2006年9月


1日●家系図
気がつくと、目の前に古文書らしき巻物が置いてあった。どうやら平安時代のものらしい。(こんな歴史的なものが何故ここにあるのだろう)と不思議に思いながら紐を解くと、いきなり「真魚」の二文字が目に飛び込んできた。真魚(まお)と言えば、弘法大師空海の幼名だ。しかし同名の別人の可能性もあると思い、その周辺に書かれた名前を見ると、「佐伯」「玉依」「真雅」「真然」といった、空海ゆかりの名前がやたらと出てくる。やはり、この家系図に書かれている真魚は空海のことらしい。巻物をどんどん紐解いてゆくと、「織田信長」の名前が出てきた。そのほか「モーツァルト」や「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の名前もあったような気がする。一見、人種も民族も違って見えるこれらの人々は、実は恐るべきグローバルな血縁関係で結ばれていたのか。驚き呆れていると、どこからともなく友人でミュージシャンのサエキけんぞうさんが現われて、「この巻物の存在については、関係者以外には話しちゃダメですよ」と、いつになく強い口調で釘を刺した。「何故ですか」と言いかけた私は、彼の苗字が空海と同じ「サエキ」であることにハタと気づき、(そうか。サエキさんって空海の一族だったんだ。でも、それなら私は何故この巻物を読む権利があるのだろう)などと訝(いぶか)しく思う。すると私の気持ちを見透かしたようにサエキさんが、「ああ、山田さんの名前もここに載っているはずですよ」と言いながら巻物をスーッと転がした。見ると、巻物がちょうど開いたところに「真美」と書いてあったではないか。納得した私は頷きながら、「了解。このことは外部の人には言いませんから」と小声で告げている。

【解説】 まったく意味不明な夢だった。このところ空海に関する書物を山ほど読んでいるので、それで今夜はこのように奇天烈な夢を見たのだろう。そう言えば、空海の幼名は「真魚」、弟の名前は「真雅」、甥の一人は「真然」であることがわかっている。私の名前「真美」も、偶然にも空海一族と同じ「真○」のパターンだ。もちろん偶然だが、これも一つのご縁と言えば言えるのかも知れない。なお、友人のサエキさんと空海に関係があるという話は、今のところ聞いたことがない。



2日●記憶しりとり
しりとりの記憶術を競う大会があるらしい。ルールは簡単で、しりとりをしながら最初の単語から最後の単語までをすべて記憶し、合計単語数が一番多かった者が優勝するのだ。しかし今回の大会では、最初は「ん」から始めなければならない。第一問目から脱落者が続出するなか、私は「ンビラ」と即答して切り抜けた(注/ンビラはアフリカの楽器の名前)。そのあと「ンビラ、ラッコ」、「ンビラ、ラッコ、高野山大学」、「ンビラ、ラッコ、高野山大学、くじら」、「ンビラ、ラッコ、高野山大学、くじら、ラッパ」という具合に、いちいち最初の単語から繰り返してゆき、パイナップル、毘遮那仏、ツァラトゥストラ、ラー油、雪男……と続けていって、ついに100番目の単語まで続けることのできた私が優勝した。最後は表彰台に登ってインタビューされたのだが、その頃までにはひどく疲れてしまっていたようで、残念ながら詳細は思い出せない。

【解説】 今夜の夢は、非常に神経を使う、疲れる夢だった。目が覚めてみると、しりとりの最初のほう(「ンビラ」から「雪男」まで)しか覚えていないのだが、そのあと100番目の単語までどうやって覚えたのだろう。夢の中では確かに100単語すべて覚えていたのだが、目が醒めると同時に忘れてしまった。なお、最後(100番目)の単語は「涅槃(ねはん)」だったような気がする。



3日●軟弱になったS君
道を歩いていると、かつて同級生だったS君が歩いてきた。先に気づいた私が「あっ、S君!」と声をかけると、S君は手に持っていた文庫本で口元を押さえ、体をくねくねさせて恥ずかしそうに笑いだした。急に軟弱になったS君に少しばかり驚きながらも、私はその件には触れずに世間話を始めた。ふたりで何か他愛もない話をしているあいだも、S君はずっと内股気味に立ち、体をモゾモゾさせて恥ずかしがっている。S君は英語が得意なので、お互いが最近読んだ英語の本の話をしたような気もする。暫く立ち話をしただけでS君と別れた私は、その後ひとりのお坊さんに逢い、そのお坊さんは誰か他人の犠牲になって死んだような気がするのだが、そのあたりの詳細は覚えていない。

【解説】 今夜の夢にはもっと長いストーリーがあって、S君が登場する場面はそのうちのごく一部に過ぎなかったように思うのだが、目が醒めてみると、何故かS君の場面ばかりを思い出す。現実世界のS君は体格も立派で、どちらかと言えば硬派なタイプ。しかし夢の中では軟弱が服を着て歩いているようなグニャグニャぶりだった。最後のほうでお坊さんが誰かの犠牲になって死んだような気がするが、何故そのようなことになったのか、その経緯も思い出せない。しかし、お坊さんは悔いを残さずに潔く死に、それを見ていた私もお坊さんを制止しなかったような気がする。



