2006年6月


1日●5つの世界と鉄の塊
5つに分かれた世界。それぞれの世界は角の丸い四角形で、飛び石のように連鎖している。私は手に鉄の塊を持っている。勝利の微笑み。

【解説】 今夜の夢にはもっと具体的なストーリーがあり、それは何か非常にエキサイティングで楽しい内容だったのだが、残念ながら全貌を思い出すことが出来ない。思い出せるのは飛び石のようになった5つの世界と、鉄の塊のことだけだ。鉄の塊を手にした私は勝利の微笑みを浮かべていたが、それがどのような理由から来る笑みだったかも思い出せない。実は、先月は仕事の打ち合わせでロンドンへ行き、鉄鋼王のミッタル氏(昨年度の世界長者番付第3位でミッタル・スチールの経営者)ご一家とお逢いしてきた。今夜の夢に鉄が現われた理由は、そのことと何か関係があるのかも知れない。



2日●出口のない村
気がつくとトンネルの出口附近のような場所にいた。私は小型バスほどの大きさの乗り物の運転席にいて、今しもエンジンをかけ運転を始めようとしている。ところがそのとき、どこからともなく3人のインド人らしき大男が現われて、私の左右に無理やり座ってしまった。彼らはとてつもなくお喋りで、しかもこちらの言い分を聞く耳は持っていない。信じられないほど喧(やかま)しい連中だ。辟易しながらも私は運転を始めた。そこは山岳地帯で、しかも道は未舗装。あちこちで崖崩れなどが起きている。くねくね曲がった山道を突き進んだ先は行き止まり(道が細すぎてその先へは進めない)。インド人達は「ね? やっぱり行かれないでしょ?」とでも言いたげな嬉しそうな顔をしている。私は(このままではこの村から出られない。何とかしなければ)と思う。場面が変わって、見たことのない大きな山小屋。どうやらここは私の家らしい。インド人の姿はいつの間にか消えていた。山小屋の大きなリビングルームでは、小学校3〜4年生ぐらいの姿に戻った息子と、H君(息子の同級生)が楽しげに遊びまわっている。家の中には夫、母、そのほか親戚がいるような気もするが、姿は見えない。私は家族を伴って、この村の外にいる娘にどうにかして逢いに行こうとしている。

【解説】 この夢の前には、何か込み入ったストーリーがあったような気もするのだが、思い出せるのはトンネルの場面からだ。今夜の夢で、私は「村」の中に閉じ込められ、外へ脱出することが出来ない状況に置かれていた。そこへ3人の迷惑なインド人がやって来るのだが、と言って彼らは悪人のようではなく、むしろ「悪気はないがひどくお節介で的外れな人たち」のようだった。今夜の夢のなかで「村」という設定だった場所は、実は「日本社会」を指しているのかも知れない。日本社会には独特の閉塞性と圧迫感があるが、それは海外生活の長かった人間にとってはひどく窮屈なものである。今夜の夢には「日本の閉塞感」+「お節介でお喋りなインド人」の両方が登場し、少なからず疲れる内容であった。



3日●元素記号79番(金=Au)
娘の姿が見える。そのすぐそばに「金」という文字が大きく浮かび上がっている。「金」と書いて「キン」または「カネ」と読むが、それはマネーのことではなく、あくまでも金属の「Au」を意味しているようだ。私は心のなかで(Auの元素記号は何故79番なのだろう。それに、最近よく金属の夢を見るのはどうして?)などと思っている。
【解説】 一昨日に引き続き、今夜も何故か金属の夢。しかし今回登場したのは「鉄」ではなく「金」である。夢のなかで自分が夢を見ていることを知っていたのも可笑しいし、学生時代に化学の授業が大嫌いだった私がAuの元素記号(79番)をスラスラ思い出せたのは驚きだ。



4日●懐かしい一枚の写真
目の前にセピア色に変色した1枚の写真が見える。その写真には、トラックの荷台(?)に軽く腰を下ろして微笑むひとりの男性が写っている。年齢は20代前半。日本人と西洋人のハーフなのか、背が高くかなりハンサムな人である。一目見るなり私は(この写真を以前どこかで見たことがある)という既視感と、強烈な懐かしさに襲われた。しかし、それがどこの誰を写した写真なのかどうしても思い出せず、そのことが私を悩ませる。男性の名前を思い出そうとして躍起になっていると、有名なスポーツ選手や映画俳優などの顔が次々に目の前をよぎり、最初の男性の顔が次第にぼやけ始めてしまった。そのことが私をさらに苛立たせる。そうやって暫く考え込んだ末に、突然、カウラ事件に少し関わりのあった或る陸軍士官の名前が浮かんだ。(あっ。あの人はSさん!)と目からウロコが落ちた瞬間に夢から覚めた。
【解説】 久々にカウラ事件がらみの夢である。今夜はこの夢の前に少なくとも2つか3つ別の夢も見た記憶があるのだが、それらはカウラ事件とは無関係のストーリーだったような気がする(但し詳細は思い出せない)。思い出しそうで思い出せない苛立ちから開放される夢のエンディングは爽やかだった。



