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2011年3月27日号(第414号
今週のテーマ:
震災後の日本へ[1]
★ 仏教エッセイ ★
真言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。
 地震発生から半月が経過しました。
 被災された皆さまに、改めて心からお見舞い申し上げます。

 この半月。……早かったような、遅かったような。時間の感覚が喪われてしまい、見通しの悪い濃霧のなかを手探りで歩いているような日々でした。

 今回のことで痛感したのは、日本には真のリーダーがいないという厳然たる事実。
 リーダーは、特に頭が良くなくてもいいんです。こんな国家の危機的状況にあって、

みんな、安心しろ。俺について来い!

と言って国民を安心させ、倒れている人を抱き起こし、泣いている人を笑顔にさせ、絶望の淵に立っている人に今一度生きる気力を与える人こそが真のリーダーでしょう。

 悲しいかな、日本にはそういうリーダーがいないようです。しかし、リーダーがいなくてもなお、人々は震災の翌朝から仕事場を目指して何時間も歩き、職場では黙々と自分のすべき仕事をこなし、日本を復興しようと全力を尽くしている。そんな同胞を私は心から誇りに思います。

 以下に地震発生から半月間に起こった身の回りの出来事をかいつまんで記録しておきます。ここに記すことは、あくまでも個人的なメモではありますが、とは言え、いつの日かこの記録が何かの役に立つかも知れませんので……。
 諸々の出来事をキチンと時系列に整理する余裕が今はありませんが、現在の混乱に免じまして乱文を何卒お赦しください。

【 地 震 発 生 時 の 我 が 家 】
 最初の大きな地震が発生した3月11日14時46分、私は東京宅(都心の一戸建て)の1階キッチンで遅い昼食を料理していました。そこへ襲った大きな横揺れ。 すぐに火を止め、家族に声をかけて全員の無事を確認
 我が家は耐震設計になっているため、揺れはうまい具合に分散(?)されているように感じましたが、それにしてもいつまでも大きな横揺れが止まりません。これまで体験したことのない不気味な揺れ方でした。

【 息 子 の 直 感 】
 地震が発生する少し前に書店へ出かけたはずの息子は、急きょ予定を変更して帰宅しており、無事でした。息子いわく、
「出かけたらわずかに雨がぱらついた。そのぱらつき方が何となく嫌な感じだったので、今日は外出しないほうがいいのかなと思って引き返して来たんだよ」。
 ……なんという直感力!

【 娘 は 東 大 で 無 事 】
 地震発生時、娘は仕事で外出していました。すぐに携帯回線はパンク状態となったものの、Twitterやmixi, FacebookなどのSNSは終始一貫して生きていたため、これらを通じて娘とは迅速に連絡が取れました。娘からの第一報は、
「メールも電話もパンクしているのでここで生存確認:私は大丈夫だよ!>各位」(Twitter)
「家族へ:メール返せませんが、私は無事です。東大の福武ホールにいます」(Twitter)

【 長 野 の 母 】
 これに対して長野市に住む母はインターネットをやらないため、連絡が取れるまでに数時間を要しました。

【 犬 ( ブ ー ス ケ と パ ン ダ ) 】
 地震発生時、飼い犬のブースケとパンダは庭で遊んでいました。迎えに行ったところ、ブースケは無事でしたがパンダの様子が明らかにおかしい。既にパニック状態に陥っています。
 案の定、その夜からパンダは夜となく昼となくヒステリックな悲鳴をあげるようになってしまいました。パンダは過去にも何度か地震が来る直前に錯乱状態に陥ったことがあります。予知能力というよりは、遠くから聞こえる地鳴りを感知するのではないでしょうか。

 岩手県宮古市でも83歳の女性が愛犬に助けられたそうです。動物病院を経営する友人から聞いた話では、今回、多くの犬たちが地震ショックで体調を崩し病院に担ぎ込まれたそうですから、犬は往々にして天災の発生に敏感なのかも知れません。

【 地 震 直 後 の 合 格 発 表 】
 
実は3月2日に大学院(博士課程)の入試を受けていたのです。その合格発表がナント3月11日17時でした。地震発生直後の合格発表……。お蔭さまで試験には合格しましたが、日本が未曾有の天災に巻き込まれたさなかの朗報を手放しに喜べるはずもありません。なんとも複雑な気持ちで、家族とごく一部の友人に地味に祝っていただきました。
 4月からはお茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科博士課程後期(ジェンダー学際研究専攻)に籍を置いて博士論文を書きます。
テーマは「カウラ事件」です。

