2006年1月


1日(初夢)●映画の完成祝賀パーティーに出席する
見覚えのない道を歩いていると、数人の日本人が何やら大声で話しながら小走りに駆ける姿が見えた。よく見ると、それは映画の撮影隊らしい。そのなかのひとりは女性で、若い頃の大竹しのぶさんに似ている。彼らが駆けて行った緩やかな下り坂を、私もたどって行く。気がつくと、ホテルのような見知らぬ建物の中にいた。エレベーターホール近くの廊下で、ひとりの男性に逢う。彼も先刻の撮影隊の関係者で、社会的身分が高い人のようだ。彼は私に対して深い親愛の情を示してくれる。私もこの人に対し、えも言われぬ懐かしさを感じた。そのあとさらに複数の映画関係者に逢ったような気がするが、そのなかには世界的な権威も混ざっていたかも知れない。場面が変わって、映画の完成記念パーティー会場。ここへ入るためには多くの条件をクリアする必要があるのだが、私はこのときまでに関係者と懇意になっており、容易に会場へ入ることが出来た。そこには世界的セレブを含む数百人の着飾った人々がいる。女優のチャン・ツィーさんの姿も見えた。このあと、何かとても良いことが私の身の上に起こったのだが、それが具体的に何だったのかは思い出せない。

【解説】 今夜の夢には細かなエピソードがいくつもあったのだが、残念ながら起きた途端に詳細を忘れてしまった。しかし全体のイメージとしては新しく華やかな世界が開ける感じで、初夢としては非常に縁起のいい夢だったように思う。
【後日談】 この夢を見てから約3週間後、とある俳優さんと初めてお目にかかった。この人を仮にAさんとする。Aさんは有名な方なのだが、私はこれまで彼の容貌などを細かく観察したことはなかった。ところがこの人に逢った瞬間、(初夢の中でエレベーターホール近くの廊下で逢った人はAさんにそっくりだ)ということに気づいたのである。しかも私がAさんと逢ったのは、ハリウッド映画に関する話し合いのためだったのだ。実に不思議な符号の一致と言わざるを得ない。



2日●サービスの悪い美容室と震度10の地震
気がつくと美容室の席に座っていた。小さな店で、椅子が3脚、従業員も3名しかいない。店長らしき眼鏡をかけた長髪の男性が、私の担当のようだ。私の椅子は既に後ろに倒され、髪は濡らされている。ところが店長は髪の濡れた私をその場に放置したまま、従業員に対して何やら訓示を始めてしまった。だいぶ時間が経ってからようやくシャンプー液を付けてくれたと思いきや、彼は再び業務連絡のようなことを延々と喋りつづけている。私は次第に腹が立ってきて、店長に対して何か文句を言いながら、(もう二度とこんな店に来るものか)と思っている。そのあとどこか別の美容院に行ったところ、やはりそこもサービスの悪い店だった。場面が変わり、夕暮れ時の道。長く伸びた懐かしい感じの道で、私は数人の男女と一緒に歩いている。これから皆でレストランに行くらしい。横を歩く静かな中年の男性は、以前もどこかで逢ったことがある人のようだが、誰なのかは思い出せない。再び場面が変わって、実家の寝室。いきなり大きな地震が襲い、眠っていた私は布団の中で揺れが収まるのを待っている。母と姪が階段を登って来て、「今、大きな地震があったのよ。長野で震度5、東京は震度10ですって」と言う。大変なことになったと思う。またしても場面が変わり、見たことのないマンションのような建物。そこで数人の人に逢い、言葉を交わしたり買い物(?)に出かけたようだが、詳細は覚えていない。
【解説】 今夜は複数の短い夢の記憶が断片的に残っている感じで、全体のストーリーとしてはまとまりのない夢だった。昨年末頃から大地震の夢をよく見るのだが、夢の中で体感する「揺れ」が実にリアルで、実際に起こった出来事なのか夢だったのか、目が覚めてから暫く判然としないほどである。現実にも大地震が起こるのではないかと、やや気がかりな今日この頃である。



3日●仕事を頼まれる
品の好い初老の男性が近づいてきて、「貴女に一生に一度の頼みがあります」と言う。この人はどうやら出版関係者らしい。「それはどのようなことでしょうか」と問うと、相手からは「頼みというのは、我が社から書き下ろしの小説を5作出版して欲しいということです。小説の内容はすべて貴女に一任します。書いてくださる見返りとして、この先10年間は貴女の言うことを何でも聞きますから」という答えが返ってきたではないか。美味しい話だとは思うのだが、私はとりあえず素っ気ない口調で、「わかりました」とだけ答えた。このほかにも色々な人が現われて次々に仕事を頼まれたような気がするのだが、詳細は覚えていない。
【解説】 今夜の夢はまさに千客万来という感じで、色々な人が入れ替わり立ち代わり現われたような気がする。そのすべてが仕事の依頼だったことは間違いないのだが、目が覚めると同時にその内容を忘れてしまった。とりあえず、お正月から景気のいい夢だったことは確かである。



