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2019年12月27日(第635号

今週のテーマ:
編集者・芝田暁さん(享年54歳)の想い出
 【 訃 報 】

 かねてより病気療養中でいらっしゃった編集者の芝田暁さんが、去る12月22日午前11時43分、ご家族の皆さまに見守られながら旅立たれました。54歳の若さでした。

 「週マ」読者さんの中にはご存知の方が多いと思いますが、芝田さんは日本の出版界の一時代を築かれた編集者さんです。

 私もこれまでに小説、ノンフィクション、英語教育関連書籍と、計7冊の著書を世に出していただきました。

 心から感謝申し上げますと同時に、

もっとご一緒にお仕事したかったのに!

と、その早過ぎる死が口惜しくて口惜しくてたまりません。

 実際、現在書きかけの空海をテーマとする小説は勿論のこと、英語関係の実用書、オーストラリアがテーマの小説など、ご一緒に完成させるはずだった本がまだまだあったのです。

 当たり前のことですが、残り時間がどれだけあるかなんて誰にもわからない。
 もしもどうしてもやり遂げたいことがあるのなら、先に伸ばさず今この瞬間に着手しよう。

 ……芝田さんの死を噛み締めながら、今、改めてそのように痛感しています。

芝田さんが世に出してくださった拙著。出版順に、『夜明けの晩に』、
『ブラック・アンブレラ』、『ブースケとパンダの英語でスパイ大作戦』、
『ブースケとパンダの兄をたずねて三千里』、『死との対話』、『ロスト・
オフィサ―』、『3歳までに英語の種をまきなさい』



2018年のある夕刻、六本木にて。このとき芝田さんは既に病魔に侵されて
いたとは言え、まだまだお元気でした。空海をテーマとする書きかけの拙稿
について、ノンアルコール飲料片手に熱く語り合ったものです。
 芝田さんの死から今日で5日が経ち、ようやく「週マ」を更新する気持ちになりました。
 
 この間の自分は、悲しいと言うよりも、途方に暮れていると言う他に表現しようのない、一種の放心状態にありました。

 そして、冬の夜に無言で雪が降り積もるように、つらさが次第に募ってくるのを感じます。

 思えば、芝田さんと最初にお仕事をご一緒したのが2001年のことですから、以来18年間もの長きにわたり、細々とは言え仕事のタッグを組んできたのです。

 その人の永遠の不在という事実を完全に受け入れるまでには、おそらく長い時間がかかるでしょう。

 芝田さんに出していただいた拙著の一冊に『死との対話』というノンフィクションがあります。

 芝田さんが創業なさった出版社・スパイス(2007年廃業)の、記念すべき第一冊目として刊行して頂きました。また、私がダライ・ラマ法王猊下への最初のインタビューを敢行したのも、この本のためでした。

 実は、この本を書く前提として、芝田さんと私が取材先のパプアニューギニアの海で共に溺れ、死にかかるという大事件がありました。2002年9月11日の出来事です。

 事件の詳細はこちらで読んでいただけます。
 
 数時間ものあいだライフジャケットも着けずに海を漂い、次第に力尽きて沈んでゆく。あのときは本当に苦しかった。

 芝田さんも同様だったようで、2018年の時点でさえ、

「あの出来事はこれまでの私の人生で一番苦しい体験でしたよ。以来、辛いことがあるとあの海を思い出し、『それに比べたらこんなの大したことはない』と耐えているんですから(笑)」

とおっしゃっていました。

 もしや芝田さんは、癌との壮絶な戦いの中でも、あの海を思い出していらっしゃったのだろうか。
 
 本人亡き今となっては確かめようもありませんが、2018年に聞いた言葉を、今、鮮烈に想い出しています。

 芝田さんの想い出は、これからも、ふと思いついたときに書かせていただきたいと思います。

 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。


※追記: 芝田暁さんの凄さを紹介した「ダ・ヴィンチニュース」(2018年12月1日号)の記事も必読です。お時間がありましたら、ぜひ。ちなみに著者である小学館の高木さんには、私も何度か『和樂』等でお世話になりました。
 ▼・ェ・▼今週のクースケ&ピアノ、ときどきニワトリ∪・ω・∪


夜のドライブ中、おとなしく助手席に
並んだクースケとピアノ。

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2019年12月27日
山田 真美
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