2008年1月

1日(初夢)●菩薩と七福神のサイバー掛軸
視線より少し高い位置に、巨大な掛軸が掛かっている。縦3メートル・横2メートルは優にあるだろうか。周囲には、顔は見えないが数人の知的な人々がいて、口々に掛軸のことを話しているようだ(但し会話の内容は覚えていない)。それにしてもこの掛軸は実に珍しい素材で出来ている。一種の金属と思われるが、驚くほど柔らかく、簡単に巻くことが出来る。高熱にも強いため、宇宙へ持って行っても平気なようだ。しかしいちばん不思議なことは、掛軸に描かれた絵が一種類ではなく、無数に変化するということだ。描かれているのは観音菩薩や七福神といったおめでたいモティーフばかりで、しかもその絵が(パソコンから指示することによって)どんどん変化するのである。どうやらこれはコンピューターと一体化したサイバー掛軸らしい。刻々と変化する画面を見つめていると、そのうち、縦2メートル・横1メートルほどの弥勒菩薩の絵が現われた。絵は横に6〜7等分されていて、それぞれがウェブサイトへのリンクバーになっているらしい。科学はここまで進んだかと感動している私。

【解説】 年頭から非常に不思議な初夢を見たものだ。今夜の夢に登場した主なモティーフを箇条書きすると、「珍しい金属で出来た巨大なサイバー掛軸」「観音菩薩」「弥勒菩薩」「七福神」「知的な人々」といったところか。宗教的な神々しさ、古典芸術(掛軸)、そしてコンピューター・サイエンスが合体することによって、三者はそれぞれがパワーアップして見えた。それにしても今夜の夢はあまりにも非現実的で、文章にするのは容易でなかった。読者の皆さんにニュアンスが正しく伝わると良いのだが……。



2日●質問する女学生と決まらない髪型
大学の大教室のような部屋。私はそこで何か講義をしていたようだ。場面が変わり、私は前髪をセットしている。なかなか髪型が決まらず、困っている。ようやく髪型が決まってスプレーをかけようとすると、3人の女学生が「先生、質問!」と言って私を呼び出すので、なかなか髪をセットし終えることが出来ない。そんなことを何度も繰り返しているうちに目が醒めた。

【解説】 今夜の夢にはもうひとつ別のエピソードがあったような気がするのだが、起床してみると思い出すことが出来ない。なお、現実世界の私は前髪にスプレーなどかけていない。



3日●四次元と繋がった宝船
目の前に海が広がっていて、そこに何の変哲もない舟が見える。帆もなく飾りもないシンプルな舟なのだが、実はこれこそが、あの、伝説の宝船なのだという。舟を操縦して来たのは、米国テネシー州在住の日本人・Tさんご夫妻だ。Tさんは私のために米国から何かプレゼントを持って来てくれたらしい。誘われるまま乗船してみると、驚いたことに、舟の内側はキャビン(小部屋)が1,000部屋以上ありそうな広大な空間ではないか。つまり、外から見ると長さ数メートルに満たない小さな舟が、内部に入って見ると数百メートルかそれ以上の広がりを持っているのである。どうやらこの舟は四次元と繋がっているらしい。そうこうしているうちにTさんご夫妻は船内の各部屋からたくさんの土産物を持って来てくれた。私は心の中で(確かにこれは宝船に違いない)と思っている。

【解説】 何やらとてもお目出度い感じのする夢だった。Tさんご夫妻は、友人のYさんからの紹介で1度だけ逢ったことのある人たちで、とても感じの良いカップルだ(現実世界でも米国テネシー州在住)。お正月早々、縁起のいい夢だった。ちなみに『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「船」の意味は「人生・進路・運命の象徴/社会的立場や境遇/精神的な支え」だそうである。
【後日談】 この夢を見た直後にYさん(Tさんご夫妻を紹介してくれた友人)と話す機会があったのだが、驚いたことには、Yさんも3日の夜は舟の夢を見たというではないか。Yさんの夢に登場したのは「船底の部分はノーマルな大きさでありながら、高さが1,000メートルを超すほどの物凄く高い舟」で、そういう舟が何百隻もやって来たのだという。Yさんは「船体が上下方向に長かったのは、寿老人(七福神のメンバーで〔もともと福禄寿と同一神であるから〕頭が異様に長いことで有名)が乗っていたからかも」と言っていたが、寿老人が乗っていたのだとすれば、その舟もやはり宝船だったことになる。Yさんまでが同じ日に宝船の夢を見るとは、なんとも不思議な一致である。



4日●年齢が近すぎる母娘
前後関係は全く思い出せないのだが、私は見たことのない家の玄関前に立っていた。それはどうにもおかしな形の家で、巨大コンテナーのようにも角ばった土管のようにも見える。そのとき入り口の扉がスーッと開いた。すぐ目と鼻の先では、清潔な感じのする若い女性がにこやかに微笑んでいる。全く知らない顔だが、どうやら彼女は私の知り合いらしい。年齢は20代後半だろうか。彼女の少し後方には彼女の母親がいて、やはり満面に笑みを浮かべながら私を歓待してくれている。しかし、この母娘にはどこかに違和感がある。よくよく見ると、母親は30代後半から40歳ぐらいなのだ。20代後半の娘を持つ母親として、彼女はあまりにも若すぎる。(一体いくつの時に産んだお子さんなのだろう)と心の中で思ったところで目が醒めた。

