2008年3月

1日●いかりや長助&高木ブー
ドリフターズのリーダーで今は亡きいかりや長助さんと、高木ブーさんの姿が見える。私たちは、少しレトロなインテリアの喫茶店で、スプリングの効いていない硬いソファーに座っている。いかりやさんが真面目な面持ちで、演劇に関係のある哲学的なお話をしてくれているようだ。私は相槌を打ちながらお話を聞いている。

【解説】 この夢を見る直前、仕事の関係で俳優の小泉孝太郎さんにお目にかかった。小泉さんはドリフターズのメンバー全員と同じ芸能事務所所属で、いかりやさんの最後の弟子でもいらっしゃる。これとは別に、先日、誕生日に友達から「ご飯を奢ってあげる。どこか行きたい店はある?」と尋ねられたとき、私は迷わず「麻布十番にある高木ブーさん経営のハワイアンバー“Boo's Bar”へ行ってみたい」と答えていた。ここは何年も前から「一度行ってみたい!」と思っていたお店なのだ。ところが、調べてみるとお店は既に閉店してしまっていた。これら2つの出来事が原因で今夜の夢を見たらしいのだが、夢の中でいかりやさんから何を言われたのか、その内容は残念ながら全く覚えていない。



2日●道の間違いを教えてくれるオジさん
見知らぬ街。入り組んだ道。先刻から私は或る場所を目指して歩いている。私を頼りにして、後ろをついて来る若い人たちもいるようだ。私が目指している場所は、漢字2文字から成る純和風の地名だったように思うのだが、それが何という名前なのかは定かでない。それにしてもこの辺りの道は平行になっておらず、それぞれが思い思いの角度でめちゃめちゃに伸びているから実にわかりにくい。いくら歩いても目的地に着かないので困っていたところ、平凡な容姿のオジさんが向こうから歩いて来て、私が歩いている道が間違っていることを端的に教えてくれた。オジさんのおかげで私はようやく正しい道を見つけ、改めて歩き出すことが出来た。

【解説】 ごちゃごちゃと入り組んだ道が印象的な夢だった。漢字2文字の純和風の地名を思い出せないのが残念だが、イメージとして、そこは京都界隈だったのかも知れない。



3日●使われなくなった公園
埃っぽい都会の片隅。狭い土地にはビルが林立し、しかも頭の上を高速道路が何本も通っているため、空はほとんど見えない。私は何か用事があってここを通りかかったらしい。高速道路の真下に、猫の額ほどの公園があった。あたりに人影はなく、ブランコや砂場はそのまま放置されている。かつては、ここにも子どもたちの笑い声が溢れていたのだろうか。今は殺伐とした空間を横目で見ながら、私は淡々とその場から歩み去った。

【解説】 使われなくなった公園。これほど淋しく、また悲しいシチュエーションはない。黒沢明監督の『生きる』という映画には、非常に象徴的なモティーフとしての“公園”が登場する。そこは遊具で遊ぶ順番を待つ子どもたちで溢れ返り、驚くほどの活気に満ちている。日本からそのような風景が失われて何年が経ったのだろう。日本の公園が再び子どもたちで一杯になる日は来るのだろうか。



4日●寿老人風のお爺さんに逢う
森の中(?)を歩いていると、寿老人のような雰囲気のお爺さんに逢った。お爺さんは口も動かさず声も出さずに意思を伝達できる達人だ。私は彼から何か特別なパワーを授かったようだが、「夢から醒めたらそのことを口外してはいけない」とも言われ、パワーの記憶はお爺さんの呪文とともに深層心理に閉じ込められてしまった。

【解説】 今夜の夢には前後にも何かストーリーがあったように思うのだが、残念ながら思い出せない。



5日●……

【解説】 今夜は何か楽しい夢を見たことが間違いないのだが(その証拠に、今朝はニコニコ笑いながら起床した)、残念ながらその内容は全く覚えていない。



6日●花園
静けさ。森の匂い。向かって左のほうに花園があるという。英国風の古いガラス窓とカーテン。私は花園をめざす。

【解説】 このところ忙しく、プチ睡眠不足が続いている。そのせいか今日は夢の全体像を思い出せない。夢の断片だけが散らばっていて、それらがどのように組み合わさっていたのかが思い出せないのだ。全体としては、「英国風」「古いもの」「花園」のイメージに彩られていたことは確かなのだが。



