旅に出ていない限り毎週土曜日に更新します。
直前号(インド工科大[2])は
こちらから、それ以前のバックナンバーは
こちらから御覧になれます。

2015年3月22日号(第533号)
今週のテーマ:
インド工科大学(3)
 
 2015年1月24日から2月24日までの一か月間、インド工科大学ハイデラバード校(略称IITH)の教壇に立っておりました。

 大学での所属は教養学部(Faculty of Liberal Arts)。
 ポジションは客員助教授(Visiting Assistant Professor)です。

 ここには日々の出来事を備忘録的にメモしておきたいと思います。かなり散文的な記述になるかと思いますが、あらかじめお許しくださいませ。 
2月14日(土)―IITHでの第22日目

 ハイデラバードへ来てからというもの、週末になると必ずどこかへ遠出をしている。というのも、今回のハイデラバード訪問には「インド工科大学で教える」ことのほかに「自分自身の研究リサーチを進める」という大きな課題があるからだ。毎週末の遠出とは、すなわち研究リサーチの旅なのだ。

 今週末の行き先はアンドラ・プラデシュ州のアマラヴァティという古い街。
 ここは日本を発つ前から是が非でも訪ねてみたいと切望していた場所である。

 一説によれば、密教の実質的な開祖であり、また空海の遠い師匠筋に当たるナーガールジュナ(日本語では龍猛または龍樹)という偉いお坊さんは、ここアマラヴァティの地で最初の密教経典(おそらく埋蔵経)を得たという。

 このナーガールジュナというお坊さんは、日本の空海と同様、実に全く謎の多い人である。実在したことは確かのようだが出身地すらハッキリしない。アマラヴァティに行けば彼に関する謎の幾つかが解けるだろうと思っていたのだが、実際に行ってみると、解けるどころかさらに新たなる謎を探り当ててしまった(汗)。

 この件についてはなるべく早いうちに1冊の本として書き上げたいのだが、しかしまだまだ調べ足りないことがあるので年内完成は夢の夢。来年の課題ということになりそうだ。やれやれ……。

 その後、宿泊予定地のヴィジャヤワダの街に向かう途中、乗っていたタクシーがボディの右側後方をトラックに接触される。ドライバー(かなりガタイのいい男性)が精神的ショックから泣き崩れんばかりとなったため、夕方に予定していた観光を全て中止せざるを得なくなった。

 まあ、怪我がなかっただけでも良しとしなければ。 

アマラヴァティのクリシュナ川にて、水から顔だけ出して悠々と川を渡るバッファローたち



クリシュナ川で洗濯する女性達の近くでは、山羊の群れが休憩中



近くの池では男たちが魚捕りの真っ最中。ただし稚魚はリリースしていた。
(カメラを向けると実に無邪気に微笑んでくれた)



数年前に建立したばかりの真新しいアマラヴァティ大仏。
この一帯でナーガールジュナの「謎解き」をしたのだが……。
(これは暑さに耐え切れずアイスキャンディを買ったところ)



近くのシヴァ寺院に寄ったものの「昼休みなので夕方出直してくれ」と追い返される。
(仕方がないので建物の外にあった柱だけ参拝して退散)



夕方、乗っていたタクシーの右後部をトラックに接触される事故が発生!
目の前に2人の警官がおり、すぐにトラックの非が認められたのが不幸中の幸い



事故現場の脇を流れる川(おそらくクリシュナ川)をふと見ると、「生首」風のオブジェが4つ。
これが何なのかはシランガナ。(注:ハイデラバードがある場所はテランガナ州という(笑))



今夜の宿。シングルがなかったのでツインルーム(余分なベッドがもったいない……)
2月15日(日)―IITHでの第23日目

 本来なら今日もあちこちタクシーで回りたかったのだが、昨日の自動車事故のショックからドライバーが見るからにションボリしているので、早く仕事を終わらせることにした。

 というわけで、ヴィジャヤワダではカナカ・ドゥルガー寺院を見学したのみ。

 そのあと5時間ほどかけてインド工科大学のゲストハウスに戻る道すがら、ハヌマーン大仏シヴァ寺院を見学できたのは僥倖であった。

 ちなみにハヌマーンとはヒンドゥー教の猿神で、『ラーマーヤナ』という大冒険叙事詩では主人公のラーマ神に仕える忠犬ならぬ忠猿として大活躍する。

 この『ラーマーヤナ』という物語、ストーリー的には日本の『桃太郎』とひどく似ている。ただし両者には明らかな相違点もあって、鬼が盗んだものが『ラーマーヤマ』では「妻」、『桃太郎』では「一般的な宝物」。また主人公の家来が、前者では「ハヌマーンを中心とした猿軍団」、後者では「犬・猿・雉」となっている。

