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2005年5月22日号(第176号)
今週のテーマ:
三社祭
 私の家から歩いて10分弱のところにある浅草寺の脇にある浅草神社で、一昨日から今日までの3日間、初夏の訪れを告げる下町の風物詩・三社祭が行なわれています。

 な〜んて偉そうに書いていますが、実は私、迂闊にも一昨日までそのことに気づかずにおりました。
 ここ暫く
執筆の鬼と化していた私には、町中の至る所に貼りめぐらされた三社祭のポスターが全く見えていなかったようなのです(面目ありません)。

 三社祭のことに私がようやく気づいたのは、一昨日の夕方。
 
ブースケの散歩でいつものように浅草寺に行ったところ、狭い路地がどこもかしこも、御神輿や山車、それに群集で埋め尽くされていたではありませんか。なんとその日は、三社祭の初日だったのです。

 実を言いますと、5月21日は知り合いと飲み会をすることが
約3か月前(!)から決まっておりまして、

「21日は、たまには浅草の居酒屋で飲みましょうか」
「では、
待ち合わせは夕方5時半に雷門の前で」

なんてことも約束してあったのです。

 約束の日が、実は
三社祭の第2日目で、しかも約束の時刻である5時半が、雷門あたりに御神輿が結集する時間帯とピッタリぶつかっていようとは、思ってもいませんでした。

 21日は土曜日で、かなりの人混みが予想されます。
 肝心の
居酒屋は果たして席が取れるのか?

 不安になった私は、そのへんを歩いていた
綺麗所っぽいお姐さん数人に様子を聞いてみました。すると、お姐さんいわく、

「あらぁ、大丈夫よ。居酒屋はどこも混むけれど、席が全く取れないってほどじゃないから。
そういう時こそ浅草で遊びなさいな」

との優しいお返事。お姐さん達の言葉を信じ、予定通り5時半に雷門前で待ち合わせをすることになりました。

 で、当日その場所へ行ってみると
、今日の飲み会の相手であるさやかちゃん、マッキー、ルリコちゃんが次々に登場。「やったー、無事に逢えた!」と思ったのも束の間。メンバーの中心人物である猪股さんがなかなか現われません。

 そこで鳴り出す携帯電話。猪股さんからです。「あ、もしもし山田さん。猪股です。雷門のすぐ手前まで来ていますが、御神輿にはさまれて動けま…」。ツーツーツー。途中で電話が切れてしまいました(汗)。

 そうこうしているうちに、道の向こうから何基もの御神輿が怒涛の如く押し寄せてくるのが見えます。
 「そのへんの人、ここは危ないよ。御神輿に潰されないように!」などと言われても、今さらどうやったら動けるんだ〜って感じです。後から後からワッショイワッショイとやって来た御神輿に挟まれて、あっと言う間に身動き不可能な状態に……。

彼らが近づいて来ただけで、モワ〜っとした凄い
熱気。あたりの気温が、一瞬5〜6度は上がった
ような感じ



手を思い切り高くあげて適当にシャッターを切っ
た写真。御神輿が通るので、提灯はこのように
半分だけ折上げてあります
 さて、御神輿にはさまれているだけでは仕方がありませんので、「来年は私も三社祭に行ってみたい」という読者の皆さんのために、折角ですからここで簡単に浅草神社の成り立ちを書いておこうと思います。

 『浅草寺縁起』によれば、飛鳥時代の西暦628年(推古天皇在位36年目)
3月18日に、宮戸川(今でいう隅田川)で投網漁をしていた檜前浜成・竹成の兄弟が、網に掛かった1 体の仏像を発見しました。
 西暦628年と言うと、時代的には玄奘三蔵がインドに行く前ですから、かなり古い話ですね。

 兄弟はこの仏像を持ち帰り、
土師中知という名前の物知りな翁に鑑定を請うたそうです。すると、返ってきた言葉は、「これぞ聖観音世音菩薩の尊像なり」。

 ちなみに、「土師氏」や「檜前氏」は、
出雲氏族の東漸に伴って武蔵の国浅草郷に下り、その開拓に当たった人々の名前です。

 土師氏はまもなく剃髪して沙門(出家して仏の道を修める人)となり、仏像を納めるために
自宅を改築して寺を建てました。これが浅草寺の始まりです。

 その後、観音像を供養護持したところ、天から
長さ百尺(約330メートル)の金鱗の龍が下り、歓喜勇躍し、三日三晩お堂の周りを回ってお守りし、また地上には千株の松の木が生じたととか。
 浅草寺の山号である
「金龍山」は、この金龍に由来するわけです。

 土師氏が亡くなった後、西暦639年の
3月18日(仏像が網に掛かった日から数えて11年後の同月同日)に、その嫡子が吉夢を見ました。夢の中に観音様が現われて、

「汝らの親は我を海中より上げて薫護せり、故に慈悲を万人に施し今日に及びしが、その感得供養の力は賞すべきなり。即ち観音堂の傍らに神として親達を鎮守すべし。三社権現と称し祀り奉らば、その子孫土地と共に繁栄せしむべし」

と告示。これを受けて、土師氏の嫡子は
三社権現社(別名・三社明神)を創建しました。これが三社祭の名前の由来です。

 浜成・竹成兄弟が拾った観音像は、「ご秘仏」のため、今では拝観することができませんが、伝えられるところによれば
高さわずか1寸8分(約5.4センチ)とか。
 これほど小さな仏像がもとになって、浅草寺という巨大な寺社と江戸の下町文化が築き上げられたのですから、世の中は本当にわからないものです。

御神輿の間から抜け出し、ようやく全員集合した
飲み会メンバー (左より)信濃毎日新聞社の猪
股さん、私、4月に某大手テレビ制作会社に入社
したばかりのルリコちゃん、東大生のさやかちゃ
ん、
東大生のマッキー



ルリコちゃんとさやかちゃんは最近インドに行って
来たばかり。ルリコちゃんが着ているのは、その
ときに作ったパンジャビスーツですって♪



飲み会の最中、突如として道の向こうが賑やか
に。もしかして、ここにも御神輿が通るの?



……と思う間もなく御神輿がやって来て、居酒屋
の店先ギリギリでワッショイワッショイ。私の席か
らは、「にこみ」の文字が書かれた赤提灯越しに
こんな風流な景色が見えました
 そんな感じで、昨夜の飲み会は下町気分全開でした。

 私が飲んだのは、言うまでもなく
電気ブランです。浅草の居酒屋に来たら、やはりお酒はコレに限ります。
 ただし、かなり強いお酒なので自信のない方はマネしないでくださいね。お店でも「強いお酒だから」という理由で
3杯までしか出さないことにしているそうです(私は3杯飲みました(笑))。

 なお、三社祭は赤坂山王、神田明神と並ぶ
江戸三大祭の一つです。皆様も、ぜひ一度はお越しください。

 ではでは♪
★★★今週のブースケ&パンダ★★★


お散歩中のふたり。内弁慶なパンダは、散歩
のときだけは控え目に「3歩下がってブースケ
の影を踏まず」状態

※前号までの写真はこちらからご覧ください
事事如意
2005年5月22日
山田 真美