5日●浴衣の襟元を直してもらう
屋根がついた細長い通路のようなところ。地下鉄のプラットフォームのようにも見えるし、地上のようでもある。浴衣を着た大勢の人が、列を作って並んでいる。これから夜祭でも始まるのだろうか。その割に辺りは静かで、人々は一定方向を向いて並んだまま、はしゃいだり談笑するわけでもなく、静かに少しずつ前進している。私は皆より遅れてこの場所にやって来たらしい。あわてて着付けたのか、浴衣の襟元がやや乱れている。列の中に知り合いのKさんの姿が見えたので、私は笑いながら駆け寄った。Kさんは穏やかに微笑みながら私の襟元を軽く直してくれた。場面が変わり、気がつくとテーブルの上に小さな紙カップに入った納豆が10個ほど載っていた。(そうだ、早く納豆を食べてしまわなければ)と思ったところで目が覚めた。
【解説】 夜祭がある予感がする割には、全体に静かでしみじみとした雰囲気の夢だった。列に並んでいたKさん(男性)は古い知人だが、もう何年も逢っていないうえ特に親しい間柄ではない。そのKさんが何故夢に現われるのか、理由は不明。浴衣の襟が乱れていたことが気になったので、例によって『夢の事典』(日本文芸社)で夢の意味を調べてみたが、残念ながら「襟」という項目は載っていなかった。なお、最後に唐突に登場した「納豆」は、昨日現実世界で納豆を買いすぎてしまったことが夢に現われただけと思われる。昨日はいつも利用しているスーパーの特売日で、私はカップ納豆を思いきり大量に買ってしまったのだ。ちなみに我が家は納豆の消費量が多いヘルシー家族であります(笑)。
【後日談】 この夢を見た約1週間後、ネットショッピングで長襦袢を買おうと思い、複数の呉服屋さんのサイトを訪ねていたところ、そのうちの一軒が割と大々的に「浴衣特集」を組んでいた。今年も浴衣を新調しようと思っていた矢先だったので、何気なく覗いてみて驚いた。なんとそこには、5日の夢で自分が着ていたものと寸分違(たが)わぬ浴衣が掲載されていたではないか。それは黒地に白で大輪の菊が描かれた浴衣で、余計な色彩がなくシックなデザインだ。これも何かのご縁と思い、早速この浴衣を注文することにした。私はときどき「夢の中で見たものと全く同じものを後日現実世界で見る」ことがある。これを一般に「予知夢」と呼ぶのだろうが、夢の中で既にそれを見てしまっている私自身の感覚から言うと、それはむしろ「既視感=デジャヴ」に近い。私の夢がデジャヴと異なる点は、夢の内容が非常に具体的かつ詳細であって、単に「なんとなく似ているような気がする」という域を遥かに超えている点だ。もちろん、こうした不可思議な現象をも、いずれは脳科学が論理的に解明してくれることだろう(すべての事柄は論理的に解明し得るというのが私の持論である)。その日が今から楽しみである。



6日●自殺未遂者と二つの郵送物
何となく見覚えのある広い庭。どこか古い寺院の境内らしい。私の近くには、ふたりの男性がいる。ひとりは知人のKさん。もうひとりの姿はよく見えないが、彼も私の知り合いだという。私たちは地面に這いつくばるような格好で、何かを探している。どうやらこの場所で以前、自殺を試みた気の毒な女性がいるようだ。彼女の試みは未遂に終わったらしいが、地面からは彼女の悲しみがひしひしと伝わってくる。Kさんともうひとりの男性が、「気の毒にね。ちゃんと死なせてあげたかったですね」という意味のことを言っている。私は吃驚しながら、(この人たちは何故、自殺を肯定するようなことを言うのだろう。どんなに苦しくても、私は彼女に生き続けて欲しい)と願っている。Kさんは更に眉を曇らせながら旧式のボーガンのようなものを取り出し、「彼女にこれを差し上げましょうかね。これなら間違いなく死ねるでしょうから」と言った。もうひとりの男性も、何か別の凶器の名前を挙げて彼女に死を勧めている。私は驚き呆れながら、自殺を推奨するふたりの男性をまじまじと見つめた。このとき、ほんの一瞬、自殺未遂をした女性の姿が私の脳裏に浮かんだ。その姿は明らかに平安時代の女性のようだった。場面が変わり、知らない部屋。私が眠っていると、早朝の4時か5時ぐらいだというのにドアチャイムを鳴らす人がいる。「郵便です」という声。私は睡魔のためどうしても起き上がることが出来ず、隣で寝ていた娘に「ごめん、代わりに荷物を受け取りに出てくれる?」と頼んだ。娘は眠い目をこすりながらも立ち上がって、郵便物を受け取るべく玄関へと向かった。さらに場面が変わり、どこかまったく別の場所(詳細は不明)。今度は宅配便が届けられた。四角い封を開けると、何かとても嬉しい物が現われた。
【解説】 全体にわけのわからない夢。特に、夢の前半で自殺未遂者を死なせてやろうとしていた男性の意味がわからない。現実世界では、Kさんは割と何でも話せる男友達のひとりだが、自殺に対する考えなどは話し合ったことがない。近いうちに某パーティーでKさんにお目にかかることになっているので、さりげなくその話題を振ってみようかと思う。
【後日談】 この夢から約2週間後、ある会合で久々にKさんと逢った。驚いたことに、Kさんの口から開口一番にいきなり飛び出したのは、「つい先日、○○さんが自殺したこと知ってました?」という話である。○○さんは女性ではなく男性で、また私とは友達の友達といった関係で直接の面識はないものの、夢とのシンクロぶりには心底から鳥肌が立った。


