2007年6月


1日●何かを断る
前後関係は全くわからないのだが、私は目の前にいる男性に向かって何かを断っている。何を、どのような理由で断ったのかは定かでない。私は軽く余裕の笑み(あるいは達観の笑みか?)を浮かべている。恋愛沙汰の匂い。そのあとで何が起こったのか、それも思い出せない。

【解説】 夢の中で、私は一体何を断ったのだろう。それは恋愛沙汰あるいはそれに近いことだった気がするのだが、残念なことに目が醒めてみるとさっぱり思い出せない。どこか華やかな香りの残る今夜の夢だった。


2日●F1のレースで助手席に座る
気がついたとき、私は時速180〜200kmで疾走するスポーツカーの助手席にいた。右側のドライバー席に座っているのは、友人のYさんだ。Yさんのドライバーとしての腕を信用している私は、恐ろしいスピードにも全く怖気づくことなく、平気で前方を見つめている。ここはF1のサーキットで、今は耐久レースの途中らしい。何故かバイクも参加しており、そのうちの1台が左側の壁に激突にしてバウンドし、そのまま弧を描きながら高度10mほどのところを飛んできた。バイクが運転手ごと私の頭の上を飛び越え、一種独特のスローモーションで後方へと飛び去ってゆく一部始終を、私は落ち着き払って眺めている。

【解説】 このあとにも何かストーリーが続いたような気がするのだが、あまりよく覚えていない。恐ろしいほどのスピード感と生命の危険を伴った夢でありながら、何故か非常に落ち着いていた自分の精神状態が印象的だった。


3日●臨月
気がつくとおなかが大きく膨らんでいた。この大きさは臨月だろう。今は夕暮れで、外からは豆腐屋のラッパの音が聞こえてくる。昭和のような温かくゆったりした時間の流れ。私は食事の仕度をしながら、心静かに誰かの帰りを待っている。

【解説】
まるで自分が別の場所で別の人生を送っているような、不思議な夢だった。淡々としていながら、そこには今の日本にはない昭和の佇まいの美しさが見えたような気もする。夢で見たものは、自分の選択次第では存在したかも知れない「もうひとつの人生」の一コマだったのではないだろうか。なお、『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「妊娠」の意味は「新しい可能性や希望の象徴/ステップアップの準備/新しい自分との出会い」とのことである。


4日●拒絶したい初老の二紳士
前後関係はわからないのだが、気がつくと私は一本道を歩いていた。そこは見渡す限り建造物のない場所で、ところどころに木が生えている他には何もない。道はくねくねとカーブを描きながらどこまでも果てなく続いているようだ。私の横には背の高い初老の紳士と、何人かの初老のご婦人が歩いている。見たことのない顔ぶれだが、私達は行動を共にしているらしい。ここに至る前に何か事件があったらしく、そのことを初老の紳士が語り始めた。「本当に迷惑でしょう。僕が代わりに断ってあげましょうか?」と彼は言った。どうやら少し前に別の初老の紳士が私に愛の告白をしたことがあって、彼はそのことを揶揄しているようだ。「あの男から愛の告白をされても迷惑なだけでしょ。拒絶したいでしょう」。自信ありげにそう言いきった男を見ながら、私は心の中で(彼のことも貴方のことも同じぐらい拒絶したいのですよ)と思っている。

【解説】 このあとで何か小さな事件(?)が起こったような気がするのだが、その内容は思い出せない。なお、夢に登場した二紳士に見覚えはない。


5日●前髪が飛び出した男
私は道を歩いている。左隣には見知らぬ男がいて、私達は何やら楽しげに英語で話している(ただし会話の内容は思い出せない)。男は見たところ27〜8歳のイギリス人で、服装からしてソフトなロック系。興味深いのは、前に大きく張り出した彼の髪型だ。前髪だけが数十センチ、庇(ひさし)のように飛び出しているのだ。それは髪の一部にも見えるが、あるいは宇宙人の特長なのかも知れない。しかし髪型のことには一言も触れぬまま、私達はにこやかに“普通の話”をしながら歩いている。

【解説】 この前後にもストーリーがあった気がするのだが、目が醒めて思い出すのは男の髪型だけである。そう言えばあの髪形は、大昔の漫画『花の応援団』に登場したリーゼント男にも似ていたような気がする。


