子どもの頃、私はしばしば予知夢を見た。祖父が事故に遭う夢、飛行機が落ちる夢、医者から不妊症と診断された女性に子どもが授かる夢……。その頃は、誰もがごく普通に予知夢を見るのだと信じていた。だから、実際はそうではなく、予知夢を見る者は例外的存在なのだと知ったときの衝撃は大きかった。夢とは一体何だろう。そこには、深層心理DNAの中に刻まれた膨大な量の記憶の堆積が関与しているように思う。ここで私が言う記憶とは、前世の記憶といったオカルト的なものでは全くなく、先祖から無意識に受け継いだ生物としての記憶のことである。2003年の暮れ、不思議なことがあった。友人でイラストレーターのカノンさんから電話があり、こんなことを言われたのだ。いわく、彼女の夢の中に私が現われ、瓶に入った香油のようなものをプレゼントして行ったと。実は、その直前に私は仕事で南インドを訪れ、そこで彼女のためにアーユル・ヴェーダ用のマッサージオイルを買い求めたばかりだった。私がまだそのことを告げない内に、彼女はそのことを夢の中で知っていたのである。この出来事が、今回ホームページで「夢日記」を公開することを私に決意させた。夢とは、私の中で眠っているもうひとりの私からのメッセージではないだろうか。その真実を探る手がかりを得るために、私は自分の夢を記録することにした。これは、私自身の私自身による私自身のための深層心理の記録である。
※夢が現実になった場合や、夢と現実の間に何か関係があった場合に限り、後日談を記す。


2004年1月1日 山田真美







2006年12月


1日●“Dog肉”の一件で誤解される
気がつくと、家の電話が鳴っていた。相手は知らない女性で、政府関係のオフィシャルな用事らしい。電話の主が私に「最近、Mさんはどうしていますか」というような質問をした。Mさんは政府系の某機関に勤務する女性で、何度かお目にかかったことがある。私は問われるままにMさんに関する当たり障りのない話をした。それは、最後に逢ったときにMさんが食べていたランチのことだったような気がする。その電話があってから何時間か(或いは何日か)経って、「Mさんが私の悪口を言いふらしているらしい」という噂をほうぼうで耳にするようになった。噂によれば、Mさんは「真美さんってヒドイ人よ。私がdog肉を食べたと政府に報告したんだって」と言いふらしているというのだ。唖然としながら、私は次第に腹が立ってきた。(Mさんがdog肉を食べたなどと一言も言っていない私が、何故悪く言われるわけ?)(そもそも“dog肉”って何よ? それを言うなら“狗肉”か“dog meat”でしょ)と思いながら憤慨している。その直後に、何かの仕事で別の政府機関を訪ねたところ、そこでもやはり「山田さん、Mさんがdog肉を食べたと言ったんですって? Mさんが怒ってましたよ」と言われた。その言葉を聞いて遂にブチ切れた私は、「冗談じゃないですよ。私はそんな発言をしていません。これからMさんに抗議しますから、ちょっと電話をお借りしますよ」と言い、「そこまでする必要はありませんから」とオロオロしている職員たちを振り切って机の上の電話を借りると、Mさんの番号をプッシュした。Mさんが電話に出るなり、私は目にも留まらぬ早口で「貴女がdog肉を食べたと私が言ったように言いふらしているそうですが、全くの事実無根ですよ。何を誤解していらっしゃるのか知りませんが、私はそのような発言は一切していません。家族も聞いていましたから、彼らにも聞いてみてください」と告げ、まだ何かぐずぐず言っているMさんに対して最後通牒を突きつけるように、「それでもまだ何かおっしゃるのでしたら、遺憾なことですが名誉毀損で貴女を訴えますから覚悟していなさい」と一方的に告げてガチャンと電話を切った。目の前では政府機関の職員たちが怯えている。場面が変わり、夜の街。私はガラス張りの大きな建物の中にいる。そこは遊園地に附属する建物なのかも知れないが、定かではない。ノスタルジックな雰囲気。少し淋しさの入り混じった懐かしい気持ち。この建物の施設を使うためには、何かクリアしなければならない条件があるらしい。私は大きなホールにポツンと置かれたソファーに座った。そうすることによって施設を使うための条件がクリア出来ることに気づいたからだ。一部始終を見ていた見知らぬ若い男性が、「そうですよね。僕もそのソファーに座ります」と言いながら嬉々としてソファーに座った。彼は知的な職業に就いている理系の学者で、いかんせんお金がないらしい。彼が立ち上がると、誰かもうひとりの人が同じようにソファーに座ったような気がする。こうして私たちは建物の施設を使うための権利を得た。しかしその後の顛末がどうなったのかは思い出せない。

【解説】 誤解され、ひどく怒っている夢。夢の中で抗議の電話をかけるとき、私は大声で相手を怒鳴りつけていた。思いきり怒鳴ったせいか、夢が醒めたあとの気分は割と爽快だった(苦笑)。ちなみにMさんは実在の人物。しかし彼女との間で揉め事が起こったことは一度もない。



