2004年10月


1日●龍の背に乗って

「お弁当、持ったの?」という母の声が背後から聞こえる。私は「3食分持っているから、安心して」と答えながら、右手でOKサインを出した。目の前には、黄金色をした龍の肌が広がっている。その向こう側には青い空が抜けている。「シートベルトを付けたほうがいいぞ」と言っているのは父だろうか。シートベルトが見当たらないので、何か代わりになるものはないかとポケットの中を探ってみたところ、茶道でいつも使っている濃紫色の袱紗が入っていた。それを使って、自分の体を龍の体に結びつけることが出来た。両親に向かって「今夜は遅くなるから、先に寝ていてね」と言った時には、龍は早くも大空に向かってぐんぐん飛翔し始めていた。2本の角が長く伸びて、操縦桿のようになっている。龍を操るのはこれが初めてだが、操縦の方法は雪上車のレバー操作と同じようだ。右の角を引けば右に旋回し、左の角を引けば左に旋回し、両方同時に引けばブレーキがかかる。じきに操縦にも慣れて、龍の背中でお弁当を広げる余裕さえ出てきた。お弁当箱の中身は、珍しい模様のついた球や、綺麗な色の勾玉だ。なかに時折り「当たり」が入っていて、それを食べるとパワーが倍増する。「当たり」を5個集めて白髭の老人の店に持ってゆくと、珍しい品物と変えてもらうことも出来るらしい。やがて、遥か右前方に龍の形をした雲が見えてきた。そこだけが驚くほど明るくなっている。目指す場所はあそこだと思い、私はゆっくりと龍の右の角を引いた。このあと龍から下りて白髭の老人の店に行ったような気もするのだが、そこで何をしたのかは思い出せない。
【解説】 先月29日に引き続き、空を飛ぶ夢である。このところ、世間一般的な価値観に従えば“非現実的”としか言いようのない夢ばかり見る。どうやらこのパターンが、私にとっては“普通の夢”として定着しつつあるらしい。この夏は小学館の仕事で1度ならず2度までもヒマラヤに行き、12年に1度のチベット寺院の大祭を見たり、ダライ・ラマ法王にインタビューしたりと、言ってみれば“雲の上”での仕事が続いた。現実生活がこんな具合だから、雲の上の夢を見るのはむしろ当然かも知れない。
【後日談】 夢から12日後の10月12日、ブータンから2人のVIPが来日した。お土産に、それは美しい民族衣装を頂いたのだが、そこに刺繍されていた鮮やかな黄色とコバルトブルーの“球”の模様が、夢の中でお弁当箱に入っていた“球”の模様と瓜二つだったのには驚いた。しかも、さらに驚いたことに、今回彼らが途中まで利用した航空会社の名前は「ドゥルック・エア」。「ドゥルック」はブータンの言葉で「龍」の意味だそうだ。現実と夢の興味深い一致である。


2日●千倍の死

山道を歩いてゆくと、傍らに石の碑があって「一殺一死」と刻まれていた。随分物騒なことが書いてあるものだと思いながら、一旦はその場を通り過ぎ、気になったのでもう一度戻ってみると、碑文は既に「千殺千死」に変わっていた。
【解説】 何やらさっぱり意味のわからない夢だが、来月出版予定のノンフィクション『死との対話』の中で、あまりにも多くの死について語ったので、そのことが夢に現われたのかも知れない。


3日●釈迦の十一人目の弟子

お釈迦様やその高弟たちと一緒に旅をしている。弟子が全員揃っているかどうか確かめるように頼まれ、頭数を数えたところ、「十大弟子」のはずが何故か11人に増えているではないか。ところが、誰が余計なひとりなのか、どんなに考えてもわからない。まるで座敷童のようだ。考えても埒があかないので人員点呼はやめ、一向はそのまま旅を続けることにした。途中で何か大事なものを見かけたので、私はその数を数えている。それは全部で262個あった。お釈迦様の高弟のひとりが、「このことは、明朝テレビをつければ日本中でニュースになっているだろう」と言う。私は忘れないように口の中で小さく「262、262……」と唱えながら歩き続けた。
【解説】 昨日に引き続き、数字に関連した夢である。「262」は、おそらく般若心経の文字数のことではないかと思う。お釈迦様やその弟子たちと一緒に旅をしているという設定だったが、お釈迦様の声は聞こえるがお顔は見えなかったようだ。
【後日談】 夢から醒めて暫くしてからテレビをつけたところ、「大リーグ、マリナーズのイチロー選手が今シーズン通算262安打」と言っているではないか。夢に登場した「262」とは、このことだったのだろうか?