4日●地図とバイク
目の前に地図が見える。地図を見ながら、私は誰かと話している(相手の顔は見えないが30代ぐらいの男性らしい)。声のトーンがお互いに事務的なので、どうやら初対面の相手なのだろうと思う。地図には、この町の道路が描かれている。ごくかいつまんで見ると、この町の道路は「♀」という字のような形に広がっている。つまり、手前に十字路があって、その先が大きな環状道路なのだ。十字路の右には海、左には山が広がっている。そして私が現在いる場所は、十字路の交差点あたりらしい。これから私は知り合いのところへ荷物を届けに行くのかも知れない。その配達のために使う250ccぐらいのバイクが近くに置いてある。バイクは私品ではなく、仕事先から貸し出されたマシンのようだ。先程から話している相手の声が、「バイクは運転できますか?」と聞いてきた。私は「普段は自動車しか乗りませんが、以前はナナハンを乗り回していましたから全く問題ありません」と答えた。そのあと別の場所に行って別の誰かに逢ったような気がするのだが、その詳細は覚えていない。

【解説】 夢に登場したあの町は、一体どこの町だったのだろう。道路が「♀」字型に伸びているのが印象的だったほかは、ごく平凡な日本の風景だったのだが……。なお、現実世界の私はバイクには乗らない主義。ナナハンを乗り回したことも勿論ない。



5日●盗作癖のある人
学校の教室のようなところ。左後ろの机で、なにやら隠れて怪しげな行動を取っている女性がいる。名前は思い出せないが、どこかで見たことのある顔だ。以前、テレビや新聞で盗作騒ぎが報じられた人物らしい。またしても、彼女は他人の作品を盗もうとしているところなのだ。「この種の人には、盗んでいるという自覚もなければ、罪悪感も反省心もないんです。それどころかすべての責任を他人に転嫁して憚(はばか)らない。だから性質(たち)が悪いんですよ」と、誰か(男性)が私の耳元で囁いた。そういえば小学校時代にも盗み癖のある同級生がいたが、彼女は今頃どこでどうしているのだろうか。そんなことを思いながら、私は一刻も早くこの盗癖のある人物から離れようとしている。

【解説】 ほんの一瞬の夢ではあったが、非常に不愉快な夢だった。世間にはいわゆる「盗作癖のある人」が存在する。他人の作品やアイデアを盗んで空しくならないのかと不思議でならないが、現実に、そういう人は確かに存在する。小学生の頃、私はそういった人たちによく文章をマネされて、そのたびにとても不快な想いをしたものだ。日本では盗作犯罪に対する予防措置がまるでお粗末だが、欧米ではインターネットを駆使した盗作予防が非常に進んでいる。例えば英語圏では、とある機能に文章を入れただけで、過去に書かれたありとあらゆる英文(※ネット上に存在するもののみ)と酷似した文章が即座に弾き出されるシステムが、既に実用されている。日本語の場合も、同様のシステムが確立すれば、盗作という犯罪は即座に摘発できるようになるはずだ。早いところ、そうしたシステムが確立されることを望む。



6日●キッチンのガス漏れ
私はキッチンにいて、何か料理をしようとしている。向かって左側のコンロに火をつけ、暫く目を離したところ、何やらガス臭い。見ると火が消えており、ガスが漏れ出しているではないか。あわてて元栓を切って窓を開けようとするのだが、何故かどこにも窓が見当たらない。夫と息子が次々にやって来て、「大丈夫か」などと言いながら窓を開けてくれたようだ。夢の中で私は(これが正夢になるといけないから、今日は特にガスには気をつけよう)などと思っている。

【解説】 こんな夢を見たので、今日は普段よりもガスの元栓に注意を払っている。今朝は6時に起きて息子の朝食を作り、息子を学校に送り出したあとはガスを使っていない。念のため、暫くは駅員さんのように「ガスの元栓よ〜し!」と指差し呼称による安全確認をしたほうがいいでしょうか(笑)。



7日●男性との口論
知人の男性(家族ではない)と口論している。よく知っている相手だということはわかるが、何故かその人の顔は見えない。何を口論しているのかもハッキリとはわからないのだが、私は(ああ、またこの話で揉めるのか)と心底からうんざりしている。

【解説】 この夢にはもう少し前後にストーリーがあったように思うのだが、目覚めたときにはこの部分しか思い出せなくなっていた。誰かと口論しているのだが、それがディベートのような前向きなものではなく、感情的でネガティブなイメージなのだ。現実世界では、同様の口論をしなければならないような相手は思い当たらないが、あるいは私の潜在意識の中に何かわだかまりのある相手が存在するのかも知れない。



8日●見知らぬふたりの女の子
気がつくと、幼いふたりの女の子と一緒に旅をしていた。ふたりは姉妹で、姉は3〜4歳、妹は2〜3歳といったところだろうか。おかっぱ髪のふたりは、道中ずっと手をつないで歩いている。この子たちが親に黙って勝手に来てしまったのだと知り、私は早くふたりを両親の元に返さなければと思う。ところがそこは大変な田舎のようで、人家の一軒も見当たらないのだ。私は携帯を持っていないらしく、外部と連絡を取る術がない。困り果てながら歩いている私のそばには、誰か信用するに足る大人がいるような気もするのだが、その人も途中で消えてしまった。幼子達は文句も言わずに黙々と私の後ろをついて来る。やがて小さなお店が見えてきて、私は女の子達に何か買ってあげたような気がする。人形かぬいぐるみだったかも知れないが、定かではない。日が落ちて暗くなってきた道を、私は(この子たちを早く親元に返さなくては)とますます焦りながら歩いている。最後に何らかの方法で女の子達を母親のもとへ返すことのできた私は、ほっと安堵しながらどこか別の場所を目指して急いで移動しはじめた。

