2009年8月


1日●お相撲さんプニプニ
相撲の力士のことで、私は誰かと話し合っている。そこはおそらく両国で、周囲には力士がたくさんいるようだ。蒸し風呂に入っているような熱気である。プニプニとお餅のように柔らかな肌の感触がして、私は(あ、お相撲さんだ)と思っている。
【解説】 またまたおかしな夢だった。実際の私は相撲に興味はなく、最近の相撲事情をほとんど知らない。好きな力士の名前を挙げろと言われれば琴欧州だが、それは上品でハンサムで歌が上手いからだ(明治ブルガリアヨーグルトのCMで見せた歌唱力、あれはなかなかのものだった)。しかし今夜の夢には琴欧州は出てこなかった。ちょっと残念(笑)。



2日●同級生と行った先のシドニーで地質学者を探す
気がつくとシドニーらしき場所にいた。と言っても、そこは実際のシドニーとは全く別の場所である。私の周囲には中学校時代のクラスメートが大勢いて、どうやら私たちは修学旅行に来ているらしい。かいがいしく皆の世話をするT君の姿が見える。今いる場所は、木々が鬱蒼と茂った山奥で、近くにダムがあるようなイメージだ(ただしダムが見えたわけではない)。円柱形の塔があり、私たちはトロッコのような乗り物に乗って塔から地下トンネルに潜り、そのあとさらに地上を駆け抜けた。それは時速40〜50キロ程度でゆっくり走る屋根のない乗り物で、とても楽しい。そのあと私はひとりになって、人を探しはじめた。おそらく私はシドニー大学かニューサウスウェールズ大学の地質学、または鉱物学、または海洋学の先生に会いたいのだと思う。先生の顔が頭に浮かぶが、それは見たことのない顔だ。電話をかけたいが、さきほど携帯のリストから先生の情報を消去してしまったため、かけたくてもかけられない。居合わせた炭鉱夫(?)のような男性に先生の連絡先を聞いたが、彼もまったく知らないようだ。困り果てているところで目が醒めた。
【解説】 楽しいような疲れるような夢だった。前半は中学校の同級生がたくさん登場したが、今月は現実世界でも同窓会が開かれることになっているので、そのイメージがあらわれたものと思われる(ちなみにT君は同窓会の幹事)。しかし夢の後半では、誰かに逢いたいのに逢えないという疲れる展開になってしまった。何故こんな夢を見たのか、だいたい理由はわかるのだが、それを書くと現在執筆中の原稿の内容をバラすことになってしまうので、ここでは企業秘密ということで勘弁してほしい。



3日●森のなかの学校で
深い森の中。学校のような形の建物があって、私はその最上階にいるようだ。高さから推測するに、おそらく3階ぐらいだろうか。建物の片側(陽のあたる側)に、細長いベランダがある。私はそこで誰かと話をしたようだ。小動物の気配がしたような気がするが、詳細は思い出せない。
【解説】 とても静かな夢だった。しかし、よく考えてみると、今夜の夢にはもっと複雑なストーリーがあった気がする。目が醒めて思い出せるのは「森」「学校のような建物」「細長いベランダ」「小動物」といったキーワードだけ。誰かと何かを話したようだが、相手が誰で、いったい何を話したのか、何も思い出せないのが残念だ。



4日●九州弁で川柳を詠め
私は九州にいるらしい。誰かが「ここは博多の南側ですよ」と教えてくれた。博多の南にある町はどこだったろう。少し南下すれば佐賀県のはずだが、博多と佐賀のあいだにはもう1つ町があった気がする。地図を思い出そうとするが思い出せない。マジメに地理の勉強をしておけばよかったと思う。ところで私はこの町をテーマに、土地の方言を織り交ぜて川柳を詠まなくてはいけないらしい。しかし川柳を詠むにしても、ここがどこかわからないのでは詠みようがない。困ったなと思っているところで目が醒めた。
【解説】 現実世界では先日、皆既日食を楽しむために仲間内で鹿児島県の種子島へ行き、そこで川柳大会などに参加した。そのときの経験が今夜の夢になったのだと思う。なお、目が醒めてから地図で調べたところ、博多(福岡市博多区)のすぐ南に位置する町は福岡県筑紫郡の「郡珂川町」のようである。ちなみにそのすぐ南は佐賀県。私は昔から地理が大の苦手なので、今夜のような夢は結構疲れる(苦笑)。



