子どもの頃、私はしばしば予知夢を見た。祖父が事故に遭う夢、飛行機が落ちる夢、医者から不妊症と診断された女性に子どもが授かる夢…。その頃は、誰もがごく普通に予知夢を見るのだと信じていた。だから、実際はそうではなく、予知夢を見る者は例外的存在なのだと知ったときの衝撃は大きかった。夢とは一体何だろう。そこには、深層心理DNAの中に刻まれた膨大な量の記憶の堆積が関与しているように思う。ここで私が言う記憶とは、前世の記憶といったオカルト的なものでは全くなく、先祖から無意識に受け継いだ生物としての記憶のことである。2003年の暮れ、不思議なことがあった。友人でイラストレーターのカノンさんから電話があり、こんなことを言われたのだ。いわく、彼女の夢の中に私が現われ、瓶に入った香油のようなものをプレゼントして行ったと。実は、その直前に私は仕事で南インドを訪れ、そこで彼女のためにアーユル・ヴェーダ用のマッサージオイルを買い求めたばかりだった。私がまだそのことを告げない内に、彼女はそのことを夢の中で知っていたのである。この出来事が、今回ホームページで「夢日記」を公開することを私に決意させた。夢とは、私の中で眠っているもうひとりの私からのメッセージではないだろうか。その真実を探る手がかりを得るために、私は自分の夢を記録することにした。これは、私自身の私自身による私自身のための深層心理の記録である。
※夢が現実になった場合や、夢と現実の間に何か関係があった場合に限り、後日談を記す。


2004年1月1日 山田真美







2006年3月


1日●死んだ友達の父親と奇妙な名前の社長
新聞広告を読んでいると、友達のお父さんの顔写真が載っていた。ビジネスライクな笑みを浮かべたお父さんの写真と、小さな店舗の写真があり、その下に漢方薬らしき薬品の名前がズラズラと書き並べてある。この人はどうやら健康薬局を経営しているらしいのだ。「万病に効く」という誇大広告まがいのキャッチコピーを読みながら、私は心のなかで、(自分の息子さんが若くして病死してしまったのに、この人はこんな広告を出して心が痛まないのかしら)と思っている。場面が変わり、私は娘とふたりで電話をかけている。夫に急用ができて連絡を取ろうとしているのだが、携帯が壊れたらしくさっぱり繋がらないのだ。夫は最近仕事で知り合った男性と一緒に北のほう(新潟あたり?)へ一泊二日の出張に行ったような気がする。電話が一向に通じないので、一緒に出張に出かけたという男性のオフィスに出向いてみた。マンションの玄関のような入り口で待っていると、秘書らしき若い女性が出てきた。何故か逆光のため、彼女の顔は影になっていて最初はまったく見えない。その後、もうひとり社員の男性も出てきた。彼は極度に理解力の低い人で、こちらが一から丁寧に用件を話しているにもかかわらず「はぁ……?」といった幼稚な対応が続く。しかし噛んで含めるように何度か説明しているうちに、ようやく話をわかってもらえたようだ。彼が「これが社長の名刺です」と言いながら差し出した名刺には、「御左生梨」と印刷してあった。これで「おざなり」と読むらしい。かなり珍しい苗字だと思う。すると秘書の女性が得意げに、「社長が飼っている犬の名前はぁ、御右生梨と書いて“おうなり”って読むんですよぉ」と教えてくれた。私は心のなかで、(犬の名前なら「おすわり」のほうがいいんじゃない?)と思っている。

【解説】 またしても意味不明な夢だった。最初に登場した男性は友達の父親だが、現実世界では薬局とはまるで関係のない仕事をしている。息子さんは30代のうちに亡くなってしまい既にこの世にいない。特に親しかったわけでもないこの父子が何故夢に登場したのか、理由はさっぱりわからない。後半の夢に登場した「おざなり・おうなり」という奇妙な名前にも、まったく心当たりはないが、心のなかで咄嗟に(犬の名前なら「おすわり」のほうがいいんじゃない?)と思ったのは、我ながらナイス突っ込みだったと思う(笑)。

【後日談】 この夢を見た何日か後、夫の携帯が何の前触れもなくいきなり壊れてしまった。夢のことを思い出し、少し不思議な気分になった。


2日●時計回りに湖を回る
山と森に囲まれた、ひと気のない静かな湖。信州の野尻湖とどこか似ているようだ。湖に沿ってうねうねと曲がりくねった細道を、私はひとり歩いている。懐かしい夏の匂い。木漏れ日。木綿の袖なしワンピースと、リボンの付いた上品な麦藁帽子。途中の道端に小さな小屋があって、そこで鳥居晴美さんが面白いことを教えてくれた。「この道を反時計回りに回ると不幸が訪れ、時計回りに回ると幸福が訪れる」というのだ。それを聞いて、私はどこまでも時計回りに進むことを決めた。

【解説】 昨夜に引き続き、またしても晴美さんの登場である。「時計回り」うんぬんが何を意味しているのか定かではないが、もしも近日中にどこかを「回る」機会があったら、今夜の夢の内容どおり時計回りに回ってみようと思う。なお、鳥居晴美さんのことは拙著『3歳までに英語の種をまきなさい』の82〜83ページで紹介いたしました。本をお持ちの方は何卒ご高覧ください。



3日●時計回りに回る家族写真
フレームに入った家族写真が見える。私の髪が短いので、ここ1ヵ月半以内に撮影したものと思われる。胸から上だけを写したバストアップ写真で、家族全員が実に楽しそうに笑っている。その写真が何故か時計回りにぐるっと回転するのを見て、(家族は皆、幸運に守られているのだ)と思う。場面が変わり、かなり大きな講堂のような部屋。私は天井の高さから部屋を見下ろしている。ここで、これから何か儀式が始まるらしい。卒業式か、あるいは解散式だろうか。ひとつのことが今、終わろうとしている。新しい門出を祝福したい気持ちだ。

