2006年11月


1日●「展覧会をプロデュースして」とねだるインド人
遺跡のような場所。私は古い石柱の残骸や石の建物に囲まれて立っている。すぐ目の前にはインド人らしき男がいる。彼の正体は不明だが、どうやら政府にも顔の利く大物らしい。彼は何故かインドの言葉ではなく日本語で、「私の作品の展覧会をプロデュースしてください」と私に依頼してきた。そこへ日本人らしき男性ふたりが現われた。彼らは何故か日本語ではなく英語で"I've just held a photo exhibition in Tokyo."(私は東京で写真展を開催したばかりです)と自慢げに語った。私も早口の英語で応対している。その間も、最初のインド人は何度もしつこく「展覧会をプロデュースしてください」と同じことを依頼してくる。

【解説】 夢に現われたインド人は、一体何の展覧会を開きたかったのだろう? 絵画か? 写真か? それ以外の何かか? 彼の作品を夢の中で見られなかったことが少し残念だ。私は来年の7月に、インドの現代絵画を日本に紹介する展覧会としてはこれまでの日印の歴史の中で最大規模となる「インド現代絵画展2007」(於・上野の森美術館)の実行委員会委員を務めることになっている。おそらく今夜の夢は、そのことと繋がっているのだろう。なお、夢に登場した3人の男達には全く見覚えがない。この夢は長野市内にある実家で見た。



2日●50歳を目前にして4人目の子を産むことにした女性
気がつくと目の前に古い友人のY子ちゃんが立っていた。姿こそ見えないが、すぐ傍らには夫もいるらしい。Y子ちゃんはそろそろ50歳になるはずだと思うが、現在妊娠中で、もうすぐ4人目の赤ちゃんを産むようだ。「50歳を目前にして妊娠・出産」という事態を前にして、Y子ちゃんも私も何故かまるで驚いていない。Y子ちゃんは、お産のときに難産で死んでしまった人のことを話している。彼女は吹っ切れたような表情で、「どんな時代にも、子どもを産むのは命懸けよね。私も命を懸けるつもり」と明るく言った。それにしてもY子ちゃんは、初めて逢った20代前半の頃から少しも変わっていない。見た目が若々しいだけでなく、感性がピュアなのだ。このとき、玉のような男の赤ちゃんを抱いている幸福そうなY子ちゃんの未来の姿が、一瞬だけ垣間見えた。

【解説】 50歳の誕生日まで秒読み段階に入った女友達が再び妊娠するという、現実世界で起こったらかなり衝撃的な内容にもかかわらず、Y子ちゃんも私もそれを当たり前のこととして受け止めている夢。現実世界におけるY子ちゃんは三女の母で、ご長女は既に大学生。4人目を出産という事態はまずあり得ないとは思うが、非常に若々しくエネルギッシュな女性なので、「絶対にない」とは言い切れないところがまた凄い(笑)。考えてみると、昔の女性は40代後半でも平気で5人目6人目の子どもを産んでいた。少子化の昨今、元気のいい40代がもう一度子どもを産むというアイデアは悪くないかも(笑)。



3日●丹色(にいろ)の美しい帯
最初に知らない女性が現われて、私は彼女と長いこと談笑したようだ。その人はとても穏やかで品のある美しい女性で、淡い色合いの訪問着を着ていたように思う。私たちの目の前には、丹色(黄色味のかかった赤色)の帯が置いてある。どうやらこの帯は私の物になったようだ。場面が変わり、気がつくと私は別の女性と立ち話をしていた。この人も初めて見る女性だが、最初の女性と同じように感じの良い綺麗な人で、髪をきちんと結い上げ、上品な真珠色の訪問着を着ていたような気がする。

【解説】 今夜の夢にはかなり長いストーリーがあったのだが、目が醒めた途端、それらが全て記憶からストンと抜け落ちてしまった。思い出せるのは鮮やかな丹色の帯と、着物姿のふたりの女性の姿だけである。しかし今夜の夢は、イメージとしては全体に穏やかで心の底が温かくなるような内容だったように思う。



4日●紅(くれない)色の美しい着物
気がつくと私の前に、目が醒めるように鮮やかな紅色の着物が畳んであった。それは少し風変わりなデザインの着物で、全体にうっすらと般若心経の文字が刻まれているのだ。そこへ、上品な訪問着を身にまとった女友達のSさんが現われて、「私はお寺って嫌いなの」と笑いながら通り過ぎて行った。私は彼女の言葉を聞き流し、再び着物のほうに目をやりながら、(この着物は魔除けになるかも知れない)などと思っている。

【解説】 昨夜の夢と今夜の夢は、「赤っぽい着物(帯)」「上品な訪問着姿の女性の登場」という2点で共通していた。ふたつの夢は一続きになっていたのかも知れない。今夜の夢には仏教的なイメージも色濃く漂っていた。現実世界の私は、このところ高野山大学の大学院生としての学業と、茶人としての修行に打ち込んでいる。茶人としては、今月12日に行なわれる大きな茶会でお点前デビューさせて頂くことになったため、(どの訪問着にどの帯を合わせようかしら?)と考えている真最中だ。そのへんの心理状態がストレートに夢に現われたのだろう。