7日●板子一枚、下は大気圏外
見たことのない部屋。そこは床面積が広く天井も高く、伽藍の内部のようなイメージである。私はひとりでここへ来たようだ。すぐ近くには20人ほどの女性団体がいる。この団体を率いているのは、ひとりの能楽師の男性だ。この能楽師の顔にはどこかで見覚えがある。能楽師も私の顔に見覚えがあるらしく、女性達と話をしながらもチラチラと視線を送ってくる。私は能楽師を無視したまま、何故か爽やかな気持ちで(私も随分と成長したものだ。もう、この場所に来ることもないだろう)という想いを胸にその場を去った。場面が変わり、私はテレビの前に座っていた。何の番組かはわからないが、視聴者から選ばれた三家族が出演している。どうやら日本の科学者たちが画期的な新素材を開発したようで、番組ではその素材を使って何かパフォーマンスをしてみせるらしい。新素材は透明で、驚くほど薄い。見た目はほとんど薄氷のようだが、実はとてつもない強度があるという。番組ではこの素材を使って大きな立方体を三つ作り、それを大気圏外に浮かせて、それぞれの箱の中で三家族に暫く生活してもらうようだ。三家族は何故か自動車(あるいはトラック?)に乗ったまま箱に入り、そのまま宇宙へと運ばれて行った。テレビ画面には、虚空に浮かんだ三家族が映っている。氷のように薄い素材の上に乗った姿は危なげで、見ているほうが不安になる。三家族のうちとりわけ元気そうな親子が、大声で笑いながら話している。(足をブラブラさせている子に対して父が)「おい。そんなに足をブラブラさせて、落っこちても知らないぞ」。子「落ちないよ。この素材は凄く丈夫だって聞いたもん」。母「こんなことで落ちるぐらいなら、おまえの運勢がもともと弱かったってことね」。大声で笑っている能天気な家族。テレビのチャンネルを変えようとしている私。
【解説】 今夜もよくわからない夢だった。薄い板の下が真っ暗な宇宙とは、なんとも心許ない話だが、その状況を逞しく笑い飛ばしている能天気な家族の存在は、馬鹿馬鹿しくもあり、また微笑ましくもあった。なお、今夜の夢日記のタイトルは「板子一枚、下は地獄」のパロディーです。



8日●モーセの杖でジョジョビジョバァ
大きな山、今にも泣き出しそうな雨雲。灰色の群集。ここは古代イスラエルで、眼前に聳える山はシナイ山らしい。群集の中心には、イスラエルの指導者・モーセが立っている。そのすぐ横を、イエス・キリストらしき男性が通り過ぎて行った。私は心のなかで、(モーセとキリストが同時に登場するとは、なんていい加減な時代考証の夢だろう)と思っている。私自身はモーセの側近中の側近で、非常に重要な経典(?)を執筆する任務についているようだ。モーセが広場の真ん中に進み出て杖を高く掲げると、それを潮に、群集が何か不思議な歌を歌い始めた。ヘブライ語かと思い耳を澄ましてみるが、どうもそれはヘブライ語ではないらしい。よくよく歌詞を聞いてみると、「ジョジョビジョバァ」などと言っているではないか。あれっと思った瞬間、モーセの姿がクローズアップされた。なんとその顔はイスラエル人ではなく、日本人俳優の山崎努さんだった。(これって“DAKARA”のCMじゃない?)と思ったところで目が覚めた。
【解説】 今夜の夢は、明らかにサントリーのテレビCMに影響されたようだ。夢の中で自分が夢を見ていることに気づいていたことも含め、全体におかしな夢だった。



9日●むかしあるところにバイキンがいました
「ゼテウス」という名前の新種のコンピューターウィルスが発生したらしい。このウィルスの危険性を告知するために、専門家チームが一般人向けの警告メッセージを作成している。専門家チームは、「出来る限り簡単な言葉でこのウィルスについて説明しよう」と決めた。そのために彼らは、紙芝居のようなものを作りだした。最初の紙には、「むかしむかしあるところに、ゼテウスというなまえのバイキンがいました」と書かれている。それを傍目に見ながら、(ゼテウスってゼウス神と関係があるのだろうか。それにしても紙芝居の絵が下手すぎる)などと思っている私。
【解説】 またしても意味不明な夢。ウィルスのことをバイキンと呼ぶなど、全編に幼稚なイメージが漂っていた。このあと何か別の夢も見たような気がするが、そちらの内容は思い出すことが出来ない。