 両作品を通して見た日印文化比較はなかなか面白いのだが、書き出すと長くなるので今日はやめておこう。夕方5時頃、大学のゲストハウスに無事帰着。

インド最強の女神(軍神)でシヴァ妃のドゥルガーを祀ったカナカ・ドゥルガー寺院
@ヴィジャヤワダ。「カナカ」は「黄金(ゴールド)」の意味である



帰り道で見かけたハヌマーン大仏(2003年完成とのこと)



ハヌマーン寺院の近くで見かけたシヴァ寺院。シヴァ神の象徴であるリンガ
(男性の象徴)をかたどった寺院だけに、遠目にもよく目立っていた



インドは今が結婚シーズン。花嫁仕様の紅白の髪飾り(写真参照)
を付けた女性をお寺や食堂などほうぼうで見かけた
 2月16日(月)―IITHでの第24日目

 今日は通常の授業日。日本に渡ったインドの神々から観た日本史と日本語を引き続き教えたあと、残り時間で日本の伝統ゲームである「花札」の遊び方を教えた。

 任天堂の花札。
 いつか必要になるんじゃないかと思い、出国直前に羽田空港で購入しておいたのだ(笑)。

 任天堂は、ここインドでも超有名ゲームメーカーだが、この会社が創業後に初めて売り出した商品が花札であることを告げると、学生達の口からは“Really?!”という驚きの声があがった。

 学生達は、初めて見る不思議な絵柄に困惑したようだ。特に萩と桐と藤の違いがなかなか理解できないようだった。

 やがて柄を覚えたところで「花合わせ」のルールを教えたところ、途端に質問の嵐。

「マミ先生、あかよろしって何ですか?」
「マミ先生、イノシシと鹿と蝶の組み合わせの一体何がめでたいのですか?」
「どうして桐だけカスが3枚もあるのですか?」

などなど。猪鹿蝶(いのしかちょう)の何がそんなにおめでたいのか、確かに私にもわからない(汗)。
 そんななか、最も彼らのツボにハマったのは、

満月+酒=パーティ!」(月見)
桜+酒=パーティ!」(花見)
「でも雨が降るとパーティはキャンセル!」(小野道風が来ると役が流れる)

というルールのようであった(笑)。

最初は普通に授業(既にこんな高度なレベルに達している。「龍」は皆のお気に入りの漢字)



残りの時間で「花合わせ」



羽田空港で花札セットを購入してきて大正解!



学生達の楽しそうな顔!
2月17日(火)―IITHでの第25日目

 今日は珍しく何もしなかった。大袈裟でなく、本当に、何もしなかった。

 しいて言えば、夕食時に食堂で同僚のプラカッシュ教授とインドの多様性について熱く語り合ったぐらいか。あとはもう、ただただ睡魔に襲われ続けの1日であった。

 写真も撮っていないのでお見せする物もなく、申し訳ない感じである。


2月18日(水)―IITHでの第26日目

 今日はデザイン学部に招かれての特別講義
 日本から持参した全身に数字がちりばめられた黄色い浴衣を着て臨んだ。

 この浴衣、色と言いデザインと言い、日本で着るにはかなりの勇気が要る(と言うか、まだ一度も袖を通していない)。しかしインド人は原色が好き。ましてデザイン学部の彼らなら、このセンスをわかってくれるに違いなかろう。

