2012年8月


1日●バス停を盗まれる
前後関係はわからないが、私は何の変哲もない国道のような道路沿いに立っている。たった今、どこかから到着したばかりのような気がするが、どこから来たのかは思い出せない。近くに2人の男性がいる。彼らは私の友達という設定だ。しかし彼らの顔は見えないし、言葉を交わした記憶もない。国道にしては、ここはずいぶん閑散とした道路だなと私は思っている。そもそも自動車の交通量がゼロだし、歩行者も見かけない。いるのは我々3人だけだ。私達は、それぞれがバス停のような物を担いでいる。そこには自分の顔写真や名前などIDが印刷されていたかも知れない。男性2人は、道路沿いの適当な場所に自分のバス停を置くことが出来たようだ。ところが私のバス停だけは、置いた端から盗まれてしまう。バス停を置いて、10メートルほど離れてから振り向いてみると、既に盗まれた後なのだ。はて、人っ子一人いない場所で盗難とは奇妙である。しかも他の2人のバス停は無事なのに、なぜ私のバス停ばかりが狙われるのだろう。訝(いぶか)しんでいるうちに目が醒めたようだ。
【解説】 バス停を担いで歩く、そのシチュエーションからして実に奇妙なのだが、夢の中の私は特に「重い」とも「変だ」とも思っていなかった。バス停というものが何かを暗示しているように思えるが、さて、一体何だろうか(夢占いの事典でも読みたいところだが、いま手元にないので割愛)。全体のイメージとしては、静かで、哲学的で、どことなく葬儀や通夜を思わせる夢だったかも知れない。


2日●オレンジ色を身に付けなさい
どこか遠くから声が聞こえて(あるいはメッセージが届いて)、オレンジ色の何かを身に付けなさいと言われた。そういえば前にも同じことを言われた。あのとき私に「オレンジ色を身に付けると良い」とおっしゃったのはダライ・ラマ法王だっただろうか。次の瞬間、私の目の前に鮮やかなオレンジ色が現われた。とても上品な色調のオレンジ色で、私は(あ、いいな)と思うのだが、それが何だったかは思い出せない。
【解説】 何年前だったか、あるときから唐突にオレンジ色が好きになった。それ以来、今も所持品のなかには必ずオレンジ色の何かが含まれている(例えば日記帳の表紙や、メガネのフレームなど)。オレンジ色を身の回りに置くだけで、太陽に近づいたような気持ちになる。夢に言われたとおり、明日からはもう少しオレンジ色を増やそうかしらと思う。
【後日談】 この夢を見た日の夕方、中学時代のクラスメートと久しぶりに会ったのだが、その彼女が身に付けていたワンピースが、まさに夢に見たものと同じ色調のオレンジだった。ひと言で「オレンジ色」といっても実に様々な種類があるが、彼女が身に纏っていたそれは、夢と全く同じ種類のオレンジなのである。何かを示唆しているようで、偶然にしろ嬉しい。


3日●……

【解説】 今夜は仕事でほぼ徹夜。夢は見ていない


4日●うどんを可愛く着る
ファッションショーらしき場所。出て来るモデルさん達は皆、太いうどんを体に巻きつけている。うどんは直径4〜5cmぐらいだろうか。要は白いロープをぐるぐる巻きつけたような格好なのだが、それが超ミニのワンピース(ベアトップ)に仕上がっており、見た目はメチャクチャ可愛い。(なるほど、この夏はうどんを着るのも悪くないかな)と思ったところで目が醒めた。
【解説】 なんとも美味しい、いや、おかしい夢だった。そういえば一昨日の夜、就寝前に急にうどんが食べたくなって、「うどん、うどん」と念じながら寝た。しかし、それがこんな夢になってしまうとは、頭がカオスすぎる(笑)


