2009年4月


1日●半永久的に木が枯れない薬
気がつくと私は笑いながら木をいじっていた。周囲に複数の人がいるようだが、彼らの姿はまったく見えない。半永久的に木が枯れない薬品が開発されたそうで、その製品第一号(?)がすぐ目の前にある。私は薬品を木の幹に注入したあと、生け花のようなやり方で木を活けた。
【解説】 今夜の夢はもっと長かったように思うのだが、思い出せるのはこの部分だけ。今月は生まれて初めて盆栽に挑戦することになっている。それでこんな夢を見たのだろうか。



2日●イジワルな誕生日祝い
誰かが私の誕生日を祝ってくれるというので、指定された場所に出かけてみた。そこには複数の人が待っていたように思うのだが、誰であったかは覚えていない(と言うより、最初から顔を見なかったのかも知れない)。地下室へ行くよう指示があったので、地下に行っていると、その間に皆が一斉に姿を消してしまった。一種のイジメである。私はなんだか白けた気持ちになり、鍵をかけて建物の外に出た。そのあとからやってきた人たちは、私が帰ってしまったことを知って驚き、後悔している。その頃、私は外のフレッシュな空気を吸っていた。私はサバサバした気持ちで、もう誕生日のことはすっかり忘れかけている。
【解説】 私の誕生日は2月27日で疾(と)うに過ぎており、今さらなぜ誕生日の夢なのか、意味がわからない。内容をまとめると、「グループAの人々が私に一種のイジワルをしたものの、私自身はそのことを毛ほども気にしておらず、そのあとでやってきたグループBの人々が(私がいないこと/あるいは私をイジワルしたことを)後悔している」となる。わからないのはグループAとグループBの関係だ。両者は同一メンバーから成る同一グループなのか、別のメンバーから成る別のグループなのか、あるいは部分集合/共通集合なのか。何から何までわからないことだらけの夢である。



3日●ワニ型滑り台と3人の役人
夢の画面の右端のほうに、ワニがパックリと口を開けたような形の滑り台が見える。ワニの口の内側に当たる部分からは、ときどき真っ赤な火花が散っている。画面の左側のほうには、揃いの薄緑色の服を着た3人の男たちが見える。3人は少しわざとらしい笑顔を浮かべており、これから何かを“執行”するためにここへやって来た役人のようだ。私は少し離れた場所から無言でその場面を見守っている。
【解説】 何とも突飛なイメージの夢だった。実生活では最近“滑り台”に近づいたことがないし、もちろんワニとも縁がないからだ。これらは何かの象徴かも知れないと思い『夢の事典』で調べたところ、「ワニ」の意味は「精神的な負担/この山を乗り超えれば幸運をつかめる予兆」の意味だそうである。「滑り台」「役人」は載っていなかった。



4日●一見しおらしく、実は大胆な女性
数人の男性の姿が見える。彼らは軍隊か警察を思わせる堅苦しい制服を纏(まと)っているが、どうやらマスコミ関係者らしい。私は心のなかで(マスコミ関係者が制服を着るようになっては世も末だ)と思っている。そのなかに紅一点、切れ長の瞳が涼しげな若い女性が混ざっている。今どき珍しい、ハッとするほど清楚なたたずまいの女性で、彼女もやはりマスコミで働いているようだ。彼女は日頃から男性に先を越され、ともすれば“耐え忍ぶ女”のイメージが強かったのだが、今回の人事異動で一気に男性陣を追い越し、遥か彼方の重要ポストに大抜擢されたようだ。制服の男たちはそれを横目で見ながら、「長い目で見ると、彼女が結局一番そつの無い生き方をしてるよな」と呟いた。私は(一見おとなしそうな女性に限って大胆な行動を取るものだから)と思っている。
【解説】 今夜の夢は、一体私に何を言いたかったのだろう。登場人物の女性に対しても男性に対しても特に関心は持てず、また感情移入も出来なかった。私にとってよくあるパターンなのだが、今夜の夢の中でも私は目の前で起こっていることをただ淡々と眺めているだけなのだった。なお、夢に現われた人たちの風貌にも見覚えは全くない。