【解説】 目が醒めてみると、夢で見た母娘の顔をどうしても思い出すことが出来ない。全体に突拍子もないイメージの夢だった
【後日談】 この夢を見た翌日、古い知人から何年ぶりかで年賀状が届いた。差出人は学生時代の短期アルバイト先で出会った女性(その後は一度も逢っていない)。彼女は私より2〜3歳年下だが、年賀状によれば既に「孫と遊ぶのが生き甲斐」の人生を送っているというではないか。そう言われてみれば、彼女は高校卒業後まもなく結婚・出産し、その子も高校を卒業すると同時に出産したように記憶している。つまり彼女は18歳か19歳で母親になり、36歳か37歳で孫を持ったことになる。私の知人で彼女以上に早婚な人はいないので、今夜の夢は彼女から久しぶりに年賀状が届くことを予見していたのかも知れない。



5日●手作りの遊園地にて
気がつくと見知らぬ場所にいた。そこは広々とした遊園地の中で、どうやら宮城県仙台市内らしい(但し現実の仙台とは似ても似つかぬ風景なのだが)。この遊園地は近所に住む普通の人たちが手作りしたものだそうで、板に釘を打ちつけた跡などがそこかしこに見えている。さすがにジェットコースターのような大物は見えないが、小規模な乗り物やアトラクションは営業しているようだ。遊園地の中にはロブスター専門のレストランもあったような気がするのだが、ハッキリとは覚えていない。私をこの場所に招待してくれたのは、読者さんのRさんだ。Rさんはエプロン姿でニコニコしながら遊園地について説明してくれた。彼女の手には金槌かノコギリのような工具が握られていた気がする。私は(遊園地を手作りしてしまうとは、仙台の人はなんてパワーがあるんだろう!)と感心している。

【解説】 今夜の夢の中で、私は実際に遊園地の中で遊んだような気がするのだが、残念ながら詳細は思い出せない。Rさんは実在する30代の女性で、色々な物を手作りしては送ってくださる手先の器用な人だ。今夜の夢の中では遊園地まで手作りしていたが、さすがにそれはないと思う(笑)。なお『夢の事典』によれば、「遊園地」の意味は「子どもの頃に帰って無邪気な遊び心を取り戻したい/スピードやスリルを味わいたい気分」、「ロブスター(海老)」の意味は「防衛本能/母性のシンボル」とのことである。
【後日談】 私の夢について知った仙台のRさんから、早速メールでご連絡を頂いた。それによればRさんは先月31日に「頂き物のオマールエビを山ほど食べた」とのこと。また今月4日にはDIYセンターの話でお客様を迎え、「仙台のお店は10円で買った木を切ってくれるが、東京では50円かかる」という話で盛り上がっていたのだそうだ。さらにRさんはお客様に向かって「のこぎりとミシンは、私やらないのよ」とも発言したという。今夜の夢はRさんの実生活のイメージをぼんやりと“透視”していたように思うのだが、いかがだろう。ちなみにRさんは(数年前、まだ私がRさんのお顔を一度も拝見したことがなかった時点で)私の夢の中に現われたことがあった。そのときはRさんに頼んで、複数の同年代の女性が写った写真(そのなかのひとりがRさん本人)を送って頂き、そのなかから私が夢の中で見た女性を当てるという実験を試みたのだ。するとやはり、私が夢で見た人と瓜二つの女性(髪型だけ微妙に違っていたが)が写真に写っていたではないか。今夜の夢の件も含め、Rさんと私の間には一種の以心伝心のようなものが働いているのかも知れない。


6日●大きな箱の中の女性
一辺が数十センチほどの大きな箱。その中には、膝を抱えて蹲(うずくま)った人間(おそらく女性)がいるらしい。しかし、箱の中を覗いて見たかどうか、そのあたりの確かな記憶はない。

【解説】 今夜の夢には何かもっと具体的なストーリーがあったのだ。しかし目が醒めてみると、「大きな箱」「その中に入った人間(おそらく女性)」というイメージしか思い出せない。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「箱」の意味は「女性の象徴」とのことである。箱と言えば、半月ほど前に『魍魎の匣(はこ)』という映画の試写会を見た。この映画では、事故で手足を失った美少女が小さな箱の中で(ある種の美しい植物人間として)生かされていた。そのストーリーが今夜の夢に影響しているのかどうか、そのあたりの因果関係も定かではない。



7日●大きな白い箱の中の黄色い大蛇
大きな部屋。私はその部屋の一方の端にいる。目の前には巨大な純白の箱が置かれている。一辺が1メートルほどの立方体だ。蓋を開けると、箱の中には驚くほど巨大な蛇がいた。おそらくにしき蛇だったと思う。蛇のからだは黄色で、おとなしくじっとしている。(これは非常に縁起が良いのでは?)と思ったところで目覚まし時計が鳴り、夢は唐突に終わってしまった。

【解説】 今夜の夢には、前段に長いストーリーがあったことは間違いないのだが、どうしても思い出すことが出来ない。それにしても、今夜も昨夜に引き続き「大きな箱」の夢である。『夢の事典』によると、「蛇」の意味は「金運/副収入が入る報せ」、「黄色」の意味は「太陽・幸福・喜びの象徴/直観力/行動力」、「(蓋や扉などを)開ける」意味は「新しい可能性を見つける前ぶれ」だそうである。