10日●ブルーのサリーとめざましテレビ
私はサリーを買おうとしている。それは目が覚めるほど鮮やかなブルーのサリーでなくてはならない。既に何軒かの店に立ち寄ったようだが、いまだに目指すサリーには出逢えずにいる。やがて、目の前に4〜5階建ての建物が見えてきた。中へ入ってみると、いかにもインドの地方都市にありそうな雑然としたマーケットである。店の女性に丁寧に迎えられて、私たちは階段を登り始めた(エレベーターは存在しないか、在っても使用できない状況らしい)。途中の踊り場にゲイの男性が座り込んでいて、いきなり「あんたの探してるサリーは、ここにはないわよ」などと茶々を入れてきた。どうやら彼は酒に酔っているか、薬物中毒らしい。いずれにしてもまともな精神状態ではないようだ。私と一緒にいた店の女性から一喝されると、男はすぐ静かになった。やがて私たちはサリー売り場に着いた。しかしそのフロアには活気がなく、商品は薄く埃をかぶっており、目指すブルーのサリーは見つからない。何か別の商品(ネックレスのような宝飾品?)を勧められたような気もするが、結局のところ私は何も買わずにその場を去ることにした。場面が急転し、日本のどこかにあるビルの屋上(?)らしき場所。太陽の光がさんさんと降り注ぎ、明るくのどかな雰囲気である。事務机が5つか6つ、互いに顔を突き合わせるような形で並んでおり、3人ほどの人が席について仕事をしている。私は誰か女性に連れられてここにやって来たようだ。空いている事務机のひとつを勧められて椅子に座り、紹介された斜め前の席の若い女性と名刺交換をしたところ、「フジテレビ めざましテレビ ○○○○」と書かれていた。どうやらここは「めざましテレビ」のオフィスらしい。そう言われてみると、私の右隣の机に座って静かに仕事をしている男性は、この番組に毎日出演しているレギュラーの男性ではないか。私はその男性にも名刺を手渡した。彼は私の名刺を見るなり、「あっ、作品を読ませて頂いたことがありますよ」と仰った。男性はさらに、「貴女の御著書を私に紹介してくれたのは、友人のカメラマン(?)でした。そいつは本当にいいやつでしたが、動物園に閉じ込められたチンパンジー(あるいはゴリラ?)の人権を守るために闘って、命を落としました」とも仰った。私はいちいち頷きながら、男性の話を聞いている。
【解説】 昨夜は現実世界でも、(この次にインドへ行ったらブルーのサリーを買おう)などと考えていた。その直後に見たのがこの夢である。また夢の後半ではフジテレビの「めざましテレビ」の関係者に逢っていたが、現実世界でもつい最近「めざましテレビ」の撮影があったばかり(オンエアはおそらく7月末)。そのイメージがそのまま夢になったものと思われる。但しチンパンジーうんぬんの話は意味不明。。



11日●連合軍の大勝
心のざわめき。軍隊の匂い。遂に世界戦争が始まったのかも知れない。しかし、よくよく観察するとそれは戦争ではなく、何らかのスポーツの世界大会らしい。にもかかわらず、世界中で軍隊が出動し大騒ぎである。程なく、日本を含む連合軍(正式な名前は不明)が大勝したとのニュースが入った。熱心なファンたちは自分の家の外壁全体にさまざまなデコレーションを施して勝利を祝っている(その様子は、近年流行のクリスマスの飾りつけのようだ)。米軍の大きなヘリが音を立てて飛来した。中空でヘリがホバリングを始めると、小窓が開いて縄梯子が降り、そこからコンバット風のユニフォームを身につけた屈強な兵士がにこやかに降りてきた。彼は外壁をきれいに飾った家々を写真に収めている。どうやら世界各地で同様の写真を撮り、近々写真展を開催するつもりのようだ。私は軍隊の物資がどこに貯蔵してあるのだろうかと思い、そのことを誰かに尋ねた。それに対して返ってきた答えは、「上空500〜1,000メートルの位置に軍の貯蔵庫が浮いている。それらはフローティング・ストレージュと呼ばれ、世界のあちらこちらの空に浮いているのだ」とのことである。重い物資をどうやって重力に逆らったまま浮かせているのだろう。最新の武器は反重力物質で出来ているのだろうか。不思議に思う。場面(アングル)が変わり、広漠とした山の斜面のようなところ。人けのない、だだっ広い駐車場(軍隊の駐車場のような気がするが定かではない)。そこに停められた1台の自動車のハンドブレーキがよく利いていないようで、その車は坂を少しずつ滑り落ちそうになっている。私はいかにも頑丈そうな4WD車(武器をも備えた高性能ジープ)に乗っており、くだんの自動車がこれ以上坂を滑り落ちないよう、自分の車体を使って庇っている。それは私にとって、しごく簡単なことだ。米軍と話し合った結果、ハンドブレーキの利いていない自動車を別の場所に移動させることになった。移動の方法は、坂道を自然に(時速40〜50キロほどのスピードで)落下させるというものだ。その間、自動車がどこか別の場所に行ってしまわないよう、私の4WD車がエスコートして行く。ハンドブレーキが利いていない車には冴えない中年男(おそらく日本人)が乗っていて、昼寝をしているらしく、外で何が起こっているのかまったく把握していない。無事に安全な場所へ誘導し終えた頃になって、中年男はようやく寝惚け眼で目を覚ました。そのあと何か面白い出来事があり(詳細不明)、その瞬間に仕事上の素晴らしいアイデアを思いついて飛び起きた。
【解説】 全編にわたって軍隊(米軍)が登場し、いろいろな意味でスピード感、躍動感に溢れたアクティブな夢だった。しかも最後には仕事上の素晴らしいアイデアまで湧いてきたりして、今夜の夢は現実世界に及ぼす影響も大きい夢だった。



12日●黄金の箱
箱。大きな箱。角にやや丸みのある四角い箱。微笑んでいる外国人。吉兆。黄金のイメージ。
【解説】 今夜の夢には間違いなく具体的なストーリーがあったのだが、何故か思い出すことが出来ない。それはとても楽しく心踊る夢だったのだが。そう言えば今月1日の夢の中にも「角が丸い四角い世界」が登場した。今夜の夢とどういう関係があるのだろう。



