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2012年7月20日号(第459号
今週のテーマ:
68年目のカウラ:日本人墓地参拝
―2012日豪親善カウラ・ヘイ捕虜収容所跡地訪問団の記録―
★ 仏教エッセイ ★
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※前号(68年目のカウラ:首都キャンベラ)はこちらからお読みいただけます。
 
※最近、「週マ」の更新が滞っておりましたことをお詫び申し上げます。これを書いている7月20日現在、南インドはバンガロールに滞在中です。元気にしておりますのでご安心ください♪ 山田真美

日豪プレス2012年7月1日号に掲載された村上輝夫さんオーストラリア訪問に関する記事
 6月1日、金曜日。

 オーストラリア滞在3日目の今日は、村上さんがずっとおっしゃっていた「最後にもう一度カウラへお墓参りをしたい」という夢を、皆で叶える日です。

 長い長い1日。朝から夜まで公式行事がぎっしり詰まっておりました。

 まずは9時10分から10数分間、私がABCラジオに生出演し、今回のオーストラリア訪問の趣旨や現在の村上さんの様子などをお話ししました。

 つづく10時からは、カウラ脱走協会(Cowra Breakout Association)の司会進行による一連の儀式、そして墓参です。

 最初に、1944年8月5日の暴動で命を落とした4名のオーストラリア兵の墓に村上さんの手で花輪を手向け、全員で黙祷。

 そのあとは隣接する日本人墓地へと進みました。

 ここに眠っていらっしゃる日本人は、次の3つのカテゴリーに分けることができます。

[1] 1944年8月5日に発生した暴動(いわゆるカウラ事件)で命を落とした日本人捕虜。
[2] それ以外の理由でカウラ収容所で亡くなった日本人捕虜。
[3] 第二次世界大戦中にオーストラリア各地でさまざまな理由で亡くなったすべての日本人(民間人を含む)。

カウラ日本人墓地(Japanese War Cemetery)の入口の風景



一連の公式行事を前に、(左から)カウラ脱走協会のローレンス・ライアン会長、村上輝夫さん、私



うっすらと曇った肌寒い日でした。右端は司会進行役のトニー・ムーニー氏



日本人戦没者の碑に花輪と線香を捧げる村上さん



アルファベットに不慣れな村上さんが「どれが誰の墓か、ようわからんでねえ」とおっしゃっていたので
墓標に刻まれたすべての名前を読み上げて差し上げました。暴動で亡くなった友達のお墓を見つける
ことができたようです



亡くなった友達のお墓の前で、「かわいそうです」と言いながら手を合わせる村上さん



墓標に刻まれた名前と死亡日時。とはいえ多くの捕虜が偽名を
使っていたため、彼らの本当の名前は未だにわかっていません



これが「最後」になるかも知れない元日本人捕虜の訪問を報道すべく、オーストラリアのマスコミ
各社がカウラ日本人墓地に集結しました



91歳の日本人と1歳のオーストラリア人の新しい出逢いもありました。ほっとする瞬間です
 [以下、次号につづく]  
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


ブースケがどことなくヨーダに似ている件は
ひとまず置いといて……

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2012年7月20日
山田 真美
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