【解説】 今日も昨日に続き、何故か「時計回り」の夢である。ちなみに私が習っているお茶の流派では、時計回りは「陰」、反時計回りが「陽」とされる。仏教やヒンドゥー教では基本的に、仏壇(神殿)や仏像(神像)のまわりを回るときは時計回りと決まっている(基本的にインドの宗教では右を浄、左を不浄と考えるので、仏や神には常に自分の身体の右側だけを向けていなければいけないという思想から)。2夜連続で時計回りの夢が登場する意味は不明だが、なにやら興味深い夢ではあった。



4日●結論の出ない会議
私自身を含む10人前後の人々が、インフォーマルな会議を開いている。私たちは全員が同じ趣味を持つ同志で、おそらくお茶の仲間らしい。知った顔の人も散見する。私たちはもう何時間も、或るひとつの議題について話し合っているのだが、結論の出る気配すらない。それもそのはずで、皆はそれぞれにかなり個性のある生き方をしてきており、今さら他人の価値観に近づこうという殊勝な気持ちを持ち合わせていない人ばかりなのだ。しかし、それでいいのではないかと私は思っている。これまでも私たちはそれぞれに異なる価値観のなかで生活し、心の深いところでは相手を尊敬しながらも、基本的には互いに不干渉だった。そのような関係が何十年も続けられてきたのだ。今さら全員が共有するコンセンサスを探ろうとすることはナンセンスだし、多数決というやり方も大人気(おとなげ)がない。提出されている議題に対しては、中立意見のひとりを除けば、賛成と反対がちょうど半数ずつである。白黒をつけずこのまま放置するのが正解だろうと私は思っている。
【解説】 今夜の夢のなかで、私たちは一体何について話し合っていたのだろう。具体的なことは覚えていないが、「互いの存在を尊重はするが、不必要な干渉はしない・させない」という大人の個人主義がテーマの夢だったようだ。昨日は現実世界でもお茶のお稽古があったのだが、ここのメンバーは全員が良い意味で互いの生活に「不干渉」でありながら、一緒によく学びよく遊んでいる(笑)。「大人の世界」とは、こういう世界のことを言うのかも知れない。



5日●人の背に負われる
地下鉄の構内。網の目のように入り組んだ通路を、私は誰かの背中におんぶされて走っている。それが誰の背中かは不明だが、割と背の高い無口な男性だったような気がする。周囲の人には目もくれずヒュンヒュンと風を切って走りながら、私は騎馬戦をしているような楽しい気分を味わっている。

【解説】 誰かにおんぶされる夢は、記憶している限りこれが初めてではないだろうか。ストーリーはないものの、どこか楽しい気分の漂う夢だった。『夢の事典』(日本文芸社)で調べたところ「おんぶされる・背負われる」という項目は見当たらず、逆の意味の「背負う」という項目だけが紹介されていた。それによれば「背負う夢」の意味は「背負った人にとっては負担を意味するが、同時に、背負ったものがやがて大きく花開くことを意味する」そうである。この世の中には、私を背負って頑張ってくれている人たちがいる。もしかしたら今夜の夢は、「おんぶしてくれている人たちへの感謝の気持ちを忘れるな」という意味なのかも知れない。

【後日談】 この夢を見た直後に、ひとりの男友達からメールが届いた。その人の名前をここに書くことは控えるが、彼は背の高い芸能人だ。メールを読んだ瞬間、そう言えば夢の中で私を背負ってくれていたのはこの人だったことを突然思い出した。さらに驚いたことには、この人からのメールの中に「地下鉄」に関する記述があったのである。そう言えば私生活でも、私はいつもこの人の世話になるばかりで、喩えて言えば「おんぶしてもらっている」ような状態だ。「前世」というものを信じない私ではあるが、仮に前世があったとすれば、この人は私にとって「従兄」のような「世話を焼いてくれる親戚のお兄さん」的存在だったのかも知れない。


6日●くじらのカレンダーを買う
格式の高い和風の文房具店。広い店内には、私と私の連れの女性(顔は見えない)のふたりしかいない。帳場には、番頭さん風の男性の姿が見える。この人は小太りで背が低く、頭がタコのようにつるっと禿げていて、丸眼鏡をかけていたような気がする。店の一角にはカレンダー売り場があって、今年のカレンダーがまだ少し残っていた。3月にカレンダーを買うような酔狂な人もいないのだろう、どのカレンダーも元の価格の50%引きになっている。そのなかに、和紙に刷られた鯨の木版画が2ヶ月ごとに6枚綴りにされたカレンダーが見えた。ひょろひょろした描線のタッチがユーモラスなイラストだ。表紙には「くじら」とタイトルが書かれている。私はこのカレンダーを買うことに決めた。例のタコ頭の番頭さんにお会計を頼む。元の価格は2,500円だったところ、50%引きの1,250円を支払ってカレンダーを受け取った。ところがこのときになって、番頭さんが思い出したように「そう言えば、このカレンダーにランプが付いたものもありますが、そちらになさいますか」と言い出した。どうやら、これと同じカレンダーと卓上ランプ(読書燈)がセットになったものが、まったく同じ価格(または、ほぼ同じ価格)で購入可能らしい。ランプはシェードの部分が丸みを帯びた形で、色は落ち着いた赤系統だ。少し考えた末、私はたった今買ったばかりの商品をランプ付きの商品に取り替えてもらうことにした(但しここで目覚まし時計が鳴ってしまい、夢はここでいきなり途切れてしまった)。

【解説】 かつてマッコウクジラの回遊を研究していた頃、ごく一部の友達からは「くじらちゃん」のニックネームで呼ばれていた。そのため、鯨という生きものには今なお非常に愛着がある。今夜の夢に現われた「くじらのカレンダー」は何を意味しているのだろう。3月になって今年のカレンダーを新たに購入するというのも奇妙な話だが、そこにランプが付いてくるあたりも益々おかしい。実は、次に出版予定のファンタジー(全文英語)は、中学校の教科書(New Horizon)で習う948単語だけで書き下ろしているのだが、中学英語の948単語の中には、驚いたことに“calendar”という簡単きわまる単語が入っていない。このことは私にとっては大きな驚きなので、その気持ちが今夜の夢に反映したのかも知れない。なお、誰もが知っている“calendar”という単語だが、最後の部分を間違えて“calender”と綴ってしまう日本人がかなり多いようだ。しかし“calender”と綴ると「@光沢機、A托鉢僧」の意味になってしまうので、特に受験生はスペルを間違えないよう気をつけて欲しい。



