2006年5月


1日●光り輝く高僧から黄金の名刺をもらう
大勢の人々が行儀よく並んだ姿が、私の視野の右端のほうに映っている。人々の前を、黄金色に輝く高僧が微笑みながら歩いて来た。ありがたそうに合掌する人々。高僧はやがて私のすぐ目の前で歩を止めると、黄金の名刺をくださった。その名刺を受け取った私は、(これは吉兆だ)と確信している。

【解説】 今夜の夢にはもっと長いストーリーがあったように思うのだが、目が覚めてみるとこの部分しか思い出せない。特筆すべきは、「名刺」が登場する夢を見るのがこの1週間でなんと4回目だということ。何故これほど立て続けに名刺の夢ばかり見るのかは全くの謎だが、今夜の夢に登場した黄金の名刺と黄金色に輝く高僧は、何かとても良いことが起こる前触れのように思われてならなかった。ちなみに「名刺の夢」は、「近々朗報が入る」「予期せぬ人から援助を受ける」という意味だそうである。

【後日談】 この夢を見た約2週間後、日本の某名刹の年老いた大僧正と知り合う機会を得た。このお坊様は実に腰が低く、質素で思慮深い人格者で、ベンツやBMWを乗り回し高級バーに入り浸っているような破戒僧をたくさん見てきた私の眼に、大僧正のお姿は非常に好ましく、また新鮮なものに映った。この大僧正との出逢いを色に例えれば、まさに「黄金色」のイメージだったのだが、さらに驚いたことには、この大僧正(ひいてはお寺全体)が、私が今している仕事を強力にバックアップしてくださることになったのだ。まさに5月1日の夢が正夢になった感じ。普段ほとんど使ったことのない「ご加護」という言葉を、今は自然に使いたい心境である。


2日●お寺の庭を掃除する全裸の美女
深い山の中。お寺の前庭のような場所。美しい全裸の女性が、竹箒で庭を清めている。その人は髪が長く目が大きく、若い頃の大原麗子さんのような面立ちだ。彼女が掃いたあとの庭には塵一つなく、どこもかしこも清潔なイメージ。場面が変わり、私のすぐ近くには偉いお坊さんがいるらしい。私はお坊さんから1枚の紙を渡された。紙の上には15〜20文字ほどの漢字が、横一列に書かれている。そのなかに「眞」と「真」の文字があったことだけは覚えているのだが、それ以外がどんな文字であったかはどうしても思い出せない。お坊さんの話によれば、これらの漢字の中に1文字だけ「仲間はずれ」または「間違い」が混じっているという。私は懸命に目を凝らし、仲間はずれを探し出そうとしている。

【解説】 昨夜に引き続き、今夜も何故か「偉いお坊さん」が登場する夢だが、そのなかでとりわけ印象が強かったのは「全裸で寺の前庭を掃除する髪の長い美女」である。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「箒の夢」は「体内にある悪い病気や菌を追い出すこと」、「箒で掃除をした場所がきれいになる夢」は「疲労がたまっているが少し休めば回復する」、「美女の夢」は「心身ともに健康な状態」の意味だそうである。なお、お坊さんから渡された紙に書かれていた漢字は、どれも宗教的イメージの強い文字(例えばお経の中に登場するような)だったような気がするが、それらが具体的にどんな文字であったかは残念ながら思い出せない。



3日●皇太子を相手にインドを講じる
皇太子がインドを訪問されることになったらしい。皇太子を相手に、私が知っているインドについて講義をすることになった。いかにも使い込んだ感じの古いソファーに腰をおろしたスーツ姿の皇太子に向かって、私はアンダーグラウンドな事柄を含むインドの赤裸々なエピソードを語っている。

【解説】 この夢を見て急に思い出したのだが、皇太子のお誕生日は昭和35年2月23日で、私とはわずか4日違いだ。そのためか、子どもの頃は「浩の宮」というお名前が他のどんな有名人よりも身近に思えたものだった(当時のマスコミは今よりずっと多くの皇室関連ニュースを扱っていたように思う)。そう言えば、つい1ヵ月半ほど前には、英国のチャールズ皇太子とカミラ妃がインドを訪問なさっている。そのことが記憶に残っていたために、今夜の夢を見たのかも知れない。



