【相談者】 Y氏の隣人さん、30代女性
最近、ほんの少しだけ調子をくずしてました。すべて厄年だからなのでは?と疑っています(笑) 。
やっと復活したのですが、またもや不運?! 不注意?!おとといの晩に洗濯機のホースがはずれ下の階まで水浸しにしてしまいました。
自分だけならまだしも人様にご迷惑をかけてしまい、少しばかりモチベーションが下がっております。
これも社会勉強と思い、乗り切ろうと思っていますが……。
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【マミリンからのお返事】
ドンマイ、ドンマイ! そういう失敗なら私も山ほど経験したよ(苦笑)。
20代のときにシドニーでひとり暮らしをしていたときは、特にひどかったなあ(しみじみ)。お風呂にお湯を張ろうと思って、蛇口を開けたまま忘れて外出してしまい、アパートの下の家が大洪水! もう死にそうになりながら、ほとんど土下座!って感じで半泣きで謝罪に行きました。
実はそれまで下の階の人には会ったことがなかったんだよね。半殺しにされるんじゃないか(汗)と思いながら決死の覚悟で行ってみたら、住んでいたのは老夫妻で、ものすごくいい人たち。
「今は現金がありませんが、アルバイトをしてなんとかお金を工面して弁償します!」
と私が必死で謝ったら、
「いいんだよ、グリーンだよ」(爆)
と許してくれて、逆に夕食には招待されるわ、その少しあとで病気になったら病院まで手配してくれるわ、まるで本当の親戚のオジサン・オバサンみたいに優しくしてくれたんですよ〜(号泣)。今考えても、あれが一番ツラくて一番嬉しいシドニーの想い出かも。
そんなわけで、Y氏の隣人さん。不幸はしばしば幸福を連れてくるものなのです。 そして、それはすべてY氏の隣人さんの心の持ち様ひとつなんだから、いつでも前向きに、ハッピーに生きるのだ〜♪ ―マミリン
【後日談】
この事件のあと、Y氏の隣人さんはすぐに菓子折りを持って階下の家に誠心誠意のお詫びに行ったそうです。
この、「すぐに」しかも「菓子折りを持って行った」というリアクションの速さ&気配りが高感度高いですね。悪いことを放置した場合、時間が経てば経つほどこじれます。Y氏の隣人さんのように「 大 至 急 対 処 」することが大切!
その直後にY氏の隣人さんが家に戻ってみると、1通の手紙が届いており、中身はなんと、前に応募しておいた懸賞の賞品(某舞台の最前列チケット)だったそうです。Y氏の隣人さんは「こんなに早くハッピーが訪れるとは」と驚いていましたが、きっとご本人が吹っ切れたことで厄も明けたんだと思いますよ♪
【厄年について】
ちなみに、私個人は厄年というものを全く信じていません。
「厄年だから何か悪いことが起こるのでは?」と心配していると本当にそうなる可能性が高まるだろうけれど、それは自分の心の中にある「心配」が生んだ結果であって、本来、厄年とは無関係なんじゃないかな。
私自身は厄年であることすら気づかずに厄年を過ごしてしまい、いつもあとになってから(あれっ? ひょっとして去年は私の厄年だったんだ?)と気づくような人間です。
思うに、人間は往々にして似たようなタイプ同士が集まることが多いんじゃないでしょうか。
厄年を気にするようなタイプの人の身辺は、たぶん、同じように厄年を気にする人たちが集まりやすい傾向にあるのでは?
もしも厄年を気にする人たちが大勢集まって、「最近悪いことが起こるのは厄年のせいよ!」とか、「あなたも厄年なんだから気をつけなさい!」と皆で言い合っていたら、本来ならば無事に過ごせるはずの人までが、「やっぱり私、厄年だから○○なのかな?」と次第に弱気になってゆき、あらゆることを厄年と結び付けて考える方向に傾いてしまうかも知れません。
でもね、人間は生まれつきの体質も一人一人違うわけですし、そのうえ、長い人生のなかでは住む場所も、取り巻く環境も、食べるものも、飲酒や喫煙といった生活習慣も、ありとあらゆる面で個人差は広がってゆく一方のはず。
だから、同じ年に生まれたすべての人たちが、あるとき一斉にアンラッキーな年を迎えるはずなど絶対にないと私は思うのです。
厄年の考え方は、もともと中国の陰陽道に由来しますが、江戸時代には日本にも定着していたと言われます。
ところで江戸時代の日本人の平均寿命がどのぐらいだったかと言えば、男女ともに40代。つまり、現在の半分以下なんですね。
一般に女の厄年は「19歳、33歳、37歳」とされていますが、40代までしか生きられなかった江戸時代の37歳と、多くの人が90近くまで生きられるようになった現代の37歳を、同じ「37歳の厄年」と呼ぶこと自体にかなり無理があるのでは?
まあ、あまり深刻にならず「アハハ!」と笑い飛ばしちゃうほうが、むしろ健康には良いと思いますよ♪
Think positive!(ポジティブに考えよう) |
(2006年9月5日)
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