6日●ダバダバダ、ダバダバダ…
アヌーク・エーメが花のように笑っている。海岸。レーシングカー。キス。小さな子ども達。列車。再びアヌーク・エーメの微笑。ダバダバダ…という象徴的な歌声。

【解説】 昨夜は就寝前に1966年のフランス映画『男と女(Un Homme et Une Femme)』を観た。そのなかのアヌーク・エーメ(主演女優)があまりにも美しかったために、彼女の印象がそっくりそのまま夢の中に現われたらしい。実際、この映画が撮られた当時のアヌーク・エーメの美しさは尋常ではない。あまりに美しすぎて鳥肌が立つほどである。もしも生まれるときに顔を選べるなら、次はアヌークのような美女に生まれてみたいものだ(笑)。ちなみに「ダバダバダ…」は、言わずと知れたフランシス・レイによる映画の主題歌。


7日●ロケット打ち上げまであと10分
熱帯っぽい植物が生い茂るどこかの島。おそらくここは種子島なのだと思う。私はスポーツカーに乗っている。運転しているのはYさん。もう1人の同乗者はAさん。YさんもAさんも宇宙関係の学者さんだ。Aさんがシートから身を乗り出しながら、「ロケット打ち上げまで10分です。間に合いますかね」と言った。それを聞くとYさんは物も言わずにアクセルを一杯に踏み込んだ。私は黙ったまま車窓の風景を眺めている。遥か遠くにロケットが見えてきた。(Yさんの運転なら必ず間に合う)と私は思っている。

【解説】 この8月に種子島でロケットの打ち上げが予定されている。つい最近、宇宙作家クラブ(顧問は小松左京先生)のメンバーになったばかりの私は、時間さえ都合がつけば打ち上げを見に行きたいと思っているのだが、打ち上げの期日がインド行きと同じ週に当たっているため、種子島に行けるか行けないか微妙なところなのだ。その気持ちが今夜の夢には表われたのだと思う。ちなみにYさんとAさんは宇宙関係の学者さんで、お2人とも8月のロケット打ち上げ見学を予定していらっしゃる。


8日●船上にて
気がつくと客船に乗っていた。豪華と言うわけではないがそれなりに大きな客船だ。本州とどこかの島を結んでいる定期航路なのかも知れない。船内で編集者のSさんにバッタリ遭遇する。「お久しぶりです。お食事がまだなら、ご一緒しませんか。私も回転ラーメンを食べようと思っていたところなんです」とSさんが言った。私は今さっき食事をしたばかりで食欲がない。しかも、回転寿司ならまだしも回転ラーメンなんて麺が伸びてしまって食べられたものじゃないだろうと思う。しかし私は黙っている。回転ラーメン屋の厨房らしきスペースが見えた。女性の料理人がコンロの炎調節を誤ったようで、天井まで届くほど大きな炎が一瞬上がった。それを見てSさんは「危ないじゃないですか。気をつけてください」と怒っている。そのあとラーメンを食べた記憶はなく、気が付くと場面が変わってSさんの姿も消えていた。そこはおそらく同じ船内の別の部屋なのだと思う。部屋には20〜30人ほどの人がいる。私は名刺を探している。手持ちの名刺はあと1枚しかない。増刷しなくてはと思う。そのうち港が近づいたらしく、部屋にいた人の大多数が下船の準備を始めた。どうやらこの船はバスのように簡単に乗り降り可能なようなのだ。私はまだ船から降りないつもりである。降りて行く人たちに向かって会釈している。彼らは皆、善良な小市民の顔をしている。部屋の片隅に観光PR(?)のための名刺が山積みになっていて、皆、必要な名刺を取ってから船を降りて行った。皆が降りてしまった後でふと気づくと、たった1枚残っていた私の名刺がなくなっているではないか。どうやら誰かが間違えて(或いは意識的に)持って行ったらしいのだ。私は心の中で(それもまあ仕方ないか)と思っている。

【解説】 今月は乗り物の夢が多い。既に2回、スポーツカーに乗って爆走し、今夜は船に乗ってきた。しかしスポーツカーと客船ではだいぶ印象が違う。一緒に乗っていた相手と私の関係性もずいぶん異なる。「スポーツカー」と「客船」それぞれの夢が持つ意味を知りたいところだが、残念ながらいつもお世話になっている『夢の事典』には載っていなかった。