7日●中止されたイベント
イベント・プロデューサーのXさんの姿が見える。彼は何か大きなイベントを計画しているらしく、今日はその内覧会というか、予定発表会のようだ。広い会場には大勢の若い人たちが詰め掛けている。この感じだと、本番はかなり大きなイベントになりそうだ。少なくとも万博規模か、あるいはオリンピック規模のものになるのかも知れない。それから瞬く間に何ヶ月かの時間が経過したらしい。予定では今日がイベントの初日である。早速出かけてみた。現場には大勢の若い人たちが既に集まっている。ところが肝心のイベント会場はまだ設営すらされておらず、どうやらイベントそのものが中止(無期延期)になったようではないか。Xさんに至っては、どこへ雲隠れしてしまったのか姿さえ見えない。私は、(これがXさんの能力の限界か)と思っている。
【解説】 何故このような夢を見たのか本当の理由は定かではないが、昨日はTVのニュース番組でオリンピックへの立候補を予定している福岡市と東京都のそれぞれの首長の話を聞いたり、東京オリンピックの映像を垣間見た。そのことが何かの形で今夜の夢に影響しているのかも知れない。なお現実世界のXさんは、非常に責任感の強い人。その彼が何故このような役どころで夢に登場したのか、そのへんも不可解である。



8日●橋の袂(たもと)で
夕暮れに近い時間帯。大きな橋の袂に立っている私。その橋は古びており、いかにも歴史がありそうだ。橋の一部が煉瓦で出来ていたような気もする。私のすぐそばには夫がいて、たった今偶然に遭ったらしい男友達(芸大時代からの友達のKさん?)と何やら長話を始めた。私は先刻からやや息苦しい。一生懸命咳払いをしてみるのだが、一向に治らない。2〜3メートル先にはインド人らしい男が立っている。彼はインド人にしてはさほど顔が濃くなく、眉がハの字で気の弱そうな風貌だ。彼はどうやら友達を待っているらしい。そこへいきなり恐ろしいスピードで自転車が突っ込んできて、すんでのところでインド人に衝突しそうになった。しかし自転車の男(日本人)は謝罪もせずにそのまま走り去って行った。そこへインド人の待ち人が現われた。相手もやはりインドの男性である。自転車に追突されかかったほうの男は憤慨しながら、たった今起こった出来事をヒンディー語で友達に訴えている。友達は「まあ、怪我をしなくて良かったじゃないか」と慰めている。そのとき私が咳払いをしたところ、ようやく息苦しさが治ってすっきりした気分に戻ることが出来た。このあと、どこか別の場所で楽しい友達に逢ったような気がするが、詳細は思い出せない。
【解説】 以前にも橋の袂に立っている夢を見たことがある。その夢の具体的な内容は思い出せないが、その橋もやはり古びた建築物だったと記憶している。今夜の夢の途中で息苦しくなったのは、おそらく現実世界でブースケ(犬)が私の顔を塞ぐようにして寝ていたせいではないかと思う。ブースケと私は同じ寝室で寝ているのだが、彼は実に寝相が悪く、人の顔の上で仰向けの大の字になって寝ていたりするのだ(笑)。今夜、私の呼吸を苦しくした犯人も、まず間違いなくブースケであろう。



9日●感染
何かが急速に広まっている。それは普通の意味での「疾病」ではなく、何らかの「社会的な感染症」だ。「飛び火」、「transmittable」という単語が頭に浮かんでは消える。具体的にそれが何だったのかはどうしても思い出せないのだが、この感染症は風邪やインフルエンザなどと違って、保菌者と一緒にいるだけでは感染しないらしい。私も私の周囲の人々も、おそらく既に「それ」に感染しているようだ。しかしその中で、娘だけはまだ難を逃れている。それは、娘が遠く離れたオーストラリアに暮らしていることと関係があるのかも知れない。実は私はつい先程、その感染症から身を守る方法を発見したばかりだ。その方法を娘に伝授し終えたところで目が覚めた。
【解説】 今夜の夢には、具体的かつ入り組んだ長いストーリーがあったような気がするのだが、目が覚めてみると大まかなイメージしか残っていない。夢の中で飛び火/transmitしていたのは、一体何だったのだろう。今夜の夢は、日本社会における何らかの「システム崩壊」を暗示していたような気がしないでもない。



10日●恐ろしく入り組んだ駅とネイルアートした女性たち
何か仕事の打ち合わせがあって、スパイス(出版社)の皆さんと逢ったような気がする。まだ午後の比較的早い時間帯なのだろう、外は明るい。私は電車に乗るために駅に行った。そこは見たことのない駅で、JR、私鉄、地下鉄を含む多くの路線が、狭い構内に鮨詰め状態になっているようだ。駅の中を大勢の人が、ロボットのように機械的な足取りで歩いている。それはいかにも非人間的で無感情な歩き方だ。ところどころに駅員が立っており、ゆっくり歩いている歩行者に対して「もっと急いで歩いてください」という意味のことを指示している。床の至るところには、「日比谷線」「井の頭線」「東横線」「東海道新幹線」などと白いペンキで書かれており、上を見上げれば何十本ものエスカレーターが網の目のように張り巡らされている。少しでも気を抜いていると、あっという間に自分の行き先を見失ってしまいそうだ。どうにかうまく流れに乗って電車に乗ることが出来たのだろう、次に気がついたとき、私は見知らぬ美容室の広々としたエントランス部分に立っていた。おそらくこのあとシャンプーをしてもらったのではないかと思う。肩も揉んでもらい、とても気持ちが良い。その次に気がついたときには、無事に自宅へ戻っていた(但しそこは、実際に住んでいる家とは似ても似つかない建築物なのだが)。目の前には姪(義姉の娘)とその女友達がいて、盛んに「あちらの様子はどうでしたか」と聞いてきた。私は、まるで初めて東京に行って来た「おのぼりさん」のような口調で、「そりゃあもう凄かったわよ。青山とか表参道のほうへ行ったら、女の人たちがみんな爪を長くして、そこへ色んな色のペイントをしているの。ネイルアートって言うんですって。あんなに爪を伸ばしちゃって、仕事や子育てに支障が出ないのかしら。とにかくみんな恐ろしく爪が長いのよ」と力説している。姪たちも「本当ですか。凄いんですねえ」などと言いながら驚いている(ここで目覚まし時計が鳴ったため、夢はふっつりと切れた)。
【解説】 今夜の夢も意味不明だった。特に最後の部分がわからない。「青山とか表参道のほうへ行ったら……」と勢い込んで話している自分は、まるで昭和中期の人がいきなり平成の現代へやってきたような「おのぼりさんぶり」で、目が覚めてから思わず苦笑してしまった。今日はこれから仕事で実際に青山方面へ行くのだが、果たして何か夢に関係のあることが起こるのだろうか? ちなみに私自身は昔から爪を短く切りそろえておくのが好き(と言うか、長い爪が嫌い)で、3日に1度は爪をカットしてしまう。当然、ネイルアートはしていない。最近は友人たちからも「一度試してご覧なさいよ。楽しいから」とよく誘われるのだが、パソコンのキーボードを叩くときやお皿洗いをするとき、それに小さな子ども(知人の赤ちゃんなど)を抱っこするときに爪が邪魔にならないかしらと心配で、未だに試行できずにいる。