【解説】 他人の子どもをふたりも預かって(拾って?)しまい、早く両親の元に返さなくてはと焦りつづける、非常に疲れる夢だった。そう言えば先月も、13日(少しレズっぽい読者の女の子に慕われる夢)、25日(チベット難民の少女を引き取って育てる夢)、29日(家族の中で疎外感を感じ孤立している少女の夢)と3回も「見知らぬ女の子に頼られる夢」を見た。今夜の夢もそのシリーズの一環だったのだろうか。それにしても一体あの少女達は誰なのだろう。現実世界でも誰かが私に救いを求めているのだろうか。それともあの少女達は、孤独感を常に抱えていた子ども時代の私自身の姿なのだろうか。



9日●英語の聞き取り
パソコンの前に座った夫が、ヘッドフォンで何かを聞いている。真剣な顔で耳を済ませたあと、私に向かって「この部分の英語、何て言ってるんだろう。さっきから聞き取れなくて困ってるんだ」と言った。私は夫から受け取ったヘッドフォンを装着して耳を済ませてみた。それは誰か(男性だったような気がする)のスピーチの一部で、かなり訛りの強い英語だ。確かに一ヶ所、聞いたこともない単語が混ざっている。知らない単語ではあったが、聞き取ってそれらしくスペリングすることは可能だったので、私はたったいま自分がスペリングしてみた単語を、今度は辞書機能を使って検索しようとしている。

【解説】 今夜の夢にも、もっと長いストーリーがあったような気がするのだが、残念ながらこの部分しか思い出せない。夢の中で聞いた英語は、何か政治に関する内容のスピーチだったような気がするのだが、そのあたりも詳細は定かでない。



10日●犬に不老不死のバイオ実験を施す
バイオテクノロジーの研究室らしき場所。私の目の前には実験器具が並び、白衣を身につけた研究者が数人と、ブースケ(愛犬の名前)が見える。どうやら日本には新しい規則が出来たようで、その規則によれば、すべての飼い犬は或る実験に強制参加させられることになったようだ。それは不老不死のバイオ実験で、成功すればその犬は永遠の命を得るが、失敗すれば即座にその場で死ぬという。能面のように無表情な研究者が巨大な笹の葉(?)で赤ちゃんをくるむようにブースケを抱き、そこへ小さな落雷にも似た衝撃を与えてから逆さまに振った。すると笹の中から薄い透明カプセルのようなものに包まれたブースケが転がり出て来て、そのまま海のように広く深い培養液(?)の中へ落ちて行った。もしもブースケが自力でカプセルを破って培養液の海から脱出することが出来れば、彼は永遠の命を得るという。しかしカプセルが破れなければ培養液の海に沈んで死ぬ。今しも暗い培養液の海へ沈んでゆこうとするブースケを前にして、私は、(何が永遠の命だ。人間はどこまで傲慢になったら気が済むのか。ブースケにはごく平凡に生きてもらえればそれで十分なのだ)と思い、ブースケを助けるために頭から培養液の中へ飛び込んだ。ちょうどそのとき現実世界で大きな雷の音がし、私は一気に夢から醒めてしまった。

【解説】 今夜は夢を見ながら頭の片隅で、(明日は9月11日だ)と思っていたようだ。9月11日はニューヨークで同時多発テロが起こった日(2001年)であると同時に、個人的にはパプアニューギニアで溺れて死にかかった日(2002年)でもあり、私にとっては二重に縁起の悪い日なのである。今朝の東京地方は雷を伴う雨が降り続き、時折り近くに雷が落ちる大きな音もしていた。その音を聞きながら(これは雷? それともテポドン?)などと夢うつつに思っていたので、そのせいで今夜は少し怖い夢を見たようだ。なお、私自身は不老不死にはまるで興味がない(自然体が一番!)ということを一言申し添えておく。



11日●夢のように美しい癒しの場所
気がつくとロンドンにいた。しかし、目の前に広がる風景は、現実のロンドンとは似ても似つかぬものだ。足もとと言わず頭上と言わず、至るところに咲き乱れている花は、一応「薔薇」という名前の花らしいのだが、現実の薔薇とは何かがひどく違っている。とげとげしさがないと言うか、まるで天国に咲き乱れている天上の花のようなのだ。空からは少し温かな霧雨のようなものが、心地良いシャワーのように降っている。まるで“あの世”にいるような心持ちがする。(もしもここが“あの世”なら、いつ来ても構わない)と私は思った。ここにいるだけで心身が癒され、抱えていた悩みもすべて解けて、全身が見る見るうちに開放されてゆくのを感じる。ところどころに人が歩いている。皆、西洋人(イギリス人らしい)の老人ばかりだ。ひとり残らず、とても穏やかで優しい顔をしている。苦悩とか苦痛といったものが、この世界には存在しないらしいのだ。やがて、今夜泊まる予定のホテルが見えてきた。それは平屋建ての小さな建物で、サンタクロースのような風貌の老人(彼がここの執事なのかも知れない)の案内で部屋に入ってみると、部屋の壁はすべてガラス張りだった。ベネチアン・グラスだろうか、1枚1枚のガラスは実に芸術的で幻想的で、私はずっとここにいたいと思う。ここで、驚くほど深く心地よく眠ったような気がする。やがて朝が来て、帰国の日になった(どうやら私はたった1泊2日のスケジュールでロンドンへやって来たらしいのだ)。空港へと向かいながら、私は自分がすっかりリフレッシュしたことを実感している。