7日●赤いスポーツカー
10メートルほど前方に、とても可愛いデザインの赤いスポーツカーが停まっている。全体がやや丸いフォルムで、白っぽいラインが何本かアクセントに描かれている。隣にいたYさんに「あそこに停まってるの、Yさんの車でしょ?」と尋ねてしまってから、Yさんのスポーツカーはもっと車高が低かったし丸味を帯びてもいなかったことを思い出し、「やっぱり違うよね」と訂正した。

【解説】 一瞬の夢。赤いスポーツカーという印象的なアイテムの登場だが、イメージとしては「シャープ/かっこいい」とは程遠い「やわらかい/可愛い」イメージの夢だった。Yさんは現実世界の友人で、赤いスポーツカーを持っている。



8日●田舎道をドライブ
気がつくと私は旧式の赤いランドクルーザーを運転していた。場所は、どこにでもありそうな田舎の一本道。左側にはところどころに民家があり、右側は崖になっている。車内には娘と息子、それに実家の母もいるらしいが、子どもたちは何故か10年前の姿に戻ってしまっている。くねくね道を運転して行くと、左側の民家から突然、老人が出てきた。すぐにブレーキを踏み、老人が安全な場所へと移動するのを待ってから再びアクセルを踏んだ。しかしその直後、今度はガレージからいきなり自動車が飛び出してきた。私は相手の車が適当な場所まで動くのを待つことにしたのだが、それが実に下手くそなノロノロ運転なのだ。私は(早いところこの村から出たほうが良さそうだ)と思っている。

【解説】 今夜の夢に登場した赤いランドクルーザーは、かつて私が10年ほど乗っていた愛車である。重ステ(パワステではないという意味)のマニュアル車だったが、私とは抜群に相性が良かった。もう一度あのランクルに乗りたいと思うが、現在住んでいる東京宅の周辺は道路が狭く、ランクルには向いていない。また山で暮らす日が来たら、そのときは絶対に旧式ランクルに乗りたいと思う。



9日●陽気な女性たちと緑色の靴下
気がつくと、講堂か体育館のような大きな建物の中にいた。私の周囲には7〜8人の陽気な女性たちがいる。皆、日本人にしては背が高く、よく笑いよく喋る人たちだ。年齢は、見ようによって20代にも30代にも40代にも50代にも見える。つまり全員が年齢不詳なのである。そのうちのひとりは、小学校の同級生だったJ子さんとどこか似ている。やがて彼女のもとに、たくさんのグリーンの靴下が届けられた。それを見て、私以外の全員が大歓声を挙げている。意味がわからず首を傾げていると、誰かが私の耳元で「彼女は保険の外交員で、今期の成績が良かったのでグリーンの靴下をたくさん貰えたのよ。グリーンの靴下は保険外交員にとって勲章のようなものなの」と教えてくれた。私は「へえ、そうなの。知らなかった…」と感心しながらその話を聞いた。グリーンの靴下は、5cm×3cmほどに小さく折り畳まれてビニール袋に個別包装されている。Jさんに似たその女性は、皆に靴下をふるまい始めた。私も一足いただき、「ありがとう」とお礼を言ったところで急に目が醒めてしまった。

【解説】 何やら意味のわからない夢だった。たくさんのグリーンの靴下がとにかく印象的だったので『夢の事典』(日本文芸社)で調べたところ、家に上がるとき靴を脱ぐ習慣を持つ日本での「靴下」意味は「礼儀作法/社会常識」、緑色の意味は「繁殖/成長/癒し」とのことである。なお、「外交員の成績が良いとグリーンの靴下がもらえる」などという事実は、もちろんない(と思う)。



