2012年12月


1日
●3つ並んだ三角屋根の家
ひどく尖った三角屋根が3つ並んだ塔のような家が見える。屋根の下(つまり部屋の中)では、3つの「何か」のうちの2つだけ、ほかの「何か」と交換できるという。私は何らかの形でこの件に係わっているのだが、どのような役割なのかは不明。何と何を交換するのかも不明。
【解説】 具体的に何がどうなっているのかわからない夢だった。記憶にハッキリと残っているのは、3つ並んだ「とんがり屋根」。そして「交換」というキーワード。3つのうち交換可能なのは2つだけ、ということは、残りの1つがハズレなのだろうか。あるいは逆に、交換されてしまう2つのほうがハズレで、交換されない1つはアタリなのか。よくわからない。


2日●古い屋敷と老婆
ヨーロッパの古い屋敷のような建物。小さなシャトー(城)かも知れない。私は見知らぬ2人の日本人(おそらく30歳前後の女性)と一緒に建物の中庭のような場所に入った。近くには、やはり日本人の上品な老婆がいる。私はその老婆に何かを渡した。それは印象的で、何か深い意味を持つ物だったと思う。
【解説】 今夜の夢は、実際には大層長く、途中で何やら奇想天外な出来事が起こったのだ。しかし詳細はまるで思い出せない。老婆の顔も今となっては思い出せない上、30歳前後の女性2人の顔に至っては最初から記憶がない。



3日●子どもの頃に暮らしたアパート
前後関係はわからないが、気がつくと目の前に見覚えのある鉄のドアがあった。ドアの左側には牛乳箱。その中には鍵が入っているのだと思う。と思った時には既にドアが開いており、私は見慣れた玄関に立っていた。玄関の右の隅の傘立てには、何本かの傘がさしてある。そのうち1本は黄色い子ども用の傘で、三角巾を被った母鳥とヒヨコの絵が描いてある。玄関から廊下を右に向かうと、目の前の襖がするすると音もなく開き、懐かしいリビングルームが現われた。真新しいピアノと、いかにも昭和を思わせるデザインの木目調のテレビ、敷き替えたばかりのモスグリーンのカーペット。その左隣の部屋には木製の箪笥が2本並び、そのうち右側の箪笥の引き出しを開けたところ、ピンとアイロンのかかった男物の白ハンカチの束と、おそらく葬式に使うのだろう黒腕章などが仕舞い込んであった。リビングルームを隔てた反対側の部屋には2段ベッドがあって、下の段では1歳ぐらいになったばかりの弟が寝ていた。ベッド脇の本棚には父の蔵書が並んでいる。三木清の『人生論ノート』を手に取り、すぐまた元の場所に戻した。私は、自分が過去に住んでいた場所に迷い込んだことに気づいている。そして心の中で(こんなに詳細な部分まで覚えているなんて、人間の記憶力って凄い!)と感動している。
【解説】 今夜の夢で私は、幼少期に暮らしたアパートに紛れ込んでいた。驚くべきはその記憶の確かさで、実に細かな部分まで当時のままに思い出すのである。写真など1枚も残っていない箪笥の中の様子まで、実にリアルに、ハンカチの皺の1本1本まで見えるのである。夢でこのあと誰かと遊んだような気がするが、残念ながらそのあたりの詳細は覚えていない。



4日●手づかみでラーメンを食べる男
誰かが巨大な鍋から手づかみでラーメンを食べている。それを見た私は(なんて下品な)と思う前にまず、(よく手を火傷しないなあ)と思ったような気がする。その人は髪は角刈りで、プロレスラーのような体型の男だった。実際プロレスラーだったのだと思う。ただし最初から最後まで下を向いていたので、どんな顔の男かはわからない。
【解説】 ラーメンにもプロレスラーにも思い当たる節はない。いってみれば「唐突な印象の夢」であった。