5日●空海の著書を諳(そら)んじる赤頭巾ちゃん
お伽噺に出てくるような森が見える。一面の銀世界。ハッキリと見たわけではないが、どこかにクリスマスツリーが立っていたような気もする。しんしんと雪が降るなかを、ひとりの女の子が歩いている。赤頭巾ちゃんのような姿だが、顔はキューピー人形にも見える。しかしその子の正体は、どうやら私自身の中に棲む「もうひとりの私」、あるいは「子ども時代の私」、あるいはまだ生まれていない「未来の私」なのだそうだ。その風景を少し離れた場所から黙って見ている私が、「現在の私」だ(ただし女の子から「現在の私」は見えていないらしい)。手前には小さな家があって、煙突から白い煙がゆっくりと立ち昇っている。誰か(あるいは私自身)が夕餉の仕度をしているのだろう。クリームシチューを作っているのかも知れない。私はクリームシチューが好きではないが、雪降る森の風景にクリームシチューは似合うと思う。次第に「現在の私」の心が、赤頭巾ちゃんに似た女の子の心にシンクロして行った。気がつくと私の身長はそれまでの3分の2ぐらいに縮んでおり、赤頭巾をかぶって雪道を歩いていた。歩きながら色々なことを考えている。今、私(=女の子)の頭の中は、茶道の手順や空海の著書のことで一杯だ。『般若心経秘鍵』(空海の最晩年の著書)の一節を諳(そら)んじているところで不意に目覚まし時計が鳴り、目が醒めた。

【解説】 一面の銀世界、煙突のある家、赤頭巾のような姿の女の子と、さながら童話の一場面のような夢なのだが、やがて、その女の子が実は私自身であることが判明し、その子の心の中に入り込んでみると、赤頭巾のような風貌に似合わず彼女は空海の著書の一節を諳んじていたという、実に意外な展開が面白い夢だった。この夢が何を言わんとしているのか定かではないが、心象としては「穏やかで満ち足りた雰囲気」に包まれた夢だったように思う。



6日●父親に感情をぶつける幼子とそれを受け止める父
幼い男の子が父親の腕に抱かれ、感情を爆発させたように大泣きしながら何事かを訴えている。男の子は、無実であるにもかかわらず悪戯をしたように父親に誤解されてしまったようだ。それは、男の子の母親(あるいは彼女の持ち物)に関連した事柄らしい。自分の身の潔白を証明するため、男の子は両手両足をバタバタさせ、自分は悪くないことを言葉でもしっかりと主張しながら、大声で泣き喚いているのだ。胡坐をかいて男の子を抱いていた父親は、優しげな、しかし半分困惑したような表情を顔に浮かべながら、「そうかそうか。おまえを疑ったりして、父さんが悪かったなあ」などと言っている。私は少し離れたところからその光景を見ながら、(あの男の子は幼少時代のM君だ。そう言えば子どもの頃、M君は自己主張が強く、思ったことは必ず言葉に出して主張し、それでも通じなければ公道で仰向けにひっくり返って泣き喚いてでも自分の主張を通してしまうような強引な子だった。昔はあの子を見るたびに「なんて我儘な子だろう」と呆れ、恥ずかしくも思ったものだが、今の日本に溢れているような周囲に黙ってひっそり自殺してしまう子ども達と比べたとき、M君はなんと強い生命力に溢れていたことか!)と思っている。夢の途中で、私宛てに3通の手紙が順に届いた。差出人や手紙の内容は思い出せないのだが、最後に3通目が届いたとき、私は3通の手紙を並べ、漢字の使い方の不統一や内容が矛盾している点を赤ペンで修正してやった。

【解説】 今夜の夢は、さまざまな異なるストーリーが縦糸となり横糸となって1枚のカラフルなタペストリーを紡ぎ上げていたように思う。全体に楽しい夢だったような気がするのだが、目醒めてみると、覚えているのは「M君」の夢と「3通の手紙」の夢だけ。あとはすっかり忘れてしまった。なお、M君は幼なじみの男の子。子どもの頃は驚くほど自己主張が激しく協調性に乏しい、ある意味で扱いにくい子だったが、長じるにつれてその性格がむしろ吉と出て、今では立派な研究者である。現実世界におけるM君の母親は、M君が強く自己主張して泣き喚いても、それに対してヒステリーを起こしたりせずきちんと向き合える大人の女性だった。ああいう賢い母親が日本という国を作ってきたのだと思い、私は以前から個人的にM君の母親を深く尊敬しているのだ。今夜の夢にはM君の父親しか姿を現さなかったが、この次は母親のほうにも登場して欲しいものである。



7日●オバタリアンのような外見に反して教養ある初老の女性
夢の前半、どこか遠くに行って楽しい想いをしたような気がするのだが、その部分は思い出せない。気がついたとき私は、広々としたロビーのような場所に立っていた。そこはスポーツジムの入り口、または宗教団体のミーティング会場のようなイメージで、どうやら建物の2階部分らしい。少し離れた場所には受付のカウンターがあって、初老の女性がにこにこ顔で座っていた。彼女はオバタリアン風のパンチパーマをかけ、小太りで、灰色かベージュの安っぽい服を着ている。化粧気はなく、どこからどう見ても冴えないオバサンである。私のすぐ前には中年女性が立っている。彼女もまた受付の順番を待っているらしい。やがて私の受付の順番になった。パンチパーマのオバサンが何やら話しかけてきた。彼女は50cm四方ほどの白いパネルを取り出し、そこに書かれた文章を使って何かを説明し始めたのだが、漢文であったかサンスクリット語であったか、とにかく大変な教養ある話題なのである。途中からは理論物理学の講義も混ざったかも知れない。私は、(「人は見かけによらない」とは彼女のためにある言葉だ)と内心ビックリしながら彼女の説明を聞いている。そのあとも、何か極めて知的な体験があったような気がするのだが、詳細は覚えていない。

【解説】 漫画の「オバタリアン」に登場するような風貌の女性が漢文かサンスクリット語を使いこなし、さらには理論物理学まで講じてしまうという突拍子もない夢だったが、結局、彼女が座っていたのは何の受付だったのだろう。雰囲気としては、これから何か知的なことが始まろうとしていたように思うのだが。以前の夢日記の「解説」にも記したと思うが、私の夢には「建物の2階」がしばしば登場する。何故「1階」でも「3階」でもなく「2階」なのか、理由はまるでわからない。そう言えばかつて何かの本で、「幽霊を見たと報告する人々の多くは、建物の2階部分で怪現象を見ている」「幽霊は2階に出やすい」といった内容のレポートを読んだことがある。幽霊の存在を信じない私としては、地上4〜5メートル部分では何らかの非日常的な現象(例えば空気の滞留とか、濃霧の発生とか)が起こりやすく、人々はそれを「怪現象」と呼んでいるのだろうと想像しているのだが。このあたりについて、優秀な科学者の見解を聞きたいものだ。

