2014年1月


1日(初夢)●……

【解説】 今年は初夢を見なかった。夢日記をつけはじめてから満10年(今日から11年目)になるが、初夢を見なかったのは今回が初めてのことである。昨年の途中から急に夢を見る回数が激減し、12月に至っては31日間で1回しか見なかった。子どもの頃から「毎晩のように夢を見ることが当たり前」だった私の身に起こっている、これは大事件である。博士論文を書いていることと夢を見なくなったことに何らかの密接な関係があるような気がするのだが、博士論文を書くことによって脳がどのように変化しているのか、そのメカニズムは私自身にも全くわからない。これほど夢を見ないなら、いっそ「夢日記」自体を終了しようかとも思うのだが、博士論文を書き終えた後に夢が復活する可能性が無きにしも非ずなので、とりあえずそれまではこのページを続けようと思う。



2日●……
【解説】今夜も夢を見なかった。


3日●左の物を右へ移動させる

前後関係を全く思い出せないのだが、目の前に「枕」によく似た大きさ・形の白っぽい「物」(ただし枕ではない)があった。「物」は1個だけか、あるいは2個以上あったのか。そのあたりは定かでないが、どんなに多くても3個以上はなかったと思う(おそらく1個、あるいは2個)。私は「物」を左から右へ移動させようとしている。移動距離はわずか数十センチだが、その間には何か非常な緊張を強いられる「分断」がある。「分断」は、見た目には幅2~3センチの川のようなもので、しかし高濃度の放射性物質あるいはそれに匹敵するような致命的な何かが含まれている気がする(単なる勘だが)。「物」を右に移動させたあとも、そのさらに右側には崖があるため、「物」が崖下に滑り落ちてしまう危険がある。この崖を落ちてしまったら、もう救いようがないのだと思う。私は無言で淡々と「物」を左から右へ移動させている。
【解説】 正月2日、とても残念な出来事があった。具体的に言うと「期待していたものが期待に反して全くダメだった」という失望。この「ダメだったもの」をどうにか再起させることが出来ないだろうかと昨日から気を揉んでいる。その気持ちがこの夢には込められていたかも知れない。左から右への物の移動は、「ダメになったものを再起させるためのプロセス」を意味し、放射性物質を含んだ川と崖は、プロセス自体の難しさと、プロセスが完了した後も予断を許さない状況を夢が占ってくれたのではないだろうか。いずれにしても正月から難しい夢を見たものである(苦笑)。ちなみに、そのような状況下でも博士論文は順調に進んでいる。この論文は何があってもこの世に残さなければいけない重大なもので、実際に書いているのは私だが、言ってみればそれは天が私に力を与えて書かせてくれているのだと思う。私は宗教的な人間では全くないが、天からの「使命」というものを今痛感している。夢日記から話がそれてしまったが、今年も頑張ろうと思う。



4~6日●……

【解説】 夢を見た記憶はない。



7日●王子様と30キロ走と母との時間

やんごとない雰囲気の小さな男の子(日本人)が道を歩いて来た。学校帰りのようだが、その子がひとりで歩いていることに私はひどく驚いている。なぜならば、その子はどう見ても王子様だったからだ。誘拐などされたら大変だ。単独下校は危なすぎる。然るべき人に「SPを付けるべきです」と進言しなくてはと私は思った。場面が変わり、私は長距離走に出場しているらしい。その会場が実に不思議な場所で、空に浮かんだ町なのだ。地上数十メートルから数百メートルの高さに大きな建物がいくつも浮かんでおり、それらは全て金属製の簡易階段で繋がっている。私はその階段を走っている。相当な距離を走ったように思うが、疲労感はなく、むしろ爽快だ。ゴールしてみると私は女性の1位、男性を入れてもトップから10位以内だったらしい。しかも走った距離は30キロメートルにも及んでいた。実は今回、私は何故か女子の1位になりたくなかった。それで意図的に遅めにゴールしたはずなのだが、どこでどう計算を誤ったのか早く走り過ぎて1位になってしまったようだ。ゴールの地点に大会役員の男性がいて、その人はどこかで見たことがあるような雰囲気なのだが、よく見ると知らない人だ。その人は何か優しい言葉をかけてくれた(残念ながら内容は覚えていない)。その人とは別に、近くには宇宙作家クラブのメンバーが何人かいたような気もする(チラッと見えただけ)。このあたりで再び場面が変わり、気がつくと今度は母とふたりで長野駅付近(らしき場所)を歩いていた。そろそろ母と別れる時間なのだが、何となく別れがたい気持ちがしている。駅の近くに100円ショップのアウトレットが出来たことを思い出した私は、「一緒に行かない?」と母を誘ってみた。母が快諾してくれたので、私は母と別れる時間が先延ばしになったことを嬉しく思いながら道を歩き出した。
【解説】 昨夜はずいぶん長い時間、夢を見ていたような気がする。最近では珍しいことだ。最初の王子様の夢は「単純な驚きと不安」、真ん中の空中に浮かんだ町での長距離走の夢は「おとぎ話のような不思議さとふわふわ浮きたった気持ち」、そして最後の母との夢は「まだ一緒にいたいような後ろ髪をひかれるような気持ち」
。一晩の間にずいぶん色々な感情が交叉したものである。3日の夢にも書いたように、今月は2日にとても残念なことがあったのだが、その後、その出来事は良いほうに向かって進みだしたようだ。短い時間の間に起こっている変化と、それによって一喜一憂する気持ちが今夜の夢には表われたようだ。