5日●緑色のコースターに書かれた不思議な文字
テーブルの上に緑のコースターが見える。ただし、その上にカップやグラスが乗っているわけではない。コースターだけが単品で置かれているのだ。それだけでも何となくシュールな風景だが、もっとシュールなのはコースターに書かれた文字だ。そこには白っぽい文字で、単語が4つか5つほど印刷されていた。どれも見たことのない文字である。強いて言えば日本語(平仮名またはカタカナ)とヘブライ語を足して2で割ったようなイメージの、なんとも不思議な文字である。ここには何か重大なことが書かれているのだと思う。しかしもっと重要なのは、文字が赤でも青でも黄色でもなく「緑色の」コースターに書かれているということのほうなのだ。。
【解説】 グリーンのコースターが長く印象に残る夢だった。私はしばしば「見たこともない文字」が登場する夢を見る。そこに何が書かれているのか、読みたいけれど読む術がない。今夜の夢に登場したのは平仮名(あるいは)カタカナとヘブライ文字のコラボだったが……。あんな文字を本当に作ったら面白そうだ。



6日●許す
とあるグループのメンバーの顔が次々に浮かんでは消えてゆく。この人達は、自分が上昇するためなら他人を蹴落とすことを厭わない、実に卑しい人々だ。彼らのこれまでの悪行の数が走馬灯のように思い出される。しかし私は彼らの罪(即ち無知)を許そうと思う。穏やかな気持ち。
【解説】 そういえば最近、こんなことを思っている。この人生の究極の目的は「全てを許す」ことだろう。こう書くと、まるでお坊さんにでもなったようだが(苦笑)、別に宗教的な気分になったわけでも何でもなく、ただ人間として50年以上を生きて来て、そういう境地になったというだけのことだ。実際、「許す」ことが出来ないためにどれほど多くの人々が苦しんでいるだろう。卑しい生き方だけはしたくないと、しみじみ思う。今夜の夢に登場したのは実在する人々だが、人を押しのけて社会的成功を果たそうとする(かのように私の目には映っている)人々だ。私は彼らのような人々のことも許せるようになるだろうか。人生は修行だ。というようなことを、今夜の夢から醒めたあとで思った次第である。



7日●伊豆の踊子、仰向けに倒れる
前後関係は思い出せないが、気がつくと階段の下にいた。目の前には、町人または芸人(いわゆる昔のちんどん屋さん)が何人かたむろしていたようだ。次の瞬間、伊豆の踊子風の「なり」をした者が、いきなり仰向けに倒れた。誰かが「大丈夫?」と呼びかけている。私は倒れた人が女性なのか、それとも女形なのかを見極めようとしている。
【解説】 なんともジェンダー・コンシャスな夢であった(苦笑)。私はつい最近、オーストラリアの戦争捕虜収容所に於いて日本兵捕虜が演じた「女形」の体験を通して見た「男性性の脱構築」に関する論文を1本書いたばかりなのだ。どうやらそれがこんな形で夢に現われたらしい。しかしなぜ伊豆の踊子なのか、理由はサッパリわからない。



8日●市民訴訟心臓マッサージ
本日午後5時に、東京都台東区某所のビルの1階で「市民訴訟心臓マッサージ」というものが行なわれるというお知らせが回ってきた。
【解説】 今夜の夢にはこの前後にもストーリーがあったように思うのだが、思い出せるのはこの部分だけである。台東区は以前住んでいた場所。夢に登場したのはかつて住んでいたビルだった。それにしても「市民訴訟」と「心臓マッサージ」のコラボはあまりにもシュールだ。何のことやらわからない変な夢。



9日●「UFOは存在する」vs.「存在しない」
何やら怪しいエセ科学雑誌があるらしい。誰かから私に連絡が入った。その人の話によれば、その怪しい雑誌に「UFOは存在する!」という胡散臭い記事が載っており、著者がナント私だというのだ。驚いて雑誌を広げてみたところ(注:気が付いた時にはその雑誌が目の前に置いてあったのだ)、確かにそこには問題の記事が掲載されていた。しかし、よくよく見るとそれは過去の記事で、私は自分がそのような記事を書いたことすら思い出せない。同じ雑誌には私が最近書いたという記事も掲載されており、そこには「UFOは存在しない!」と書いてあった。どちらの記事も、私には見覚えがない。
【解説】 自分が書いた記事を思い出せないとは、ひどい話である。しかし完全忘却は極端な例としても、30年前に自分がどこかへ寄稿した文章を思い出せるかと問われたら、忘れている物も多々あるかも知れない。UFO話も、昔の私ならひょっとすると肯定的に書いたかも知れない。人は日々変化する存在だから、何十年もの時間の変遷とともに考え方が大きく変容しても不自然ではないだろう。むしろ一生ひとつの考え方を貫く人のほうが、ある意味おかしいと言ってもいい(なぜなら宇宙は変化し続けており、その中で変化しないことは宇宙法則に背いているからだ)。夢から醒めて、朝っぱらからそんなことを思った。



