2009年10月


1日●マネキンにシャツを着せようとする
机の上を丁寧に拭き掃除している。周囲の様子は見えない。見えるのはあくまでも机だけ。机の右のほうに肩部分だけのマネキン(ブティックなどで見かけるようなお洒落な人体模型)が置いてある。私はそのマネキンの肩に洋服を着せようとする。いかにも上等そうな薄い生地で作った、ベージュ色の女性用ノースリーブシャツだ。しかし、何度着せようとしてもシャツはマネキンからするりと落ちてしまう。同じ行為を2〜3回繰り返したところで目が醒めた。
【解説】 今夜の夢のテーマは一体何だったのだろう。いちばん印象的だったのは「肩」のイメージだった気がする。早速『夢の事典』(日本文芸社)で調べたところ、「肩」の意味は「自分が背負っている責任や義務/自尊心」とのことである。そう言えば最近、現実世界でも、とある事柄について重い責任(負担)を背負っていると感じたばかりだ。その気持ちが今夜の夢になったのだとしたら、「夢って面白いものだ」と改めて思う。



2日●影絵の想い出
具体的に何だったかは思い出せないのだが、とても美しい想い出が2つ、切り絵風の影絵になって、暗闇のなかを左から右へと流れている。ベルトコンベアに乗っているか、あるいは川に流されているような一定のスピードで動く影たち。2つのうち1つは大きく、1つは小さい。両者はそっと寄り添っている。影絵の親子なのかも知れない。音のない静かな暗闇のなかを、ただ走馬灯のように影絵は流れてゆく。
【解説】 幻想的でノスタルジックな、昔を懐かしく想い出すようなイメージの夢だった。具体的なストーリーはなかったが、おそらく今夜の夢は、大学進学のために息子が明日からロンドンへ行くことと関係しているのだろう。静かな夢ではあったが「陰」のイメージではなく、底の部分がほっこり暖かな「陽」のイメージだった。



3日●……
【解説】 今夜も何か夢を見た記憶はあるのだが、具体的な内容を想い出せない。



4日●秘密の万能薬
あらゆる病気をたちどころに治してしまう万能薬の存在を、私は知っている。のみならず、それを実際に所持している。恰幅の良い初老の男がひとり、視界の左端にあるドアを開けて部屋のなかに入ってきた。彼は何か重篤な病を患っているようだ。現代医学では手の施しようのない業病である。しかし、私が持っている例の薬を使えば、男の健康はたちまち回復するだろう。薬の存在を教えてあげたいが、私が住む世界には「万能薬を持っている者のほうからは、その事実を何びとに対しても教えてはならない」という規則がある。しかし、もしも相手のほうから「万能薬をお持ちですか?」と質問して来た場合には、薬をあげても構わないのだ。恰幅の良い初老の男は、薬のことを何も聞かなかった。彼は仕事が忙しすぎて、薬のことにまで頭が回らなかったのだ。それで私は、(可哀そうだが仕方ない)と思いながら、一旦はポケットから取り出しかけた万能薬を再びポケットの奥深くに封印した。
【解説】 万能薬……。何やらドキドキするような言葉である。それを飲めばあらゆる病気が治る魔法の薬。夢の中の私は、そんな万能薬を持つ医師のような魔術師のような存在だった。“業病を患っている”という設定の男性は、現実世界で知っているO氏と面影が似ていた。



5日●おまえは自由
目の前にはヒマラヤ連峰らしき山々。
BGMのように『風の大地の子守唄』が流れている。歌っているのは、ちあきなおみさんだ。“Go alone! Your are free.(ひとりで行け。おまえは自由)”というフレーズが何度もリフレインしながら、耳の底で地鳴りのように響いている。「ひとりで行け」という台詞は、果たして私が放ったものなのか、それとも私に向かって放たれたものなのか。そこがよくわからない。山を見ながら、「私は生まれつき自由な存在だ」と思う。そのあと、太陽のようなイメージの何か大きなモノ(人または神または自然現象?)に出逢い、ほっと安堵したような気がする。
【解説】 昨日、mixiに『息子、ひとりロンドンへ』という日記を書いたところ、友人のSさんが「これをお送りしたいですね」というメッセージと共に『風の大地の子守唄』の歌詞を教えてくれた(http://lyric.kget.jp/lyric/oo/vv/)。この歌、メロディーは知っていたが歌詞をちゃんと読むのは初めて。さすがは阿木曜子さん、天才的な詩だ。感動した。その後、ちあきなおみさんが歌うこの曲をyoutubeで発見し、就寝前に何度も聞いていた。どうやらそれがそのまま夢のなかにまで現われた。とまあ、そういうことらしい(笑)。