2日●戻れない場所
大きな建物の中。どうやらそこはホテルの最上階らしい。室内には幼い息子(2〜3歳に見える)と、母、叔母(母の末妹)がいて、何やら楽しそうに笑っている。窓の外には校庭のような広い空き地が見える。木々の緑が生い茂り、爽やかな印象。私は何か用事があって、ひとり部屋を出た。するとその途端、ホテルだった建物は子どもの頃に通っていた小学校に変わってしまったではないか。私は小学校の建物の3階から階段を駆け下り、全速力で1階へと向かった。今日は文化祭らしく、各教室には大勢の保護者(ほとんどは着物姿の母親たち)の姿が見える。ハッキリしたことは分からないが、私には何か急ぎの仕事があるようだ。もしかしたら私の姿はこのときまでに小学生になっていたのかも知れないが、定かではない。校庭に出てみると、現実にはあり得ないほど大降りの雨が降っていた。ほとんどスコールである。これでは運動会は中止だろう(※先刻までは文化祭が行われていたはずだが、あたりの様子は何故か運動会に早変わりしていた)。滝のような雨の向こうに、呆然とたたずむ教員や紅白帽子をかぶった小学生たちの姿が見える。私は最初の場所へ戻ろうとして、逆向きに走り出した。ところが後ろを振り向いてみると、先刻まで確かに存在した扉や廊下が魔法のように消えてしまっており、どんなに頑張っても元の場所へ戻ることが出来ないのである。何度も行きつ戻りつしているうちには、途中の階段でつるりと滑って転びそうになったり、教室のひとつで理科の授業参観をしている光景が見えたり、取るに足らないささやかな出来事が色々と起こる。私はひたすら全力で走りまわりながら、どうにか元の部屋へ戻ろうとしている。

【解説】 こうして思い出してみると、今夜の夢の中で私は一言も言葉を発しなかったような気がする。大勢の人々が登場する夢だったというのに、不思議なことである。現実世界では15歳(高校生)の息子が、今夜は幼児の姿で夢に登場した。前にも書いたように、私の夢に現われる息子はしばしば2〜3歳の姿になっている。しかし娘がオーストラリアに留学して以降は、夢に現われる息子が高校生またはそれ以上に大人びた姿であることが多くなった。ところが、娘が長期休暇で一時帰国している現在は、息子の姿は再び3歳児に逆戻りしてしまった。要するに、娘が近くにいると相対的に息子のイメージが幼くなり、娘が遠ざかると相対的に息子のイメージが大人びるらしいのだ。これに対し、娘が幼い姿で夢に現われることはない。母親(私)から見た長子(娘)と末っ子(息子)の違いが、こうした心理イメージの中に現われているのだろう。面白い現象だと思う。



3日●傍若無人なカメラマン
最初に何かのイベントがあって、私は参加者のひとりだったらしい。イベントの映像が夕方のテレビニュースで流された。しかし、ニュースの中で「この方が山田真美さんです」と紹介されたのは私ではなく、何故か秘書の女性だった。翌日も、また何かのイベントに参加した。運転免許試験場に関係のあるイベントだったような気がするが、定かではない。教室のような建物には大勢の人々が訪れている。私は昨日と同じ女性秘書を伴っている。ここで複数の知人と逢ったような気がする。それらの知人は全員が「佐伯」という姓の人たちだった。長細い事務机の右端にはミュージシャンのサエキけんぞうさんが座っていて、歯の健康についてにこやかにPRしている。どうやら、運転免許試験場に行くと自動的に歯科検診が出来る(?)システムのようなのだ。室内には、昨夜と同じテレビ局のカメラマンの姿も見えた。カメラマンはおかっぱの若い女性で、同番組のディレクター・照明係・ナレーター役もひとりで担当いるという。大変な兼任ぶりだ。私が机の上に置かれたパンフレットを見ていると、彼女はこちらにカメラを向けてズームで寄って来た。と同時に「山田真美さんが」というナレーションが入り、カメラは再び私を通り越して秘書の姿をクローズアップした。その後も何度か「山田真美さんは」という説明と共に、私ではなく秘書の姿が大写しになる。驚いた私はそっとカメラマンに近づいて行って、「すみません、山田は私です。先刻からカメラに写っているのは私の秘書ですので、お間違いなきよう」とお願いした。するとカメラマンの女性は悪びれた様子もなく昂然と顔を上げ、「別に悪いとは思ってませんから」と言ってソッポを向いた。驚いた私が「謝罪の言葉もなしですか?」と尋ねると、カメラマンはまともに視線を合わせようともせず向こうを向いたままの姿勢で、「重役に言いつけたいなら、言いつければいいじゃないですか。私は重役の息子が塩崎大学へ入学したときに口を利いてやったので、貸しがあるんですよ」と不貞腐れたように言った。私は唖然としながら、(なんて傍若無人なカメラマンなの? どこかで見たような顔だけど、何て名前だったっけ?)と思っている。

【解説】 夢に現われたカメラマンに現実世界でも見覚えがあったような気がして、目が醒めてから暫く考えてみた。すると、髪型を少し変えるだけで某有名人と瓜二つになることが判明。しかし私はその有名人に悪感情を持っていないので、何故このような夢を見たのかは不明である。複数の「佐伯」姓の人たちが登場したのは、おそらく現在研究中の空海(本名は佐伯真魚)に関係があると思う。また今夜の夢には歯科医が登場したが、現実世界でも最近クリーニングのため歯科に通ったので、そのことが原因と思われる(ちなみにサエキけんぞうさんは実際に歯科医師免許をお持ちである)。運転免許試験場が登場した理由は分からない。秘書として登場した女性にも見覚えはない。「塩崎大学」という大学も現実には存在しないようだ。
【後日談】 夢から覚めた直後のこと、起床してきた娘(LiA)が開口一番に、「昨夜はとても疲れる夢を見た」と言った。どんな夢だったのかと聞いたところ、彼女は夢の中でなんとカメラマンになっており、しかもディレクターから照明、ナレーターまで全てひとりでこなしていたのだと言う。以前にも何度か書いたように、娘と私の夢は昔から頻繁にリンクする。昨日はカメラマンの話をした覚えもないし、カメラマンと会ったりテレビで見たりしたこともない。つまり、「一人で全ての役をこなすカメラマン」が、唐突にふたりの夢の中に同時に登場したというわけである。いくら親子とは言え不思議な一致で、どうにも理由がわからない。なお、娘は夏休みのためオーストラリアから日本に一時帰国中である。