5日●ピンク色の靴
前後関係はわからないが、ふと見下ろすと、そこに4足の靴が置いてあった。パンプスあり、スポーツシューズあり、4種類の異なる靴だったと思うが、私の目にハッキリと映っているのはそのうちの1足だけ。それは少し紫がかったピンク色の靴(女性用)だ。不意にピンク色の靴の周辺に白い靄(もや)のような物が立ち込め、そこから白い曲線を描くようにして、靴はどこか別の場所へ瞬間移動(ワープ?)した。移動先の場所に靴と入れ替わるように置かれていたのは、何か別の物であった(人間、あるいはドレスだったと思う)。それを見ると私は何か納得したようだった。
【解説】 一昨日のオレンジ色に続いて、今夜はピンク色の夢である。実は目下、娘の結婚披露パーティーの「ドレスコード」について相談を受けている。私的なことなので詳細はここに書けないのだが……。おそらくそのことが今夜の夢の原因と思われる。それにしてもこの夏〜秋は論文執筆・学会発表・元捕虜の方たちへのインタビュー(西日本)・娘の結婚披露パーティー・母の傘寿祝い(北海道旅行)と忙しい。ドレスコードに沿ったドレスと靴を準備する暇が果たしてあるのだろうか!?


6日●駅を通過して新しい場所へ
最初、私は大勢の男女と一緒にいた。それが誰なのか詳しいことはわからないが、とても雰囲気の良い、知的レベルの高い、性格の穏やかな人達の集まりだったと思う。人数は12〜13人だろうか。外国人の姿もあった。ひとりは大柄な初老の男性だったと思う。そのあと、私は彼らと別れてどこか別の場所にいた。夜の駅舎のようなところ。今までいた場所からほんの少し下がった窪地のようなイメージ。静かで、初めて来た場所であるにもかかわらず少し懐かしい気持ち。心地よい孤独。少し淋しく、だからこそホッと安堵するような気持ち。次に気づいた時、私はまた新しい場所にいた。そこには、最初の場所で逢ったメンバーとは別の、しかし最初のメンバーと何らかの繋がりがある人達が集まっていた。若く強く美しいイメージの、さまざまな民族の女性達だったように思う。近未来的な、若々しく再生した躍動のイメージ。後方には大学のよう白っぽい5〜6階建ての建物が見えている。私はこの新しい場所で何かを始めようとしている。
【解説】 単純に解釈すればAからBへの移動の夢なのだが、少し見方を変えると、これは輪廻転生の夢だったかも知れない。AとBの間にあった「駅」という存在が奇妙なほど印象に強く残っている。それで思ったのは、自分は「駅」というコンセプトが好きなのかも知れないということ。人生の通過点、あるいは通過儀礼としての駅。私は一体、今までにいくつの「駅」を通過して来たのだろうか。今夜の夢の中でAとBは共に人間で溢れていたが、駅にいる時、私は一人ぽっちだった。そして、一人の時間をこよなく愛する自分がいた。何か、人生というものをよく表わしている夢だったように思う。


7日●芋虫ゴロゴロ
芋虫ゴロゴロごっこ。楽しい遊び。茶色い毛布をかぶって誰かが芋虫になっている。それを押して転がす。ブースケもいたかも知れない。野原に携帯電話とノド飴を落としてしまった。すぐに拾う。ほかにも色々なことがあったのだが、どんなことだったかは思い出せない。
【解説】 昨夜の信州の山小屋は、驚くほど肌寒かった。庭では夏の象徴(?)ともいうべきホタルが乱舞していたにもかかわらず、まるで秋のような冷え込みぶり。毛布(茶色)を1枚足して寝たが、それでも夜中に咳が出たり、寒さに目が醒めるほどだった。というわけで、夢は間違いなく見たものの(※見たことだけは覚えている)、肝心の内容はブツブツと細切れになっており、うまく思い出せない。