【後日談 @】 この夢を見た直後に青山方面に出かけたが、そのときは不思議なことは何も起こらなかった。ところがその数日後に再び別件で青山方面へ出かけたところ、知り合いの女性にばったり会った。仮にA子さんとする。A子さんの旦那様はお医者さんで、ご本人(美人!)は絵に描いたような有閑マダムだ。彼女は私の友達の友達で、直接の交流はない。この日は少し立ち話をしたのだが、A子さんがいきなり「そう言えばわたくし、最近ネイルアートの学校を卒業したのよ」と仰るのには驚いた。「今度、拙宅に遊びにいらっしゃらない? ネイルアートしてさしあげるわ」とA子さん。まさに夢が現実になった形で、吃驚仰天である。
【後日談 A】 それからさらに10日ほど経って夢のことを忘れかけていた3月23日、友人でデザイナーの白浜利司子さんが青山でファッションショーを開催なさった。やはりショーに来ていた友人6人で食事をした帰り、友人のひとりB子さんの車で拙宅まで送っていただくことになった。そのB子さんが前触れもなく唐突に、「そう言えば、私の行きつけのネイルサロンがこの近くにあるの。とてもリーズナブルだし犬の同伴もOKだから、犬の散歩がてら真美さんにもオススメよ」と言い出したのである(注/B子さんは私の夢のことはご存知ない)。折角だからということでB子さんと一緒にその店に立ち寄り、お店の人を紹介していただいた。「爪を長く伸ばさず、短いままでも色々なデザインが出来ますよ」ということだったので、結局は私もここのネイルサロンの会員になることが決定(驚)。自分の意思で動いたのではないにもかかわらず、夢のとおり「青山→ネイルサロン」という流れが実現したのは、なんとも不思議なことだと思う。



11日●妖精たちと過ごした1週間
見たことのない大きな家。私はその家で、小さな生き物たちの世話をしている。それがどんな種類の生き物だったか思い出せないのだが、大きさは掌に乗るぐらい。手触りはヒヨコや仔ウサギのように柔らかく、動きはぜんまい仕掛けのオモチャのようにどこかぎこちなく、理解力(知性)はかなり高く、物語に登場する妖精のような雰囲気の生き物なのだ。私はこの生き物たちと一緒に、この家で1週間ほど暮らしていたような気がする。具体的には、私が彼らの世話をしていたのだが、この子たちはいつもゾロゾロと私の後をついてきて、とても甘えん坊だ。心の優しい子ばかりで、悪いことをしたり喧嘩をするような子はひとりもいない。それに、皆とても無口である(そう言えば彼らが話すところは一遍も見なかったかも知れない)。そうこうしているうちに1週間が過ぎ、お別れのときが来たらしい。私はそのへんに落ちていたゴミを拾っている。それは、見た目はマシュマロに似ており、真っ白でプニュプニュした感触のゴミだ。私がゴミを拾っていると、妖精たちも黙って手伝ってくれた。やがて家の外に妖精たちの迎えが来たらしい。私が外へ出たときには、既に妖精たちも迎えの人も消えていた。代わりに弟が立っていて、「叔父ちゃん叔母ちゃん達がくれぐれもよろしく言っていたよ」と言う。聞けば、母方の叔父叔母たちが大挙してやって来て、妖精たちを連れて行ったという。するとあの妖精たちは、幼い頃の従弟妹たちだったのだろうか。私は呆然とその場所に立ち尽くしていた。
【解説】 今夜の夢にはもっと長いストーリーがあって、“妖精”たちと一緒に色々なことをしたような気がする。その間私はずっと彼らの“幼稚園の先生”のような役どころだったため、夢の中でひどく疲れた記憶がある。妖精たちが実は従弟妹だったというオチだが、そう言えば私には年下の従弟妹が大勢いる。母が7人兄弟の長女であることもあって、母方の従弟妹は全員が私よりも年下なのだ。祖父母が元気だった子どもの頃は、夏休みになると従弟妹が日本中から長野に集まってきて、それはそれは賑やかだった。私のすぐ下が4歳下の弟で、次が7歳下の従妹がふたり、さらにその下に小さな従弟妹たちが8人もいたのだから、私はダントツにお姉さんで、いつも年下の従弟妹たちの面倒を見ていた記憶がある。私は昔から小さな赤ちゃんの世話が大好きなのだが、そこにはこうした環境が多少影響しているのかも知れない。今夜の夢には、何やら甘く懐かしいミルクの匂いが漂っていたような気がする。



12日●みかん
何もない黒い空間の上方に、みかんのオレンジ色だけがぽっかりと浮かんでいる。太陽のような暖かさ。母性、救済のイメージ。
【解説】 今夜の夢で覚えているのは、この場面だけである。ストーリー性はまったくなかったものの、闇の中にくっきりと浮かんだオレンジ色の明るさは実に印象深く、何かを暗示しているようにも思えた。