4日●家族でイタリア旅行
家族4人で海外旅行に出かけた。どこへ行くのかよく知らずに出かけたのだが、いざ着いてみると、どうやらそこはイタリアらしい。漠然とアメリカへ行くような気がしていた私は、心のなかで(イタリアとは意外な展開だ)と思っている。初日にホテル近くの海の見えるリストランテに行った私たちは、そこで出されたパスタがあまりにも不味く、ほとんど手を付けずに残してしまった。「そう言えば前回のイタリア旅行でもこんなことがあったね」と苦笑する息子の顔を見て、私は(そんなことあったかしら?)と遠い記憶を呼び戻そうとしている。翌朝、寝坊をした私たちはホテルの朝食を食べ損なってしまった。夫が「かくなる上は自炊するしかないな」と言いながら、どこかからキャンプ用のコンロを取り出してスパゲティーを茹で、トマトソースを作り始めた。娘が「今夜のリストランテを探してくる」と言ってホテルを出て行った。一呼吸置いてから私もそのあとを追う。娘が行きそうな場所に目星をつけ、そこに向かってセスナ機で低空飛行していると、窓から紺碧の海が見えた。まるでハワイのようにも見える南国風の波の様子をぼんやり見ながら、(これまで私は世界中のいろいろな海を見てきた。自分が死ぬときは、かつて見た海の風景を想い出すに違いない)などと思っている。次に気がついたとき、私は橋の上にいた。橋のずっと先のほうには娘の姿。私からあまり遠くない左前方には、いかにもマフィアらしいイタリア男の姿が見えている。私はトランシーバーのようなものを使って、娘と何やら交信している。道中、誰かによく似た人を見かけたような気がするのだが、それが誰に似た人であったかは思い出せない。

【解説】 あれは2年半前の夏だったか、家族全員でイタリアとギリシアを旅したことがある。それはとてつもなく暑い夏で、停電でエレベーターが止まり、ジェラート屋のジェラートが溶け出すというとんでもない猛暑だった。そのためだろう、イタリア旅行のイメージと言ったら「暑かったこと」が一番で、食べ物の味はあまり覚えていない。家族でイタリアを再訪する予定は今のところないが、それだけに今夜の夢は不思議な印象を残すものだった。



5日●蟹の着ぐるみと海の絵
蟹(カニ)の着ぐるみを着た明石家さんまさんが、踊りながら歌っている。もうひとり、同じ格好で踊り歌っている男性の後ろ姿が見えるが、その人が誰なのかは定かでない。ふたりが歌っている曲は、「ド」と「ファ」の音だけで出来たシンプルなメロディーだ。着ぐるみの頭の部分が、「かにぱん」のように柔らかそうだと思う。場面が変わって、目の前に知人のM子さんの姿が見えた。M子さんは最近アメリカ人と結婚したらしい。絵が得意なM子さんは、新しく舅になった人に贈るべく、絵筆を取って油絵を描きはじめた。それは海の中を描いた絵で、大胆なブルーの色使いと、画面左側を向いた1匹の赤色(またはオレンジ色?)の魚が印象的だ。客観的に見ればいかにもアマチュアが描いた絵なのだが、M子さん自身は自分をピカソの再来と思っているようで、この絵にも絶対の自信があるらしい。私は不意に(M子さんの舅さんは人のいい田舎者で、かなり太っているに違いない)と思う。楽しげなM子さんの鼻歌が印象的だった。

【解説】 またしても意味のわからない夢だった。明石家さんまさんがいきなり蟹の着ぐるみを着て現われたというのに、私は特に笑うこともなく、むしろ真面目にその踊りを見学していたような気がする。なお『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「蟹」の意味は「防衛本能と攻撃性」、「コメディアン」の意味は「人間関係を円滑にしたいという気持ちの表われ」だそうである。



6日●罵る黒人女性、全力疾走する白人の男女
見覚えのない部屋の中。すぐそばに母がいるらしいが、何故か母の姿は見えない。私が小声で「ガムを噛みたい」を言うと、近くにいた50歳前後の黒人女性が怒りを露にしながら、「貴女の顔には死相が出ている。どうせ長生きは出来まい」と私に向かって罵(ののし)ったあと、さらに「ガムは貴女の胃袋の中に既に入っている。ガムが欲しければ自分のからだの中に潜り込んで探すことだ」という意味のことを英語で一気にまくし立て、その直後に呆気なく死んでしまった。場面が変わって、駅の構内らしき場所。私は全速力で走っている。すぐ近くを一緒に走っているのは、夫と、夫の男友達(50歳前後の髭面に眼鏡をかけた背の高い白人男性)と、私の女友達が2人(ひとりは30代ぐらいの割と可愛らしい白人女性、もうひとりの姿は最初から最後まで全く見えない)である。どうやら私たちは、それぞれが別の電車を目指して走っているらしい。夫と夫の男友達が目指しているのは車輌に赤いマークがついた電車で、その電車を逃すと男友達は本国へ帰ることが出来なくなってしまう。私の女友達が目指しているのは別の電車だ。彼女は東京近郊に借りている自分のアパートへ帰りたいらしい。私は彼らを東京都内にある面白い場所へ連れて行きたいと思っているのだが、どうやら時間的にそれは無理そうだ。もうひとりの姿の見えない女友達は、特に何の意思表示もなく皆のあとを付いてくる。そうやって全力疾走しているうちに、どうやら夫の男友達は電車に間に合ったようだ。私と私の女友達はまだ走り続けている。彼女は英語を喋っているときは外人顔で、ときどき日本語を喋ると日本人の顔になる。日本人になったときの顔が誰かに似ていると思うのだが、誰に似ているのか思い出せない。彼女が「今日は面白いところへ行く時間はなさそうね」という意味のことを言い、それに対して私が何か英語で返事をしたところで目が覚めた。