5日●黄金の正方形
ストーリーは思い出せないのだが、目の前に黄金の正方形が見える。その上には、見たこともない文字で文章が綴られている。文章は横書きで、パッと見た感じ、10〜12行ぐらいにまとめられていたと思う。おそらくアラム語系の古い言葉ではないかと思うのだが、定かではない。これを見ていると、なぜか「牛」という言葉が頭に浮かぶ。しかしその理由も全くわからない。
【解説】 黄金、アラム語、牛……。何やら謎解きのような夢だったが、残念ながら肝心のストーリーを思い出せない。続きが見たくなるような夢だった。



4日●タイトルを激賞される
私が今さっき書いたばかりのタイトルを、誰かが褒めちぎっている。「これは凄い! これ以上のタイトルはあり得ないでしょう!」とさんざん褒められて、私は心のなかで(でも、まだ本文が書けてないんですよ)と思い、焦っている。
【解説】 しかしまあ、素晴らしいタイトルさえ出来てしまえば、本文のほうもスラスラ書けるのではないだろうか。期待しよう(笑)。



5日●走る漢字の「馬」
夢のなかに何度も「馬」という漢字が繰り返し現われる。下の4つの点の部分が動いて、実際に馬が走っているように見える。そのうちに「馬」という漢字は走り出した。背景に街の風景や田舎の風景が次々に現われる。回転木馬が見える。森が見える。洒落たカフェが見える。人々が見える。その前を「馬」という漢字が走ってゆく。私は(おとぎ話のようだ)と思いながらその光景を見ている。
【解説】 まるで絵本のなかに入り込んでしまったような夢だった。いや。本当に、これをもとに絵本が書けるかも知れない。というか、そういう発想の絵本が既にありそうだ(笑)。楽しい気分になれる夢だった。



6日●8時18分と9時38分
前後関係はわからないが、「今は8時18分だ」と思う。しかし夢のなかで目覚めて時計を見ると、9時38分だった。夢のなかでもう一度眠りにつき、再び「今度こそ8時18分だ」と思う。しかし夢のなかで再び目覚めてみると、やっぱり9時38分なのだ。私はいぶかしく思いながら(818という数字の並びにも938にも心当たりはない。奇妙な話だ)と思っている。
【後日談】 夢から醒めてすぐに時計を見たところ、驚いたことに9時38分だった。これは一体どういうことなのだろう? (※ちなみに、普段の私は6時前には起床していますが、今朝は徹夜明けの仮寝の直後だったのでこんなトンデモない時間帯に起きた次第です。念のため(苦笑))



7日●人間水車
すぐ目の前に小さな池が見える。その池の中から、髪の長い痩せた女性が頭からぬっと現われた。彼女は胸をそらして体を弓のように曲げ、両手は脇にピタリと付けて、まるで水車のようにぐるぐると回っているのだ。全身で水力発電をしているのかも知れない。彼女の体は、水中で半円を描いたあと、池の外に出て空中で半円を描き、そしてまた水中に入ってゆく。この繰り返しなのだが、1秒に1度ぐらいのスピードで円を描いているので、見ているだけで目が回る。それにしてもこの女性は何のために人間水車になったのだろう。何か深い理由でもあるのだろうか。私は不審に思っている。
【解説】 どうにもシュールな夢だった。人間水車になっていた女性は、シャガールの絵に出てくる女性に似ていた。この夢が何を意味しているのかはサッパリわからない。