8日●8981
誰かが耳元でいきなり「はち・きゅう・はち・いち」と囁いた。前後関係から、それが何か特別な意味を持つ数であることは明らかだった(つまり耳元で囁かれる前に、私は既に何らかの夢を見ていたのだ。そのときは前の夢の内容も覚えていたのかも知れないが、今はどうしても思い出せない)。私は速やかに、そのへんにあったメモ用紙に「8981」と走り書きし、その上に「はち・きゅう・はち・いち」とルビを振った。
【解説】 そういえば私の夢の中には、時折り藪から棒な数が現われることがある。今日の「8981」も全く意味のわからない数だ。考えられる並びとしては「1989年8月1日」あたりだろうか。ネットで調べた限りでは、1989年8月1日に大きな事件はなかったようだが。あるいは日付とは無関係なのだろうか。


9日●クリスマスに「査定」を「ホゲー」する
最初の部分を思い出せないのだが、何やら楽しいことがあったようだ。気がつくと、知り合いの女性と2人(または3人?)で道を歩いていた。その道は、ヨーロッパのどこか古い街の、しかも裏道といった様相を呈している。裏道は入り組んでいるが、迷路のようではなく、むしろ幾何学的な美しさに裏付けられた入り組み方だ。そのへんに建っていたアパルトマンをしっかり見たわけではないが、イメージとしては、レンガ、花壇、窓の外に張り出した小さなテラスがありそうな佇まいである。私達はこれからクリスマスパーティーの会場に向かうらしい。そういえば、一緒にいた女性(達)は以前ご一緒に茶道を習っていたAさんとBさんだったかも知れない。Aさんとは夢の最初から最後までご一緒だったが、Bさんはいたりいなかったりフラフラしていた。不意に知り合いの女性と道でバッタリ会った。私達は「お久しぶり!」などを声を出して喜んでいる。その女性は、主治医の歯医者さんにどことなく似ていたが、やはり別人である。しかし夢のなかでは「よく知っている女性」という設定のようだった。彼女から「これからどこへ行かれるんですか」という趣旨のことを聞かれた。私達の姿を見れば、私達がクリスマスパーティーへ行くことは誰の目にも明らかなのである(サンタクロースのコスプレをしていたような気がする)。しかし私は笑いながら「年に一度の査定に行くんです」と答えた。これは何らかのジョークらしい。相手の女性もジョークであることを理解しているようで、笑いながら「査定ですか。ああ、なるほど」と応じた。そのあと私は「このことはインターネットにホゲーしなくちゃね」と言ったのだが、この言葉の意味が彼女達にはわからなかったようで、3人とも少し困惑したように愛想笑いを浮かべている。私は心の中で(そうか、彼女たちはネット関係の言葉をあまり知らないのだな。10年ほど前の日本では「age」だの「sage」だの「ホゲー」だの色々流行したけれど、彼女たちはその頃ネットを使っていなかったから、そういう言葉を知らないに違いない)などと思いながら、そろそろパーティー会場に向かわなければと思い始めている。
【解説】 何のことやら意味不明な、いわばナンセンスな夢だった。但し雰囲気は最高で、夢の中の私は最初から最後までルンルン気分だったのだが。しかし、この夢にはもうひとり大事な登場人物がいたような気がする。誰だったろう。思い出そうとしても全く思い出せない。そして、忘れてしまったその人こそがキーパーソンだったように思う(外国人の男性だったかも知れないが、それ以上のことは思い出せない)。なお「ホゲー」なんてふざけた言葉は聞いたことがない。


10日●ライ麦畑で撃たれる
気がつくと私はライ麦畑を歩いていた。前方には、麦の中に腰のあたりまで埋まったような恰好で、銃を持った男が立っている。男は、私以外の誰かを狙撃しようとしているようだ(但し誰を狙っていたのかはわからない)。私はそれを止めようと走って行った。すると男は私のほうに向き直り、躊躇せずに撃ってきたように思う。腹部に弾丸が当たったようだが、痛みはなく、どの程度の傷だったのかはわからない。
【解説】 狙撃される夢はこれが初めてかも知れない。しかし痛みはなかったので、弾丸が外れたか、あるいは急所に当たって死んでしまったかのどちらかだろう。それにしても舞台がライ麦畑とは驚きだ。サリンジャーじゃあるまいし。意味がわからない。このところ四六時中カウラ事件のことばかり考えているので、銃撃の夢を見たこと自体はごくノーマルかも知れないのだが。