【後日談】 この夢を見た数日後、とある場所で、夢に登場した「オバタリアン似の女性」と瓜二つの女性にバッタリ出逢った。細かなことを書くと色々と差し障りがあるので詳細は一切明かせないが、現実世界で逢った女性もチリチリのパンチパーマをかけて、小太り。冴えない服を着た、化粧気のない中年女性で、どこからどう見ても夢で見た女性そのもの(!)なのである。また、現実世界で逢った彼女も教養のある女性で、某専門分野におけるエキスパートなのだ。しかも彼女は、縦横40〜50センチほどの白い大判ハンカチーフを持っていた。なんとも不思議な夢との一致であった。



8日●空耳で聞く般若心経と近づいて来る空海の種
広い部屋の内部。驚くほど天井が高い。そこはお寺の本堂、またはそれに類似した宗教的な場所のように思われる。ぴんと張った清浄な空気。磨き込まれて黒光りした木の床は、まるで湖面のように輝いている。焚き染められたお香の香り。遠くから般若心経を読経する大勢のお坊さん達の声が聞こえたようだが、これはおそらく空耳なのだと思う。私が立っているのとは反対側の部屋の端から、何か小さなものが床の上を滑るように近づいて来る。小さな人形のようだが、その動き方が実に面白く、縦横に敷かれた目に見えないレールの上を通るように、少し縦に進んだかと思えば直角に折れて真横に進み、さらに直角に折れて縦に進むというように、縦と横の二方向だけに進みながらこちらへ近づいて来るのだ。私は心のなかで(この部屋の中には碁盤の目のように縦横無尽に道が張り巡らされているのかも知れない。ちょうど京都の町並みのように)などと思っている。やがて人形らしきものはスピードを上げ、あっと言う間に私の目の前まで辿り着いた。驚いたことに、それは掌に乗るほど小さな空海だった。「お大師様!」と思わず口に出して手を伸ばしながら、心のなかで(これは“空海の種”に違いない。大切に育てなければ)と思ったところで場面が急転し、そのあとどこか山寺へ行ったような気がするのだが、そのあたりから先のことは何も思い出せない。

【解説】 今夜の夢はもっと長く、小さな弘法大師空海の人形が現われる場面は夢のごく一部だったような気がする。しかし目醒めてみると、この場面のインパクトが強すぎたのか、他の場面は全て忘れてしまった。今、夢日記を付けながら不意に思い出したのだが、一昨年あたりに見た夢の中で空海の道案内をしたことがある。確かあのとき私は白と黒の2匹の犬を連れて山を登っており、さながら狩場明神の役目を果たしていた。早速調べてみたところ、2004年12月11日の夢がそれだった。この日の日記を今になって読み返してみると、当時の私が空海のことを何一つ知らず、かの有名な狩場明神の伝説さえ知らなかったことがわかる。その自分が2年後の現在は高野山大学の大学院に入って空海の研究をしているのだから、人生は本当にわからないものである。なお、今夜の夢に現われた小さな空海の人形は、まるで「空海の種」のように私には感じられた。

【後日談】 この夢を見た翌日、驚くべきことが起こった。とあるインターネットオークションで、私は1冊の古書を探していたのだが、その際に、何をどう間違えたのか(おそらく自分でも気づかぬほど僅かなミスクリックがあったと思われるのだが)、何故かまったく別の品物のページにいきなり辿り着いてしまった。そこに掲載されていた品物の写真を一目見えるなり、私は文字どおり“のけぞって”驚いていた。なんとそれは、夢で見た空海の人形に顔も大きさも瓜二つの「弘法大師空海像」だったではないか! 夢との一致ぶりを目の当たりにした私は、心の中で即座に(これは間違いなく、偶然ではなく運命的に私のもとにやって来た仏像だ)と確信し、間髪を入れずにオークションに入札していた。結局、仏像は私が落札させて頂くこととなったのだが、この出来事には我ながらただただ驚いている。なお、これと似た予知夢体験は過去にも一度あって、それは2004年7月1日に見た夢だ。このとき私は「水色の仏像」の夢を見て、その翌日、期せずして骨董品の水色の仏像(トルコ石で造られている)を実際に手に入れたのだ。今回も似たようなパターンであり、どうやら私には仏像が自分のほうへ近づいてくる(?)ことを察知する第六感のようなものが備わっているのかも知れない。なお、今回手に入れた弘法大師空海像は、江戸時代の作らしい。11月14日に自宅に届くことになっているので、いずれここへも御真影(写真)をアップしようと思う。それまでしばしお待ちください。


9日●袖振り合うも多生の縁
広い部屋。パーティー会場なのだろうか。大きな円卓が2つ、ほとんど触れ合うような近距離で並んでいるのだが、その円の形がとても綺麗だなと思う。私は左側の円卓の右端に立っている。私の左側には着物姿の男女が数人立っているようだが、彼らの顔は何故か見えない。右隣の円卓の前にも数人の人が立っている。私のすぐ右隣に立っている人は、昔から知っているAさんだ。一目見てAさんだとわかるが、私は敢えて知らぬ素振りをしている。Aさんも明らかに私の存在に気づいているらしいが、やはり気付かぬ振りをしている。私は誂えたばかりの高級なウールの着物を着ている。Aさんは紋付袴姿だったかも知れない。私の右袖とAさんの左袖が先刻からときどき触れ合って、さわさわと風のような音を立てている。これぞまさしく「袖振り合うも多生の縁」だ。私は心のなかで(Aさんと私も長いご縁だこと。最初に逢ったのは、あれは確か平安時代だったかしら)などと感慨深く想い出している。それぞれの円卓の上にはワイングラスや商品カタログのようなものが置かれていたような気がするが、定かではない。誰かがガソリンを使ったドライクリーニングの方法を話していたような気もする。私は、Aさんが密かに聞き耳を立てていることを意識しながら何か発言した。それは着物に関する発言だったと思う。円卓の皆が「なるほどね」と相槌を打ち、Aさんが満足そうな表情を浮かべたのを視線の端でちらりと確認して、私は密かに満足感を味わっている。