4日●弟は外国人
若い頃の母が現われて、「もうじき弟が生まれるわよ」と言う。盛夏なのだろう、母は白地に薄いグリーンの模様が入った上品なノースリーブのワンピースを着ている。母はまだ30歳ぐらいで、柔らかくカールさせたセミロングの髪を風になびかせた姿は、驚くほど美しい。暫くして、弟が生まれたとの報せが届く。しかし何故かその子は日本人ではなく、肌が黒く目の大きな外国人ではないか。私には、その顔に見覚えがあった。少し前の夢にも現われた「マリちゃん」という名の女の子だ。(この子は女の子で、名前はマリちゃん。私の弟ではない)と思いながらも、同時に(この子の肌が黒いことで誰かにいじめられたら、私が守ってあげなくては)と思っている。やがて産婦人科医院での赤ちゃん取り違え事件が発覚し、肌の黒いこの赤ちゃんがよその家の子であることが判明した。代わりにホンモノの弟が現われ、目の前でいきなりヨチヨチ歩きを始めた。私は本当の弟が戻ったことを喜びながらも、(夢の中に何度も現われる「マリちゃん」とは、いったい何者なのだろう?)と怪訝に思っている。
【解説】 「マリちゃん」は、先月15日および24日の夢にも登場した女の子で、それぞれの夢では「日本の伝統芸能の家元の一人娘」、「アフリカの部族の娘」という人物設定だった。現実世界でこの子の顔に見覚えはないが、こう何度も繰り返し夢に登場されるといささか気になる。



5日●滑りやすい雪の坂道
起伏の多い山道。ジープのような四輪駆動車。隣の席に男性(外国人?)が座っているようだが、その姿は全く見えない。最初に運転していたのは男のほう(あるいは、男の指示に従って私が運転していたのかも知れない)。しかしその方法では、タイヤが雪道をつるつるスリップしてしまい、うまく前進することが出来ない。同じ山の中を似たような形の自動車が何台も走っているようだが、彼らが味方なのか敵なのかは定かでない。これは何らかのゲーム、または競争なのかも知れない。私はふと、(クラッチの使い方と道順の両方を変えれば、うまく走行できるのではないか)と思う。そのアイデアどおりに行動してみたところ、今度は全くスリップせずにスムーズに前進することが出来た
山頂に辿り着いた私は、そこで何か非常に面白いものを見た(または、非常に面白い人に逢った)ような気がする。
【解説】 この前後にも複雑で長いストーリーがあったようだ。全体としてはスパイ小説風の展開だったのだが、残念ながら詳細を思い出せない。



6日●母校と先輩
坂道の多い高級住宅地のようなところ。そこは家から遠く離れた知らない街だ。外国のような気もする。ひと気のない道をひとり歩いていると、一組の母子の姿が見えた。母親は日本人。幼稚園児か小学校の低学年生に見える娘は、白人とのハーフらしい。すぐ近くにインターナショナルスクールがあって、女の子はその学校へ通っているような気がする。母親はきびきびした感じの痩せた女性で、やや冷たいイメージがある。女の子が(おそらく英語で)何か洒落た文句を口にした。それを聞いた私は思わず母親に向かって、「お宅のお子さんは本当に賢いですね。ここまで賢い子はそうそういないでしょう」という意味の賛辞を送っていた。それを聞いてようやく母親は私の存在に気づいたらしく、私たちの間で何か簡単な会話が交わされた。彼女はこの近くで待っている夫(アメリカ人らしい)のもとへ急いでいるらしく、行動にも口調にもゆとりがない。高級車に乗り込みながら、彼女は私に向かって「乗って行かれます?」と言った。私は礼を言いながら「ゆっくり歩きますから結構です」と答えた。そのあとお互いに名前を名乗り合ってみると、彼女が口にしたのはとても珍しい名前である。その名前に聞き覚えがあったので、「もしや長野西高校の卒業生ではありませんか」と母校の名前を言ってみた。彼女は驚いたように「ええ、そうですが」と頷く。聞けば彼女は私より1年先輩で、同じ時期に学校に通っていたことがあると判明する。夫のもとへ急ぐ彼女が娘と共に車で去って行ったあと、私はゆっくり坂道を下って行った。暫く歩くと、大きな学校が見えてきた。見覚えのない風景だが、この一帯は島崎藤村ゆかりの場所で、学校は明治学院大学らしい。近くに落ち着いた感じの男性が3人ほど見える。私は彼らに向かって「私は明治学院の卒業生なんです。高校3年の晩秋に島崎藤村の小説に嵌りまして、それで急遽、藤村の母校である明学を受験しましてね」などと、問わず語りに話している。
【解説】 懐かしい学び舎や先輩が登場する夢なのだが、不思議なことにその風景は現実世界とはまったく違っていた。また先輩だという女性にも見覚えはなく、名前にも聞き覚えはなく、親しい感情も込み上げて来なかった。母校の話をしている割には心が懐かしがっていない、奇妙な夢だった。



7日●キュービックな知恵の小部屋
夢の画面の左側に、キューブ(立方体)状の小部屋が並んでいる。それが面白い並び方で、横にきちんと整列しているのではなく、縦横に入り乱れ、時には交差しながら多次元的に並んでいるのだ。ひとつひとつの部屋は白っぽい透明で、氷の結晶のようにも見える。そこには“知恵”に関係のある何かが詰まっているらしい。私はこれからそこで暮らすのだと思う。画面の右側には、何故か部屋はひとつも見えなかった。
【解説】 ストーリー性のない一瞬の夢ながら、氷のような冷静さが印象に残る画像だった。気のせいかも知れないが、この夢はこれから書こうとしている小説に関係しているように思えてならない。