4日●ダライ・ラマ法王から着物の着付けを習う
気が付いたとき、私は北インドのダラムサラにあるチベット亡命政府本部の建物の中にいた。すぐ目の前には、ダライ・ラマ法王と顔見知りの側近(お坊さん)たちが立っている。何が楽しいのか、誰もが声を立てて明るく笑っている。側近たちが腕を高く上げて、皆に見えるように着物を吊るし持った。それは私が日本から持参した訪問着で、白っぽい地色に金糸で鳳凰が刺繍された上等な品だ。法王は(チベット語と英語と日本語のチャンポンで)、「これは法王に鳳凰をかけたジョークなのだね」と楽しそうに笑いながら、着物の袂の部分を指で示し、「着物の着付けに10分もかけるのは時間の無駄だよ。こうすれば、3秒で着付けは完了するのだから」と仰った。それから法王は袂を裏返し、それを元に戻し、さらにもう一度裏返して見せた。そのたびに袂の模様が変わっている。まるでマジックを見ているようだ。気がつくと着付けは完了しており、私はその訪問着を完璧に着こなしていた。「袂を3度裏返せば着付けは終わるからね」という法王の言葉に頷いている私。

【解説】 久しぶりにダライ・ラマ法王の登場である。しかも日本の着物の着付けをチベット人の法王から教わるという、なんとも不思議な内容だった。夢に登場した訪問着は現実世界では持っていないが、金糸をふんだんに使って織られた豪華な一品だった。それにしても、たった3秒間で訪問着の着付けが終わったらどんなに楽だろうか。全体にマジカルなイメージの夢だった。



5日●…
【解説】 昨日は、盛りが付いたブースケ(シーズー♂)が一晩中パンダ(狆♀)を追いかけて室内を走り回っていたため、あまりの喧しさに殆ど眠ることが出来なかった。そのため今夜は記憶している限り夢は見ていない。



6日●出版社から『妖怪全集』の執筆と講演会を依頼される
初めてお目にかかる出版社の方から、原稿の依頼をされている。相手のお顔は見えないが、話し方の印象としては30代の男性編集者らしい。出版社の名前は漢字2文字で、確か「オキ」という音が入っていたような気がする。目の前には『妖怪全集第3巻』(あるいは第2巻だったかも知れない)が置かれている。著作者は、澁澤龍彦氏または荒俣宏氏だったと思う。編集者から「このシリーズの次の巻を山田さんに書いていただきたいのです。そして、そのテーマで講演会もお願いできないでしょうか」と頼まれた私は、やや驚きながら「でも、妖怪は私の得意分野ではありませんよ?」と一旦は話をお断りする。しかし編集者が帰った直後に気持ちが変わり、すぐに電話をかけて「あれから気が変わりました。やはり書きましょう」と宣言した。編集者は受話器の向こうで喜んでいる。出版社の名前が何であったかを既に忘れてしまっていた私は、記憶の糸を手繰るようにして社名を思い出そうとしている。

【解説】 昨日は現実世界でも、某出版社の編集長と初顔合わせの編集者さん(推定年齢32〜3歳)が出版の打ち合わせのため拙宅に見えた。また、明日(12月7日)は日豪友好年記念のシンポジウムにおいてパネリストを務めることになっている。その2つの事柄が合体して今夜の夢になったのかも知れないが、よくわからない。ちなみに私はいわゆる「妖怪」をテーマに本を書いたことは今のところないが、(切り口によっては面白いサブジェクトになり得るかも知れない)と夢から醒めて思っている。



7日●緑色の玉座
緑色の正方形が見える。座布団らしい。おそらくこれは玉座なのだと思う。すぐ脇には小さなお爺さんがにこやかに座っていた。この人は福の神だ。

【解説】 大変短い、しかし印象的な夢。福の神のような風貌のお爺さんには、前にもどこかで逢ったような気がする。



8日●高波に歓喜する
夜の海岸。海の真上に張り出したカフェのような場所。私は中学校時代の女友達3人とパラソルの下に座っている。私から顔が見えるのはR子ちゃんだ。R子ちゃんは中学生のままの姿で笑っている。何が楽しいのか、私たちは声を立てて笑っている。不意に数メートルの高波が立ち、大量の水が真っ白なしぶきをあげながら私たちのテーブルに降ってきた。私たちは大声で笑いながら楽しそうに逃げている。

【解説】 今夜の夢にはもっと長いストーリーがあったように思うのだが、何故かこの部分しか思い出せない。R子ちゃんは中学時代の同級生だが特に親しい相手ではなく、もう30年近く逢っていない。彼女が夢に登場した理由はまるでわからない。



9日●Lovin' You
ミニー・リパートンが「シャララララ、シャララララ……」と歌う名曲“Lovin' You”が聴こえる。笠井紀美子さんの笑顔が見える。海の匂い。優しい母性のイメージ。

【解説】 「シャララララ、Lovin' you……」という甘い歌声だけが耳奥に残る不思議な夢だった。笠井紀美子さんは往年の名ジャズシンガーで、現在はジュエリーデザイナー。確か旦那様(アメリカ人)が“Lovin' You”を手がけた作曲家だったと思う。笠井さんとは1度しかお目にかかったことがないが、アーティスティックでありながら母性的な、私から見て実に素敵なオトナの女性である。



10日●「リリー○フィールド」の謎を解く
息子と顔を寄せ合って謎解きをしている。謎というのは、「リリーフィールド」という地名のことだ。この地名は、「リリー」と「フィールド」の間にもう1文字入って完成するような気がする。間に入る1文字が何だったか思い出そうとして、先刻から息子と智恵を絞っているのだ。「ア」から50音順に、「リリーアフィールド」「リリーイフィールド」「リリーウフィールド」……と文字を入れてみるのだが、最後の「リリーンフィールド」まで全て試しても納得できる地名はなかった。もう1度「ア」から順番に入れ直して再考してみようと思ったところで目覚まし時計が鳴り、唐突に夢は終わった。