10日●軍人将棋のプロデューサーは誰だ
軍人将棋は誰が流行させたのか。プロデューサーは誰だ。当時は電通や博報堂がないのだから、やはり陸軍が広告として流行させたのだろう。……というようなことを夢の中で考えながら、軍人将棋の駒を作っている私。
【解説】 なんというか、文字にしてみるとかなりシュールな夢である。戦争関係の研究をしていると、世間一般的に見たらおそらく「何これ?」とドン引きされる類の夢をよく見てしまうのだ。軍人将棋なんて、今の人は皆知らないだろう。あれ、結構面白かったな。小学校の時に男子と一緒によく軍人将棋を指したものだ(最初に教えてくれたのは、たしか父)。懐かしく、そしてヘンな夢。


11日●乗り合いタクシー
詳細を思い出せないのだが、私は出先で一夜を明かしたようだ。実家だったかも知れないが、それにしては見たことのない風景だったようだ。そこから自分の“本当の”家に帰ろうと思う。そのためにタクシーを頼もうとすると、2〜3人の男女が現われて一緒に乗ろうとする。乗り合いタクシーは構わないのだが、彼らと私が向かおうとする方向が同じかどうか疑問だ。なんとなく気だるく、気分が乗らない。
【解説】 実家を見ても実家のような気がしなかったり、一緒にタクシーに乗る相手に対しても何となく気分が乗らない夢。私は今、誰とも(仕事で)組みたくないのかも知れない。



12日●赤ちゃんがジャンプした
T家の赤ちゃんの姿が見えている。いきなり赤ちゃんがジャンプし、それを見ていたYさんが何かを発見して褒めている。
【解説】 T家はあまり親しくない(つまり、内情をあまりよく知らない)、一度か二度だけだけ会ったことのある人たち。赤ちゃんには会ったことがない。YさんはT家と私の共通の友人。全体に意味不明な夢。



13日●卵の皮の剥き方で悩む
気がつくと私は流し台らしき場所に手を差し出しており、その手の中には鶏の卵があった。卵の数は不明。1個だったかも知れないし、数個あったかも知れない。卵は既にゆで上がっていたと思う。その皮を剥くに当たって、どのように剥くのが最適であるかをめぐって私たちは考えている。そこに居たのが「私たち」(複数形)であったことは間違いないが、具体的に誰だったのかはわからない。私は(卵の剥き方は浅間山に行って聞くしかないな)と思っている。
【解説】 最後に浅間山(※長野県とGummarの県境にある活火山)が登場したということは、このゆで卵は「温泉卵」なのかも知れない。ただし、なぜゆで卵の夢を見たのか、理由は皆目わからない。ちなみに私は卵が好きではない。基本的に自分から進んで食べることはないし、なかでも「ゆで卵」は割と敬遠したいレシピーである。



14日●……

【解説】 暫く前に風邪をひき、それがなかなか抜けきらない。全身状態は悪くないのだが、ときどき咳と鼻水がぶり返すのだ。今夜もずいぶん鼻をかむために夜中に起きた。そのせいで見たはずの夢を忘れてしまった。



15日●2頭立ての車で曳かれるヒヨコ
気がつくと私は地上から3〜4メートルほど上空を飛んでいた。私の視線は地上を見下ろす位置にある。地上(つまり私の眼下)には雪が降り積もっている。真っ白な道の上を、1羽の小さなヒヨコが2頭立ての馬車(?)のような物に曳かれて、凄まじい勢いで移動している。ヒヨコを曳いているのは馬ではなく、2匹の小動物だ。小動物の大きさは、ハムスターよりやや大きいぐらい。上から見ていると、2匹の小動物とヒヨコのヒヨコが紐につながれて、ちょうど「V」の字のように見える。私はなぜか『ドナドナ』の歌を思い出して、ヒヨコを不憫に思っている。
【解説】 一昨日は鶏の卵、今夜はヒヨコの夢。何か関係があるのだろうか。ちなみに私はベジで、鶏肉も食べないのだが……。