 ちなみにこの浴衣を日本で衝動買いしたのは、今から5年ほど前。あの時は、まさか自分がインド工科大学の教壇に立つなど予想だにしていなかったが、

いつかこれを着るのにピッタリな場所へ行くことがあるのでは?」

と思い、なんとなく購入してしまったのだ。きっとここがその場所だったんじゃないかな。

デザイン学部の教授と大学院生を前に、問題の浴衣をまとって特別講義中






今回は教授と院生だけが対象だったが、次回は学部生を対象とした講義もしてみたい
2月19日(木)―IITHでの第27日目

 インド工科大学ハイデラバード校は現在、仮校舎で授業をしている。仮校舎のある場所は人里離れたとんでもない田舎で、いわゆるハイデラバードの街から自動車で1時間近くかかる。買い物一つするにも乗り物でマーケットに行かねばならず、ぶっちゃけ不便この上ない。

 というわけで今日は買い物とストレス解消も兼ね、久々に都会に出ることにした。道案内役はインド工科大学にリサーチフェローとして留学中の池上洋行さん(通称「ヒロ」)。2月1日のビダールへの旅にも同行してくれた東京大学博士課程の院生さんである。

 今日の特筆すべき出来事は、モールの中のカフェっぽいレストランで久々にビールを飲んだこと。このところアルコールの入った飲料を一滴も飲んでいなかったせいか、まさに五臓六腑に染みわたった。

 そもそもインドでは飲酒に対するイメージが全般的に良くない上、女性の飲酒なんてとんでもないと思っている人も少なくない。法律が禁じているわけではなく、これはあくまでも社会通念だ。5つ星ホテルや外国人御用達の「安全な店」で飲食する場合は別として、基本的に女性は外で飲酒しないほうが身のためだと思う。

 今日は「安全な店」でビールを満喫し、かなりの気分転換になった。

久々の街! 久々のモール! おのぼりさん的な喜びが沸沸と(笑)



モール内のカフェっぽいレストランで乾杯♪(左は「ヒロ」こと池上洋行さん)



メニューに「Kappama」と書かれたカッパ巻き風の一品
(このほか、摩訶不思議な「袋入りイタリアン・パスタ」などを堪能)



レストランからの風景(遊具の原色が雰囲気をぶち壊している気がしないでもないが)



仕上げはサーティワン・アイスクリームことバスキン・ロビンズ♪
都会では当たり前のこういう食べ物が、おのぼりさんには嬉しい……
2月20日(金)―IITHでの第28日目

 早いもので、今日はインド工科大学での最後の授業日だった。
 学期末の成績を付けなければいけないので「テスト」を行なった。

 IITの成績の付け方は、100点がAプラス、93~99点がA、91~92点がAマイナス、81~90点がB、71~80点がC評価となっている。心情的には全員にAプラスをあげたいところだが、そうも言っていられない。2種類のテストを実施したところ、全員が良い結果を出してくれた。

 また、「この授業を履修しての感想」を書いて提出してもらったところ、「来学期もまたマミ先生に教えてほしい」という、胸に沁みる感想が並んだ。

 ありがとう、みんな。きっと、いつかまた会えるよ。
 学生達の提案で、明日はみんなで外食をする予定。

最後の授業(学生達の自筆サインが並んだ黒板の前でピース)



テスト実施前、いつになく緊張気味の学生たち
2月21日(土)―IITHでの第29日目

 インド工科大学ハイデラバード校での14回にわたる集中講義が終了し、帰国の時が近づいてきた。実に全くあわただしい。瞬く間に1か月が飛び去った気がする。

 今日のランチは、インド工科大学で既に2年半も客員助教授として教えていらっしゃるコタロウ先生とご一緒した。コタロウ先生は、かつて慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の教授をなさっていた方だ。

 日本語のお名刺を拝見したら片岡広太郎と書かれている。ということは、正しい呼び方はコタロウではなくコウタロウ先生?! しかしインド人の教授や学生たちがこぞって「プロフェッサー・タロウ」と発音しているので、私の呼び方も「タロウ先生」で固定してしまった(汗)。

 なおインドでは「教授×教授」間も「教授×学生」間もファーストネームで呼び合う伝統なので、われわれも「コタロウ先生」「マミ先生」と呼び合っている。日本人の視点に戻ってみると色々とおかしいわけだが……このまま行こうと思う(笑)。

 (ちなみにコタロウ先生と奥さまは、偶然にもうちの慶応ボーイの先輩です。
 全くもって世間は狭いですね!)