【解説】 昨夜から娘とふたりで台湾に来ている。この奇妙な夢は、台北のホテルで見た。ちなみに「リリーフィールド」は、家族のひとりが嘗て実際に暮らしたことのある街の名前である。



11日●「48」の謎を解く
何かの謎解きに挑んでいる。どうやらそれは「48」という数字に関係のある事柄らしい。「48」は宇宙の至るところに顕在する何かを示しているようだ。それが何であるかは全くの謎だが、「48」は「全ては空である」という仏教思想と関係しているのかも知れない。

【解説】 昨夜に引き続き、またしても謎解きの夢である。「48」は、日本では古くから「沢山のもの」を表わす場合に用いられる数だ。例えば、阿弥陀如来がまだ法蔵菩薩として修行していたときに仏になるために立てた請願の数は48である(これを「四十八願」という)。このほか、「四十八鷹」「四十八棚」「相撲四十八手」など、「四十八」で始まる熟語は多い。そのことと「宇宙に偏在する何か」がどう関係しているのかは不明だが、今夜は夢の中でずっと考え事をしていたような気がする。この夢も台北のホテルで見た。



12日●……

【解説】 今夜は台湾での3泊目。夢を見たことは確実なのだが、それがどんな夢であったか、あとで清書しようと思い要点だけを紙にメモして置いたところ、その紙を紛失してしまった。あとで旅の荷物を整理してみて、メモが出てきたら改めてここに記そうと思う。



13日●出逢いと別れを繰り返しながら移動し続ける
羽毛のように気持ち良くふわふわした感触。雲の上のイメージ。私は旅をしている。一つ一つのことは具体的に思い出せないが、誰かと出逢い、別れ、再び別の誰かと出逢い、別れながら旅をしている私の心は、不思議な平安で満たされている。これはつまり、「空」の本質がわかってきたからだと思う。人々の笑顔が見える。私はおよそ「止まる」ということがない。大きな時間の中を、どこまでも移動し続ける。

【解説】 台湾から日本に戻ってすぐに見た夢がこれである。今夜の夢には、具体的なストーリーがいくつもあったように思うのだが、目が醒めてみると抽象的なイメージしか残っていない。語弊があるかも知れないが、イメージ的には『般若心経』の世界をそのまま映像化したような夢だった。



14日●螺旋階段を登る
見知らぬ建物の中。天井が普通よりやや高いように感じる。静かでありながらどこか開放的なイメージ。建物の中央には螺旋階段があって、上へ上へと伸びている。それはかなり幅の広い階段で、全面に淡い色のカーペートが敷き詰められている。私はその階段を登って行き、やがて最上階に辿り着いた。あまり物が置かれていない広々とした部屋。床の上に身を投げ出して手足を伸ばすと、疲れがスーッと抜けてゆくようだ。そのあと誰かが呼びに来て、私たちは何処かへ行ったような気がするのだが、そのあたりの具体的な内容は思い出せない。

【解説】 今夜の夢では「螺旋=回るイメージ」と「上昇するイメージ」が一緒になっていたようだ。階段の床にはカーペットが敷かれ、万が一転んでも少しも痛くなさそうだった。全体にふんわりと優しく包み込まれるような夢だった。



15日●一本道で空海らしきお坊さんに逢う
目の前に長い一本道が伸びている。懐かしい砂埃のにおい。乾いた空気。人の姿はどこにもない。やがて、遥か彼方からこちらに向かって歩いてくる人影が見えてきた。僧衣を召した60歳前後のお坊さんだ。すれ違うとき、私は合掌しておもむろに会釈しながら、(この方が晩年の空海さんなのだな)と思った。そのあと何が起こったのかは思い出せない。

【解説】 これまでにも何度か弘法大師空海が登場する夢を見たことがあるが、晩年の空海が現われたのは今夜が初めてである。ひと気のない一本道の砂埃のにおいが、何故かとても懐かしく感じられた。



16日●私が私であることの証明
前後関係は良くわからないのだが、私は私が私であることを色々な方法を用いて証明している。私が私であることを証明する相手はひとりではなく、複数いるようだ。穏やかな雰囲気。言葉のない静かな時間。無言のまま、私は私が私であることを証明している。但し、その方法がどのようなものであったかは、少しも思い出せない。

【解説】 今夜の夢にはもっと具体的なストーリーがあったように思うのだが、記憶に残っているのはこの場面だけ。「私が私であることを証明する」と言うと、いかにも難しそうに聞こえるが、夢の中の私はいとも簡単にそのことを実行していた。夢の中では現実世界よりも遥かに「無心」だったことが幸いしたのかも知れない。



17日●持ち物や行動が“かぶる”女性
空港の荷物チェックのようなところ。すぐ目の前に、私より少し年上の女性がいる。肌の質感や顔立ちから言って、ラテンアメリカ或いはスペインあたりの出身らしい。偶然にも、彼女と私は何か同じ物を手に持って(或いは身に着けて)いる。それぞれのバッグを開けると、またしても何か同じ品物を所持していることが判明した。彼女と私は趣味が“かぶる”のだろうか。しかし不思議なことに、この女性を見ても親しい感情は少しも湧いて来ない。好意も悪意も感じられず、むしろどちらかと言えば興味のない相手だ。彼女が1枚の紙を取り出した。飛行機のファーストクラスの搭乗券だ。見ると、その飛行機は偶然にも、これから私が乗ろうとしている便ではないか。彼女とこれ以上かぶっても仕方がないので、私は心の中で(その次の飛行機に乗ろう)と思い、何事もなかったように自分の搭乗券をポケットに隠した。