【解説】 罵られたり全力疾走したり、とてつもなく疲れる夢だった。つい最近、実生活でも人間関係でひどく疲れることがあった。そのことが形を変えて今夜の夢になって現われたような気がしないでもない。駅の構内を走る夢のなかで、「自分の友達」という設定の女性の顔が外国人になったり日本人になったりするのは面白かった。日本人になったときの顔が誰かにとてもよく似ているように思われたのだが、一体誰に似ていたのだろうか。そう言えば今月4日の夢にも「誰だかわからないが、誰かによく似た人」が現われた。4日の夢で見た人と今夜の夢で見た人は、果たして同一人物だったのだろうか。少し気になる。



7日●4文字のひらがな
おびただしい数の和歌が見える。そのうち、語尾が4文字のひらがなから成る和歌は「正解」で、それ以外の和歌は「不正解」らしい。私はたくさんの和歌の語尾を調べている。ひらがなの柔らかさが心地良い。そのうち、ひらがな4文字で終わっている和歌には、ある「規則性」があることに気づいた。どうやらこれは一種の暗号らしいのだ。私は(昔の歌人達はこんな方法で暗号を残していたのね)と思い、その知性と心配りに感心している。

【解説】 またまたわけのわからない夢であった。夢の中では確かに何らかの「規則性」に気づいていた私だが、それが何だったのか、目が覚めると同時に忘れてしまった。



8日●……

【解説】 今日は仕事のため睡眠時間が十分に取れなかった。そのためか夢を見た記憶はない。



9日●コンクリート製のチューリップ
コンクリート(あるいは石?)で出来たチューリップの花が2本見える。花を製作している女性アーティストと、彼女に助言を与えている年輩の男性。

【解説】 仕事の打ち合わせのため、今日からロンドンに来ている。この夢は宿泊先のホテルで見た。ロンドンに到着してすぐに年輩の画家とお目にかかったので、今夜の夢に登場した男性は、おそらくその画家の投影なのではないかと思う



10日●バーで演歌歌手と逢う
母と道を歩いてると、目の前に一軒のバーが見えてきた。入り口のデザインが非常にユニークで、どうやら一種のアミューズメント・バーらしい。ドアを開けて店内に入るまでに、何故か毛だらけの人間の腕などが見えた。私は以前にもここへ2〜3度来たことがあるらしい。バーの中に入った途端、私の目に有名な演歌歌手の姿が飛び込んできた。その人は超有名歌手なのだが、何故か私は彼女の名前を知らない。彼女の顔立ちは、「石川さゆりさんとアグネス・チャンさんを足して2で割ったような雰囲気」である。その彼女が私に親しみをこめて話しかけきた。不思議なことに、彼女が話す言葉は日本語になったり英語になったりしている。

【解説】 目が覚めてから、夢で逢った演歌歌手の顔を思い出そうとしてみるのだが、何故かどうしても思い出すことが出来ない。大体において石川さゆりさんとアグネス・チャンさんとでは、お顔のイメージがまるで異なる。このふたりを一体どのように合体すれば良いのか、悩むところだ(笑)。なお、この夢はロンドンのホテルで見た。



11日●新興宗教のアジト
仏教系の某新興宗教のアジトを探すべく、私は2〜3人の有志とともに滝壺の底へと降りていった。そこはナイアガラの滝さながらに水量が多く、水煙のためすぐに目の前の景色がまったく見えなくなってしまった。太鼓をドンツクドンツクと叩く音が延々と聞こえている。気がつくと、すぐ近くにインド人のBさんがいた。私たちは身を屈めて、狭い“にじり口”から4畳半の和室に入り、ほかの人たちとぎっしり並んで正座した。やがて、近所のIさんがこの新興宗教の信者だったことが判明。私たちはIさんを事情聴取している。夢の最初のほうでは日本語を話していた登場人物たちが、次第に英語を話すようになり、夢の最後のほうでは全員が英語のみで会話していた。

【解説】 最初は日本語を話していた人たちが最後には英語オンリーになっていたり、新興宗教のアジトを探すべく滝壺の底へ降りたりと、最初から最後まで奇想天外な夢であった。ちなみにIさんは現実世界におけるご近所さん。新興宗教はおろか、おそらくいかなる宗教にも入っていないと思われる。この夢もロンドンのホテルで見た



12日●大きな抽象画を描く
私は大きな絵を描いている。それは茶色とピンクから成る抽象画だ。すぐ近くに、インド人らしき年老いた画家がいて、私に絵の指導をしてくれる。ほかにもうひとり、若い女性画家がいたような気もする。