【解説】 今夜の夢は、言葉には尽くせないほど美しく、幻想的で、まるでお伽の国へでも行って来たような不思議な感覚の残る夢だった。そして、この夢を見たことで、私は実際に自分が驚くほど癒されたように感じるのだ。まるでシンガポールのリン先生(究極の天才指圧師)の治療を受けた直後のように。言葉を換えれば、今夜の夢には大変な癒し効果があったようなのだ。その証拠に、昨夜寝る前に抱えていたいくつかの問題点(肩凝り、腰の凝り、仕事の時間配分の悩みなど)が、目覚めたときには完全に解決されていた(肩と腰の凝りは治り、仕事の時間配分に関しても、起床と同時に素晴らしいアイデアが浮かんだ)。今夜の夢は、「これまでの人生で見た夢ベスト10」に間違いなく入る吉夢だったと思う。



12日●秋篠宮家の人々
広々とした庭。秋の気配。気がつくと目の前に秋篠宮家の人々が立っておられた。紀子妃殿下の腕の中では、上等そうな毛布にくるまれた親王殿下がお寝(やす)みになっている。絵に描いたように幸福そうなご家族の笑顔。このあとお屋敷の中に入って皆さんとお食事を共にしたような気がする。その席で何か片手に載るほどのサイズの金色に輝く品を贈られたのだが、それが何だったのか、詳しいことは思い出せない。

【解説】 今夜の夢は、例えて言えば、『幸福』というタイトルの1枚の絵の中に入り込んだような心地のする夢だった。現実世界の私は、今月から高野山大学の大学院に入って密教を研究することになっている。「週刊マミ自身」第233号にも書いたとおり、大学院合格が知らされたのは9月6日の午前中のことで、タイミング的には秋篠宮妃紀子殿下が第三子をご出産になった直後であった。縁起が良いと思い喜んでいたところ、その7日後には新しい親王殿下(悠仁さま)の“お印”が高野山の霊木である高野槙(こうやまき)に決まったと知らされ、非常に驚いた。個人的には、秋篠宮殿下とは一度だけアメリカの某所で行なわれた昼食会でご一緒させて頂いたことがある(但し紀子さまはご懐妊中のためご欠席)。それ以外には特にご縁のない方々と思っていただけに、今回の一連の偶然の一致は不思議なことである。その気持ちが今夜の夢には表われたようだ。



13日●若く美しい女性
すぐ目の前に、眩(まばゆ)いほどに若く美しい女性がいる。「乙女」という古い表現が相応しいような、オーソドックスで気品のある美女である。年齢は17ぐらいだろうか。この女性こそ満奈(拙著『夜明けの晩に』の主人公)に違いないと思うが、あるいは、月の世界から降りてきたばかりのかぐや姫のような気もする。肉眼では見えないものの、すぐ近くに満月の存在を感じる。「美徳」「吉祥」という言葉が脳裏をよぎる。美しさは美徳だ。

【解説】 おかしな言い方かも知れないが、今夜の夢で私は女神に逢ってきたのかも知れない。そう思えるほどに、夢に現われた乙女の美しさは尋常ではなかった。こうして振り返って見ると、一昨日から3夜連続して見た夢は、いずれも大変な吉夢だったのではなかろうか。その証拠に、今日は面白いほど仕事がはかどっている。



14日●旅先で仙人のような老人達と出逢う
前後関係はわからないが、気がついたとき、私は旅をしていた。誰か同行者がいるような気がする(母または娘?)が、彼女の姿は見えない。私達はお遍路さんをしているのかも知れない。途中の宿で老人のグループと知り合った。どうやら全員80歳以上らしいのだが、驚くほどの生命力に満ちた人たちで、これが本当に老人なのかとやや疑わしく思う。もしや彼らは仙人なのではないだろうか。そんなことを思っていると、そのなかのひとりで肌がつやつやした90前後のお爺さんが、私のほうへ歩み寄ってきた。それは「翁(おきな)」とか七福神の「寿老人(じゅろうじん)」を髣髴させるような福顔の老人で、「さっき大変な名医に逢ってきましてね。私も霊力を授かったから、貴女にもお裾分けしましょう」と言ったが早いか、いきなり私の頬を触り始めた。それは何とも不思議な感触で、頬を触られているだけなのに、まるで全身に弱電流が通じているようにビリビリするのである。しかもその電流が流れたところは肩凝りや腰の凝りなどが回復し、何もかもが活性化されてゆくのである。(この人はやはり仙人に違いない)と私は思っている。

【解説】 どうやら今夜の夢も、11日から連続して見ている吉夢の続きらしい。このところ、実におめでたい夢ばかりを立て続けに見る。実生活では驚くほど仕事がはかどり、私生活でも楽しいことが色々と起こっている。まさに夢と現実が連動している感じで、我ながら面白くてならない。「幸福も不幸も感染する」というのが昔からの私の持論なので、いま私の近くに来た人には、間違いなく幸福が感染すると思う。このページを見てくださっている皆さんにも、きっとたくさんの幸福が訪れますように。