13日●Reincarnation(転生)
私は机に向かって英文の手紙を書き綴っている。手紙の相手はシドニーに住む娘のLiAだ。具体的に何を書き綴ったのかは思い出せないが、それは人生の根幹に関わる本質的な事柄で、また、全体が韻を踏んだ詩的な文体になっていたのが印象的だ。最初は便箋に手書きをしていた気がするが、途中からはパソコンに打ち込んでいた。黒い画面の上に、自分が打ち込んだアルファベットだけが白く鮮やかに浮かび上がっている。手紙の最後のほうに綴った“reincarnation”(転生)という単語が、ことのほか印象的に私の脳裏に刻まれた。
【解説】 今夜の夢の中で、私はかなり長文の手紙を書き綴っていたように思う。夢の中ではその内容がはっきり見えていたのだが、残念ながら目が覚めた瞬間に全て忘れてしまった。覚えているのは“reincarnation”という単語だけである。現実世界での娘と私は、ほぼ毎日のようにチャットをしている。その場合、両者のあいだで交わされるのは日本語だが、昨夜は何故か最初から最後まで英語だけで通してしまった(注/会話内容によっては日本語より英語のほうが格段にニュアンスが通じやすいこともあり、昨日がたまたまそういう日だったのだ)。そのことが夢にも現われた感じだが、それにしても手紙に書いた内容が“reincarnation”とはどうにも面妖ではないか。現実世界では、娘とのあいだにそのような話題は出なかったのだが。



14日●小学校の校門に立つ母
夢の前半で、何か哀しいことが起こったような気がする(しかしそれが何であったかは思い出せない)。私は小さな子どもなのかも知れないが、幼くして既に何かを「完全に諦めて」いる。ふと気がつくと、目の前に母が立っていた。母が見えたのは一瞬のことだったが、その姿は若々しく(おそらく30代と思われる)、輝くばかりに美しかった。母の背後には、小学校の校門らしきものも見えたようだ(あれは私が通っていた小学校なのかも知れない)。人生は無常だと思う。
【解説】 ストーリーらしいストーリーのない幻のような夢だった。実はこの夢を見る数日前、昭和30年代の前半に誰かが撮影したというホームビデオを見る機会があったのだが、そこに映っていた日本人は皆、今の日本人に比べてずっと小さく痩せており、そして驚くほど幼く見えた。この時代の映像を見るたびに、私は亡き父のことを思い出す。今回もビデオを見ながら、(この時代の人々の多くは、死ぬまで馬車馬のように働いて、家族や社会のために自分を犠牲にする生き方を余儀なくされた。亡くなった父にもっと自由な人生が与えられていたならば、父はどんな生き方をしたかったのだろう)などと思っていた。今夜の夢の中に若々しい母が現われたのは、そのビデオを見たことが影響しているのだろう。但し、前半で起こった「哀しいこと」が何であったかは全くの謎。



15日●タイムテーブル
横に細長い白い紙が見える。そこには1本の線が引いてあって、線は一定間隔を置いて点で区切ってある。どうやらこれは、1日を1時間ごとに区切ったタイムテーブルらしい。タイムテーブルは左のほうが1日の始まり(朝)で、右へと進むほど1日の終わり(夜)に近づく。紙の右端のほうに、何かとても大事なことが書かれている。時間帯で言うと、夜の8時〜10時あたりだろうか。そこに、今日1日の仕事の中でいちばん大切な何かが書き込まれている。それは何か娘に関することで、理系の学問にも関係のあることだったような気がする。
【解説】 夢の中では、そこに書かれていた「大切なこと」がハッキリと見えていたのだが、残念ながら目が覚めて上半身を起こすと同時に忘れてしまった。こういうことは、ふとした弾みで再び思い出すこともあるので、もしも思い出すことが出来たらそのときは追って書き込もうと思う。



16日●自分の葬儀で司会をする父
広々とした気持ちの良い庭。少し離れたところに、黒っぽいスーツを着た父が立っている。私の存在に気づかないのだろうか、父は小さな白い紙片を見ながら、何かしきりに考え事をしているようだ。どうやら父は、これから執り行われる予定の自分の葬儀で司会進行役を務めるらしい。紙に書かれた文字が小さいのか、気がつくと父は胸ポケットから取り出した眼鏡をかけていた。あと3歩か4歩の場所にいるにもかかわらず、私は父に話しかけようとせず、ただ見守っているだけだ。会場の入り口に「MC」という貼紙がしてあった。いくらなんでも日本の葬儀で「MC」という言い方はないだろうと思い、私は自分の一存で「MC」の紙をはがし、代わりに「司会」と書かれた紙を貼った。やがて葬儀が無事に終わったらしい。気がつくと、いつしか父の姿は消え失せていた。
【解説】 今夜の夢は、どうやら一昨日から三夜連続で「シリーズ」になっていたらしいことに、目が覚めてすぐに気づいた。となれば、昨日の夢に登場したタイムテーブルは、葬儀の日程が書かれた紙だったのだろうか。そのへんは今ひとつハッキリ思い出せない。それにしても、自分の葬儀でみずから司会をするとは、夢の中にしろおかしな話だ。葬儀会場の入り口に書かれていた「MC」は、「Master of Ceremony」の略だが、そう言えば現実世界でもつい最近、知人の誰かが「MC」という言葉の意味を間違えて使っているのを見た。そんなエピソードまでが今夜の夢には投影されていたらしい。



17日●娘とショッピングセンターで
娘とふたりで巨大なショッピングセンターの中を散策している。娘は一時帰国中で、数日後には再びシドニーに戻るらしい。エスカレーターの脇にチケットショップ(?)があったので、私たちはそこで足を止め、クラブイベントのチケットを買おうかどうしようかと考え始めた。若い店員の女性が「クラブは若い人しか行きたがりませんよね」と言うのを聞いて、(あなた、何もわかっていないわね)と心のなかで思っている私。結局、日程的に無理だったため、クラブイベントのチケットは買わずにその場をやり過ごした。娘がこのあと友人と逢う予定だと言うので、ここから外に出るべくエスカレーターで下って行くと、途中の壁面にロングドレスが30着ほど陳列してあるのが見えた。それらは、どう見ても普通のシチュエーションで着るとは思われない、学芸会のお姫様役か結婚披露宴の花嫁向きの派手なドレスばかりだ。しかし私は何故か本気で娘に「このドレスはどう?」などと薦めている。娘は半ば呆れたように「えっと、それはちょっと私の趣味じゃないから」と言っている。そのあと娘と別れ、他の場所へ行ったような気もするのだが、詳しいことは思い出せない。