8日●自動車教習所と運転免許
自動車教習所が見える。寮制なのか、大勢の人がワンルームマンションのようなところに寝泊りしながら運転を勉強している。メンバーは学生、主婦、フリーターなど多種多様だ。彼らの間に交流はあまりなく、皆が一生懸命に勉強に打ち込んでいるのが印象的だ。私の手元に1枚の紙が届けられた。そこには彼らの合否状況が棒グラフのようなもので示されている。それを見れば、誰がどれだけの期間で運転免許を取得できたかが一目瞭然だ。見ているうちにも紙の上のグラフは刻々と伸び、合否状況がリアルタイムでわかる仕組みになっている。皆のなかでいちばん若く、いかにもドライブが似合いそうに見えた男子大学生のグラフだけが途中で折れ、脇に曲がって止まってしまった。彼は免許取得に挫折したらしい。(根性と若さに相関関係はないのだな)と思う。場面が変わり、公道を走る1台の自動車。先程グラフが見えたときのように、私の目の前には地図が見えている。十字型に交差する2本の幹線道路と、そこから少し右にそれたところにある住居表示が見えた。その住居に立ち寄って誰かをピックアップしたら、この車は幹線道緒を直進し、少し左に入ったところにあるゴール地点を目指すことになっている。そこまでの距離は、これまでに走った距離の2倍程度だ
【解説】 今夜の夢では「自動車の運転」と「免許」がテーマになっていたが、私は登場人物のひとりではなく、客観的に第三者としてすべての出来事を傍観していたような気がする。現実世界では、最近私の周囲で免許を取った人はおらず、この夢にどんな意味があるのかは全く不明



9日●バレーダンサーから届いた茶封筒
デスクの上に大きな茶封筒が置いてある。表向きに置いてあるため差出人名はわからないが、一目見ただけで、セミプロのバレーダンサーであるM美さんから届いたものだとわかる。中身はおそらくガラス製品だと思うのだが、何故か私は封を開けようともせずに、そのまま茶封筒の中を透視しようとしている。
【解説】 M美さんはセミプロ級のバレーダンサーだが、それほど親しい関係の相手ではない。過去に彼女からガラス製品を貰ったこともなく、今夜の夢は全体に意味がよくわからなかった。


10日●文字と矢印で表現する森の風景
目の前に森が広がっている。そこは何か特別な霊気をはらんだ場所のようだ。緑色の種類が普通とは違っている。この世には実在しない不可思議な緑色だ。この森の風景を、文字と矢印だけを使って表現するようにとの指令が下る。イラストや写真などは一切使うことが許されない。かなり困難な作業だが、私は一心不乱にその任務を遂行している。すぐ近くに釈迦の存在を強く感じる。
【解説】 この直後に何か非常に展望のある、明るい出来事が起こったような気がするのだが、残念ながら目が覚めると同時に忘れてしまった。


11日●裏返しのマジシャン
空中に幾つかアルファベットが浮かんでいる。すべて左右が反転しているが、努力して読んでみると“KUDROLI”と読めた。クドゥローリと言えば、個人的にも知っているインド人マジシャンの名前ではないか。彼の名前が何故こんなところに浮かんでいるのだろう。怪訝に思いながらその先を見ると、やはり空中にクドゥローリ本人が浮かんでいる。しかも、あろうことか、彼の肉体はinside out(裏返し)になってしまっているのだ。どうしたら彼を元通りにすることが出来るのか、それともこれは新しいマジックに違いないから放置しておいたほうがいいのか、自分のすべきことが何であるか戸惑いながらも微妙に楽しんでいる私。
【解説】 これまた奇想天外な夢。クドゥローリはフルネームをクドゥローリ・ガネーシュといって、全インドマジック大会で優勝経験のある本格派マジシャン。かつて私はマジック大会の審査員として彼に出逢い、そのときのことを『マンゴーの木』(幻冬舎)という本に書いたこともある。最近はとんとご無沙汰している彼が、裏返しになって夢に現われるとはどうしたことか。久々にクドゥローリに連絡を取ってみようかと思う。


12日●謎の戦艦
一隻の戦艦が見える。この戦艦は、敵の目を潜り抜けてヨーロッパ方面から日本近海までの単独航行に成功したらしい。今は日本近海の某所にそっと身を潜めているようだ。戦艦のまわりには霧がかかっている。彼がこれから何をしようとしているのか、味方艦なのか敵艦なのかもわからない。霧の切れ間に戦艦の前半分だけが見えた。驚いたことに、戦艦にはまるで機関車トーマスのような顔が付いているではないか。大きさも子犬のように小さいような気がする。(この船は一体何をする気なのだろうか)と怪訝に思っている私。
【解説】 そう言えば娘が小さい頃、フィッシャープライス社製の顔の付いたオモチャの電話を持っていた。今夜の夢に現われた戦艦の顔は、その電話に似ていたような気がする。もっとも、今頃になって何故そのオモチャが夢に現われたのか、何故戦艦に姿を変えていたのかは全くの謎だが。