6日●たどり着けない遊園地
私鉄の駅の事務所らしき部屋。周囲には制服を着た職員が4〜5人いる。私は彼らに遊園地への行き方を質問している。その遊園地は、豊島園と後楽園を足して2で割ってグレードアップさせたような場所で、都心のどこかにあるらしい。私の後ろには、読者さんらしき30代の女性がいる。初めて逢う人だが、彼女は東北(?)から遊びに来た楚々とした感じの女性で、私と一緒に遊園地へ行こうとしているようだ。しかし問題は、駅職員たちのプロ意識の低さである。「遊園地へ行くためにはどの電車に乗れば良いのか」という質問に対して、誰も答えられないのである。全員が集まって路線図を睨めっこをしながら、「○○駅から先は△線に乗ればいいのかなあ」「□□駅で××線に乗り換えるんじゃないですかね」など、自信のなさそうな声でボソボソ囁き合っているだけなのだ。ノロノロしていたら遊園地で遊ぶ時間が減る一方だ。現在時刻はだいたい午後3時で、遊園地は夜の9時に閉園してしまう。私はイライラしてきて、駅員たちには頼らずテキトーに出発することにした

【解説】 今夜の夢に登場した鉄道会社は現実には存在しない名前だったが、不思議なことに制服のディテールなどはハッキリと見えた(これも実在はしないデザイン)。遊園地に行きたいのに行けない、苛立ちともどかしさが続く夢だった。



7日●発光する人
この世界のどこか遠いところに、今は夜を迎えている街がある。その街にひとりの若い男性が住んでいる。大学生だろうか。ハッキリとは見えないが、どうやらロンドンに住む息子のようだ。その街は今、停電しているらしい。のみならずインターネット回線も全て落ちているという。TVのニュースでもそう言っているし、インターネットもそのニュースで持ちきりだ。ところが不思議なことに、その男性の部屋だけは灯りが点っている。彼は普段どおりの落ち着いた物腰でデスクに座り、インターネットを使っているのだ。彼の周囲だけがポッと明るく光っている。この人は自分から光を発することが出来るらしい。外部からエネルギーを供給されなくても、みずからのエネルギーで稼働できるらしい。(これぞまさに未来人だな)と私は思っている。
【解説】 今夜は台風が接近しており、東京地方も強風を伴う大雨。そのため窓の外は一晩中ガタガタとうるさかったに違いない(私は熟睡していたので気づかなかったが)。そうした雨風の音が「停電」の夢に繋がったのかも知れない。なお、今夜の夢には“超大作”と呼びたいようなスケールのストーリーがあったのだが、思い出せるのは発光する人の部分だけ。

【後日談】 目が醒めてからネットに繋ぎ、息子のmixi日記を読んだところ、なんと昨夜は寮のインターネットが不通だったらしい。それで息子は、ネットを使うために夜半まで図書館に詰めていたようだ。「ほかの人たちがネットを使えないなか、ひとりだけネットに繋いでいる」という意味では、今夜の夢とよく似た状況では?


8日●孤児の悲しみの上塗り
太平洋戦争直後のような印象の殺伐とした街。南国風の、屋根が大きく解放的なデザインの家。ここはどうやら孤児院らしい。砂埃を立ててトラックが走って行く、その後ろをイガグリ頭の少年が駆けている。彼は小学校高学年ぐらいで、白いランニングシャツに短パンを履き、足もとは裸足だ。彼は孤児で、どこかで拾われこの孤児院に連れて来られたのだが、今また誰かに捨てられるところだ。少年は悲しげな表情を浮かべ、トラックのあとを必死で追いかけている。BGMのように聞こえているのはオッフェンバックの『天国の地獄』の途中にある静かで物哀しいメロディー。私は傍観者なのだろう。悲しみの上に悲しみを塗り重ねようとする少年の姿を遠く見つめながら、まるで」映画を観ている観客のように、どうしてやることも出来ない。
【解説】 昔のモノクロ映画を見ているような気持ちになる夢だった。ストーリーは確かに悲しいのだが、流れていた音楽があまりにも幻想的で優しく、そのためか「悲しい夢」ではなく「美しい夢」としての印象が残っている。