8日●大地震を予言する噺家
江戸風のお茶屋さんのような店。私は2階にいて、窓から下の通りを見ている。通りは老若男女で溢れかえり、大渋滞だ。皆、恐怖に顔を引きつらせたり、怒りに顔を青黒くふくらませていて、とても騒々しい。店の2階はとても静かだ。私は茶を飲んでいたような気がする。真向かいには有名な噺家のK・S氏がいて、懐から取り出したばかりの扇子をうまく使いながら、これから大地震がやってくると説いている。私はゆっくりと茶を飲みながら、(やはりそうか)と思っている。
【解説】 今夜の夢には、この前後に長いストーリーがあったような気がするのだが、思い出せない。噺家のK・S氏は、特に興味のある噺家さんではないが、数日前に映像を見る機会があったので夢に現われたのだと思う。
【後日談】 この夢を見たのが8日の夜から9日の朝にかけての時間帯で、その2日後の8月11日早朝、静岡を中心に大きな地震が発生した。駿河湾で震度6弱などを記録し、東名高速道路が不通になるなど被害が広がっている。ただし、夢を見てから地震発生まで2日もかかっているので、これを“正夢”と言うかどうかははなはだ微妙だが……。しかし現実と夢がある程度シンクロしていることは確かなので、一応、その旨を書いておくことにする。



9日……
【解説】 今夜は長野の実家で泊まった。あまりにも深く熟睡したせいか、夢を見たのかどうか、それすらも思い出せない。



10日巨大な赤い紙飛行機
広々とした草原。遠くの空に赤い紙飛行機が飛んでいる。見ていると、紙飛行機は大きく∞の字を描きながら近づいて来て、私から100メートルほど離れた場所に着陸した。よく見るとそれは、ビックリするほど大きな紙飛行機ではないか。しかも着陸した紙飛行機は、そのまま家になってしまった。どうやらこの紙飛行機は、飛ばないときはそのまま家として使えるらしいのだ。どこかへ移動したいときは家ごと飛んでゆけるのである。これは便利な家だ。私は感心している。
【解説】 草原の「緑」と紙飛行機の「赤」のコントラストが実に鮮やかな夢だった。時間的にはほとんど一瞬の夢で、あっと言う間に終わってしまったが。


11日●勾玉のような形のパレット
気がつくと私は絵具だらけのアトリエのような部屋にいた。誰かが私にインタビューしている。彼女との会話の内容から想像するに、どうやら私は油絵の画家らしい。ビニール製のエプロンを着け、左手には大きなパレットを持っている。そのパレットが少し変わったデザインで、普通の楕円形ではない。何の形なのかよくわからないが、宇宙のように曲がっている。しいて言えば勾玉(まがたま)に似ている。大きさは一番長いところで40〜50センチぐらい。油絵の具特有の匂いがする。私は(そうか。私は画家だったんだ)と思っている。
【解説】 この夢を見る前に別の夢も見たように思うのだが、そちらは思い出せない。現実と違う職業についている夢を見るのは、私の場合は稀だが、油絵の匂いを描きながら(あ、なかなかイイな)と思っていた。案外、適職だったりするのかも知れない。油絵、描いてみようかしら(笑)。



12日楽しげに宙を舞う額縁
横長の額縁のような物が宙に浮かんでいる。大きさは縦が60〜70センチ、横が1メートル程度だろうか。表面を覆ったガラスが光っている。後方には、タキシードに蝶ネクタイの美形の男性が立っている。この人はサザビーズ(Sotheby's)やクリスティーズ(Christie's)といった老舗オークションの関係者かも知れない。額縁は誰の手も借りず、楽しげに宙を舞っている。
【解説】 昨夜に引き続き、またしても絵に関係した夢である。今夜の夢には長大なストーリーがあったような気がするのだが、この部分しか思い出せない。ちなみに、我が家には絵を描く人(プロ)が複数いるので、家のなかには未使用の額縁が5個や10個は置いてある。つまり私にとって額縁はあくまでも「日常の風景」なのだ。その額縁が楽しそうに舞っていたのは、なかなか縁起の良い夢と言えるだろう。