13日●白と黒と瓶に入った液体の意味
穢れていない白いものと、穢れきった黒いものと、瓶に入った正体不明の液体が並んで見える。黒いものは、良く見ると穢れているのではなく、ビッシリと小さな文字が書き込まれた経文なのかも知れない。同様に白いほうは、何も書き込まれていない唯の紙なのだろうか。とすれば、穢れていない白と見えたものは単なる無知で、穢れきった黒と見えたものは智恵なのだろう。それでは、この液体は何か。私は静かにその意味について考えを巡らしている。
【解説】 これも意味のわからない夢。液体は飲み物ではなく、むしろ理科の実験に使われる薬品のように見えた。白黒の意味は不明だが、このところ毎日のようにサンスクリット語の般若心経を読んでいるので、そのため夢に経文が現われたのかも知れない。


14日●促成栽培
薄暗い病院のようなところ。中学生ぐらいの若い女の子が連れて来られた。彼女は狭い個室に住まわされる。3日後に行ってみると、彼女はなんと子どもを産んだあとだった。3日前には妊娠の兆候すらなかった人が早くも出産を完了しているとは。なんともスピーディーな世の中になったものだと思う。
【解説】 この夢を見る前夜、『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(Dr. Strangelove Or How I Learned To Stop Worrying And Love The Bomb)』(ピーター・セラーズ主演、1963年作品)を観た。核戦争による世界の終末を描いたこの映画は、登場人物のシュールな行動/言動といい、滑稽なほど恐ろしいリアリティーといい、既に3度も観た私にとっても「観れば観るほど奇妙にして恐ろしい映画」である。この映画の最後に、ヒトラー崇拝者らしきドクター・ストレンジラブという博士が、核戦争後の人類の生き残り方法について得々と説明する場面があるのだが、彼の珍説によると、核戦争後の人類は、選ばれた美しく優秀な男女だけが100年間ほど地下に潜り、一夫多妻制度を営んでジャンジャン子どもを増産すればいいと言うのだ。今夜の夢はおそらくこの映画が影響していると思われる。※『博士の異常な愛情』では、名優ピーター・セラーズがイギリス将校、アメリカ合衆国大統領、ドクター・ストレンジラブの一人三役を見事に演じています。色々な意味で興味深い映画ですので、機会があったら一度ご覧になる事を強くオススメします。


15日●探し物
大きな日本家屋。その室内を何故か自動車で走り回っている。どうやら私は探し物をしているようだ。知らない男性がふたり、コタツに入っているのが見える。彼らは30代前半で、同じ職場に勤めているらしい。探し物が何なのかは分からない。畳のへりの間から、不意に何かが飛び出して来た。探し物は意外なところにあるのだと思う。
【解説】 今夜の夢には長いストーリーがあったような気がするのだが、この部分しか思い出せない。探していた物が何なのかは、最後までわからずじまいだった。


16日●レズビアンの老婆
若い女の子が何かを手に入れようとしている。それを手に入れる為には、長老のような立場の老婆から許可を得る必要がある。最初の女の子は難なく欲しい物を手に入れたようだ。しかし次の女の子は要領が悪いのか、老婆に邪魔をされてなかなか欲しい物を入手できない。私は気の毒に思いながら、少し離れたところから第三者としてそれを見ている。やがて老婆が口にした一言(具体的に何だったかは思い出せない)によって、老婆がレズビアンであることが判明する。どうやら老婆は若い女性がカラダを張れば、欲しい物を用意してくれるらしいのだ。老婆の下品さに呆れながら、(芸能界って本当に大変な世界ねぇ)と思っている私。
【解説】 これも意味不明な夢。世の中に理解できないものは幾つかあるが、私の場合は「レズビアンの世界」が昔から理解できない。というか、全く興味がない。夢の世界とは言え何故レズの老婆が現われたのか、謎である。


17日●嘘泣きをする女
娘と一緒に歩いていると、高校時代の後輩だったM美ちゃんが木の下に立っているのが見えた。ただし、不思議なことにその姿は、M美ちゃんと言うよりむしろ中学時代の後輩だったK子ちゃんに似ているのだが。M美ちゃんにとって都合の悪い出来事が起こり、その途端に彼女は大声をあげながらヒステリックに泣き出した。手足をバタバタさせ、幼児のように凄まじい泣き方で、しかもそれが見るからに嘘泣きなのである。娘と顔を見合わせ、(何なの、この人?)と心の中で呆れ返っている私。
【解説】 この夢を見る数日前に、何かのTV番組に嘘泣きをする女性が登場した。彼女は嘘の涙で男性をたぶらかし、男性の方も騙されていると知りながら結局は女に丸め込まれてしまうという内容の番組(ドキュメンタリー)で、一緒にテレビを見ていた娘と私は「これは最低の女だけれど、男のほうもバカすぎるわね」と呆れていた。その番組の内容が今夜の夢に反映しているように思うのだが、しかしM美ちゃんとK子ちゃんが登場した理由が全くわからない。このふたりは学生時代からしっかり者で、我儘を言ったり嘘泣きをするタイプとは対極にあった。何年も逢っていない彼女達がいきなり嘘泣き女の役柄で登場するとは、一体どうしたことだろう。なお私は「嘘泣きをする女」と「媚を売る女」が個人的に大嫌いである。