9日●老人が眠る家
広々とした和室の真ん中に布団が敷かれ、その上で知らないお婆さんが眠っている。「今日び、こうやって自宅で老衰を迎えることのできる人は珍しいですよね」と囁く声。このお婆さんはおそらく数カ月以内に、眠るように亡くなるだろう。しかし、こうやって老人が家の一部屋を占領して眠っている風景は、なんだか幸福な風景だと思う。(昔はどこの家にも老人がいたものだけれど、いつから彼らは病院や老人ホームに追いやられてしまったのだろう)と私は思っている。
【解説】 この夢を見て不意に思い出したのは、母方の祖父と祖母のことだ。ふたりはそれぞれ子どもたちに囲まれて自宅で亡くなった。今から思えば、とても幸せな死に方だったと思わずにいられない。病院やホームで亡くなることが100%不幸だと言うつもりはないが、今の日本の「家」の在り方はどうにも不自然だと思う。この夢を見て、改めてそう感じた。



10日●新しい豪邸に喜ぶKさん一家
Kさん一家が楽しそうに笑っている。Kさん一家とはつまり、自営業のKさん(35歳前後の男性)、ちょっと太めの優しい奥さん、小学校高学年の長男(母親似)、小学校中学年の長女(父親似)である。4人が住んでいるのは、古くて狭い家。ちょっと不思議な円形のデザインである。一家は幸せそうだ。そこへ誰かがやって来てKさんの家に魔法をかけ、真新しい豪邸に変えてしまった。Kさんたちは無邪気にはしゃぎながら、新しい家を貰えたことを喜んでいる。私はすべてを静かに見つめながら、少しほろ苦い気持ちで、(この頃はKさんたちも幸せだったんだ)と想っている。
【解説】 Kさんは昔の友人。現実世界ではKさんは55歳前後、子どもたちも30ぐらいになっているはずだが、最近はまったく逢っていないので、どうしているのかわからない。かつてKさん一家は幸福そうなご家族だった。しかし、Kさんが愛人を作って子どもを産ませたことから一家は崩壊、古い友人たちとの縁も途切れてしまった。数年前、道を歩いている奥さんにバッタリ逢ったが、ふっくらした面影は既になく、頬が痩せて意地の悪い顔に変わってしまっていた。正直なところ、ここ数年は彼らのことを思い出したこともなかったのだ。それが何故、今夜の夢に登場したのか。不思議でならない。



11日●魔法の木の根元に眠るお婆さん
大きな樹。魔女の爪のような枝ぶり。これはおそらく樹齢数百年の魔法の木だ。樹の根元には小さな穴が開いていて、そこが地下世界への入り口らしい。おどろおどろしい雰囲気だが、私は平気で穴のなかへ入って行った。螺旋階段状の洞穴(ほらあな)を下りて行くと、人間が暮らせるぐらいの小さな横穴があった。土の上には誰かが寝ている。冬眠中の熊かと思い、そっと近づいてみると、なんとそれは人間のお婆さんではないか。いつからここで寝ているのかは謎だが、寝たきりの状態であることは確かである。いづれお婆さんは、ここで土に埋もれて死ぬのだろう。私は心のなかで(しかしこのお婆さんはまだ80代だ。意外に顔の皺が少ない)などと冷静に思った。さらに進むともうひとつの横穴があり、そこにも誰かが横たわっていた。それは想像を絶する姿の老婆だった。どれだけ長いあいだここに放置されていたのか知らないが、人間というよりは既に植物化が始まっている。どこまでが顔でどこからが木の皮か、わからなくなっているのだ。しかも全身がツタで覆われており、人間としての元の姿を確認することさえ困難だ。私は(見てはいけないものを見てしまった)と思いながら、もと来た道を登って地上へ出た。すると、目の前に飼い犬のブースケが見えた。ブースケはすっかり痩せて、老犬になっていた。
【解説】 一昨日に引き続き、またしても老衰を迎えようとする人の夢である。今夜の夢は、文章にすると気味の悪い夢のようだが、映像としてはむしろ幻想的というか、「命の儚(はかな)さ」と「植物が持つブキミな透明感」が滲み出ているようなファンタジックなものだった。ちなみにこの夢は旅先(韓国の大田=テジョン)のホテルで見た。私は旅に出ると真っ先に飼い犬のことが心配になる人だ。それでブースケ(実際は6歳10か月)までが老犬の姿で登場したのだろう。