【解説】 夢の中でショッピングセンターへ行ったにもかかわらず、よく考えてみると実際には何の買い物もしていない。何か買う予定の物があったように思うのだが、それが何だったのかも思い出せない。現実ではあり得ないような派手なドレスを「これはどう?」と娘に薦めていたのも奇妙な話で、全体に意味不明な夢ではあった。ところでこのところ家族や親戚が登場する夢をよく見るが、これは何を意味しているのだろう。



18日●9マスのチャート
縦横それぞれ3マスずつ、合計9マスのチャート(表)のようなものが見える。中心のマスに何か日本語で文字が書かれており、それは何かとても重要なことらしい。漢字と平仮名を合わせて3〜4文字程度のその言葉を、私はしっかりと心に刻みつけている。
【解説】 ごく短い夢。しかも目が覚めたときには、その言葉が何であったかを忘れてしまっていた。今月は15日の夢にも不思議な日程表が登場したが、今日の夢に登場したチャートはさらに訳がわからない。もしやこの前後にもストーリーがあったのかも知れないが、それも全く思い出せない。



19日●肩が凝る相手
見知らぬ風景。私はひとりで風の中に立っている。目の前に横たわる川。その向こう岸には、大きなマーケットのような場所が広がっている。いちばん左奥にある一軒の小さな店に、私は用事があるらしい。しかし、そこの店主らしき女性は、たいへん性格が悪い。彼女は私の顔を見るたびに、何か無理難題を吹っかけてくるのだ。金品の要求をされることも少なくない。彼女は40前後で、いつも人の悪口や愚痴ばかり言っているが、自己反省の気持ちは微塵もない。それどころか、自分だけは常に正しいと思っているようだ。私は何故か彼女のパシリをやらされている。本当はこの人の言うことなど無視したいのだが、何か理由があってそうすることが出来ない。結果的には何度もこの店に足を運び、そのたびに搾取され、しかも愚痴や悪口を聞かされ続けるのだった。最後に行ったとき、彼女から何かクシャクシャに丸めた紙切れのようなものを渡された。店を出てずっと離れた場所に来てから紙を開いてみると、そこには汚い字で「凝り」と書かれていた。
【解説】 目が覚めてみると、本当に全身が凝ってしまっている。よほど疲れる夢だったのだろう。ベッドの上で暫く柔軟体操をすることで肩凝り自体は取れたが、それにしても今夜も意味不明な夢だった。夢に登場したのは、「愚痴や悪口ばかりで実行力が伴わず、しかも自分は正しいと思っている人」だが、こういう人は現実世界にも数多く実在する。愚痴は言うのも聞くのも嫌いなので、こういう人とはたとえ夢でも逢いたくないところだが、何故か今日は夢に居座られてしまった。明日以降は登場しないよう、枕元に塩でも撒いておこうか(笑)。



20日●滑り台
見覚えのない団地の一角にある、小さな児童公園。夕暮れなのだろうか、涼しい風が吹いている。私は公園の端に立って、反対側にある滑り台を見ている。それは恐ろしく高い滑り台で、しかもスロープの両側に手すりがない。中学生らしき4人の男女が、先程から何度も何度も滑り台で遊んでいる。4人は、男子が2人と女子が2人で、全員クラスの秀才らしい。女の子のうちのひとりは、私の次女だ。私に次女はいなかったはずだが、どうやら息子が女の子の姿になってしまったようなのだ。私は心配しながら彼女を見守っている。その女の子は実に活発で、運動神経が発達しているうえ頭も抜群に良い。だから彼女が滑り台から落ちる心配など99%ないのだが、それにしても滑り台の高さがあまりに高いことと、彼らの滑るスピードがあまりにも速いので、私は残り1%の不測の事態だけを心配しているのだと思う。滑り台をさんざん遊びつくした4人は、この公園にも飽きてしまったのだろう、楽しそうに歓声をあげながら別の場所へと走って行った。私はほっと肩を撫で下ろし、家に帰ろうとしている。
【解説】 息子が何故か女の子になってしまった奇抜な夢。そう言えば(親の私が言うのもおかしな話だが)、幼児だった頃の息子の顔は本当に愛らしく、どなたに逢っても「あらまあ、なんて可愛らしいお嬢ちゃん!」と言われていた。今ではどこからどう見ても逞しい少年だが、おそらく私の中には、いまだに幼かった頃の息子のイメージが強く残っているのだろう。夢のなかでは息子とそのクラスメートたちが目も眩むような高い滑り台で遊んでおり、私はそれを固唾を飲んで見守っていたわけだが、これは現実世界の彼らが大学受験期に近づいたことと関係しているように思う。私自身の親心が全面に押し出されたような今夜の夢だった。



21日●新聞記事
大きく広げた状態の新聞が目の前に置かれている。2面にわたって掲載されているのは、私自身のインタビュー記事だ。それを最初から最後まで読んでいる。記事によると、どうやら私は何かの都合で日本を離れることになったらしい。行き先がどこかはわからないが、少なくとも数年は日本へ帰って来ないつもりのようだ。記事のところどころに紫色の文字があって、それらは私の発言のハイライト部分をまとめたものらしい。そのなかに「なんぼなんでも」という言葉が見えた。これは私が絶対に口にしない日本語である(※普段の私なら「いくらなんでも」と言う)。何故このような言葉が紹介されているのだろうと怪訝に思う。顔写真はと見ると、今から10年以上も昔に、インドで暮らし始めたばかりの頃に撮った写真ではないか。この新聞記事に書かれているのは過去の私に関することなのか、それとも未来のことなのか。考えても考えても、よくわからない。
【解説】 今夜の夢は、記憶している限りではこれだけだったように思うのだが、目が覚めたときの印象では、これとは別に何か哀しい出来事も起こったような気がしてならない。それは「親しい人との無理やりな別れ」だったような気がするが、詳細は思い出せない。現実世界では一昨日、隔月刊誌『英語でしゃべらナイト』のインタビュー取材を受けた。そのことも、今夜の夢に何らかの影響を与えているのかも知れない。