5日●K.シン宅前に駐車しようとして難航する
最初に何か複雑かつエキサイティングなストーリーがあったように思うのだが、その部分はサッパリ思い出せない。気がつくと私は乗用車を運転していた。周囲には見たことのない風景が拡がっているが、どうやらここはインドらしい。目の前には一本の細長い道路が伸びている。この先のどこかを直角に左折してすぐのところに、K.シン氏の家があるという。K.シンはインド政府の要人だ。これまで何度もお会いしたことがあるし、ご自宅にお招きいただいたこともある。しかし今こうして運転している道路の風景には、何故か一向に見覚えがない。私はK.シン氏の家の前に駐車しようとしているようだ。そして、そのことに関する許可は既に得ている。と、そこへ、眼鏡をかけた口髭の中年男が近づいて来た。小太りのその男は、どうやらお役人で、K.シン氏の家の付近の警備(?)に当たっているらしいのだ。最初、男は私を不審者と見做したのか、ひどくぞんざいな態度で接してきた。ムッとした私も意識的に相手を威圧するような態度を取り、一瞬ふたりのあいだには険悪な空気が流れかけた。しかしそのあと何か二言、三言話した途端、何故か一気に誤解が溶けて私たちは楽しげに会話を始めた。そのあと私は無事にK.シン氏の家の前に駐車することが出来た
【解説】 K.シン氏は現代インドにおける最重要人物のひとり(政治家・文化人)。この方が私の夢に現われるのは、おそらく今夜が初めてだろう。シン氏のお宅の前に駐車する夢は、果たして何を意味するのだろう。『夢の事典』(日本文芸社)によれば、「駐車場」の意味は「一時休憩」。「なかなか駐車できない夢」の意味は「なかなか休みが取れない状況」だそうである。そう言えば今年は8月にシン氏とお目にかかる予定だが……。お会いすれば何か仕事を任されてメチャクチャ忙しくなるゾ、という予告夢だろうか(笑)。



6日●「真」に秘められた謎
少し離れたところに、中学生ぐらいの女の子の姿が見える。この女の子は、世が世なら近づくことも許されない高貴な家の娘さんなのだそうだ。女の子を取り囲むようにして数人の屈強な男が立っている。警察関係者だと思う。女の子は少し不安そうな表情で、「助けてください」と言わんばかりにこちらを見ている。このとき突然、女の子の名前が判明するのだが、その名前には「真」という漢字が入っていたように思う。「真」という漢字には、何か大変な秘密が隠されているらしい。これにもう1文字を加えることによって、世界史の謎を解く答えが得られるという。誰かが私の耳もとで「秘密を解くためには、『真』を『ま』ではなく『しん』と読むことですよ。もう1文字加えた正解は『しんしん』です」と言ったようだが、それがどういう意味なのか確かめる前に夢から醒めてしまった。
【解説】 またしても不可解な夢。そう言えば、大昔は「真」という漢字は天皇に直結した意味をもち、皇室の一部メンバーにしか使ってはいけない禁字だったと聞いたことがある。時代が下ると「真」の字は誰もが使えるようになり、例えば弘法大師空海の幼名は「真魚」、その弟は「真雅」で、甥は「真然」である。私の名前も言うまでもなく「真美」だ。今夜の夢は空海と何らかの関係があるのかも知れないが、よくわからない。



7日●燃える頭
前後関係は全くわからないが、私は小学校の教室のようなデザインの部屋にいる。同じ部屋では、3人の知らない人たちが椅子に座っている。扉が開き、教師のような雰囲気の男が部屋に入って来て、3人に向かって何事かを告げた。すると3人の頭からいきなり発火し、オレンジ色の大きな炎が勢いよく燃え上がった。同時に私の頭も燃えていたような気がするのだが、不思議なことにどこも少しも熱くなかったし、むしろ爽やかな気分だった気がする。
【解説】 今夜も意味不明な夢だった。『夢の事典』によれば「何かが燃える夢」の意味は「感情やエネルギーの高揚/何かを壊したいという好戦的な気持ち」ということだが、特に思い当たる節はない。



