≪旅に出ていない限り毎週土曜日に更新します≫
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2017年11月13日号(号 外)
今週のテーマ:
立花誠一郎さんとの永遠のお別れ
  「捕虜」と「ハンセン病」の二つの苦難を乗り越えられた立花誠一郎さんが、今月7日の早朝、96歳の生涯を閉じられました。

 ご遺族のご意向により、一連の儀式が滞りなく終わりますまでご逝去の事実を公にすることを差し控えておりました。そのため、皆さまへのご報告が遅くなりましたことを何卒お許しくださいませ。

 【想い出の写真】2015年春、「またすぐにお会いしましょうね」と再会を約束する
立花さんと私。入所先の療養施設にある立花さんのお部屋にて。  
 思い返せば、カウラ事件に関するインタビューのために、何度も何度も立花さんが暮らす岡山県内の療養所を訪ねさせていただきました。

 あるときは談話室として使われている広いお部屋で。
 またあるときは立花さんと奥さまが寝起きしておられるプライベートなお部屋で。
 一度は療養所の外に出て、車椅子の立花さんを後ろから押しながらお話したこともありました。

 カウラ事件70周年を迎えた2014年には、オーストラリアのカウラ市で開催される記念式典にどうにか立花さんをお連れできないかと試みたものです。

カウラへ行きたいなあ!

と一度は目を輝かせた立花さんでしたが、この頃、体力の衰えは既に相当進んでおられ、最終的には「やはり自信がない。無理だなあ」というご決断を下されました。

あと10年早く真美さんに会えていたらなあ

 そうしたらカウラへもご一緒できたのにね……とも立花さんはおっしゃっていました。
 今になってみれば、そのすべてが懐かしい想い出です。


【想い出の写真】2015年12月、立花誠一郎さんを囲んでクリスマスパーティ。
カウラ事件サバイバーである村上輝夫さんの姿も見えます。
 その当時陸軍上等兵だった立花さんは、1944年4月22日、ニューギニアで慢性的な赤痢とマラリアに罹患し衰弱していたところへ米軍による激しい艦砲射撃を受け、捕虜となりました。

 その後、オーストラリアのカウラ捕虜収容所に収容されますが、直後にハンセン病に罹患していることが発覚。即日、天幕(テント)に一人隔離され、その後は他の日本兵捕虜たちから隔絶された捕虜生活を強いられました。

 カウラ事件(1944年8月5日未明)については、発生から終了までを至近距離から目撃

 深夜に突如として突撃ラッパが鳴り響き、続いて鉄条網に向かって捕虜たちが一斉に駆け出してくる様子をご覧になった立花さんは、

やっぱりやるんだなあ!

と思ったと、私のインタビューに対して答えておられます。

 「やっぱり」という、この短い言葉には、捕虜の恥を注ぐためにはやはり自決しなくてはいけないんだ、自決は致し方のないことなのだという、当時の日本兵捕虜の万感が籠められているように思います。

 突撃ラッパに続く数時間、立花さんは

自分も暴動に参加していいのか
「黙って参加してもいいのか」
「声をかけてから行くべきなのか」

と迷いに迷い、気がついたときには暴動がすべて終わった後であったとも回想しておられます。 

 このあたりの経緯は山田真美著『ハンセン病を患った日本兵捕虜が見たカウラ事件』(日本オーラル・ヒストリー研究 第9号)に詳しく書かせていただきましたので、ご興味のある方は図書館などでお読みになってみてください。
 
 【想い出の写真】2016年の暮れ、『女性自身』の撮影で立花さんを訪ねました。
これが立花さんとお目にかかる最後となってしまいました。
 こうして考えてまいりますと、立花さんは単にカウラ事件の目撃者であるだけでなく、明らかに事件からの生還者(サバイバー)であると言えるのではないでしょうか。

 立花さんからは、どんなときにも困難に立ち向かってゆくことの意味や、生きることの価値など、実にさまざまなことを教えていただきました。

 私の勝手な思いかも知れませんが、立花さんが(看護師さんやハンセン病の学習のために訪れる高校生や研究者など)若い人たちに囲まれた賑やかな晩年をお送りになれて本当に良かったと思います。

 それにしても淋しくなりますね。
 立花誠一郎さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

※なお、東京・九段下のしょうけい館では12月27日まで立花さんのトランクなどをご覧いただける特別ミニ展示が開催中です(入場無料)。たいへん貴重な機会です。是非ともお立ち寄りください。

しょうけい館
東京都千代田区九段南1丁目5-13
電話:03-3234-7821
最寄り駅:東京メトロ 九段下駅

しょうけい館での特別ミニ展示。12月27日まで開催中です。



立花誠一郎さんがカウラ捕虜収容所で手作りしたトランクなど、
貴重な史料が展示されています。



カウラに於いて立花さんの天幕がどのように移動させられたかを示す
図(山田提供)も展示されています。※天幕の位置は4回移動しています。
   Mr. Seiichiro TACHIBANA, one of the last survivors of the Cowra Breakout and a victim of Hansen's Disease, passed away on November 7th at the age of 96.

   Please excuse me for my late announcement. I was withholding the release of the news, upon his bereaved family's request, until they have finished the funeral and all the necessary religious ceremonies.

   As we are all well aware, Mr. Tachibana was an amazing person who has always showed us the importance of confronting the difficulties as well as the value of life. His story should be remembered and handed down as long as we live.

   Sayonara, Mr. Tachibana. We'll miss you!
事事如意
2017年11月13日
山田 真美
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