【解説】 この夢もロンドンのホテルで見た。昨日は、ロンドンでパリ在住のインド人画家ラーザ氏(年齢は80歳以上)にお逢いした。夢に現われた老画家は、あるいはラーザ氏だったのかも知れない。



13日●雅子妃の新しいオフィス
皇太子妃の雅子様が、愛子様の写真をたくさん撮っていらっしゃる。そのうちの1枚を、雅子妃は笑いながら私に見せてくださった。しかし不思議なことに、私には雅子妃の声が聞こえるばかりで、お姿はまったく見えないのだ。私は雅子妃に「(こんなにたくさん写真を撮られるのだから)凝り性なのですか」などと質問している。場面が変わり、目の前に小さなオフィスが見えた。それは細長い部屋で、金融関係のオフィスであるという。眼鏡をかけた年輩の男性と、2〜3人の若い女性の姿がチラチラ見える。ここが雅子妃の新たなオフィスになる予定らしい。部屋の中には、黒地に金の装飾が施された大きな神輿のような物が置かれている。

【解説】 この夢もロンドンのホテルで見た。この夢を見る10日前には、何故か皇太子の夢も見ている。何故、皇太子夫妻の夢を短時間の間に2度も見るのか不思議でならない。最後に登場した黒地に金の神輿が印象的だった。



14日●高層ビル
非常に高いビルの上のほう。地震でエレベーターが動かなくなる。

【解説】 非常に短い、まさに一瞬の夢だった。高層ビルの上のほうが見えたのは確かだが、果たして自分がそこにいたのか、あるいは誰か別の人がそこにいたのか、詳細は不明。この夢もロンドンのホテルで見た。



15日●5862-1862=?
スーパーマーケットらしき大きな店。レジで会計をしてもらったところ、「1862円です」と言われた。1000円札を持ち合わせていなかったので、5000円札と小銭で862円を出したところ、レジの若い男の子が「おつりの計算が出来ないなあ」と言って困ったように頭を掻いている。「5862-1862=4000だから、おつりは4000円でしょ?」と私が言っても、「そうでしょうか? わからないなあ」と言うばかりで埒があかない。「考えておきますので、あとでおつりを取りに来てください」と言われ、釈然としない気持ちのままレジを離れて外に出た。レジの男の子に渡した金額を忘れぬよう、心のなかで(5862、5862……)と呟きながら歩いて行くと、どこからか母と叔母(母の末妹)が現われた。ふたりに今の出来事を話したところ、叔母が真面目な顔で「そのお金、私が取り返してきてあげようか」と申し出てくれた。どうしようかと考えているうちに、やがて私はこれが夢であることに気づいた。「これは夢だから、4000円を取り返しに行く必要なんか全然ないわ」と叔母に伝えると、叔母はほっとしたような表情を浮かべた。

【解説】 何のことやら意味のわからない夢。4桁の数字を忘れてしまわないように心のなかで呟きながら歩くシーンは、夢の中とは言え非常に疲れた。
この夢はイギリスから日本に帰国した最初の夜に見た。


16日●父母の子
気がつくと、目の前に叔母(母の末妹)が立っていた。私たちは先刻からずっと何かおしゃべりをしているらしい。叔母が昔を想い出すような目で、「真美ちゃんがお母さんのおなかの中にいたとき、一体どんな子が生まれるのかと本当に期待していたんだから。だって、あのお父さんとあのお母さんの血を引く子なら、さぞかし優秀な子に違いないと思ってね」と言った。私は(生まれる前からそんなに期待されていたのか)と思いながら、(それはとんだ買い被りだったのでは?)とも思ってみている。

【解説】 昨夜に引き続き、何故か同じ叔母の登場である。くだんの叔母とは年に2〜3回ほど顔を合わせる程度だが、年齢的に割と近い(私とは14歳違い)せいもあってとても気安く話が出来る相手だ。子どもの頃に人一倍可愛がってもらった想い出が、今夜の夢になって現われたのかも知れない。



17日●好きな俳優が悪役を演じる
突然、私の目の前に俳優の西島秀俊さんが現われた。私は心のなかで(きゃあ〜♪)と叫びながら、その感情を表には出さず、努めて冷静に振舞っている。役作りのためか、西島さんはヘアスタイルを変えたようだ。やや長めの髪が、美しい顔に実に良く似合っている。次の映画で西島さんは、どうやら悪役を演じることになったらしい。私は心のなかで(西島さんの悪役ってどんなだろう)、(好きな俳優さんが演じるなら、悪役だろうと少しも構わない)などと思っている。

【解説】 このあとにも何かストーリーがあったような気がするが、思い出せない。西島秀俊さんは、私がいちばん好きな「顔」の俳優さんである。声も素敵だが、何と言ってもあの、独特のふわふわっとした薄幸感漂う風貌が良い。今夜は私の夢に特別出演してくださり、本当にありがとうございました(笑)。