【 200〜300 体 の 御 遺 体 が 上 が っ た 町 】

 テレビではすべての局が大々的に地震・津波について報じていました。地震の規模は当初の発表ではM8.8、のちにM9.0と訂正されました。
 地震がもたらした津波に町ごと飲み込まれ、家と言わず、自動車と言わず、船と言わず、ありとあらゆるものが根こそぎ流されてゆく信じられない光景が、これでもかこれでもかとインターネットやテレビで配信されています。
 仙台市若林区荒浜には200〜300体の御遺体(おそらく溺死体)が流れ着いたと報じられました。荒浜の隣町に住む友人Rさんの安否が心配で心配で、ほうぼうに手を回して調べるも、彼女の安否は杳として知れません。眠れぬ夜が更けて行きました。
 13日21時44分、本人から「家族無事です」との連絡が入ったときには、思わず「生きてて良かった!」と叫んでいました。

【 原 発 の 放 射 線 漏 れ 】
 3月12日のNHKニュースより。

「まだ国からの発表はありませんが、福島第一原発で重大な事故が発生した可能性があります。10キロ圏外にいらしゃる方は速やかに10キロ圏外に避難してください。また念のため、福島第一原発の周辺10キロ圏外にいらっしゃる方も、速やかに屋内に避難してください。屋外では濡れタオルを口に当ててください」

 “まだ国からの発表はない”だと!? 政府は何をしているのだと本気で激怒しかかった瞬間。

【 Facebook で 現 状 報 告 in English 】
 地震発生後、すぐに世界中の友人たちから「生きているか」というメールや電話が殺到しました。それぞれのメールに個別に返事をすることが物理的に無理なため、Facebook上に英語で逐一現状報告をすることにしました。
 放射線漏れのニュースが全世界で配信されるや、「いつでも我が家で受け入れるから今すぐ日本を脱出して逃げて来なさい」という申し出が殺到。
 とてもありがたいオファーではありましたが、冷静に科学データを見れば日本を脱出する必要など全くなく、海外では必要以上にセンセーショナルに報じられているのではないかと感じました。

「この程度の放射線漏れなら東京にいても平気。日本人は冷静に行動していますから、皆さんも落ち着いてください」

と逆に相手を落ち着かせなければならなかったのは、思えば奇妙な事態でした。

 日本はサイズ的にとても小さな国であると海外では誤解されていますので、今度のことで国土の全てが被害を受けたように錯覚してしまった外国の方も少なくなかったのではないでしょうか。
 そういう誤解を解くためにも、日本側から冷静に情報発信することはとても重要だと思います。
 なお、Facebook上での地震報告は3月27日現在も続けています。

【 イ ト マ サ さ ん の 安 否 確 認 シ ス テ ム 】
 同じく3月12日。娘の友人の伊藤将雄氏(通称「イトマサさん」)が、「地震発生以降にTwitterで呟いた人がいるかどうかによって宮城の各市郡ごとの安否をチェックするシステム」を作り、無料で公開しました。
 これがそうです。→ http://machi.userlocal.jp/miyagi/
 イトマサさん、Good job! こんな大震災のさなかにも、やるべき仕事を冷静かつ迅速にこなしている人がいることに、目頭が熱くなりました。

【 東 京 の 買 い 占 め 】
 地震発生の直後から、被災したわけでもない東京のスーパーから、ありとあらゆる品物が消えて行きました。被災地から遠く離れた東京で何故買い占めに走る必要があるのか?
 それはおそらく「家族」や「近所付き合い」といったコミュニケーションが崩壊し、ひとりひとりが孤独に暮らしていることと深い関係があるのではないでしょうか。
 寄り添える家族やご近所がいれば、お味噌やお米なんて借りて来ればいいんですから(そう、江戸時代のように)。
 ガソリンスタンドにも長い車列。18日の夜に近所のガソリンスタンドに並んでいた自動車の数は約200台でした。

【 長 野 へ 】
 3月19日から21日までの3日間、長野に行ってきました。というのも、長野には母がおりますし、それに今回は私の山小屋がある長野県北部でも強い地震が観測されており、早急に山小屋の様子をチェックする必要があったからです。
 幸いにも母は元気、山小屋は井戸から引いた水道水が吹き出していた以外は大丈夫でした。
 スーパーやガソリンスタンドの物資も豊富(※ただし御多分に漏れず長野でも納豆だけは欠品)で、人々の様子もほぼ平常通り(ほっと安心)。
 いつもなら温泉三昧をするところですが、今回はそれどころではなく、ついに一度も温泉に浸かることなく東京へトンボ帰り。ただし、東京に急ぎの用事がない娘は母の家に一時疎開させました。