8日●母と娘を間違える
私は小綺麗な和室にいて、座布団に座ってお茶を飲みながら母と話していた。暫くしてふっと気がつくと、今まで母と思っていた人は、実は娘だった。しかしよくよく考えるとそれは間違いで、最初に話していたのが娘で、気がついたときには母に変わっていたのかも知れない。どちらにしても母と娘を間違えていたことは確かなようだ。(ふたりの顔は全然似ていないのに、何故間違えたんだろう?)と不思議に思ったところで目が醒めた。

【解説】 何やら意味のわからない夢だった。今月は4日にも「母と娘」が主題の夢を見ている(もっとも、4日の夢に登場した母娘は私の血縁ではなく、赤の他人の母娘だったが……)。今夜の夢の中で、私は自分の母と娘を間違えていた。そう言えばこのふたりは、外見は全く似ていないが内面にどこか共通するところがある。



9日●……
【解説】 今夜は非常に長い夢を見たような気がするのだが、残念ながら少しも内容を思い出せない。



10日●学生時代の男友達との遭遇
場所その他の状況は全く思いだせないのだが、気がつくと目の前に学生時代の男友達がいた。私たちは懐かしそうに道端で立ち話をしている。話の内容は単なる世間話だったような気がするのだが、具体的には思い出せない。おそらく私たちが出会うのは30年ぶりぐらいなのだろう。しかしお互いに姿形は変わっていないらしく、違和感はまるでない。相手は終始、楽しそうに笑っていたような気がする。暫く話した後、私たちはそのまま「じゃあ」と手を振って別れたようだ。

【解説】 今夜の夢の中で逢ったのが誰だったのか、実はどうしても思い出すことが出来ない。懐かしさの感じからして、学生時代の気軽な友人だったことは間違いないと思うのだが、目が醒めてみるとその人の顔すら思い出せないというのはおかしな話だ。おそらく、長いこと逢っていない高校時代の友人(T・IさんまたはK・YさんまたはO・Iさん)ではないかと思うのだが……。いずれにしても懐かしい雰囲気の残る夢だった。



11日●ハトコの家で御馳走になる
気がつくと山奥の一軒家のようなところにいた。そこはハトコの実家らしく、広い部屋の中央に設置された掘り炬燵には、ハトコと、その母、そして姉たちが座って歓談している。どうやら今は夜のようで、炬燵の上には食べ物が所狭しと置かれている。「真美ちゃん、遠慮しないでたくさん食べて」と言われ、この家で漬けた野沢菜漬けを食べた。素朴でとても懐かしい味がした。しかし私は今、あまり食欲がないのだ。そのことを悟られないように、私は無理に微笑みながら座に加わっている。

【解説】 今夜の夢に登場したハトコは、祖母の姉の娘の娘である。年齢が1歳違いということもあって、子どもの頃は時々遊んだものだ。そう言えば最近は全く逢う機会がないが、どうしているだろう。こんな夢を見たことだし、久しぶりに連絡をしてみようと思う。

【後日談】 夢から覚めた直後、やはり起床してきた娘が「今夜はハトコの夢を見たよ」と言うのには驚いた。彼女の夢に登場したのは「祖母の姉(または妹?)の孫息子」という設定の13〜14歳の男の子だったそうだ。そんな男の子は実在しないのだが、それにしても娘と私が同じ夜に「ハトコ」の夢を見るとは面妖である。この夢日記を通しで読んでくださっている方は既にご存知のように、娘と私はしばしば似た内容の夢を見る。現実世界でふたりのあいだに「ハトコ」の話題など出たことがないだけに、何故揃いも揃って「ハトコ」の夢を見たのか、不思議でならない。


12日●神官との会合
緑の多い山の中。何故、どういった経緯で自分がここにいるのかはわからないが、私は霊的な感じのする広い畳の部屋に正座しており、目の前には非常に徳の高い神官が座しておられる。一目で神道関係者とわかる。私たちは新年の会合を持っていたようだ。あたりには清冽な気が漲っている。

【解説】 記憶している限り、非常に短い夢だった。神官と言葉を交わしたのかどうか、それすらも定かではない。全体に霊的な余韻の残る夢だった。



13日●ベルトコンベアを流れて来る楕円形のエネルギー体
前後関係は思い出せないのだが、気がついたとき私は広く薄暗い部屋の中にいた。何か知的な物を製造している工場か研究室のような雰囲気。近くに2〜3人、ごく親しい人たちがいるような気もする。手を上げてようやく届くほどの高さのところにベルトコンベアがあって、その上を色々な物がぐるぐる回って来る。娘(?)がそのうちの一つを指差し、「あれ取って」と言った。娘が欲しがっているのは直径20センチほどの変則的な楕円形の物体で、金属ほど硬くはないがゴムほど柔らかくもなく、光または炎または熱に関係した働きをするという。一種のエネルギー体なのかも知れない。私の左隣に立っている男性(最初から最後まで顔は見えない)が手を伸ばし、その楕円形を取ろうとしているところで目が醒めた。