18日●中学校の同窓会
巨大なコロシアムのような建造物。そのなかで今、中学校の同窓会が開かれているようだ。しかし、視界に入ってくるのは自分のクラス(5組)ではなく、何故か別のクラス(3組)の同窓生ばかり。私は広い会場のあちこちを風のように駆け巡り、誰からも話しかけられないようにしている。ふわふわと舞う白いスカートの裾。私の体は子どもに戻っているのかも知れない。

【解説】 同窓生と逢ったというのに話をするわけでもなく、誰からも捕まらぬようそのへんを駆け回っているうちに目が覚めてしまった。特にドラマがあったわけではないが、風になったような気分の夢だった。



19日●孤独な旅とアイスクリーム
うるさ型の女性2〜3人と旅をしている。彼女達と私は親しい間柄ではなく、仕事の都合で一緒にいるらしい。そのうちのひとりで昔のウーマンリブの旗頭のような風貌の大学教授が、人の行動を1から10まですべて仕切りたがるので、私は先刻からストレスを感じている。やがて私たちはホテルまたはドライブインのような建物に到着した。ほかの人たちよりも少し遅れて私が食堂に到着してみると、大学教授の彼女が「私達、アイスクリームを食べることにしたの。貴女も同じでしょ。もうオーダーしておいてあげたからね」と言うではないか。これを聞いて私は軽くキレた。「私はアイスクリームではなく、ケーキを食べたいんですよ。人の嗜好まで勝手に決め付けないでください」。そう私が言い放つと、彼女は(あ、しくじっちゃった)とでも言いたげに首をすくめて舌を出した。私はここで彼女達とは別れ、その後、ほうぼうを歩き回った。その間に色々な出来事があり、和田アキ子さんと逢ってしんみり話をしたような気もするが、そのあたりの詳細は思い出せない。やがて気がつくと、私は夜の町を歩いていた。そこは子どもの頃に住んでいた町とどことなく似ており、懐かしい佇まいである。しかし周囲に知った顔はなく、私はあくまでも孤独な放浪者だ。(自分はひとりぽっちなのだな)と思う。やがて、喫茶店に入って夢日記を付けようと思い立った私は、適当な店を探し始めた。座ってアイスクリームを食べられる店が理想的なのだが、あいにくこの日はお盆(またはクリスマス?)らしく、店はどこも人で一杯。仕方なく私は道路にしゃがみ込んでノートを拡げ、雑踏の中で夢日記を付け始めた。

【解説】 ここでブースケが珍しく吠え、その声で目が覚めてしまった。今夜の夢は特にドラマティックな展開もないまま、ただ延々と続いたような気がする。うるさ型の女性と逢う前にも、さらにストーリーがあったように思うのだが、そのあたりは全く思い出せない。印象的なのは「アイスクリーム」や「ケーキ」のような甘いお菓子の名前が3度も登場したことである(しかし3度とも会話および想念の中に登場しただけで、実際には食べるどころか現物を見てもいないのだが)。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「アイスクリームの夢」の意味は「ストレスや体調不良、人に甘えたい気持ち」だそうである。実は今回のロンドン滞在中、私はサンドフライらしき羽虫に刺され、腕と脚にひどい発疹が出た。既に八割方回復したが、今も抗ヒスタミン剤は飲んでいる。この体調不良が「アイスクリーム」という形で夢に現われたとすれば、面白い話だ。



20日●床の上に書かれた5つの国名
長い旅路。私の右隣には、姿こそ見えないが常に娘が付き添ってくれていたようだ。やがて私は宇宙的な素材で出来た部屋に足を踏み入れた。ジュラルミン風の銀色の床には、簡略化された地図らしきものが描かれている。地図の形は不規則な菱形だ(左右両側の頂点が中心よりもかなり上のほうに位置している)。その形は、インドの国の形とよく似ていると同時に、長野県の形にも少しだけ似ている。私は心のなかで(インドと長野県は意外に似ているのだ)などと思っている。床に描かれた菱形の4つの頂点には、それぞれ国の名前が書かれている。4つの国名は、「日本・インド・イギリス・アメリカ」だったような気がするが、あるいは私の記憶違いかも知れない。菱形から少し離れた右のほうには、小さく「オランダ」と書かれていた。