11日●……

【解説】 今日はどんなに考えても夢を見た記憶がない。ということで、今夜は夢を見なかったのだろう。


12日●3日分の日記を付ける
日記帳を開いて見るともなしに見ていると、急に何かが頭の中で閃(ひらめ)いた。その瞬間、私は物も言わずに3日分の日記を書き上げていた。そのことについて誰か女の人からポジティブなコメントを貰ったような気がするが、褒められたということ以外には何も思い出せない。
【解説】 夢の中で日記をつけることほど空しいことはない。目が醒めて「あの苦労が全部夢だったのか」と愕然とするわけである。この手の夢を年に1度か2度は見るが、これは一種の悪夢と言えるかも知れない。


13日●もじゃもじゃがいたよ
すぐ耳元から女性の声で「もじゃもじゃがいたよ」と話しかけられた(但し声の主が誰であるかはわからない)。「もじゃもじゃ」さんとは、親戚の伯母さん(故人)のニックネームである。私は(そうかな。もじゃもじゃさんの姿は見なかったが)と思い、その話はスルーすることにした。
【解説】 今夜の夢には、この前後にもっとストーリーらしきものがあったように思う。しかし思い出せるのはこの部分のみ。「もじゃもじゃ」さんが亡くなって何年も経つが、特に親しい関係ではなかったし、生きている間にも数えるほどしたお目にかかっていない人なので、なぜ唐突に夢の中で名前が挙がったのか意味がわからない。


14日●燃えろいい女!
ビルの一室。事務所のような場所。ひとりの女性が私に向かって「『燃えろいい女』のキャンペーンのイメージは、この下でみんなで作り上げたんですよ」と言いながら窓の下を指さした。そこは新宿歌舞伎町のあたりだったと思う。その前に、まるで映画でも見るような感じで、当時どのようにして夏目雅子さんが『燃えろいい女』のキャンペーンに引っ張り出されたかの秘話を教えてもらったような気もする。私は(あのキャンペーンガールは小野みゆきさんじゃなかったっけ? 夏目雅子さんは『クッキーフェイス』では?)と思いながらも、相手の話に大筋で同意している。
【解説】 夢から醒めて、「そういえば、あの頃の日本は留まるところを知らないほど右肩上がりのバブル経済前夜だったなあ」、「それにしても夏目雅子さんは綺麗だった」と懐かしく思い出した。なぜ思い出したのか、理由はわからない。


15日●茶道の先生と遭遇する
道を歩いていると、向こうから茶道の荒井先生が歩いていらっしゃった。「あら山田さん、お久しぶりですね」と笑うその表情が、いつにも増して楽しそうだ。何か良いことがあったのだろうと思うのだが、私はそのことを言葉にしない。先生はほとんど白色に近いほど薄いグリーンまたは水色の、光沢のあるお着物をお召しだった。
【解説】 大学院に入ってから茶道はお休みしている。荒井先生にも長いことお目にかかっていないが、今夜は夢の中に登場してくださった。とても楽しげで幸福そうなお姿を垣間見ることが出来、ラッキーだった。


16日●12匹の黒アゲハ
クローヴァーが生い茂って一面の緑色が広がっている。その上にたくさんの黒アゲハが停まって蜜を吸っていた。パッと見た感じの印象では(10匹いるかな)という感じ。確認のため目視観察したところ、アゲハ蝶は全部で12匹いた。
【解説】 今夜の夢はこれだけではなかったと思う。しかしこの部分しか思い出せない。ちなみに蝶々の数え方は「1匹、2匹」ではなく正しくは「1頭、2頭」だったと記憶しているが、この数え方ではいかにも可愛くないので、ここでは「12匹」と数えさせていただきます。