9日●オープンカーからロケット砲(のような物)を打ち上げる
夜の闇。田んぼの中を貫く道路。私は時速100キロ前後で走るオープンカーの助手席に座っている。運転しているのはMさん(男性)だ。Mさんは時々スイッチを押してロケット砲のような物を打ち上げている。それは目にも留まらぬ速さで上昇し、上空に達すると今度は急降下して来てあたりに水を撒き散らすらしい。私達のすぐ後ろに、もう1台の自動車がピッタリくっついている。運転しているのは平凡な顔立ち(黒縁眼鏡をかけていたかも知れない)の中年男だ。彼の自動車のボンネットに水の塊が落下した。中年男には水が落下した原因がわからないらしく、ハンドルを握りながらキョロキョロ周囲を見回している。Mさんは愉快でたまらないらしく、運転しながら小躍りせんばかりに喜んでいる。Mさんが再びロケット砲のような物を打ち上げた。後続車のボンネットに先程よりも大量の水が降りかかり、中年男はオドオドしながら驚いている。Mさんは例によって大喜びしている。私はそんなMさんが嫌だと思う。人迷惑なことはいい加減やめなさいと忠告したのだが、Mさんはやめない。そのうち、空から降ってくるものが水ではなく鉄の塊や炎など危険な物に変わってきた。次にロケット砲を打ち上げると、爆音と共に落ちて来たのは炎の塊だった。ほうぼうの草むらが炎上している。のみならず、何か危険な物質までが落下して来て燃え始めたようだ。私は心の底が冷え込むのを感じながら、それでも助手席から下りようとはしない。

【解説】 昨日の夢の解説にも書いたように、今月は本当に乗り物の夢が多い。スポーツカーは今夜で3度目だ。3日に1度はスポーツカーの夢を見ているのだから我ながら驚く。今月はロケット(及びロケットに似た物)の打ち上げに関する夢も多い。これらの夢に共通するイメージは「非日常性」と「スピード」だろうか。そう言えば今年は目が回りそうに忙しい毎日を過ごしている。このところ見ているスポーツカーの夢は、現実世界における己の姿の表われかも知れない。


10日●必死で川を飛ぼうとするブースケ
幅は狭いがかなり流れの速い渓流。川の中ほどには小さな中洲(?)があって、その上で愛犬のブースケとパンダが身を寄せ合っている。岸のこちら側には別の犬が2匹いて、ブースケたちに向かい「頑張ってこっちへ渡れ」という意味のことを(どうやら日本語で)告げているようだ。水かさは刻一刻と増しており、今すぐに飛ばないと中洲は水没してしまう恐れがあるのだ。「今度こそ頑張るよ!」と日本語で叫ぶブースケの悲壮な声が木霊した。しかし彼の身体能力では、どう頑張っても自力で川を飛ぶことは出来ないだろう。かわいそうな生き物だと思う。そこへちょうど私が到着し、無事にブースケたちを助けることが出来たようだ。

【解説】 記憶している限り、ブースケが人間の言葉を話す夢を見たのは今回が初めてではないだろうか。今夜の夢に登場したブースケは、言葉だけでなく全体に人間っぽい雰囲気を滲ませていた。前にも何度か書いたように、私の心の中には(ブースケが人間の子どもだったらどんなに良いだろう)という気持ちが常にある。しかし勿論それは実現不可能な願望だ。今夜の夢には、そんな私の気持ちが表われていたのかも知れない。


11日●シェイクスピア風の森で癒される
前後の脈絡は覚えていないのだが、私はどこか海沿いの静かなホテルに泊まっている。あたりは非現実的なほど美しく、すべて霞がかかったように白っぽく幻想的だ。中世の城のような建物と、その奥に続く深い森。ゆっくりと流れる時間。穏やかで美しい海。森の一番奥まったところには、シェイクスピアの作品に登場するアーデンの森(Forest of Arden)に酷似した場所がある。そこに立って呼吸しているだけで、すべての苦悩から開放されてゆく自分を感じる。旅の2日目(?)、私は出逢ったばかりの男女と一緒にホテルから森へと通じる道を歩いていた。男女のうち、女性は口数少なくおとなしいタイプで、顔はよく見えない。男性は比較的よく喋り、俳優の津川雅彦さんと三国連太郎さんを足して2で割ったようなイメージだ。私は彼にアーデンの森のことを告げた。すると彼はとても驚いたような顔で「本当にそんな森があるんですか!」と応じた。その瞳は喜びに溢れている。これと前後して、海岸で何かユニークな出来事があったような気がするのだが、その内容は何故か思い出すことが出来ない。

