旅に出ていない限り毎週土曜日に更新します。
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2019年8月18日(第629号

今週のテーマ:
カウラ事件75周年
 
お知らせ① ナマステ・インディア講演
今年もナマステ・インディアで講演をさせていただきます。
日時: 9月29日(日曜日)13時から14時まで
場所: 代々木公園 ナマステ・インディア会場
演題: 観光ガイドに載っていないインパールとその周辺の最新情報
参加無料・申込不要です。お気軽にご参加ください♪
※なお、当初は演題を「本当は怖いインド神話②」とする予定でしたが、マニプール州からナマステ・インディアのために訪問団が来日することになったため、急きょ(マニプールの州都である)インパールの話をすることにいたしました。ご理解の程よろしくお願い申し上げます。
 お知らせ② カウラ事件75周年 帰朝報告会
10月に東京でカウラ事件75周年記念行事の帰朝報告講演をさせていただく予定です。村上輝夫さん(元日本兵捕虜・カウラ事件サバイバー)と私が対話形式で進行する予定です。詳細が決まり次第、ここで告知させていただきますのでご注目ください。
 カウラ事件は、去る8月5日で発生から75周年を迎えました。
 現地で行なわれた式典に、旧日本軍兵士で、わかっている限り最後のカウラ事件サバイバーである村上輝夫さん(98歳)と参加してまいりました。

 今年の8月26日で99歳になられる村上さんは、さすがに記憶力が少しずつ衰えておられるようでした。
 カウラへの出発前は、ほぼ毎朝のように電話をくださったのですが、

「山田さん、出発は8時半ですか
「違いますよ村上さん。18時半ですよ」
飛行機は成田からですか
「違います、羽田からですよ」

と、毎朝この繰り返し。
 けれども、なんだかとても嬉しそうに、

ありがとう、ありがとう

を繰り返す村上さんの声を聞いていると胸に迫ってくるものものがありました。

 戦後、10回近くカウラを訪問している村上さん(本人談)ですが、特筆すべきは、今回初めてご親族が同行されたこと。既に成人しておられる曾孫娘のミズキさんです。ミズキさんがおうちから空港までご一緒だったので迷子の心配は一切なく、心強く思いました。


8月2日(金)

 移動日です。
 おうちのある鳥取から羽田へ、さらに羽田からシドニーへ。国際線はカンタス航空を選びました。

 飛行機を含むあらゆる乗り物で眠れない村上さんが少し心配でしたが、体力で乗り切ってくださいました。98歳で飛行機に乗れるという、それだけでしみじみ凄いことだと思います。

「行ってまいります!」
村上輝夫さんと私。羽田空港にて。



今回はこのメンバーで行動しました。
右から順に:おなじみ、助さんこと唄淳二さん、格さんこと
吉光徹雄さん、御老公こと村上輝夫さん、ミズキさん、私。
8月3日(土)

 前夜は一晩かけて羽田からシドニーまでの長距離を移動しましたので、今日はシドニーでゆっくりさせていただきました。

 ハーバーブリッジやオペラハウスの周辺を散策したあと、私はフリータイムをいただいて村上さん達のグループを離れ、ニュー・サウス・ウェールズ大学大学院留学中の37年前にお世話になったホストファミリーに会って参りました。

 この37年間、オーストラリア訪問時には必ずと言って良いほど再会を重ねてきた元ホストファミリーの面々。

 「お父さん」は既に亡くなりましたが、昨夜は「お母さん」と四人姉妹のうちの二人が集まってくれました。

 まずは市内の書店で「姉妹」と落ち合い、孫娘へのお土産の絵本を一緒に選んだあと、フェリーに乗って「お母さん」が住む老人ホームを訪ね、言葉に尽くしがたいほど濃い時間を過ごすことが出来ました。

 血こそ繋がっていないけれど、彼女達は私にとってまさに「家族」です。
 こんなにも豊かな人間関係を築けたことを、今、心から有り難く、また誇りに思っています。

シドニーオペラハウスをバックに記念撮影。
おだやかな真冬の一日でした。



オーストラリアの「母」「姉」「妹」と過ごしたひととき。
フェリーに乗りながら、「ああ、私はシドニーという街が
大好きなんだな」と改めて思いました。
8月4日(日)

 シドニーのホテルをチェックアウトし、自動車で一路カウラへ。

 途中、オレンジという街から先は、村上さんと私だけ別の車に乗り換え。そちらには、オーストラリア随一の全国紙「ジ・オーストラリアン」の記者さんが乗っていらっしゃったのです。つまり、村上さんへのインタビューをカウラに着く前に、一刻も早く車内で済ませてしまおうという作戦ですね。

 時速100キロ近いスピードで進む車の中でのインタビュー。

 インタビューを受けた村上さんも、車内で原稿をかきあげた記者さんもさぞかし大変だったでしょうが、助手席から首だけ後ろに回して1時間余にわたって通訳をしなければならない私も、なかなかつらかったですよ(苦笑)。