【後日談】 この夢から醒めて数時間後、知人のN氏からプレゼントが届いたのだが、それが驚いたことに「額縁」に入った書であった。額縁のサイズは一辺が約80センチの正方形。長方形ではなかったものの、夢に出てきたものとほぼ同じ大きさではないか。実に興味深いシンクロニシティーである。


13日音楽一家
兄は作曲家、妹は演奏家という兄妹の姿が見える。兄は妹のために新曲をつくった。そこまでは順当だったのだが、その直後、兄は妹に対してこれまでとは全く別の楽器を演奏するよう要求した。妹は困惑しながらも演奏家としてのプライドにかけて兄の要求を完璧にやってのけようとしている。恐ろしくプライドの高い彼女の辞書には「不可能」の字はないのかも知れない。私は沈黙したまま、その一部始終を近くで見ている。
【解説】 音楽に人生を賭けているらしい兄妹の、ストイックでどこかアブノーマルな性格が興味深かった。肝心な音楽は聞けなかったが、どうもそれはクラシックだったような気がする。



14日ブースケとパンダが逃げた!
前後関係はわからないが、今の今まで足もとで遊んでいた2匹の犬(ブースケとパンダ)が、突如、全力で逃げ出した。私は(しまった! 油断していた!)と思うのだが、後の祭りである。犬の足にはとても追いつけないと思ったのか、私は最初からあきらめムードで、すぐに追いかけて行こうともしない。しかしブースケたちは数メートル進んだだけで立ち止まり、木の根元の匂いを嗅ぎはじめた。それを見て私は(これなら捕獲できるかも知れない)と思い、ブースケに近づいた。しかし私が近づくと、ブースケはさらに数メートルほど逃げてしまう。「ブースケ、美味しいジャーキーだよ!」と餌で釣ろうとするが、ブースケは見向きもしない。パンダはその間にずっと遠くへ行ってしまった。2匹を追っても両方に逃げられてしまうのがオチなので、私はブースケだけに目標を合わせ、なんとか餌で釣って捕まえようとしている。その途中で目が醒めた。
【解説】 本物のブースケは食欲のかたまりなので、「美味しいジャーキー」と言われて釣られないはずがない。今夜の夢に登場したブースケは、その意味でおよそブースケらしくなかった。もしやニセモノか!?



15日エスカレーターの奈落へ
気がつくと下りのエスカレーターに乗っていた。それは驚くほど急勾配で、しかも長いエスカレーターだ。いきなり凄まじい勢いで空気が流れ、私は足元をすくわれて奈落の底へと落ちて行った。その途中で目が醒めた。
【解説】 今夜は長野市内の実家に泊まったのだが、その際に、母が用意してくれた夏用の肌掛け布団を使わずに畳んで足もとに置き、その上に両足を乗せて寝るというわけのわからない寝方をした。そのため、途中で足が布団から落ちたらしい。この夢をみたのは、足が落ちた瞬間なのではないかと思う。



16日宙を舞う白い長方形
白い横長の長方形が宙を舞っている。自分自身の立ち位置から長方形までの距離がわからないので、見ようによっては名刺ぐらいの大きさにも、大きな窓ぐらいの大きさにも見える。この長方形は少し危険だ。危ない場所へと私を誘(いざな)うのだ。付いて行くとどこか落とし穴に落ちることはわかっている。しかし、それも面白いかも知れない。私は自分からは動かずに、黙って長方形を目で追っている。
【解説】 そう言えば今月の12日にも、長方形の額縁が宙を舞う夢を見たばかりだ。しかし、何やら意味がわからないという意味では、今夜の夢はさらに意味不明度がアップしていたが。