【解説】 今夜の夢は現実感に乏しく幻想的な、「夢のような夢」だった。夢を見ているあいだは「森」のことばかりが気になっていたのだが、目が醒めてみると、今夜の夢では「穏やかで美しい海」もかなり重要なモティーフだったのではないかという気がする。


12日●グレープフルーツ大のボールを割ろうとする男
私のすぐ傍らをひとりの男が歩いている。彼は、手の平に余るほどの大きさのボール状の物を持っている。それはグレープフルーツだったような気もするし、布製のボールだったような気もする。男はこのボールを2つに割ろうとしている(或いは、既に2つに割った)。もう少し離れた場所には、もうひとりの男がいる。このふたりには、「私と知り合いだ」ということ以外に何の関係もないらしい。

【解説】 今夜の夢には具体的なストーリーがあったのだが、目が醒めた途端に忘れてしまった。覚えているのは「ふたりの男」「手の平より少し大きなボール状の物」「割るという行為」といった断片的なシーンだけだ。ふたりの男が現実世界での知人だったかどうかも、全く思い出せない。


13日●ゴミ箱
私はゴミを捨てようとしている。ゴミのサイズは、片手に乗る程度だ。ゴミ箱のところまで行ってみると、そこには少し前に捨てた生ゴミが残っていた。私は生ゴミの上に新しいゴミを乗せた。ゴミの上にゴミが乗った姿は、まるでゴミの雪だるまのようだ。古い生ゴミがまだ残っていたことを知って、私は少し嫌な気持ちになっている。

【解説】 夢の中に生ゴミが登場するのは、どう考えても吉夢ではないように思う。夢の中に現れた新旧2つのゴミは、自分自身の中で完全に捨てきれずにいる過去の何か(或いは過去の誰か)なのではないかと、ふと思った。


14日●女性シンガーに逢う
前後関係は思い出せないのだが、目の前に女性シンガーの姿が見える。彼女は日本人で、年代は50代後半。演歌歌手だったような気がするが定かではない。あたりには、彼女のファンらしき初老の人々の姿が見える。女性シンガーは、何やら小難しい話を滔滔と語っている。私は彼女の服装や髪型を古臭いと思っている。

【解説】 今夜の夢で覚えているのは、このワンシーンだけ。登場した女性歌手に見覚えはないが、彼女からは一種の“場末感”が漂っていて、私は夢の中で(このタイプには興味ないなあ)と思っていたような気がする。


15日●……

【解説】 今夜は間違いなく夢を見ているのだが、少し喉風邪気味で体調が悪かったためか、どうしても内容を思い出せない。


16日●尊い球形の物
球形の物。尊いイメージ。透明なきらめき。転がる。クリスタル。虹色の光の反射。

【解説】 今夜は夢の中でずっと球形の物が転がっていた気がする。そのほかにも夢を見たのかもしれないが、詳細は全く思い出せない。


17日●浅丘ルリ子さんと風の中を散歩する
気がつくと和服姿の浅丘ルリ子さんと連れ立って歩いていた。そこは林の中で、涼しい風が吹いている。私達は何か話をしたのだろうか。或いは終始無言だったのか。それは思い出せない。浅丘さんは茶系の大島紬をお召しで、それがとてもよく似合っていらっしゃる。風はいつまでも吹き止まない。私はそれを心地良く思っている。

