるような懐かしい顔立ちだ。私はこの子を引き取って育てることにしたのかも知れない。彼女が生まれつき背負っているチベット文化を失わせることなく、同時に日本社会にも適応できるような国際人に育てなくてはと思う。電車の窓からは東京タワーと六本木ヒルズが見えている。少女に向かって何か説明しようとしたところで目が醒めた。

【解説】 今夜の夢は、たった一晩のあいだに10年近い時間が経過したように感じる不思議な夢だった。そのためか、成長した少女達を前にした私は感極まって泣いているのだが、それがまるで本当に泣いているような臨場感があるのだ(自分の肩が細かく震える感じや涙の温かさまでハッキリと体感できた)。夢の最後のほうで一緒に電車に乗っていたおかっぱ髪の少女は、昭和30年代の日本の田舎にいたような素朴な女の子だった。今夜の夢は「チベット難民」の夢でありながら、同時に「今はもうどこにも存在しない古き良き日本」の夢でもあったのかも知れない。


26日●未来に犯す罪によって罰せられる
どこと言って特徴のない風景。そこは近未来らしいのだが、現在の地球とくらべて変わり映えはしないようだ。しかしこの世界では、未来を科学的に測定することが可能なのだという。方法はわからないが、100%の確かさで未来が予測できるというのだ。しかも、そうやって予知した未来によって、これから犯される予定の犯罪が割り出され、犯罪を犯す予定者が罰せられるらしい。まるで映画『マイノリティ・リポート』のような世界だと思う。そこへ誰か(警察官?)が突然やって来て、これから起こる犯罪によって私を逮捕するという。驚いた私が「いったい何の罪ですか」と問うと、未来に恋に落ちる罪だという。相手の名前を聞いたが、聞き覚えがない。なんという馬鹿馬鹿しい話かと呆れていると、相手(警察官)は、「しかし恋と花盗人の罪は軽い」などと意味不明なことを言い、結局、私の場合はいかなる刑罰も執行されなかった。そのあと街を歩いていると、妙に人間が少ないことに気づいた。どうやら大多数の人々は未来に犯す罪によって捉えられ、監獄に入れられたか、既に死刑になったらしいのだ。人口が激減した未来の世界を歩きながら、私は暇を持て余している。

【解説】 今夜の夢に登場した街は人間性に欠け、無味乾燥な場所だった。もしも人類の未来がこんなだったら、まさに「幻滅」である。なお、『マイノリティ・リポート』はスピルバーグ監督が作ったこんな映画。何年か前に一度観たきりだが、かなり面白かった記憶がある。まだ観たことのない人には、DVDでご覧になることをオススメします。


27日●光る人
薄暗い大きな部屋。室内はがらんとしており、夜の体育館のような雰囲気だ。10メートルほど前方に、半分だけ開いた扉が見える。その扉から、静かに人間のシルエットが入ってきた。室内の光が足りないため、その人の顔や洋服の色などはまるで見えない。性別さえ判然としない。まるで影絵のように輪郭だけが浮かび上がって見える。その人の体からは、細いビームのような光が何本も出ている。光の色は白または青。体全体からまんべんなく照射されているのではなく、ちょうど小さな子どもが太陽の絵を描くときのように、ところどころから真っ直ぐな線が何本も出ているという感じなのだ。光る人は、こちらに体の側面を向けたままの体勢で扉から出たり入ったりを繰り返している。まるで切り絵芝居を見ているようだと私は思う。

【解説】 時間にしてほんの1秒ほどの刹那的な夢。この前後にも何かストーリーがあったのかも知れないが、目覚めてみるとこの部分しか覚えていない。光の色がとても印象的だったのだが、それが白かったのか青かったのかすら思い出せない。