【解説】 今夜の夢には「懐かしさ」と「密やかさ」、それに、輪廻転生を髣髴させるある種の「仏教的な雰囲気」が漂っていたように思う。Aさんは実在の人物(男性)だが、長いこと逢っていない上、特に親しい相手ではない。その人が夢の中では「平安時代から知っている懐かしい知人」の役柄で現われたのだから、ずいぶん面妖な話だ。ウールの着物に関しては、現実世界でも2〜3日前にグレーっぽいベージュのウールの着物を入手した。小面(こおもて)を付けた能役者の柄が描かれた非常に珍しい着物で、たいへん肌触りが良い。夢に現われたのは、もちろんこの着物だと思われる。なお、今夜の夢には重要な大道具として2つの「円卓」が登場した。四角いテーブルではなく円卓であることに深い意味があるように思われてならなかったので、『夢の事典』(日本文芸社)で調べてみたところ、「円」の意味は「何億年も前から地球上で繰り返される生命サイクルの象徴/完全/心身のバランスが取れた状態」。「テーブル」の意味は「他人と親密になる/親交を深める」であるという。2つの円卓が並んでいたのだから、今夜の夢は、ふたりの人間のそれぞれの生命サイクル及びその接点を占う内容だったのではあるまいか。



10日●お点前の割り稽古をする
池に面した広間。私は畳の上に正座して、先刻からひたすらお点前の練習をしている。特に、袱紗捌き(ふくささばき)の練習を徹底的に行なっている。自分の膝が見える。私は抹茶色の着物を着ているようだ。

【解説】 今夜の夢には特別ストーリーらしきものはなく、私は延々と袱紗捌きの練習をしていた。「袱紗捌き10年」という言葉もあるぐらいで、袱紗を上手に捌けるようになるまでには10年はかかるのだそうだ。私は茶道を始めてまだ丸3年に過ぎないが、最近、袱紗捌きの奥の深さをとみに感じるようになってきている。その気持ちが反映されたような今夜の夢だった。



11日●お点前の割り稽古をする(前夜に引き続き)
気がつくと、畳の上に座って袱紗捌きの練習をしていた。自分の膝のあたりが見える。渋めのオレンジ色の着物と、袱紗を扱う私自身の手もとが見える。袱紗を打ち鳴らすパチンという音が綺麗に出て、気持ちが好い。左手に持った棗(なつめ=お茶入れのこと)の模様が雲の上の龍で、その龍の手にはクリスタルのような球形の物が握られている。実に珍しいデザインの棗だと思う。龍の絵を袱紗で磨けば磨くほど、クリスタルは輝きを増し龍は天に昇ってゆくらしい。私は何も考えない無心の状態で袱紗捌きを続けている。

【解説】 珍しく2夜連続でお点前の練習をする夢だった。明日は現実世界でも大きな茶会が予定されており、そこで私はお点前デビューすることが決まっている。昨夜は袱紗捌きの練習をひたすら繰り返すだけの夢だったが、今夜の夢では袱紗がパチンと良い音を立てたり、龍やクリスタル球が登場するなど、明らかに事態は好転している。そう言えば着物の色も緑系からオレンジ系へと、明るさが増していた。明日の茶会は、きっと首尾よく進むだろう。



12日●……
記憶している限り、今夜は夢を見ていない。

【解説】 昨日は大きな茶会でお点前デビューさせて頂き、精神的な深い充足感・達成感と肉体疲労の狭間で、布団の上に横になった1秒後には早くも深い眠りについていた。眠りがあまりにも深かったためか、記憶に残る夢は一切見ていない。



13日●息子の留学先
人けのない広大な土地。オーストラリアだろうか。私のすぐ脇には、娘と息子、それにもうひとり若い男性がいたような気がする。娘と息子が一言二言交わし、そのあと娘はオーストラリア以外の遠い国へ出かけて行った。息子も大学進学のため、オーストラリアの北限にある街へ向かった出発した。もうひとりの若い男性がその後どうなったかは不明。私はひとりその場に残り、心のなかで(息子はオーストラリア留学するようなタイプではなかったはずだが、何があったのだろう)と怪訝に思っている。場面が急転し、目の前に1枚の紙があって、そこに赤インクで文章が書かれているのが見える。文章の内容はわからない。それを3行に分かち書きすることが私の仕事だ。どこで改行しようかと考えているところで目が醒めた。

【解説】 現実世界ではシドニーの大学に留学している娘が昨日、“夏休み”で一時帰国した。そのことが今夜の夢に反映しているのだろう。ちなみに息子は現在、東京都内にあるアメリカン・スクールの高等部に通学しており、卒業後は米国の大学へ進学する予定だ。夢の最後に現われた赤インクの文章には心当たりがない。



14日●飛び立つ鶴
人けのない草原のような場所。私はジープに乗っているのかも知れない。そのときいきなり視界が開けて、目の前に湖が現われた。湖面がエメラルドのように輝いている。湖の右手のほうで休んでいた数羽の鶴が、一斉に空に向かって羽ばたいて行った。