【解説】 特にストーリーらしいもののない夢だったにもかかわらず、浅丘ルリ子さんの存在感が偉大で、非常に迫力ある夢だった。そう言えば昔の友人に大の浅丘ファンがいた。想い余った彼は、生まれてきた娘にリリ子(注/ルリ子ではない)と名づけていた。夢から醒めて急にそんなことを思い出したのも、おかしな話だ。
【後日談】 この夢を見た翌日、友人の家で『博士が愛した数式』という映画を観た。少し前の話題作らしいのだが、私は原作はおろか映画のレビューなども読んでおらず、「記憶を失った数学者の物語らしい」ということ以外には何の事前情報もないままに映画を観たのだった。すると驚いたことに、この映画には着物姿の浅丘ルリ子さんが重要な役どころで登場するではないか。しかも物語の舞台となっているお屋敷の周辺が、夢に登場した林の風景と驚くほどよく似ているのだ。なんとも不思議なことである。


18日●クリスタルの山
夢の前半、大勢の外国人が現われたような気がするのだが、その部分の詳細は全く思い出せない。気がつくと目の前には宝石の山があった。巨大なクリスタルの塊が積み重なってきらめいている。伊勢海老の触覚のような形の2本の細長いものを見たような気もするのだが、それが何であったのかはよくわからない。外国人と2本の細長いものに関して言えば、「見た」と思ったこと自体が錯覚だったような気もする。

【解説】 色々なアイテムが夢に現われたような気がするのだが、クリスタルの輝きを放つ宝石の山のシーン以外は、よく覚えていない。今夜の夢は16日に見た「尊い球形の物」の夢と繋がっているように思えてならない。


19日●2匹の蛇とコロッケの歌
気がつくとBGMに『コロッケの歌』が流れていた。目の前には細長い石碑(或いは石の墓標?)のようなものが4本または5本、並んで建っている。石碑にはそれぞれ短い単語が刻まれている。それらは、現在日本で流行している物の名前なのだそうだ。1本の石碑には「コロッケ」と刻まれており、2本の石碑には「蛇」と書かれていた。そのほかの石碑に刻まれていた文字は思い出せない。耳の奥では相変わらず『コロッケの歌』が延々と響いている。それにしてもこの歌はどこで聞いたのだろう。思い出そうとするのだが思い出せない。私は心の中で(蛇が2匹というのは、あまりよくない兆候だ)と思っている。

【解説】 例によって我ながら意味不明な夢だった。BGMとして夢の最初から最後まで流れていた『コロッケの歌』は、ジャスコやマックスヴァリューなどイオングループの食品売り場で流れている「コロッケにしてねママ、小さな約束、美味しい約束……」という曲である。何故この曲が夢の中で一晩中流れていたのかは謎(買い物中に聞いたのかも知れないが思い出せない)。今夜の夢で最も気になるのは、石碑に書かれていた2つの「蛇」という文字だ。『夢の事典』(日本文芸社)によると、「蛇」の意味は「金銭・財運のシンボル/執念深さ/危険な人物の存在/理性の欠如」であるという。実は、現実世界では昨日、仕事上の予期せぬトラブルに巻き込まれた。トラブル自体はどうにか自力で解決できたのだが、その事件を機に意外な人の背信が表沙汰になるなど、昨日は人間関係のハプニングに見舞われ散々な1日だった。以上のことから想像するに、夢に現われた蛇は「危険な人物の存在」を示唆していたのではないかと思う。仮にそうだとすれば、(蛇が2匹登場したことから推して)危険人物は2人いることになる。気をつけなければ……。


20日●諸行無常
子どもの頃に住んだ家。取り壊されて今はないその家を、夢の中で回想している。父が生きていた頃の生活。子どもたちが小さかった頃の想い出。インドで住んだ家。インドから日本に帰って住んだ家。色々な想い出が風の中で目まぐるしく回っている。それを見ている“私自身”がいつの自分なのかはわからない。私は風の中心部分に立っている。周囲がぐるぐると回っている。私は諸行無常の風の中にいる。

【解説】 生まれてから今日までに住んだあらゆる場所が走馬灯のように想い出される、懐かしさと淋しさが入り混じった夢。何か仏教的な諦観を伴う夢だったように思う。


21日●優しい人
詳しいことは何も思い出せないのだが、近くに優しい人がいて、じっと私を包み込んでくれている。その人の性別、年齢、国籍や民族などは不明。私はその優しさを心地良く思っている。