4日●ハーヴァードで皿洗い

ハーヴァード大学に遊びに来ている。息子がここの学生になったか、或いは、息子はMIT(マサチューセッツ工科大学)の学生で、今日はたまたま大学祭か何かでハーヴァードに遊びに来ただけなのかも知れない。たくさんの校舎がある中に、“Very Australian(非常にオーストラリア的な)”という名前の建物が見える。シドニー・オペラハウスあたりの風景を象った、パノラマのような建物だ。ハーヴァード大学とシドニー大学は、いつの間に姉妹校になったのだろう。気がつくと、私は大量の皿を洗っていた。表面が傷つかないよう、市販のスポンジではなく柔らな布で洗っている。皿の汚れが落ちると、実に気持ちが良い。近くで中年の男性2人が、感心したような表情で私の皿洗いを見ている。私はモスグリーンの着物を着ているようだ。
【解説】 ハーヴァード大学に居たことも突飛なら、そこにオーストラリア館があったことも突飛。しかもそこで皿洗いを始めたのは、さらに突飛な展開である。しかし全体的には、起きた時に何故かホッとする夢だった。



5日●婚姻届

目の前に、記入済みの婚姻届が見える。誰が書いたのだろう。年齢欄には「31歳」と記されている。最近の婚姻届用紙には、写真を添付するようになったのか。見覚えのある男性の顔写真が貼ってあるのが見えた。そのあとで、どこか鄙びた場所に行くと、道の左側に数字がいくつか落ちていた。私はそれらの数字を拾い集めようとしている。
【解説】 このところ、夢の中によく“奇妙な数”が登場する。但し、これらの数にどんな意味があるのかはわからないのだが。



6日●回転する頭

驚くほど鼻の高い女性の、頭部の塑像が見える。これほど立派な鼻のモデルは、クレオパトラかも知れない。その顔の真ん中あたりに割れ目があって、上下が別々に回転する仕組みになっている。今、私が見ている目の前で、頭の上半分だけがぐるりと回転した。
【解説】 時間にして僅か1秒ほどの短い夢だった。意味はまったく不明。


7日●着飾った犬たち

飼い犬のブースケとパンダが、映画『風と共に去りぬ』の登場人物たちのような大仰な衣裳をまとって、ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルを髣髴させる気取った表情で、斜め前方を向いている。写真撮影でもしているのだろうか。彼らは少し微笑を浮かべて取り澄ましたまま、微動だにしない。
【解説】 昨夜同様、時間にして1秒ほどの“瞬間の夢”だった。内容も、昨夜に引き続き意味不明。


8日●真言

「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボディー スヴァーハー」というサンスクリット語の真言を、108回繰り返して唱える人々。正面には観音菩薩が見える。私は数珠を使って、真言の数をカウントしている。
【解説】 このあと釈迦の弟子たちと一緒に、托鉢(?)に出かけたような気もする。なお、今日の夢の中に現われた真言は、サンスクリット語版「般若心経」の最後の一節である。



9日●歌う人々

私はどこかの合唱団に入ったらしい。明日のコンサートについて、テナーの男性と話し合っている。2人の目の前にはブラームスの楽曲らしい譜面があって、ドイツ語がびっしりと書き込まれている。“Heir ein”を「ヘア アイン」と発音するか「ヘア ライン」と発音するか、真剣に打ち合わせているようだ。そのあと全員で長い距離を旅して、会場にたどり着いた。建物の中に入ってみると、なかなか立派なホールである。音響も抜群、オーケストラも最高だ。そのあと全員で楽曲の練習をした。驚くほど声が伸びる。全身がたまらなく気持ちよい。明日のコンサートは間違いなく大成功だろう。
【解説】 小学校4年〜6年と中学校の3年間、そして大学の1年目と、合計で7年間、合唱部に入っていた。大学時代は母校の合唱部ではなく、わざわざ電車を乗り継いで東京工業大学まで通い、そこの混声合唱団(コール・クライネス)で歌っていた。と言うのも、当時の東工大は生徒の大多数が男子で、女声は他校(フェリス女子大や清泉女子大)から募るほかに方法がなかったのだ。私の場合は、小学校から高校まで一緒だった女友達がたまたま清泉女子大におり、彼女から誘われて東工大の合唱団に通うことになったのだが。歌うという行為は、それだけで心身の健康に大いに役立つものだが、ましてそれが合唱となれば、他者との一体感まで加わるから、実に気持ちが良い。今夜の夢は、実に明るく健康的なイメージに溢れていた。