12日●小学校の前にたたずむ仔鹿
街外れの小学校。休日なのか、子どもたちの姿は見えない。私は校門の前に立っている。そのあたりの芝生だけが周囲よりこんもりと濃く茂っている。芝生の上には、校門を背にして仔鹿が立っている。私は心のなかで(こんなところに何故、仔鹿が?)と思う。暫く観察していたが、仔鹿はそこから動こうとしない。私は黒目がちのその瞳から何の感情を読み取ることも出来なかった。(それにしても何故、仔鹿?)ともう一度思ったところで目覚まし時計が鳴り、目が醒めた
【解説】 この夢も大田(テジョン)のホテルで見た。学校の前にたたずむ仔鹿……夢占い的に意味のありそうなアイテムだなと思う。日本に戻ったら早速『夢の事典』で意味を調べてみるとしよう。

【解説その2】 日本に帰って早速調べてみたところ、「鹿の夢」の意味は「ひらめき/優れた考え/将来の可能性/千に一つのチャンスを待つ気持ち」。「学校の夢」の意味は「決まり事/義務/協調性」。「門の夢」の意味は「社会に対して自分がどのような風体で立っているかを表わしている」そうである。これらの事柄をミックスさせるとどういう意味になるのか……。なかなか意味深長だ。


13日●帰らぬ夫について相談する女
夕暮れ時の見知らぬ街。40歳ぐらいの女性の姿が見える。彼女のご主人が昨日から帰って来ないという。昔からの友人たちが心配している。彼女はそのなかのひとり(男性)に相談をした。相談された男性は困惑と同情が入り混じった表情を顔に浮かべながら、「もしご主人が女の人の所へ行っているのだとしたら、貴女はどうしますか」と質問した。すると女性は間髪を入れずに「浮気なら100%ダメです。その場合、復縁はあり得ません」と断言した。相手の男性は「そうですか……」と言いながら俯(うつむ)いた。深刻な話をしているはずなのに、女性はどこか嬉しそうである。私はそっと心のなかで(この分だとダメだな)と思っている。
【解説】 見知らぬ街の見知らぬ女性の身の上話を垣間見たような、どこかゴシップ的な夢だった。この夢も大田(テジョン)のホテルで見た。



14日●露天風呂の脇に埋められた男と黒い犬
最初に小さな露天風呂が見えた。あたりはグチャグチャにぬかるんでいる。風呂のすぐ脇に、まずは1匹の黒い犬、続いて男物の黒い靴下が見えた(※靴下が膨らんでいたので、中には足が入っているのだと思う)。黒い犬も靴下(=男の足)も、何者かに引っ張られるようにズルズルと土の下に引きずり込まれてしまった。その光景が3〜4回繰り返された。私は、(もしやこの土の下に人間の死体が埋まっているのでは。警察に届けたほうが良いだろうか)と思うのだが、肝心の場所がわからないので通報のしようがない。黒い靴下は殺された人が履いていたもので、黒い犬はおそらく男の飼い犬なのだろう。
【解説】 数日前から泊まっている韓国の大田(テジョン)は、有名な温泉街である。今夜の夢にお風呂が現われたのは、当然そのせいだろう。しかし黒い犬には心当たりがない。そもそもテジョンでは散歩中の犬に会う機会が少ない。毎日かなり道を歩いてにもかかわらず、この4日間で見かけた犬の数はたったの2匹(パグ系とシーズー系)。どちらも黒犬ではなかった。