17日一里塚おばさん
前後関係はわからないが、私は長い一本道を歩き続けている。この道には、横道も交差点も迂回路もない。とにかくまっすぐな道だ。そこを一定方向に(つまり後戻りせずに)歩いていると、不思議なことに、途中で同じおばさんに何度も会うではないか。と言って、おばさん自身が移動しているわけではない。どうやらクローン技術か分身の術を使い、おばさんは自分自身を複数存在させているようなのだ。あるいは、おばさんは神なのかも知れない。少し歩くと定期的に現われるおばさんのことを、私は心のなかで「一里塚おばさん」と呼んでいる。おばさんは白髪で、ひどくセンスの悪いパーマをかけている。お化粧気はなく、白衣を着ていたかも知れない。そういえば近所の薬局のおばさんに似ていた気もする。会うたびに、おばさんは何か人生の教訓めいたことをズバリと言ってのけるのである。おばさんに会うと、微妙に安心する。そして、私の前に道は続く。
【解説】 今夜の夢のなかで、私はたくさんの人に会い、色々なハプニングもあったのだ。しかし、目が醒めてみるとそうした出来事はすべて忘れてしまい、覚えているのは一里塚おばさんだけ。もしかすると、一本道は「人生」そのものを指していたのかも知れない。しかし「おばさん」が何を意味していたのか、それはわからない。



18日私、なんだか血だらけのような気がするんですよ
気がつくと服が血だらけだった。特に、胸部から腹部にかけて血まみれである。(ええっ!?)と思いながら下を見ると、今まで寝ていたらしい布団も血だらけである。出血したばかりなのか、全体にぼんやりと生温かい。驚いてシャワーを浴び、全身の様子をチェックしたところ、どこにも傷はなかった。となると、おびただしい量の血液はどこから来たのだろうか。周囲に人の姿がちらほら見えたので、彼らに事情を聞こうとしているところで目が醒めた。
【解説】 昨夜リビングルームを通りかかったところ、娘がテレビを観ていた。それが宇野千代の生涯を描いたドラマ(?)で、ちょうど東郷青児(宇野千代の3番目の夫で画家)が前の恋人と布団のなかで血だらけで心中未遂する場面であった。おそらくその印象がそのまま夢に現われたのだろう。ちなみに私は(上記の心中未遂の場面をチラッと覗き見した以外は)この番組を観なかった。何故ならば(演じた女優さんには申し訳ないが)、正直なところ宇野千代の大ファンとしては、「千代さんはもっと美人で知的でしたよ!」という強い違和感を感じたからだ。ちなみに今日の夢のタイトルは、言うまでもなく、千代さんの名作『私、なんだか死なないような気がするんですよ』へのオマージュである。



19日●新作映画『タイタニック』
大ヒットした『タイタニック』の新ヴァージョンが作られたという。しかも、今回も主演はレオナルド・ディカプリオだ。雑誌を見ると、彼の顔写真が載っており、その横に堂々と「今週の映画興行ランキング第5位『タイタニック』」と書いてある。ディカプリオは少し太り、かなり老けた感じで、しかも目つきが険しい。女優が誰なのかはわからない。私は(この映画は観に行かない)と心に決めた。そのあと私は、「き」で始まる3文字の言葉を忘れてしまい、一生懸命思い出そうとしている。しかし途中で、その言葉の始まりは「き」ではなかったかも知れないことに気づき、途方に暮れている。そこで目が醒めた。
【解説】 またしても、わけのわからない夢だった。ちなみに私はディカプリオのファンではないし、『タイタニック』もさほど好きな映画ではない。3文字の言葉に関しても、何の心当たりもない。