10日●愛犬とヒトラー
見覚えのある道を歩いて行くと、懐かしいペットショップの前に出た。ここは5年前にブースケと初めて逢った場所だ。ショーウィンドーに近づいて行くと、ガラスケースの中には、なんと生後2か月のブースケがいたではないか。私はすぐに店の中に入り、ブースケを指差しながら「この仔犬を譲ってください」と店員に告げた。いつ呼んだのか覚えていないが、急を聞いて駆けつけてくれたらしい家族全員の姿も見える。私たちはガラスケースに張りついて仔犬を覗こうとしているのだが、店員が邪魔で肝心の犬が良く見えない。店員は手を挙げて「まあまあ皆さん、これからご説明しますから」と言った。そのときにはもう、私の周囲は家族ではなく他人ばかりになっていた。店員は、何を思ったか突然ヒトラーの話を始めた。唖然とする人々。店員は何物かに取り憑かれたような熱心さで、口角泡を飛ばしながらヒトラーの話を続けている。薄気味悪くなった私は、すぐさまその場から抜け出すことにした。

【解説】 愛犬と独裁者という、全く正反対のモティーフから成る夢だった。これが一体何を意味するのか、本当のところはよくわからないが、今月の私は締切のレポートを多数抱えているほか、日印交流年公式事業として行なわれる講演会や護国寺での茶会などもあって、かなり忙しい。癒してくれるもの(愛犬)と凶暴なもの(独裁者)という極端な組み合わせは、そんな慌ただしい精神状態と関係があるのかも知れない。



11日●桜
果てしなく広がる桜の園。満開の桜が埋め尽くした風景の中を、私は顔を仰向け、桜吹雪を頬で受けるようにしながら歩いている。

【解説】 一瞬の夢。現実世界にはあり得ない、どこまでも無限に広がってゆく桜の園が実に幻想的だった。



12日●24
夢の中で「24」という数字について考えている。その数字がどこから登場したのかは不明だが、誰かが耳元で「24」と囁いたのがそもそもの始まりだったような気もする。そのあと、「24」にまつわる手がかりが幾つか見つかったように思うのだが、それが何だったかも思い出せない。
【解説】 「24と言われて何を連想するか」と言われれば、昔住んでいたアパートの室番号である。そう言えば少し前に「ナンバー23」という奇妙な映画を見たが、そのことも今夜の夢に影響しているのだろうか。娘に言わせると「24」と言えばアメリカのドラマ「Twenty Four」だそうだが、私はそのドラマを知らない。



13日●腹部に螺旋状にからみつく傷痕
誰かのカラダの首から腰までの部分が見える。顔が見えないので、相手が誰なのかはわからない。男性のカラダだったような気がするが、そのへんもハッキリしない。印象的なのは、そのカラダの腰から上に向かって螺旋状の傷があって、その部分が赤い花が咲いたように裂けているということだ。裂けると言っても、内臓や血は見えない。その傷はまるで蔦植物のように静かに、この人間の腹部に絡みつくように存在しているのだ。耽美的な匂い。私は突然、三島由紀夫を思い出している。

【解説】 今夜の夢は、内容を文字に表わすと何やら薄気味が悪いのだが、実際の夢は意外に淡々として美しかった。ちなみに、私の夢には時々三島由紀夫(本人またはそのイメージ)が現われる。そして、三島が登場する夢には決まって“綺麗な死体”も同時に現われる。何かを象徴しているのかも知れないが、それが何なのかはまだわからない。



14日●湾曲した長い鉄パイプ
学校の教室のような部屋。教壇のあたりに銀色の鉄パイプが何本か立っている。どれも芸術的にぐにゃりと湾曲したパイプで、長さは3〜4メートル。床から天井に向かって、まるで植物のように生えている。しかもパイプはゆっくりと蠢(うごめ)いているのだ。私は1本のパイプの上に立ち、落ちないようにバランスを取っている。落ちると何らかの事件が起こるらしいが、それがどんな事件なのかはわからない。

【解説】 起床してから考えてみると、今夜の夢には音がなかった気がする。音のない教室の中で蠢く鉄パイプは、それ自体が既に奇妙なアイテムだが、私は何故その上に立っていたのだろう。そう言えば今夜の夢に登場したパイプは、昨夜の夢の「腹部にからみつく傷」とよく似ていたかも知れない。