16日●夢を記憶しようと必死になる夢
夢の中で何か夢を見たようだ。それがなかなか奇妙な筋立ての夢で、私は「忘れちゃ大変。メモしておかなくちゃ」と自分に言い聞かせ、メモを取ろうとする。ところがどこを探しても紙と鉛筆がない。パソコンも携帯も何もない。どうしたら忘れずに夢を覚えていられるだろう。必死で紙を探しているところで目が醒めるのだが、そこはまだ夢の中である。私は自分が夢の中にいることを理解しているようで、心の中で(なんだ、今のは夢の中の夢か。ということは、本当に覚えておかなければならないのは今から見る夢のほうだろうか)などと考えている。
【解説】 夢の中でグチャグチャ考え過ぎたために、最初の夢の内容を完全に忘れてしまった。しかし簡単に忘れてしまうぐらいだから、きっと大した夢ではなかったのだろう。



17日●自動車の窓から落ちかける
自動車の助手席に座り、窓を全開して、流れゆく道路を見下ろしている。前輪と後輪の間には、なぜかビニールシートの切れ端らしきものが引っ掛かっている。それを見た私は、(こんなものが引っ掛かっていては邪魔だろう)と思い、走っている車の窓から身を乗り出して、手指または棒を使ってビニールを取り除こうとした。その瞬間、ビニールが指(または棒)にぐるぐる絡みつき、私は物凄い力で引っ張られて窓の外に頭から落ちて行った。地面に完全に落ちる前にパッと目が醒めたので、そのあと自分がどうなったのかはわからない。
【解説】 ほんの0コンマ何秒の夢だった。夢から醒めてみると、今にも布団からずり落ちそうな危うい体勢で寝ている私がいた。これでは窓から落ちる夢を見るのも道理だ。



18日●私を避けて逃亡したピンクのコートの人
デパートのエレベーターホールの前。私はモスグリーンのいかにも高級そうなロングコートを着て、マダムという雰囲気を醸し出して立っている。私以外にあと2人、エレベーター待ちの人がいる。3人は等間隔で、つまり正三角形を描くような位置関係で立っている。そのうち最もエレベーターから遠いところに立っているのが、Kさんであることに私は気づいた。Kさんは私と同い年の女性で、とある分野での超有名人だ。しかし彼女は人の目をまっすぐに見ることが出来ない。何か精神に問題があるらしいのだ。そのことに気づいている人は、世間にはあまりいない。世間では、彼女は堂々とした人物と思われているようだ。私が彼女の存在に気づくよりも一瞬早く、彼女は私の存在に気づいたようだ。彼女は私を避け、少しずつ後ずさりしている。私は彼女の存在に気づいたことを彼女に気取られないように、何もなかったような顔をして、あらぬ方向を見ながらその場に立っている(それが私に出来る彼女への優しさだと思ったので)。そのうちエレベーターがやって来た。私は相変わらずKさんの存在に気づかぬふりをしたまま、箱に乗った。その隙にKさんは恐ろしい勢いで、まさに脱兎のごとくその場から逃げて行った。彼女の着ていたギョッとするほど人目を引くショッキングピンクのコートを見ながら、私は心の中で(彼女は一体目立ちたいのか、隠れたいのか。バランスの悪い人だな)と思っている。
【解説】 またしてもおかしな夢であった。Kさんという人は実在の人物だが、長いことあっていない。突然夢に現われる理由は皆目わからない。そんなことよりも興味深いのは、夢の中で自分が着ていたモスグリーンのコートである。このコートは現実世界で所持していない、またショップなどで見たこともない、まさに道のコートなのだが、以前にもこれと全く同じコートを着ている自分が登場する夢を見たことがあるのだ。何年前のことか忘れてしまったが、過去の夢日記を全部ひっくり返せば、どこかに記録が残っているはずである。前回の夢の中では、私はこのコートを雨の中で着ていたような気がする。そしてニューヨークのような街の舗道を歩いていたと思うのだ。なぜ2度も、現実世界では持っていないコートを夢の中で着ていたのか。しかも普段の私が絶対に買わない「モスグリーン」という色の選択は何を意味しているのだろう。謎だらけだが、この夢には何か深い深層心理の分析を加えられるかも知れない。