20日●遊園地で一組の親子に助けてもらう
知らない外国を旅している。たくさんの冒険があったのだが、詳細は残念ながら忘れてしまった。道に迷ったり、とてつもなく面白い人に会ったり、波乱万丈で最高に楽しい旅だった。旅の終わりに遊園地のような場所へ行った。広大な敷地に、見たこともない新種のアトラクションが並んでいる。ところが私はチケットをうっかりどこかに置き忘れてしまった。そのチケットがあれば、すべてのアトラクションに無料で入れるのだ。困っていると、一組の親子(父+娘+息子)が現われて、父親が「私たちと一緒にいれば大丈夫ですよ。チケットをなくしてしまったことは私が説明します」と言ってくれた。「父親」は知人の東大教授に顔が似ており、年齢は60歳ぐらい。「娘」は中学時代の同級生のA美に似ており、年齢は中学生から50歳のあいだのどこか。「息子」は小学生ぐらいだが、「娘」の弟という設定。3人の年齢の辻褄が合わないが、私は特に気にもしていない。この親子は、と或るアトラクションに入ろうとしている。チョコレートのように茶色い壁に囲まれたアトラクションだ。私は心のなかで(そのアトラクションはあまり面白くなさそうだ)と思うのだが、なにしろチケットを持っていないので文句は言えない。3人に付いて行くことにした。すぐ横には、同じジャンルの白いアトラクションがある。茶色いアトラクションよりも白いアトラクションのほうが絶対に面白そうだ。どうにか白いアトラクションにも入れないかな、と思ったところで目が醒めた。
【解説】 今夜の夢は長大で、内容的にも実にエキサイティングで面白かったのだ。しかし残念ながら詳細は忘れてしまい、最後の遊園地うんぬんの場面しか思い出せない。ちなみに、夢に登場した「父親」役の男性によく似た東大教授には、現実世界でも明日お目にかかることになっている。A美には先週、同窓会で再会した。小さな男の子には全く見覚えがない。



21日●電車の席順に悩む4人家族
電車の中。私は吊革につかまり、立っている。目の前に4人用の横並びの席がある。4人家族が乗車して来て、ここに並んで座ろうとしている。この世界のルールでは、左が上座で、右へ行くほど下座らしい。4人家族は父親を先頭に左から座ってみた。しかし、その順番ではしっくり行かなかったらしく、今度は母親を先頭に並び直した。今度もしっくり行かないようだ。4人家族は、何度も何度も席を変えては、その都度、納得が行かないように首を傾げて席替えを始める。それを見ながら私は無言で、(それは身長順でしょ?)(それは収入順?)(今度は顔の綺麗な順かな?)などと勝手な突っ込みを入れている。
【解説】 なんだかオバカで笑える夢だった。現実世界では、昨日の飲み会で、「男らしさって何だと思う? 腕力? 経済力? 優しさ?」などという実にオバカな会話が飛び交った。本当のことを言えば、個人的にはこの手の会話(男らしさの定義とか……)が非常にニガテだ。おそらく、この時の会話が形を変えて今夜の夢になったのではないか。



22日●……
【解説】 今夜も間違いなく夢を見た。しかし、起きた瞬間にすっかり忘れてしまった。起き方が悪かったのだ。ブースケとパンダがいきなり顔に飛び乗って来たのだから。今となっては思い出せないが、それは旅の夢だったような気がする。



23日●TIME TO SAY GOOD-BYE
サラ・ブライトマンが歌う"Time to Say Good-bye"が流れている。私は見知らぬ外国の街をひとり歩いている。今はクリスマスなのだろうか、街はいつもどおり美しく、人々は昨日と変わらない澄まし顔で歩いている。私は、(しかし、すべては変わってしまったのだ)と思う。「さよなら」を言うのは少しつらい。しかし「さよならだけが人生」ならば、人はそれを甘んじて受け入れなければならない。何故ならば、「こんにちわ」はいつだって「さよなら」のあとに来るのだから。石畳の街。赤や緑のクリスマス仕様の包装紙でくるんだプレゼント。毛糸の帽子。親子連れ。恋人たち。私はひとり歩いている。
【解説】 今夜の夢にはストーリーがなく、ただサラ・ブライトマンの歌声だけが印象的に流れていた。実は、先週は公開中の日本映画『アマルフィ』を観に行ったのだ。この映画はクリスマスのアマルフィ(イタリアの小さな街)が舞台で、"Time to Say Good-bye"は映画の主題歌。映画自体の出来はともかく、サラ・ブライトマンの歌唱は素晴らしかった。そのせいか、ここ数日、私の耳の奥ではこの曲が繰り返し流れている。しかし、なにしろ曲のテーマが「さよなら」だけに、美しいながらもずっしり重く、少しばかり陰鬱な気分になるメロディーである。そのためか今夜の夢は、ストーリーがなかったにもかかわらず少し疲れる内容だった。