15日●カエルに扮装した家族写真
何人かで海外旅行をしている。一緒にいる人たちの顔は見えないが、気の置けない仲間のようだ。ときどき道を白人が歩いていることから想像するに、そこは西洋のどこか(アメリカやオーストラリアではなくヨーロッパ)の田舎らしい。道中、時折りおかしな事件が起こって、そのたびに私は大笑いしている。一緒にいる仲間もおなかを抱えて笑っていて、私達はほとんど女子高生のノリだ(ただしどんな事件が起こったのか、具体的には何も覚えていない)。宿について寛いでいると、誰かからデジカメを渡され、「そのなかに真美ちゃんのご一家の去年の写真が入っているわよ」と言われた。スクリーンで画像を見ると、単に緑一色の画面である。この画像のどこが家族写真なのだろう。怪訝に思いながらあちこちのボタンを押してみる私。そのうちに、このカメラのスクリーンは普通に見るのではなく、双眼鏡を見るときのように顔を近づけて中を覗き込むシステムであることが判明した。改めてスクリーンを覗き込んでみると、今まで見えなかった写真の全体像がようやく見えた。そこに映っていたのは、カエルの着ぐるみを着てソファーの上で寛いでいる私(ただし被り物をしているので顔は見えない)、その後ろでVサイン(?)を出している娘(ただし顔は見えない)、その前を横切って右のほうへ歩いてゆくカエルの下半身(中身が誰なのかは不明)だったではないか。その写真を見ながら(こんなバカな写真いつ撮ったっけ?)と思い、爆笑している。

【解説】 まるで意味不明な夢だった。今夜の夢の中で、私は最初から最後まで笑っていたような気がする。それもクスクス笑いではなく大笑いなのだ。専門家(?)の先生がときどき「笑うよりも泣くほうが精神が開放される」というような発言をしておられるが、私は個人的に「泣く」よりも「笑う」行為によって圧倒的に気持ちよくなるタイプの人間なので、今夜のような夢は大歓迎だ(目醒めてからも楽しいので)。ちなみに我が家は、私も娘も大のカエル好き。そのうえ「カエル顔」が好き(そのくせ夫は全くカエル顔ではないのだが)。カエル顔の男性の写真などを見ると、娘とふたりで「こんな顔の人と結婚したい♪」「こんな顔の人に義理息子になってもらいたい♪」などとオバカ会話を楽しんでいます(笑)。



16日●平安時代の満月
私はひとり芒(すすき)の原に立って、満月を仰ぎ見ている。ひんやりと吹く風が心地良い。周囲には人家を含むいかなる建物もなく、私はただ押し黙ったまま月を見上げているのだが、それにしても今夜の満月の大きさは尋常ではない。いつもの5倍、いや10倍の大きさがあるのではないか。月が地球に接近してきたのだろうか。よくよく見ているうち、どうやら今は平安時代で、ここにある月は平安時代の月なのだということがわかった。(昔、月はこんなに近いところに在ったのか。道理でかぐや姫が旅をして来たわけだ)などと納得している私。

【解説】 13日に引き続き満月のイメージの夢である。今夜の夢には風の音以外に音がなく、ただ驚くほど巨大な満月が冴え渡っていた。特にストーリーはなかったわけだが、その光景を目にして自分が色々と考え事をしているのが興味深かった。なお『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「満月」の意味は「幸福、順調、妊娠の兆候」だそうである。



17日●名刺をもらう
食卓がある小さな部屋。私はにこやかに挨拶をしながら、誰かに名刺を渡している。相手からも名刺を受け取り、見るとそこには歴史上の人物のような苗字が書いてあった(新撰組のメンバーの苗字だったような気がするのだが、具体的にどういう苗字だったのかはどうしても思い出せない)。室内には他にも数人の人がいて、私達はさかんにお喋りしながら食事をしている。

【解説】 今夜の夢には、この前後にもストーリーがあったことは間違いないのだが、目が醒めてみると名刺のイメージしか思い出せない。この夢は講演会のために滞在中の福岡県京都郡の宿で見た。

【後日談】 この夢を見た日から数えて数日後、とある小さなグループで会食をした。場所は六本木近くのダイニングバーだったのだが、店に入るなり(あれ? ここに最近来たことがあるのでは?)という妙な既視感に襲われ、すぐに(ああ、あの夢に出てきた部屋だ)と思い出した。そう。今夜の夢で見た部屋に、数日後に現実世界でも行くことになったのである。しかも、さらに驚いたことに、名刺交換をしながら気づいたのは、この日のメインゲストの名前はなんと「土方さん」で、新撰組の副長(土方歳三)と同姓だったのだ。なんとも不思議なことである。


18日●太閤秀吉から黄金の三角形を授かる
道を歩いていると、何やら賑やかな笑い声がして来た。見ると道端に大黒天に似た福相の男が立っており、何がおかしいのか破顔一笑している。一目見ただけで(あ。太閤秀吉だ)と思う。秀吉の周りを、家臣またはファンらしき2〜3人の男達が取り囲んでいる。私が彼らのすぐそばに差し掛かると、秀吉は大声で私を手招きし、笑い顔のまま眩く輝く黄金の三角形を取り出して見せた。それは非常に珍しい形の不等辺三角形で、鋭い角が上を向いている。さらに興味深いことに、三角形は見る角度によってそれぞれの辺の長さや角度が微妙に変わるのである。異次元的・宇宙的なイメージ。太閤秀吉は破顔一笑したまま、黄金の三角形を私にくださった。私はありがたくそれを受け取り、いま来たばかりの道をさらに先へと進もうとしている。