13日●仮装マニアと住所交換する
米国以外の英語圏の国(オーストラリアのような気がするが英国かも知れない)。私は学生(おそらく院生)で、大学のキャンパスを歩いている。つい先頃、今年度のすべての授業が終わり、長い休みが始まったばかりなのだ。開放的で、少し心許ない気分。私の前を、仮装したふたりの白人が歩いている。ひとりは20代後半と思しき男性で、もうひとりは20代前半ぐらいのソバカスの多い女性。男性が扮しているのはドラキュラ伯爵、あるいはもっとインパクトの強い何かだったかも知れない。女性が何に扮していたかは思い出せない。実は私自身も仮装しているのだが、それは3人の中で最も奇抜な格好だ(花嫁姿だった気もするが、はっきりとは思い出せない)。私は背後からふたりに声をかけ、「コスプレマニア同士、住所交換をしませんか」と持ちかけた。ふたりは「それはいい考えですね」という意味のことを言いながら、私が差し出したノートに住所を書き始めた。気がつくと場面が変わっており、私は電車の中(?)にいた。白人女性の姿はいつの間にか韓国人女性に変わっている。彼女は電車の通路に軽く跪くような姿勢で、何か喋りながら私のノートに住所を書き込んでいた。
【解説】 やや意味不明な夢だが、オーストラリアと韓国が登場したことには明らかな理由が付けられそうだ。現実世界では目下サッカーのワールド・カップ開催中で、昨日は日本vs.オーストラリア戦、今日は韓国vs.トーゴ戦が行なわれた。そのことが明らかに今夜の夢には影響していると思われる。これとは別に、インターナショナルスクールに通う息子の2ヵ月半にわたる夏休みも先週から始まり、我が家は早くもsummer vacationモードに突入済みなのだ(笑)。しかし「仮装」の意味は一体何だろうか。私自身にはコスプレの趣味は全くないが、それは私自身の個人的な生活(行動内容)が極めてバラエティーに富んでおり、わざわざコスプレという手段で非日常を求める必要がないからかも知れない。それだけに、夢の中で仮装しなくてはならなかった理由は謎である。



14日●道路の端で奇妙なポーズを取る人々
夫と一緒に夜道を歩いている。道路の向かって右端にある歩行者通路をどんどん歩いて行ったところ、20〜30人ぐらいの人が道路脇の壁に身を寄せるようにして立ち、それぞれ奇妙なポーズを取っている。(この人たち、何しているのだろう?)と思いながらも進んで行くと、そのなかでリーダー格の中年女性が近づいて来て、夫に向かって「両腕は伸ばして肩の高さまで左右に上げる。頭は下げて、体全体でアルファベットの“T”の形をつくるように」などと指示し始めた。私は少なからずムッとして、「そんなことを他人から命令される筋合はありませんよ。そこをどいてください」と言いながら、女の腕を乱暴に振りほどいた。さらに歩いて行くと、少し先に大きな公園が見えてきた。公園の中心には大きな池がある。それはロンドンのセント・ジェームズ・パークのようにも、上野公園のようにも見えた。
【解説】 今夜の夢では、闇の中で「奇妙なポーズを取る人々」と、その先に見えてきた「池のある公園」の両者がそれぞれ印象的だった。奇妙なポーズを取る人々が何を意味するものか定かではないが、目が覚めてから考えてみると、何らかの新興宗教を意味していたような気もする。



15日●銭湯でいろいろな物を洗う
気がつくと私は銭湯にいた。そこは混浴で、老若男女で大いに賑わっている。当然、私も含めた全員が裸なのだが、不思議なことに誰の裸体もはっきりとは見えない。そのため、卑猥な感じは少しもない。私は洗い場でたらいにお湯を張り、石鹸を使って垢すりタオルを洗い始めた。ふと鏡を見ると大浴槽が映っており、そこに娘の姿が見えた。どうやら娘はシュノーケルを着け、お湯に潜って遊んでいるようだ。たらいに視線を戻すと、いつの間にか眼鏡が2つ入っている。どうやら娘が入れたものらしい。ひとつは古典的なデザインの古い眼鏡で、もうひとつは斬新なデザインの新しい眼鏡だ。私は再び石鹸を使って、その眼鏡を洗い始めた。
【解説】 今夜の夢には、このほかにもストーリーがあったように思う。しかし銭湯の場面が印象的で、ほかのことは全て忘れてしまった。「眼鏡を洗う」という夢には、視界がクリアになるという意味があるのではないかと感じた。ちなみに『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「洗う夢」の意味は「自分の短所を改善したいという前向きな気持ちの表われ。素直に反省しているので、その願いは叶う」。「銭湯」の意味は「身近な人間とのコミュニケーションのあり方」という意味だそうである(裸になっているのは相手に対して心を開き本音を出している意味とのこと)。



