ここでは、読者の皆さまから寄せられた『死との対話』読後感想文のうち、一般公開をご快諾いただいた分だけをご紹介しています。

※プレゼント当選者(印の付いている方)には山田真美特選の記念品(手書きのカード付き)をお贈りします。

〔No.001〕 投稿日:2004年11月24日 投稿者:庄子利枝様 (33歳、主婦、女性)

日本に仏教が入ってくる過程で何がどうなって、ここまで風土の差が出たのでしょうか? もっとも、その土地や、風土に合うようにアレンジされているのでしょうが・・・。遺体を108つに切り刻んで、首を放り投げるなんて初めて聞きました。死を忌む物として捉える日本の死生観とは、全く違う次元の弔い方に驚きもしましたが、土に返るなら水に返るのも不思議な事ではなく、一種まじないの様な弔い方も理に叶っている方法なのでしょう。この日本ではまず絶対に在り得ない事だと思うのも、日本方式に慣れているからで、私もあの村に居たのならば、生首方式を普通だと思うのでしょう。

ページを捲る度、奇天烈とも言える死という現実からは、おどろおどろしいものは感じられず、(死体の山等はアレでしたが・・・)、時に滑稽にも感じられ、ただ恐怖を煽るようなアプローチではありませんでした。

様々な死を、「死との対話」を通して私も見てきました。いつ生まれるか、いつ死ぬかは私達にはわからない事です。巻末の法王の「人間として行動すること」と言う言葉が身にしみます。いつ死ぬかという心配は、私のすることではないと感じました。過去も未来も無く、一つの輪として存在するならば、過去から未来に流れるのではなく未来から過去に流れる事もあるのだろうか? と考えながらも・・・それも「カル」でいいじゃないかと思い、一日一日を人間として、生き生きと過ごしてゆきたいという思いが強く湧いてきました。



〔No.002〕 投稿日:2004年11月28日 投稿者:鈴木央様 (40歳、塾経営、男性)

「死との対話」であると同時に、「生との対話」である。考えてみれば当たり前のことなのだが、あまり普段は意識していない。本書は、このことを再認識させてくれる。日本の常識が全く通用しないインドという、何ともトテツもない国で作者の体験した出来事や考察をとおし、私は改めて、日本という国、日本において常識とされるものを照射し、問い直す。

例えば、たかだか江戸時代から始まったばかりの寺請制度といわゆる「葬式仏教」。あたりまえのように行われているが、実は霊性を少なからず失い、甚だしくは霊的なものとは全く無縁の形式主義に堕してしまっているのではないか。インドでの人々の素朴な生と死の営みを読むにつれ、そんな思いも抱いた。混沌としたなかに、私を含めた全ての読者が、なにか深い体験、考察を得ているのではないかと思う。



〔No.003〕 投稿日:2004年11月28日 投稿者:ツッチャ様 (45歳、会社員、男性)

『死との対話』拝読させていただきました。奥深いテーマで、自分でもいろいろ考えさせられました。葬儀の方法から、宗教の違い、はたまた占いの世界まで、真美さんの知識、経験、人脈、まさに恐るべし。

私は、自分では常識人だと思っています。ただその常識が邪魔して、殻から外へ飛び出せない、臆病な人間に思えます。私の中では、家従来の仏教の若干の知識と、若い頃危うくはまりそうになった新興宗教を介してのいろいろな宗教の知識(今となっては、一つのよい経験でしたが)がある程度で、曖昧な宗教観しか持ち合わせていません。なかなか、世界の宗教とか理解に苦しむところです。

特に「ユダヤ教」を元にしていながら、「イスラム教」「キリスト教」それぞれの信者が、結果的に世界あちこちで、宗教戦争となっていたり…(極端な信仰による、教えの曲解だとは思うのですが)。すべての宗教指導者が、真美さんが対談した「ダライ・ラマ」のように考え、行動してくれるなら。理想だけれど希望したいと思います。私自身になにができるかわかりません。少しでも、何ができるのか考えながら、行動していかなければと考えた次第です。



〔No.004〕 投稿日:2004年11月29日 投稿者:中田淳子様 (39歳、会社員、女性)

『死との対話』拝読しました。感想文を送ろう送ろうと思いながら遅くなってしまいました。発売日に即、購入して読み始め、2日〜3日で一気に読み終えました。その時には予想もしなかった事ですが、つい先週の金曜の事、上司が出勤時に心筋梗塞で会社で倒れ、救急車の到着も連絡から25分後と遅く、その間、心機能停止となってしまい、停止時間が長かった為、今のところ何とか心肺機能と脈拍は正常になったらしいのですが、意識は戻らず、医者の話では、心機能停止時間が長かった為に、奇跡的に意識が戻っても(この場合、話せるとかというレベルではなく、神経系が正常に戻るというだけのレベルだそうです)植物状態になるであろう…との事です。もちろん、まだ命はあり、私達は奇跡の上の奇跡を祈っています。つい、この前までは元気に笑ってお酒も飲み、何ら問題もなくしていたのに…。人の命ってこんなにあっけなく、突然、死に向き合うものなんだ、と今、感じています。

