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直前号(68年目のカウラ:ヘイ収容所跡地)は
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2012年9月19日号(第462号
今週のテーマ:
68年目のカウラ:マリオンの想い出
―2012日豪親善カウラ・ヘイ捕虜収容所跡地訪問団の記録―
★ 仏教エッセイ ★
言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中。第37回のテーマは「『智の器』としてのお寺の面白さ」です。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。
【講演会のお知らせ】 来る9月21日(金)18時より都内・西麻布の黒川雅之建築設計事務所にて、有志の皆さまが「山田真美さんから「カウラ事件」について学ぶ会」と銘打った講演会を催してくださることになりました。
 ★入場無料・予約制(先着50名様限定)です。
 ★お申し込み・お問い合わせは まで。
 ★詳細は左の画像をクリックしてご覧ください。
【インタビュー記事掲載のお知らせ】
『月刊公論』9月号の「リレー対談」に山田真美が登場しております。英語をどうやって独学したか? 大学院ではどんなテーマで研究している? 最近書いた「図書館学の教科書」の内容は? インドとの出会いは? インドの本当の凄さはどこにある? などなど、私の半生が割とディテールまで語られています。
 ★左の画像をクリック
すると全文をお読みいただくことが出来ます。
  ご高覧ください♪
 
 ※前号(68年目のカウラ:ヘイ収容所跡地)はこちらからお読みいただけます。

 さて、このシリーズを締めくくるに当たり、最後にどうしても書いておきたいことがあります。
 多くの日本人から「カウラのお母さん」として親しまれ、2004年に急逝なさったマリオン・スターさん(享年60歳)のことです。

 マリオンさんのことをお話する前に、話が少し長くなりますが、まずはラルフ・ジョーンズ一等兵(享年43歳)について書かなければならないでしょう。

 ジョーンズ一等兵はカウラ事件で命を落とした4人の豪州兵の1人で、マリオンさんの大叔母(故人)の婚約者だった方なのです。
 
マリオンさんが眠るカウラ墓地(Cowra Cemetery)。すぐお隣はカウラ戦没者墓地と日本人墓地です
 既にお話したとおり、1944年8月5日に日本人捕虜達が引き起こした暴動(カウラ事件)では、231人の日本人(後日、死者が増え最終的には234人)の他、暴動を制止しようとした4人の豪州兵(同じく、最終的には5人)が犠牲になっています。

 ジョーンズ一等兵は、亡くなった豪州兵のうちの1人でした。

 『生きて虜囚の辱めを受けず』(ハリー・ゴードン著, 山田真美訳, 1995, 清流出版)によれば、ジョーンズ一等兵は、やはり暴動の犠牲者となったハーディー一等兵(享年45歳)と共に「異常事態を告げる二発の銃声に叩き起こされたかたちで」飛び出したとされ、そのときの2人は「厚地のコートの下はフランネルのパジャマ姿」(P.132)だったということです。

 カウラ事件の発生に関しては、

次の満月の夜(即ち1944年8月4日から5日にかけての夜)に日本人が暴動を起こすという噂で当時のカウラは持ちきりだった」

という巷間の噂があるのですが、最初に飛び出した2人の豪州兵のまったく準備の出来ていない様子から察するに、この夜に暴動が起こることを誰も知らなかったと考えるのがむしろ自然でしょう。

マリオン・スターさんの墓標には、お名前にふさわしく、たくさんの「星」の飾りが供えられていました
Mami at late Ms. Marion Starr's grave at Cowra Cemetery. See all the stars twinkling forever:D
 それはともかく、異常事態の発生を知ったジョーンズ一等兵とハーディー一等兵は、日本人捕虜たちよりも先にヴィッカース機関銃が備え付けられたトレーラーの上にたどり着くことに成功します。

 ハーディー一等兵は、押し寄せてくる日本人捕虜たちの大群に向かって「徐々に銃口を下げながら至近距離から狙い撃ち」をして暴動を止めようと試みたものの、その銃を奪おうとして約200人の日本兵が「棍棒とナイフを振り回しながら猛然と突進」(同書P.134)。

 やがてジョーンズとハーディーは「赤い波に飲み込まれそうに」なり、「もはや自分たちには勝ち目がない」ことを悟ります。(同書P.134)

 「赤い波」が赤い捕虜服を着た日本人であることは、言うまでもありません。

 ジョーンズ一等兵はこの直後に、「トレーラー後部から飛び降りたところを、待ち構えていた日本兵に殴られ、さらに胸と背中を刺され」、「さらにもう一突き」されて、そこから約80メートル離れた中隊まで這うようにして歩いて行き、「『やられた』とだけ言ってこと切れた」(同書P.135)とハリー・ゴードン氏は書いています。

 つまり、こうして複数の日本人捕虜の手によって殺されたジョーンズ一等兵の婚約者の姉の孫娘さんに当たるのが、「カウラのお母さん」と多くの日本人に慕われたマリオン・スターさんというわけです。
 
