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2006年11月13日号(第241号)
今週のテーマ:
お点前デビュー

“The Monday
Monster”の表紙
(クリックで拡大)
※11月14日発売の『NHK英語でしゃべらナイト』12月号(アスコム・刊)に、私が日本人のために初めて英語で書き下ろした冒険ファンタジー“The Monday Monster”が16ページにわたり一挙掲載されます。どうぞお楽しみに♪
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 昨日、東京・目白の椿山荘で開催された表千家不白流茶道師範披露茶会において、師範となった兄弟子(あにでし)の手伝いをさせて頂いて参りました。

 実はこれが、私にとってのお点前デビュー、つまり公の場での初めてのお点前披瀝となります。

 その意味で、昨日の茶会は自分自身にとっても記念すべきものでしたので、会の様子を写真を交えながらお知らせしつつ、私が茶道を習い始めた経緯や私自身にとっての茶の湯の意味など、想うところを少しばかり記しておきたいと思います。

茶会当日の朝、椿山荘庭園内の
茶室・錦山へと向かう、お社中の
太田さん(右)、大野さん(左)と私
 そもそも、私が不白流に入門することとなった最初のきっかけは次のとおりです。

 今から3年前の2003年11月、ミュージシャンのサエキけんぞうさんやデザイナーの白浜利司子さん達とご一緒に出かけた日産フェアレディZロードスター新車発表会のワインパーティーの席上、ひとりの着物美人とバッタリ出逢いました。それはもう、遠くからも目を引くほど豪華絢爛な麗人でした。

(一体、どこのどなたかしら?)

 美しいものが大好きな上に好奇心の塊である私は、思わずその女性に近づいて行って、いきなり「こんばんは」と挨拶をしていたのです(笑)。

 話は前後しますが、それよりずっと以前の1997年、私は清流出版という出版社から『インド大魔法団』という本を出版しました。

 そして、その本が出たとき、たまたま同じ日に同じ出版社から御本を出版なさった女性が、もうひとりいらっしゃったのです。茶の湯の哲学を書かれた御本で、タイトルは『和ごころで磨く』といいました。

 実は、その際に出版社が掲載してくれた新聞広告には、『和ごころで磨く』の著者の方と私の顔写真が、仲良く並んで掲載されたのです。

 そしてなんと、広告掲載から数えて6年後の2003年、フェアレデェZ新車発表会で見かけた着物美人こそ、誰あろう、あのとき新聞広告で(写真が)隣り合わせた女性だったではありませんか。

「あら! いつぞや新聞紙上で隣り合わせた方ですよね?」

と、6年の歳月を経てほぼ同時に思い出した私たちが、その場で一気に打ち解けたことは言うまでもありません。

 そして、何を隠そうその方こそが、現在私が師事している荒井宗羅先生だったわけです。
 今から思い返してみても、あれは本当に不思議な、そして私にとってはこの上なく幸運な出逢いでした。

荒井宗羅先生(左)とご一緒に水屋で茶菓の準備
 何故ならば、当時(すなわち2003年11月)の私は、ちょうど「茶道を習いたい」と切望し、何年か前から先生を探している真最中だったのです。

 これを読んでくださっている読者さんのなかにも、きっと身に覚えのある方がいらっしゃると思うのですが、人間、ある程度の歳月を生き、ある程度の社会的地位が生じてくるに従って、然るべきお茶会のような場所に招かれる機会も自然と増えてくるもの。

 そして、若いときなら「知りません」「わかりません」と言っておけば、「あら〜、若い娘さんは可愛いわね〜」と許してもらえたことも、次第に、

「そのトシで知らないって、あなた今日まで何を勉強してきたの?