【解説】 今夜の夢も全くわけのわからない内容だった。実際には、この場面に至る前に長いストーリーがあったように思うのだが、残念ながら詳細は思い出せない。



21日●生きにくい世の中
東アジアの某国で、スペイン語(?)が新たな国語として認定されたとのニュースが流れる。その国で生まれ育ったという男性が私に向かって、「本国は大混乱に陥っていますよ。だって、今までの国語とスペイン語では言葉の構造も単語も全然違うでしょ。子どもはともかく、大人は今さら新しい言語をマスター出来っこないですよ。でも僕は日本に永住するつもりだから、関係ありませんけどね」と日本語で淡々と語った。場面が変わり、気がつくと大きなスーパーマーケットの店内にいた。私の左手には、品物で一杯の買い物かご。右手には大きなパンのような形の、柔らかい、しかし食べ物ではない何かを持っているようだ。目の前には10ヶ所ほどレジがあるのだが、どのレジにも50人ほどの人々(後ろ姿から推察するに日本人らしい)が長蛇の列を作って並んでいるではないか。いちばん左の列だけが、ほかの列の半分ほどの長さだったので、私はその列の最後部に並ぶことにした。私の前にはインドネシア人かベトナム人らしき男性が買い物かごを提げて並んでいる。彼の横顔を見ながら私は(この世で最後まできちんと生きてゆくのは大変なことだ)としみじみ思っている。

【解説】 今夜の夢にはもっと複雑なストーリーがあったように思うのだが、この部分しか思い出せない。昨夜はシドニーにいる娘と1時間ほどチャットした。その中で「日本では映画『ダヴィンチ・コード』を観るために長蛇の列を作って並ぶ人がいるが、オーストラリアではあり得ない光景だ」という話題が出た。この映画に限らず、どこへ行っても長い列を作って並びたがる(あるいは、列に並ぶことが苦にならない)という不思議な習性を日本人は持っているが、これは世界的に見るとかなり奇異な現象(国民性)だと思う。そんな会話を娘と交わしたために、今夜の夢を見たのかも知れない。ちなみに私も明後日『ダヴィンチ・コード』を観に行く予定ですが、長い列を作って並ぶ根性は全く持ち合わせていないので、座席はさっさとネット予約しました。



22日●伯母に何かを選んでもらう
呉服屋(?)のような場所。すぐ目の前に伯母(父の兄の妻)の姿が見える。伯母は私のために何か選んでくれているようだ。伯母が選んでいるのは反物かも知れないし、それ以外の何かかも知れない。普段は自分の趣味趣向を押し通す私だが、私はこの伯母のことが大好きなので、素直に伯母の言葉に従っている。

【解説】 伯母が私のために選んでくれていたものが何なのか、目が覚めてから思い出そうとしてみたのだが、考えれば考えるほどわからなくなってしまった。普通に考えれば「着物(反物)」が正解なのだろうが、それとは全く別の何かを選んでもらっていたような気もするのだ。ちなみに伯母と私は血こそ繋がっていないが、私はこの伯母のことが何故か大好きで、とても近しい気持ちを抱いている。血の繋がった大多数の親戚よりも、むしろこの伯母のほうに親しみを感じるほどだ。夢の中の私が素直に伯母の言葉に従っていた理由は、そんなところにあるのだろう。



23日●3箱のトランプ
私はロンドンまたはパリにいる。目の前に背の高い小さな丸テーブルがあって、その上に3箱のトランプが箱ごと立てられている。トランプの箱は白っぽく、そこには何の印刷もされていないようだ(少なくとも私が立っている位置から見える箱の側面は無地である)。すぐ近くには娘がいるようだが、彼女の姿は見えない。エレガントな雰囲気が漂う中年の英国女性の姿が見える。彼女は笑顔で、私に何かアドバイスしてくれたようだ。私は何かを選ばされているらしい。それは英語またはフランス語、またはその両方の言語に関係があって、しかもトランプに関する何か。私は本当は英語を選びたいのだが、実際にはフランス語と英語を交互に選ばなくてはならないことも十分承知している。

【解説】 今夜の夢には入り組んだストーリーがあったはずなのだが、残念ながらこの部分しか思い出せない。エレガントな中年女性には確かに見覚えがあるのだが、それが誰なのか考えてもわからない。



24日●ノアの箱舟
大海原が揺れている。私は畳1枚ほどの大きさの板の上にいて、大波小波に揺さぶられながら大海を彷徨っている。何故か恐怖心は少しも起こらず、むしろ「約束の地」が間もなく目の前に現われる予感がする。同じ板の上には私と息子、それに飼い犬のブースケとパンダの姿。暫くすると、どこからともなく夫と娘も乗り込んできた。(舟の上にいるのは全部で4人と2匹)と、私は板に乗っている生物の数のことを思っている。聖書によれば、ノアの箱舟に乗っていたのは8人だという。あとふたり、この板に誰が乗り込んでくるのだろう。そう思っている間にも、波は高く低く、一種独特の美しいリズムで弧を描いている。

【解説】 大海を漂っている割には何の不安もなく、むしろ穏やかな精神状態の夢だった。世界的に有名な「ノアの箱舟」の神話によれば、箱舟に乗って大洪水を免れた人間の数は8人(ノア、ノアの妻、ノアの3人の息子達とそれぞれの妻)であるとされる。夢の中では(定員まであとふたり)と思っていたが、犬たちまで人間と同様に数の内に入れていたのは、私が彼らを本当の家族と思っているからだろう。もしも現実世界で自分が8人乗りの救命ボートに乗っており、家族以外にあとふたりの人間を乗せるとしたら、私は一体誰を選ぶだろうか(あるいは、誰がそのときボートに乗ってくる運命なのだろう)。そんなことを考えると、今夜の夢はなかなか意味深長だった。