15日●日比野克彦さんと池袋を歩く
気がつくと私は池袋サンシャイン近くの路上を歩いていた。今いる場所は東急ハンズの前あたり。右隣を歩いているのは日比野克彦さんだ。私たちは交差点に向かって歩きながら、何か一つのテーマで真剣に話し込んでいる(残念ながらそのテーマが何であったかは思い出せない)。日比野さんは物凄く楽しそうに笑っている。こんなに楽しそうに笑う日比野さんを見るのは初めてだ。もしかしたら、日比野さんはまだ芸大生なのかも知れない。その直後に大きな交差点の手前に差し掛かったところで、いきなり目が醒めた。

【解説】 久々に日比野さんの登場である。夢の中の日比野さんが芸大生だったとすれば、私も明治学院の学生だったのだろうか。そのあたりの時代考証が良くわからない夢だった。



16日●聖母探し
知り合いの女性の中に本物の聖母が混ざっているという報告を受けた私は、知人の顔を一人一人思い出しながら、「彼女は聖母度75点」、「彼女は30点」などと密かに点数をつけている。そのうち、Mさんの顔を思い出した私は心の中で(彼女こそ100点満点、真性の聖母だ!)と思う。そうだ、Mさんは聖母に違いない。この地球上には、まだ本物の聖母がいるのだ。静かな感動が心の中で沸々と湧きおこってくるのを感じながら、(人間も、まだ捨てたものじゃないな)と私は思った。
【解説】 Mさんは実在の女性。私より年上だが、少女のように愛くるしく純粋な人である。『夢の事典』(日本文芸社)に「聖母」という項目はなかったが、「母性」に関係した夢は「現実の自己を見直すべき時」を意味しているそうだ。



17日●子どもの頃に住んだ町を歩く
気がつくと私は、子どもの頃に住んだ町をひとり歩いていた。ひと気のない道路。左側には中学校。校庭にも誰もいない。今日は休日なのか? 道の右側にはクラスメートのN君の家や、M君の両親が経営するクリーニング店、それに行きつけの駄菓子屋などが見えている。今の自分が子どもなのか大人なのかは不明。今からどこへ行こうとしているのかも定かではない。
【解説】 子どもの頃に住んだ場所に来ていながら、私の心には何の感慨も懐かしさも沸き起こっていない。実に淡々とした夢だった。学校の近くでありながら、人っ子ひとりいないのも奇妙なことだ。もしかしたら私は、この町に対してあまり良い思い出を持っていないのかも知れない。この夢を見て、急にそんな気がした。



18日●偽物のアナグラム
前後関係はわからないのだが、私が歩いていると、短冊のような細長い紙が次々に現われる。短冊にはひらがな10文字程度の短い文章が書かれている。それらは日本語として意味をなさない単なる文字の羅列なのだが、アナグラム(文字の順番を組み替え)によって何か意味のある文章が完成するらしいのだ。私は文字をパッと見ただけで瞬時に文字を組み替えることのできるアナグラムの達人らしい。そうやって私は歩きながら何枚もの短冊を受け取り、その場で文字を組み替えては文章を完成してゆく。しかし、それらの文字をよくよく見ると、組み換え前と組み換え語では文字の内訳が微妙に違っているではないか。(これは本物のアナグラムではない。偽物だ)と思ったところで目が醒めた。
【解説】 アナグラムと言えば、数年前に出版した『ブースケとパンダの英語でスパイ大作戦』は英語のアナグラム満載の本だった。「Head man(酋長)」が「A mad hen(1羽の狂っためんどり)」になったり、「Shibata Akira(芝田暁)」が「Shik at Arabia(アラビアのシーク教徒)」になったりするアレである。今夜の夢を見て、またアナグラムを作りたくなった(笑)。



19日●……
【解説】 今夜は仕事でほぼ徹夜だったため、夢を見た記憶がない。



20日●5人目の男
はじめに、4人の男が順番に現われた。4人の顔や素性などは思い出せないが、そのうちのひとりは「ケン」という名前の役者さんだったように思う。若い頃の緒方拳さんだったようにも思うのだが、定かではない。4人が消えてから暫く時間が経った。その間に私は色々な場所へ行き、さまざまな経験をする(但しその内容は覚えていない)。夢の最後に5人目の男が現われた。その人を見た瞬間、(この人だ!)と確信する。待っていた相手にようやく逢えた私は、静かな感激を味わっている。
【解説】 夢の中で5人目の男が現われたとき、私はとても嬉しかったように思うのだが、いざ目が醒めてみると相手がどこの誰なのか全く覚えていない。残念なことである。