22日●水を汲む
人里離れた静かな場所。一ヶ所、きれいな水が湧いている場所があって、私はそこから柄杓で水を汲んでいる。汲んだ水を、少し離れた場所にある壺(?)のような容器に移す。それが終わると再び泉のところへ行って水を汲み、壺へと運ぶ。この仕事を黙々と続けている。着物を着ているのだろうか、あくまでも感情を抑えた日本的な所作が印象的である。やや距離を置いた場所では、9人の人々が椅子に座り、何やら賑やかに騒いでいる。椅子は1列に3脚ずつ、3列に並べて配列されている。彼らは芸能人で、テレビ番組の収録中なのかも知れない。それは自分とは関係のない世界だと思い、私は黙って水汲みを続けている。
【解説】 「水を汲む」という単純な動作を延々と繰り返す夢なのだが、登場するアイテムは「着物」「柄杓」「壺」と古風な物ばかりなのが印象的だった。近くでテレビ番組を撮影しているから時代は現代なのだろうが、自分のまわりだけは平安時代あたりの古めかしい雰囲気を醸し出していた。日頃から私は、自分自身が現在身を置いているこの世界と自分自身の心のギャップに驚くことがある。表面上は誰よりもうまく現実世界に適合しているように見えるかも知れないが、実際は「私は何故、この時代のこの場所に生まれて来たのだろう」という違和感・孤独感を感じることが少なくない。そうした気持ちが今夜の夢には投影されていたような気がする。なお、9人の芸能人が座っていた椅子の配置は、今月18日に見た夢のチャートと同じ形(縦3×横3)だった。このことに何か意味があるのだろうか。



23日●さようなら皆さん
数十メートル離れた場所に、数人の知人が固まっているのが見える。知人だということは間違いないらしいのだが、顔がよく見えないため、それが誰と誰なのか皆目わからない。私は心のなかで彼らに訣別の言葉を告げている。(さようなら皆さん)。声には出さずにそう言ってから、駅に向かって歩き始めた。私はこれから別の世界を目指すのだ。潔白。決断。まっさらな白い色。古い上着を脱ぎ捨てるイメージ。
【解説】 今年の1月1日、目覚めた瞬間に私は「今年こそは絶対に自分を変えたい。変わりたい」と強く思った。思い立ったが吉日とばかり、1月から早速ホットヨーガを始め、髪をバッサリと切り、(年末にコスタリカへ行くことを決めているので)スペイン語のブラッシュアップも始めた。今年はまた、英語での講演・執筆を積極的に引き受けるようにもしている。今はまだ他者の目には見えにくいかも知れないが、この3ヶ月弱で、私は明らかに変化し始めている。そのことがハッキリ表われた夢であった。



24日●ジャングルで大蛇をつかむ
鬱蒼と茂ったジャングルの中。私は誰かに追われている(または、誰かを追いかけている)らしい。途中、ターザンの奥さんのような姿の西洋人女性が駆けて行く姿が、一瞬だけ見えた。彼女は葉っぱ(または動物の皮?)で胸と腰のまわりだけ覆い隠しており、短い髪は茶色がかった金髪。何かを叫んでいたようだが、何を叫んでいたのか聞き取ることは出来なかった。そのあとも立ち止まることなく走って行くと、途中に蟻地獄のような窪地があって、全速力で走っていた私は勢い余ってそこへ落ちてしまった。それは誰かがあらかじめ仕掛けておいた罠だったのかも知れない。窪地から出ようともがいていると、すぐ目の前に植物の蔓(つる)の部分が下がっているのが見えた。渡りに船とばかり、私は後先のことを考えずに手を伸ばして蔓をつかんだ。しかし蔓と見えたものは、実は数メートルもある大蛇だったではないか。私は何故か大蛇を放そうとはせず、かえってそれを握り締めたまま(これはもしや大変な幸運では?)などと悠長なことを思っている。
【解説】 一般に「蛇は金運を呼ぶ」と言うらしいが、今夜の夢に登場した蛇は両手で抱えても余るほど太く、長さが数メートルもある特大の蛇だった。これが何か良いことの兆しであると祈りたい。



25日●超豪華本の製作
大きな鉄道会社の重役らしき男性と、何か出版の話をしている。重役はそろそろ定年を迎える年齢らしい。彼は会社における最後の仕事として「豪華本」の出版を計画しているらしく、その執筆を私に依頼して来たのだ。見本(?)を前にして、私たちは何事か真剣に話し合っている。見本の表紙と見返しの部分は、紅と紫が基調の色彩にラメが入った恐ろしくゴージャスなデザインで、まさに「金に糸目はつけない」様子が伺える。重役は最初のうち何か邪心があるように見えたが、話しているうちに目つきが真剣になって、打ち合わせの最後の頃にはすっかり真面目になっていた。
【解説】 夢に登場した男性は現実世界では見知らぬ人だが、痩せて目が細く、どちらかと言えば特徴のない風貌だった。「大きな鉄道会社」「定年」というキーワードにも心当たりはなく、今夜の夢は最後まで意味がわからなかった。