19日●カウラからの生還者の死
「わーん、わーん」と大声を上げて、数人の子ども達が大泣きしている。着物姿の7〜8歳ぐらいの男の子の姿が、私の目に焼き付いた(ただし彼は座り込んで下を向いて泣いているので、顔はまったく見えないのだが)。男の子は坊主頭で、素人が刈ったのかトラ刈りである。ところどころに10円ハゲがあったかも知れない。その姿を見た私は心の中で、(また生き残りが死ぬんだな)と思う。そう思ってから、自分がたったいま思ったばかりの言葉を心の中で反復し、意味を考えてみた。すると「カウラからの生還者の誰かが亡くなる」という言葉が突然浮かんできた。それで、ハッとして夢から飛び起きた。
【解説】 何か、嫌な感じのする夢だった。本当に誰か亡くなっていないとよいのだが、と直感した。元捕虜の皆さんは、既に軒並み90歳を超えていらっしゃる。いつ何が起こっても仕方がない。特に冬はご老人にとって厳しい季節だ。お幸せに長生きをして欲しいが、永遠に生きていただくことは当然不可能だ。また「さようなら」の時期が近づいているのかも知れない。それにしてもあの男の子は、なぜ泣いていたのだろう。あの子は元捕虜の少年時代の姿なのかも知れない。



20日●実家へ行くが朝食をもらえない
朝食時に実家へ行ったが、なぜか母が朝食を出してくれない。私は空腹のままその場から立ち去ろうとしている。
【解説】 なんとも可哀そうな夢だった(苦笑)。夢の中で、あのあと私はどこへ行ったのだろう。気になる。



21日●……

【解説】 しつこい鼻風邪をひいてしまい、昨夜は夜中に何度も起きて鼻をかみまくっていた。そのためか夢は覚えていない。



22日●宝くじで1兆円が当たる
気がつくと宝くじ売り場にいた。ある数が頭に浮かんだので、紙の上に大きいほうの位から数字を書いてゆく。一の位に「5」と書き入れようとした瞬間、いつからそこに立っていたのか、数字に強い友人のTさんがいきなり現われて、「そこは6にしたほうがいいよ」と言った。私は(Tさんがそう言うなら、きっとそれが正しいのだろう)と思い直し、一の位を「5」から「6」に書き改めた。そのあと宝くじが当たったことが判明するのだが、その当選総額は1兆円だった。
【解説】 1兆円が当たるとは、実にメデタイ夢である。まあ、1兆円の大金が当たるような宝くじはこの世に実在しないと思うが(笑)。もしも1兆円が当たったら、まず200億円かけてカウラ事件映画をつくりたい。監督はクリント・イーストウッド氏にお願いするかも。脚本は当然自分で書くが。メッチャ壮大な映画を作って全世界に配信するんだ。その次に出版社をつくる。自分の本を出すことはもちろんだが、世に埋もれている「商業的には成功しないかも知れないが出版すべき秀作」を漏れなく出版するのだ。学校もつくりたい。1兆円があったとしても、美食はしない。なにしろベジタリアンだから、食事にはさほどお金の掛けようがないし……ネ(笑)。山小屋が気に入っているので、屋敷を建てるようなこともしない。しかし旅は好きだから、取材も含めて旅の回数はぐっと増えるだろう。なにしろ予算がたっぷりあるのだから。……などなど夢が広がる夢であった。
【後日談】 この夢を見た数時間後、某ショッピングモールで買い物をした。クリスマス用のラッピングを頼んだところ、たいへん混雑しており、「暫くお待ちください」の言葉と共に引換券を渡された。その引換券に印刷された数字が、なんと夢で見た数字の並びと同じであった(ただし順番が前後逆)。面妖である。なお、万が一にも正夢になるといけないので、一応「ナンバー4」という宝くじを生まれて初めて5口だけ買ってみたが、そちらは残念ながらハズれ。今夜の夢はどうやら「引換券の数字」に関する正夢だったようだ(苦笑)。