16日●論理的に証明する息子
懐かしい感じの町。実家がある町のような気もするし、子どもの頃に暫く住んでいた町のような気もする。私のそばには、3歳ぐらいの姿に戻った幼い息子がいる。家からまっすぐに道が伸びていて、その先に信号が見える。信号を渡った向こう側に見えるのは、一軒のコンビニだ。コンビニに煌々と灯りが点っているのを見て、私は初めて今が夜であることに気づいた。息子の話では、彼が注文した2冊の本がコンビニに届いているという。ところが、注文の仕方を間違えてしまったために、本来ならば支払う必要のないお金が1000円かかってしまうというのだ。「1000円余計に払えば、今すぐ本を手に入れることが出来るんでしょう? それぐらい払ってあげるわよ」と私が言うと、息子は首を横に振り、1000円を支払う必要がないことを極めて論理的に証明してみせた(息子が言ったことの内容は、残念ながら目が覚めた瞬間に忘れてしまった)。私は心のなかで(3歳でここまで論理的に物を考えられるなんて、この子は天才だ)と思っている。
【解説】 最近の夢に現われる息子は、3歳前後の幼い姿に戻っていることが多い。そうかと思えば、たまに20歳を過ぎた姿で現われることもある(実際の年齢は14歳)。私が老人になり息子が中年になっても、もしや夢の中の息子は幼い姿のまま現われるのだろうか。そう考えると何ともおかしい。



17日●結婚を焦る23歳
私は23歳、独身。もうすぐ24歳になるらしい。予定では23歳で結婚するはずだったのに、何故かその気配すらない。(何故こんなことになってしまったのだろう。人生のどこで道を間違えたのか)と思いながら道を歩いているが、その心境は焦りと淋しさで一杯だ。私には心を寄せている相手がいるようだ。その人は小さな会社の社長だが、最近仕事が思わしくなく、私のことも避けている。当然、結婚話は出てこない。一方、私に好意を持ってアタックしてくる男性がふたりいて、彼らは共にお医者さんだ。ふたりのうちひとりの顔は全く見えないが、もうひとりは眼鏡をかけた誠実そうな人で、私の性格をよく理解し尊敬してくれている。そして、私との結婚を強く望んでいるようだ。私はこの人と付き合うべきかどうか悩みながら、自分が住むマンション(?)の螺旋階段を昇ろうとしている。
【解説】 今夜の夢の中で、なんと私は23歳に戻っており(現実の年齢の半分です(笑))、しかも3人の男性の狭間で揺れる切ない女心を持て余していた。実際の私は23歳のときに22歳年上の画家と出逢い、逢って2時間でさっさと電撃結婚。25歳と31歳で子どもを産んで、その後も疾風怒濤の如き人生を送って現在に至る。常に本能の赴くままに生きているので、私の辞書に「後悔」の文字はない。だから、今夜の夢の中で感じた寂寥感は何だったのか、自分でも意味がわからない。



18日●水を張った器
蓮の花。水を張った器。清冽な気。ときどき息子の笑い顔が見える。和の雰囲気。
【解説】 今夜の夢はイメージが残像のように残るだけで、具体的なストーリーをどうしても思い出すことが出来ない。全体に清潔で穏やかな雰囲気だった。



19日●美しい円柱
茶碗のようなものがたくさん並んでいる。落ち着いた色合い。見ているだけで心が落ち着く風景だ。円柱が見えてきた。それは、陶器のようにも金属のようにも見える素材で出来た円柱で、大層なめらかに輝いている。上部が心持ち斜めにカットされたデザインが現代的だ。(これは素晴らしいものを発見した)と私は思い、その円柱を丁寧に拝見している。
【解説】 円柱のなめらかさが印象的な夢だった。現実世界では、昨日は某名刹の茶席に招かれ、そこで数々の美しい茶器を拝見した。おそらくそのことが今夜の夢には反映しているものと思われる。



20日●玉のような男児を拾う
ヒマラヤの山奥。私は落ち着いた抹茶色のチベットの民族衣装を着て、チベットのお坊さん達と山道を歩いている。峠に差し掛かったとき、何か光るものが見えたような気がした。吸い寄せられるように近づいてみると、そこに置かれていたのは、なんと全身が玉のように光り輝く赤ちゃんではないか。その顔を一目見た途端、私は何とも言えない懐かしさに襲われ、思わず「法王!」と叫びながらその子を抱き上げていた。場面が変わり、チベット風の宮殿の一室。私が他のお坊さんと一緒に何か事務的な仕事をしていると、扉が開き、「マミー!」と歓声をあげながら男の子が駆け込んできた。あのとき拾った男の子は、もう3歳ぐらいになったのだ。大喜びで私の膝に飛び乗ってきた元気な男の子の頭を撫でながら、「初めて法王とお話をしたのもこのお部屋だったのよ」と、誰に言うともなく語っている私。
【解説】 何とも不思議な後味の夢だった。目が覚めてからよく考えてみると、一緒に山道を歩いていたお坊さんの一人は、現実世界でも知っているリンポチェ(高僧)のひとりだったような気がするが、夢の中の彼は実際よりも年を取って見えた。そのことから想像するに、この夢に現われたのは未来の世界で、夢の中の私は現在より年を取っていたのかも知れない(自分の姿が見えたわけではないが、身に纏っていたドレスの色合いからして、60代半ばぐらいになっていたかも知れない)。今夜の夢には法王(※チベットで法王と言えば、当然ダライ・ラマ法王のこと)ご自身は現われず、代わりに法王によく似た幼い男の子が登場した。チベット仏教徒は「生まれ変わり」を信じ、法王は何度も何度も法王として輪廻転生すると考えている。そのことと並べて考えてみると、今夜の夢は実に意味深長で不可思議な内容だった。