8日●兜をかぶった男の子
私は土手の上を歩いている。左側はゆるい崖になっており、その下には穏やかに流れる大きな河が見える。イメージとしては千曲川に近いかも知れない。その崖を、幼い男の子が駆け登って来た。男の子は新聞を折り曲げて作った兜をかぶって、大きく口をあけて笑っている。頬っぺたの赤い可愛い顔に、紙の兜はよく似合っている。その近くでは、農家のおじさんのようにも三国志時代の中国人のようにも見える朴訥とした風貌の初老の男が3人ほど、男の子を見守っている。私はヒマラヤを懐かしんでいる。
【解説】 この夢を見て急に思い出したのだが、ヒマラヤの山奥にあるアナーチャル・プラデーシュという場所に、チベット僧が運営する「マンジュシュリ」という孤児院がある。今夜の夢に登場した男の子は、その孤児院に住んでいる子どものひとりによく似ていた(10年ほど前にその孤児院へ行ったとき、私は新聞紙を折って兜を作り、その男の子の頭にかぶせてあげたことがあるのだ)。今すぐヒマラヤへ行きたい気持ちにさせられる夢だった。


9日●三叉路の分岐点にて
気がつくと私はどこまでもまっすぐに続く1本の道を歩いていた。そこは、初めてでありながら妙に懐かしい道で、高校時代に通学のため毎日通ったG商店街のアーケードとよく似ている(しかしながらそれは似て非なる風景である)。誰に逢うこともなく黙って歩いて行くと、まっすぐに伸びた道の左側に直角に伸びた脇道が現われた。脇道は、トンネルまたはチューブのような形状をしており、ただの地味な脇道でありながら、不思議にそそられる。私は3つに分かれた道の分岐点に立ち、このまままっすぐにメインストリートを歩き続けるか、それとも左に折れて脇道を行くか、(さてどちらにしたものか)と思っている。
【解説】 道の分かれ目に立って「まっすぐか、左折か」と考えている夢なのだが、と言って、そこには「選択を迫られている」といった切羽詰まったテンションはなく、私はただ自然体で、(どちらへ行ったところで大勢に影響はない)とでも言いたげに風景を見つめていた。このあたり、私の魂の奥底に顕在するやや醒めた人生観が現われた感じで、そういう意味では興味深い夢だったかも知れない。



10日●石棺から突き出た手
前後関係は全く覚えていないのだが、森の中らしき場所をひとりで歩いて行くと、目の前に不意に石棺が現われた。それはいかにも古そうな灰色の石棺で、あちこちに緑色の蔦植物がからみついている。石棺の蓋が20センチほど開いていて、そこから死者の右手が肘から先だけ突き出ている。その手は白く、細く、既にミイラ化しているためか生々しさは感じられない。不気味さもない。その指にはダイヤの指輪がいくつも嵌まったままだ。私は心のなかで、(生前は美しい人だったに違いない。わざわざダイヤモンドで飾った手を出してアピールしているからには、女優だった人かも知れない)などと思っている
【解説】 死体の手だけが棺(ひつぎ)から突き出ているという、実にシュールな夢でありながら、実際にはとても綺麗な映画の一場面でも見てきたような“絵になる”夢だった。インド在住中にあまりにも多くの死体を見てしまったためか、私の「死体に対する忍耐力」はとてつもなく高い。だから、一般的には異常に違いない「死体の夢」も、私にとっては割と普通の情景なのだということをご理解願いたい。なお、私の「死体観」を知りたい方は拙著『死との対話』をご高覧ください。