【解説】 現実世界では昔から、誰かと“かぶる”ことが少ない人生を送っている。むしろ「貴女ってユニークね」と言われることが多い。これは子どもの頃からの傾向である。私は世間の流行や平均的な価値観というものにまるで興味がない上に、媚(こび)や人真似が嫌いだ。その結果として、持ち物や行動が他人と“かぶらない”ことが多いのだろう。今夜の夢には、持ち物や行動が私と“かぶる”女性が登場したが、彼女は外国人であり、また精神的に近しい感じは少しもしなかった。そう言えば昨夜は「私が私であることを証明する」夢を見た。今夜の夢も「みずからのアイデンティティーに関する夢」という意味では、昨夜の夢から繋がっていたのかも知れない。



18日●水道の蛇口から飛び出す魚
ヒマラヤの山中のような場所。お祭りなのだろうか、人々が三々五々と集まって来ている。彼らに促されて、私は坂道の左奥にある茶屋のような小さな建物に入って行った。そこには手を浄めるための水場があって、洒落た半球状のシンクの上には、芸術的なデザインの細長い蛇口が突き出ていた。蛇口をひねってシンクに水を溜めていると、驚いたことに、水と一緒に1匹の小さな魚が飛び出して来たではないか。それは体長3cmほどの細長い魚で、色は透明に近いグレー。直径30〜40cm程度のシンクの中で、彼はゆっくりと泳ぎ始めた。周囲からは、「そんな魚は水と一緒に流してしまえ」という声が聞こえる。しかし私には魚が不憫に思われて、そのまま水に流すことなど出来ない。餌をやって少し大きくなるまで保護し、そのあとで川に返すことに決めた。このあと、「国際交流」または「外交」に関係のある夢を見たような気がするのだが、残念ながら詳細は覚えていない。

【解説】 水道の蛇口をひねった途端に魚が飛び出して来るという、なんとも摩訶不思議な夢。ちなみに『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「魚」の意味は「自分ではまだ意識していない願望や才能を引き出すこと」。「魚を釣る」の意味は「近い将来、利益を得たり大切なことに気づくこと」。「水道から水が出る夢」の意味は「収入を得ること」だそうである。

【後日談】 この夢を見た翌月の2007年1月11日、仕事でニューデリーを訪れた。今回はホテルではなく友人(旧財閥系の大富豪)のご自宅に泊めて頂いたのだが、与えられた部屋(ベッドルーム+シャワールーム付き)に着いて驚いたことには、シャワールームにあった水道のシンクと蛇口が、12月18日の夢で見たものとそっくり同じだったのである。思わず“I've seen this sink and fauset in my recent dream!”(このシンクと蛇口を最近夢で見たわ!)と叫び、大富豪の息子さんから“It means you're psychic.”(つまり貴女は霊能力者に違いないね)と言われてしまった。時空を超えて現象が見えるのは、確かに不思議なことである。


19日●スーパーに買い物袋を忘れる
スーパーマーケットに行って日用品の買い物をしている。特に何を買ったという記憶はないが、最後にレジを済ませたとき、買った物の分量は白い買い物袋にちょうど1つ分だった。そのあと道を歩いていると、突然私は自分の手が空っぽであることに気づいた。折角買った品物を、どこかへ置き忘れてしまったのだ。よくよく考えると、スーパーを出たときには既に手の中が空っぽだった気がする。つまり私は、買い物袋をレジ外の棚に置き去りにして来たらしい。急いでスーパーへ戻りながら、心の中で(最近は悪い人が増えて来たから、置き忘れた荷物は既に盗まれてしまったかも知れない。盗まれず元の場所に残っていたら、日本はまだ立ち直れるかも)などと考えている。やがてスーパーに到着した私は、自分が置き忘れた荷物が最初の場所に残っているのを発見し、ホッとする。しかし不思議なことに、何の変哲もない白い買い物袋に入っていたはずの品物は、何故か2つに分けられて、やや大きめの紙袋とやや小さめの紙袋、合計2つの紙袋にきちんと収納されていたではないか。それぞれの紙袋は白地に紅色のライン入りで、大層おめでたい感じがする。一体誰がこんなことをしてくれたのだろう。不思議に思いながらも、私は少し嬉しい気持ちで2つの荷物を抱え、スーパーを出た。

【解説】 折角買ったものを置き忘れてしまい、一旦は諦めかけるものの、忘れ物は無事に戻り、しかも最初より綺麗な状態に改善されていたという、「災い転じて福となす」を地で行くような夢だった。最後に登場した大小2枚の紅白の紙袋は、何やらとてもおめでたい感じがした。



20日●証人のふりを装う大悪人
前後関係は分からないのだが、何か悪いことをした老婆がいて、そのことで警察や関係者が集まっている。私は証人のひとりとして呼ばれている。別の証人として、恰幅の良い西洋人の男が呼ばれている。彼は、年の頃なら60代後半、目つきがすこぶる凶悪な感じがする。職業はバーテンダーのようだが定かではない。男と私は同じ部屋に入れられている。ほかにも、室内には複数の関係者がいるようだ。男と私は先刻からずっと英語で話している。男はほんの少し南部訛りのある米語で、老婆のことを口汚く罵倒している。私は静かに男の話を聞いていたのだが、ある瞬間に突如として、この男こそが真の悪人であることを思い出した。そうだ、真の犯罪者は老婆ではなく、この男なのだ。私はすぐさま目の前の警官に向かって、たったいま思い出したばかりのことを告げた。自分の発言内容がどんなものであったかは思い出せないが、それは何か決定的な事柄を含む証言だったらしい。男はその場でただちに逮捕され、事件は解決した。そのあと私は誰かとどこかへ旅をして、すこぶる楽しい想いをしたような気がするのだが、誰とどこへ行ったのか、具体的なことは何も覚えていない。