10日●巨大な円

校庭のような広い場所に、大きな円が描かれている。それよりも一回り大きな同心円を描きたいのだが、測量の器具が見当たらない。仕方がないので、そのへんに居合わせた男性に横になってもらい、彼の体を定規代わりにして測量することにした。数人の野次馬が見ている中で、私は狂いのない綺麗な円を描いている。円が完成した途端、目の前に編集者の芝田さんが突如として現われ、「次の原稿の締め切りは、今日からぴったり半年後ということで、よろしくお願いいたします」と笑顔で言った。
【解説】 どうにも意味のわからない夢だったが、歪みのない綺麗な円が描けた時は達成感があり、気分爽快だった。



11日●氷結した湖

小さな円形の湖が見える。季節は真冬なのだろう。湖面は完全に氷結している。周囲は鬱蒼と茂った森。ここはノルウェイかも知れない。すぐそばに、小さな女の子の存在を感じる(あるいは、私自身がその女の子なのかも知れない)。バースデーケーキを切り分けるような作法で、湖面を覆った氷を切ってみた。切り口がきちんと真っ直ぐの線になるよう、細心の注意を払って鋸(のこぎり)を引く。氷の厚さは40〜50cmほどあって、氷の一切れ一切れはまるで巨大なアップルパイのようだ。それを見て、誰かがフランス語で“Apportez-moi un tarte aux pommes.(私にアップルパイを頂戴)”と言っている。もしやここは、フランスなのかも知れない。大人たちが傍観している中、私は一生懸命に働いて、湖の氷をすっかり取り除いてしまった。
【解説】 今日の夢も、昨夜の夢と同様に「円」がテーマだったようだ。昨夜は「円を描く」夢、今日は「円を切り分ける」夢である。周囲に傍観者がいるという点でも、ふたつの夢は似通っている。湖面から氷がすべて取り除かれた時、大きな開放感が訪れた。



12日●「品物」を運ぶ

最初に、右前方に大きな球形のものが見えたような気がする。そのあと、どういう経緯かはわからないが、気がつくと黒塗りロングボディーの高級乗用車に乗っていた。運転席には、誰か見覚えのある男性。2列目の右窓側に私。最後列である3列目には、アフリカかニューギニアの人らしい肌の黒い男性が2人座っている。運転席の男が、何か言いながら小さな物を寄越した。私は頷いてその品物を受け取り、振り向いて後部座席の男たちに渡した。おそらく私たちは、これからその品物をどこかに運ぼうとしているらしい。
【解説】 品物は、片手に乗るほど小さかった。本当はもっと複雑な夢だったような気がするのだが、覚えているのはこれだけ。



13日●そして榛名山へ

誰かが、「これから榛名山へ行く」という意味のことを言う。それは即ち、「あなたも一緒に行くのですよ」ということを意味しているようだ。私たちは、誰かが運転する車で榛名山に向かっている。
【解説】 今夜の夢は、おそらく昨日の夢の続きなのだと思う。榛名山の名前はもちろん知っているが、近くを通ったことはあっても登ったことはない。広辞苑によれば、榛名山は「群馬県の中部にある複式成層火山で、赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つ。外輪山の最高標高は1,449メートル。中央の火口丘に榛名富士と榛名湖がある」そうだ。この山の名前がなぜ唐突に夢に現われたのかは、まったくもって謎。
【後日談】 夢から3日後の10月16日、カウラ事件の関係者で元海軍出身のOさん(2002年に他界)について調べるため、Oさんの娘さんとお目にかかった。その際、Oさんの死因について初めて詳しく伺ったのだが、なんと「榛名山への旅行中、食べた餅菓子が喉に詰まったことが原因で急逝した。榛名湖の近くでの出来事だった」という。この話には、さすがの私も心底驚き、背筋が寒くなる思いだった。