 なお、その間、脇目もふらずに車を運転していたのはカメラマンの女性。
 カウラ到着後は即座にハンドルをカメラに持ち替え、村上さんを激写していらっしゃいました。

 ……というわけで、皆それぞれに大変だったわけです。

 カウラ到着後はホテルにチェックイン。村上さんはこの日の午後だけで日豪両国の新聞・テレビ6社からの取材をこなされました。

 今月26日で99歳になることが到底信じられないその体力に、誰もが舌を巻いたことは言うまでもありません。

 夜はカウラ市長主催の夕食会

 今回の目玉は、カウラ事件発生時に使用されたラッパ(実物)が壇上に展示されたことでしょう。

 1944年(昭和19年)8月5日未明、凍てついた大地を揺るがすようにして、

デテクルテキハ ミナミナコロセ

時ならぬ突撃ラッパが鳴り響きました。

 ついで、最大で1,104人の日本兵捕虜が「バンザイ」などと叫びながら一斉に蜂起。

 231名の日本兵捕虜と4人のオーストラリア兵が命を落とすことになるカウラ事件(英語ではThe Cowra Breakout)は、こうして突撃ラッパの音とともに始まったのです。

 このとき突撃ラッパを吹いたのは、カウラにおける最古参日本兵捕虜で元零戦パイロットの南忠男(本名は豊島一さん、暴動時に死亡)。

 彼が吹いたラッパは、現在はキャンベラの戦争記念館のガラスケースの中に収蔵されていますが、この夜だけ特別にケースから出され、カウラまで運ばれて夕食会で公開されたのです。

 さすがに手で触ることは自重しましたが、村上さんとご一緒にラッパに顔を寄せて拝見させていただきました。

「ジ・オーストラリアン」の記事に合わせて写真を撮る女性カメラマン。
日本人墓地にて。



村上さんは、この日の午後だけで日豪両国の
新聞・テレビ6社から取材を受けました。



 カウラ市長主催の夕食会にて。「突撃ラッパ」を前にした
村上さんと私。後方はカウラ市長のビル・ウェストさん。
8月5日(月)

 カウラ事件発生から数えて。今日でちょうど満75年です。

 ジ・オーストラリアン紙には、昨日記者さんがオレンジからカウラに向かう自動車の中で書き上げた記事が大きく掲載されました。

 この日の午前中は複数の慰霊祭が行なわれ、村上さんはその都度、カウラ市長のビル・ウェスト氏や駐オーストラリア日本大使の高橋氏とご一緒に大きな花輪を墓前に捧げる役目を果たされました。

 この時期、オーストラリアは真冬ですが、幸い気温はさほど下がっておらず、15年前の60周年のときのように雨が降ることもなく、まずまずの慰霊日和だったと言えるかも知れません。

 ところで、60周年と70周年の際に行なわれた慰霊祭では、はそれぞれ驚くほど多くの宗教・宗派のお坊さん、神主さん、牧師さんらによる宗教行事が延々と続いたのですが……今回はなぜか真言宗のお坊さん3人による『般若心経』の読経があったのみ。どうにも不思議なことでした。

 もしや「宗教色が強すぎる」とクレームが付いて中止になったのかと思い、75周年実行委員会の主要メンバーの一人に質問してみたのですが、「そのへんの事情は自分にもよくわからない」とのお返事。引き続き調べてみたいと思います。

 慰霊祭終了後は、ようやく完全なフリータイムです。
 かなりお腹も空いてきたので、カウラ日本庭園に場所を移してランチ、そして園内散策を楽しみました。

 この日本庭園について一言だけ書いておきます。

 日豪両国の友情の証であるこの公園は、もちろん、多くの人々のご努力によって完成したものであることは言うまでもありませんが、その中心人物だったのがカウラ在住のドン・キブラーさんというお方です。

 本来ならば慰霊祭には当然出席なさっているはずの方ですが、あいにく重い病のためご欠席。

 そこでランチを終えた私たちはそのままキブラ―さんの入所先を見舞い、昔話に花を咲かせて楽しくおしゃべりをして参りました。

 キブラ―さんの御快癒を心からお祈りしたいと思います。

 さらにその後、夜には友人宅に親しい友達が集まってバーベキュー
 今月26日で99歳を迎える村上輝夫さんのために仲間がサプライズパーティを企画してくれました。

 99歳で外国を旅行し、そこでサプライズ・パーティーを仕掛けられる人なんて……ただただ凄いです!

「ジ・オーストラリアン」8月5日朝刊。



日本の複数のメディアも75周年慰霊祭を報道してくださいました。
こちらはTBS「Nスタ」からのキャプチャ画像です。



同じくTBS「Nスタ」より。



公式行事を終え、カウラ日本庭園にてランチ。



カウラ日本庭園全景。



カウラ日本庭園の「生みの親」であるドン・キブラ―さん
(前列左)をお見舞いして参りました。



村上さんを慕って仲間が集まり、
99歳の誕生日を祝うサプライズ・パーティ。



99歳。白寿です。
今年も健やかな一年になりますように。
8月6日(火)

 目まぐるしく過ぎた8月5日。翌日は再び移動日です。

 カウラの最寄り空港であるオレンジ空港から、小さなプロペラ機に乗ってクイーンズランド州の州都ブリスベンに向かいました。

 さようなら、ありがとう、カウラ!
 