21日●素敵な傘
デパートのような場所。目の前のケースに、たくさんの傘が並んでいる。どれもカラフルで、見ているだけで雨の日が待ち遠しくなるようなデザインだ。その中に、とりわけ素敵な1本の折り畳み傘があった。一目でその傘を気に入り、手に取ってレジのほうへ歩いて行こうとしている私。
【解説】 とても素敵な傘を見つける夢。いざ目が覚めてみると、それがどんな傘だったか思い出せないのだが、カラフルだが派手すぎない色合い(おそらくベージュか淡い黄色またはオレンジ系)の折り畳み傘で、全面に洒落たイラストが入っていたような気がする。そう言えば現実世界では、今年はまだ新しい傘を買っていない。今週末あたり、お店を覗いてみようかと思う。



22日●女子高のお泊まり会
年季の入った広い建物の一室。そこは講堂のようにも山小屋のようにも見える部屋で、かなり天井が高い。私は床の上で数枚の毛布にくるまっている。2〜3メートル離れた向かい側には、女子高時代の友達が数人、大量の毛布にくるまってごろごろしている。どうやら私たちはお泊り会(またはキャンプ?)をしているようだ。私のすぐ正面にはサッコとお嬢(※高校時代の同級生の名前)の姿が見える。少し離れた場所には本格的なシュラフやテントもあるらしいのだが、私たちは敢えて毛布にくるまり、チープな手作り感を楽しんでいるのだ。いかにも女子高生のお泊り会らしい、うきうきするような楽しい雰囲気。私たちは恋の話で盛り上がっていたような気がする。
【解説】 楽しく明るい雰囲気の夢だった。「サッコ」と「お嬢」は、共に女子高時代のクラスメート。サッコは少女マンガに出てきそうな「可憐な少女」で、お嬢はいつも人を笑わせてくれる「明るい美人」だった。このふたりと実際にお泊り会をしたことはないが、今夜の夢は修学旅行のドキドキ感を思い出させてくれた。



23日●振り返る仔犬
古い女子高の建物。甘く懐かしい想い。やわらかな感触。生まれたての健康そうな仔犬が、振り返って私を見ている。
【解説】 今夜の夢には具体的なストーリーがあったはずなのだが、どうしても思い出すことが出来ない。昨日に引き続き女子高のイメージが登場したのは不思議なことだ。振り返ってこちらを見ていた仔犬は、現実世界で飼っているブースケだったような気もするし、遠い昔に見た別の仔犬だった気もする。



24日●……
【解説】 今夜も間違いなく夢は見たのだが、目覚まし時計の鳴る音で突然叩き起こされたためか、どうしても内容を思い出すことが出来ない。



25日●僧侶達との共同作業
あまり光の射さない、土蔵のような古い部屋(経蔵のような気もする)。落ち着いた雰囲気。周囲には大勢の僧侶(おそらく日本人)がいる。私たちは黙々と事務的な仕事をこなしている。それは何か数字が絡んだ仕事だったような気がする。
【解説】 今夜の夢は、ストーリーではなくイメージ(雰囲気)だけが強く残るものだった。ところで最近、仏教寺院や僧侶の夢をよく見るような気がする。このような夢は、記憶している限り、若い頃には見たことのないものだ。仏教関係の夢を見たあとは、決まって明るく穏やかな心境だ。



26日●公園の遊具で弟あるいは息子あるいは愛犬と遊ぶ
広い公園のような場所。幼稚園または小学校の校庭のようにも見える。私はその隅っこにいる。反対側の隅のほうには大勢の子ども達の姿が見える。私のすぐ傍らには、非常に近しい関係の年下の男性がいる。それは弟のようでもあり、息子のようでもある。私たちは小さな遊具に乗っている。その遊具は球形を半分に割ったような形の乗り物でありながら、どことなくソラ豆の鞘(さや)の部分にも似ている。遊具は常にユラユラと揺れている。座席の部分は半分に仕切られていて、それぞれの定員は1人である。気がつくと、弟(あるいは息子)だと思っていた人の姿は、いつしかブースケに変わっていた。
【解説】 夢を見ているときは楽しい気分だったのだが、その内容をいざ文章に書き表わそうとしてみると、実に表現しづらい夢である。何故ならば、今夜の夢にはストーリーらしいストーリーがないのだ。しかも、すぐそばにいた登場人物さえ「近しい関係の年下の男性」というイメージが残るだけで、弟なのか息子なのかブースケ(愛犬)なのか判然としない。遊具もこの世に実在しない珍しい形状で、文章だけで表現するのは難しい。ただ全体としては、「安堵感」と「懐かしさ」が底辺に流れる夢だったように思う。



27日●半人半犬
私は気持ちの良い草原のような場所に立っている。適度に距離を隔てたところには、人間のような犬のような可愛い生き物がいて、こちらを向いてニコニコ笑っている。それがブースケであることは確かなのだが、彼は最早、今までのシーズー犬ではなく、とても自然な形で人間の子どもになりかかっているのだ。とても幸福な気持ち。私は微笑みながら半人半犬のブースケを見ている。
【解説】 目が覚めてすぐ、(ブースケが人間になりかかる夢を過去にも見たことがあるのでは?)と思った。早速調べてみて驚いた。「夢日記」を付け始めた2004年1月1日から今日までの間に、2004年4月8日、6月12日、8月1日、10月7日、10月21日、2005年7月3日、2006年5月28日と、なんと7回も「ブースケが人間になりかかる/人間になっている夢」を見ているではないか。私の心の中には(ブースケが人間の子どもだったら、どんなに楽しいだろう)という気持ちが漠然とある。その気持ちがここまで頻繁に夢に現われていたとは、我ながら驚きだ。



