2006年9月4日号(第232号)
今週のテーマ:空海の高野山 |
※9月12日発売の『よちよちえいご2007』(アルク)にインタビュー記事が掲載されます。お子様への早期英語教育を考えていらっしゃる方は、ぜひご高覧ください。
※9月19日発売の『できる子は10歳までに作られる』(アスコム)にインタビュー記事が掲載されます。早期英才教育に関心のある方にオススメの1冊です。
※9月27日発売の『サピオ』(小学館)に第十四世ダライ・ラマ法王への単独インタビューが掲載されます。
※9月17日(日)13:00〜14:30、福岡県京都郡に於いて講演会を開催します(演題は「人間を動かしている不思議な運命について」)。一般の方の参加も可能ですので、参加ご希望の方がいらっしゃいましたら
boosuke@badboy.co.jp までお問い合わせください。
※10月13日〜15日の3日間、四国の徳島県で「第28回日本文化デザイン会議」が開催されます。私は13日の「カフェトーク」でサエキけんぞうさんとモデレーターを務めるほか、15日には「黒川紀章氏×日比野克彦氏対談」の司会も務めます。この秋は徳島へGO! |
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不思議な運命に導かれるようにして、先週は和歌山県東北部の高野山へ行って参りました。
高野山と言えば、弘法大師空海。
空海と言えば、真言密教。
真言密教と言えば、高野山大学。
……というわけで今回は、ほかでもない高野山大学に大事な用事があっての訪問だったのですが、実は、これが私にとって初めての高野山詣で。見るものすべてが新鮮でした。
東京から高野山に出るためには、一般的には、まず新幹線または飛行機で大阪に出て、そこから先は南海電鉄で極楽橋駅経由、高野山駅に向かうのです。
こう書いてしまうと簡単なようですが、そこはそれ、高野山はかつて厳しい修行の場だったところ。容易には辿り着くことのできない山の奥深くにあります。そのため、極楽橋から先は、普通の電車ではなくケーブルカーに乗り換えなければなりません。
しかもそのケーブルカーが驚くほど勾配のきつい山道をよじ登るため、最初から山の傾斜に合わせて車体をデザインしてあるのです。駅に入ってきたケーブルカーを見て、その異様なデザインに目をみはり思わずデジカメを取り出したのは、私を含むいかにも「おのぼりさん」な人ばかりでした(苦笑)。
さて、高野山の感想を一言で申しますと、「見たこともない独特のオーラを放っている場所」。それがどんなオーラであったかは、百聞は一見に如かず。まずは写真でご覧くださいマセ。 |
極楽橋駅に入線したケーブルカー
見ているだけで目がクラクラ。まるでエッシャーの騙し絵を見ているみたい |
無事、高野山駅に到着した私はケーブルカーを下り、駅前のバス停からバスに乗って、あらかじめ予約しておいた宿坊へと向かいました。
高野山にはいわゆるホテルや旅館はありませんが、2006年9月現在、53ヶ所もの宿坊寺院があって泊まる場所にはまったく不便しません。
土地に不案内な私は、あらかじめ観光協会に頼んで高野山大学近くの宿坊を予約しておきました。 |
(左)ここが泊まった宿坊(普賢院)の入り口の風景 (右)そしてこれが夕食(精進料理)の内容です |
あ。右上の写真をご覧になって、「精進料理にビールなんて邪道だ!」と思われた方がもしもいらっしゃいましたら、その方に謹んで申し上げます。
……えーとですね。
ここに写っているものは、ビールではありません。
これはあくまでも、般若湯という名前の飲み物なのですよ(爆)。
国語辞典で「般若湯」とひくと、「はんにゃとう。僧侶の隠語で酒のこと」などと書かれています。
そうです。本当はお酒を飲んではいけない、でもお酒が大好きなお坊さん達が、お酒のことを遠回しに「般若湯」と呼んだのですネ。
これぞ嘘も方便。日本人の本音と建前が現われたわかりやすい言葉の例と言えるでしょう(笑)。
※ちなみに「般若」は、智慧を意味するサンスクリット語「プラーニャ」が語源です。 |
高野山では酒屋さんの看板にも
「般若湯」の文字が |
ところで、皆さんもよくご存知のように、高野山は空海が造った一大密教センターです。
伽藍の造営がスタートしたのは西暦819年。工事が完了したのは空海の死後でした。
高野山の標高は、800〜1000メートル。周囲を8つの霊峰で囲まれていることから、高野山は8枚の花びらに囲まれた蓮の花の中心に当たると言われているんですよ。
現在、高野山には金剛峯寺(こんごうぶじ)と呼ばれる大きな寺院を中心に、117もの寺院が密集しているんですって。一説によれば人口の4人に1人は僧侶と言われるほどお坊さんが多いそうで、実際、道を歩いていても髪の毛のない人が多いこと多いこと。
町の東のはずれには大師御廟(だいしごびょう)と呼ばれる弘法大師空海のお墓があって、そこに至るまでの2キロほどの参道には、織田信長や豊臣秀吉、武田信玄、上杉謙信、大岡越前、石田三成、明智光秀といった歴史上の人物の古い墓碑が並んでいるんです。
私はたまたま朝のかなり早い時間にそこを歩いたのですが、人けのない山の至るところに、何とも言えない強烈なオーラが漂っているようでした。
何と言いますか、死んだあとも未来永劫に弘法大師のそばにいたいと願う人々の強力な「念」のようなものが、高野山の一角に刻み付けられているような。
全山まるまる、どこをとっても実に神秘的な場所。それが私が感じた高野山でした。 |
こんな感じの参道が御廟まで2キロほど続いています。両側はすべて墓標
(左)空海が座ったといわれる石。周囲は防護柵 (右)姿見の井戸と呼ばれる古い井戸。なかを覗き
込んで自分の姿が映らない場合、その人は3年以内に死ぬと言われているのだとか
奥に見える建物が弘法大師空海の
御廟。この先は撮影禁止です
御廟の近くを流れる小川と、そのなかに建てられていた無数の卒塔婆のようなもの。夜分に
たったひとりで見たら、かなり迫力がある風景でしょうね。肝試し会場に打ってつけかも?
こちらは無縁塚。まるでピラミッドのように積まれた石塔やお地蔵様が大迫力
(左)織田信長の墓。ちなみに信長の左隣は、洞ヶ峠の日和見で有名な筒井順慶の墓
(右)信長の墓から10mほどの場所にある豊臣秀吉の墓。全体に信長の墓より立派です
武田信玄の墓 石田三成の墓
そうかと思えば、(社)日本しろあり対策協会が建てた「しろあり やすらかにねむれ」の碑
や、どこからどう見てもロケットにしか見えない新明和工業株式会社の碑など、思わず噴
き出したくなるような墓碑も。空海の御廟とその周辺、色々な意味で最強です!
(※ロケット型の墓碑は正面から写真を撮りたかったのですが、すぐ脇でどなたかの法要が
しめやかに執り行われていたため、これ以上近づくことが出来ませんでした。悪しからず)
ふと見上げた空に広がっていたドラマティックな雲 |
今回、私がなぜ高野山へ行ったのか、その理由については、ごく近い将来お話しする機会があると思います。今日のところは、まずは「行って参りました」報告のみにて失礼いたしますネ。
それでは皆さま、今週も健やかな1週間をお過ごしください♪ |
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪
午後の日が射し込む部屋で
※前号までの写真はこちらからご覧ください |
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