11日●華やかな死体
詳細は全く思い出せないのだが、非常に意外なタイミング、そして意外な場所で、私は死体を見つけた。それがどのような死体だったかビジュアル的には全く覚えていないが、何か、華やかでゴージャスな印象が残っている。当然、気味悪さやグロテスクさとは無縁の死体だった。死体の近くで、浅い鉢のような形の原色の帽子を頭にかぶり、大きな乳房を丸出しにした腰蓑(みの)姿の先住民の女性を見かけたような気もする。
【解説】 驚いたことに、2夜連続で「死体」の夢である。そう言えば先月は、立て続けに3回も「葬儀に出席する夢」を見て、その直後に義兄が急逝した。今回の「死体の夢」が正夢にならないことを祈る。



12日●……
【解説】 今夜も何か夢を見たことは覚えているのだが、何故か少しも思い出せない。


13日●汚い恋の駆け引きに気が滅入る
私は喫茶店のような場所にいる。小さなテーブルを挟んだ反対側には、40歳ぐらいの女性(あるいは男性だったかも知れない)が座っている。彼女(あるいは彼)は現在進行形の恋愛をしているようだが、相手を口説き落とす際に何か汚い手口を使ったらしい。いや、「汚い」という言葉は言い過ぎかも知れない。「恋の駆け引き」と言った方が正しいのだろう。しかし私は常々「どのような状況下でも恋愛だけは純粋であるべきだ」と考えているので、目の前の人が滔々(とうとう)と自慢げに語っている「恋の手練手管話」には幻滅する。そう言えば先刻から流れているBGMは、往年の名画『ひまわり』の主題曲だろうか。あの映画は、暗く激しく気の滅入るような世界を描いていた気がする。もっとも、あの映画を観たとき私は20歳ぐらいだったから、改めて観れば印象が変わるのかも知れないが。いずれにしても、この音楽は気が滅入る。私は次第に憂鬱になってきた。
【解説】 目が醒めて時計を見ると、まだ朝の5時前だった。いつもより1時間も早く目が醒めてしまったわけだが、それもこれも、この夢のせいである。今夜の夢には説明しづらいネガティブなイメージが憑り付いていた。それで思ったのだが、きっと私はドロドロの恋愛とか手練手管を使った「恋の駆け引き」が嫌いなのだ。『ひまわり』のような「暗くて激しい恋」も苦手だ。というわけで今夜は私には珍しく、気の滅入る夢だった。



14日●森田健作氏の変化に驚く
最初に大昔の森田健作さんが現われた。剣道の胴衣を着て、竹刀を振り回している。確かこれは『俺は男だ!』という人気TV番組のひとコマだったと思う。太い眉と澄んだ瞳が凛々しく、好青年のイメージだ。そのあと、夢の場面がモーフィングのようにグニャグニャと歪んだ。長い時間が経過したのかも知れないし、一瞬で時間軸が屈折したのかも知れない。グニャグニャ歪んだ空間の向こうから、森田氏が現われた。もう竹刀は振っていないし、胴衣も着ていない。顔つき全体が鋭くなって、色に例えればブルーからグレーに変わった感じだ。それから暫くすると、再び場面がグニャグニャと歪んで、その向こう側から森田氏が現われた。顔つきはさらに険しく、周囲の色彩はグレーからブラックに変わっている。私は心のなかで(あれほど澄んだブルーのイメージだった人がここまで変わるのだから、人間という存在は最後までわからないものだ)と思っている。
【解説】 現実世界の森田氏は千葉県知事選に勝利したが、その間、無所属を謳いながら実際には自由民主党東京都衆議院選挙区第2支部の代表であったこと等から、何かと世間を賑わしている。それらのニュースを毎日見聞きしているために今夜のような夢を見たのだろう。ちなみに森田氏は明治学院の先輩に当たるが、実際にお目にかかったことは一度もないので、どんな方なのか個人的には全く存じ上げない。