14日●熊野神社

熊野神社の社務所前。長い髪を結わえ、赤い袴を履いた巫女さんに「鈴木の護符を頂きに参りました」と言うと、巫女さんは「では、鈴木さんであることを証明できる身分証明書をご提示ください」と答える。私はポケットの中から学生証を出して巫女さんに渡した。すると巫女さんからは「これは鈴木さんではなく、山田さんの証明書です。山田さんは平家の落人村のほうへ行ってください」という答えが返ってきたではないか。証明書に目をやると、確かに山田になっている。そう言えば、私の苗字は鈴木ではなく山田だ。巫女さんに「すみません。勘違いしていました」と謝ってから、私は平家の落人村行きのバス停のほうに向かって歩き出した。
【解説】 ネット上で「山田真美ファンクラブ」を運営してくださっているさくらさんと、このところ「鈴木姓の由来」に関する話題で盛り上がっている。私の旧姓は鈴木だが、鈴木の祖先を辿ると熊野神社系の神主に行き着くという噂は有名だ。大学時代、捕鯨の歴史を研究するために和歌山県の太地町に滞在したことがあって、その折に熊野神社にも足を伸ばしてみた。ちょうど熊野神社と国鉄(現在のJR)がタイアップして「鈴木さんいらっしゃいキャンペーン」を実施中だったようで、鈴木姓であることがわかる身分証明書を提示すると、社務所から記念品(一種のお守りだったと記憶している)をプレゼントされた。その時のことが夢に現われたらしいのだが、夢の中で証明書を見たところ、鈴木ではなく山田になっていたのがおかしい(※山田は結婚後の姓です)。全国に散らばる平家の落人村には、生き延びるために高貴な身分を隠し、平凡な「山田」に改姓した人々の住む村がいくつもあると言う。たとえば長野県の山奥にある秋山郷などはその代表だろう。それらのことが、すべて一緒くたになっていたのが今夜の夢だったかも知れない。なお現実世界でも、来月は取材のため熊野神社を詣でる予定である。


15日●鏡文字

大きなガラスの扉が見える。ちょうど目の高さに円が描いてあって、その中に「ee」という文字が見える。(Eの小文字が2つ? どういう意味?)と思いながら扉を開け、向こう側に出てから振り返ってもう一度見ると、同じ文字が今度は「99」と読めた。
【解説】 アルファベットの「e」を逆さから見ると、数字の「9」に見えたという夢。そのことにどのような意味があるのかはわからない。



16日●磨崖仏

ヒマラヤの奥地を歩いていると、ジャングルの中に隠れていた古い磨崖仏を発見した。私たちはここにキャンプを張り、埋蔵経を探すことにする。埋蔵経は、次の満月の晩に発見される運命だ。
【解説】 上にも「私たち」と書いたとおり、近くには誰か同行者がいたような気がする。しかしその人の姿は見えず、声も聞こえず、気配だけの存在なのだった。それはお釈迦様の弟子の舎利子(シャーリープトラ)だったような気もするが、定かではない。



17日●韓国への引越し

娘が韓国に引っ越すことになり、私はそのための荷造りを手伝っている。
【解説】 実際には、娘は来年の初頭からA国(※韓国ではありません)の大学に入学することになっている。どういうわけで韓国が夢に登場したのか、それは不明だ。


18日●変身する犬

ふすまの隙間からそっと室内を覗いて見ると、飼い犬のパンダが着ぐるみを脱ぎ、今しも梟に変身しようとしていた。
【解説】 少し前にもこれと似た夢を見たことがあると思い、調べてみたところ、6月28日にはパンダの体がリバーシブルになる夢を見ていたではないか。さらに7月21日の夢では、パンダの顔はアシカになっていた。パンダは生後10ヶ月になるメスの狆(チン)だが、彼女の顔立ちは、犬のようにも猫のようにも梟のようにも魚のようにもアシカのようにも見える。昔、「一粒で二度おいしい」というキャッチフレーズのキャラメルがあったが、パンダはまさに「一匹で何匹分も楽しめる」奇妙な犬だと言える。