25日●黄金色のキリスト教のシンボル
教会の中。目の前に、キリスト教のシンボルとも言うべき何かが見える。それは十字架でも聖母子像でも聖杯でもない、しかし黄金色に光り輝く何かだったように思う。

【解説】 ほんの一瞬の残像のような夢。あっと思ったときには既に目が覚めており、夢で見たものが何だったのかどうしても思い出すことが出来ない。夢から覚めた瞬間は(キリスト教のシンボルを見た)と確信していたのだが、時間が経つにつれて「仏像」に似ていたような気がしてきて、考えれば考えるほどわからなくなってしまった。いずれにしても、何か黄金色の眩しいものを見たことだけは確かなのだが。



26日●捨て去りたい相手
すぐ近くに、顔の見えない男性(外国人?)がいる。私はその人のせいでイライラしているようだ。と言うのも、その人は知的レベルが低く、何度説明してもこちらの言うことをまるで理解してくれないからである。彼は生まれつき能力が低いのだから、彼を責めるのは無駄なことである。そのことは十分承知しているのだが、そうは言っても、この人の存在が原因でこちらが疲れることには変わりない。この人を捨て去ってしまいたいという気持ちと、そんな残酷なことは出来ないという気持ちの板挟みになって、私は長いことイライラしているのだ。だいぶ歩いたあと、気がつくと洒落たレストランのような場所にいた。私はその人と並んでレストランの通路を歩いている。相変わらず相手の顔は見えないが、私たちが喋っているのは英語で、彼の英語には強いスペイン語訛りがある。長い会話の末、最後の最後に私は遂に堪えられなくなって、そのへんにあった椅子を乱暴に押しのけ、早足でひとり出口に向かった。レストランの従業員が驚いたように私を見ている。その従業員は、何故か編集者の芝田さんだった。

【解説】 まったく意味のわからない夢。現実世界においては、現在の私にイライラの要因などまったくないのだが。夢の中では一体何に対してイラついていたのだろう。レストランの従業員が担当編集者だったのも不思議なことだ。



27日●他人が原因で実現しない希望
気がつくと大学の建物の中にいた。どうやら夫の仕事のつきあいで来たらしいのだが、そこは私の母校でもあるらしい(但しその建物に見覚えはなく、懐かしい感情も覚えないのだが)。閑散としたフロアーはどうやら学食らしいが、左端のほうに細長い廊下があって、その先には考古学(?)の博物館があるという。私はその博物館に興味があるので、夫が仕事を済ませるため教授に逢いに行っている間に、ひとりで博物館を見学することにした。ところがいざ入館しようとすると、博物館前の廊下には100人ほどの学生達が長蛇の列を作って並んでいるではないか。どうやら彼らは、昼休みを利用して博物館見学に来たらしいのだ。私も一旦は列の最後尾に並んでみたものの、列がさっぱり前に進んで行かないことに嫌気が差し、博物館に入ることは諦めて早々に列から去った。場面が変わり、大きな売店のようなところ(大学のキャンパス内なのか別の場所なのか定かではない)。私はここで何かさっぱりした飲み物を買おうと思い、品物を選んでレジに持っていった。するとここのマネージャーらしき男性が愛想笑いをしながら、やや高飛車な物言いで、「うちは何と言っても乳製品が有名なんですよ」と、暗に乳製品を買わなければダメだという意味のプレッシャーをかけてきた。この人は夫の仕事の関係者なのかも知れない。私は仕方なく牛乳を買うことにした。ところが蓋を開けて瓶に口を付けてみると、牛乳が少し変質しているではないか。その旨を告げるとマネージャーは大いに動揺し、さかんに頭を下げて謝りはじめた。私は白々とした気持ちを持て余している。夢の中では、このあと更にもう一ヶ所別の場所へ行き、これまで同様、「赤の他人が原因で自分の希望が通らない」体験をしたような気がするのだが、その詳細は忘れてしまった。