【解説】 今夜の夢には長いストーリーがあって、この場面はそのなかのほんの一部だったように思うのだが、前後がどのようなストーリーであったかは思い出せない。そう言えば今夜の夢とよく似た光景を、昨夏オーストラリア旅行中に見たことがある〈但し、そのとき見たのは鶴ではなくペリカンの群舞であったが)。「飛翔・出発」のイメージが強い夢だった。



15日●違和感のある日本旅館
私は旅をしているらしい。どこか見知らぬ町の日本旅館で一夜を明かすことになるのだが、私はその旅館にえも言われぬ「違和感」を感じている。一体どこがどう奇妙なのか具体的にはわからないが、全体的に見てひどく違和感があるのだ。私の傍らで影のように佇む人の姿が見える。その人の顔は見えないが、どうやら年上の男性のようだ(但し夫ではない)。親しい感情が少しも湧いてこないので、この人は友達ではなく、旅館の従業員または案内人なのかも知れない。そのあと場面が急転し、そこで私は長い紐(着物の腰紐?)を見たような気がするのだが、残念ながら詳細は思い出せない。

【解説】 今夜の夢に登場した旅館のどこにどう違和感を感じたのか、具体的なことは思い出せないのだが、夢から醒めたとき私は少しホッとしていたような気がする。最後に長い紐を見たように思うのは、あるいは単なる錯覚かも知れない。



16日●複数のピアノでショパンのノクターンを弾き比べる
格調ある大きな美しい部屋。磨きこんだ床が見事に黒光りしている。室内には数台のグランドピアノが置かれている。どれも名工によって作られ、時代を経た名器だ。部屋にいるのは私と息子、それに英国人らしい小太りの中年女性の姿も見える。彼女は掃除の小母さんらしい。息子のリクエストで、私はショパンのノクターンを弾くことになった。1台のピアノの前に座り最初の1小節を弾いたところで、何故か私は席を立ち、次のピアノのほうへ向かって歩いて行った。2台目のピアノに向かい座った私は、再び同じノクターンの冒頭1小節を弾いた。その後、さらにピアノを変えて最初の1小節だけ弾いてみた。このようにして、何台かのピアノを使って次々にノクターンの冒頭部分だけを弾いて回ったようだ。そのあと、掃除の小母さんが何かを言った(あるいは何らかの行動を起こした?)ような気がするのだが、ここで目覚まし時計が鳴り夢が唐突に終わってしまったため、小母さんの発言(または行動)の内容は覚えていない。

【解説】 今夜の夢には、この前に何か非常に長いストーリーがあったように思うのだが、具体的な内容を思い出すことが出来ない。昨夜は現実世界でも息子とショパンの音楽について話した。特に、音楽の形式(器楽曲のジャンル)として「バラード」を最初に作ったのがショパンであることから、ショパンのバラードについて話が弾んだ。息子と交わした会話のイメージが、今夜の夢にはそのまま現われたようだ。ひとつ気になったのは、夢に登場した英国人らしき中年女性が2004年8月31日の夢にも現われていること。その夢は「三島(由紀夫)を殺す」という物騒な内容で、舞台は英国の名門学校。その夢の中で私が三島の死体をグランドピアノの椅子に座らせると、小太りの掃除の小母さんがやって来る。この小母さんと今夜の夢に登場した小母さんが、間違いなく同一人物なのだ。しかし彼女は現実世界では1度も見たことのない人である。ちなみに2004年8月31日の夢には、掃除の小母さん以外にグランドピアノも登場しており、その点でも今夜の夢と共通している。一体どういうことか意味はわからないが、気になる符号の一致ではある。



17日●納期に間に合わない振袖と友達のノーベル賞受賞
私は着物を新調することにした。それも、色無地や訪問着ではなく、何故か振袖らしい。既に反物を選び、呉服屋への注文は済んでいるようだ。光沢ある白っぽい銀色の地に、金糸銀糸で花柄を刺繍した豪華なものである。仕立て上がりの日を確かめるため呉服屋に行って見ると、正面の壁にカレンダーが貼ってあって、11月1日から3日までの3日間と、11日から13日までの3日間、さらに29日と30日の2日間に丸印が付いていた。店主の顔は見えないが、どこからともなく彼(彼女?)の声が聞こえ、「最初の予定では1日から3日までに湯熨斗(ゆのし)を終わらせ、11日から13日までのあいだに裁断と縫製を始めて、29日または30日に商品引渡しの予定だったのですが……」と申し訳なさそうに言う。どうやら2番目のプロセスに時間がかかり過ぎ、30日の納品が不可能になったらしい。私は「そうですか、承知いたしました」と神妙な顔で答えながら、心のなかでは(その場合は手持ちの着物を着れば良いだけのこと。納期が遅れても大勢に影響なし)と思っている。それにしても、どうして私は振袖など注文したのだろう。やや不審に思っているあいだに場面が変わり、気がつくと目の前には友達で科学者のNさん(30代後半)と、同じく科学者のAさん(30代前半)の姿が見えた。ふたりは東大の先輩後輩だ。私がAさんに「Nさんは○○の研究でノーベル賞をお取りになるみたいよ」と言うと、Aさんは無邪気に驚きながら「それは素晴らしい! 前祝いをしなければいけませんね」と応じた。Nさんはニコリともせずに「そうですね、いずれは私が受賞することになるでしょう」と応じた。私は(彼がノーベル賞を受賞するという話は本当だったのね)と納得しながら、お祝いの会には例の着物を着て行こうと思っている。

【解説】 目が醒めて真っ先に思ったのは、(将来的にノーベル賞を取りそうなのは、NさんよりもむしろAさんのほうでは?)ということだった。ふたりとも私にとっては大切な友達だが、Nさんは秀才型、Aさんは天才型だ。もしも将来彼らのどちらかがノーベル賞を受賞したら、そのお祝い会には、今夜の夢にあやかって、金糸銀糸の花の刺繍が施されたシルバーホワイトの訪問着を着て行こうと思う。



