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2005年9月4日号(第186号)
今週のテーマ:
Bonjour 20 Ans
 衆議院議員総選挙まで、あと1週間と迫りました。

 日本では、選挙権を取得できる年齢は言うまでもなく20歳からですが、気がつけば明日9月5日は、20歳の誕生日(なんとタイムリーな!)。

 そこで今週は、娘が生まれた日の想い出を振り返りつつ、「成人」に関する素朴な疑問にも少し触れてみたいと思います。

 娘が生まれたのは、1985年9月5日(木曜日)の、早朝3時02分のこと。身長50.5センチ、体重3,200グラムの、それは健やかなベイビーでした。

 娘が生まれる前日、私は朝から書斎で机に向かっていました。当時、信濃毎日新聞に寄稿していた「アメリカ東南部を行く」という連載の、第9回目の原稿を執筆するためです。
 既に出産予定日を2日ほど過ぎていましたし、その日は朝から軽い陣痛も始まっており、それはまさに陣痛と陣痛の合間を縫っての執筆だったように記憶しています。

 こう書くと、なんだか物凄い修羅場を想像されるかも知れませんが、一般的に言って最初の子どもはそう簡単には生まれないもの。

 多くの先輩ママから、「初産の場合は、ほんの少しおなかが痛くなったぐらいで簡単には生まれないわよ」と聞かされていましたし、何ヶ月も前からラマーズ法の呼吸法もマジメに勉強し、出産のメカニズムとタイミングは大まかなところで理解していましたから、時計を見ながら、

(この程度の痛さでは、まだまだ生まれないはず)
(赤ちゃんが生まれる前に、原稿を編集者に届けてしまいたいし……)

などと考えて、結構ギリギリまで机の前でねばっていたわけです。

 当時、私は25歳。その頃の私は、1年の大半を信州の山小屋で過ごしていました。妊娠後期が真夏だったこともあって、ほぼ毎日のように愛犬と一緒に近くの池で泳いだり、自家菜園を耕したり、井戸さらいをしたり。

 5月10日から7月9日までは、大きなおなかを抱えて2ヶ月間もアメリカ合衆国を取材していたぐらいですから、ハッキリ言って、かなりワイルドな妊婦だったと言わねばならないでしょう(笑)。

 当時の私はまだワープロも使っていなかったので、原稿は全て手書きでした。新聞社から依頼された原稿も、もちろん手書き。これを書き終えたのがお昼ごろで、午後からは、夫とふたりで庭に馬小屋の設営を始めました。
 と言うのも、飼っていたペットのポニーが少し前に仔馬を生み、小屋が手狭になってしまったため、仔馬のためのスペースを至急確保する必要があったのです。

 臨月で大工仕事なんて、分別のある方からは「あらまあ、とんでもない!」と言われてしまうでしょうが、私にとっての「妊娠」はとてもナチュラルで元気一杯な状態で、むしろ普段よりもエネルギー全開という感じだったのですよ。

 そうやって日が暮れるまで馬小屋作りに励み、夜になって「そろそろ生まれるかな?」と思い始めてから、ようやく産婦人科へ……(その途中で新聞社に立ち寄り、完成した原稿を届けたことは言うまでもありません(笑))。

 入院から娘が誕生するまでの所要時間がわずか6時間でしたから、初産にしてはかなりの安産だったのではないかと思います。

テーブルセッティングを手伝う1歳8ヶ
月の娘。手に持っているのはスプー
ンです(信州にて、1987年5月撮影)
 実は、娘が生まれる前、私はあえて主治医に赤ちゃんの性別を尋ねませんでした。

 当時は既に超音波(エコー)による診察がありましたから、「私の赤ちゃんは女の子ですか、それとも男の子ですか?」と質問すれば、簡単に教えてもらえたのですが、事前に聞いてしまうのはなんだかもったいないような気がしたのですネ。

 ただ、妊娠中に会う人会う人から、「真美さんの場合は、おなかの形からして絶対に男の子よ」と言われたため、(生まれてくるのは男の子かな)と漠然と思っていたのですが。

 このときに知ったのですが、昔から伝わる迷信のひとつに、「おなかが前に突き出すと男の子、横に広がると女の子」というものがあるのだそうです。
 娘を宿していたときの私の腹部は、横には全く広がらず前に突き出た感じで、「後ろから見ると妊娠していることがまったくわからない体形」でした。

 それで皆は「絶対に男の子よ」と言ったのでしょうが、実際に生まれてきたのは、鈴のようにコロコロ笑う愛らしい女の子。

 実際に赤ちゃんが生まれるまでは、男の子なら名前は「真空真」(読み方は秘密(笑))、女の子なら「Vivi」(漢字は秘密(笑))にしようと思っていたのです。
 ところが、いざ赤ちゃんの顔を見た途端に、夫と私が最初に出逢ったオーストラリアにちなんで「Lia」と名づけたくなりまして。色々と考えた結果、「里愛」と命名したような次第です。