24日●首都高のインター付近で道に迷う
最初に何やら長いストーリーがあって(その部分はすべて忘却)、気がつくと車の助手席にいた。誰がハンドルを握っているのかは不明。ここは首都高の上野インター付近らしい。夜なので景色はよく見えないが、代わりに付近の地図が頭のなかに浮かんでは消える。車はこのあたりを暫く走り回ったあと、再び高速に入り、近くのインターで降りて、さらに上野付近をグルグル徘徊しはじめた。そんなことを何度も繰り返しているうちに目が醒めた。
【解説】 今夜の夢には、間違いなく“車を運転している人”がいたはずなのだ。にもかかわらず、その人の姿は一度も見えなかったし、言葉を交わした記憶すらない。私は助手席に乗っており、後部座席には誰もいなかったから、車はタクシーではなかったはずだ。道がわからなくなって迷いに迷っていただけに、運転手が誰だったのか非常に気になる(仮に現実世界でも知っている人なら、その人には「要注意」かも知れない)。



25日●藍色の巾着袋(らしき物)
暗闇の虚空に、藍色の布製品が浮かんでいるのが見える。巾着(きんちゃく)袋のように見えるが、違うかも知れない。白い刺し子の刺繍が施されていたようにも思う。私はただ無感情のまま、その光景を見つめている。
【解説】 今夜の夢は一瞬の映像だった。暗闇に藍色の巾着袋(らしき物)が見えて、気がつくと朝になっていた感じ。



26日●後輩たちが襲われる
気がついたときには高校の英語劇部(E.S.S.)の部室にいた。と言っても、実際に使っていた部室よりずっと新しいが、ともかく、ここが英語劇部の部室なのだという。部屋の中には、1学年下の後輩たちの姿が見える(女子高なので女生徒だけ)。10人近い女の子が集まっているというのに、まるでお通夜のように静かである。何かあったに違いない。実際には1年生のときに退部してしまったはずの部員の姿も見える。彼女たちの目には、なぜか私の姿が見えないようだ。後輩たちは誰かに襲われている。彼女たちが髪を掴まれたり腕をひねられるたびに「痛い!」と悲鳴を上げるので、誰かが暴力をふるっているらしいとわかるのだ。しかし不思議なことに、彼女たちを襲っているはずの暴漢の姿が私には見えない。また私は異次元(?)の世界にいるので、彼女たちを助けることもできない。
【解説】 いきなり高校時代の部室にいて、後輩たちが暴力をふるわれているところを目撃するという縁起でもない夢だった。高校時代は遥か昔だが、夢に現われた後輩たちのなかには、現実世界では疾うの昔に忘れたはずの“中途退部した女の子”までが登場していた。実際、この夢を見るまで、私はそういう女の子がいたことすら忘れていたのだ。現実世界の後輩たちはお転婆というか非常に活発で、部室からは常に笑い声が絶えなかった。しかし今夜の夢では一転し、まるでお通夜のような暗い印象であった。一体どうしてこのような夢を見たのか。彼女たちのうちの誰かの身の上に悪いことが起こっていないと良いのだが。