21日●Aも合格、Cも合格
何かの試験が行なわれ、その結果が返ってきた。全部で5つぐらいのテスト結果が返ってきたのではないかと思う。私は「A」を4つと「B」を1つ取り、全部「A」でなかったことを残念がっている。ふと気がつくと、手の中に折り畳んだ1枚の紙が載っていた。不審に思いながら中を開くと、そこには試験参加者全員の成績が記してあった。驚いたことに、合格者の大多数は「C」で合格しているではないか。その上の「B」取得者は「C」取得者の10分の1ほどしかおらず、「A」取得者に至っては数えるほどしかいない(ちなみに「D」は不合格のようだ)。私は自分が「A」を取ることにこだわり過ぎていたことを悟り、(「C」でも合格できるなら、気を抜くべき時には適当に気を抜くことにしよう)と思っている。
【解説】 目が醒めてから苦笑いをしてしまった。私は昔から完璧主義なところがあり、どうでもいいようなレポートに関しても細かく推敲し、天爾遠波(てにをは)にまで徹底的にこだわってしまう傾向がある。そのために、人生の時間をかなりムダにしているような気がしないでもない(苦笑)。今夜の夢で私はいみじくも、「気を抜くべき時は適当に気を抜くことにしよう」と思っていた。まさにそのとおり。これからはそうしようと思う。そうに決めた(笑)。



22日●人柱(ひとばしら)
圧迫感のある部屋の中。ヒマラヤの山中のような気がするが、部屋には窓がなく外が見えないので確信は持てない。直径3〜4センチ、長さ5〜6メートルの細長い材木が数百本またはそれ以上、束ねられ、壁に立てかけられている。材木のほとんどは自然な色のままだが、なかには赤、緑、黄色に彩色されたものもある。材木の近くには数人の女がいて、無言で何か儀式を取り行なっている。竈(かまど)に向かって聖なる火を使っているようだ。彼女らは巫女なのだと思う。その近くに、ひとりの痩せた男がいた。彼は生贄として捧げられた人間だ。彼は皆の犠牲になって、とても恐ろしい精神的拷問に耐えなくてはならないのだ。巫女たちがナタのような物を材木に振り下ろすと、ピシッという音を立てて材木に裂け目が入る。材木が倒れると男は殺されるらしい。ナタは何度も何度も振り下ろされ、そのたびにピシッという嫌な音が部屋中に響く。男の眼球が飛び出し、恐怖のため今にも発狂しそうだ。そうやって何度かナタが振り下ろされた。厳かな雰囲気。何度目かのピシッという音のあと、材木の束はメキメキと音を立てて全体が裂けはじめ、あっと思う間もなく内側のほうから炎のような紅蓮(ぐれん)色になって木っ端微塵に砕け散っていった。その瞬間、男はこれ以上ないほど大きく目を見開き、眼球を飛び出させながら絶命した。彼の死体は空気のように消滅してしまった。すべてが終わったあと、私は「人柱」という言葉を思い出し、死んでいった男の冥福を祈りながら、(こういう儀式は彼を最後に廃止すべきだ)と思っている
【解説】 とても重苦しい雰囲気の夢だった。現実世界ではチベット人に対する中国軍の弾圧が続いており、殺されたチベット人の写真がNGOの手で公開されたばかりだ。昨夜はその正視に堪えない悲惨な写真を見てから眠りについた。今夜の夢見が悪かったのはそのためと思われる。



23日●ヒマラヤの洞穴
人里離れた山の中。清らかな空気がみなぎっている。ヒマラヤのようだが、見たことのない風景だ。私は山頂の洞穴の中にいる。洞穴と言っても片側に大きな窓が開いているので、外の様子を一望できるのが素敵だ。ここは瞑想の場所らしい。私は少し前にここへ来たばかりだが、暫く瞑想をしたら別の場所へと去って行くことになっている。人生は旅だと思う。周囲に人はいないが、孤独な感じは微塵もしない。ダライ・ラマ法王はお元気だろうか。私は法王のことを懐かしく想い出している。
【解説】 昨夜に引き続きヒマラヤの夢だが、今夜の夢には昨夜とは比較にならないほど開放的で穏やかなイメージが漂っていた。法王がお元気でいらっしゃることを心からお祈り申し上げる。