18日●オレンジ色の紙に書かれた皇居への招待状
最初、私は由緒ある旅館(あるいは和風のホテル)に泊まっていたようだ。ほかにも数人の人々がいたかも知れない。皆さん知らない人ばかりだが、上流階級の人のようで、優雅でおっとりした空気がそこかしこに流れている。私は何かを表彰されるために皇居へ上がることになったらしい。届いた招待状は正方形の色紙(いろがみ)で、1枚1枚の紙には手書きのメッセージがしたためられている。これらは全て、皇室の女性達が手書きしたものだという。赤、黄色、青、緑、オレンジ、黄緑など様々な色の紙があるなかで、私に届いたものは綺麗なオレンジ色の色紙だった。そう言えばダライ・ラマ法王も私にオレンジ色の物を持つよう勧めてくださったことがある。この色は私のラッキーカラーなのだと思う。私への招待状を書いてくださったのは秋篠宮妃殿下だ。妃殿下の優しげな横顔が垣間見えた。

【解説】 今夜の夢はあまり動きのない、静かで優雅なイメージが漂うものだった。そのなかで印象的だったのが色とりどりの正方形の小さな紙だ。そこに書かれていたことの内容を具体的に見た覚えはないが、とても丁寧な手書きの文字だったと思う。



19日●緑色のインクで書かれたあまりにも文学的な手紙
正方形の白い紙が見える。そこに緑色のインクで手紙がしたためられている。私は先刻からそれを読んでいるのだが、言葉遣いがあまりにも文学的なうえ達筆すぎて、意味が良くわからないどころか判読さえ難しい。ここに書かれているのは、1000年以上昔の日本語なのかも知れない。女文字のようだが、書き手が緑色のインクを使った理由もわからない。赤い文字で書かれていれば絶交状だろうが、緑色の文字にはどんな意味があるのだろう。長いことその紙を眺め透かしていたが、結局は何もわからずじまいなのだった。

【解説】 今夜の夢は、「正方形の紙に書かれた手紙」という意味で昨夜の夢と共通していた。しかし記憶している限り、現実世界で正方形の手紙をもらったことは皆無だし、緑色の文字で書かれた手紙にも心当たりはない。というわけで、今夜の夢はまるで意味不明である。



20日●何故“people”の意味が通じない?
私は一介の旅人で、どこかインドの外れのほうを旅しているらしい。荒涼とした風景と、乾いた空気。鳥葬に適した土地だと思う。夢の中ではそこは「南インドの果てにある寒村」という設定だったような気がするが、風景的には北インドの外れのヒマラヤの寒村に酷似していたようだ。少し離れた場所に、さらさらのストレートヘアを風になびかせた民族衣装の姉妹が立っている姿が見える。姉は30代半ば、妹は20代後半と言ったところだろうか。インド人と言っても顔はモンゴロイド系で、日本人によく似ている。彼女たちは基本的には田舎娘なのだが、土地の名士の娘(または妻?)のようだ。同じ村の恵まれない子ども達に定期的に食べ物や衣服を差し入れてきた功績を認められて、彼女たちは今日、何かの表彰を受けているようだ。表彰式が終わり、写真撮影の時間になった。恵まれない子ども達を両腕で抱き寄せ、彼女たちはまるで女神様のような優しい表情を浮かべてみせた。しかしその笑顔は白々しい作り物のようにも見えた。表彰式を終えた彼女達を祝福すべく、私は近づいて行って“Congratulations. I'm sure that your generousity has been absolutely encouraging to all the people.”(おめでとうございます。貴女方の寛大さは人々を心底から勇気づけてきたことでしょう)というような意味のことを告げた。ところが何故か彼女達には“people”という単語の意味がわからないらしく、不思議そうに首を傾げながら“What's 'people'?”と聞き返してくる。私は心のなかで(え? どうしてそんな簡単な単語がわからないの?)と驚きながら、何度も何度も“people”と繰り返してみたのだが、彼女達は最後までどうしても“people”の意味を理解できないままだった。

【解説】 貧しい人々のための慈善活動をしているプチブルジョアの姉妹が、「人々/国民」を意味する“people”という言葉の意味を知らないという、一種のブラックユーモアのような夢だった。なお、今夜の夢に現われた姉妹のうちの姉のほうは、現実世界でも知っている人の顔だった(但しその人はインド人ではない)。その人と深く付き合ったことがないので、私は彼女の本当の性質を知らない。表面的にはとてもソフトで優しい人だが、本音はどうなのか見えにくいところのある女性だ(少なくとも私はそう思っている)。「本音の彼女は何を考えているのだろう? 彼女は本当に善い人なのだろうか?」という私の一種の猜疑心が、今夜の夢となって現われたのかも知れない。



21日●「信州度」と「葡萄酒の味」を審査する
私は細長い事務机に向かって座っている。机の上には複数の人々の写真が並んでいる。私は何かの審査員のようで、彼ら1人1人を慎重に評価しているのだが、その方法が少し変わっていて、その人がいかに信州的(長野的)であるかという、その一点だけ評価対象になっているのだ。謂わば、信州度が高ければ高いほどその人の得点は高くなるらしい。写真を見ている私には、一目で彼らの信州度が見て取れる。1枚1枚の写真を見ながら、審査用紙の上に「家がリンゴ農家」「兄が八十二銀行勤務」などと書き込んでいる。最後の写真に写っていたのは、小中学校の同級生だったT子さんの顔だった。私は彼女の審査用紙に力強く「校歌が信濃の国」と書き込んだ。場面が急転し、私の目の前にはたくさんの葡萄酒のビンが並んでいる(注/この世界では「ワイン」とは呼ばず、あくまでも「葡萄酒」が正しい呼び名らしい)。私は色々な葡萄酒を少しずつ飲んで、味を審査している。