27日●難しい呪文を覚えさせられる
前後関係はわからないが、私は呪文を覚えようと躍起になっている。そうするよう誰かから命じられているのかも知れないが、それが誰なのかは不明。この呪文を記憶するのはすこぶる難しい。なぜならば、その呪文は単なる音の集積に過ぎず、言葉としては何の意味もないからだ。どうにか呪文を記憶したが、それを書き留める紙もペンもないので、記憶のなかに留めておく以外に方法がない。すぐ近くに複数の人間の存在を感じる。彼らも何かを暗記させられているのかも知れないが、ここでは人と人との間に一切のコミュニケーションが存在しないので、詳細はわからない。
【解説】 目が醒めてみると、残念なことに肝心の呪文は思い出せなかった。そう言えば数日前、理由あって『魔法の天使 クリィミーマミ』というアニメの上映会を見に行ったのだが、そのなかに登場する魔法の呪文が「パンプルピンプルパムポップン ピンプルパンプルパミポップン」というのである(苦笑)。そのイメージが夢に現われたのかも知れないが、夢のなかで覚えた呪文は「パンプルピンプル……」とは比較にならないほど難しいものだった。



28日●顔を認識するセンサー
正方形の写真が見える。映っているのは人間の顔だ。撮影された写真の顔の部分だけを即座に認識するセンサーがあり、それによって認識された顔が正方形に切り取られたのだ。私はその工場を見学しているようだ。
【解説】 数週間前、パスポートを更新するために顔写真を用意した。最後にパスポートを取得した10年前に比べると、街角に置かれた自動証明写真機の性能が格段にアップしていて驚いた。その気持ちが今夜の夢に反映したのだろう、きっと。



29日●娘と息子への手紙
どこかの出版社に頼まれて、『息子と娘への手紙』という仮タイトルで原稿を書いている。「電子レンジは絶対に使うな、近寄るな。電磁波は不妊の原因」と手書きしている自分と、その姿を見ているもうひとりの私。
【解説】 なかなか意味深長な夢だった。ちなみに私は自宅で電子レンジは使わないと決めている。その理由は、今夜の夢の内容を参照のこと。科学者の友達から色々な話を聞くと、いわゆるハイテク製品を使うのが恐ろしくなる(ことがある)。なお、私は基本的に原稿は(手書きではなく)パソコンで執筆している。



30日●100万回のマントラ
「ナモ アーカーシュガルバー……」で始まるマントラ(明呪)を唱えている。空海はこれと同じマントラを100万回唱えたという。(しかし。それは少しおかしい。インドの流儀に従えば、呪文を唱える回数は108の倍数でなければならないはずなのだが。何かがおかしい……)と思い、私は心のなかで怪しみ始めている。
【解説】 空海は虚空菩薩(アーカーシュガルバ)の真言を100日間にわたって合計100万回唱えることにより、スーパー暗記述を身につけたと言われている。その逸話自体を疑ったことはないが、奇しくも夢のなかで疑っていたとおり、インドの呪文は多くの場合108の倍数回だけ唱えるのが一般的だ。それがなぜ100万回なのか? 我ながら、なかなか良い疑問である。



31日●ブバイ(orビバイ?)
ブバイとかビバイとかいう名前の見知らぬインド人が現われた。30前後のにこやかな青年だ。肌の色はかなり黒く、見るからに南インドのドラヴィダ民族である。私は、(思っていたより普通の人だな)と思い、半分安心しながら半分落胆している。
【解説】 今夜の夢には何か前置きがあったような気がするが、どうしても思い出せない。また、ブバイとかビバイという名前のインド人に思い当たる節もない。

【後日談】 この夢を見た翌日、友人の紹介で、とある有名人(芸能関係)に逢った。その人自身はインドとは縁もゆかりもないのだが、色々な話をしている途中、彼の口から藪から棒に「ブバイ」というインド人の名前が飛び出したのにはギョッとした。その有名人によれば、「ブバイ」は有名なヨーガ行者の孫の名前なのだそうだ。私はその名前を聞いたことがないのだが、それにしても、夢の中に登場した知らない名前が現実世界で飛び出すとはビックリ!

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