 ランチ終了後はしばらくコタロウ先生の授業を覗かせていただき、夕方からは学生達と大型タクシーで街へ繰り出し、最初で最後の合同食事会を楽しんだ。

 まずはモールへ行き、ハイデラバードで一番おいしいアイスクリーム店(学生達・談)でアイスクリームを堪能。

 その後、「ワンタン」という名の中華・タイ・マレーシア料理店に場所を移した。最初のうちは、箸の使い方について爆笑したり、ささいなことで大笑いしたりと普通の夕食会だったのだが、そのうちに、この集まりが私のために用意されたサプライズさよならパーティーであることが判明。

 プレゼントを渡され、「マミ先生、必ず帰って来て!」と熱いラブコールを受ける。なんて可愛い子達なんだろう。早くも「いつかハイデラバードに帰って来なければ!」と思っている自分がいた。

 明日はハイデラバード市内で特別講演をするので、学生達とはここで別れ、今夜は市街のホテルに一人で泊まる。

コタロウ先生こと片岡広太郎先生と



学生達オススメの「ハイデラバードで一番おいしいアイスクリーム店」にて



学生達が選んでくれたのは「ワンタン」というアジアン・エスニックなレストラン




ただの食事会かと思いきや、私のために催されたサプライズさよならパーティだった!
(色々なプレゼントを渡されて感激中♪)



「マミ先生、必ず帰って来て!」と激励される



今夜はここで泊まる。「ニザム・クラブ」という由緒正しい会員制の施設だ。
(日本で言うところの「学士院」に近い感じ)
2月22日(日)―IITHでの第30日目

 ハイデラバードでの滞在も、残すところ3日となった今日、INTACH(インド芸術文化遺産ナショナルトラスト)とY's Men's Clubの共催による特別講演をさせていただいた。

 演題は“India-Japan Friendship Seen Through Shichi Fuku Jin”(七福神を通じて見た日印友好関係)。会場はサーラール・ジャング博物館(インドに3つしかない国立博物館のうちの1つ)のレクチャーホールである。

 講演は一般公開されたため、日本に関心を持つ市民が集まってくれた。講演終了後には日本に関する多くの質問が出たほか、「一緒に写真を撮ってもいいですか」とのオファーが殺到して嬉しい悲鳴をあげた次第である。

 一般市民に日本の魅力をアピールできたという意味で、今日のイベントはハイデラバード訪問の集大成とも呼ぶべきものとなった。このような機会を用意してくださった関係各位に深く感謝している。

 今夜も昨夜に引き続きニザム・クラブで宿泊。

特別講演の招待状。私の肩書が「Prof. Dr. Mrs.」となっている(笑)



会場となったサーラール・ジャング博物館のレクチャーホール



壇上にて主催者から記念品を受ける



講演中の一コマ



講演中の一コマ



主催者であるINTACHのアヌラダ・レディ議長は楽しい女性。
まるで姉妹のように、すぐに話が合った!
2月23日(月)―IITHでの第31日目

 今朝の新聞には一斉に昨日の講演会に関する記事が載った。テルグ語の新聞が4紙。どれも好意的な記事で、実にありがたいと思う。これらを読んだハイデラバードの人たちが少しでも日本文化に関心を持ってくだされば本望である。

 今日はハイデラバードで最も有名な観光地の一つであるチャール・ミナール(1591年建立の街のシンボル的なタワー。4つ[チャール]の尖塔[ミナール]の意味)をようやく訪れることができた。

 またハイデラバードは真珠加工業と販売で有名で、チャール・ミナールのすぐ脇には真珠のお店が何十軒も軒を連ねたパール・バザールというものがある。ケララ産の天然淡水真珠がなかなか可愛らしく、値段も手頃だったので、ここで娘と自分用におそろいのネックレスを購入。よい想い出になるであろう。

 このあとヨットクラブのレストラン(会員制)で昨日の講演会の主催者らとランチをしたあと、(再びタクシーで1時間ほどかけて)大学に戻る。

昨日の講演会について報じたテルグ語の新聞(1)



昨日の講演会について報じたテルグ語の新聞(2)




昨日の講演会について報じたテルグ語の新聞(3)



昨日の講演会について報じたテルグ語の新聞(4)



チャール・ミナールの内部。向こうで手を振っているのが私。
(この上に最上階があるのだが、数年前に誰かが落下して以来閉鎖されている由)