24日●ヒマラヤの濁った空
気がつくと私はトラックの荷台の上にいて、黙って空を仰いでいた。周囲の風景は見えないが、どうやらそこはヒマラヤの山中らしい。視界に映るのは、どこまでも拡がる広大な空だけ。あとは何も、山影さえも見えない。周囲には大勢の人がいるようだ。彼らは初めてヒマラヤに来た観光客で、空の蒼さに感動しているらしい。私はこれまでに10回以上ヒマラヤを訪ねており、かつてヒマラヤの空がどんなに蒼く澄んでいたかを今も憶えている。しかし、今この瞬間に目に映る空は、透明な蒼色ではなく、灰色に濁汚れている。やがてトラックは荷台に人々を乗せて、都会(ニューデリー?)へと帰り始めた。私の右側には子連れの母親、左側には35歳前後の寡黙な男性が座っている。どちらも日本人だが、見知らぬ人々だ。子連れの母親が興奮した様子で「本当にきれいな空ですね」と話しかけてきたので、私は少しシニカルな想いになりながら「昔はもっときれいでしたよ。今では随分と濁ってしまいました。大気汚染がここまで進んだのです」と答えた。それを聞くと女性は驚いたように声をあげ、左側で静かに話を聞いていた男性も虚を突かれたような顔をした。私は心の中で(ヒマラヤのような辺境の空まで汚染されてしまったのだから、地球はもうおしまいだ)と思っている。
【解説】 一昨日から数えて、これで3夜連続してヒマラヤの夢である。しかも今夜の夢はヒマラヤの空が大気汚染で濁っているという、何やら不吉な夢だった。昨今のチベット問題を心配するあまりこのような夢を見たのだろうが、今夜の夢には地球の未来に対する不安が色濃く漂っていた。



25日●ダライ・ラマ法王との対話
私はダライ・ラマ法王と向かい合って座っている。話のテーマは「死」に関することだ。二人の間にはヒマラヤ風のカラフルなローテーブルがあって、その上にバター茶の入ったコップが二つ載っている。お茶が冷めてしまったので、私は新しいお茶を淹れるために中座しようとしている。
【解説】 とても懐かしい雰囲気の夢だった。法王とは2004年と2006年に対談をさせていただいたが、これまでに逢ったことのない、やんちゃで誠実でまっすぐな、特別なオーラを持った方だった。法王の幸福をお祈り申し上げる。



26日●ダライ・ラマ法王との対話(続)
気がつくと、再びダライ・ラマ法王と向き合って座っていた。今日の法王は、密教の経典に関することをチベット語でお話しになっている。私は聞き役に回り、何故か編み物をしながら静かに法話に耳を傾けている。
【解説】 昨日に引き続き法王と向き合って座っている夢。とても平和で豊かな時間が流れていたように思う。残念なことに、法王が何のお話をなさっていたのかは思い出せない。



27日●デリケートな三角関係
私はA子さんが苦手だ。A子さんも私が苦手らしい。Bさんは私の友人だ。と同時にBさんはA子さんの友人でもある。A子さんはBさんのことが世界一好きらしいが、私にとってBさんは3番目か4番目に大切な人だ。A子さんと私が敬遠し合っていることを、Bさんは少しも知らない。
【解説】 今夜は、とてもデリケートな三角関係の夢を見たことは間違いないのだが、目が醒めてみると、A子さんが誰でBさんが誰だったのか、さっぱり思い出せない。そのうえ、今夜の夢に具体的なストーリーがあったのかどうかすら思い出せない。現実世界に存在する色々な友人の顔を当て嵌めてみたのだが、A子さんとBさんがそれぞれ誰だったのか、結局思い出せないままだ。夢の中では彼らの顔が鮮明に見えていた気がするのだが……。奇妙な話である。