村上さんと談笑する故マリオンさんの三女・アリソンさんと息子さん(6月3日、シドニーにて)
Marion's third daughter Ms. Alison and her son sharing a friendly time with Mr. Murakami.
  マリオンさんが「カウラのお母さん」だったという話は、決して誇張ではないと思います。

 実際、私がカウラ事件について現地で調査をしていた時も、マリオンさんは最も親身になって協力してくださった一人でしたから。

 『ロスト・オフィサー』(山田真美著, 2005, スパイス)のなかで、私はマリオンさんとの出逢いについて次のように綴っていますす。
 
  カウラでは、マリオン・スターという名の女性に最初から最後までお世話になった。マリオンさんは、ゴードン氏の友人であり、地方紙『カウラ・ガーディアン』に勤務するジャーナリストであり、そして何より、カウラ事件の調査と日豪交流に人生を捧げた女性である。

 五十年前の暴動では四人のオーストラリア将兵が亡くなっているが、そのうちの一人であるラルフ・ジョーンズ一等兵の婚約者の姉の孫娘にあたるマリオンさんは、郵便局の私書箱には一九四四年八月五日を表わす「五八四四」、自動車のナンバーには「POW」を使うほど、カウラ事件への関心と理解が深い。

 これまでにマリオンさんのお世話になった日本人はその数知れず、彼らの多くは一様に彼女のことを「お母さん」と呼んでいるという。今回マリオンさんは、取材で動き回る私のために自分の車を貸してくださり(そのためマリオンさん自身は他の誰かの車に乗せてもらわなければならなくなった)、カウラ事件関係者とのアポを次々に取ってくださり、家へ呼んで食事をご馳走してくださるなど、まるでヒヨコの面倒を見る母鳥のように甲斐甲斐しく世話をしてくださった。
  (『ロスト・オフィサー』P.59より)
 マリオンさんの怒った顔を私は一度も見たことがないのですが、ある日本人は、カウラ事件について厳しい表情で話すマリオンさんにハッと胸を突かれたことがあるそうです。

 そのときマリオンさんは「憎しみを憎しみで贖(あがな)うことは出来ない。憎しみは愛と友情によってしか贖えない」という意味のことを訴えていらっしゃったそうです。

 ジョーンズ一等兵の無残な死が、その後、マリオンさんの一家にどれだけ暗い影を落としたかは想像に余りあります。ジョーンズ一等兵の婚約者だった大叔母さんは、その後暫くして亡くなったそうですが、婚約者を殺されたことはどんなにか口惜しかったことでしょう。

 しかしそうした悲しい体験にもかかわらず、マリオンさんは常に率先して日本人を理解しようと努め、自分の娘たちを日本の高校に交換留学させ、カウラを訪れる日本人の世話を買って出るなど、まさに日豪交流に人生を捧げてくださいました。

 元捕虜の村上輝夫さんも、マリオンさんから毎年届くクリスマスカードを楽しみにしていらっしゃったとのことで、60歳で急逝なさった「お母さん」の死に驚き、悲しんでいらっしゃるようでした。

アリソンさんご夫妻と息子さんを囲んで、左から吉光徹雄さん、村上輝夫さん、私、LiA、唄淳二さん
(6月3日、シドニーにて。後方に見えるのはシドニー・ハーバーブリッジとオペラハウス)
 今回、カウラとヘイの収容所跡をめぐる旅の最後にマリオンさんの三女・アリソンさんとシドニーでお目にかかれたことは、この旅を締めくくるに最も相応しい出来事であったかも知れません。

 と言いますのも、聡明な建築家であるアリソンさんは、亡きお母さまが残したカウラ事件関係の資料をアーカイブ化し、ネットで公開するための作業を着々と進めていらっしゃるのです。

 実は、すべての日程を終えた村上さん達が日本にお帰りになったあとで、私は改めてアリソンさんと会い、今後どのようにカウラ事件の資料を整理・公開してゆくのがベストか、その方法論について膝を突き合わせて話し合ってまいりました。

 マリオンさんの死によって一旦消えかかったかに見えたリレーの火が、こうして娘のアリソンさんによって再び赤々と復活しようとしている。これは本当に嬉しいことでした。

 継承してゆくことの大切さ。シェアすることの喜びと難しさ。

 さまざまな課題はあるでしょうが、「カウラ事件」という大きな悲劇にも負けず日本とオーストラリアの友情を育ててくださった人たちの努力に対して、私たちは真摯に向かい合ってゆこうではありませんか。「もう終わったことだから」「恐ろしい事件だから」と顔をそむけてしまわずに。

 そんな想いを新たにしながら、これにて一応「訪問団の記録」を終わりにしたいと思います。
 長期間にわたっての掲載に最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
 
村上さん(92歳)と私、ランチを楽しむの巻(9月16日、東京にて)
Mr. Murakami, 92, and myself enjoying lunch. (September 16th in Tokyo.)
 追伸。村上輝夫さん、どうかお元気で長生きしてくださいね!

 2014年8月5日に開催予定のカウラ事件70周年記念式典にも、また、ご一緒に参りましょう!
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


心なしか自慢げにトマトと並んで記念撮影

(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2012年9月19日
山田 真美
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