旅に出ていない限り毎週土曜日に更新します。

バックナンバーはこちらをクリックすると御覧になれます。

2004年8月11日号(第142号)
今週のテーマ:カウラの大脱走
 今から60年前の1944年8月5日、午前1時55分、シドニーの西約320キロに位置するカウラ戦争捕虜収容所で、1104人の日本人捕虜が一斉に蜂起、脱走を企てるという事件がありました。
 脱走当時、捕虜たちが手にしていたものは、野球のバット、そのへんで拾った木の棒、それに食事のときに配られたフォークやナイフなど。ほぼ丸腰に等しい、まさしく捨て身の脱走でした。

 自分たちのハット(捕虜の宿舎)にみずから火を放ち、
「デテクルテキハ、ミナミナコロセ」の突撃ラッパに続いて総決起した彼らの胸中には、生きてこの地上に残る意思など最初からなかったのです。
 生きるためではなく、
死ぬための脱走。―それこそが、カウラ事件という世界でも前例を見ない捕虜脱走事件の底に流れるテーマだったのかも知れません。

カウラ収容所があった場所の、現在
の様子。当時の建物の礎石がわず
かに残っています
 そのカウラの地で、脱走60周年を記念した大きな式典が開かれると知ったのは、去年の暮れのことでした。海軍のご出身で、かつて戦争捕虜としてカウラ収容所におられた高原希國(まれくに)さんが教えてくださったのです。
 高原さんは豪快な性格の関西人で、思ったことはハッキリと口になさいます。このとき、高原さんが私に仰った言葉はこうでした。

「真美さん、言うとくけどなあ、私ら元捕虜も、もうトシやでえ。
カウラに行けるのもこれが最後や。だから今回だけは、どんなことしても行かなあかん思うてますのや」

 このときの高原さんの言葉を、私はどうしても忘れることができなくなってしまったのです。

 話は前後しますが、今から9年ほど前、私はカウラ事件を扱ったドキュメンタリー“Voyage from Shame”(ハリー・ゴードン著)を日本語に訳して
『生きて虜囚の辱めを受けず』のタイトルで出版したことがあります。高原さんとは、そのとき以来のお付き合いなのです。
 高原さんがいみじくも指摘なさったとおり、カウラで捕虜になっていらっしゃった方々は既にご高齢です。鬼籍に入られた方も少なくありません。

 事件をこのまま風化させてしまいたくない。事件から60年経った
今だからこそ語れる真実がきっとあるはずです。オーストラリアで行なわれるという60周年式典の様子も、ぜひ映像に残さなければ。…そう思い、本当に居ても立ってもいられない気持ちでした。

 その気持ちをお話したところ、ありがたいことにNHKのプロデューサーが親身になって話を聞いてくださり、2時間のスペシャル番組
『カウラの大脱走〜オーストラリア日本兵捕虜・60年目の証言』を制作してくださる運びとなった次第です(放送は2005年を予定)。
 私も今回は作家ではなく、制作スタッフの1人として番組づくりをお手伝いしております。

 …というわけで、カウラ60周年記念式典に参加すべく、TVクルーの皆さんと一緒にカウラに行って参りました。

 シドニーからカウラへの所要時間は、普通ならば、8人乗りの小型飛行機で1時間。しかし私たちは大量の撮影機材を運搬するため、小型飛行機では無理。シドニーで小型マイクロバスをチャーターし、一路西へと向かいました。

シドニーから西へ自動車で2時間ほどの場所
にある「ブルーマウンテン」。世界遺産に指定
されています。この写真を撮った直後から雹
のような冷たい雪が降り出しました
 南半球は今が真冬です。オーストラリアというと年中暖かい場所を想像されるかも知れませんが、内陸では雪が降り雹がぱらつくほどの冷え込みよう。分厚いコートが必須です。
 世界遺産のブルー・マウンテンを通って、更に内陸に入り、約6時間かかってようやく到着したカウラの町には、冷たい雨が降りしきっていました。
 私たちはまず日本人墓地に出向いて、この
墓地に眠る231人の元捕虜のかたがたの墓標にお参りをして来ました。

カウラ日本人墓地。カウラの大脱走によって命
を落とした231名の元日本人捕虜がここに眠っ
ています。 多くの戦争捕虜が「捕虜となった恥
辱」から偽名を使ったため、墓の中に眠る人々
の本名は、今に至るまでわかっていません。右
手前に見える木は、かつて皇太子(現在の天
皇)が植樹なさったもの
 カウラに着いたその日から、私たちは朝から晩まで、ほぼ休みなしの超ハードスケジュールで撮影と取材を続けました。
 特にキツかったのは、8月4日から5日にかけてのスケジュールです。
 4日の昼過ぎから始まった公式行事は、ほぼ休みなしで延々と続き、5日の早朝には、なんと
深夜の1時55分(実際に脱走が起こった時刻)に脱走現場でサイレンを鳴らし、平和について考えるという行事まであったりして、もう全っ然、寝てる暇なんてありませんでした(苦笑)。
 