【解説】 今夜の夢は非常に長く、ベルトコンベアの上を楕円形が流れて来る場面は夢全体のごく一部に過ぎなかったのだ。しかし惜しいことに全体のストーリーは全く思いだせない。目が醒めた瞬間に強く覚えていたイメージは「光・炎・熱」だった。



14日●高層ビルの屋上から一万円札を撒く
それほど広くはない正方形の敷地の上に建った、恐ろしく高いビル。私はその屋上にいて、くるくる旋回しながら宙を飛び跳ねている。両手の中には何千枚もの一万円札。それを「花さかじいさん」のように気前よく撒き散らすと、地上を歩いていた何百人もの人々が大歓声をあげながら札を求めて一斉に走り出した。おそらく官庁街なのだろう、地味なスーツ姿の男女ばかりだ。狂ったように一万円札に群がる人々を見ているうちに、(こんなことをして交通事故でも起こったら気の毒だから、やはり一万円札を撒くのはやめよう)と私は考え始めている。

【解説】 時間にして1〜2秒の非常に短い夢だった。「一万円札を撒き散らす」という現実ではあり得ないストーリーもさることながら、私自身としては、高層ビルの屋上で旋回しながら飛び跳ねていたことのほうがより印象的だった。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「お金」の意味は「生命エネルギーや愛情の象徴/出世欲/権力欲」、「高層ビル」の意味は「社会のシンボル。ビルが高ければ高いほど上昇志向が高まっている」、「ジャンプする」の意味は「もう少しで目標をクリアできる証拠」とのことである。



15日●赤い閻魔天
気がつくと薄暗い回廊のようなところを歩いていた。ときどき視線の端に炎のような緋色が見える。ぐるぐる回っているうちに正面に巨大な赤い塊(かたまり)が見えてきた。よく見ると閻魔天ではないか。私はカメラを持って来なかったことを悔やみながら、(夢に閻魔が現われるのは生まれて初めてかも知れない。密教の勉強をしていると色々なことが起こるものだなあ。それとも、YamadasとYamaのご縁だろうか)などと思っている。

【解説】 今夜の夢には前後に別のストーリーがあったと思うのだが、目覚めた時に覚えていたのはこの部分だけ。ちなみに「YamadaとYamaうんぬん」の意味は、以下のとおり。閻魔はもともとインドのヒンドゥー教における冥界の王で、原語ではヤマ(Yama)という。私は以前「山田家」を意味する「yamadas.jp」というドメインを使っていたが、これをインドの言葉で解釈すると、Yama(閻魔)+Das(眷属)で「閻魔一族」の意味になる。そんなことから私の元ドメイン(yamadas.jp)は、インドの友人からは「最強のドメインだ!」「怖っ」などと言われていたのである(笑)。そんなわけで、日本ではありふれた山田姓は、インドの語感としては閻魔天に近いのである。それにしても今夜は何故、閻魔天の夢を見たのだろう。思い当たる節はないのだが。

【後日談】 この夢を見た数時間後、東京メトロの駅に貼ってあったポスターを何気なく見たところ、「閻魔」の文字が印刷されているのが目に飛び込んできた。よく読んでみると、深川のお寺で開催される閻魔関係の法要の告知であった。法要のスタートまで数時間あったので、「閻魔」の文字に惹かれ、時間を作ってお寺に行ってみることにした。このお寺に関する事前の知識は全くなかったのだが、着いてみれば何のことはない、そこは空海ゆかりの真言宗の寺院。しかもお堂の中には、夢で見たものと同じ巨大な赤い閻魔像が鎮座していたではないか。これには心から驚いた次第である。ちなみに、このお堂の名前は「真言宗豊山派賢臺山法乗院閻魔堂」、場所は深川2丁目である。


16日●土産物屋で旧友への贈り物を探す
最初に、リクルートでアルバイトしていた時代の女友達数人と一緒に食事会をしていたような気がする(但しこの場面には具体性がなく、イメージしか残っていない)。次に気づいたとき、私は広々とした土産物屋のフロアにいた。地方都市なのだろうか、辺りにはプチ田舎に特有の閑散とした雰囲気が漂っている。私は小さなオモチャのような商品をいくつか手に取って眺めながら、女友達のSさんの笑顔を思い出している。Sさんもリクルートに勤務していた女性だが、今日の食事会には姿を現さなかった。この小さなオモチャを土産に買って行ったら、Sさんは心から喜んでくれるような気がする。そう言えばSさんはどんな時にも笑顔の女性だった。ずっと逢っていないSさんが妙に懐かしい。そのあと、夢の最後のほうでSさんに逢いに行ったような気がするのだが、気がつくとSさんの顔は何故か茶道の荒井先生に変わっていた。

【解説】 今夜の夢の中で私は何のオモチャを買ったのだろう。覚えているのは土産物屋の店内を歩いている場面だけで、品物を選んだ記憶や購入した記憶はないのだ。Sさんは、私が大学時代にリクルートでアルバイトをしていたときの女友達。とても誠実で優しい人で、確か私より5歳ほど年上だったと記憶している。その後は一度もお目にかかっていないが、今はどこでどうしていらっしゃるのだろう。普段は思い出すこともないし、現実世界ではもう二度と逢えないであろう人だけに、こうして夢に現われるのは実に不思議なことだ。