23日●ダブルの回り階段と兵隊
気がつくと眼下に回り階段が見えた。そこを下ってゆく武装した兵士も見えた。兵士は帽子を被っており、また上から見ているので顔は全く見えないが、おそらくアメリカ兵だと思われる。不思議なことに、私の目には同じ風景が2つ、ダブって見えるのである。つまり回り階段と兵士が2つ(2人)ずつ、ちょっとだけズレて見えるのだ。ノイズだろうか。それとも時間がほんの少し(0.5秒〜1秒ほど)異なる未来と過去の映像を私は同時に見ているのだろうか。
【解説】 時間にしてわずか1秒ほどの、「瞬間の夢」だった。SF的というか、映画のワンシーンのようなイメージの夢。



24日●庇(ひさし)の上の5つの物体
白っぽい建物の外壁。そこから直角に飛び出した細長い突起物。いわゆる「日よけ・雨よけ」のための「庇(ひさし)」とは明らかに異なる何かなのだが、では何か他に呼び名はあるかと問われても思い当たらない。そこで仕方なくこれを「庇」と呼ぶことに私は決めた。庇の上に何か小さな物体が5つ、等間隔で乗っているのがかすかに見える。私は少し低い位置(おそらく地上)にいて、庇のほうが高い位置にあるので、ここからでは庇の上の様子がよくわからないのだ。5つの物体のうち、いちばん左は刃物ではないかと思う。実際に見えたわけではないが、これは私の直感だ。私は手を切らないように(さらに、その刃物に病原菌が付着していることも考慮して)厚手の医療用ナイロン手袋をはめ、庇の上を注意深く手探りしてみた。左の2つのうち、1つは刃物、もう1つは冬ミカンほどの大きさの白っぽい何か(紙を丸めたようなクシャクシャ感のある何か)だったと思う。右側の3つが何であったかは思い出せないが、いずれも大きさはそれぞれ手のひらに収まる程度であったと思う。
【解説】 全く意味のわからない夢。そういえば今月22日に見た夢の中で私は宝くじを当てていたが、そこでも「5」という数字が重要な意味を持っていた。どういうことだろう。



25日●同じことを解答する5人
前後関係は全く思い出せないが、その場には私を含めて5人の人間がいる。国籍や性別は何一つ思い出せない。おそらく何か質問があったのだろう、5人は一斉に同じ意味のことを、別の言い回し、または別の言語で解答した。但し質問が何であったかは思い出せないし、答えが何で、5人がそれぞれ何語で答えたのかといったことも、全く思い出せない。
【解説】 22日、24日に引き続き、またしても「5」の夢である。何なんだろう。気になる。


26日●思い切ってバッサリ髪を切る
ふと気になって髪に手をやると、ガムのようなものがベッタリと付着していた。取り除こうにも取り除けない。その部分の髪を切り取るしか方法がないようだ。しかし、よくよく見ると、私の髪はいつの間にこんなに伸びていたのだろう。腰のあたりまで伸びているではないか。だがそれは艶々した黒髪ではなく、赤っぽい茶髪で、何度も繰り返しヘアダイしたのか縄のようによれよれにくたびれているのだ。私は思い切って数十センチほど髪を切った。しかしそれでも残りの髪が胸のあたりまで長く垂れているのには驚いた。もう少し丁寧に毛先を切るために、私は公園へ出向いた(そこに鏡があるからだと思う)。しかし公園に着くや物乞いのような人たちが近づいて来たので、私は別の場所を目指そうとしている。
【解説】 現実世界では生まれてから一度も髪を染めたことがない。これは私の自慢であり、ポリシーでもある。しかし今夜の夢の中では、自分の髪がヨレヨレな赤毛になっており、それはとても悲惨で不愉快な光景だったのだ。その、傷んだ髪をバッサリと切り落としていた私は、本来の自分を取り戻そうとしていたようにも思われるし、あるいは新しい自分に生まれ変わろうとしていたようにも思われる。「古い上着よさようなら」という歌詞を、ふと思い出した。「公園で物乞いにたかられ、逃げる」というストーリー展開が何を意味しているのかは謎。


