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2006年12月23日号(第246号)
今週のテーマ:
インド>忠臣蔵≦闘茶≒ディズニー≠論文

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 師走も架橋に入って参りました。皆さまには、如何お過ごしでいらっしゃいますか。

 ノロウィルスにやられて友人たちがバッタバッタと倒れる中、インド生活を通じてどうやら世界最強の免疫が出来たらしい私メは、ノロウィルスはもちろん、ありとあらゆるバイキンの類からも敬遠され(苦笑)、お蔭様で、すこぶる元気に年の瀬を過ごしております。

 忘年会も、昨日でとりあえず一段落。
 今日からは、心静かに書斎に籠もることが出来そうです。

 このあとの予定としましては、25日締め切りの原稿(ブリタニカ年鑑)と、今月分の論文4本(高野山大学)を執筆し、さらに年末恒例の年賀状を作成・投函。

 そんなこんなでバタバタしておりますので、今日の「週刊マミ自身」は、最近10日間の出来事だけを写真でサクッとご報告するだけに留めます。師走に免じてお許しください。

 タイトルにもありますように、この10日間の動向を簡単に表わすならば、「インド>忠臣蔵≦闘茶≒ディズニー≠論文」という感じでございました。

 等号・不等号などの記号は、私にとっての事の重大さと申しますか、比重の大きさを表わしています。

 まずは、14日(木)。

 この日は、インドから来日なさったシン首相と日本の安倍首相ご列席のもと、「日印交流年オープニングレセプション」(於・椿山荘)が開催されました。

 ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、来る2007年は日印両国の申し合わせによって決められた日印友好年。

 つまり、日本では「日本におけるインド年」が、インドでは「インドにおける日本年」がそれぞれ祝われ、年間を通じて各種の文化イベントが行なわれることになっているんです。
  
日本におけるインド年(Festival of India in Japan 2007)のオープニングセレモニーでスピーチをする
マンモハン・シン首相(左)と安倍首相(右)。2006年12月14日、椿山荘「オリオン・ホール」(東京)にて


  
続いて披露されたインドの古典音楽(左)と現代ダンス(右)。ベリーダンス風ダンサーの登場によって、
それまで厳粛だった場の雰囲気は一気に「踊るマハラジャ状態」に(笑)
 来年は私も、インドの大富豪の本の出版(かなり面白い内容のものになりそうですよ)を皮切りに、日印両国の歴史を通じて最大規模のものとなるインド現代絵画展の開催(7月18日〜23日まで「上野の森美術館」)、そして、インドの最若手マジシャンによるマジックショーのプロデュースと、少なくとも3つの企画でインド年に参加いたします。

 インドファンの皆さまも、そうでない方も、どうぞ来年をお楽しみに♪

 続く15日(金)は、日本橋にオープンしたHD DVDプラネタリウムの、記念すべき初日の第1回上映会に一番乗り!して参りました。

 このプラネタリウム、お席は全席完全予約制。お値段は、ひとり1,500円。どうやら2007年6月末日までの期間限定らしいので、ご興味のある方は今すぐチケット売り場へとお急ぎください(って、私はプラネタリウムの回し者ですか(笑))。

 ちなみにこの日の上映は、「HOKUSAI〜北斎の宇宙」。葛飾北斎の声の役で登場した緒方拳さんが、いい味を出していました。しかし、欲を言えばストーリーにもう少し強烈なインパクトが欲しかったかも。

 同じく15日の夜は、シタールの名手・チャンドラカントさんご自身からご招待を受けて、シタールと琴のアンサンブル・コンサートを鑑賞(於・きゅりあん小ホール)。

 16日(土)は、お茶の教室のお稽古納め

 17日(日)は、茶道の荒井宗羅先生および社中の皆さんと連れ立って、国立劇場で上演中の『元禄忠臣蔵』を観て参りました。

 主演(大石内蔵助役)の松本幸四郎さん、さすがに上手かったですね。痺れました。

 幸四郎さんの舞台を観るのはほぼ10年ぶりでしたが、この10年間で格段に上手くなっていらっしゃるなあという実感がありました。人の成長というものは、10年というスパンを置くことでこんなにも明確に見えるものかと感動したほどです。