【解説】 今夜の夢に現われた男は、以前にも2度ほど夢に登場したことのある男だ。1度目に登場したのは、2004年1月9日の夢。その夢の中で、彼は屈強な体格のカフェの主人という役回りだった。2度目の夢がいつだったかは思い出せないが、夢日記をすべて探せば間違いなくどこかに登場するはずだ。3度目の登場となる今夜の夢の中で、彼は凶悪な人間と化していた。彼が私にとってどういう意味の存在なのか定かではないが、現実世界では逢ったことのない老人が何度も夢に現われること自体、非常に興味深い現象ではある。仮に彼が実在する人間で、ある日どこかでバッタリ出逢うというようなことになれば、話はさらにミステリアスなのだが……。



21日●美しい青年
私はほうぼうを旅している。目に映るのはヨーロッパの風景だったような気がするが、違うかも知れない。各地でさまざまな物を見て、何人かの人に逢い、音楽を聴いたり食事をして楽しかったような気がするのだが、不思議なことに具体的な内容はまるで覚えていない。ただ幸福な気分が持続している。ときどき横を見ると、すぐ脇にひとりの青年が寄り添うように立っているのが印象的だ。彼は決して言葉を発することがなく、いつも穏やかに微笑んでいる。おそらく日本人なのだと思う。インパクトは弱いが、和風の美しい顔立ちだ。年齢は30歳を超えている感じなので「青年」と呼ぶべきなのだろうが、どこかにまだ「少年」のような蒼く清潔なイメージを残している。彼が何のために私のそばに付き従っているのか理由は不明だが、旅のいちばん最後まで彼はずっと一緒にいたように思う。

【解説】 今夜の夢のテーマは、「旅」または「旅している自分」がメインだったはずなのだが、目が醒めたときに真っ先に思い出したのはこの青年のことで、旅そのものを思い出そうとしても殆ど記憶が残っていない。不思議なことである。青年の顔は誰かに似ているような気がするのだが、それが誰だったか思い出すことも出来ない。



22日●亀になったブースケとパンダ
最初の場面で何が起こったか思い出せないのだが、気がつくと、2匹の亀が私の後をついて歩いていた。1匹目は体長20cmほどの黒っぽい亀で、2匹目はお尻から熨斗袋の水引きのような紐が何本か生えた亀だ。驚いたことに、最初の黒い亀は愛犬のブースケ(オスのシーズー)で、2匹目の亀は同じく愛犬のパンダ(メスのチン)らしい。どうやらブースケとパンダは、亀に姿を変えてしまったらしいのだ。しかし亀になってからも性格は犬のときと変わらないようで、相変わらず尻尾を振りながら私のあとをどこまでも付いて来る。気がつくと私は、見たことのない家の中にいた。それは豪邸というほどではないが、なかなか快適な洋館で、どうやらここが私の自宅らしい。たった今まで来客がいたようだ。私は、客が使った食器をキッチンのシンクへと移動させ、カップや皿の中に水を張った。その途端、2匹の亀が物凄い勢いで泳いでやって来た(注/彼らが行く先には常に水路が出来るらしいのだ)。亀たちは、カップの中に首を突っ込むが早いか、客が食べ残したキャベツを物凄い勢いで食べ始めた。そのあとも「お腹が空いた」と訴えたそうな目でこちらを見ているので、私は(何か彼らの食べ物はないかしら)と思いながら、巨大な冷蔵庫のフリーザーを開けようとした。亀たちも大急ぎで私のあとを追って来る。その様子は、まるで犬だ。姿だけが亀で、彼らの心は完全に犬のままなのだ。冷蔵庫の扉に商品パッケージの説明書のような紙切れがマグネットで留めてあって、そこには亀の写真と「Turtle Food」の文字が印刷されていた。冷蔵庫の中には「Turtle Food」という名の棒状の亀用フード(一見ビーフジャーキーのように見える)が入っているのだが、それをブースケとパンダに与えて良いのかどうか、私は判断に悩んでいる。亀の餌を犬が食べてしまって、健康上の問題はないのだろうか。床の上ではブースケ亀とパンダ亀が「早く餌をくれ」と言わんばかりにドタバタ走り回っている。私は棒の先の部分だけちょこっと折って亀たちに与えたあと、(やはり犬用の餌を作ってあげよう)と思い直し、あり合わせの材料で彼らの昼食を作ろうとしている。

【解説】 昨夜、現実の世界で、ほんの2〜3分ばかり目を放した隙にパンダがテーブルの上に飛び乗って、人間用のマグロ(夕食のおかず)を一皿全部食べてしまうという椿事があった。そのことが今夜の夢には反映していると思われるのだが、それにしても何故「亀」なのだろうか。また、パンダ亀のお尻から水引きの紐が出ていたのも不思議なことである。『夢の辞典』(日本文芸社)によれば、「亀」の意味は「良好な健康状態のシンボル/精神的に安定し、物事が順調に進んでいるしるし」だそうであるから、どうやらこの夢は吉兆らしい。なお、水引きの意味は不明。ちなみに昨日マグロを大量に食べたパンダは、心配していた腹痛も起こさず、今朝も早くから空腹を訴えている。まったくお気楽な犬である。