28日●中国人と一緒に英語を勉強する
小学校の教室のような広々とした部屋。明るい光が部屋全体を射している。窓際には丈の低い本棚がずらりと並んでいて、そこにはたくさんの本が入っている。私の位置から本棚までは遠く、背表紙までは見えないが、それらは絵本をはじめとする子ども向けの本だったような気がする。室内には数人の大人がいる。皆それぞれに何か勉強をしているようだ。そのなかのひとりが中国人の男性で、私はその人を相手にときどき小声で会話している(ただし何を話したのか具体的な記憶はない)。どうやら私は英語を習いたてのビギナーらしい。この中国人男性も同じく英語のビギナーだが、私のほうが少し上級者らしく、彼が書いた英作文の添削をしてあげているようだ。しかしふたりの英語力に大差がないため、私としても彼に完全な英語を教えてあげられるわけはない。そこで、辞書を引き引き一生懸命に勉強しながら、相手の勉強を見てあげているのだ。中国人は紙の上に短い英文を新たに書き、それを私に手渡してから本棚のほうへ歩いて行った。私は彼が本棚から帰ってくるまでにそれを添削しようと思い、紙に目を落とした。するとそこには、何やら非常に難しい専門用語が書き連ねられていたではないか。(私たちは英語のビギナーだと思い込んでいたけれど、実は相当な上級者ではないのか?)という事実をようやく思い出した私。そう言えば、彼も私も小学校に通うような子どもではなく、社会的にもそれなりに重要なポジションにある大人ではないか。そのことをハタと思い出した私は、急いで中国人に告げようとしている。そこでいきなり目が醒めた。

【解説】 大のオトナが小学校の教室で、絵本などを読みながら英語の初歩を勉強しているという、意味のわからない夢だった。しかも、一緒に英語の勉強をしていたのが中国人の男性という設定も、意外性があって面白い。そういえば現実世界でも数日前、ファンを名乗る中国人の男性からメールをいただいた。かなり日本語が達者な方だが、“てにをは”の使い方にいくつか間違いがあったので、(お返事を差し上げるときに間違いを訂正して差し上げたほうが親切かな)と思っていたところである。その気持ちが今夜の夢に現われたのだろう。



29日●小高い丘の頂上近くで死んだ不幸な少女
最初、私は家族や数人の知り合いと一緒にいたような気がする。その後、気がつくと薄暗い丘のような場所を歩いていた。近くには、夫と、顔見知りの少女の姿が見える。少女は、知り合いの娘さんで、おそらく中学生だろう。実年齢はもっと上らしいのだが、精神的に未熟なのか、実際の年齢に比べてひどく幼く見える子だ。夫と私は、何か具体的な用事があってこの場所に来たようだ。少女はどうやら私たちの後について来てしまったらしい。自分の家族や友達といても楽しくないのだろうか。あるいは友達がいないのか。おとなしい子で、自分のほうからは進んで話そうともせず、ただ私たちの話を聞いて控え目に笑っている。どこまでも黙って付いて来る姿はとても健気で、ひどく可哀そうな感じさえする。まるで捨てられた仔犬のようだ。そうやって坂道をどんどん登って行くと、丘の頂上にユニークな形の建物が見えてきた。ハッキリとは覚えていないのだが、それはドーム型の建物だったような気がする。夫と私は最初からここに用事があったらしい。迷わずその建物に入り、もしかしたらチェックインのような作業をしたのかも知れない。次に気がついたとき、少女の姿は消えていた。私は瞬間的に(少女は死んでしまったのに違いない)と思った。あの子は、とても可哀そうな少女だった。最後がどんな死に方だったのかは、この目で確認していないから何とも言えないが、それが自殺だろうと事故死だろうと他殺だろうと、結局のところあの子はいつも孤独で、心に闇を抱えていたに違いない。そう思った途端、気持ちがどんよりと曇ってきた。彼女のために何もできなかった自分に対して、とてつもない空虚感を覚える。警察に連絡をしようかと一瞬思うのだが、何故か私は(所詮これは夢なのだし、警察に助けてもらえるような種類の話ではない)と思い留まる。どんよりとした気分のまま、いつの間にか一晩が経過したらしい。翌朝、再び丘を下って最初の場面に戻った私は、そこで少女の家族と逢った。少女の家庭は両親と妹の4人家族のはずだが、現われたのは父親と妹だけで、母親の姿はない。少女は母親と良い関係を築けていなかったのだなと確信する。少女の父親は、一晩帰って来なかった娘のことをそれほど心配していないようだ。自宅でしっかり朝食も済ませてきたらしい(彼が食べたものが和食で、メニューの中に温泉卵か半熟卵のようなものと海苔が含まれていたことまで、何故か直感でわかる)。彼は穏やかに笑いながら、「そう言えば、うちの長女がまだ帰らないんですよ。これから山狩り(?)に行こうと思います」と言い、特に急いでいない様子で次女とふたり丘に向かって歩き出した。私は「気をつけて」と声をかけるに留め、少女が既に死んでしまったことを告げるのはやめた。少女の死体はおそらく永遠に発見されず、少女の父親はこれから少しずつ長女を失ったことを苦悩するようになるのではないか。そんなことを思いながら、私は重苦しい気持ちで少女の父親の背中を見送っている。

