2010年2月20日号(第375号)
今週のテーマ:求む、忍法○○の術
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★ 仏教エッセイ ★
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真言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中です(毎月28日頃に更新)。第22回のテーマは「美人病にかかる(前編)」です。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。 |
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突然ですが、心優しい皆さま、今年の誕生日(2月27日)には、次のうちのどれかを私に恵んでくださいませ(笑)。
一、忍法・分身の術。
マジで体が足りなくなってきました。少なくとも3人の自分が必要です。
ひとりは執筆専用。ひとりは外交用。ひとりは雑用。
一、忍法・時を止める術or時を引き延ばす術。
但し、その間は老化現象が進まないこと。
一、月並みですが忍法・時を駆ける術。
いわゆるタイムマシンですね。
西暦774年、つまり空海誕生時の讃岐国多度郡屏風ヶ浦(現在の香川県多度津町あたり)へ行けたら本望です。但し、そのあとちゃんと2010年に戻って来られることが条件。
……以上のうちどれか一つでもプレゼントしてくださる方がいらっしゃいましたら、大至急ご連絡ください。
お礼に、空海が唐から持ち帰った忍法・不老不死の薬をさしあげます(爆)。
まあ、そんなわけで、お蔭さまでようやく小説の執筆が順調に進み始めたため、現在ワタクシの頭は完全に奈良時代末期の日本(やまと)へ行ってしまっております。
その分、なかなか日記を更新できず申し訳ありませぬ(汗、汗)。 |
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↓ここからは完全に余談です。↓
日本が国家として形成されたのは空海が生まれた奈良時代ですが、当時、わが国の名前は「日本」と書いて「やまと(これがいちばん一般的な読み方)」または「ひのもと」または「にっぽん」または「じっぽん」と読んだようです。
じっぽん……。
なんだかジャポン(フランス語)に限りなく近いような……。
上代の日本語にはH音がなかったので、「日本」が今のように「にほん」と読まれるようになったのは江戸末期以降。
日本語には古くからP音(ぱぴぷぺぽ)があり、やがてF音(ふぁふぃふふぇふぉ)、そしてH音(はひふへほ)が順に使われるようになったといわれます。
つまり「日本」という国名の読み方は、「にっぽん→にふぉん→にほん」と変化してきたわけです。
であるならば、空海は祖国を「(1)やまと、(2)ひのもと、(3)にっぽん、(4)じっぽん」と呼ぶことはあっても、「にほん」とは決して呼ばなかったはず。
(上記の4つの読み方候補のうち、どれが空海さまのお気に入りだったのかしらん?)
……というようなややこしいことばかりを朝から晩まで考えている昨今なのであります。
あ、H音がないのですから、当然のことながら「母」という言葉の読み方も、当時は「はは」ではなく「ぱぱ」だったようですよ。はははは(爆)。
それにつけてもつくづく想うのは、1200年以上も前の日本人の話し言葉がどんなだったかを考えるなんて、ほとんど雲をつかむような作業だってこと。
だって、当時の言葉に関しては、文語の記録はあっても口語の記録なんて残っていないんですから。
奈良時代のムズカシイ日本語を理解しようと努めることにくらべたら、スイスから遊びにやって来たお友達を浅草寺に案内し、英語で――しかも要所要所に習いたてのフランス語を混ぜたりしながら――お寺の縁起(歴史)を説明することなんて、ほとんど赤子の手をひねるぐらい簡単でした(苦笑)。 |

今週の月曜日、スイスから来日した友を浅草寺に案内。
左からアティラ(医学博士で、ジュネーブに本部を置くブー
タン友好協会会長)、私、アティラの弟で会社役員のジョン

浅草寺五重塔の内部を特別に見学させていただきました
(左端はご案内してくださった吉川真行師) |
そんなわけで、ちゃんと仕事もしていますし、お蔭さまでプライベートも充実しておりまする。
今日はこれから長野の実家へ行き、母&叔母(母の末妹)と久々のお食事会。
明日は長野市消防団音楽隊の定期演奏会を聴きに行ってまいります。
(元一日消防長の役得ってやつですネ(笑))
皆さまも、よい週末をお過ごしください。
ではでは♪ |
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪

ジャーキーめがけて跳躍する
直前のブースケ
(※前号までの写真はこちらからご覧ください) |
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★ Thank you so much for the early birthday presents! I really appreciate
your sweeeeet thoughts! ★
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