【解説】 大勢の人々が登場する夢ではあったものの、そのなかに親しみを感じる顔はなく、また複数の場所に行くものの何の実りもないという、実に退屈でフラストレーションの溜まる夢だった。これがもしも現実世界なら、私は間違いなく自分の希望を叶えるために先手を打ち、こうした不本意な事態が起こらないよう工夫に工夫を重ねるだろう。しかし夢のなかの自分は、信じられないほど受動的で軟弱だった。あんな自分は自分ではない。まるで赤の他人だ。そう言えば、中学校を卒業する頃までの私は、自分の感情や気持ちはつとめて抑え、一生懸命に他人の意見に合わせるタイプの従順な子どもだった(つまり現在とは正反対のタイプだったわけである)。しかし、そんな自分が嫌で嫌でたまらず、高校に入学した最初の日に、「これからは、私は私の道を行く」と強く決意したのである。そこで、他人から嫌われることを覚悟で、それまでの付和雷同だった自分を捨て去り、どんな場合も自分の意志と責任で生きる人間に生まれ変わったのだった。もしもあのとき自分で自分を変えていなければ、今頃私は今夜の夢に登場したような「他人の意見に振り回される人間」のままだったのだろうか。想像しただけでゾッとする。



28日●ブースケとの幸福な時間
広い草原のような場所で、ブースケと遊んでいる。フリスビーのようなもの。草いきれ。近くを流れるきれいな川のイメージ。人間の子どものようなブースケの笑顔。

【解説】 愛犬のブースケは、ときどき人間の子どものような姿になって私の夢に現われることがある。そんなときのブースケは喩えようもなく愛らしい。今日もブースケは半分人間のような姿で夢の中を駆け回っていた。ストーリーらしいストーリーはないものの、何か癒される夢だった。



29日●左に偏った人
すぐそばに、左に偏った人が見える。その人は私の知人ではなく、おそらく男性だと思われるが、顔や年齢は定かでない。その人を見た瞬間に、私は「あ、左に偏っていてバランスの悪い人だな」と思う。その意味は自分にもよくわからないが、おそらく彼は思想的に左に偏っているだけでなく、肉体的にも内臓が左に偏っており、また道を歩く際にも自然に左側を歩いてしまうなど、すべてにおいて左に寄ってしまうらしいのだ。私は心の中で、(この人にはバランスを教えてあげなければ)と思っている。

【解説】 目が覚めてみるとこれしか覚えていないが、本当はもっと複雑なストーリーがあったような気もする。今夜の夢の意味はよくわからないが、私は右翼とか左翼と呼ばれる極端なものが昔から好きではない。極端なものは、とどのつまりは右も左も同じことだとも思っている。要はバランスが大切だと思うのだが、今夜の夢に現われた人は思想ばかりか内蔵までが左に偏っているという。まるでマンガのような話だが、そう言えば多くの人間は心臓が体の左側に付いている。「右利き」に対する「左利き」の人はたくさんいるが、心臓が右側に付いている人はごく稀だろう。これは一体何を意味しているのだろうか。



30日●掌の上の宝物
長い一本道を歩いている。何故か私の視線は下に向けられており、周囲の風景はほとんど見えていない。すぐ近くに娘がいるようだが、その姿も見えない。私の掌には米俵形のお手玉のようなものが載っている。それは綺麗な古布で出来ており、日本の古き良き伝統を感じさせる。形こそお手玉に似ているが、用途はまったく別物らしい。中には何か貴重な宝物が入っているようだ。もしかしたら、それは大国主命(おおくにぬしのみこと)と関係があるかも知れない。このほか、細長い棒のようなものも同じ手の上に載っているのだが、それも日本史に関係した宝物らしい。棒は15センチほどの長さで、針金のように細く、色は茶色。この棒は漁業の神様(おそらくは恵比寿神)と繋がりがあるようだ。

【解説】 今夜の夢は、「宝物」と「神道の神々」が登場する、実に縁起の良い内容だった。米俵のような形のお手玉の中身が何なのかは、夢の中では最後まで明かされずじまいだったが、そこには大切な文字が書かれた紙(例えば経典のようなもの)が入っていた気がしてならない。



31日●焼肉と指輪代わりのホッチキス針
母と一緒に長い旅をしていたらしい(但しその間、母の姿は一度も見えなかったような気がする)。家に帰り着いたのか、まだ旅の途中なのか定かではないが、気がつくと私はフライパンらしき物を手にしていた。ベーコンのように薄い肉が見える。私はこれをフライパンで焼こうとしているのだ。ふと右手を見ると、人差し指、薬指、小指に銀色の指輪のような物が着いている。よく見るとそれらは指輪ではなく、何故かホッチキスの針だった。

【解説】 この場面で目覚まし時計が鳴り、夢は唐突に終わってしまった。夢の中で母と長い旅をしていた微かな記憶があるのだが、具体的なことは何一つ思い出せない。印象的だったのは、ホッチキスの針を指輪のように装着していたことと、向こう側が透けて見えるほど薄い肉で焼肉をしようとしていたこと。現実世界では、育ち盛りの息子にはほぼ毎日のように肉料理を作っているものの、私自身は肉食をしない人だ。ホッチキスの針にまつわる特別な記憶もなく、今夜の夢に心当たりはまるでない





夢日記の一部または全部を許可なく転載・引用なさることは、固くお断りいたします。
(C)Mami Yamada, 2004-2006 All Rights Reserved.