【解説】 今夜の夢に現われた太閤秀吉は絵に描いたような福相で、衣裳を含めどこからどう見ても七福神の一・大黒天にそっくりだった。その秀吉から黄金の三角形を貰い受けるのだが、その三角形が言葉では表現できない不思議な形をしているのだ(しかもその形は常に変化している)。大変価値のあるものだということはわかるのだが、具体的にどのような意味なのかは判然としない。なお『夢の事典』によれば、「金色」の意味は「崇高なもの、心身ともにエネルギーが溢れている状態、自分自身のなかに在る男性的な部分」、「三角形」の意味は「上に向かって伸びるエネルギーの象徴」だそうである。



19日●四次元に通じる紙袋
くしゃくしゃと丸まった質感の紙袋が、キッチンテーブルの上にさりげなく放置されている。一見無造作に見えるが、実は非常に作為的にも見える。アートなのかも知れない。紙袋は薄いベージュ色で、大きさは拳(こぶし)がようやく入る程度だろうか。周囲には誰もいない。私は紙袋の中を覗き込んで見た。驚いたことに、その中には四次元の世界が広がっていた。私は(しめしめ。こんな所に四次元があった)と思いながら、頭から袋の中へ入り込もうとしている。

【解説】 今夜の夢には非常に長いストーリーがあった気がする。その中で私は娘に逢ったり外国へ行ったり色々なことをしたと思うのだが、目が醒めたとき明確に覚えていたのは、何故かこの四次元に通じる紙袋の場面だけだった。なんとなく心躍る、子ども心に溢れた夢だった。



20日●セレブリティーとの会食
気がつくと高級レストランで数人の友人たちと食事をしていた。相手がセレブだということはわかるのだが、知らない顔の外国人ばかりだ。私達は何か楽しげに話しながら食事をしている。それが驚くほど美味しい食べ物ばかりで、シャンパンに至っては、これまでの人生で未だ嘗て飲んだことがないような美味しさなのである。食器がすべて純金で出来ているのが印象的だった。このあと全く別の場所(ヒマラヤとかラテンアメリカあたり?)へ行ったような気がするが、残念ながら詳細は思い出せない。

【解説】 今夜の夢にも、本当はもっと長いストーリーがあって、会食の場面は全体のごく一部だったように思う。しかし会食以外の部分はどうしても思い出すことが出来ない。昨夜は現実世界でも建築家の黒川紀章先生や国連ハビタット大使のマリ・クリスティーヌさんらとご一緒に会食をした。そのイメージが夢に現われたのだろうか。



21日●犯罪にまったりと巻き込まれる
前後関係は不明だが、どうやら私は犯罪に巻き込まれているらしい。「らしい」と言うのは、犯罪が行なわれている割には全体の状況が長閑(のどか)で、緊迫感が微塵も感じられないからである。私の親しい男友達という設定の男性(ただしその顔には見覚えがない)が、ふたりの男性犯罪者によって軟禁されており、私もそのトバッチリを食らって幽閉されているという設定なのだが、実際には、私は夢の中で自由に外出しているし、犯罪者の男性ふたりに恐ろしげなところは少しもない。それどころか4人揃って門前町(?)のような風景の町を散歩したり、終始まったりしている。私は誰に救いを求めるわけでもなく、犯罪を警察に届けようともしないのだ(このあと目覚まし時計の音で目覚めてしまったため、夢の顛末は残念ながらわからずじまい)。

【解説】 今夜の夢には、一応「犯罪者」と「被害者」が登場するのだが、全体の雰囲気はまったりしていて、犯罪臭が少しも感じられないのであった。また、3人の男性の顔にも見覚えがなく、何故このような夢を見たのか心当たりはない。



22日●妖しい関係のふたり
何か用事があって扉を開け部屋に入ると、部屋一杯に二組の布団が敷かれており、Aさん(男性)とBさん(女性)が隣り合わせの布団に寝ていた。(あ、このふたりってそういう関係だったの!)と目からウロコが落ちる私。私と一緒に部屋に入った夫は、何故かその光景を見てもAさんとBさんの妖しい関係に気づかないようで、普通に会話をしている。AさんとBさんのほうも自分達の関係がバレていないと思っているらしく、平然と仕事の話などしている。私は他の3人の話に適当に相槌を打ちながら、(このふたりは死ぬまで今の関係を続ける気らしい)と密かに予想している。

【解説】 この夢を見る直前に、何かもっと楽しい夢を見ていたような気がするのだが、AさんとBさんの登場にインパクトがありすぎたのか、前段の話をすべて忘れてしまった(笑)。AさんとBさんは実在の人物で、共に別の異性と結婚している。現実世界では妖しい素振りはまったく見せないが、この夢を見た瞬間、私は(あ、なるほど、あのふたりはそういう関係だったのね)と妙に納得していた。もちろん本当のところはわからないが、少し気になる夢ではある。



23日●関西弁を標準語に改めようとする教師と生徒
教師と生徒たちが数人、教室らしき部屋の中にたむろしている。彼らは色々なことを喋ろうとするのだが、そのたびに何故か関西弁になってしまい、大笑いしながら標準語で言い直そうとしている。私は黙ってその場面を見ている。

【解説】 今夜の夢には何かとても悲しいストーリー(誰かの死?)があったように思うのだが、この場面の笑いによって悲しい部分は吹き飛ばされてしまったらしい。目覚めていると、この教室の場面しか記憶にない。この夢は大学院入学式のために訪れている高野山の宿坊で見た。