15日●ちぐはぐな上下巻
前後関係は全く思い出せないのだが、気がつくと1冊の本があった。それは「かつて私が出版した本」という設定の(※ただし実際には見たことがない)書籍で、タイトルの次には「上巻」と印刷されていた。版元はインドの出版社らしいが、紙も印刷もひどく劣悪なため、タイトルの文字がよく読めない。ふと気がつくと、目の前に同じ本の「下巻」が現われた。驚いたことに、下巻はインドの出版社ではなく日本の割と有名な出版社(※しかし現実世界では聞いたことのない社名)が版元で、上巻とは似ても似つかない装丁だ。しかも(これが最も驚いたことなのだが)この本はインドで上巻のみ、日本で下巻のみが販売されたため、インドの読者さんは上巻のストーリーしか知らず、日本の読者さんは下巻のストーリーをもって物語が完結したと思っているらしい。なぜ上巻と下巻を異なる国の別の出版社から出版したのだろう。2冊とも同じ出版社から出せば良かったのに。そう思って私はひどく後悔している。
【解説】 何やら意味のわからない、しかし疲れる夢だった。“割と有名な出版社”という設定で登場した出版社の名前は残念ながら覚えていないが、漢字6文字ぐらいの、とてもレトロな名前だった気がする。


16日●エレベーターの穴から落ちる人々
すぐ目の前でエレベーターの扉が開き、数人の人たち(おそらく全員外国人)が乗ったところ、いきなり床に穴が開いてアッという間に落ちてしまった。同じエレベーターには若い女性も乗っていたのだが、不幸中の幸いで彼女の足元だけは無事だった。
【解説】 ほんの一瞬の夢だった。この前後にストーリーがあった記憶はなく、残っているのは「穴が開いて落ちる」イメージだけである。



17日●ベランダの穴から落ちる私
高層ビルの最上階にいるらしい。誘われてベランダに出たところ、いきなりベランダの床に穴が開いて居合わせた数人全員がアッという間もなく穴から落ちてしまった。私も、ほかの人たちより0.1秒ほど遅れて落ちた。最初は皆と同じように中空を落下して行ったのだが、何故か途中から私の周囲だけが直径1メートル強のトンネルのような物で覆われ、周囲の風景が見えなくなった。トンネルに護られて無傷のまま、ハッと気づいたとき私は全くの別世界にたどり着いていた。そこは実に気持ちの良い場所だったのだが、天国ではなく現実世界だったと思う。(ここはどこだろう)と思った瞬間に夢から醒めてしまった。
【解説】 昨夜に引き続き、足元に穴が開いて人が落ちる夢である。しかも今夜は自分自身が落ちてしまった。これはどういう意味なのだろう。よく、膝を立てて寝たりベッドから落ちそうな体勢で寝たときに「落ちる夢」を見る。今夜もそのパターンだったような気がするが、睡眠中のことなのでハッキリとした理由はわからない。



18日男友達がオカルト新興宗教にハマる
男友達のYさんがインドの新興宗教団体に入ったと噂に聞いた。そこは何かと評判の悪いオカルト団体である。半信半疑で確かめに行ってみると、Yさんは教団の建物の入り口にいて、あまりパッとしない顔立ちの白人女性とキスしていた。その軽薄な姿に私は呆れ返り、(最初はYさんをこの教団から奪還するために行ったのだが)、もうどうでも良くなってYさんを放置したままその場を去ることにした。
【解説】 新興宗教にハマりかけた友人を助けに行ってアッサリ諦めて帰ってくるという、実に友達甲斐のない夢であった(苦笑)。ちなみに現実世界のYさんは、宗教にはまず絶対にハマりそうにない人である。