17日●みんな海で溺れる
陸地と海の境目。砂浜から波打ち際、浅瀬を経て次第に深くなってゆくのではなく、ここは陸地と海の間に深い断絶がある。おそらく人工的な壁が築かれていたのではないかと思うが、細かな状況までは思い出せない。とにかく、その海は入るなり1メートル以上の深さになっているのだ。そこへ数人の小学生が入って行った。そのなかには小学生時代の私も含まれていたのかも知れない。次の瞬間、そこにいた全員が溺れてしまったような気がするのだが、私は大人の姿でそれを遠くから見ているだけで、助けることは出来ないし助けようともしない。
【解説】 昔パプアニューギニアの海で死にかけたことがあるが、あれは大人になってからの話だ。小学生の時に海難事故に遭ったことはない。しかし、まだあまり泳げない小学校低学年生の頃に海に連れて行かれ、少しゆるめの浮き輪を付けさせられて足のつかないところで放置された時は心底怖かった。夏は水難事故で亡くなる子ども達が多い。それが私には他人事とは思えないのだ、きっと。今週末も暑くなる予報が出ているので海へ行く子どもたちは多いのだろうが……どうか誰も命を落としませんように。

18日●……

【解説】 今夜の山小屋は肌寒すぎて何度も夜中に起きてしまい、そのためは夢を見なかった……ような気がする。


19日●Y美ちゃんから応援される
目の前に3人の女性が立っている。20代後半か30代前半のイメージ。但し、3人のうち顔が見えているのは1人だけで、残る2人は影のように付き添っているだけ。たった1人顔が見えているのはY美ちゃんだ。Y美ちゃんはヒマワリのような笑顔で何かを力説している。何を言っていたのか具体的には思い出せないが、どうやら私に対する賛辞を並べ立ててくれているようだ。Y美ちゃんは私の応援団なのだと思う。
【解説】 Y美ちゃんは「シーズーのママ会」(笑)で知り合った友人。年齢は40代のはずだが、見た目は確かに30前後に見える。とても明るく可愛い人なのだ。彼女が何を言っていたのかは思い出せない(厳密にいうと「夢の中でも聞こえなかった」)のだが、応援を受けていたことだけは間違いない。そういえば彼女は昨年ジニアが来日した時も労を惜しまず手伝いをしてくれたし、来月のカウラ講演会でもアシスタントを務めてくれることになっている。本当にありがたい。心から感謝しています。
【後日談】 この夢を見た直後、私がFacebookに或る人文系学会での研究発表に関することを書き込んだところ、すぐさまY美ちゃんが反応してくれた。それは私の着物姿に対する称賛と、「学会で着物を着てはどうか」という提案だった。それを読んでようやくハッキリと思い出したのだが、夢の中でも確かにY美ちゃんは私の着物姿を褒めてくれていた。しかし私はそのことを忘れていたのだ。Facebookの書き込みを読んでようやく思い出した。夢の中のY美ちゃんは私に何色の着物が似合うか、その色まで指定してくれたと思う(ブルーと言ったかピンクと言ったか、そのあたりは定かでないのだが)。というわけで今夜の夢はビンゴかな?


20日●親指のような物と天照大神らしき人物
古い日本家屋の一室。暗がり。信州の山小屋の奥の部屋(私はそこを「滝の間」と呼んでいるのだが)によく似ている。部屋の入り口には御簾が垂れていて、そのすぐ向こう側には腰の高さほどの台が置いてあり、その上には神棚のような物が供えられていた。神棚の上あたりに、人間の親指大の何かが置かれている。一見、人間の親指のようであるが、よく見ると薄ピンク色の小型ソーセージにも見える。いずれにしても私はそれを見て「気持ちが悪い」とは思わない。それどころか、ここは聖域だと思う。それを取り上げようとしたところ、左側から女神のような人が近づいてきて私の行動を補佐してくれた。それが誰であるかはわからないし会話もなかったが、イメージとしては天照大神を思わせる存在だった。
【解説】 今月に入ってからずっと、カウラで捕虜だったYさんに関する論文を1本書いている。その中に、Yさんが日本兵の遺体から親指を(遺族に届ける遺品として)銃剣で切り落とす場面があるのだ。今夜の夢にはその印象と、亡くなった兵士への黙祷の意味が含まれていたような気がする。