24日●三角形とその先にある光のタイムマシン
三つの角のうち一つだけが極度の鋭角になった三角形が見える。その先が細長いタイムマシンになっており、そこから先は青白い幻想的な光に包まれている。大気が波のように押しては返している。これはきっと時間の波だ。この先へ進まなくてはいけない。私はその波に乗ろうとしている。1度目と2度目はうまく波を捕まえることが出来なかったが、3度目のチャンスで大きな波に乗ることが出来た。タイムマシンの口が開き、私は凄まじいスピードで三角形の奥にある未知の世界へ入って行こうとしている。

【解説】 今夜の夢はかなり抽象的ではあったが、全体のイメージとしては今月18日・19日の夢とよく似ていた。私の夢には年に何度かタイムマシンが登場する。最近、専門的に密教の研究を始めたところだが、あらゆる哲学思想の中で密教ほどタイムマシン的要素を強く備えたものは他にないと思っている。今後、私の密教研究が進むにしたがって、タイムマシンの夢はさらに増えるのかも知れない。



25日●外敵から若い女性を守る
学校の教室のような場所。大勢の人々の姿(おもに後ろ姿や前屈みになった姿)が見えるのだが、顔が見えないため年齢や性別はわからない。そのなかにひとり、守ってあげるべき女性がいる。若い女性のようだが、それが具体的に誰なのかは不明。私は、誘惑や嫉妬といった感情を含むあらゆる外敵から彼女を守り、彼女が傷つかないよう先手を打っては彼女を庇っている。つまり私は、彼女にとっての防波堤の役割を果たしているのだ。しかし暫くすると、不思議なことに彼女が自分自身のように思えてきた。(なるほど。私が本当に守りかったのは、私自身なのかも知れない)という想いが心の片隅に生じた。(夢の中に登場する同性はすべて自分自身の分身だと聞いたことがある。つまり、私がこうして守っている彼女は、私自身なのだ)と想っている私。

【解説】 今夜の夢の中で私は、ひとりの女性を外敵から守るために世界各地を旅していたように思う。しかし、ハッキリと覚えているのは教室の場面だけである。このところ「若い女性を外敵から守る夢」を頻繁に見る。それらの夢はどこか示唆的で、私がこの先進むべき方向性を示しているような気がしてならない。



26日●外国のスーパーで「DORJE」という名の地酒を買う
家族で海外に来ているらしい。娘に逢いに来たという設定のようだが、周辺の風景はヒマラヤ地方のように見える(注/現実世界では娘はシドニーで暮らしている)。私たちはこれから誰かの家へ遊びに行くらしい。娘のアパートに留守番が必要なため、娘の男友達のひとりにその役を頼むことになった。それは日本語が話せない東アジア系の男の子(または中華系シンガポール人?)で、快く留守番役を引き受けてくれた。お土産を買うために、私たちはそのへんのスーパーマーケットに入った。こんな田舎ではたいした品物は買えないだろうと高を括っていたところ、意外なことに、小奇麗な瓶に入ったアルコールが棚に並んでいるではないか。中身はチャン(日本酒に似たヒマラヤの地酒)で、ラベルを見ると、商品名は「DORJE」、発売元は「小学館」、価格は何故か日本円で「260円」と書かれている。小学館はいつの間にヒマラヤで酒類販売を開始したのだろう。大変な多角経営だなと感心している私。瓶をレジのところへ持って行って会計をしてもらった。私の目の前では、夫と息子が紙袋に瓶を入れている。ここで目覚まし時計が鳴り、夢は中途で終わってしまった。

【解説】 今夜の夢には前段階があって、そこで何か印象的(あるいは感傷的?)な出来事があったような気がするのだが、具体的な内容を思い出すことがどうしても出来ない。また、最後は目覚まし時計の音で夢が中断してしまったため、このあと私たちが誰に逢いに行ったのかわからずじまいなのも残念なことだ。お酒の名前として登場した「DORJE」は「ドルジェ」と発音し、チベット語で「雷(いかづち)/雷電」の意味。しかし、現実世界でそのような名前のお酒を目にしたことはない。

【後日談】 この夢を見てから25日後の10月21日、茶道教室のお仲間たちとご一緒に「カトマンズ・ガングリ」というネパール&チベット料理の店へ食事に行った。お酒を注文する際、ワインリストの中に「DORJE」という名前を見つけた私は、(そういえば夢の中にもそんな名前のお酒が登場したのでは?)と俄かに思い出した。家に帰ってから調べてみると、やはり9月26日の夢の中に「DORJE」という名のヒマラヤのお酒が登場していたではないか。しかし夢を見た時点において、私はそのような名前のお酒が存在することすら知らなかったのだ。実に不思議な話である。



27日●水で一杯の廊下
気がつくと私は、古い民家または学校の廊下らしきところを歩いていた。それは不思議な廊下で、至るところが天上まで隙なく水浸しなのである。言ってみれば、廊下という名の水槽のなかを歩いている感じだ。私の左斜め後ろには夫がいるらしい(ただし姿はほとんど見えない)。私は困った様子もなく水の中を普通に歩いている。廊下は木造で、少し先が直角に右折している。あちらこちらにガラス窓があって、その外側には平凡な日本の庭が広がっている。どこかで噂に聞いたのだが、ここはある特殊な呼吸法(?)を覚えた人々しか入場できない場所らしい。もしかしたら私は今、ヨーガの特殊な呼吸法を実践しているのかも知れない。

【解説】 足元から頭の上まで水で一杯の廊下、にもかかわらず少しも問題なく呼吸しながらそこを歩いているという、絵としては静かだがややシュールなイメージの今夜の夢だった。今朝は雨が降っていたので、あるいはその雨音がこのような夢に結びついたのかも知れないが、定かではない。