18日●水責めのテロ
地下鉄へと続く長い階段。愛犬のブースケを抱いて階段を登っていると、突然、地上側から大量の水が流れ込んできた。何者かが水責めのテロを決行したらしいのだ。あっと言う間に周辺は天井まで水で溢れ、多くの人が流されてゆくのが見えた。私は片手でブースケの前足を掴み、片手で階段の手すりにしがみついて辛うじて流されずに耐えている。しかし水流の物凄さに耐え切れず、次の瞬間、ブースケが激流に飲まれてしまった。このままブースケを見捨てれば、私一人は助かることが出来そうだ。しかし私は手すりから手を離し、ブースケを助ける為に流れの中に身を投げていた。地下鉄の通路は到るところが水のトンネルと化している。轟々と流れる水の中を泳いで行って、ブースケを救助することに成功した私は、必死で手足を動かしながら地上を目指した。あたりにはたくさんの水死体が見える。どうにか地上に戻ることに成功し、ぐったりしているブースケの鼻の上を押すと、飲み込んでいた水をピューと噴出してブースケは目を覚ました。
【解説】 なんとも物騒な夢だった。夢の中の私が、ほぼ溺れているにもかかわらず少しも恐怖心を感じていなかったのも不思議なことだ。なお、『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「階段を登る」は「理想の未来に向って行くこと」、「水」は「生命エネルギーと財産の象徴」、「地下鉄」は「実現できなかったもうひとつの人生」、「トンネルからの脱出」は「先々に希望が持てる」という意味だそうだが、これらがどのように繋がるのかは定かでない。


19日●入れ替わる英語と日本語
大きな屋敷。着物姿の品の良い中年女性がやって来て、領収書のようなものを寄こした。そこには日本語で何かつらつらと書き連ねてある。私はその紙を一旦ポケットにしまい、暫くしてからもう一度取り出してみると、文字は英語に変わっていた。そのまま屋敷を出て道を歩きながらもう一度紙を見ると、文字は再び日本語に変わっていた。
【解説】 以前インドでマジック大会の審査員をしたとき、あるマジシャンから受け取ったトランプのカードが時間を経ると名刺に変わってしまったことがあった。あのときは大いに面喰ったものだが、今夜の夢もそんな不可思議さに溢れていた気がする。なお、マジシャンからもらったカードが名刺に変わってしまった経緯については、拙著『マンゴーの木』(幻冬舎)に詳しいので、ご興味のある方はそちらをご参照ください。


20日●法王から学ぶヨーガの極意
ヨーガスタジオらしき場所。マットの上で開脚しながら上半身を思いきり前に倒す運動をしている。インストラクターはダライ・ラマ法王だ。“Don't think. Feel.(頭で考えるな。感じろ)”という法王の言葉を聴きながら、心の中で(確かブルース・リーも同じことを言っていた)と思っている私。
【解説】 今夜の夢は非常に短いストーリーながら、インパクトは絶大だった。最近になってヨーガのレッスンを再開した私は、今週は月曜から金曜までホットヨーガ、パワーヨーガ、ハタヨーガのスタジオを日替わりで訪ね歩いている。おかげで全身が筋肉痛だが(苦笑)、何とも言えない爽快感と達成感があり、実に気持ちのいい1週間だった。私にとって「心の師」であるダライ・ラマ法王とブルース・リーが揃って登場してくれた今夜の夢は、間違いなく吉夢だと思われる。


21日●御召列車と赤兎馬になったブースケ
目の前でS子さんが微笑んでいる。S子さんは高校時代の同級生だ。彼女の口から唐突に「貴女はいいわね。お子さんがいるから。人生の勝ち組よね」という言葉が漏れた。私は返事に窮して黙っている。場面が急転し、どこか田舎の町。周囲には高い山々がそびえ、その山頂には鉄道の駅があるようだ。長野県北部のどこか(斑尾高原または菅平高原)のような気もするが、現実の風景とは異なっている。山裾のほうで「昭和天皇が御召列車に乗って行幸に見えるそうだ」という噂を耳にした。昭和天皇の姿を一目見たいと思い、ブースケの背に飛び乗る私。ブースケは小型犬のはずだが、何故かサラブレッドのような立派な体格になっている。ブースケの背に乗っているのは私だけでなく、後ろに知り合いが数人乗っているらしい。しかし視線を下に向けて確かめると、ブースケは今までどおりのシーズー犬なのである。こんな小さな犬の上に人間が何人も乗れるとは不思議なことだ。昭和天皇を一目見ようと大勢の人々が山を登ってゆくなかを、ブースケは凄まじい勢いで駆け出した。まるで呂布や関羽が乗っていた赤兎馬(1日1000里を駆けるという伝説の名馬)のような凄まじいスピードだ。目の前にもう1頭、赤毛のサラブレッドが駆けているのが見える。山道はときどき大きなカーブを描きながら、次第に勾配を増してゆく。私の心配をよそに、少しもスピードを落とさず山頂に向けて猛然とダッシュするブースケ。左のほうに、昭和天皇を乗せた御召列車が見えた。それは菊の御紋が付いた黒い列車で、車内には昭和天皇のほか幼い皇女も乗っていらっしゃるようだ。私の手にはビニール袋が握り締められている。中身は水とニンジン。山頂に着いたら、ブースケに冷たい水と新鮮なニンジンをたっぷりあげようと思う。山頂に着いたところで目が覚めた。
【解説】 今夜の夢は全体に幻想のような世界だった。現実には鈍足のブースケが赤兎馬のような駿馬になっていたのも不思議だし、18年も前に亡くなった昭和天皇が現われたのも摩訶不思議である(ちなみに、私の夢に昭和天皇が登場したのはこれが初めてかも知れない)。なお、夢の最初に現われたS子さんは、現実には結婚して2人のお子さんにも恵まれている。学生時代はさほど親しい間柄でもなかったS子さんが、今頃になって唐突に夢に現われたのも不思議なことだ。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「馬に乗る」の意味は「努力が大きく実る可能性」。「天皇」の意味は、残念ながら掲載されていなかった。