21日●朗報を聞く
詳細はわからないが、何やら朗報が飛び込んできた。私はその報告を長いこと待っていたらしく、心底ほっと安堵しながら喜んでいる。
【解説】 今夜の夢の中で聞いた朗報は、(それが具体的に何であったかは全く思い出せないのだが)喜びの大きさで示すと「中の上」または「上の下」ぐらいだった気がする。一体どのような朗報だったのだろう。思い出せないのは誠に残念。


22日●窓の下の若鷹
初めに数人の若い人達と一緒に何か楽しいことをしたように思うのだが、その場面に関してはぼんやりとした印象しか残っていない。次の場面で私は大きく開いた窓の前に立っていた。窓枠ギリギリのところに立って真下を見下ろすと、少し怖くなるほどの落差があって、ずっと下のほうに「若鷹」と書かれた紙が置いてあるのが見えた。えっと思いながら目を凝らした時には、もう紙はなくなっていた。
【後日談】 夢から醒めてすぐに山小屋の2階にのぼり、ふと窓の外に目をやったところ、突然、茶色っぽい塊が凄まじい勢いで左のほうから回り込むように飛んできて急降下、あっと思った時には張り出した枝の上に止まっていたジイジイ蝉を咥え、もと来たルートを飛び去って行くところだった。まさに「あっ」という間の出来事であった。飛んできたのは鷹ではないが、それに近い猛禽類(おそらくチョウゲンボウ)だったと思う。夢の中で見た紙に書かれた「若鷹」の意味は、これだったのだろうか。それにしても素早かったな、あの若鳥は。


23日●……

【解説】 今夜は何かとてつもなく楽しい夢を見たような気がするのだ。しかし目が醒めたら忘れていた。残念。


24日●見知らぬオバさん達とプールへ行く
気がつくと屋内プールらしき場所にいた。「らしき」と言う理由は、目に見える範囲にプールが見えないこと、しかし既に自分が水着を着ていること、近くからカルキ臭のする水の匂いが漂ってくることなどからの推測である。すぐ横を2〜3人の見知らぬオバサン達が歩いていた。このオバサン達はシャワー室がどこにあるか知っているようだ。知人ではないが、シャワー室の場所を知りたい私はこの人達について行くことにした。シャワー室(というか、実際には雑菌を殺すための小さなプール)で腰まで水に浸かったあと、何かを忘れたことを忘れたオバサン達は元の場所に急いで戻り始めた。私もオバサン達について元の場所へ戻り始めたところで目が醒めた。
【解説】 プールで泳げるのかと思いきや、結局は泳げずじまいだった。しかも一緒にいたのも知らないオバサン達だし。なんというか不完全燃焼な夢であった。