17日●大胆な口紅使いと世にも不運な男性
目の前の壁面に、横に長い鏡が嵌め込まれている。7〜8人が並んで立っても余りある長い鏡だ。私はその前に立って口紅を引いている。すぐ左隣には娘が立っているらしく、間断なく声が聞こえてくる。しかし私は鏡に映った自分の口元ばかりを注視しているので、娘の姿はまるで見えていない。娘が、知り合いの男の子のことを話し始めた。具体的な内容は思い出せないのだが、それは実に全く不運で哀れな話だったようだ。話を聞き終えた私が「そんなヒドイ目に逢ったら、普通なら生きていけないほどのショックを受けるかもね。その男の子、自殺したりしないでちゃんと生きてる?」と尋ねると、娘からは「ところが驚いたことに、事件のあと彼はむしろ強く生き残っているのよね」との答えが返ってきた。私は感心しながら「見かけよりも強い子なんだね」と応じた。そうやって娘とお喋りしている間も私はずっと口紅を塗り続けているのだが、その塗り方がどうにも奇妙で、上唇の左端から塗り始めて、そこから一筆書きで一気に右端へ進み、そのまま下唇の右端から左端へとリップスティックを動かし、最後は唇から左側に勢い良くはみ出して上方へ跳ね上げるように描き終えるのである。まるで書道の達人のような、大胆かつ芸術的なリップスティックさばきだ。しかも、そうやって何度も何度も口紅を上塗りしているにもかかわらず、色がさほど濃くならないのも不思議なことだ。そのあと私はどこか別の場所(ギリシャのエーゲ海?)へ行ったような気がするのだが、残念なことに具体的な内容は思い出せない。

【解説】 昨夜は娘が借りてきた『それでもボクはやってない』という映画を観た。これは、主人公の若い男性が痴漢の冤罪でひどい目に遭う話なので、そのイメージが夢に投影されたのかも知れない。なお現実世界の私は、基本的に口紅は使わず、もっぱら色の薄いリップクリームを愛用している(口紅の匂いと味が嫌いなので)。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「口紅」の意味は「もっと自分を表現しなさい」とのことだが……既に十分に自己表現していると思う(苦笑)。



18日●息子とふたりで机を拭く
前後関係は全く思いだせないのだが、私は学校の教室のようなイメージの部屋にいて、たくさん並んだ机の上を一生懸命ぞうきんで拭いていた。すぐ近くには息子がおり、彼も腕まくりをして机を拭いている。私たちは何か楽しいことを話しながら、しかし仕事のスピードは少しも落とさずにテキパキと机を拭いている。そのプロセスがとても気持ち良いと思う。いつの間にか逞しい青年に成長した息子を眺めながら、私は頼もしく思っている。

【解説】 今夜の夢では「拭く」という行為に何か深い意味が隠されていたような気がする。しかし、いつもお世話になっている『夢の事典』(日本文芸社)には、「掃除する」の解説はあっても「拭く」の意味は書かれていないのだ。ちなみに息子は現在インターの11年生(日本で言うところの高校2年生)。末っ子のせいか、私の夢の中では3歳前後の小さな男の子として登場することが多い息子だが、今夜の夢では逞しい青年(現実のとおり)として登場した。息子に関しては最近とみに「逞しく成長してくれたな」と思うことが多いので、その安堵の気持ちが今夜の夢には現われたのかも知れない。それにしても「拭く」の意味は何なのだろう。ご存知の方がいらっしゃいましたら是非とも教えてください。



19日●ヌードを盗撮された女優と赤いシャワー室
屋外にある大きな露天風呂またはプール。そこにひとりの女優がいる。顔を見た瞬間、(あ、有名な女優さんだ)と思うのだが名前は思い出せない。その近くにはテレビの撮影クルーがいる。彼女は「ヌードは撮らせない」という条件でカメラマンの入場を許したようだ。カメラマンとの約束を信じた女優は、裸になって入浴している。ところがカメラマンは、ガラス扉に映った彼女の裸体を盗撮していたのである。女優は「そんな話、聞いていません」と抗議しているが、カメラマンは「僕は貴女の裸体を撮ったのではなく、あくまでもガラス扉を撮っただけですから」と嘯(うそぶ)いて取り合おうともしない。結局、その番組は生放送でオンエアされてしまっていた。私は心の中で(この女優さんは無闇に他人を信じすぎる)と思っている。その間の私は、着衣のまま温かい湯に浸かって一部始終を傍観していたようだ。場面が変わり、私はシャワールームに入って行った。そこは女性専用のシャワールームで、簡易個室になったシャワー室が20〜30室ほど並んでいただろうか。扉の上のほうが磨りガラスになっていて、何故かそこだけ赤く塗ってある。そのため部屋全体が妙に赤く見える。血を連想させるようなその赤色を私は好きになれない。(何故、赤く塗ったりしたのだろう)と思いながらシャワーを使おうとするのだが、何故か私はどのシャワー室も気に入らない。私は自分の第六感を信じ、シャワーを使うのはやめたようだが、不思議なことにこの間も(シャワーを浴びていないにもかかわらず)全身に温かいお湯を浴びていたような気がするのだ。この前または後に別の場所へも行ったと思うが、その部分は思い出すことが出来ない。