【解説】 今夜の夢にはストーリーらしいストーリーがなかったようだ。目が醒めたとき覚えていたのは、優しい人がそばにいてくれたという感触だけである。現実世界ではこのところ、人間関係で疲れることが続いた。もしかしたら私は、現実世界で失われた何かを夢の中で取り戻そうとしたのかも知れない。


22日●信じられないほど優しい人
すぐ隣に、信じられないほど優しい人がいる。私たちは一緒に歩いている。周囲の風景は霧のようにかすんでいる。同様に、隣を歩いている人の顔もよく見えない。ただ、私より20〜30cmほど背の高い男性だったようだ。その人と何か特別な会話をした記憶はないのだが、信じられないほど心が癒されてゆく。私はここ暫く味わったことのない平和な気持ちを味わっている。しかし途中でこれが夢であることにハタと気づき、(近頃こんな夢ばかり見るのは、現実世界で疲労しているからに違いない)などと冷静に自己分析している。そのあと場面が一転して別の夢を見たように思うのだが、その内容は思い出せない。

【解説】 二夜連続で夢の中に優しい人が登場し、お蔭で今夜は夢見が良かった。それにしても昨夜と言い今夜と言い、優しい人の“顔”がまるで見えないのは奇妙なことである。


23日●病室で亡くなった見知らぬ男
大病院の病室。向かって右側にはベッドがあり、見知らぬ男が寝ている。男はまだ30歳前後のようだが、げっそりと頬がこけ、明らかに死期が迫っているようだ。その左側には無言で医師が立っている。医師も若い男である。私は急に喉の調子が悪くなり、咳き込んでいる。やがてベッドの男が死んだ。男の遺体は別の部屋(安置室?)へと運ばれて行った。次の病人を迎えるため、私はシーツを取り替えるべくベッドに近づいた。見ると、枕の近くには古い血の痕がたくさん付いているではないか。この時になってようやく私は、男が吐血していたことに気づいたのだった。

【解説】 死期が迫った病人、遺体、吐血の痕と、不吉なイメージばかりが漂う夢だった。思えばこのところ碌な夢を見ていない。そろそろ楽しい夢を見たいものだ。


24日●葬儀に並ぶ人々
セレモニーホールのような建物。どんどん中に入っていくと、いかにもサラリーマン風の30〜40歳ぐらいの男性10人ほどが横に並んでいた。私の知らない人たちだ。彼らは誰かの葬儀に参列しているらしい。皆、涙を流して悲しんでいる。誰が亡くなったのか詳細は不明だが、どうやら男性らしい。しかし私の心に悲しみの感情が沸き起こってこないことから推察するに、知人の死ではなさそうだ。約10人の男達は、別の葬儀に出るために部屋を出て行った。

【解説】 昨夜に引き続き、知らない男が死ぬ夢である。夢とは言え、こう立て続けに人に死なれるのは気持ちの良いものではない。しかし夢占いによると人が死ぬ夢は吉夢なのだそうだ。特に、見知らぬ人の遺体を夢で見ることは「幸運の訪れ」を意味するという。現実世界では良いことがありますように……。


25日●船上の美容師と軍人と結婚式場
気がつくと船の上にいた。さほど豪華ではないが、遠洋航海が可能な客船のようだ。私がここへ来た目的は髪をセットすることだったように思うのだが、この世界では何故か髪をセットするために幾度も美容室へ足を運ばなくてはならないらしい。近くには夫と息子がいる。娘は最初だけいて途中からどこかへ行ってしまった気もするし、最初からいなかった気もする。そこへ白人(北欧あたりの人?)の軍人が何十人か乗船してきた。そのうちのひとりで士官らしき女性が私に話しかけてきた。どこの国の言葉で話したのかは覚えていないが、彼女が指差した船首のほうを見ると、その部分が開いて外が見えた。そこから何か荷を降ろすらしい。やがて軍人達はいなくなった。時間が経過したようだ。私は一旦家に帰ってから再び船へやって来たのかも知れない。今度はひどい雨が降っている。今回も夫と息子が近くにいる。美容師の男性が初めて姿を現わした。彼は満面に笑みを浮かべて夫に握手を求め、「お目にかかれて嬉しいです」という意味のことを告げている。さらに少し時間が経過したのだろう。私は再び同じ船を訪ねていた。今度は、結婚式を控えた(或いは結婚式を終えたばかりの?)カップルと船上で居合わせた。カップルは1〜2mほど離れて立って、カメラマンによる写真撮影をしている。どうやら花嫁は日本人のようだが、花婿の国籍は不明だ。花嫁の隣にはブライズメイド(花嫁介添人)、花婿の隣にはベストマン(花婿介添人)が、それぞれ立っている。花婿はとても小柄で、まるで女の子のような顔をしており、髪を極端に短く刈り込んでいる。驚いたことに、花婿とベストマンは顔も体型も瓜二つだ。どうやらふたりは一卵性双生児らしい。このあとカップルがスッと消え、代わりにどこからともなく現われた産婦人科医らしい初老の男性が、真面目くさった口調で「今月はとりあえずまだ妊娠していませんが、この先妊娠するかも知れません」と言った。私は心の中で(この人は医者ではなく占い師かも知れない)と思っている。