19日●箱一杯の帯揚げ

ノスタルジックな感じのする商店街のようなところ。すべてがセピア色に染まって見える。誰かお金持ちの女性が、不要になった帯揚げを処分するという。そのことを、着物の着付けの先生が教えに来てくれた。行ってみるとそこには、大きな箱一杯分の帯揚げが置いてある。箱の中には、とても魅力的な灰色の帯揚げが1枚入っていた。しかしその帯揚げは、少し強く引っ張ると破れてしまうのだという。ほかには欲しい帯揚げがなかったので、私は1枚も帯揚げをもらわずに、その場を去ることにした。同じ商店街に、やはりクラシックな感じのする喫茶店があって、そこには誰か懐かしい人がいるらしい。その人は大勢の女性に囲まれているようだ。彼らの姿が見えないにもかかわらず、私にはそのことがわかる。懐かしいとは思うのだが、私はその喫茶店に入ろうとはしない。外に3台のバイクが置いてあったので、私はそのうちの1台に乗る。後部座席には娘が座った。もう1台のバイクに、さっちゃん(※叔母のニックネーム)が乗ろうとしている。しかし、さっちゃんの髪が長いので、このままバイクを運転するのは極めて危ない。「しっかり髪を結わえたほうがいいわよ」と私は言った。
【解説】 全体に懐かしいムードの漂う夢だった。なお、喫茶店にいた懐かしい人が誰なのかは、よくわからない。

【後日談】 夢を見た翌日、さっちゃんから1年ぶりに電話がかかってきた。聞けば、特に用事はなかったが、何となく声を聞きたくなってかけてきたのだという。以心伝心とはこのことか。なお、さっちゃんはネットをやらないので、私がホームページ上で夢日記を公開している事実は知らない。


20日●給餌の時間

色々な動物たちに餌を与えることになった。サイコロ程度の大きさに切ったトマトと、細かくちぎった紙片、生肉、それに普通のドライフード(犬用)を1枚の皿の上に盛り付けてみた。しかし、このまま餌を与えると、山羊以外の動物は紙を食べられないし、犬のパンダはドライフードが喉に詰まってしまうし、トマトが苦手な動物も混ざっているらしい。「これもダメ、あれもダメ」と消去法で皿の上から取り除いていったところ、最後に残ったのは生肉だけだった。
【解説】 私はいったい、どんな動物に給餌しようとしていたのだろう。ストーリーの中に山羊が登場したことは確かだが、山羊は生肉など食べないではないか。よくよく考えると、辻褄の合わない夢である。


21日●詩人候補

父が、自分の子どもたちの中の誰かひとりを詩人に育て上げようとしている。父には子どもが4人いるらしい。私と、私の弟、それに犬のブースケとパンダである。4人がそれぞれ詩を書いて一斉に父に見せたところ、パンダが書いた詩が最高だという。「この中で詩の才能があるのは、パンダだけだな」と父は言った。
【解説】 私の父には、実際には子どもは2人しかいない。即ち、私と私の弟である。犬たちまでが、真面目な顔で兄弟の一員に加わっていたのがおかしい。夢の中でパンダが書いた詩は、文章がしっかりしており、文字も綺麗だった。


22日●ゴンドラに乗って

見上げるほど天井の高い部屋。その天井ぎりぎりのあたりに、ゴンドラがいくつも吊るされている。ゆっくりと進むゴンドラの心地良さ。私が乗っているゴンドラから数えて2つ3つ前の乗り物には、高校時代の同級生K子の姿も見えた。K子はとても嬉しそうに笑っている。そのうち、どこかから指示があって、ゴンドラに乗っている人々が一斉に風船を放した。その途端、部屋の中は柔らかな風船の色で満たされた。暫く間があって、どこかへ食事に出かけることになる。大叔母(故人)が手を振って私を呼んでいる。聞けば、彼女の次女が料亭を始めたのだという。誘われるまま、私は大叔母に着いて料亭に行くことにした。そこで私は、驚くほど美味しいべったら漬けを頂くことになる。
【解説】 全体に、のどかな雰囲気の夢だった。大叔母とは特に親しかったわけでもなく、生前もほとんど逢う機会はなかった。その人が夢の中に現われる理由はよくわからない。それにしてもここ数日間で、叔母、父、弟、大叔母とその娘と、親戚の人間が5人も夢に現われるとは、一体どうしたことだろう。