22日●一家惨殺と古風な屋敷での誕生パーティー
どこにでもいそうな平凡な4人家族。50歳前後の両親と、20代前半のふたりの娘の姿が見える。ところがこの家の次女が、両親と姉を皆殺しにしてしまったらしい。血なまぐさい光景。群がるマスコミ。能面のように感情のない次女の顔。不思議なことに、私には殺されたはずの3人の姿がありありと見える。3人ともまだ生きており、青白い顔で呆然と突っ立っている。3人は、それぞれ原稿用紙のようなものを手に持っている。そこには『殺された感想』が書かれており、3人はそれを順々に読み上げているのだ。しかし父親はショックのあまりうまく朗読が出来ない。たどたどしい口調で「あの……それで……」など呟くばかりだ。殺されたはずの3人が感想文を書き、それを読み上げていることを、ほかの人たちは不思議に思わないのだろうか。私はひとり首を傾げている。場面が急転し、古風な洋館。ドラキュラ伯爵が住んでいそうな年代物の建築物。私は2階のバルコニーに立っている。ロングドレスを着ているのかも知れない。ここは私の家らしいのだが、(この屋敷が本当に私の家なの?)と違和感を感じている。今日は私の誕生日だ。たくさんの女友達が集まってパーティーの準備をしてくれている(但しそこにいる人々は、現実世界では見たこともない顔ばかりなのだが)。そこへ、友人で女優の蜷川有紀さんがやって来た。有紀さんは遅れてきたことを詫びながら、何か私に手渡した(それが何だったかはどうしても思い出せない)。先に来ていた人々が有紀さんを見ながら(この方は、どなた?)と言いたげな顔をする。階段に長いカーペットが敷いてあって、それが下のほうへずり落ちそうになっている。私は階段の上に立ち、力一杯にカーペットを持ち上げようとする。しかしカーペットは思いのほか重く、再び下のほうへずり落ちそうになる。そこでカーペットが落ちないよう、いちばん上の部分に座布団を乗せて重石代わりにした。するとようやくカーペットは落下をやめた。しかし、このような不安定な定着のさせ方では、いつまた下にずり落ちないとも限らない。きちんとカーペットを定着させる方法はないかしらとアイデアをめぐらしながら、(今日は私の誕生日だというのに、何故こんな力仕事をしなければならないのだろう)と思っている。
【解説】 前半と後半のストーリーがまるで結びつかない、奇妙な夢だった。前半は血なまぐさい殺人現場。後半は、ちょっと見には優雅だがよく見ると何かが奇妙な誕生パーティー。特に後半の夢では、現実世界では仲良しの有紀ちゃんがまるで“異邦人”のような存在で、現実には知らない女の人たちが友達という設定も奇妙だった。それにしても、私の本当の誕生日は2月27日だと言うのに、何故1ヶ月以上も前の夢の中で誕生日を祝っていたのだろう。今夜の夢は1月22日の夜と23日の朝のあいだに見たものだが、実際にこの部分を夢に見たのは、1月23日の明け方近い時間だと思われる。つまり私は1月23日を自分の誕生日として祝っていたわけだ。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、本来の誕生日ではない日を誕生日として祝う夢は、「その日があなたにとって重大な意味を持っていることを示している」のだそうである。1月23日は私にとって重大な意味を持つ日なのだろうか? 謎である。


23日●髪と帯締めを結ぶ
着物を着た自分の後ろ姿が見える。私は髪を腰のあたりまで長く伸ばしていて、その髪をポンパドールと三つ編みを足して2で割ったようなデザインに結っているのだが、不思議なことには、三つ編みの先っぽの部分を背中の後ろで帯締めに結び付けているのだ。こんな面白い髪の結い方があったかと自分でも驚いている。
【解説】 このほかにも、今夜の夢には2つのものを結び合わせる場面がいくつか現われたような気がする。現実世界の私は、最近ホットヨーガにはまっている。ヨーガは「結ぶ」を意味する「yuj(ユッジュ)」というサンスクリット語が語源だ。今夜の夢が「結ぶ夢」であったことは、ヨーガを始めたことと関係しているのかも知れない。