【解説】 今夜の夢でヌードを盗撮されていた女優が誰だったのか、起床してみるとどうしても思い出すことが出来ない。イメージとしては目がパッチリ大きく、背はあまり高くない、いわゆる可愛い系の昭和50年代頃の女優さんだった気がする。今夜の夢でいちばん不思議かつ印象的だったのは、自分自身が温泉やシャワー室へ行ったにもかかわらず服を脱がなかったことと、服を脱がないにもかかわらず温かいお湯を浴びていたことだ。『夢の事典』(日本文芸社)によれば「温かいシャワーを浴びる」の意味は「悪い考えを捨てて正々堂々とした道を選んだ証拠」。「脱ぐ」の意味は「自分を変えたいという気持ちの反映」とあるので、逆の「脱がない」の意味は「自分を変えたくないという気持ちの反映」なのだろうか? ちなみに「赤色」の意味は「情熱/怒り/客観的に自分を見つめなさい」だそうである。



20日●エーゲ海と緑の帯と4皿のディナー
気がつくと南国風の島を歩いていた。そこは起伏のある島で、白く細い歩道が長く続いている。右側には紺碧の海が広がっており、一目見てエーゲ海だと思う。しかし、すぐ近くを歩いていた人の姿がお遍路さんのように見えたので、(もしやここは瀬戸内海では?)とも思う。だが、もう一度ゆっくり見直すと、やはりそこはエーゲ海だ。そしてここはサントリーニ島に違いない。坂道になった例の通路を歩いて行くと、左側に土産物屋が見えてきた。店に入った私は、店主か誰かから緑色の素敵な帯を贈られた。そのあとどこかで白い蛇を見たような気もする。場面が変わり、私はレストランで食事を楽しんでいる。連れがいるようだが、その人の顔は全く見えない。楽しい雰囲気。私たちは既に4皿のメニューを食べ終えたようだ。2皿目がタコのカルパッチョだったことは確かだが、それ以外の3皿が何だったかは思い出せない。注文してあった5皿目がテーブルに運ばれて来ると思った途端、目覚まし時計が鳴って今夜の夢は終わってしまった。

【解説】 今月は17日にもエーゲ海へ行く夢を見た。しかし現実世界では最近エーゲ海へは行っていないし(※最後に行ったのは4年半前)、行く予定も全くない。どういう理由でエーゲ海が繰り返し夢に現われるのかは謎である。また、今月は7日にも黄色い大蛇の夢を見ており、蛇の夢はこれが2度目である。金運アップのお告げだろうか(だと良いのですが(笑))。

【後日談】 この夢を見た半日後、お茶の教室で驚くべき出来事があった。なんと、お師匠様から緑色の帯を譲り受けたのである。全く予期せぬ贈り物であっただけに、夢との一致が本当に不思議でならない。それにしても今月は正夢が多い。今夜で6回目だ。このところ自分の勘が非常に冴えているように感じる。七福神のご利益だろうか(笑)?


21日●Can't Take My Eyes Off You
前後関係はわからないが、気がつくとカラオケルームにいた。既に曲のイントロが流れ始めている。"Can't Take My Eyes Off You"(『君の瞳に恋してる』)だ。私は急いでステージに向かうのだが、最初の歌詞を思い出せない。それに、あんな難しい歌を歌えるだろうか。この曲を成功させるためのポイントは、女性ヴォーカリストの脇でただ体をクネクネさせて踊るだけのキモい男性2人組の存在だが、その役をこなせるような男が果たしてここにいるだろうか。前奏が終わりかかったところで、私はようやく最初の歌詞((You're just too good to be true...)を思い出した。暗い部屋の中には大勢の人がいるらしい。私はそちらに向かって「誰かBoys Town Gangの2人組の男の役をやってくれない?」と大笑いしながら頼んでいる。そのあとこの曲を歌ったのかどうか、事の顛末は全く覚えていない。

【解説】 今夜の夢には長いストーリーがあったようにも思うのだが、その間ずっと"Can't Take My Eyes Off You"が聞こえていた気がする(理由はわからない)。なお、“キモい男性2人組”の意味がわからない方はこちらを見て爆笑してください。



22日●オカマか否かの判定会
学校の教室のようなところ。年齢も性別も国籍も異なる大勢の人たちが、ある人は緊張した面持ちで、またある人は愛想笑いをしながら立っている。ここはオカマであるかどうかを判定する会場だ。ここでオカマと判定された人には一生「オカマ」という枕詞が付いて回るらしい。おかしなことに、判定されるのは男だけでなく、男女両方だ。(女のオカマなんて聞いたことがない)とは思うのだが、とにかくそういうシステムと言うか規則なのだから仕方がない。私は黙って周りの人を観察している。すぐ近くには30歳前後のヤサ男がいて、「私は人畜無害なので許してください」とでも言いたげな弱々しい笑顔を見せている。彼はいいトシをして母親に付き添われて来たようだ。和服姿の教育ママ風の母親が、まるで息子を庇うように横に立っていた。この男性がオカマと認定されるのかどうか、とても興味がある。私は最後までその場所に居残り、彼に対して下される判定を拝聴することにした。暫くして彼の順番がめぐって来た。判定の結果、彼はオカマではないということになった。(しかし、この判定は一体誰が下しているのだろう)と思ったところでいきなり目が醒めた。