15日●……
【解説】 何か長大な夢を見た感じがするのだが、ストーリーはおろか印象さえ一切覚えていない。今夜も大田(デジョン)泊まり。



16日●「この人に頼もう!」
大通りを歩いてゆくと、道端に立ったまま何やら話し込んでいる20〜30人ほどの群衆が見えた。全員、見知らぬ人たちだ。彼らは腕組みをし、困ったような深刻な顔をしていたが、私を見るなり一斉に「この人だ! この人に頼もう!」と叫んだ。私は前後関係を知らないにもかかわらず彼らが抱えている問題を瞬時に理解し、(この人たちの力になろう)と思う。
【解説】 何が何やらサッパリわからないが、何かの代表(?)に担ぎ出される夢だった。政治か? 宗教か? それとももっと一般的な意味でのリーダーか? 詳細は全くの不明であるが、自分が間髪を入れずに相手の依頼を受け入れることを決めた、その決断の速さが気持ち良かった。この夢はソウルのホテルで見た。



17日●自殺した加藤和彦さんの横に立つS氏
目の前に写真があって、数人の男性が並んで写っていた。いちばん右端は、昨日、軽井沢のホテルで首を吊って自殺なさったというミュージシャンの加藤和彦さんだ。私が子どもの頃、この方は『家をつくるなら』『あの素晴らしい愛をもう一度』といった曲を歌ってヒットさせていた。時は流れ、その人は自殺してしまったという。おいたわしいことだ。写真の上で視線を左に動かすと、加藤さんの左隣に知人のS氏の姿が見えた。私は、そこにSさんが写っているという事実に少なからず驚きながら、「これは、Sさんもじきに亡くなるという予告なのだろうか。残念なことだが、それが運命なら仕方がない」などと思っている。
【解説】 非常に短い夢だった。この夢を見る少し前に加藤和彦さん自殺のニュースを読んでいたので、そのことが夢に現われること自体は不思議ない。しかし、Sさんの死を漠然と予感したのは何故だろう。Sさんは現実世界の知人。見たところはお元気そうで、とても死ぬようには思われない。私の予感が間違っているのだと思いたい。



18日●写真に写った正体不明の女性
気がつくと目の前に写真があった。そこに写っているのは2人の人間。ひとりは私で、もうひとりは知らない女性だ。その女性の目の部分にはマスキングがしてあり、誰なのか正体がわからない。髪が肩のあたりまで垂れていて、雰囲気としては30代の中頃といった感じだ。読者さんかも知れない。好感が持てる優しそうな人だ。私は(なぜ彼女は顔を隠しているのだろう)と不思議に思っている。
【解説】 今夜の夢は、この前後にもストーリーがあったような気がする。しかし残念ながらこの部分しか思い出せない。



19日●「もう、おしまいにしませんか?」
紙が広げてあって、そこには小さな文字が並んでいた。筆字だったような気がする。そこには「もう、おしまいにしませんか?」と書いてあるようだ。私の傍らには、いかにも田舎から出て来たばかりらしい冴えない女性が立っていた。彼女は20代後半で、なぜかマッサージ店のスタッフのような服装をしている。私は彼女に向かって、「声を出して読んでみてください」と頼んでいた。彼女は声を出して例の文面を読んだ。するとそれは私が思っていたのとは全く違う文章だったではないか。「2つの文章のうち、どちらかが間違いだ。さて、どちらが間違っているのだろう」と思ったところで目が醒めた。
【解説】 何のことやらわからない夢。現実世界で「もう、おしまいにしませんか?」と思うようなことは、特にないのだが。



20日●愛しいものとkiss
古い家具に囲まれた、心地よい部屋。照明はやや暗めだが、部屋の隅では暖炉が赤々と燃えている。とても落ち着く環境だ。私は愛しいものとkissしている。相手はブースケだったと思う。ふわふわした毛の感触。優しい気持ち。
【解説】 Kissをする夢は珍しいが、その相手がブースケとは(苦笑)。私はよっぽどアイツのことを愛しているのだろう。

【後日談】 この夢を見た3日後、長野の実家に泊まり、母とふたりでDVD観賞会をした。観たのはヒッチコックの『レベッカ』。この作品を観たのは初めてだが、そのなかに登場した部屋が、20日の夢に登場したものとそっくりだった。ただし映画に登場した犬はシーズーではなくコッカスパニエルだったが。おかしなことだ。