 過酷な取材(笑)の成果は、番組が完成した段階でゆっくりテレビでご高覧いただくとして、今日のところは、今回のカウラ滞在中のハイライト写真を何枚かご覧ください。

カウラ脱走60周年式典に臨む元捕虜の皆さん。
(左から)海軍出身の高原さん、陸軍出身の山田
さん、陸軍出身の村上さん、私




記念式典の会場にて(高原さん達の後方に並
んでいらっしゃるのは、元捕虜のご家族・ご遺
族の皆さんや、奈良日豪協会の皆さんなど)




同じく式典にて、脱走で命を落とした戦友達への挨拶文
を読み上げる山田さん(※山田さんは、元捕虜の皆さん
で組織される豪州カウラ会の現会長です)




大脱走の当日、日本人捕虜収容所の警備に当
たっていた元オーストラリア兵のマッケンジーさ
ん(左)と高原さん。事件から60年を経ての和解
は、心打たれるシーンでした




式典の間じゅう雨続きだった空に、
最後に大きな虹がかかりました。
まるで、脱走事件とその後の両国
の友好関係を暗示しているよう




ここが今回泊まったホテル。高原さん、山田さ
ん、村上さん達とご一緒の宿です




ちなみに、そのホテルには生後2ヶ月の仔犬(キ
ャバリアの男の子。名前はルーヴァン)がいて、
犬好きな私はメロメロになっておりました♪  写
真はホテルのオーナー夫人と、仔犬を抱いた私
 カウラでの式典がすべて終わり、高原さん達と別れた私たちは、シドニーに場所を移し更なる取材を続けました。
 事件当時を知るオーストラリア人の何人かは、現在ではシドニーにお住まいなのです。
 たとえば、大脱走が起こった当日にカウラ病院に勤務していた看護婦さんからは、当日の貴重なお話を伺うことができました。

カウラの寒さが嘘のように、シドニ
ーの冬は穏やかでした





元看護婦のスピアさん(85歳)。手
に持っておられる写真は、事件の
数年後に撮影されたもの
 カウラ事件を考えるとき、一種の呪文のように繰り返される言葉に「生きて虜囚の辱めを受けず」というものがあります。
 
これは、A級戦犯として戦後絞首刑にされた陸軍大将・東条英機が唱えた「戦陣訓」の一説で、その意味するところは、捕虜になることはこの上もない恥辱だから、敵につかまるぐらいなら自決しろという、大変厳しいものです。

 
戦後世代には到底理解できないムチャクチャな教えですが、
戦時教育を受けた日本軍人にとって、この言葉の持つ神通力と拘束力は、
ほとんどカルト宗教と言っても良いほど強固なものだったようです。

 カウラ収容所の日本人捕虜たちは、三度三度の美味しい食事を与えられ、強制労働が課せられることもなく、それどころか学芸会や相撲大会、野球の試合などリクレーションの時間さえふんだんに与えられていました。
 病気になれば即刻治療してもらえるという待遇を与えられていながら、
捕虜という身分から脱走したい一心から、彼らは大脱走を実行したのです。

 暴動の結果は、日本側の
死者231人、負傷者108人、成功者ゼロ。オーストラリア側の死者4人。
 史上最大の捕虜脱走事件は、オーストラリアと日本の
両国政府によって長く隠蔽され続け、事件が公式に語られるようになったのは、事件から40年も経った1984年のことでした。

 そしてこの事件の裏側には、
日本人のメンタリティーを考える上で最も本質的な何かが潜んでいるように思えてならないのです。
 戦争モノに興味のない方も、この番組だけは、是非ともご覧ください。放送日などは決まり次第お知らせいたします。

読者プレゼント。賞品は(左から時計回りに)
@白ワイン(辛口シャルドネ)Aマカデミアナ
ッツ・チョコレートBベジマイトCブッシュラン
ド・ティー(紅茶)

 さてさて、お約束の読者プレゼントですが、今回はオーストラリア・ワインなどをご用意いたしました(上の写真をご参照ください)。プレゼントをご希望の方は、

 @希望の品名
 Aお名前(本名)
 Bご住所と電話番号
 Cハンドルネーム(当HP上で公開しても構わないもの)
 D山田真美へのメッセージ

を明記の上、boosuke@badboy.co.jp までメールでご応募ください。
 
締め切りは8月21日、発表は次号の「週刊マミ自身」(8月22日更新予定)です。たくさんのご応募、お待ちしています。

 私は明日から暫く山ごもり。山小屋の横の
竹林復活プロジェクトに挑みます。次号では、その詳しいご報告をいたしますので、どうぞお楽しみに!

 ではでは♪
★今週のブースケとパンダ★

※ブースケとパンダは一足先に山小屋に出かけていますの
で、今週の写真はありません。あしからずご了承ください。
※前号までの写真はこちらからご覧頂けます。

事事如意
2004年 8月11日
山田 真美