27日●チャンドラ・ボースとの面会
気がつくと銀座の街なかを歩いていた。太陽光線の角度からすると午後3時頃だろうか。人影がまばらで、どこか異空間にいるような不思議さがある。私は銀座3丁目に向かっているのだと思う。これからどこかのビルの中でチャンドラ・ボースに会うことになっているのだ。それにしても、第二次大戦の終わった直後に台湾で亡くなったとばかり思っていたボースが生きていたとは、まさに青天の霹靂だ。今までどこに潜伏していたのだろう。年齢は120歳ぐらいになっているのではないだろうか。ボースが生きているとすると、杉並の連光寺にある骨は一体誰の遺骨なのだ。お目にかかったら「ネタジ」とお呼びするのが良いのだろうか。きっとそれが良いに違いない。……色々なことを考えながら歩いている。午後の太陽がやさしいオレンジ色に街を包んでおり、私は「落日」という言葉を思い浮かべている。
【解説】 残念ながらネタジに会う前に目が醒めてしまったが、お会いできていたら、一体私たちはどんな会話を交わしたのだろう。ネタジは100歳を超えた姿で現れただろうか。それとも写真でよく見知っている、あの若々しい軍服姿で登場したのだろうか。お目にかかる前に目が醒めてしまったことが、かえすがえすも口惜しい。


28日●T家の奥さん
私がどこかへ行くと、そこにT家の奥さんもいた。なんでこんなところにまで彼女がいるのかと思う。領海侵犯されたような気分。しかし私は気にしないことにした。そのあと夢がどのように進展したのかは覚えていない。
【解説】 ここに登場したのは、今月12日にも夢に登場した同じT家の人である。私はこのご家族のことを実はあまりよく知らないのだが、こうした夢を続けて2度見たことは興味深い。要注意かも。


29日●年賀状作り
年賀状を作ろうとして必死でデスクワークに励んでいる。画像が何枚かあり、私はフォトショップを使ってそれらを綺麗に並べようとしているのだが、それぞれの画像の形と大きさが異なる上に、フォトショップの使い勝手も悪く、私はかなり手こずっている。
【解説】 現実世界でも年賀状作りにてこずっている。というか、正しく言えばまだ年賀状作りを始めていない。それどころか文章も考えてないし、デザインも決めていないし、それどころかハガキを買ってすらいない。年賀状作りを実際に開始していたという意味では、夢のほうが現実よりも遥かに進んでいたと言えるだろう(苦笑)。


30日●すんでのところでガス爆発しかける
前後関係がよくわからないのだが、気がつくと私は見覚えのない部屋にいた。薄暗く、古くて平凡な部屋だ。和室ではなかったと思う。コンクリート打ちっぱなしだったような気がするが定かではない。実験室のような殺伐とした灰色の雰囲気を思い出すのだが、具体的にどこがどうといわれると思い出せない。壁にガスの栓が2つあって、そのうちの左側の栓からガスが漏れているようだ。そのことに気づいた私は急いで近づいて栓を固く締めた。ガスが止まりホッとしたのも束の間、暫くすると再びガスが噴き出した。しかも今回は先刻より遥かに強い勢いでだ。誰かが声にならない声で「引火して爆発するから早く逃げろ」と私に告げたかも知れない。しかし私がこの場を見捨てて逃げるわけには行かない。いつ爆発するかも知れない恐怖と戦いながら、私は必死でガスの栓を閉め続けた。それでもガスは止まらず、最後にとても嫌な臭いがあたり一面に充満してしまった。もう、呼吸をするのも辛いレベルである。そうこうしている内にいきなり目が醒めた。
【解説】 目が醒めてみると、顔の回りに毛布がぐるぐる巻きになっていた上に、ブースケ(犬)のお尻が顔の上に乗っていた。これでは窒息の夢を見る道理である。


31日●……

【解説】 今夜は実家に泊まった。大晦日ということで珍しくテレビを見たり二年参りに出かけたりして過ごしたため、いつもとは睡眠のパターンが違ったようだ。おそらくそのせいだろう、夢を見た記憶がない。




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