21日●車輛と車輛のあいだに落ちる人
電車の車輛と車輛のあいだの、数十センチの隙間。ひとりの若い男が、拗(す)ねたような態度でその隙間に身を投じて自殺を図ろうとした。これはおそらく狂言であって、彼は本当に死ぬ気などなかったのだ。しかし、それを見ていた女友達(または姉?)が必死で男の腰のあたりをつかみ、落ちないように支えた。皮肉なことに、そのことがかえって仇になってしまい、腰をつかまれた男はバランスを崩して頭から真っ逆さまに車輛と車輛のあいだに落ちてしまった。私はその悲劇の一部始終を黙って見つめながら、(おそらく男は助かるまい。良かれと思ってしたことが、結局は悪いほうに作用してしまう。そういうマイナス作用を起こす人が、この世には確かにいる)と思っている。
【解説】 体感時間に換算すると1〜2秒に満たないような、非常に短い夢だった。それにしても「自殺」だの「頭から落下」だの、ずいぶん物騒な夢である。なぜこのような夢を見たのか、思い当たる節はない。



22日●宗玄先生と遊園地で遊ぶ
大きな遊園地。まるでカーニヴァルが始まるようなワクワク気分。目の前に、よく知ったお顔の女性が立っている。年齢は35歳ぐらい。一目見てすぐに、(あっ、宗羅先生のお母さまの宗玄先生だ!)と思う。私は「宗玄先生!」と呼びかけようとするのだが、実際にはなぜか「大先生!」と呼んでいた。大先生と私は、それから数時間かけて遊園地を遊び倒した。レストランではさんざん飲食もした。しかしどこへ行っても何を食べても、私たちは一銭も支払わなかったような気がする。ふたりとも、あまりの楽しさに女学生のようにキャアキャア笑いながらハシャギまくっている。最初は心のどこかで(宗玄先生はもう亡くなったはず。それなのになぜ30代に若返っているのだろう)などと疑問を感じていた私も、遊んでいるうちに細かなことはどうでも良くなって、ただ享楽的に遊びまくっている。ひたすら、楽しい!
【解説】 お茶の師匠(荒井宗羅先生)のお母さま(宗玄先生=故人)と遊園地を遊び倒すという、夢のような夢だった。あとで宗羅先生にその話をしたところ、「母は晩年、歩けなくなってから、ディズニーシーやディズニーランドへとても行きたがっていたんですよ。そんな楽しい夢を見てくださって、本当にありがとう!」と言ってくださった。私こそ、ありがとうございます。楽しかった!



23日●外から丸見えのシャワールーム
前後関係はよく覚えていないが、気がつくと私はシャワールームを探していた。肌寒くなってきたので、早くシャワーで暖を取りたい。ところが目の前に3つ並んだシャワールームの個室は、どれも壁が低すぎるため、外から簡単に覗かれてしまう。いちばん右端のシャワールームはとりわけ壁が低い。床から1メートルもなさそうだ。しかもその壁だけが青色のペンキで塗られているため、とても目立つ(他の壁は目立たない土色だったような気がする)。右端のシャワールームの中には若い女性が入っていた。見た感じ、南インドの人のようだ。彼女の姿は外から丸見えである(ただし着衣姿だったと思う)。シャワーを浴びている彼女と目が合うと、彼女はムッとしたように私を睨みつけてきた。私は心のなかで(この分ではシャワーを浴びることは到底できないな)と思い、困り果てている。
【解説】 この夢は長野市の実家で見た。長野は朝晩が寒く、明け方は予想以上に冷え込んだのだ。おそらくそのためにこんな夢を見たのだろうが、なぜインド人に睨まれなければならないのかは謎(苦笑)。