19日●ジャングルで忍者に遭遇
前後関係が思い出せないのだが、私は若い女性(娘?)と一緒にジャングルの奥地のような場所を歩いていた。鬱蒼と茂った植物が織りなす風景は、実にエキゾティックでミステリアスだ。湿度も温度も、ジャングルとして理想的である。私と連れの女性は、草の上に寝転んで昼寝をすることにした。ふわふわと柔らかな草の褥(しとね)でウトウトしかかったとき、ジャングルの入り口のほうから数人の日本人男性がやって来るのが見えた。そのうちひとりは知り合いだったような気がするが、私たちの存在には気づいていないようだ。彼らは素早い身のこなしで木によじ登ると、太く長い蔦(ツタ)をロープ代わりにして、木から降りる訓練を黙々と始めた。その様子は忍者のようでもあり、自衛隊のレンジャーのようでもある。彼らはこれまでもずっとこうして訓練を繰り返してきたのだろう。そのあと彼らのうちふたりが親しげに話しかけてきたような気がするが、会話の詳細は覚えていない。
【解説】 今夜の夢は、ストーリー以上にジャングルの湿度と温度、それに草の柔らかさや吹く風の感触などディテールが印象的で、夢の中に存在すること自体が快適だった。私はジャングルが大好きで、日本から近い場所だとパプアニューギニアのジャングルに特に魅せられている。現実世界ではここ暫くジャングルに行っていない。そろそろジャングルに出かけたいという気分にさせられる夢だった。



20日●……
【解説】 今朝は目覚まし時計の音が夢をかき消してしまい、せっかく見た夢の内容を忘れてしまった。何か甘くて美味しいものを食べたような気がするのだが。



21日●『ロスト・オフィサー』を激賞される
気がつくと目の前にふたりの男性がいた。彼らは破顔一笑しながら「著者の方にお会いできて光栄です」という意味のことを言っている。ふたりは『ロスト・オフィサー』を読んでくれたらしく、その内容について激賞してくれている。男のうちのひとりが、「こんなに隙間のない本は初めてです」と言った。「例えて言えば、びっしり隙間なく詰まった弁当箱のようです。もう1粒の米の入るスペースもありません。完璧です」という彼の言葉を、私はとても新鮮な気持ちで聞いている。今までいろいろな言葉でこの本について評されてきたが、「隙間のない弁当箱」という比喩は新しいなと思う。この直後に目覚まし時計が鳴り出し、夢はプツリと終わってしまった。
【解説】 そう言えば現実世界でも最近、『ロスト・オフィサー』に対して高い評価をして下さる人が何故か増えている。出版してから4年も経った今になって、不思議なことである。それにしても「隙間のない弁当箱」の喩(たと)え話は言い得て妙だ。確かにあの本は、これまでの拙著のなかでいちばん「ぎっしり感」に満ちた1冊かも知れないからだ。なお、今夜の夢に登場したふたりは、昨夜の夢の最後に話しかけてきた男性2人組にどことなく似ていた。



22日●顔半分だけのっぺらぼうな男女
知らない女性の顔が目の前に現われた。驚いたことに、彼女の顔には眉と目は付いているものの、鼻と口がない。顔の下半分だけがのっぺらぼうなのである。唖然としていると、彼女は手のひらで自分の顔をつるりと撫でた。すると鼻と口が現われ、彼女は普通の顔になって何事もなかったように歩み去って行った。続いて若い男性が現われた。この男には鼻と口は付いているものの、なんと眉と目がない。顔の上半分だけがのっぺらぼうなのである。しかし彼が手のひらで顔を撫でると、眉と目が現われ、男は何事もなかったように去って行った。私は薄気味の悪さを感じながら、一部始終を黙って見ていた。
【解説】 夢のなかでも感じたように、何やら薄気味の悪い夢だった。人間の「顔」には、実にさまざまな情報が集積しているように思う。「顔」を見ただけで、その人の年齢・性格・知性・感情・品性・健康状態など、ある程度まで推測できるからだ。しかし今夜の夢に現われた「顔が半分失われた男女」からは、そうした情報がことごとく欠如していた。これは何か人間のアイデンティティー・クライシスに関わる夢だったのではないかと、目が醒めてから思った次第である。