【解説】 夢を見ながら次第に胸が苦しくなってゆくような、どうにも重いストーリーだった。今夜の夢に現われた少女は、現実世界でも知っている人の娘さん。本人はとてもいい子なのだが、家族の中で疎外感を感じ孤立していると聞く。夢の中で少女の姿が消えたとき、私は彼女の死を直感し、同時に自分の無力ぶりにひどい空虚感を感じていた。今月は13日(少しレズっぽい読者の女の子に慕われる夢)と25日(チベット難民の少女を引き取って育てる夢)にも、それぞれ幼い少女の後見人になるようなストーリーの夢を見ている。これがどういう意味を持っているのかはわからないが、最近、若い女性の読者さんから、「真美さんのパワーを分けてください」とか、「現在の自分にはまるで自信が持てないけれど、真美さんのように強く生きられたらと思います」といった内容のメールをよく頂く。今月の一連の夢には、「若い女の子たちを勇気づけて夢を与えられるような作品を書きなさい」という、無意識の自分から自分へのメッセージが込められていたのかも知れない。



30日●カウンセリング・ルーム
広い部屋。ハッキリ見えているわけではないが、雰囲気としては、辺り一面に蓮の花が咲いているような気がする。静かで穏やかなイメージ。私のそばには誰か近しい人(娘?)が寄り添うように立っていて、私の助手を務めてくれているようだ。この部屋には、時折り人が訪ねてくる。彼らはそれぞれに悩みを抱えている。小さな悩みから大きな悩みまで、深刻度は千差万別だが、彼らは一様に自分の悩みを蓮の葉の裏側に書いてくるのである(それがここでのしきたりらしい)。私はそれらの悩みに答えている。どんなに深刻な悩みを打ち明けられても、私の心は動揺することなく、穏やかで明るい光に溢れているようだ。部屋一杯に、蓮独特の強い香りが満ちている。

【解説】 今夜の夢にはもっと具体的なストーリーがあったようだが、目が醒めてみると詳細を思い出せない。そんなわけで、夢に訪れた人たちがどんな悩みを抱えていたのか今となってはわからないが、彼らからのすべての質問に対して淀みなくすらすらと答えていた自分が印象的だった。



31日●お坊さんがいっぱい
学校の教室のようなところ。10人ほどの人たちが神妙な面持ちで前を向いて座っている。彼らは全員が黒っぽい着物に袈裟を掛けたお坊さんだ。なかには、手に独鈷や木魚を持った人もいる。誰も一言も発しない。一種の重苦しい雰囲気。そのあとお坊さんの一人と道を歩いていたような気がするが、細かなことは思い出せない。

【解説】 時間にして1〜2秒の短い夢。お坊さんがお召しの着物のせいで、色的には全体に黒っぽい夢だった。

【後日談】 この夢を見た2日後の9月2日、所用があって和歌山県の高野山大学に行った。高野山大学は弘法大師空海が伝えた密教を教える伝統ある大学だ。ここで私は教室に通されたのだが、そこには私を含め全部で9人の人たちがおり、そのうち4人は黒い着物を着たお坊さんだった。理由あって、私達は室内では全員前を向いて座り、一言もしゃべらずじっと黙っていた。その様子が、まさに2日前の夢で見た光景とそっくりなのである。しかも高野山大学での用事を終えたあと、私はそこで知り合った一人のお坊さんとお喋りをしながら並んで外を歩いた。この場面まで夢と同じなのである。まるでデジャヴューのような正夢だった。




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