28日●振り子のように空を飛ぶ
少しウェットな感じのする夜の街。広場のような場所。善光寺(長野市内にある名刹)の本堂前の空間にどこか似ているが、似て非なる場所だと思う。私は左右に大きく振れる振り子のように空を飛んでいる。と言っても、私が飛んでいるのは上空ではなく、地面からほんの数十センチ離れただけの低い位置だ。階段を下りたところがさらに大きな広場になっており、そこはギリシアかイタリアのような雰囲気を醸している。私は相変わらず振り子のように左右に大きく飛んでいる。触れ幅は数十メートル、時速は100メートルといったところか。私のすぐ横では、日本人離れした顔立ちの年輩の紳士が、やはり振り子のように空を舞っている。その人は宝田明さんによく似ている。私たちはダンスを踊ろうとして互いの手を取ろうとするのだが、いかんせん両者が恐ろしい勢いで空を飛んでおり、しかも自由意志で飛んでいるというよりは目に見えない紐に下がって左右に振れているような状況なので、なかなかタイミングが合わず手を掴むことが出来ない。場面が変わり、静かな山奥。時間帯はやはり夜。少し離れたところにレストランを兼ねたペンションのような建物が見える。私はここで食事をすることになっている(あるいは既に食事を済ませた)ようだ。誰かが私のために勝手に今夜の宿泊予約を入れてしまったらしい。しかし、私はここに泊まりたくない。何故ならば、近くに嫌いな男がいるからだ。何故その男を嫌っているのか理由はわからないが、一言でいうと「生理的に受け付けない」タイプのようだ。私はペンションのオーナーや関係者に失礼にならないよう気を配りながらも、夜の11時頃までにはペンションを出ようと思っている。
【解説】 全体に「静かな夜」のムードがみなぎった夢だった。ストーリー自体には大きな動きはないものの、振り子のように空を大きく左右に飛ぶ場面は、まるで劇場の演出のようにドラマティックだった。最後に「嫌いな男」が登場するものの、何故かその人の顔は見えなかった。何か自分の深層心理が表われた夢のような気がするが、具体的に何を表わしているのかはよくわからない。なお、今夜の夢は信州の山小屋で見た。



29日●大パーティーを主催する
数百人の知人を招き、大きなパーティーを開催している。それは結婚式と展覧会に似ているが、そのどちらでもない。何やらひどく派手で煌びやかなパーティーだ。私はスカートや袖が大きく膨らんだ仰々しいドレスを纏って、スピーチをしたり人々と歓談したりアトラクションを催したりしている。本当はゆっくり休みたいと思うのだが、次から次へとゲストが来るため休む暇もない。心とは裏腹に、必要以上にはしゃいで見せている。ゲストの中には、母校の学長や映像プロデューサーの姿がちらっと見えた。パーティー会場は大きなモールに続いているようだ。私は女友達(あるいは娘?)とふたりでパーティー会場を抜け出し、モール内にある一軒の店に入ってウィンドーショッピングを始めた。そこは何か布関係の店だったような気がするが、具体的に何を見たのかは覚えていない。暫くしてパーティー会場に戻ってみると、パーティーは既に終わっていた。
【解説】 心が欲することと実際に体が行動していることが噛み合わないような、とても疲れる夢だった。現実世界でも、このところイベントの主催や手伝いが続いている。その喧騒からしばし逃れて執筆に専念するため昨日から山小屋に来ているのだが、にもかかわらずこんな夢を見てしまった。もっと心底からゆっくりしたいものだ。



30日●丘の上に建つ芸能人の屋敷
坂の多い閑静な住宅街。東京の広尾から有栖川公園を抜けた辺りと風景がよく似ている。ところどころに有名人の邸宅が建っている。豪奢で巨大な3階建てのお屋敷ばかりだ。私は麻布十番駅の側から坂道を登って来て、住宅街の中を歩いているらしい。誰の家か定かではないが、2軒の豪邸の前を通り過ぎた。確かに大きな家ではあるが、無機質で温かみがなく、特に魅力は感じない。さらに歩いて行くと、先ほどの2軒の家ほど大きくはないが、やはり3階建ての豪邸が見えてきた。ここに住んでいるのは芸能人のMさんだそうだ。(あの程度の仕事でこれだけ立派な家を建てられるとは、随分ヤクザな世界だ)と思う。そのあと遠くのほうから見知らぬ男性に声をかけられ、何かとても良いことが起こったような気がするのだが、詳細は思い出せない。
【解説】 広尾から麻布十番の辺りは、坂の多い住宅街だ。息子がこの街にあるインターナショナルスクールに通っていた頃は、麻布十番から「暗闇坂」という坂を登って、この辺りをよく歩いたものである。今夜の夢は、その街の風景とよく似ていた。Mさんは特に好きでも嫌いでもない芸能人。何故夢に現われたのか、理由はわからない。この夢も山小屋で見た。





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