 そして、弱冠15歳の息子・大石主税(ちから)と内蔵助との今生の別れの場面。これには一気に泣かされました。

 周囲の皆も、この場面で一斉にハンカチを取り出して、目元をぬぐったり鼻をかんだりしてましたね。日本人のDNAに深く染み込んだ美意識とか、義侠心とか、儚さを重んじる心などをドッと一気に噴出させる魔力が、この物語にはあるみたい。

 泣きたい人は、迷わず忠臣蔵を観に行きましょう。

松本幸四郎さんが大石内蔵助を
演じる『元禄忠臣蔵』(国立劇場)
 ちなみに今回のお芝居中、私がグサッと胸を突かれた台詞がふたつありましたので、折角ですからここに紹介しておきます。

 ひとつは、大石内蔵助の次の台詞。

人はただ、初一念(しょいちねん)を忘るるな

 人は往々にして、最初に感じた(思った)こと、つまり直感が正しいものだから、あとから次第に心がぐらついても、初心だけは決して忘れるなという戒めの言葉です。

 これは本当にそうですね。私なども、これまでの人生を振り返ってみれば、最初の直感で「こうだ!」と思ったことが結局はいちばん正しかったというケースが、圧倒的に多いような気がします。

 要は「自分自身の野生の勘を信じなさい」ということでしょう。迷いが来た時に思い出したいフレーズです。

 もうひとつは、理性(頭)でモノを考えすぎたために四十七士に加われなかった男に対して、もとの仲間から放たれた次の台詞。

武士には三分の愚直さが要る

 この一言も、実に的を射ていますね。

 この世では、理屈(頭)だけで考えていても、人は付いて来てくれません。

 むしろ、少し愚かに思えるぐらい一つのことに無我夢中になっている人を見ると、まわりの人々も心を動かされるでしょうし、それによって物事も動き出すもの。

 私は武士ではありませんから、30%の愚直はパーセンテージとしてちょっと多すぎますが(笑)、それでも10%〜20%の愚直さ(おバカな部分)は必要だと、日頃からつくづく思います。

 極論すれば、この世から愚かさが全くなくなってしまったら、物事なんて何も始まらないのじゃないかと。
 その意味で、これは人情の真髄を捉えた素晴らしい台詞だなと感心した次第です。

 同じ17日の夜は、浅草に場所を移しまして、私には珍しくフラメンコの鑑賞。

 真言宗の名刹・安養院さんの御住職夫妻のお招きで、70歳を過ぎたフラメンコの神様・長嶺ヤス子さんのパフォーマンスを堪能して参りました(於・浅草SHOWホール)。

 今回は最前列の“齧り付き”のお席だったため、ダンサーの汗が吹雪のように飛び散る、それはもう凄まじいステージでした。暗くて激しい、まさに狂気の舞いという感じ。

 しかしあの舞いの中には、ある種の曼荼羅的な部分があったのかも知れません。
 だって、ステージの途中、ふと気がつくと床の上で座禅を組み、いつしか瞑想している自分がいましたから(笑)。

 翌18日(月)は、お友達で茶道の家元(一茶菴第十四世宗家)でいらっしゃる佃一可(つくだ・いっか)さんからお招きを受けて、闘茶会というものにお呼ばれして参りました。

「闘茶会」の会場となった目白庭園
 「闘茶」とは、その昔、宋の時代の中国で流行した遊びのこと。別名を茶歌舞伎とも申します。

 要は、何種類かのお茶を飲み比べて銘柄を当てるゲームで、「聞香」のお茶バージョンと考えていただければ良いかも知れません。

≪闘茶の遊び方≫

 遊び方自体は、至ってシンプルです。

@まず、最初に回ってきたお茶(茶A)を飲みます。
A次に回ってきたお茶(茶B)も飲みます。
Bここからが本当のゲームスタートです。3服目のお茶の味を吟味して、それが「茶A」なのか「茶B」なのか、あるいは「その他」なのかを当てるわけです。花や月などが描かれた札を使って、「これだ!」と思う答えを提出します。私たちの場合は、花札を「茶A」、月札を「茶B」、無印の札を「その他のお茶」として使いました。
C同様にして、ゲームは4服目、5服目へと続きます。
Dもちろん、いちばん多く正解した人が優勝です。

  
(左)闘茶に使われる札 (右)五感を頼りに何種類ものお茶を利きわける参加者たち
 一可さんのお話によれば、昔は参加者全員が何がしかの品物を持ち寄ったみたいですね。そして、それらの品物は、ゲームの優勝者がごっそり全部ゲットできるというシステムだったよう。