23日●家電量販店でアルバイト
今日から1か月間の予定で、家電量販店でアルバイトをすることになったらしい。私は社員と同じ制服を着て、開店前の店長訓示を聞いている。この店は売り場面積が広く、ざっと見たところ売り子が100人以上いるようだ。私のすぐ左隣りに30歳ぐらいの明るい女性社員が立っていて、この会社の給料体系について私に教えてくれている。それによれば給料は歩合制で、そのほかにボーナスも付く。基本的には正社員とバイトの給与格差は無く、誰でも頑張っただけの収入を見込めるらしい。「驚くほど高給よ」と彼女は言って美しく微笑んだ。店長の掛け声で「エイエイオー!」と叫びながら右手を高々と挙げているあいだ、私は心のなかで(1か月後の給料日が楽しみだ)と思っていた。
【解説】 何やら勇ましいというか、賑やかで元気な夢だった。私はふだん書斎に籠って静かな環境で仕事をしていることが多いので、今夜の夢に登場したような職場環境にはあまり縁がない。それに記憶している限り、「バイトをしてお金をもらう夢」を見るのはこれが初めてではないだろうか。いずれにしても、少しばかり違和感の残る夢だった。



24日●「365日休まず営業しろ」
新しいお店が本日開店したようだ。そこは木製の商品だけを扱うショップで、どうやら私の知人らが経営に参画しているらしい。私は最初、その店について色々とお世辞を言っていたのだが、毎週水曜日(あるいは木曜日だったか?)が定休日と知るや、とたんに前言を撤回して「365日休まず営業しろ」と文句を言い始めた。
【解説】 「365日営業しろ」と、我ながらずいぶん厳しいことを言っている夢だった。現実の私はむしろ「もっと休め。休んで遊んでいる時にこそ、新しいものが創造できる」という考えの人間なので、夢のなかの自分の発言には賛同できない。



25日●腰をくねらすベリーダンサー
最初に何かストーリーがあって(詳細忘却)、次に気づいたときには、私の目の前で2〜3人のベリーダンサーが腰をくねらせて踊っていた。いずれも後ろ姿で顔は見えないのだが、腰のラインがあまり肉感的ではなかった(と言うかエロティックな感じが希薄だった)ので、おそらく日本人の踊り子なのだろうと思う。目の醒めるようなターコイズブルーのスカートが揺れている。私は早くアラビアに行きたいと思う。
【解説】 現実世界ではこのところ、サウジアラビアが私に急接近してきている。この分だと年内にサウジへ行くことになりそうな気配だ。またそれとは別に、都内の某インドレストランでは定期的なベリーダンスショーが始まったそうで、そこの社長から「食事のついでにショーも見に来てよ」と言われている。その両方のイメージが混ざったような夢だった。



26日●ダ・ヴィンチと鬼がゴロゴロ
私は超高速で空を飛んでいる。もしかしたら私は人間ではなく、雲なのかも知れない。風を切って猛烈に前進して行くと、大きな空の向こうから何かがゴロゴロと転がって来た。見れば、両手両足を広げた全裸のレオナルド・ダ・ヴィンチではないか。ダ・ヴィンチが私の横を通って背後へ転がって行ってしまうと、前方からまた何かがゴロゴロと転がって来た。今度は、髪がチリチリに縮れた巨大な鬼(あるいは“雷さん”)だ。鬼が私の横を通って後方に消えてしまうと、前方からまたしても何かが転がって来た。今度はダ・ヴィンチと鬼が取っ組み合ったまま、くんずほぐれつ転がって来たのだ。ダ・ヴィンチと鬼も私の横を通り過ぎて、後方へ消えてしまった。(次は何が転がって来るのだろう)と思ったところで目が醒めた。
【解説】 とても短い夢だった。意味もよくわからなのだが、雲になって空を進むのは実に爽快だった。