【解説】 今夜の夢はふたつの異なる場面から構成されていたが、その双方で私は審査員の役を務めていた。ちなみに最初の夢に登場する「八十二銀行」とは、長野県では絶大なシェアを誇る地方銀行の名前。T子さんは小中学校の同級生だが、私たちの出身校の校歌は『信濃の国』ではない(『信濃の国』を校歌としているのは信州大学教育学部附属小中学校である)。T子さんとは高校が違ったし、彼女は同窓会にも姿を見せないので、最後に逢ったのはかれこれ30年ほど昔のことと記憶している。年賀状のやり取りすらない彼女が突然夢に現われた理由は全くわからない。



22日●正方形の紙と政府に関わる何かの順番
見知らぬ部屋の中。目の前に何か2つの物が置いてある。1つは正方形の紙で、もう1つは政府に関係がある何かだ。2つの順番を取り違えると大変な事態が引き起こされるらしい。私はその順番を守る役割を担っている。

【解説】 断片的なイメージだけが残る夢。18日と19日の夢に引き続き、今夜の夢にも正方形の紙が登場した。3度も続けて登場したからには、何か特別な意味があることは間違いないと思われるのだが、現実世界では今のところ「正方形の紙」に思い当たる節はない。



23日●自殺しようとする女たちに「無駄なことはやめなさい」と告げる
気がつくと、BGMにカーディガンズの「Love Fool」が流れていた。私から少し離れたところに、2人の西洋人女性が立っている。そのうち1人はジュリエット、あるいはオフィーリア、あるいはそれ以外のシェイクスピア作品に登場する“自殺する女主人公”だったような気がする。2人は100〜200年前のヨーロッパで流行したようなドレスを纏い、ステージの端に立って、芝居がかった同じ台詞を何度も延々と繰り返している。おそらく女は男に捨てられ、これから自殺するところなのだ。もう1人の女は召使で、後追い自殺を考えているようだ。少し離れた場所から一部始終を見ている私は、どこか白けている。1人の女は男に捨てられたから死ぬと言い、もう1人はそれに同調して後追い自殺をすると言う。これは一種の集団ヒステリーだと思う。私は2人のほうへ近づいて行って、「無駄なことはやめなさい。今よりずっと楽に生きる方法を教えてあげるから」という意味のことをテレパシーで告げた。

【解説】 『ロミオとジュリエット』と『ハムレット』のストーリーが混ざったようなイメージの夢だった。両ストーリーは、主人公達が片端から死んでしまうという点で悲劇であることに間違いないのだが、悲劇の深刻さという点では圧倒的に『ハムレット』のほうが根が深い。『ロミオとジュリエット』は甘美で幼稚で美しいという意味において、むしろ一種の喜劇に近いかも知れない。今夜の夢は悲劇と喜劇の境界に位置するようなストーリーだった気がする。最初に登場したカーディガンズは、スウェーデンのポップバンド。「Love Fool」はレオナルド・ディカプリオ主演の映画『ロミオ+ジュリエット』の挿入歌となり、大ヒットした。詳しくはこちらをご参照ください。



24日●3つのテストの合計点
私は学校にいるらしい。2つのテストが終了した。残るテストは、あと1つだけだ。最後のテストで仮に0点を取ると、3つのテストの合計点は学年の平均点になる。最後のテストで40点を取ると、3つのテストの合計点は学年平均プラス20点になるという。「既に終了した2つのテストの合計点は何点でしょう?」というのが新たな問題らしい。なお、3つのテストは算数と社会、それに国語(または英語?)の各教科のテストだったようだ。

【解説】 何やら意味のわからない夢。最初のテストの点数(x)、2番目のテストの点数(y)、学年平均点(z)と未知数が3つもあるのだから、たとえ連立方程式で解こうとしても、問いに対する答えが出るはずはない。そのことがわかっていたらしく、夢の中の私は問題を真面目に解こうとはしなかった。この夢は旅先の京都のホテルで見た。



25日●悟りの塔
お寺のような場所。高い塔があって、私はその内部の階段を昇ってゆく。ひんやりと暗い床の感触。私は盛んに何かを考えている。塔の一番高いところにある小窓に辿り着いた私は、そこから差し込んでくる光を見た瞬間に、「そうか、わかった!」と一瞬にして悟っていた。

【解説】 一昨日と昨日は、奈良・京都の寺社仏閣めぐりをしていた。今夜の夢はその残像だったような気がする。悟りを含むあらゆる発見は、なだらかなスロープ状ではなく、階段状に一気に上昇してもたらされるものであろう。今夜の夢は、その「一気に上昇する」心地良さをハッキリと体感できるものであった。



26日●土蔵の中にいっぱいの犬
気がつくと土蔵の1階にいた。室内には20〜30匹の犬がいる。ほとんどが小型犬で、そのへんの匂いを嗅ぎ回ったり、犬同士で戯れたり、床の上でゆっくり休んだりしている。私はブースケを抱いている。目の前に紙があって、そこにはブースケの写真(または似顔絵?)が印刷してあった。その写真には注釈がたくさん書き込まれている。それらはブースケの体調や今日食べた餌の内容など、ブースケに関する一切のヘルス情報らしい。その内容をブースケ自身の体の上に書き写さなければいけないらしい。鉛筆しか見当たらなかったので、鉛筆を使ってブースケの体に字を書こうとするのだが、ブースケはそれをとても嫌がっている。私は(やはり鉛筆で犬の体に文字を書くのは無理だ)と思い、この作業を断念した。そのうち2階から、簡易階段を使って娘が下りてきた。娘の姿を見ると、室内の犬達は嬉しそうに一斉に近づいて行った。私は心のなかで(こんなにたくさんの犬が居るのに、何故、私にとってはブースケだけが特別に可愛いのだろう)と思っている。そのあとバンのような乗り物に乗って(おそらくブースケも連れて)数人の人達と一緒にどこかへ行ったと思うのだが、詳細は思い出せない。