24日●父と笑う
父とボードゲームをしている。「リバーシ」だと思うが、はっきりしたことは思い出せない。父と私は、何か冗談を言い合っている。その冗談がどんどんエスカレートして行き、ふたりの笑い方も「忍び笑い」から「ハハハ笑い」、そして「爆笑」へとエスカレートして行った。少し離れたところで母と弟が呆れたように見ていたような気もするが、気のせいかも知れない。父と私は、そのあと『天才バカボン』の登場人物のことで一言二言交わし、畳の上にひっくり返ってさらに大爆笑を続けた。
【解説】 この前後にも長いストーリーがあったのだが、笑いのインパクトが強かったためか全て忘れてしまった。現実世界では、父は一昨年の11月に亡くなったが、生前はときどき第三者には理解できないような些細なことで私と以心伝心し、大笑いすることがあった。『天才バカボン』もその一例である。今夜は夢の中で笑い転げたせいか、いつも以上に目覚めが良かった。
【後日談】 夢から覚めて朝一番で顔を合わせた娘が、いきなり「今、夢の中で寛ちゃん(父のニックネーム)に逢ったわよ」と言い出したのには驚いた。娘の夢の中では、父は私の山小屋に遊びに来ていたという。娘と私の夢はよくシンクロするのだが、今日もふたり同時に父の夢を見ていたらしい。DNAの為せる業と言うべきなのだろうか、はたまた単なる偶然か。いずれにしても面白い現象だ。


25日●宗教専門のミニ辞書
掌に収まるほど小さな辞書。ページを開くと細かな文字で、「イスラム教」「ユダヤ教」「ゾロアスター教」「ジャイナ教」といった項目が並んでいる。これは宗教のことだけを記した辞書らしい。その辞書を使って何か調べ物をしながら、(イスラム教の項目だけが妙に長いのは何故かしら)と思っている。
【解説】 ストーリーらしいもののない、ごく短い夢。このあと何か事件が起こったような気もするのだが、具体的な内容は覚えていない。


26日●とてつもなく魅力的な織田信長
原っぱの真ん中に一軒のあばら家が建っている。家の中にいるのは、頭の少し高い位置で髪を無造作に束ね、いかにも肌に馴染んだ着物を着流した男で、腰には刀を差している。足もとは裸足。その顔つきはと言えば、眉が濃く、目は凛々しく、鼻筋が通っていながら全体には和風で、とてつもなくハンサムだ。この人はどうやら織田信長で、今は戦国時代らしい。信長は敵に囲まれており、あばら家にひとり篭もって戦うチャンスを待っているのだ。不意にパラパラという音が近づいて来て、空に軍用ヘリの姿が現われた。(戦国時代にもヘリがあったのか)と感心している私。操縦席には現代(21世紀)の装備をした自衛隊員の姿が見える。縦横3メートルほどの巨大な「草の塊」がふたつ、ヘリから落とされた。この「草の塊」は、どうやら信長の食糧らしい。信長はヘリを見上げ、逞しい顔つきで笑っている。私は(草食動物じゃあるまいし、何故こんなものを食べているのかしら)と驚きながら、同時に(生の草より干し草のほうが日持ちがいいのに)とも思っている。そのあと信長は家の中を歩いて行って、真ん中の部屋(ここがいわゆる居間らしい)へと移動した。居間の天井には大きな穴が開いており、空が丸見えだ。ふと見上げると、空にはなんと巨大な岩が浮かんでいるではないか。岩は先程のヘリが落として行ったもので、何らかの忍術を使って地球の引力を避け、落下せずにそのまま宙に浮いているようだ。さすがは戦国時代、忍術のパワーも尋常ではないと思う。しかも宙に浮いたまま落ちて来ないその岩には、さまざまな荷物のほか少年までが乗っている。少年を見つけると、信長は「おお」と笑いながら手をあげた。少年も笑いながら答え、岩から飛び降りてきた。この子はどうやら藤吉郎(のちの豊臣秀吉)らしい。このあと敵の忍者が四方八方から現われて次々に信長に斬り付けるが、信長は顔色一つ変えず相手をバッサバッサと倒してしまう。敵の骸(むくろ)がごろごろ転がる中を、信長は何事もなかったように厠に向かって歩いて行った。今の戦いで唇が少し切れ出血しているようだが、そんな些細なことは気にも止めず、信長は歯磨きを始めた。私は(この世にこれほどカッコイイ男がいたのか)と思っている。
【解説】 今夜の夢は、少し前にDVDで観た『戦国自衛隊1549』に明らかに影響されていたようだ。そう言えば昨日は息子と「鳴かぬなら」のあとに入れる言葉として何が最も好ましいかといった話もした。そんなこともあって今夜は信長や秀吉が現われる夢を見たのだろう。ちなみに「鳴かぬなら」の続きを、私なら「もう一羽買おうホトトギス」とする(笑)。


27日●美大のキャンパスで意地の悪い男に逢う
日本のどこかにある美大らしきところ。今日は一般公開日か受験生の下見の日(?)なのだろうか、大勢の若い人たちが外部から集まって来ている。彼らを案内するために、大勢のボランティアが働いている。どうやら私もそのひとりのようだ。校庭には何故かジャングルジム(?)のような遊具があって、私たちはそこに攀じ登ったり降りたりしながら進んで行く。外部から来ている若い人たちが色々な質問をしてくるので、私はそれらの質問にひとつひとつ答えながら歩いているのだが、すぐ近くに別のボランティアの男性がいて、私の言うことにいちいち難癖をつけたり嫌味を言うので辟易している。それは眼鏡をかけた20代後半から30前後の男で、ひどくネガティブで意地が悪い。本音を言えばこの男にひと言文句を言ってやりたいところなのだが、部外者がいる手前、私は不快な気持ちを抑えながら何事もなかったような顔でガイドを続けている。
【解説】 このあとも延々と美大の中を案内し、そのあいだに細かな事件が色々と起こったような気がするのだが、詳細は思い出せない。