27日●神道とふたりの女の子
最初にふたりの可愛らしい女の子が現われた。ふたりとも髪をおかっぱにして、紅い着物を着ていたように記憶している。そのあと、何だったか具体的には思い出せないのだが、神道のシンボルを思わせるものが3つ4つ、立て続けに登場した。この期に及んで私はようやく、最初の女の子たちが一種の“巫女”であることに気づいた。
【解説】 今夜の夢にはストーリーらしいストーリーがなかったような気がする。覚えているのは、全編にわたって神道的な空気に満ち溢れていたことだ。ビジュアルでハッキリと覚えているのは、ふたりの女の子のおかっぱ髪と紅い着物だけである。
【後日談】 この夢を見た翌日、ある人と食事をした。この人とは1〜2年前に友人の紹介で1度だけ会ったことがあり、きちんとお話をするのは初めてである。今回聞いたところによれば、この方には幼い娘さんが2人いらっしゃって、しかも御先祖はナント神主さんだったのだそうだ(どちらの事柄も、私が事前に知らなかったことである)。ただの偶然かも知れないが、この夢は翌日の出逢いを(雰囲気的に)よく予見していたように思う。



28日●もうすぐ1億円をゲット?
前後関係は全くわからないのだが、私の身近な場所にいる誰かが1億円をゲットしかかっているらしい。その人は、私の義理の息子という設定だった気がするが、詳細は定かでない。すぐそばにはチアリーダーのような衣装(色は紅白)の女の子の応援団がいて、「あと一歩だ、頑張れ!」的な明るい声援を送っている。私はくつろいだ状態でその光景を見守りながら、心のなかで(この人が1億円をゲットするのは時間の問題だ)と思っている。
【解説】 まったく意味不明な夢。1億円をゲットする当事者が誰なのか、最後までハッキリわからなかったが、「義理の息子」と言うのだから「娘の配偶者」なのだろう。ちなみに私の娘(23歳)はまだ独身である。


29日●映画の封切りが延期される
映画の封切りが延期されてしまい、いつ観られるかわからないという。そのため明日の予定も立たない有様だ。このまま異国の地で1週間も10日も待つのはつらい。とりあえず映画のことは諦めて帰国するか、それともこのままじっと待つべきか、私は(映画館の?)闇のなかで悩んでいる。すぐ隣には、新聞記者らしい風貌の白人男性がいた。彼も私と同じことを悩んでいるらしい。それでようやく気がついたのだが、どうやら私は白人男性で、職業は新聞記者のようだ。隣にいる男性は同業者なのだ。私はディック・トレイシーのような黄色いトレンチコートを着ていて、今は1950年代のようだ。
【解説】 ストーリー的にはかなり唐突で、しかし何故かノスタルジックな雰囲気の漂う夢だった。自分が白人男性になっているという設定は珍しいが、そのことに対して違和感を覚えていなかったのも不思議なことだ。それにしても私はどこの国にいて、どんな映画の封切りを待っていたのだろう。謎である。


30日●崖の上に建つ恐ろしいバスルーム
ヒマラヤのような高い場所。崖の上に突き出したベランダがあって、そこがバスルーム(個室)になっている。ここでシャワーを浴びたり手を洗ったりしたいのだが、なにしろ足の下は数百メートルの落差がある崖なのだ。バスルームに入ること自体が恐ろしい。私の前には何故か吉永小百合さんがいらっしゃって、先にバスルームに入られた。今にも壊れそうな安普請のドアの向こうから、「足下の床板が2〜3枚はずれて落ちてしまいました。そこから数百メートル下が見えるので、目がくらむほど怖いです」という吉永さんの声が聞こえた。数百メートルも落差があるのだから、落ちたら100%死ぬ。私はそのバスルームを使うのはやめて、山の向こう側にある別のバスルームへ行くことにした。途中、全身をすっぽりと覆う白いドレスのような服を着て頭に白い布を巻いた男が、胸の前で腕を組んで不思議そうに私を見ていた。私はもうひとつのバスルームに辿り着き、(ここなら安心してシャワーを浴びられる)と思った。
【解説】 何やらクラクラするような“高さ”を感じる夢だった。バスルームの夢に吉永小百合さんが登場した理由は、おそらくこの夢を見る前日に『奈良の春日野』という歌のことで友人と大笑いしたせいではないかと思う。ご存知の方も多いと思うが、『奈良の春日野』は「ふんふんふん鹿のフン」という衝撃的な詩が印象に残る、吉永小百合さんの往年の名曲(珍曲?)である。




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