28日●母音だけで挙行する入学式
高野山大学の入学式に出席しているらしい。しかし、そこは現実の大学校舎とは似ても似付かぬ建物で、しかも興味深いことに、昨夜の夢に登場したものと寸分違わぬ廊下までが再び登場した。しかも今回は、廊下には一滴の水もこぼれていない。この廊下を歩く際には決まりごとがあって、まず右足を一歩大きく前に踏み出し、次に左足を右足の位置まで引き寄せ、再び右足を大きく一歩前に出して……というプロセスを延々と繰り返しながら歩かなくてはいけないらしい。それも、スリッパを履いた足元を一度も廊下から話さず、床面に付けたままである。その歩き方で直角に廊下を右折し、しばらく行くと学長室(これまた現実の学長室とは似ても似つかない部屋)があった。そこで学長先生や担当教官ら(現実の先生がたとは全くの別人)が入学式を挙行してくださるのだが、生徒は私を含めてふたりだけ。しかも入学式では学長以下の挨拶がすべて“母音だけ”で行なわれるのである(つまり、「あいうえお」の5音だけですべての言葉が表現されるのだ)。答辞あるいは新入生の挨拶で自分が話すときも、母音だけで行なったような気がする。そのあとの食事会でも、話される言葉はすべて母音だけ。この世界では不思議なことに、子音抜きの「あいうえお」の5つの音だけで何故かすべての意味が通じるのである。私は心のなかで自分自身に、(これから卒業までは母音だけで過ごすのだな)と言い聞かせている。

【解説】 おかしな夢だった。夢の中では自分を含むすべての登場人物が母音だけで話しており、まるで真言を唱えているようなのだが、それで複雑な会話まですべて賄えてしまうのである。今夜の夢には、このほかにもサイドストーリーがあって、誰かとてもユニークな人物と逢ったような気がするのだが、具体的な内容は覚えていない。それにしても、昨夜・今夜と二夜連続して登場した同じ廊下には何の意味があるのだろうか? 昭和中期までは割とよく見かけた、やや裕福な個人の邸宅でよく見かけたタイプの廊下だったが。なお現実世界では今月24日に高野山大学大学院の入学式が挙行され、出席して来た。そこで“母音”も“子音”もある普通の会話が交わされていたことは言うまでもない。



29日●ガラスの吹き抜けに立つ家族
私は東京にいて、テレビニュースを観ている。画面に映し出されている建物は、北海道の某所にある高層ビルの内部という設定のようだ。ビルの中心には円形の吹き抜けがあって、吹き抜けに沿った各階にはバルコニーがある。バルコニーの手すりは全て華奢なガラスで出来ていて、見るからに不安定な感じだ。ビルのかなり高い部分(20〜30階あたり?)のバルコニーに、いかにも“おのぼりさん”風の日本人の家族が立っていた。若い両親と小学生ぐらいの長男、それに幼稚園児と思しき長女の4人家族だ。カメラは暫くのあいだバルコニーに立つ家族の姿を写していた。しかし程なく、階下からもくもくと煙が立ち昇ってきたではないか。どうやら下のほうの階で火災が発生したらしいのだ。しかし4人家族は煙にも炎にも気づくことなく、相変わらずぼんやりとバルコニーに立っている。テレビカメラも4人の姿を写し続けている。私は(カメラマンは火災に気づかないのだろうか。早くこの4人家族とカメラマンを助けなくては)と思い、急いで警察に通報しようとしている。

【解説】 今夜の夢では、何かもうひとつ大きな事件が起こったような気がするのだが、目が醒めてから思い出そうとしても思い出すことが出来ない。それは悲惨でありながら一種独特の微笑みをもって想い出したくなるような、複雑な事件だったような気がする。



30日●ビール製造販売全面禁止
最初のうち私は巨大高層ビルの中にいて、何かとてつもなく面白い出来事に遭遇していたような気がする。次に気づいたときには、マスコミ(?)の取材を受けて非常に理屈っぽいスピーチをしていた。さらに場面が変わって、私は近未来(?)の日本にいた。この世界では最近、ビールの製造販売が全面禁止されたらしい。しかしそれに対して大きな反対も混乱もなく、ビールはこの世から完全に姿を消した。そうやって何年かの歳月が過ぎたようだ。その後、再びビールが実験的(?)に生産されるのだが、何年ぶりかで飲んでみたビールは妙に甘く、生ぬるい上に気が抜けていて飲めたものではない。(こんな不味い飲み物を昔は何故美味しいと思ったのだろう)と首を傾げる私。結局、誰も飲む人がいなくなってしまい、ビールはこの世から姿を消すこととなったようだ。

【解説】 ビールがこの地上から消えて失くなるという、ビールファンには耐えられないであろう悲劇的な夢だった(笑)。ちなみに私自身は、特にビールが好きというわけではないし、自宅でわざわざビールを飲むことは皆無に等しいが、外で皆と飲むときの最初の一杯は生ビールを選ぶことが多い。あの独特のまろやかな苦味は他の酒類では味わえないもので、決して嫌いな味ではない。というわけで、今夜の夢の中で何故ビールの製造販売が全面禁止されていたのか、理由は全く不明。今夜の夢は冒頭部分が非常に面白かったように覚えており、私としてはむしろその部分を詳細に思い出したいのだが、そのあたりの内容は何故かどうしても思い出すことが出来ない。残念である。





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