旅に出ていない限り毎週土曜日に更新します。
直前号(母校の「特命教授」就任のご挨拶)は
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2013年4月11日号(第475号
今週のテーマ:
カウラ事件関係者を訪ね豪州へ(後半)
★ 仏教エッセイ ★
言宗のお寺・金剛院さんのウェブ上で『仏教一年生』と題したエッセイを連載中。第37回のテーマは「『智の器』としてのお寺の面白さ」です。左のロゴをクリックしてページに飛んでください。
 
 2月10日にオーストラリアから帰国したというのに、2か月も経過した今頃になってまだ「カウラ関係者を訪ね豪州へ(後半)」なんて日記を書こうとしている私をお許しください。

 なにしろこの2か月というもの、私は人生最大級の大変化の時に見舞われていたのです。

 いえ、大袈裟でなく本当に。ほぼ毎日のように大きな出来事が起こると申しましょうか、まさにジェットコースターに乗っているような状態のスリリングな毎日でありました(……と一応過去形で書いてはみたけれど、実は今、この瞬間も、現在進行形で変化の時が続いているような雰囲気が濃厚に立ち込めているのですが)。

 その中でも特に大きな変化といえば、前回の「週マ」にも書きましたように母校(明治学院大学)の特命教授に就任したことでしょう。昨日は人生で初めて「教授会」というものにも顔を出して参りました。

 ほかにも色々吃驚するような出来事があったのですが、すみません、それを書き出すと永遠に本題にたどり着けない危険を感じますので(苦笑)、今回は割愛させていただきます。

(実は今夜もこれからカウラ事件関係者のインタビュー取材で西日本の某所に向かうのです。もうそろそろ出かけないと、タイムリミットが目前です~(汗))

 ともあれ豪州旅行の「後半」を書きます。
 「前半」の内容をお忘れの方はこちらから読み直してくださいマセ。

 電車とバスを乗り継いで、無事カウラに到着するや否や、私は怒涛のごとくインタビューを開始いたしました。

 そもそも今回の旅の最大目的は、ハリー・ゴードン氏とドン・キブラー氏のお二方にインタビューすること。その目的が達成できたという意味で、今回のオーストラリア訪問は実に有意義なものだったと言うことができるでしょう。

 ちなみにドン・キブラー氏はカウラ日本人協会会長で、カウラ日本庭園の生みの親。言ってみれば、戦後のカウラの父のような存在です(特にカウラの観光業の成功は、この方抜きには語れないほど)。

 そうした功績を高く評価されて、一昨年(2011年)の10月には皇居に招かれ、天皇皇后両陛下に謁見なさっていらっしゃいますんですよ(詳しくは宮内庁ホームページの記事をご覧ください)。

 キブラー氏へのインタビュー内容は博士論文の中でご紹介できるかと思います。m(_ _)m

インタビュー終了後、ワインで寛ぐドン・キブラー氏と私(カウラ日本庭園内のレストラン「サクラ」にて)



カウラ日本庭園
 今回のカウラ滞在中は、“Cowra Breakout Association”(カウラ脱走協会)の有志の皆さんが、私のために心のこもった歓迎会を催してくださいました。

 会場は、昨年元捕虜の村上輝夫さんをお連れしたときに歓迎会を開いてくださったのと同じインペリアル・ホテル。日本語に訳すと「帝国ホテル」なのが凄い(笑)。

 おそらく本家「帝国ホテル」を意識してのネーミングなのでしょうネ(と、これはあくまでも私の勝手な想像ですが)。
 
“Cowra Breakit Association”のメンバーの皆さんと、インペリアル・ホテルにて
(前列右から3人目が私。後列右から2人目・3人目はローレンス・ライアン会長ご夫妻)



同じく“Cowra Breakit Association”のメンバーの皆さんと、インペリアル・ホテルにて



テーブルの上にさりげなく置かれた日豪両国の国旗がステキです♪
 また今回のカウラ滞在中は、カウラ事件発生時に日本兵捕虜と何らかの形で係わった一般市民の方々にもお目にかかり、インタビューをさせていただきました。

 カウラ事件を起こした1,104名の日本兵捕虜のうち、300名以上は、最長で9日間にわたって実際に収容所の外へ脱走したのです(最終的には全員が9日目までに収容所に連れ戻されましたが)。その際に、近郊の村では多くの人々が赤い捕虜服を着た日本兵を目撃しているのです。

 この写真に写っている男性は、事件当時は小さな子どもでしたが、当時のことを今も驚くほどよく覚えておられ、その時に感じたことを訥々と話してくださいました。
 
カウラ事件の想い出を語ってくださった、カウラ近郊に住む農家の男性
 カウラで数日を過ごした後は、またしてもバスと電車を乗り継ぎ、(直線距離にして)300キロ東に当たるシドニーへ戻りました。

 ここシドニーでも複数のカウラ事件関係者をインタビューさせていただきましたが、その合間を縫うようにしてシドニー湾でクルージングを楽しみ、友人の赤ちゃんにも会いに行き、30年前の留学時代にお世話になったホスト・マザーとホスト・シスターにも再会。さらに夜のオペラ・ハウスにも遊びに行ったり……と、今回も目まぐるしいほど、よく学び、よく遊び、飛行機に飛び乗る瞬間まで時間を目いっぱい使って活動しました。

 飛行機に飛び乗った途端に爆睡したことは言うまでもありません。

シドニー湾クルーズ



大好きな女友達(カウラ事件研究者の故マリオン・スターさんの
三女、アリソン・スターさん)のご長女とご対面♪



30年前のホスト・マザー(写真中央)、ホスト・シスター(写真右)と1年ぶりに
再会。彼女達とは、シドニーに来るたびに必ず会っています♪



夜のシドニー・ハーバー・ブリッジ。私が世界で一番好きな夜景です!
 ……と、ここまで書き進めてまいりましたが、ちょうど時間となりました。
 これから夜行便に乗って、西日本某所に住む元捕虜の方にお目にかかって参ります。

 これらの膨大な取材の結果は、近い将来博士論文の形で読んでいただくことになりますが、まずは先月、このような論文が出版されましたのでご報告いたします。
 
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 例によってドタバタと忙しいエンディングで申し訳ありませんが、そんなわけで行ってまいります。
 皆さまも、おからだを大切に、素敵な週末をお過ごしください。

 ではでは♪
▼・ェ・▼今週のブースケ&パンダ∪・ω・∪


冬に伸び切った髪を切ろうとハサミを
出した途端、あからさまな不満顔!


(※前号までの写真はこちらからご覧ください)
事事如意
2013年4月11日
山田 真美
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