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2007年5月27日号(第265号)
今週のテーマ:
弁天神社を訪ねて江の島へ
 今週末は東京にいないはずだったのですが、予定が変更になり本日は家におりますので『週刊マミ自身』を更新することにしました。

 ただし超多忙のため(今日から来月8日までのあいだに高野山大学へ提出する論文6本を書き上げなくてはなりませぬ)、今週は先週の出来事を写真でサクサクッとご報告するのみに留めます。

 悪しからずご容赦くださいマセ。m(_ _)m

 実はワタクシ、仕事上および学業上の必要から、8月中旬までに日本五大弁天のすべてを訪ね歩くことにいたしました。

 ちなみに日本五大弁天とは、江の島神社(神奈川県)・竹生島神社(滋賀県)・厳島神社(広島県) ・金華山黄金山神社(宮城県)・天河神社(奈良県)のこと。

 また、そのうちの江の島・竹生島・厳島をもって日本三大弁天とすることが多いようです。

 ……というわけで先々週の厳島神社に引き続き、先週は江の島に行って参りました。

最寄駅から見た江の島の風景。駅から島までは
700mほど歩きます
 弁天は、正式には弁才天(弁財天と表記する場合もありますがインド本来の意味からすれば才能の「才」の字のほうが適切)で、もともとはインドのヒンドゥー教の女神でサラスヴァティーと申します。

 サラスヴァティーは水を持つ者の意味。これが弁天が水辺に祀られる理由ですね。

橋を渡りきった向こう側にある乗合船の船着場。
この日は強風のため残念ながら操行中止でした
 弁才天は、日本では七福神の紅一点として知られています。

 ただしこれは、あくまでも日本国内での風習。しかも時代や地域によって、七福神の顔ぶれには変動があったようでして、時代によっては吉祥天が入って紅二点だったこともあるんですよ。
  
島の入り口から続く参道の様子。江の島は坂が多く、島の至るところが階段です
 ところで皆さん、七福神の名前をすべてパッと言えますか?

 せっかくですからこの機会に、教養の一環として(笑)、七福神の名前と国籍もすべて覚えておかれてはいかがでしょう。

 七福神のうち3人はインド出身、3人は中国出身、日本出身はたった1人と聞けば、皆さん「えっ!?」と驚かれるのではありませんか?

 正解は、

 弁才天・大黒天・毘沙門天(※毘沙門天は多聞天とも呼ばれます)。以上3人がインド出身。

 布袋・福禄寿・寿老人(じゅろうじん)。以上3人が中国出身。

 そして恵比寿。七福神のなかで唯一、日本の神道系の神さまで、特に漁業を司ります。

(注)神様の数え方は、「1人、2人」ではなく「1柱(いっちゅう)、2柱(にちゅう)」が正式です。念のため。

 江の島の弁天堂。お堂の中には、一糸まとわぬ姿の
「裸弁天」と、腕が8本ある勇ましい姿の「八臂弁天」
が仲良く並んでいます。写真撮影厳禁のため画像
はありません
 弁天は芸術一般、特に音楽の神として知られますが、インドではむしろ学問全般、特に語学の神として有名なんです。

 そう。弁才天の「弁」は弁舌(tongue)の弁、「才」は才能(talent)の才なのですから。

 日本で学問・受験の神さまといったら、菅原道真公

 しかし、もしもインドで合格祈願のお参りに行くなら、サラスヴァティー(弁才天)のお寺へ行くことをオススメします(ただし残念ながら日本的なお守りは売っていませんが(笑))。

 インドの神話によれば、弁才天はサンスクリット語に使われるデーヴァナーガリー文字を創作したと言われています。

 ですから、私のように言葉を司る仕事をしている人間にとっては、弁才天がいちばん身近な神さまであると言えますネ。

弁天堂のすぐ脇にある銭洗い池。この池で小銭を
洗うとお金持ちになると言われています。白龍が
見守っています
 日本で弁才天と言えば、本来の学問の神様としてと同じかそれ以上に、お金の神さまとしてのご利益があると言われています。

 しかしインド神話の立場からすると、これはちょっとヘン。
 お金の神さまは、本来は吉祥天(インドでの名前はラクシュミー)なんですね。

"Saraswati and Lakshmi do not go together."

という諺があるぐらいで、サラスヴァティー(弁才天=すなわち学問)とラクシュミー(吉祥天=すなわちマネー)は仲が悪い(=両立しない)はずなんです、本来は。

 さて、皆さんなら弁才天(学問)と吉祥天(お金)、どちらのご利益に期待したいですか(笑)?

 私は断然、弁才天のご加護を仰ぎたいです。お金はまあ、そこそこあればいいや(苦笑)。
  
島内に建つ灯台と、そのてっぺんから見た太平洋の風景。果たしてこの灯台のデザインが
江の島の景観にマッチしているかと言うと……大いに疑問!
 そんなことをツラツラ考えながら、階段だらけの江の島を歩いて、ようやく島の反対側に出ました。
 写真ではわかりにくいですが、この日の江の島は波が荒く、強風も吹き荒れていました。

 石碑の近くに立てられていた看板には、「この下空洞のため立ち入り禁止り」の恐ろしげな文字……(ドキドキ)。
  
島の反対側の風景。島に沿ってこんな通路が設置されています
 そしてその先には、岩屋へと続く入り口が待っていたのでした。

 この岩屋は、簡単に言ってしまえば波の侵食によって出来た洞窟。もっとも、こうなるまでには長い長い歳月を要したことでしょうが。

 1182年には源頼朝が戦勝祈願の目的で岩屋に入ったと文献に残されていますから、信仰の対象としては、少なくとも800年以上の歴史を有しているわけですね。

「岩屋」の入り口。入場料は大人1名500円でした
 そう言えば、この源頼朝という人は弁才天を軍神として崇めていたようです。

 神格(神さまの人格)というものは、時代によって人間の都合で少しずつ変化するもの。

 おそらく頼朝の時代には、弁才天は現在のような学問・芸術の神というよりは、むしろ軍神としての役割が与えられていたのでしょう。
  
(左)真っ暗な岩屋の中。蝋燭の明るさを頼りに一歩一歩進みます。(右)岩屋から見た外界
 そう言えばここ江の島には、富士山の麓に通じる地下の風穴があるという専らの噂のようでした(もちろん単なる噂に過ぎませんが)。

 面白いことに、これと酷似した伝説は世界中のあちらこちらに転がっているんですよ。
 人間の想像力って、おそらく一定のパターンが決まっているのでしょうね。

 そのなかで私がいちばん好きな伝説は、ヒマラヤのダージリンからチベットのラサまで通じているという秘密の通路の伝説。もちろん神話に過ぎないのですが、これはなかなかロマンティックなお話なんです。

 江の島から富士山まで続いているという風穴の伝説にも、ある種のロマンがありますよネ。

 黄昏時の江の島駅。なんだか龍宮城のように
見えるのは、気のせいでしょうか?
 ……というわけで本日は、駆け足で江の島弁才天探訪記をお伝えいたしました。

 今週は(もしも時間が許せば)、宮城県の金華山まで足を伸ばしたいと思っています。

 ではでは♪
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪



またまた盛りがついて目がうつろに
なっているブースケ氏(爆)

※前号までの写真はこちらからご覧ください
事事如意
2007年5月27日
山田 真美