山小屋で束の間の「ほっと一息」
【 震 災 後、 初 め て の 大 笑 い 】
 長野への移動の自動車の中で、子ども達と「記憶しりとり」をしました。普通の「しりとり」と違い、「記憶しりとり」では、毎回毎回、いちいち最初から全部繰り返さなければいけません。要は究極の記憶力テストとでも申しましょうか。
 結果はといえば、10代・20代の若者を退けてナント私メが優勝(笑)。こんなことがあって良いのでしょうか(笑)。ちなみに今回の「記憶しりとり」のログは、次のとおりです。

◆しりとり→りんご→ゴリラ→ラッパ→パンツ→つばめ→メダカ→カエル→ルイ14世→イスカンダル→ルーヴル→ルーレット→トマト→栃木→義兄→イラク→九十九里浜→魔術師→しめ縄→腋の下→田んぼ→ボルボックス→酢飯→士農工商→宇宙→運河→ガリレオ→オレオ→オートバックス→スイス→ストロー→ローライズ→ズッキーニ→ニルヴァーナ→南極隊→インカ帝国→櫛→ショーペンハウエル→瑠璃→リス→スーパーコンピュータ→タミル・ナドゥ→ウイルス→スルメイカ(ここで娘がギブアップ)→カリウム→ムック→クンダリーニ(ここで息子がギブアップ)◆

 私以外は誰も「クンダリーニ」という単語を覚えられず(※主にヨーガなどで使われる用語です)、その結果、私が優勝したわけなのですが。
 しりとりに興じているあいだ、震災発生後初めて大笑いしている自分に気づきましたよ。つくづく、笑いは神だ思いました。

【 み ず ほ 銀 行 】
 3月17日の早朝、某社から私の銀行口座へ入金がある予定だったんです。先方から「いつもどおり、みずほ銀行でよろしいですね?」 と問われたその瞬間、なぜか (今回だけは、みずほはヤメたほうがいい) という嫌な予感が。
 とっさに「すみませんが今回はゆうちょ銀行に送金してくれませんか?」と返事をしていました。その直後にみずほはシステムダウン、ATMが使えなくなって社会に大混乱をきたしたことは既にご承知のとおりです。
 実はその後も、これと同様の直感がすべて見事に的中しています。どうやら今、私の「野生の勘」は恐ろしく冴えている様子。こうなったら徹底的に自分の直感を信じることにします。

【 復 興 の た め に 出 来 る こ と 】
 私自身が今日(3月27日)までに被災者援助のためにしたことといえば、次のとおりです。

[1]復興書店への参加
 復興書店は作家仲間の島田雅彦さんが中心になってスタートしたファンド・レイジングで、作家がみずからの著書(サイン入り)を供出し、それをインターネット書店「復興書店」を通じて販売。収益を全て地震・津波の被災地に送るというものです。とりあえず拙著を数十冊、供出する予定です。

[2]被災地に住む友人へ物資を送る
 宅配便や郵便局が頑張ってくれているので、それらの輸送サービスを利用して被災した友人達に物資を送っています。
 個人ですからたいしたことはできませんが、加熱せずにすぐ食べられる食品(チョコレートや菓子など)、味噌、砂糖、トイレットペーパー、生理用品などを順次送っています。ガスが通じていないので、インスタントラーメンのように加熱調理する必要のあるものよりも、むしろ日持ちがして即食べられる食品が喜ばれるようです。

[3]被災地でのマジックショーを計画
 少し先の話になりますが、9月24日〜25日のナマステ・インディア2011にムンバイから14歳の魔法少女ジニアを来日させ、マジックパフォーマンスをしてもらうことになっています。
 その終了後に被災地の小学校でマジックショーを開催したらどうでしょう。その頃はきっと被災地も一定の落ち着きを取り戻していることでしょうから、マジックショーが子ども達の心のケアの一助になるのではないか……そんなことを思い、ただいま関係者と協議中です。

[4]各種募金への協力

 ……こうして書き出してみると、大したことは何一つ出来ていません。
 自分の能力のなさを痛感しますが、それでも、やらないよりはマシでしょう。
 明日からも自分に出来ることをコツコツと続けたいと思います。

 ともかく、みんな、一緒に頑張ろう!

 以下、次号に続きます♪
(※この日記は必要に応じて適宜、追記します)
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


お気に入りの定位置で心の傷を
癒すパンダ

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2011年3月27日
山田 真美
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