実は村上さんはヘビースモーカーなのです。
オレンジ空港を出発する前に最後の一服。



こんなに小さなプロペラ機です。広大なオーストラリアでは、ほとんど
バスに乗るような感覚でこういう小さな飛行機を使っていらっしゃるんですよ。
8月7日(水)

 今回のブリスベンではどうしてもやっておきたいことが一つあったのです。

 それは、捕虜になってカウラ収容所に移送される前の日本兵捕虜たちが尋問を受けた場所をこの目で見ておきたい、そして村上さんにも見てもらいたいということでした。

 第二次世界大戦中、ニューギニア方面で捕虜となった日本兵達は、ニューギニアの首都ポートモレスビーを経て、さらにオーストラリアのブリスベンで尋問を受けた後、カウラなどの収容所に移送されたことがわかっています。

 実際、過去26年間に私がインタビューさせていただいた元捕虜の皆さんの中には、ブリスベンで受けた尋問について驚くほど詳細に記憶している方も何人かおられました。

 ところが戦後、ブリスベンの元尋問所を再訪した元日本兵捕虜は、わかっている限り「ゼロ」であることが山田の調査で判明。

 そこで今回、思い切って村上輝夫さんをお連れすることにしたという次第です。

 そのために、実は数か月前から準備をしていたのですけどね。その甲斐あって、かつて捕虜時代に尋問を受けたブリスベン尋問所(正式名称はウィットン・バラックスと申します)へ、75年ぶりに村上さんをお連れすることができました!

 建物を見ても村上さんごは当時のことを何も思い出せないようでしたが、とは言え村上さん以外の元捕虜の方たちが残してくれたインタビューが私の手元にありますので、それらをもとに、ブリスベン尋問所における日本人捕虜について何か書かなければと思っています。

 なお、当時の尋問所の建物が3棟とも(屋根などを除き)戦争当時のまま大切に保存されていたのには感激しました。

 オーストラリアは(白人の入植以降の)歴史が短いためか、逆に歴史的に価値のある建造物の保存には力を入れていらっしゃる印象があります。
 お蔭で当時の面影をしっかりと拝見することが出来ました。

 ちなみにブリスベンには1942年から1944年にかけてマッカーサー元帥の執務室(連合軍南西太平洋域本部)が置かれたことがあり、今回はそちらへも足を伸ばしたのですが、長くなりますので、その話は別の機会に譲りたいと思います。
 
カウラ収容所に移送される前、捕虜たちはここで尋問を
受けました。ブリスベン市内のウィットン・バラックスにて。
上の写真:村上さんを歓迎する陸軍博物館関係者、
ブリスベン市関係者、ならびに日本領事館首席領事。
8月8日(木)

 ブリスベン最終日の昨日は、村上輝夫さんをお連れしてコアラを抱ける動物園として有名な「ローンパイン・コアラ・サンクチュアリ」に行って参りました。

 さまざまなことを全力でやりきった旅の最後に、曽孫娘さんと並んで最高に幸せそうなお顔を見せてくださった村上さん。

 想い出に残る素晴らしい旅をありがとうございました。
 そして、これで最後だなどと言わず、きっとまた一緒にオーストラリアへ行きましょうね!
 
曾孫娘さんと一緒で、いつになく嬉しそうな村上さん。



ちなみに、この動物園ではコアラ以外のオーストラリアの動物とも触れ合えます。
 というわけで、無事に任務を終えてオーストラリアから帰国いたしました。
 これもひとえに皆さまのお蔭です。本当にありがとうございました。
 
余談ですが……お土産を届けに孫娘のところへ行くと、
「まみりん、おかえりなさい。おつかれさま」と言いながら
手作りのネックレスを首にかけてくれました。
疲れが全て吹き飛びました♪



なお、中日新聞(長野版)2019年8月16日朝刊にはこんな記事も
載りました。わかりやすく、核心をついた記事だと思います。
 10月には東京で帰朝報告会を行なう予定です。

 できれば村上さんと私の対談形式、それが無理な場合にも、村上さんには必ずご出席いただき、75周年についてご自身の言葉でお話していただけたらと願っています。

 日程が決まり次第「週マ」にてお知らせいたしますので、関心がおありの方は是非ご参加ください。

 引き続きよろしくお願いいたします。
 ▼・ェ・▼今週のクースケ&ピアノ、ときどきニワトリ∪・ω・∪


たまにはニワトリの顔も見たいと
おっしゃるファンが増えてきたので、
時々載せることにしました(笑)。


(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2019年8月18日
山田 真美
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