26日●駐車場の爆発炎上
見渡す限り何もないだだっ広い荒野に、簡易宿泊施設らしき建物が建てられている。この一帯は平地で、山も丘も、森も湖も見当たらない。殺伐としていて、人間が暮らすには死ぬほど退屈な地形だと思う。私はここの宿泊施設に泊まっている。一緒にいるのは息子のような気がする。建物の前に広い駐車場があって、それは大きく4つに区画されている。建物のすぐ前にある駐車場が「4」と「5」、それより少し離れたところにある駐車場が「1」と「3」と呼ばれているらしい。それぞれの駐車場はかなり広いが、区画と区画のあいだにフェンスなどがあるわけでもなく、ただ白線で区切られているだけだ。自動車は数えるほどしか停まっていない。私は買い物(?)をしようと思い、息子を部屋に置いたまま徒歩で外に出た。駐車場の隅のほうに立てられていた見取り図を見ると、もっと先に「2」という駐車場があることが判明した。4区画しかしかないと思っていた駐車場に、5区画目があったとは意外だ。息子に伝えなくてはと思い部屋に向かおうとした瞬間、遠くのほう(「1」か「3」の駐車場)で何かが爆発した。見ると、ブリキの小屋のようなものが今まさに爆発炎上しているではないか。「悪いことが起こるときは、1つだけでなく同時多発する」という第6感が働いた。大至急この場所から脱出するため、私は全力で走って部屋に向かっている(しかし何故か自分自身と息子の身の安全は守られているらしく、内心はさほど心配していない)。
【解説】 今夜はこのほかに、何かドラマ性があって心弾むような夢を見た記憶があるのだが、残念ながら具体的なストーリーは全く思い出せない。それにしても、一昨日に引き続き今夜の夢でも全力で走っていた自分が気になったので、『夢の事典』(日本文芸社)で調べたところ、「走る/駆ける」の意味は、短距離走なら「仕事への義務感」、長距離走なら「ノルマや心的な負担」。また「爆弾/爆発」の意味は「内面に潜んでいる激しいエネルギーの象徴。今の環境を破壊して、全く新しい世界を一から作りたいという願望の表われ」だそうだ。この夢占いは、かなり当たっているかも知れない。もしや今夜の夢は、「慣れ親しんだ土地ではなく、これまでは存在すら知らなかった第5番目の(未知の)場所へ行け」という暗示だったのではないか。



27日●あと1年の命
誰かが私に「あと1年の命です」と言っている。知人のOさん(女性)が、心から気の毒そうにこちらを見ている。私は全て諦めたのか、(40代で死ぬのはいかにも早いけれど、これも運命だから仕方ない)と思って死の決定を受け入れている。
【解説】 今夜の夢には、実際にはもっと長く複雑なストーリーがあったように思うのだが、そのなかのごく断片的な事柄しか思い出せない。Oさんは実在の人物で、1年ほど前に知り合った趣味仲間。楚々として優しい人である。彼女が今夜の夢に現われる理由はよくわからないが、もしかしたら私は誰かに癒されたいのかも知れない。



28日●今夜限りの命
誰かが私に「今夜限りの命です」と言っている。私はベッドの上で胎児のように丸まったまま、(今夜が峠か)と思っている。もしも明日の朝を迎えられたら、私はこれからも生き続けるだろう。
【解説】 昨夜に引き続き、非常に意味不明な夢だった。昨夜は「1年の命」だったのが、今夜の夢では「今夜限りの命」に激減しているのも妙な話だ。現実世界では一昨日と昨日、ロシア人植物学者のための通訳の仕事でまさに“死ぬほど”忙しく、ヘトヘトに疲れた。こんな奇妙な夢を見たのは、そのせいだったのかも知れない。いずれにしても「今夜が峠」だったはずの一夜を生き抜いたのだから、私はこれからも生き続けることだろう(まあ、当然と言えば当然ですが(笑))。



29日●アレを返してもらう
深い山々に囲まれた古い庵。私は鳥になったように、高い場所からその全景を俯瞰している。庵の庭には古い桜の大木があって、今まさに満開の花が優しい風に揺れている。山の向こうから私が歩いて来るのが見える。預けておいた「アレ」を返してもらうためだ。庵には年老いた翁(おきな)が住んでいて、色々な人から色々なものを預かっているらしい。私が預けておいたものも、無事に翁から私の手に返ってきた。ようやく戻った「アレ」を前にして、私は明日への希望を再び感じている。
【解説】 よくわからないが、今夜の夢で返してもらった「アレ」とは、生命力とか未来への希望だったような気がする。現実世界はここ2週間ほど精神的に絶不調だったのだが、昨夜はCGアーティストで東大教授の河口洋一郎さん+友達数人とお花見をし、物凄いプラスのパワーを分けて頂いた。お蔭で今朝はすっかり元気回復している。夢の中にもその気持ちがハッキリと現われていたように思う。


30日●能楽師と人力車
夜の帳が下りている。時間帯でいうと、午後10時から11時のあいだ。私は能楽師(シテ方)のKさんと薄暗いバーで飲んでいる。そこは細長いベンチシートのようだが、目の前には薄ベージュ色の壁面が迫っており、板前さんと対峙できるいわゆるカウンター席ではない。私たちは何か真面目な様子で話し込んでいる。暫くして気がついたとき、私はKさんとは別れ、2〜3人の女友達と2台の人力車に分乗していた。少し離れたところを、Kさんが能楽師仲間と歩いているのが見えた。私はKさんに挨拶もせず、そのまま人力車を進めて行った。
【解説】 今夜はこの場面以外にもいくつか面白い夢を見たように記憶しているのだが、具体的なことは思い出せない。ただ、夢のどこかで黄色い大きな花を見たような気がする。Kさんは実在の人物。現実世界ではお仕事で一度だけお目にかかったことがあるが、その後は縁のない相手だ。その人が何故夢に現われたのか、また夢の後半で人力車に乗った意味は何なのか、理由はいずれも不明。なお、今夜の夢は信州の山小屋で見た。


31日●あの鐘を鳴らすのはあなた
歌手の和田アキ子さんが「あの鐘を鳴らすのはあなた」と歌っている。その歌声はとても印象的で、夢のあちらこちらで聞こえたような気がする。私は見知らぬオフィスの一室にいた。白っぽい大きなボード上には、仕事のスケジュールがぎっしりと書き込まれている。明るく清潔で活発な雰囲気。ここはどこかの出版社のようだ。私は編集者らしき人と何か仕事の話をしている。そのあと別の場所で3〜4人の若い男女と逢ったような気がするが、それが誰だったのかは思い出せない。「これが日中友好の架け橋になるといいですね」という声が、どこかから聞こえた。私は心のなかで(日中友好? 日印の間違いではなくて?)と訝しんでいる。
【解説】 今夜の夢はいくつかの異なるストーリーで構成されていたのだが、目が覚めてみると、すべての記憶が曖昧になっている。そのなかで和田アキ子さんの歌声だけが非常に印象的だった(但し現実世界の私は和田さんのCDを1枚も持っていないし、最近この曲を聴いた記憶もないのだが)。今夜の夢も信州の山小屋で見た。




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