(なお余談ですが、現行の日本の法律によれば、人名にはヘボン式ローマ字を使用しなければなりません。したがって、「ラリルレロ」の音には「R」を当てることが定められており、「L」は使えません。しかし、娘の名前はパスポート上も「Lia」となっています。この記述が特別に認定されるまでには大変な苦労があったのですが、この話を書き始めると長くなるので、またいつか……)

 ……と、そのように元気に生まれてくれた娘も、すくすくと育ってハイスクールを卒業し、今はシドニーの大学に留学中。そして明日は20歳の誕生日を迎えるというのですから、本当に感慨深いものがあります。

 ところで今回、自分の娘が20歳を迎えるに当たって、改めて不思議に思うことがあります。
 それは、「結婚は男子18歳、女子16歳、自動車免許は18歳で取得できる日本で、成人年齢がいまだに20歳なのは何故?」という素朴な疑問です。
 
 世界には現在、191の国連加盟国が存在します(外務省統計、2002年10月1日現在)。
 さまざまな資料を総合してみると、そのうちの100ヶ国以上(149ヶ国という具体的なデータもあります)は18歳を成人と認めており、今や「18歳成人」は世界の常識なのだとか。

 選挙権取得が20歳からなのは、いわゆる先進国のなかでは「日本と韓国だけ」と言われていますし、ドイツに至っては、16歳から地方選挙権を取得できる州が5つもあるそうです。

 18歳と言えば多くの人が高校を卒業し、就職したり、あるいは大学や専門学校などへ進学する年齢ですから、社会的な区切りとしては、18歳成人は20歳成人より明らかに理にかなっているのではないでしょうか。

 もっとも、日本人の男女が「20歳で成人」し、「20歳から選挙できる」ようになったのは第二次世界大戦後のことで、戦前の日本では「25歳以上の男子」にしか選挙権はなかったわけですが。

 また、最近よく槍玉に挙げられる「少年法」という法律がありますが、ここでいう「少年」の意味は、現在は「20歳未満」ですが、大正11年に制定された少年法は「18歳未満」を少年と規定していたのです。
 つまりその頃は、18歳や19歳も「少年A」ではなく実名報道されたわけですね。

 成人とは、日本ではもともと「元服」のことですが、それでは古来における元服の年齢がどのぐらいだったかと言えば、天皇が11歳〜15歳、皇太子が11歳〜17歳で、特に一定はしていなかったとか。
 このあたりの事情は、小笠原流のウェブサイトに興味深い記事が載っていますので、ご興味のある方はこちらをご覧ください。

 要するに「何歳からがオトナか」という年齢制限は、地域、性別、社会的身分、それに平均寿命など諸々の条件によって大きく異なっているわけですが、これは当然のことでしょう。

 けれども私としては、現在の先進国の中で日本(と韓国)だけが「大人」と認定される時期が遅いという現状は、やはり問題だと強く思います。
 だって、モラトリアムの時期が長引けば長引くほど、人間は精神的に自立することが困難になるでしょうし、何らかの方法で自立を促さない限りは、30歳になっても実家に寄生というようなニート人口は増える一方でしょうから。

 法律によって成人年齢を引き下げることは、自立を促すためのひとつの大きな方法だと思うのです。

 世の中には、「18歳なんてまだ子どもじゃないか」と仰る方もいますが、それなら何故、「子ども」が結婚できるのか。「子ども」に運転などさせていいのか。現行の法律は、それこそ矛盾だらけと言えるのではないでしょうか。

 むしろ法定成人年齢を低め、社会的な自由と責任を生じさせることによってこそ、人は精神的に大人になっていくのではないか。そう私は思うのですが、皆さんはどう思われますか。
 大人からキチンと信頼されることで、子どもたちはみずから為(な)すべきことを自覚し、信頼されるに足る大人に育ってゆく。私は心からそう信じています。

 すみません、今週は途中から選挙演説のようになってしまいました(爆)。
 何はともあれ、娘よ、成人おめでとう。そして、今回初めて投票する20歳の皆さん。11日は、何はともあれ投票場へ行きましょう。

 ではでは♪
★★★今週のブースケ&パンダ★★★


ブースケは目下、発情期。取り憑かれたように
朝から晩までパンダを追い回しており、今週は
マトモな写真が1枚も撮れませんでした。よって
今週は、先週撮った写真でどうかご勘弁くださ
い。20歳どころか、弱冠2歳にして、ブースケは
早くも「成犬」です(苦笑)。ふう……

※前号までの写真はこちらからご覧ください
事事如意
2005年9月4日
山田 真美