【解説】 同じ船の上で少しずつ時間が経過し、そこで軍人(女性士官)、美容師、新婚カップルに逢う夢。夫と息子の姿は見えるが娘が不在であることも印象的だった。今夜の夢はいかにも示唆に富んでいたように思うのだが、夢が示すものが一体何なのか、そこのところがイマイチわからない。夢占いによれば船の夢は「恋人との関係が進展する/人生が変化する/商売繁盛」、「軍人」は「生命力・闘争心の高まり」、「髪型を変える」は「環境の変化を望む心」とのことであるが……。そう言えば今月は8日にも大きな客船に乗る夢を見ている。


26日●大勢の男たちが円陣を組んで笑う
夢の中で大勢の男達を見たような気がする。彼らは推定30代の日本人で、ひとり残らず誠実で陽気な人たちだ。男達は円陣を組んで笑っている。彼らが醸し出しているのは応援団のイメージだ。それを見て、私の心の底がくすぐったくなった。

【解説】 今夜の夢にはもっと具体的なストーリーがあったように思うのだが、目が醒めてみると大勢の男たちが輪になって笑っているイメージしか思い出せない。ここ数日はあまり楽しい夢を見ることがなかったが、今日は夢が少し良い方向に進み出したようだ。


27日●香港の青い空にひるがえる白い洗濯物
気がつくと私は香港にいた。マンションらしきビルの10階ぐらいのフロア。三角形のような変則的な形のベランダに洗濯物を干している。真っ青に突き抜けた空にひるがえる洗濯物が、フレッシュで清々しい気分を誘う。私は手を伸ばして高い位置に真っ白な洗濯物(Tシャツ?)を干しながら、(娘が香港の人と結婚し、お蔭で私までこんな面白い生活を送れるようになった。ありがたいことだ)と思っている。

【解説】 体感時間にして1〜2秒ほどの短い夢。青い空と真っ白な洗濯物の対比が清潔なイメージだった。現実世界では、シドニー大学からさらに交換留学生に選抜されてスウェーデンに留学していた娘(LiA)が目下一時帰国している。昨日は彼女と香港の話題で盛り上がった。そのときの会話のイメージが夢になった感じ。


28日●白い2本の円柱
それが何であるか良くわからないのだが、夢の中で艶やかな白色の円柱形のものを2本見たような気がする。女性の脚の象徴かも知れない。夢の中にはルールがあって、右か左かいずれかの円柱を1本選び、何かをしなければならないらしい(但しこのあたりの詳細は思い出せない)。私は左右を間違えないように気を付けている。

【解説】 例のよってわけのわからない夢。いや、本当は筋道の通った夢だったのかも知れないが、目が醒めてみるとその筋道を思い出せない。ただ、円柱形のものの艶やかな白さが印象的だった。


29日●明るく優しい気持ち
感じの好い女性。雰囲気の良い場所。何かとても楽しいことが起こり、私は明るく優しい気持ちになっている。
【解説】 今夜の夢には長く具体的なストーリーがあったように思うのだが、起床してみると何故か全く思い出せない。楽しい夢を見ていたことだけは確かなのだが……。昨夜は引越しの準備で眠りが浅く、睡眠時間も短かった。夢の記憶が途切れてしまったのは、そのせいかも知れない。


30日●……
【解説】 昨夜は引越しの準備でほとんど寝ていない。ゆえに、夢を見た記憶もない。




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