24日●民族衣装をまとった高貴な女性たち
ボールルームのような大きな部屋。スラリと背の高い女性の姿が見える。私の見間違いでなければ皇后様のようだ。その横におふたりの若い女性が立っているが、その姿はぼんやりとしか見えない。お三方はそれぞれカラフルな衣装をまとっていらっしゃる。どこかの国の民族衣装らしい。3枚とも同じデザインの衣装で、色はそれぞれ深紅とレモンイエローとコバルトブルーだ。それが変わったデザインの衣装で、袂(たもと)の部分が鋭角三角形なのである。まるでネパール国旗のようだと思う。私は少し離れたところに立ち、(見たことのないデザインだが、これはどこの国の民族衣装だろう)と思っている。
【解説】 私の夢にはときどき皇室のメンバーが登場する。一体それがどういう意味を持つのかはわからないが、今日の夢はとりわけカラフルでインターナショナルなイメージであった。



25日●一面のヒマワリ
私は世界を旅している。行く先々で、大輪のひまわりが咲き誇っている。畑に咲いている何百本ものヒマワリ、家の裏庭にひっそりと咲く1輪だけのヒマワリ、食卓の花瓶に飾られたヒマワリなど、いろいろなヒマワリが目の前で揺れている。男の帰りを待つソフィア・ローレンの姿も見えた。とりたててストーリーはない。見渡す限りの、ひまわり、ヒマワリ、向日葵の黄色。
【解説】 この夢を見て思い出したのが、ソフィア・ローレン主演の『ひまわり』という古い映画だ。じっと男を待つ(そして最後は自分から探しに行く)女の話で、戦争中という時代背景を考れば「どこにでもあるような話」なのだが、しかしソフィア・ローレンの演技力は秀逸、相手役のマルチェロ・マストロヤンニも好演。さらにBGMが良かったため、かなりの名作に仕上がっている。ただし、どちらかというと暗くて激しい映画なので、ドッと疲れるから見たくはないが(笑)。
【後日談】
この夢を見た数時間後、数か月ほどまったく連絡が取れなくなっていた女友達と連絡が取れた。聞けば、彼女はこのたび人生の大きな転機を迎えることになったという。プライバシーに関わるのでこれ以上のことは書けないが、なんと彼女のニックネームは「ひまわりさん」である。私がヒマワリの夢を見ることなど滅多にないので、今夜の夢は「ひまわりさん」から連絡がくることを予知していたのかも知れない。



26日●楳図かずお先生の仕事場に入り浸る
気がつくと漫画家・楳図かずおせんせいの仕事場にいた。広いお屋敷のような仕事場。高い天井。ヒラヒラしたカーテン。どこの部屋も活気にあふれており、数人いる若いアシスタントさんたちも、みんな優しく楽しい人ばかりだ。楳図先生はとてつもなく「弾けた人」で、ほとんどご自身がマンガのキャラのようである。廊下を歩かずに靴下のまま滑って移動するあたり、「まことちゃん」がそのまま大人になったようだ。遊園地のような活気。私はここに入り浸って、朝から晩まで丸1日(あるいは数日間)を過ごしたようなのだが、そのあいだ具体的に何をしていたのかはサッパリ思い出せない。
【解説】 目が醒めた瞬間に思ったのは、「夢に登場した人が、本物の楳図かずお先生とは似ても似つかぬ別人だった」ということである。しかし不思議なことに、夢に現われた「楳図先生」がどんなお顔立ちだったかは、少しも覚えていない。夢のなかではハッキリ見えていたというのに、目が醒めた瞬間にすべて忘れてしまった。おかしなことがあるものだ。



27日●……
【解説】 今夜も間違いなく夢を見た。しかもそれは、ワクワクするようなストーリーの長編の夢だったのだ。しかし、起床すると同時に忘れてしまった。残念。この夢は信州の山小屋で見た。



28日●鳥がいっぱい
広い牧場が見える。そこに、たくさんの鳥が飛んでいる。数は多いが、種類は1種類だけだ。フラミンゴまたは鶴だったように思うが、定かではない。ここの牧場主には何か特別な考えがあって、2種類以上の鳥を同時に飼うことは嫌いらしいのだ。(私は、(もっとたくさんの種類を飼えば賑やかなのに)と思っている。
【解説】 ほんの一瞬で終わってしまうような夢だった。現在、SNSのmixiでは「サンシャイン牧場」というアプリが大流行している。私はこの種の遊びが好きではないので、お付き合いで2〜3日やっただけですぐに辞めてしまったが、友人の何人かは今もこのバーチャル牧場で植物や家畜を育てているようだ。彼らが最近ネット上で飼育している「バーチャル・オウム」や「バーチャル・フラミンゴ」にインスパイアされた形で今夜の夢を見たのだろう、おそらく(苦笑)。