【解説】 起床して真っ先に思ったのは、(何故オカマの夢など見たのだろう)ということだ。昔の日本では「男らしい」とか「女らしい」とか「オカマっぽい」などの評価を日常的に平気で下したものだ。しかし今は、そういう発言自体がほとんど聞かれなくなったし、「男らしさ」「女らしさ」のそもそもの定義からして根底からカンペキに崩れ去った感がある。そのなかで、今夜は何故「オカマ」の夢なのか(笑)? そう言えば先日、とある人から人生相談を受けたときに、私が思ったことをストレートに発言したところ、「真美さんの考え方は本当に男らしいですね」と感心された。私はよく人から「考え方が男っぽいですね」と評されるが、それにしても「男らしい」と言われるのはレアなケースだ(笑)。それで思い出したが、先日、いかにも“軟弱〜”で“日和見主義〜”で周囲の空気は読めても自分の主張は持たない男性の集団と食事をする機会があった。そのとき心の中で叫んだ「貴様ら、それでも日本男児か!」という気持ちが、もしかしたら今夜のオカマの夢に繋がっているのかも知れない(苦笑)。



23日●年老いたシーク教徒
最初、私は非常にエキゾティックで妖しげな印象の外国にいて、何やらとてつもなく面白い“活劇風”の冒険をしたような気がするのだが、この場面の具体的な内容はどうしても思い出すことが出来ない。次に気づいたときは、異国情緒あふれる街並みの中に佇んでいた。すぐ左側には、いかにも堅牢そうな灰色の城壁があって、周囲を大勢の人々が行き来している。インド人の姿が見えたような気がする。私は城壁の中にある建物の一室で、年老いたシーク教徒に逢った。彼は綺麗な青いターバンを巻いた矍鑠(かくしゃく)とした老人で、体は細め。非常に頭が冴えており、眼光も鋭い。私はこのシーク教徒から、3人組の男に関する話を聞かせてもらった。それは非常にユニークなストーリーだったと思うのだが、内容は思い出せない。話の最後に老人から、「貴女はこの3人組にもう逢ったかね?」と質問された。それに対して私が何か答えようとした瞬間に目覚まし時計が鳴り出し、夢は唐突に終わってしまった。

【解説】 目が醒めてから「3人組の男」の話の中身を思い出そうと努力してみたのだが、どうしても思い出すことが出来ない。ちなみに『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「数字の3」は「創造性」、「青色」は「創造力」、「老人」は「知恵」、「壁」は「保護してくれるもの/障害」をそれぞれ意味しているそうだ。



24日●お母さんを送ったほうがいいんじゃないの?
前後関係は思い出せないのだが、気がつくと私は友人のTさんが運転する車の助手席に座っていた。車が止まった場所は長野市の実家の前だ。辺り一面に雪が積もっていたかも知れない。母が手を振りながらどこかへ出かけようとしている。私も手を振って答えている。Tさんは私のほうに顔を向け、無言のまま視線で(お母さんを送って行ったほうがいいんじゃないの?)と尋ねてきた。私は心の中で(確かに母を送って行ったほうがいいかも知れないが、母には母の予定があるだろうから、送るとかえって邪魔になる恐れもある。それにしてもTさんは優しい人だな)と思っている。

【解説】 実家の母は75歳になるが、その年齢が信じられないほど健康で活発な人だ。いつ電話をしても「今日は友達とお芝居を見に行くから」、「今日は若いお友達と食事なのよ」、「今日は吟行」などと言っては外出している。いまだに老眼鏡を使わず裸眼で読書しているし、歯がすべて健在なのは言うまでもない。しかしそうは言っても75歳は75歳だ。私の頭の片隅には常に(母は今日も元気かな)という気持ちがある。今夜の夢はそんな気持ちが現われたものと思われる。



25日●部屋を占拠する見知らぬ女性たち
気がつくと実家の自室にいた。私の横には誰か親しい相手(娘のLiA?)もいて、私達は畳に正座している。驚いたことに、同じ部屋には見知らぬ若い女性が3〜4人おり、こちらに挨拶もなしに部屋の半分以上を占拠してしまっている。私たちが呆れ果てているのにもお構いなく、彼女らは大声でお喋りをしたり物を食べたりしていて、この上なく下品だ。そのあと場面が変わり、私はどこかへ出かけた。そこで何か巨大な円形(あるいは円盤形)の物を見たような気がするのだが、残念ながらその詳細は思い出せない。

【解説】 昨晩に引き続き、今夜も何故か実家の夢である。今夜の夢でいちばん大事なストーリーは、むしろ忘れてしまった後半部分にあったような気がする。夢はいったん忘れても何かの拍子に急に思い出すこともあるので、もしも後日思い出したら追記することにしよう。



26日●下品な女性にストーキングされる
最初に大きな家が見えたような気がする。そのあと私は旅に出たらしく、ほうぼうを忙しく歩き回っている。それは良いのだが、すぐ横に感じの悪い女性がいて、ストーカーのように付いて来るのには全く閉口する。彼女はいつも口を半分開けてニヤニヤ笑っており、微塵も知性が感じられない。しかも、私の一挙一動に対していちいち下品なコメントをするのも気味が悪い。(どうしてこんな人が付いて来たのだろう)と思いながらも、私は黙ってポーカーフェイスを貫いている。