23日●インドでボストンバッグとデジカメを紛失する
私はインドを旅している。少し前から一軒の宿に逗留しているのだが、奇妙なことに、その宿はどこからどう見ても日本のお寺なのである。イメージとしては“京都の古刹”という感じ。しかし、その辺をウロウロしているポーターやゲストはインド人ばかりなので、やはりここはインドなのだろう。この宿を基点として、私はさらに奥地へと旅をすることにした。そのために、この宿から仮にチェックアウトをしようと思う。私が泊まっている部屋(3階ぐらい?)から荷物を降ろすためには、ダストシューター(※下の注釈を参照のこと)を使う必要があるようだ。私は自分の荷物をダストシューターの中に投げ込んだ。そのあと荷物を回収するために階下へ行ってみると、ボストンバッグとデジカメが紛失してしまっている。(しまった)と思ったときには後の祭り。どうやらボストンバッグとデジカメは盗まれてしまったらしい。(惜しいことをした)とは思うのだが、さりとて私はひどく困り果てるわけでもなく、早くも諦めの境地に入って(まあ、私の荷物が貧しい人の手に渡って有効利用されるなら、それも良かろう)などと思っている。そのうちに、どこからともなくデジカメが戻って来た。私はデジカメが戻って来たことに感謝しながら、失われたボストンバッグの中身を思い出している。確か衣類がほとんどで、今すぐに必要な物は入っていなかったように思う。そのあと、チェックアウトの手続きのために(?)、私は外の庭に並んだ。ほかにも何人かの人が列になって並んでいる。私のすぐ後方には、浅丘ルリ子さんがいらっしゃるようだ(姿は見えないが声でわかった)。石坂浩二さんの声もする。彼らとインド人の会話を聞くともなしに聞いていると、どうやらこのたび日印両国の古典文学(『マハーバーラタ』と『源氏物語』と言っていたように思うが、ハッキリ覚えているわけではない)がお芝居として上演されることになり、主役を浅丘さんが勤めることになったらしいのだ。その会話を聞きながら、私はまだ少しだけボストンバッグのことを想っている。

【解説】 全体にとりとめのない、不思議な印象の夢だった。特にダストシューターと浅丘ルリ子さんの登場は突拍子がない感じだった。日印両国の古典文学が夢のアイテムとして現われたのは、昨日、現実世界で友達と『カーマ・スートラ』の話をしたことと関係があるかも知れない。夢の中で紛失したバッグとカメラは、現実世界でも愛用している品々だ。なくさぬよう、くれぐれも気をつけたいと思う。
【注釈】 ダストシューター=屋内にいながらにして屋外へ直接ゴミを捨てるための施設。建物の壁に開閉式の小さな穴が開けられていて、そこからゴミを捨てると、ゴミはそのまま下に落ちて野外に設置されたゴミ収納容器へと回収される仕組みになっている。最近は見かけなくなったが、昭和中期に建てられた集合住宅(アパート)では「ダストシューター」をしばしば目にしたように記憶している。ちなみに、昔うちの近所に住んでいた男の子で、友達と遊んでいるうちに3階のダストシューターの穴の中へ頭から落ちてしまったドジがいる。彼は全身に引っかき傷を作りながらも、照れ笑いをしながら生還。何事もなかったように遊び続けた(下にあったゴミがクッションになって助かったらしい)。昔は彼のような「ちょっとバカだが凄く逞しい男の子」がごくフツーに生息していたように思う。なんだかちょっと懐かしい。
【後日談】 この夢を見た3日後の26日のこと、ちょっとした事件があって、書斎の一角を雨水で溢らしてしまった。そこに置いてあった物のうちで浸水の被害に遭ったのは、なんと驚いたことに例のボストンバッグとデジカメのケース(但し中身は無事)だったのである。ほかには一切、被害なし。この夢を見たときは「紛失の危険」だけを考えていたが、まさか3日後にくだんのボストンバッグとデジカメ(のケース)が水難に遭おうとは……。23日の夢は、不完全な形でバッグとデジカメの危機を私に教えてくれていたのだろうか。不思議である。カメラがケースから出ていて無事だったことは、不幸中の幸いだった。。


24日●J介とヨーロッパの街並みを歩く
気がつくと石畳の道を歩いていた。周囲の景色は風の中に溶け込んだようにぼんやり霞んでいるが、そこはヨーロッパの古い街並みだったような気がする。周囲に何人かの友達がいるようだが、姿は見えない。私たちは楽しく語らいながら歩いていたようだ。視線の端に、ときどきJ介の姿が見える。J介はポケットに手を突っ込んで少し前屈みに歩きながら、この街の歴史について説明している。しかしそれはかなりアバウトな説明だったような気がする。そのあとも私はさまざまな場所を旅するのだが、行く先々でJ介の姿が見えた。J介は街の案内役をしていたようだ。私は「ねえねえ、Jスケ、貴方の名前の“スケ”って、漢字で書くと助兵衛の“助”だったっけ」と真顔で尋ねた。するとJ介は爆笑しながら、「いやいやいやっ、違いますよマミリン先生。“カイ”と読む“介”のほうです」と答えた。私は頷きながら「ああ、イカみたいな形の字のほうね」と答えた。そのあともヨーロッパの国々を旅したような気がするが、街の様子などは何故か全く記憶に残っていない。

【解説】 J介さんは実在の人物で、20歳ほど年下のお友達。ヨーロッパの某国に暮らしたことがあり、ファッションやライフスタイルなどはイギリスのトラディショナルを感じさせる上品系オシャレさんだ。顔は某歌舞伎役者に瓜二つの二枚目だが、性格はかなりトンチが利いてグーである(謎)。ストーリー性はないが、楽しい夢だった。なお、今夜の夢は今月21日に見た夢とストーリー的には酷似している。これは何かの予告なのだろうか。ちなみに私は来年6月、北欧を訪問する予定である。



25日●やわらかなベッド
知らない部屋。真ん中に大きなベッドが見える。やわらかく、温かで、真っ白で清潔なイメージ。私はふとんの中に潜り込んで、心がコロコロ転がるような楽しい気持ちで絵本を読んでいたような気がするが、そのあたりのことはよく覚えていない。部屋に人の気配がしていたような気もするのだが、その人の顔は見ていない。