『死との対話』を読んで、真美さんがインドや他の地で遭遇された様々な死、もしインドに生まれなければ、その時に死なずにすんでいたかもしれない人々。それもその人達の運命だったんでしょうか。人は何か使命を持ってこの世に生まれてくる…と昔からよく見聞きします。私も子供の頃から、特別な事としてではなく漠然と、“自分の前世”とか“自分がこの世から離れて次に生まれ変わるとしたら”とか“自分が今生まれてきたのには何か意味があるのかな、何を学ばなければならないから、何をしなければならないから、生まれてきたんだろう”と、ぼんやり考える事がありました(凡人ですので、ぼおっと考えるだけで、何もそこから進みませんが(苦笑))。

真美さんがダライ・ラマとの会見でおっしゃっていた様に、普通の日本人である私自身の中でも、ずっと“死”は忌み嫌うもので、大好きな祖父母が亡くなった時でさえ、怖くてその遺体に触れる事が出来ませんでした。冷たく硬くなってしまった体に触れるのが怖かったのです。子供の頃、おばけを怖がる私に、母が冗談で「もしお母さんが死んで出てきたら怖い?」と聞くので間髪入れずに「怖い!絶対、ダメ!嫌だ、出てこないで!」と答え、冗談話でも、私のあまりの返答に、母は「ひどいねえ。寂しい事言うねえ」と言ってたのを覚えています(笑)。

今回、『死との対話』を拝読し、自分はどんな死を迎えたいかな…と考えた時、数年前、祖父が亡くなった時の事を思い出しました。祖父はいよいよ最期というその時、病院の一室で祖母と3人の娘(母と母の妹2人・私にとっては叔母達)に手足や顔をさすられながら、祖母に向かって、「ありがとう、お・わ・り」と告げて息を引き取ったそうです。生きている時にはいろいろ苦労もあったでしょうが、最後の最後という時、そう言って旅立てた祖父と家族は幸せだったと思います。私も自分の家族がそんな最期を迎えられる様に、生きている今、してあげなければならない、自分もそんな最期を迎えられる様に生きたい…と思います。

何だか、感想文になってないですね、ごめんなさい。でも、真美さんの『死との対話』をきっかけに、大げさな言い方をすれば、自分の生き方や、生死の意味…みたいなものを又少し考える様になりました。真美さんの次の御著書、首を長くして待っています!次はどんなテーマなんでしょうか、楽しみです。



〔No.005〕 投稿日:2004年12月13日 投稿者:姉ちゃん様 (女性)

生きていく上でいつか必ず迎える死というもの。誰もが一度は向き合わなくてはいけない瞬間があります。分からないことに関しては誰もが漠然とした不安を感じる。それは当たり前のことです。この本を読み進んでいくうちに、ああ、死を恐れるよりも、それまでの生を一所懸命生きることが大切なんだなぁと真摯に思いました。ただひたすらに生きていくこと、それがとても大切。

法王との対話も一言一言が心に沁みるような大切は言葉の数々。疲れてしまった心がすうっと解放されるような気がするのは、法王の懐の広さもさることながら、山田真美先生のまるで子供のように素直でまっすぐな心に感化されたのかも。死を恐れるのではなく、精一杯生きなくては。



〔No.006〕 投稿日:2005年1月8日 投稿者:黒岩邦義様 (55歳、会社役員、男性)

素晴らしい本を読ませていただきました。ありがとうございました。著者の徹底した取材と行動力にただただ頭が下がります。
「インド料理店」との出会いも「仏教」に少し興味があったり、人並みより少し「生きる」とは……とも考えた時期があり、最後まで面白く読ませていただきました。小規模な会社をしていても、「生きる」「働く」「会社の存続意義」等を社員全員で考え認識していない限り、「いい生き方」「いい働き方」「いい会社」もできないと考えます。そんなところから社員研修にも最適で、既に社員に紹介し読んでもらっています。彼女達にも好評です。

今回の地震といい、いろいろ神様は考えさせてくれます。末筆になりましたが、益々のご活躍お祈り申し上げます。」



〔No.007〕 投稿日:2009年3月1日 投稿者:変なおじさん様 (年齢不詳、マスコミ関係、男性)

本を読ませていただいて、まず感じたのは、「この人は一体、何を見て来たのだ!!」ということでした。少なくとも私の知る、あるいは想像するものとは、全く違う所にある「死」が本の中にはありました。「人間いたるところ青山」などと嘯いても、なんら覚悟のないぬるい所で生きている私にとっては「ドヒャ〜!」ものであります。情報として地球の裏側では人が戦争で殺しあっている現実を知っていますが、さりとて何をする、考えるでもなく、あくまで脳内の情報処理がされる訳で、テレビで地雷処理のボランティアの女の子を見て「うわっ、可愛いじゃん。」なんて不謹慎の極みの私。こんな私にもショックを与える本でした。
 
ダライラマ氏の言う「非宗教教育」は眼からうろこの発想ですね。唯物論的な人間の尊厳に関する教育はぜひに必要であろうと思います。私自身、かなりラディカルな発想をしますのでドン引かれると困りますし書きませんが、その考えには全くの同意です(正直なところ別に非宗教的でなくても良いと思ってます、ただし、生きてる教祖と電卓を叩いている事務屋がいる宗教は絶対許せませんが・・)。ダライラマ氏の独占インタビューでもできれば面白いでしょうし意味もあるんでしょうが、ジャニーズ事務所を敵に回すより怖いことが起きそうですし、いろいろ考えた週末でした。楽しかったです。ありがとうございました。