 闘茶(茶歌舞伎)は日本でも大流行したようですが、賭け事としての性質が強くなりすぎたためでしょうか、室町時代には幕府の禁止令まで出された由。

 もっとも、今回私が参加した闘茶会にギャンブル性はなく、純粋なお遊びでしたが(笑)。

 今回の闘茶会に使われた場所は、目白庭園の中にある赤鳥庵(せきちょうあん)。
 児童文学者で小説家の鈴木三重吉が大正7年から昭和11年まで発行した児童雑誌『赤い鳥』が、その名の由来だそうです。

 晩秋の名残と冬枯れの風情が綯(な)い交ぜになったお庭を借景に、ポインセチアで飾られた室内にはバリ島をイメージした器が並び、遊びごころ満載のお茶事となりました。
  
(左)クリスマス仕様の茶室でお茶を建てる一可さん (右)残念ながら私は優勝できなかったのですが、
記念(クリスマスプレゼント?)に一可さん手描きのイラスト付きお皿を頂きました
 なお、佃一可さんと私はお互いの得意分野でコラボしながら、来年あたりちょっと変わったイベントを行なうかも知れません。こちらもご期待くださいマセ。

 20日(水)は、娘のLiAと連れ立ってDisney Seaへ。ふたりとも今回がDisney Sea初体験だったんですよ。
  
(左)ディズニーリゾートラインの車輌は、窓と吊り革がミッキーの顔型です
(右)ミニーマウスの本名が「ミネルヴァマウス」だってこと、知ってました?


    
(左)LiAと (右)うちのブースケとよく似た彫像(兄弟?)に座って記念撮影
 今回は私、「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」にハマってしまい、合計3回も列に並びましたよ。

 このアトラクションは、映画『インディ・ジョーンズ』を髣髴させる怪しげな魔宮(南米のジャングルという設定)の中を12人乗りコースターで駆け抜けるというもの。

 コースの最後に(知らぬ間に)写真を撮られるスポットがあるのですが、我々は最初の2回でカメラ位置を確かめておき、3回目に乗ったときに、両手をひっくり返して親指と人差し指で輪を作りメガネみたいにするお決まりのあのポーズで、ばっちりカメラ目線をキメましたよ〜ん。

 信じられないほど笑える写真なので、本来ならば皆様にもゼヒゼヒお見せしたいところなのですが、しかし、見れば見るほどあまりに笑えすぎる写真なので、やはり公開は自粛いたします(笑)。悪しからずご了承ください。

 そんなわけで、Disney Seaの1日は、大笑いの末に暮れて行ったのでありました……。

 続く21日(土)は、編集者さんとの忘年会。

 22日(金)は、拙宅に先生を招いての染色の勉強会
 教えてくださったのは、家族ぐるみのお友達で、皇室メンバーや超有名芸能人の和服の染色を手がける大御所・斎藤登さんです。

 「絞り袋」を使って繊維に絵を描く基礎的な技法を教えていただきました。

 この技法を応用して、いずれは自分が着る和服の柄なども手描き出来るようになりたいと思います(そう、宇野千代さんみたいに)。

これが染色に使われる染料です


  
(左)染料を糊と混ぜ、セロファンを巻いて作った円錐形の入れ物の中に入れる
と、絞り袋の出来上がり。使い方は、ケーキにクリームを塗るのと同じ要領です
(右)珍しく(?)真剣な表情で製作中


  
(左)黒色の染料でまずアウトラインを描き、(右)徐々に色を入れていきます



モデルはmy husbandと犬のパンダ
でございます(笑)
 ……こう書いてみますと、この10日間、まるで朝から晩まで遊んでばかりいたかの如き印象を与えてしまいそうですが(汗)、実際には、これらのイベントの合間合間は、ずーっと部屋に籠もって原稿&論文を執筆していたのです。

 決して遊んでばかりいたわけではありませんので、そこのところ誤解なきよう(←ここ、力説)。

 そんなわけで、I wish you all a very merry Christmas!
 温かいクリスマスをお過ごしください♪
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


忘年会から帰ったご主人様に真夜中に叩き起こさ
れ、アルコール臭い息を吹きかけられて思いっきり
不機嫌そうなブースケ氏

※前号までの写真はこちらからご覧ください
事事如意
2006年12月23日
山田 真美