【解説】 具体的な出来事などは何もないのだが、とても幸せな気持ちの持続する夢だった。


26日●山の斜面に建つホテル
夢の画面の右上のほうに、ホテルが建っている。その下と左側全体は、ゆるやかな山の斜面だ。あまり手入れの行き届いていない芝生。ひと気はなく閑散としている。まったく見たことのない風景だが、私はふと夢の中で自分が夢を見ていることに気づき、(遠くない将来、この場所に来るのではないだろうか)と思っている。

【解説】 この前後にストーリーがあったのかどうか、まるで覚えていない。夢の中で私はホテルの前に暫く立っていたようだが、ホテルの中に入った記憶はない。


27日●ふたりのプリンセス
某国の王室にはふたりの王子がいる。王子たちは、それぞれ結婚している。彼らの妻たち、即ちふたりのプリンセスは、年齢で言えば中年の域に差し掛かっている。世間では、このふたりが犬猿の仲であるという専らの評判だ。週刊誌なども、彼女たちの仲が悪いことを、さも見てきたように盛んに書き立てている。プリンセスのうちのひとりは、さまざまな社会的プレッシャーから来るストレスで病の床についている。もうひとりのプリンセスが、「このまま噂を放置しておくのは好ましくないこと。私たちが仲良しであることを記者発表しましょう」と明るい声で告げている。その光景を黙って見ていた私は、(このプリンセスは非常に聡明な女性だ)と感心している。

【解説】 体感時間にして2〜3秒に満たない短い夢。色々と差し障りがあるのでこれ以上詳しくは書けないが、なにやら非常にリアルな印象が残る夢だった。


28日●驚くほど美しい黄色い光を全身に浴びる
気がつくと、私は大きな日本家屋または寺の内部のようなところを、ひとりで歩いていた。足の運び方から察するに着物を着ているようだ。下を向かなかったのでどんな色柄の着物か見ていないのだが、おそらく仕立て上がったばかりの気持ちの良い大島紬だったような気がする。自分が歩いている場所は全体に仄暗く、心が落ち着く場所である。回廊のような細い通路を右へ左へ折れながら黙って進んで行くと、卒然、目の前がパッと開けて、新しい部屋へと通じる大きな入り口が現われた。そこは縦3メートル×横5メートルほどの壁面なのだが、薄いガラスケースのようなものが取り付けてあって、中からは驚くほど美しい黄色の光が後光のようにパーッと差しているではないか。ガラスケースの中にはたくさんのぬいぐるみが飾ってあるのだが、それはどうやら異次元にあるオモチャの国からやって来た“命の宿ったぬいぐるみ”らしい。黄色い光が驚くほど心地良くて、私はその場にたたずみ、全身にたっぷりと光を浴び続けた。(幸先がいい)と思う。これで来年も良い年になるだろう。

【解説】 今夜の夢に登場した場所がどこなのかは皆目わからないが、そこは極めて和風で、落ち着いた場所だった。一箇所、驚くほど美しく心地良い黄色の光が射している場所があって、私はその光を全身に浴びながら来年の幸福を予感しているのである。とてもポジティブで、「お前はこのままお前の道を進んで行けば良いのだよ」と何者かに背中を押してもらったようなサポーティブな夢だった。


29日●黄色い光と美しい青年
気持ちよく広々とした場所。屋外だと思われるが、特に目立った景色が見えているわけではない。草原のような気もするが定かではない。私が歩いているすぐ脇に黄色い光が満ちていて、そこから明るい生命力を感じる。光の中に、ひとりの美しい青年が立っているのが見える。私は青年と言葉を交わしたわけではないが、とても良い波動のようなものが彼から照射されているのを感じる。私はその波動を受けているようだ。このあとどこかへ行ったような気がするが、思い出すことが出来ない。

【解説】 昨夜に引き続き、またしても黄色い光に包まれる夢である。夢の中で黄色い光に包まれるたび、現実世界の自分が浄化されてゆくように感じるのは気のせいだろうか。また、今月は21日にも美しい青年が登場する夢を見た。具体的なストーリーはなかったにも拘わらず、何となく物語性があるようなイメージの今夜の夢だった。


30日●階段またはリフレインする箱
ハッキリわからないのだが、私は階段のように段差のある場所にいる。しかし、そこは箱のようにも見える。繰り返しながら大きくなる箱のような何か。リフレインしながらの成長。運命。誰かが声にならない声で「天才に勝る努力はない」と言ったようだ。空中に大きく誰かの顔が見える。これは来年の私に関わりのある顔だと思う。

【解説】 今夜の夢は非常に哲学的かつ抽象的で、およそ言葉で説明することが難しい内容だった。しかしこれは何らかの成長を表わしていたような気がしてならない。


31日●入社試験と白い駕籠
気がつくと、私は入社試験会場らしき場所にいた。20代前半ぐらいに見える大勢の人たち。大きな部屋。次の場面で私はHさんに電話をし、たった今受けたばかりの試験(?)について相談(または報告?)をしていた。受話器の向こうからHさんの笑い声が聞こえ、私はほっと安堵する。場面が変わり、目の前に純白の駕籠(かご)が見える。とても高貴な感じ。写真を撮ろうと思うのだが、駕籠の後方が白壁なので撮影は難しい。

【解説】 前半と後半に何の繋がりもなく、どうにも唐突なイメージの夢だった。ちなみに現実世界では、私は「就職試験」というものを1度も受けたことがない。Hさんは大学時代にアルバイトをしていた会社(現在の「リクルート」)の人だが、もう何十年も逢っていない。「駕籠」が登場した意味は不明。




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