という冷ややかな目で見られてしまう現実が、ひしひしと押し寄せてくるものなのです(若い皆さんも、そこのところを今から心しておいたほうが良いでしょう(笑))。

 私の場合は三十代後半の頃から、次第に格の高い茶会に招かれる機会が増えていました。

 もちろん、茶道の素養が全くないまま茶会に出席することが不可能とは申しません。

 でも、そのままではいつまで経っても正客(しょうきゃく=メインゲスト)を務めることが出来ません。なにしろ、正客には教養と茶道の知識が求められるからです。

 それに、茶道のイロハを知らずに茶会に出てしまうと、(このお茶碗はどこへ置いたらいいのかしら?)とか、(お菓子はどのタイミングで食べていいの?)などソワソワする羽目に陥ってしまい、お茶の味もゆっくり味わえないのでは。

お点前の始まり。左は後見を務めてくださった大澤さ
んです。茶室の外は滝の流れる池。そこかしこに秋の
気配が漂い、まさに借景でした
 それに第一、一言で言ってしまえば、茶道とは阿吽の呼吸なのです。

 茶道はあくまでも亭主(ホスト)と客、あるいは客同士のあいだの暗黙の了解や共通の知識など、多くの約束事の上に成り立った総合芸術。

 その約束事を知らない人には、今ここで行なわれていることの本当の意味はわかり得ません。
 逆に言えば、約束事がわかってさえいれば、これほど深遠で面白い世界もないのです。

 その意味で茶道は、間口が狭く奥行きが深い京都の町に似ているかも知れません。
  
私がご披露したお点前は「長板二飾」というものです。当日は兄弟子の師範披露を祝賀するという
意味で、「扇と松に鶴」の取り合わせがおめでたい訪問着を選んでみました
 そんなわけで、3年前の私にとって、茶道は教養としてどうしても押さえておきたいサブジェクトのひとつでした。

 そして、その際に思ったことは、

「流派には一切こだわらない。その代わり、人間的に心から尊敬できて、自分と相性の良い先生を探そう」

ということ。「表」とか「裏」といった流派ではなく、あくまでも師匠個人の資質および自分との相性を重要視したのですね。

お正客は大ベテランの女性茶人で、とても優しく
話しかけて頂きました
 そんなときにフェアレディZの新車発表パーティーで荒井先生と遭遇し、その美しさとサバサバした江戸前の気風にいっぺんで惚れこんだ私は、その日のうちに弟子入りを願い出ていたわけなのでした。

 フェアレディーZを見に行ってお茶の先生を見つけて来るとは、まったく瓢箪から駒のような話ですが(笑)、まあ、人間の縁というものは得てしてそういうものではないでしょうか。

 ……とまあ、長くなりましたが、これが私と茶道の出逢いだったわけです。

お道具を手に退出するところ
 ちなみに、不白流とは、江戸時代に活躍した天才茶人・川上不白(かわかみ・ふはく=享保4年〈1716〉生〜文化4年〈1807〉没)が創設した流派で、当時としては革命的と申しますかアバンギャルドなものだったようです。

 茶の湯というものを、点前を通じた修道の場であると喝破し、実践したところに、不白の哲人としての魅力があると私自身は思っているのですが、そのことを一歩進めて考えますと、茶の湯というものは世間一般で言われるような儀式的・儀礼的なものではなく、むしろ座禅や阿字観のような修行に通じるところがあるかも知れません。

 私にとっての茶道も、精神を集中させ、限られた空間の中に一つの世界観を現出させるという意味において、趣味であると同時に修行なのではないかと、そのように感じております。
  
自分のお点前が終わり一段落したあとは、ほかの皆さんのお点前を堪能
させて頂きました
 昔の人が遺した言葉に、「石の上にも3年」があります。

 3年間も一つのことを継続して行なっていれば、もちろん個人差はあるでしょうが、目に見える形で何らかの結果が現われてくるもの。

 茶道を習い始めて丸3年。
 お蔭さまで、私もようやく人前でどうにかお点前を披露できるようになりました。

 ここを一つの区切りとし、明日からは次のステージの茶人を目指して、これまでどおり自分のペースでやってゆこうと思っております。

お茶会後の打ち上げパーティーの風景。荒井先生(左から
2人目)および社中の皆さんと、椿山荘にて
 右も左もわからなかった私をここまで育ててくださった荒井宗羅先生、および兄弟子の皆さま方、本当にありがとうございました。

 今後とも変わらぬ御指導のほどを、何卒よろしくお願い申し上げます。
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


ブースケ「皆さん、これからもママのことを
よろしくお願いします」

※前号までの写真はこちらからご覧ください
事事如意
2006年11月13日
山田 真美