23日●漂流とご馳走

海の上にプカプカ浮かんでいる。近くには、カウラに収容されていた戦争捕虜たちが何人も浮かんでいる。どうやら船が敵の爆撃を受けて(?)、私たちは海に投げ出されたらしいのだ。非常事態のはずだが、何故か皆一様に落ち着きはらっていて、中にはまったりと世間話を始める者さえいる。そのうち誰かが、美味しい料理をご馳走してくれると言い出した。そのうちの一品は、どうやらゴーヤチャンプルらしい。いつの間にかレストランに場所を移した私たちは、テーブルの上に並んだ豪勢な料理を堪能している。
【解説】 昔は食べ物の夢も見ても、それを口に入れる前に目が醒めてしまうのが常だった。ところが、数年前からだろうか、夢の中で出された食べ物を総て食し、おまけにデザートと食後のコーヒーまで堪能し終えてから目が醒めるようになったのだ。味や食感なども、現実世界と同じように感じることができてしまう。しかも夢の中だから、いくら食べてもタダである。こんなラッキーなことがあって良いのだろうか。この手の夢は、もっと頻繁に見たいものである(笑)。



24日●未知の世界に通じる扉

縦2メートル×横1メートルほどの長方形の何かが見える。それは、どこか未知の世界へと続く扉なのかも知れない。近くに2人の女性がいる。ひとりは目が印象的で、もうひとりは髪が美しい女性だ。
【解説】 もっと長い夢だったはずなのだが、起きた途端にその大部分を忘れてしまった。



25日●高貴な人たちとの鬼ごっこ

すぐ近くに、ありえないほど高貴なオーラを発している人が3人いる。顔はよく見えないのだが、おそらくそれはお釈迦様、キリスト、聖徳太子の3人ではないかと思う。私は彼らと鬼ごっこのようなゲームに興じているらしい。現在、鬼はお釈迦様だ。鬼を追いかけて山を駆け上がってゆくと、そこに阿弥陀堂か六角堂のような鄙びた建物が見えてきた。
【解説】 この夢はまだまだ続きそうな気配だったが、残念なことに、何か物音がしたためにここで目が醒めてしまった。



26日●テレビのクルー

チバレイ(千葉麗子さん)が階段に座り、「マミリ〜ン♪」と笑いながら手を振っている。そのすぐ近くにいるのは、テレビのディレクターらしき男性と、カメラマンさん、ADさん、それに音声さんだろうか。彼らは何かヨーガ関係の番組を収録しているらしい。不思議なことにクルーのひとりは、たいぶ前に私がレポーターを勤めたことのある「ハイテク発見」(信越放送)という番組のディレクターだったMさんではないか。「お久しぶりです」と言いたげに、彼は懐かしげに会釈をしてくれた。
【解説】 アイドル→脱アイドル→起業家→ヨーガ・インストラクターと、常に自分の気持ちに真正直に時代の先端を走り続けているチバレイは、私が大好きな「若い女友達」のひとりだ。時々メール交換などもしているが、夢に現われてくれたのは、おそらく今夜が初めてではないかと思う。「ハイテク発見」は1992〜93年にかけて制作したテレビ番組で、私は全60回にわたる番組のレポーターを務めていた。その時のディレクターだったMさんが今になって夢に現われたのは、正直なところ意外である。

【後日談】 昨日から家族と共に奥信濃の山小屋に籠もっている。この夢を見た数時間後、食料品の買出しのために近くの大型スーパーに出かけたところ、何かの番組取材だろうか、店の入り口付近にテレビのクルーが見えた。よく、街頭で通りがかりの人にインタビューしているテレビのクルーにバッタリ出逢うことがあるが、そのような場合、私は少し遠回りをしてでもカメラを避けるのが常なのだが、今日の場合は、クルーの前を通らないとどうしても出口に近づくことができない。仕方なく、なるべく顔を横に向けてその場を素通りしようとしたところ、不意に「山田さん!」という声がかかったではないか。驚いてそちらを見ると、なんとカメラを担いでいたのは「ハイテク発見」のADだったYさん。聞けば、「前の会社は辞めて、N放送のカメラマンになりました」とのことである。「ハイテク発見」のディレクターが夢に現われた数時間後に、同じ番組のADだった人が現実世界でも突然目の前に現われるとは、実に不思議な巡り合わせだ。