29日●飲み会のあとで道に迷う
どこか知らない異国で飲み会をしている。何か理由があって、私はひとりでその場から抜け出し、夜の街へと繰り出した。カーニヴァルのような活気。お酒。ご馳走。手をつないで歩いている家族や恋人たち。大勢の人が歩いているが、知った顔はひとつもない。私は孤独な異邦人だ。最初のうちは、酔いのせいもあって楽しく散歩している。しかし、いざ元の場所へ戻ろうとしたところ、場所がまったくわからなくなっていた。しかも携帯電話は、(最初から持っていなかったのか途中で紛失したのかわからないが)持ち合わせていない。困ったことになったな、と思いながら街を徘徊しているところで目が醒めた。
【解説】 人間は誰もが少なからず孤独な存在だ。そのことが今夜の夢には刻まれていた。しかし同時にこの夢には、何かファンタジックな色どりと音と香り、それに不思議なトキメキ感と艶(つや)があった。淋しいけれど美しい夢だった。ちょうど、この人生のように……。



30日●気持ちの悪い足湯
最初、私は旅をしていたと思うのだが、そのあたりの詳細は思い出せない。気がつくとそこは狭い洞窟のようなところで、目の前には小さな足湯があった。それを見て私は、自分が足湯に浸かりたいと思っていたのだということを思い出す。喜んで近づいて行くと、私が到着する前からそこにいた中年夫妻がこちらを向いた。妻は足湯に足を漬けておらず、少しおどおどしたような態度で夫のほうを見た。夫は足湯に足を漬けており、私の姿を認めると、(ちぇっ。邪魔なヤツが来やがった)とでも言いたげな不機嫌な顔をした。下品な男だと思う。夫妻が出て行ったので、私はさっそく足湯に浸かろうとした。その浴槽は、一辺が30センチほどのごく小さな正方形で、ちょっと足を漬けてみると、お湯ではなく冷水ではないか。しかもそこへ茶色い汚水がザブリと投げ込まれた。先ほどの男がやったのである。私は気持ちが悪くなって、すぐにそこから足を引き抜いた。
【解説】 せっかく足湯に浸かりに行ったのに、かえって気持ちの悪い思いをしてしまう夢。登場した中年夫妻のうち、男のほうは目玉がギョロリと大きく、現実世界で何度か会ったことのあるX氏と似ていた。



31日●老人の住むアパートを通り過ぎる
最初に何か楽しい出来事があったのだが、その部分のストーリーは覚えていない。気がつくと私は夫が運転する車の助手席に座っていた。は、或る老人に荷物を手渡すことになっているらしい。荷物は片手で簡単に持てるサイズで、中身が何かはわからないが、新聞紙か包装紙でぐしゃぐしゃっと無造作に包んである。この荷物を届ける相手の老人は痩せ型で、真っ白な髪とヒゲが伸び放題に伸びた、まるで仙人のような風貌の人物だ。私はその人に一度も逢ったことがないはずなのだが、なぜか顔はぼんやりと知っている。やがて車は5〜6階建てのアパートが並んだ団地のなかへと入って行った。途中では車を減速させ、後ろを振り向きながら、「しまった。おじいさんの家を通り越しちゃったな」と言った。その声につられて振り返ってみると、いま通り越したばかりのアパートが見えた。それは少し古びた、いかにも庶民的な、そしてどこか懐かしい感じのするアパートだった。おじいさんの姿は見えないが、最上階に近い4階か5階あたりに住んでいるのだと思う。私たちはなぜか車から降りず、そのまま運転を続けた。おじいさんに荷物を渡せたのかどうか結局わからないまま、夢は終わった。
【解説】 仙人のような風貌の老人に何を渡そうとしていたのか。それは全くの謎である。目が醒めてから、(しかしきっとアレは、大して重要な物ではなかったんだ)と思い、なぜか私は苦笑していた。





※夢日記の一部または全部を許可なく転載・引用なさることは固くお断りいたします。
©Mami Yamada 2004-2009 All Rights Reserved.