25日●赤ちゃんプールでマシュー君の子守りをする
明るく巨大な建物の中。大型の体育館のようなイメージ。その中を少し歩いてゆくと、ビニール製の赤ちゃんプール(空気を入れて膨らませるタイプ)が設置されていた。但しプールのサイズはかなり大きく、縦横4〜5メートルはあっただろうか。しかも途中に部分的に屋根がついていたり坂があったり滝が流れていたり、なんとも不思議な構造になっている。そのプールの中で懐かしい人達が水浴びをしていた。1979年に初めてアメリカへ行った時のホストファミリー(母親と3人の子ども達)である。私達はお互いに声を掛け合いながら笑顔で再会を喜び合った。ちなみに、ここでは数十年ぶりの再会という設定になっているのだが、相手の姿は1979年時点のままである(母親は30代半ば、娘は高校生、上の息子は中学生、下の息子は3歳半)。おそらく私も当時の姿のままなのだろう。私の気持ちは一足飛びに1979年に戻っていた。すぐにプールに腰までつかり(気がついた時には既に水着を着ていたのだ)、プールの縁がベンチのようになっていたので、そこに座って下の息子(マシュー君という)を抱っこしてやると、マシュー君も当たり前のように私に抱っこされたまま幼児英語で何か話し始めた(但し何を話したかは思い出せない)。マシュー君の子守りをしながら、私はとても懐かしく温かな気持ちを覚えている。
【解説】 昨日に引き続き、今日もなぜかプールの夢である。しかも両日ともに、腰まで水に浸かっただけで本格的に泳いでいない。この夏は論文執筆に忙しくプールへ行く暇もなかった(少なくとも今日までは一度も)。その燃焼しきれない夏のフラストレーションが二夜連続で夢に現われたのでありましょう、たぶん(苦笑)。ああ、海に行きたい。


26日●蚊取り線香でくつろぐ
蚊取り線香の上に足(……だったと思うが……足以外の別のものだったかも知れない)を乗せてくつろいでいる私。「今のキンチョーには何故何も付いていないのか!?」と少しばかり不満に思っている。
【解説】 全く意味不明な夢。蚊取り線香は好きだが、さすがに足を乗せたことはない(あたりまえ)。


27日●「前にも逢いましたよ」
前後関係が全くわからないのだが、気がつくと目の前に見知らぬおばあさんが立っていた(しかしその人が本当に「おばあさん」だったかどうか、顔を思い出せないので自信がない。「おばあさん」という名詞で覚えてしまっただけで、その実情は覚えていないのだ)。いずれにしても、そのおばあさんから「前にも逢いましたよ」と言われた。そのあと私は「お茶犬」の袋がどうなったかを調べるために、一足先に出かけることにした。
【解説】 何のことやらわけがわからない上に一瞬の夢だった。「お茶犬」はセガトイズとホリプロが共同開発したという犬のキャラクター。文字をパッと見た感じが「お茶大」と読めるので、面白がってグッズをコレクションしているのだ(笑)。夢に登場したおばあさん(?)が誰なのかは謎。


28日●プチ・フェンシング
友人のJさん(インド人)とEさん(オーストラリア在住の日本人)がプチ・フェンシングという競技をすることになった。どうやら原因は私にあるらしい。目の前にフリスビーのような形で青く光る物体が見えた。
【解説】 JさんとEさんは共に文科系の知識人。フェンシングとは縁のなさそうな人達だ。そもそも「プチ」フェンシングとは一体何だろう。色々とわけがわからないことだらけである。


29日●友達に母の護衛を頼む
友達のTさんに頼んで母を自宅まで護衛してもらうことにした。私自身はたったいま敵陣に向かっているので、母を護ることが出来ないのだ。
【解説】 何のことやらわからないが「有事」のイメージの夢だった。とはいえ時代は21世紀ではなく、おそらく武士の時代だったと思うのだが。


30日●ハンドパワー!
どんなに開かせようとしても掌(てのひら)が開かない物凄い赤ちゃんが生まれたと伝え聞いた。私は興奮しながらすぐに旅の準備を調え、赤ちゃんを探しに出かけた。その赤ちゃんの掌の中には、とてつもないお宝が隠されているのだ。それは人類の歴史が変わってしまうほどの瑞宝である(宇宙の謎が解き明かされる情報かも知れない)。実は少し前に私の掌にも何か宝のような物が現われたばかりなのだ。何かが起こる予感。
【解説】 世界史がひっくり返るほど素晴らしい赤ちゃんが生まれた夢。しかも私の掌にまで何か宝が現われたようだ。これは凄い。何だかわからないが、この夢はとても良いことが起こる前ぶれのような気がしてならない。


31日●……

【解説】 今夜は夢を見た記憶がない。




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