27日●麺食い

「麺食い」という名前のラーメンが新発売されることなり、私はそのCMキャラに選ばれた。カメラが回っている前で、「麺食い」を一口食べるという場面を何度も撮り直している。姿は見えないが監督らしき人の声がして、「丼のいちばん左側から食べてください」と指示される。言われたとおりに丼の左端の麺を掬うと、麺のほかには弱々しいモヤシが混ざっているだけだ。(シナチクや茹で海老、それにゆで卵や刻みネギなども入れて、もっと賑やかな彩りを付ければいいのに)と私は思い、そのことを監督に伝えようとしている。
【解説】 私は大の麺類好きで、毎日必ず1食は麺メニューである。ところが昨日は家に麺のストックがなかったため、米食とパン食だけで済ませた。その不満な気持ち(?)が夢に現われたのかも知れないが、もしそうだとしたら、私は自分で思っているよりも喰いしん坊なのかも知れない。



28日●脱走事件の跡地

体育館のような広い建物。そこは捕虜収容所の跡地らしい。私は何かを調査する目的でその建物の中にいる。工事現場監督風のヘルメットを被った白人の中年男性が、この建物に収容されていた捕虜たちが練っていた脱走計画について説明してくれる。捕虜たちは建物の片隅の床を掘り、そこからトンネルを掘る計画を立てていたらしい。この脱走事件(あるいは脱走未遂事件?)について詳しく知っている女性が近所に住んでいる。私は彼女をインタビューに行く。こじんまりとした趣味の良い一軒家に住む彼女は、30台後半と思しきスリムな白人女性で、笑顔がチャーミングな人だ。彼女は非常に協力的で、私のためにスコーンを焼き、コーヒーを煎れて歓待してくれる。そうこうするうちに、彼女の一人娘が学校から帰ってきた。小学校の1〜2年生だろうか。吃驚するほど大きな美しい目と、長く艶やかな黒髪が印象的だ。その子にぴったりくっついて、大きな犬が家に入って来た。それは、この子がつい最近飼い始めたばかりのペットで、ニャウニャウという犬種なのだという。ひょろ長い手足と、黄金色の長い体毛、それに高い鼻が目立つ犬だ。娘は母親に向かって、「すぐそこの道で、とっても可愛いチャウチャウを2匹見たわ」と言う。母親は苦笑しながら、「これ以上、犬は飼えないわよ」と牽制するように言った。
【解説】 脱走事件の夢ではあるが、街並みはカウラのそれではなく、どこかアメリカの田舎町という印象を受けた。ヘルメットを被った男性や、スコーンを焼いてくれた女性とその娘が喋っていた英語も、オーストラリア英語ではなく、明らかに米語だった。ところで、今日の夢でもそうだったが、私の夢にはしばしば「驚くほど目(あるいは髪)が綺麗な女性」が登場する。これは一体どういう意味なのだろう。



29日●何の略ですか?

恰幅の良い白人の中年男性が、にこやかに微笑みながら何やら口上を述べている。どうやら彼はテレビのクイズ番組の司会者で、私はこれから彼が出題するクイズに答えなければならないらしい。大きなボードに、“W.H.O. stands for World Health Organization.”(W.H.O.はワールド・ヘルス・オーガニゼーション〈世界保健機構〉の略です)という例文が表示された。次に司会者が(英語で)「では、V.I P.は何の略でしょう」と言う。ずいぶん簡単な設問だなと思いながら「ヴェリー・インポータント・パーソン(Very Important Person=要人)」と答えると、正解のチャイムが鳴り響き、会場から拍手が起こった。司会者は次に、「第2問。I..C.U.は何の略でしょう。2つ答えてください」と言う。私はまだまだ余裕で「インテンシヴ・ケア・ユニット(Intensive Care Unit=集中治療室)と、インターナショナル・クリスチャン・ユニバーシティ(International Christian University=国際基督教大学)」と答えた。会場からは先ほどよりも大きな拍手が起こる。司会者は続いて「第3問です。C.D.は何の略ですか。3つ答えてください」と言った。私は「キャッシュ・ディスペンサー(Cash Dispenser)、コンパクト・ディスク(Compact Disc)」と言ったあと、少し考えてから「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」と答えた。会場から起こる拍手と声援。司会者は作り笑いを浮かべながら、「すごいですね、ここまでは全問正解ですよ。それでは最後の質問です。これに正解すると優勝です。今のクイズで、あなたは何回“クリスチャン”と言いましたか」と言う。私は0.5秒ほど考えてから、「2回」と答えた。割れるような拍手が起こり、そのあと私は何か賞品を贈られる。
【解説】 このほかにも、今夜の夢の中ではずっと英語のクイズを出題されていたような気がする。