パール・バザールの真珠屋の職人さん。
(頼むとその場でサイズ調整をしてネックレスを作ってくれる)



昨日の講演会の主催者であるY's Men's Clubのチャクラパニ会長(左)と
INTACHのアヌラダ・レディ議長(右)と共に、ヨットクラブにて
2月24日(火)―IITHでの第32日目

 今日はハイデラバードでの最後の1日。親しくなった同僚たちに挨拶回りをし、記念撮影などしながら過ごした。特筆すべき出来事は、私の存在を人づてに聞いて知ったというプネの女子大生が、

「どうしても会ってください! 相談に乗ってください!」

と、何百キロも旅をしてわざわざハイデラバードまで私に会いにやって来たこと。もちろん、突然やって来たわけではなく、事前にアポを取った上での来訪である。彼女は子どもの頃に「ドラえもん」にハマり、以来、一貫して熱烈な日本ファンだという。

 実際に会ってみた彼女は、既にかなり流ちょうな日本語を話し、ある程度ならビジネスレターさえ書くことができる。小学生時代に毎朝5時起きで通ったという早朝日本語クラスの成果もさることながら、彼女自身が人並み外れた努力を惜しまなかったことは歴然としていた。

 「将来は日本で暮らしたい」という彼女の相談に乗り、現時点で考えられる最高の解決方法を見出してあげると、彼女はホッとした表情を浮かべ、嬉しそうにプネに帰って行った。

 彼女が帰ったあとは、荷物をまとめ猛ダッシュで空港へ。真夜中(実際には25日)の午前3時45分ハイデラバード発のカタール航空便にて、ドーハ経由、羽田へ。ドーハでのトランジットは短く、免税店での買い物もあったのでギリギリで乗り継げたという感じ。

 25日22時45分、無事に羽田空港到着。
 こうして私の短い、しかし濃厚なハイデラバード滞在は幕を下ろしたのだった。 




[覚え書き]インド工科大学ハイデラバード校ゲストハウス附属食堂でいただいた食事(の一例)
 最後に、「インド工科大学客員準教授」という極めて貴重な体験を終えて、ひと言。

 今回、縁あって私の講義を受講してくれたIITの学生達は、日本文化全般に深い関心を寄せてくれたのみならず、その延長線上で日本の大学にも興味を覚えてくれたという意味で、インドでは稀有な存在だと思う。

 なぜならば、大多数のインド学生にとって「留学」とはハーバード、MIT、オックスフォードなど英米のトップクラスの大学院を意味し、日本の大学院はまだまだマイナーな存在だからである。日本政府も日本の大学(東大など)も全力で頑張っているが、インド人の欧米志向は一筋縄ではゆかないのだ。

 また、百歩譲ってインドの大学を卒業したインド人が日本の大学院に留学したにせよ、その先の日本に於ける就職というビジョンが描きにくいという現実もある。成功モデルとなる先輩が数えるほどしかいないのだ。

 日本の大学が世界競争の中で生き残るためには友好国インドからの上質な留学生を増やすことは重要課題で、そのことはおそらく多くの人々が痛感していると思う。

 今回、ハイデラバードで私が教えた学生達には、日本の大学院への留学を視野に入れて将来設計をして欲しいと切に願う。現地(ハイデラバード)のJICAの方から伺った話では、私が日本へ帰った後で行なわれた日本留学ガイダンスへは、早速彼らが参加していたそうだ。

 彼らの知的好奇心が途中で枯渇してしまうことのないよう、今後もインターネットを通じて交流を続け、彼らの日本熱を長期にわたって滾(たぎ)らせ続けるためのサポートをしようと心に誓う今日この頃である。

※日記風の雑文をここまでご高覧いただき、ありがとうございました。心より感謝いたします。なお、今回の体験は1冊の本にまとめ、年内に発表の予定です(現在編集者さんと打ち合わせ中)。今暫くお待ちください。
 ▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪ 


ママの留守中はずっと寝ていたというブースケ。
(春の訪れを告げるカウラワインを前に寝ぼけ顔)

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2015年3月22日
山田 真美
※週刊マミ自身の一部または全部を許可なく転載・引用なさることは固くお断りいたします♪
©Mami Yamada 2000-2015 All Rights Reserved.