28日●警察に呼び止められる軽トラック
気がつくと私は車を運転していた。すぐ目の前を白い軽トラが走っている。日本の田舎道でよく目にするトラックだ。おそらくJAが農家に対して最も積極的にセールスしている車種なのだろう。そんなことをぼんやり思っていると、不意に後方からサイレン音が近づいて来た。と思う間もなく右後方から白バイが近づいて来て、「停まれ」と手で合図をしながら軽トラを誘導している。軽トラは大人しく路肩に停まり、白バイもすぐその脇に停車した。トラックは法定速度を守って安全運転をしていたのに、一体どうしたのだろう。不審に思いながら、私は彼らを右側からゆっくり追い越して先へ進もうとしている。
【解説】 一瞬の夢。白バイに乗った若い警官の顔までがハッキリ見えるような、リアルな夢だった。
【後日談】 この夢を見た数時間後、宅急便を出すために近くの運送会社まで車を走らせていたところ、数台前を、夢で見たのと同じ型の白い軽トラックが走っていることに気がついた。と思う間もなく、後方から白バイのサイレン音が近づいて来て、あれよあれよという間に軽トラに近寄り、路肩に停まるよう指示を出したではないか。軽トラは指示に従って大人しく停車した。私はそのまま白バイとトラックを追い越して先へ進んでしまったので、その後軽トラがどうなったかはわからない。軽トラが捕まった理由も全くわからない。



29日●貸したきり戻って来ない30冊の本
私は古書店(ブックオフ?)で30冊の本を買った。そのうち10冊は非常に大切な本で、20冊はそれほど大切ではない本だ。30冊の本をすべて同じ段ボール箱に入れ、車で家に運ぼうとしていたところ、どこからともなく知人のY子さんが現われて、1日だけ本を貸して欲しいという。私自身は本の貸し借りが好きではないのだが、Y子さんは尊重すべき年長者なので、無碍に「いやです」と断ることも出来ない。私は段ボール箱ごと30冊の本をY子さんに貸すことにした。それから何日か経過したらしい。その間、Y子さんからは一向に連絡が来ない。私はY子さんの弟さんに相談しようと思っている。
【解説】 本当は貸したくない本を義理で知人に貸し、さっぱり返してくれないので、困りながらも彼女自身に直接請求することは出来ず、その弟に相談するという、実にもどかしい夢だった。しかし現実の私ならば、相手が大統領だろうが王様だろうが、ハッキリと「お貸しした本、返してくださいね〜♪」と言える(笑)。夢の中の自分の態度がいささか信じられない。



30日●時間が逆行するヒマラヤの不思議
ヒマラヤ山中の一軒家。住んでいるのはチベット人の男性と日本人の女性だ。ふたりはご夫妻で、とても仲睦まじい。奥さんが笑いながら缶のようなものを開け、宝物を見せてくれた。それが何であったかはどうしても思い出せないのだが、とても貴重な品物だったと思う。ふと気がつくと、近くに2枚の紙が置いてあり、うち1枚には私が「出発する時刻」、もう1枚には私が「到着する時刻」が記してあった。しかし奇妙なことに、その記述によると、到着する時刻のほうが出発する時刻よりも早いのだ。私はタイムマシンにでも乗って時間を逆行するつもりだろうか。それともこのあたりでは時間が逆行するのだろうか。そのあと、とてもくすぐったい気持ちになり、私は妖精のようなものを見たように思うのだが、或いは単に気のせいかも知れない。
【解説】 私はどこを出発し、どこへ向かおうとしていたのだろう。全体に夢のような、まさに夢のような夢だった。



31日●悩みなき少女に戻ったM子さん
前後関係はわからない。気がつくと向こうからM子さんが歩いて来た。M子さんは、これまでに見たこともないような屈託ない微笑みを浮かべている。小皺や眉間の皺も消え、まるで悩みのない少女に戻ったように晴々としたM子さんの顔を見て、私は(昨日までの彼女とはまるで別人だ。M子さんが悩みから解放されて良かった)と思っている。
【解説】 M子さんは実在する女友達。このところ(特に理由はないのだが)逢う機会がなくなっている。今夜は何故、夢の中にM子さんが現われたのだろう。思い当たる節はない。





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