8日●Oさんとはぐれ、倒壊した鳥居と緑色の顔の男を見かける

何かのイベントに出席するために電車に乗っている。一緒にいるのは大学の同窓会でご一緒のOさんだったと思う。目的地に近い駅に着き、降りた瞬間、「連光寺」の文字が見えたような気がした。それを見た瞬間、私は(ひょっとしてチャンド・ボースの遺骨を祀った連光寺では)と思っていた。実際には、そのあたりの風景はボースゆかりの連光寺がある杉並とは似ても似つかないし、それどころか東京にすら見えない。まったく見たことのない風景だ。しかし私は「もしかしたら」という気持ちに憑りつかれてしまったようだ。駅から表に出ると、すぐ目の前がイベント会場だった。直径数十メートルのすり鉢状の大きな広場があり、その向こう側には1階建てまたは2階建ての低い建物が並んでいた。Oさんは早速イベントのチラシを入手したらしく、それを見ながら「お茶席があるようですよ。『煎茶』と『碾き茶』の2種類があるようですが、どちらに行きますか」と言った。私は(濃茶と薄茶でなくて煎茶と碾き茶!?)と心の中で怪訝に思うのだが、「連光寺」が気になって仕方がないので、「どちらでも結構です」と適当な答えを返した。私はOさんから一瞬だけ離れ、すぐ近く(10メートルほど先)の建物を見に行った。表から見ると古民家のような風情だが、後ろへ回り込んでみると、そこには倒壊して何かの下敷きになった鳥居の一部が見えていた。驚いて駆け寄ってみると、看板が出ており、この鳥居(及びお宮全体)が最近の地震で倒壊したこと、現在は復興準備中で寄付を募っていることなどが書かれていた。私以外にも2~3人、見物者がいたかも知れない。ここが連光寺とは何の関係もない場所で、お寺ですらなくお宮だったことを知った私はOさんのほうに戻り始めた(その間、心の中で「最近そんな大きな地震が東京であったかな」と疑問に思っていた気もする)。元の場所に戻ってみるとOさんの姿が見えなかった。私はあわててその辺りの建物に入り、Oさんを探し始めた。そこでは今から私が行こうとしているイベントとは別のイベントが行なわれているようで、受付に係の男性がいた。その人の顔を見た瞬間、何故か私は(あっ、昨日の人だ)と思う。その人は顔が緑色で、目がぎょろりと大きく、顔立ちに特長というか大変なインパクトがある。宇宙人とか爬虫類を髣髴させる顔だ。年の頃なら60代前半といったところ。私は(本当は別の人に尋ねたかったがほかに適任者がいないので)その人に「お茶席はどこでしょうか」と尋ねた。するとその人はいかにも不気味な笑顔を浮かべ、「それより昨日の話の続きですが……」と何か話しだそうとしている。私はそれを制止し、「すみませんが大変取り込んでいますので失礼します」という意味のことを手短に言うと、その場所を離れOさんを探しに走り出した。
【解説】 ろくでもない夢だった。昨年から全くと言っていいほど夢を見なくなり、ここ数日ちょっとまた夢を見るようになってきたかなと思えば「鳥居の倒壊」だの「緑色の顔の男」だの「友達とはぐれる」だの、縁起でもない内容ばかりだ。今年は時間がなく、実はいまだに初詣に行っていない。日曜日にはどうにか行けそうなので、思いっきりお参りをして来ようと思う。ちなみに「緑色の顔の男」は現実世界では知らない人。にもかかわらず見た瞬間に(あっ、昨日の人だ)と思ったのは面妖である。いつか夢で会ったことがあるのだろうか。そのような記憶はないのだが。これを書いていてふと思ったのは、あの人は見た目こそ不気味だが、実は物知りな仙人で私に何かを教えようとしていたのかも知れないということだ。この次にまた夢で会うようなことがあったら、今度はちゃんとお話を傾聴しようと思う。



9~31日●……

【解説】 この間、夢を見た記憶は一切なし。





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