28日●ピアノの練習
フィリピンらしき南の島。のどかな田舎の風景。素朴で優しそうな人々。私はピアノを練習している。今夜行われる島のイベントで、1曲演奏することになっているからだ。私が演奏するのは最初の部分だけがショパンのノクターンで、そのあと非常に印象深く幻想的で美しいフレーズが続く不思議な曲だ(但し現実世界では、それは聞いたことのないメロディーなのだが)。私は朝から延々と練習を続けているが、今夜の演奏には自信がない。あと1日余計に練習時間が欲しいと思う。その旨を地元の人たちに伝えると、彼らはニコニコしながら「ノープロブレム」と言ってくれた。明日のために私は再びピアノに向かい、さらに真剣に練習を繰り返している。
【解説】 のんびりした南の島の様子と、真剣にピアノの練習に打ち込む自分自身がミスマッチな夢だった。それにしても今夜の夢に登場した幻想的な曲は、一体何という曲だったのだろう。あれは実在する曲想なのか、それとも夢の中で私のイマジネーションが生み出したメロディーなのか。現実世界ではここ暫くピアノに触れていないので、その意味でも今夜の夢は不思議だった。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「ピアノの夢」の意味は「失敗や苦しみを乗り越えて目標を達成できる」、「理性と感情、心と体のバランスを取ることの必要性」となっている。


29日●可愛げのないふたりの赤ん坊
目の前にふたりの赤ん坊が見える。ふたりは兄弟で、上が1歳半、下が生後数か月らしいのだが、ふたりとも性別不明で、驚くほど性格が悪く、まったく可愛げがない。彼らの親は、この兄弟を置き去りにして遊びに行ってしまったらしい。私にとっては他人だが、かと言って赤ん坊を見捨てるわけには行かず、実の親が帰ってくるまで止むを得ず面倒を見ることになってしまった。しかしふたりは本当に悪戯がひどく、何度おむつをしてあげてもその都度自分の手で引き剥がして辺り構わず失禁したり、手当たり次第に物を投げたり、その辺のものを壊したり、ただの一時も静かにしていることがないのだ。しかも人間の言葉が通じないのか、日本語はもとよりどんな言葉で話しかけても何の反応もない。これほど愛嬌のない赤ん坊を見るのは初めてだ。私は辟易している。
【解説】 なんとも疲れる夢だった。現実にこんな赤ん坊がふたりもいたら、人生はさぞかし苛酷なものになるだろう。目が覚めてふたりの赤ん坊が現実の存在ではないと知った瞬間、私は心底からホッとしていた。


30日●高い塔に登る
ヨーロッパまたはアメリカ大陸のどこか。荒野の真ん中。黄砂が吹いている。木で組んだ高い櫓(やぐら)のような塔があって、私は回り階段を登って塔の頂上を目指している。一瞬足を止めて下を見下ろしたが、辺りに人影はない。頂上まではもう少しだ。私は再び階段を登り始めた。
【解説】 この前後にもストーリーがあったのかも知れないが、何故かこの場面しか覚えていない。夢の中の自分が男性だったか女性だったか、それも不明。砂埃の匂いが妙に印象的だった。


31日●喉の奥から赤い糸を引き出す
喉の奥に何やら異物が入っている。痛くも痒くもないのだが、指先を喉の奥に入れてそっと探ったところ糸のような感触が指先に触れた。引っ張り出してみると、なんとそれは赤い糸ではないか。糸は思いのほか長く、引けども引けども終わりがない。気がつくと私は小さなボビン(円柱状の糸巻き)を持っており、喉から出てくる赤い糸を巻き付けているのだった。ボビンが1個では足りず、2個目のボビンにも糸を巻いている。場面が変わり、私はひとりの男性の前に立っていた。彼はかなりの長身で、顔の造りはどこかギリシア彫刻を髣髴させる。その人はとても懐かしい存在で、大昔にも逢ったことがある。しかし現在その人と私は「時間の壁」に遮られているらしく、実際にこの世で逢うことは許されていないらしい。私は心のなかでそっと彼にお別れを告げている。
【解説】 今夜の夢もとても奇妙な内容だった。喉の奥から赤い糸が出てくる下りは、こうして文章に書いてみると非常にブキミなのだが、夢の中ではそれが自然な現象で、少しの痛みや苦しみも伴わないのである。夢の最後に現われた男性は、今月1日の夢に登場した男性(エレベーターホール近くの廊下で出逢った人)と同一人物だったような気がするが、彼が何者なのかは全くの不明。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「糸」の意味は「人間と人間のつながりや絆の象徴、ふたつのものをひとつに結びつけること」、「赤色」の意味は「情熱や怒りなどの激しい感情」となっている。なお、文中に出てくるボビンとはこういうものです。





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