【解説】 昨夜は寝る前に、数百頭の犬への虐待(大量遺棄)が大きな社会問題となった広島ドックパーク(既に閉園)に関するサイト(こちら)を見た。そのイメージが強く残ったまま就寝したので、夢のなかにもたくさんの犬が登場したのだろう。それにしても、犬や猫といった小動物を平気で虐待できる人間は、一体どのような精神構造をしているのだろう。そうした人間に対しては、理屈ではなく生理的に嫌悪感を覚える。



27日●膨らみきった風船は割れ易い
前後関係はよくわからないのだが、気がつくと私は大学時代に住んでいたアパートにいた。押入れを開けて中の荷物を整理していると、大学の3学年上にいたM先輩から頂いた手紙が出てきた。封筒を開けてみると、そこには「パンパンに膨らみきった風船は割れ易いですよ。少し空気が抜けているほうが、むしろ強いのです」という意味のことが書いてあった。私は(先輩に電話をして「お蔭さまで私もだいぶ空気の抜けた風船になりましたよ」と告げなければ)と思っている。そのあとアパートに誰かが来ることになっていたような気がするのだが、目覚まし時計が鳴ってしまったため夢はここで終わった。

【解説】 昨夜は、シドニーから夏休みで一時帰国している娘(LiA)とお喋りをして過ごしたのだが、そのときに何かの話から「人間は少し抜けていたほうがいい」という話題になった。そのとき娘に話したのが、大学時代にM先輩からもらった手紙にあった「風船の喩え話」である。M先輩は大学時代にヒマラヤ登山をしていた山男で、私にとっては少し辛口の兄のような存在だった。そのM先輩が、当時まだ18歳だった私にくれた手紙の中で、「パンパンに膨らみきった風船は割れ易いですよ。少し空気が抜けているほうが、むしろ強いのです」と書いてくれたのである。今にして思えば、当時の私は頑張りすぎてパンパンに膨らみきった風船だったに違いない。昨夜は娘とお喋りをしているうちに、20数年ぶりで手紙のことを思い出した。するとその手紙は夢の中にまで登場したというわけだ。なお、当時の私が住んでいたのは高輪1丁目の小さなアパートだったが、その建物は既に取り壊されて今は駐車場になっている(ちなみにそこは現在通っている茶道のお教室から徒歩3分ほどの場所である)。M先輩から頂いた手紙も残念ながら保存していない。

【後日談】 夢から醒めて数時間後、なんとM先輩からメールが届いた。M先輩がメールをくださるのは、約3年ぶりのことと記憶している。前回頂いたのは「メールアドレスをお知らせします」というメールで、今回は「メールアドレスが変わりました」というメールである(笑)。要するにM先輩との付き合いは年賀状だけで、メール交換なども全くしていないのだが、昨夜は珍しくM先輩の夢を見て(※少なくとも夢日記を付け始めてからは初めてのことである)、その翌朝に3年ぶりのメールが届いたわけだ。たいへん興味深いシンクロニシティと言わねばならない。


28日●緑色の座布団と老人
夢の画面の左端に抹茶色の座布団が見える。とても艶やかで高級そうな生地を使った座布団だ。その横で老人が正座している。老人は地味な色合いの着物姿で、穏やかに微笑んでいる。どことなく落語家のような雰囲気だが、良い意味でも悪い意味でも個性はない。老人は進められた座布団を決して使おうとしない。その姿を見て私は(今どき珍しい謙虚な人だこと)と思っている。

【解説】 今夜の夢にはストーリーらしきものがなかった。登場した老人よりも、私には何故か座布団のほうが気になった。



29日●ゴミ箱に金髪美女の死体を棄てる男
眼下に人けのない夜の道がまっすぐ伸びている。私はその風景を黙って俯瞰している。右下のほうから男が足早にやって来た。黒っぽいスーツを着た、ひょろりと背の高い男だ。ハンフリー・ボガードが映画『カサブランカ』の中で被っていような中折れ帽を被っている。おそらく西洋人だったように思う。男は女の死体を抱いている。上品でいかにも上質そうなスーツを着た美女だ。まるで石膏像のように整った美しい白い顔。長い金髪が垂れている。男は道の左端にある大きなゴミ箱の中に死体を投げ捨てると、そのまま踵を返して今来た道を立ち去ろうとした(つまり方向的には私がいる方へ向かって歩いて来たわけである)。すると、たった今棄てられたばかりの死体が、まるで空中から糸で吊るされ動かされているような不自然さでふわりと宙に舞い上がり、あっと言う間に男のほうへ飛んで肩の上に覆いかぶさった。このとき初めてわかったのだが、女の左目の周囲は黒く腫れ上がっている。おそらく殴られた跡なのだろう。その様子を、私は無言で中空から見下ろしている。

【解説】 とても美しい画面構成の、短編スリラー映画の一幕のような夢だった。死体遺棄と死体のよみがえり(殺された女の復讐?)という恐ろしい内容であるにもかかわらず、どこか詩的なイメージすら漂っていた。



30日●旅館にチェックイン
何本かの縦の線。格子模様。和の雰囲気。木漏れ日。風に優しく揺れている竹。息子の笑顔。それらのイメージが連続して見えたあと、気がつくと私は旅館の受付にいた。これからチェックインをするところらしく、私は番頭さんのような人と向き合って書類に何か書き込もうとしている。

【解説】 今夜の夢は、この前に長いストーリーがあったように思うのだが、残念ながら思い出せない。一瞬見えただけの“竹”が、何故か非常に強く印象に残っている。






※夢日記の一部または全部を許可なく転載・引用なさることは固くお断りいたします。
©Mami Yamada, 2004-2006 All Rights Reserved.