【解説】 今夜の夢に現われたストーカーは、実在する女性だ。彼女は学生時代の知人だが、現実世界でも空気が読めないというか、ややエキセントリックな人だった。長いこと逢っていない相手だが、何故こんな形で夢に登場したのだろう。もしや現実世界でも再会する予兆なのだろうか。



27日●……
【解説】 今夜は修士論文執筆のためほとんど眠っておらず、そのためか見た夢を忘れてしまった。



28日●英語版「人生は山あり谷あり」
前後関係は思い出せない。気がつくと私は学校の教室らしき場所におり、机に向かっていた。今はテストの時間なのかも知れない。机の上に置かれた紙はどうやら問題用紙なのだろう。最初に大きく"Life has its peaks and valleys."と書かれていて、その下に「@この英文を和訳しなさい。Aこの英文の間違いを指摘しなさい」とあった。私は回答欄に「@人生は山あり谷あり」と書いたあと、少し考えてから「A私の人生は山あり谷ありどころではない。表現としてpeaks and valleysでは弱いので、むしろ"My life has its Mt. Chomolungmas and Marian Trenches.と言いたい」と書き込んだ。ほかの学生たちはまだ机に向かっているようだったが、私はさっさと問題用紙を提出し廊下へ出て、次の仕事に向かった。但し、このあとどこへ行って何をしたのか詳細は不明。

【解説】 何やら唐突な印象の夢だった。「人生は山あり谷あり」を英語で言うと、普通は"Life has its peaks and valleys."とか"Life has its ups and downs."となるわけだが、夢の中の私は心の中で「自分の人生はそれどころではない」と思いながら、「我が人生はチョモランマ山ありマリアナ海溝あり」と書き込んでいた。我ながらおかしな夢であった。



29日●壁に卵を投げつける学生たち
見知らぬ学校。大きな講堂のような建物があって、私がその横を歩いていると、突然何かが耳元をかすめて飛んで行った。驚いて振り向くと、高校生または大学生と思しき男の子たちが大声で笑いながら、講堂の壁に向かって次々に卵を投げつけているではないか。私は心の中で(この学校は一体どういう教育方針なのだ?)と驚き呆れながら、約束の場所に向かって急いだ。キャンパス内の別の場所でここの学長らしき人物と逢い、真面目な話をしている間も、あちらこちらで学生たちが卵を投げつけている嬌声と、卵が建物に当って割れる音が聞こえてくる。学長はそれを聞いてもまるで気にしていない。どうやら卵投げはこの学校の公式行事らしいのだ。「食べ物で遊ぶのは不謹慎ですよ」と学長に言おうとしたところで場面が変わり、私はどこか全く別の所にいた。そこでもまた何らかの事件に巻き込まれた気がするのだが、詳細は思い出せない。

【解説】 昨夜に引き続き、またしても学校の夢である。この夢を見て思い出したのだが、そう言えば10年ほど前だったか、某エリート学校のPTAが「卵投げ大会」を企画したことがあった。たまたまその計画を事前に知った私は、責任者に逢って「卵を投げるなど言語道断。食べ物を粗末にするような企画はやめてください」と直談判し、計画を未然にストップさせた。あのときの何とも言えないイヤな気持ち(食べ物を粗末にするなんて最低だと私は思う)が蘇った感じの夢だった。



30日●卑しい敵から攻撃される
前後関係は思い出せないが、気がつくと私は巨大な城壁の前に立っていた。と思う間もなく、向かって左側から恐ろしい勢いで爆弾が飛来。続いて機銃掃射が始まった。攻撃してきたのは“某国”の軍隊だ。彼らは「境界線」と呼ばれる線(国境のようなものか?)のギリギリ内側をめがけて爆撃してくるのだが、それは「我々が攻撃しているのはみずからの領土内であって、日本の領土には攻め入っていない」という口実を残しておくためらしい。しかし実際には、被弾の衝撃による被害が日本国内のあちこちで出始めている。“某国”は日本人が苦しむ姿を見て陶酔している。その顔は実に卑しく、まるでケダモノだ。私はかなり冷静な精神状態で全体の様子を観察しながら、次にどのように行動すべきか策を練っている。私のすぐ近くには数人の参謀がいて、彼らからは知的で落ち着いたオーラが感じられる。この時、味方から連絡が入り、“某国”が用いた兵器が化学兵器または細菌兵器であったことがことが判明した。ところがこの季節の風向きの関係で、それら有毒物質はすべて“某国”の方角へと流れ始めた。この期に及んで“某国”はようやく己の行動の間違いに気づいたようだが、時すでに遅し。この国の国民のあいだで甚大な健康被害が出始めた模様だ。私は高い丘のようなところに立ち、少し醒めた気持で(人間とはなんと愚かな生き物だろう)と思っている。

【解説】 昨夜の「卵投げ」に続き、今夜は「化学兵器または細菌兵器の機銃掃射」。似たようなパターンの夢が二晩続いたわけだが、夢の中で受ける被害は確実に拡大したようだ。今月は23日にも「城壁」の夢を見ている。このような夢を続けて見る理由として、私の中にある世界平和に対する重大な危機感が挙げられるだろう。そう言えば数日前、日本の防衛省幹部を含む各国の軍人とランチをご一緒する機会があった。そのようなことも、今夜の夢には反映しているのかも知れない。



31日●……

【解説】 今夜も仕事のためあまり眠る暇がなく、そのためか見た夢の内容を思い出せない。





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