30日●邦楽家とジャグジー

海外の寂れた田舎町。広い原っぱのようなところで、野外音楽会を催すことになった。この日のために日本からやって来たプロの邦楽家2人と並んで、何故か私も演奏に加わっている。何の楽器を演奏したのかは、よくわからない(おそらく鼓または笙の笛ではないかと思う)。演奏会が終わると、一種独特の物寂しい気持ちが迫ってきた。2人の演奏家たちは、日本に帰る前に土産物を買いたいという。彼らを連れて土産物屋を3〜4軒ハシゴする。その間も寂しい気持ちは止まらない。私は彼らと一緒に日本に帰りたいのかも知れない。最後に行った土産物屋は旅館も兼ねているらしく、館内のあちらこちらに色々なデザインの湯船が見える。どうせ碌な風呂ではないだろうと高を括りながら歩いて行くと、ある部屋の一箇所だけが2メートルほど盛り上がっていて、その上に小さなビニールプールのような湯船が見えた。ずいぶん安普請な風呂だと思う。そこへ、まだ幼い息子(4歳ぐらいか?)がやって来て、嬉々として湯船に入ってしまう(2人の邦楽家は、いつの間にか姿を消していた)。試しに給湯ボタンを押してみると、予想に反して湯船は見る見る湯で一杯になり、しかも音を立ててブクブクと泡立ち始めたではないか。安っぽく見えた風呂は、実はなかなか快適なジャグジーだったのだ。嬉しそうに入浴する息子を、すぐ脇で見守っている私。
【解説】 久々に「幼い息子」の登場である。現実世界では中学生の息子が、何故か幼い姿に戻って時折り私の夢に登場するのだ。邦楽家の顔はよく見えなかったが、紋付袴で正装していたような気もする。



31日●高層ホテル

都会の雑踏。その中を歩いている私。目の前に高層ビルが見えてきた。ここの中間層の階に私は用事があるようだ。ところが、乗ったエレベーターは途中の階には止まらず、一気に屋上まで昇ってしまった。いつの間にか、近くに息子の姿が見える。私は息子と一緒に来たのだろうか。前後関係がよく思い出せない。屋上にはスーツをビシッと着こなしたエリート・サラリーマン風の男たちが大勢いる。彼らは一つの会社の社員ではなく、いくつかの異なった組織の人間たちのようで、それぞれのグループはバラバラに行動している。それにしても、ここは地上70階はあろう高層ビルの屋上だというのに、フェンス類は全く付いていない。息子がいちばん端のほうへ行こうとするので、「危ないから戻って来なさい」と止める。下りのエレベーターも、途中の階では止まらずに1階まで直行してしまうらしい。「途中階に用事があるのなら、階段を使うと宜しいですよ」と誰かが教えてくれる。息子とふたりで階段を降り始めた。1階分だけ降りたところに、ホテルの一室があって、何故か私の名前で予約が入っていた。ワンフロアの面積を全部使った、驚くほど広いスイートルームだ。ここで暫くゆっくりする。浴室に入ったり、ルームサービスの食事も摂ったような気がする。そうこうするうち、携帯に電話がかかってきた。男の声で、「これから、会計のことでおうちの電話のほうにかけますから」という意味の言葉があり、すぐに電話は切れた。
【解説】 昨夜に引き続き、ホテル(旅館)の夢である。今日の夢では、息子は身長が180以上あり、高校生か大学生のように見えた。
【後日談】 今朝は少し風邪気味だったので、朝早い時間に一旦起きて用事だけ済ませた後、二度寝をしていたのだが、その時に見た夢がこれである。夢の中で電話が切れたその直後、現実世界でも家の電話が鳴った。受話器の向こうから聞こえてきたのは、知り合いの税理士の声である。あまりのタイミングの良さに驚いてしまった。これからかかってくる電話の予告がなされる夢は、以前にも3〜4回ほど見たことがあるが、今回のように“会計のことで”といった詳細まで当てる夢は珍しい。まったく不思議なことである。




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